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友よ、死にたくなったらベビーメタルを聴け!

Posted by 高見鈴虫 on 23.2017 ニューヨーク徒然   0 comments
メイトの諸君、ご無沙汰でごじゃった。
お元気でしたか?

いや別に、ジャニス・ジョプリンの怨念にやられて、
という訳でもないのだが、
お陰様でなんだかんだと野暮用尽くし。
雑用に追われてばたばたと過ごしているうちに、
あっという間に月日ばかりが経っていしまう、という訳でさ。

でまあ、ご無沙汰の言い訳がてらに、
近況報告なんて感じで。

でそう、実はさ、最近ちょっと驚くほどに、というか、
自分でも気味が悪くなるぐらいにお気楽に過ごしていた。

で、そのお気楽さの理由ってのが、
ここ最近、俺は自転車の人、なんだよね。

ここところお世話になっている先がミッドタウンのはずれにあって、
下手に地下鉄を乗り継ぐよりは、
そのまま歩いてしまった方がずっと速い、そのぐらいの距離。
であれば、そう、自転車、である。
言うまでもなくこの自転車。
都市という空間においてはまさに最高最上最速の移動手段。
朝から自転車を駆ってはセントラルパークの遊歩道をひた走り、
プラザ・ホテルから五番街からの雑踏をかっ飛んで、
これぞまさに極楽的チャリンコ通勤。

いままでの不幸の坩堝であったあの朝の地下鉄。
あの不愉快極まりないラッシュ時の混雑から、
人間の悪意の底を見るような不機嫌な乗客たちからと、
ニューヨークのこの地下鉄、
まさにこの世における最も邪悪な空間。
長年に渡って積もり積もった怨念を並べたら切りがないぐらいに、
朝晩のこの地下鉄での通勤こそはニューヨークの諸悪の根源。

で、そんな地下鉄世界から解放された途端になんとなく、
妙な充足感というか、多幸感というか、
これはいわゆるひとつの夢の具現化、とも言える訳で。

いやただ、別にチャリ通が実現したからといって、
己の人生になんの不満もない、なんてことはまったくなく、
いや、言ってみれば現実的にはその真逆。
仕事のレベルの低さから、おまけにこの目も当てられない減給と、
いやはや我ながら燦々たる状況。
幸せ、どころか、それを言ったら究極的にまっじやべえ、
そんな状態には違いないのであろうが、
そう、この自転車、という奴。
そんな日々の不幸感の一切を、
すっかりと忘れさせてくれる、
超絶な浄化作用があるらしい。

紅葉に燃える木立の中を思い切り風を切っては、
そしてタクシーとバスとトラックと不機嫌な通勤者たちにごった返す
この末期的なまでの雑踏の狭間を、
罵声を響かせながら我が物顔で突っ切って、
これぞまさに、ストリート・キング、つまりは、裸の王様気分。

そんな俺に、忘れてはならないのがベビーメタル。

大通りの裸の王様たる俺は、もうここまで来たら恥も外聞も、
それこそ恐れるものなどなにもない、まさに勝手に透明人間モード。
他人目をいっさい気にせず、思い切りの大声を張り上げては、

♫ 幾千もの夜を越えて、リンリンリンおはようWAKEUP、
キツネ飛べキツネ飛べ、女は女優よ~ ♫

改めて言うまでもなく、自転車とベビーメタル、
これぞまさに、絶好且つ絶叫もののベストマッチ、である。

残業開けの夜更けの街、
身も心も鬱屈を極めた鬱の殻が、
一度自転車に跨ったとたんに弾け散る。
そしておもむろに耳に突っ込むイヤフォーン。
それはまるで、ジェット戦闘機のコックピット。
やにわに大音響で流れ始めるベビーメタルが、
この不愉快な世界の雑音のすべてを
完全に遮断してはロックオン状態。

そして俺は、ベビーメタルの爆音と共に、
夜の街その真中に向けて、勝負!とばかりに、
一挙にジェント噴射を試みるのだ。

BABYMETAL DEATHの不穏な出だしから、
いきなり弾け飛ぶギミーチョコレート。
赤信号の交差点の真ん中を、南無阿弥陀仏とばかりにひと思いにつっきり、
四方八方から弾け飛んでいるであろうクラクション、
そのヘッドライトの狭間を、
奇跡的なまでに華麗なハンドルさばきで間一髪すり抜けては、
へっへっへ、危ないところだったぜ、と、
これぞまさに無敵気分。

携帯片手のボケ腐った通行人、
正体不明の酔っぱらいも間の抜けた観光客も、
そんな波間のわかめのような連中の一切を、
知ったことじゃねえと一挙に蹴散らしては弾き飛ばし。

街中からのクラクションと罵声と悲鳴とサイレンと、
そんなもののすべて中指一本二本三本。
そして俺は、末期的な渋滞に溢れかえる、
グランド・アーミー・プラザのロータリーから、
夜の公園へと向かう闇のトンネルの中に、
頭から突っ込んでいく、のである。

人気の失せた公園の舗道、
それはまるで、夜の海のようなねっとりとした闇に包まれ、
俺はただ一人、鳴り響くベビーメタルとの間の完璧なまでの調和の中、
これでもかと風を切っては滑走しては、

声の限りにアカツキだ~!

このスピード感、このドライブ感、
この有無を言わさぬ無敵パワー。

そして、シンコペ、
そして、IDZ、
そして、KARATE、

ああ、もう、これ以上に幸せな瞬間がありえるのか、

ってなところで、
おっとっと、そろそろアパートに到着の頃、
ああでもでもでも、
この次のヘドバン、もう最高なんだぜ。
それを言ったら、RORも、
そして、ちょうど自転車を降りたあたりで、
極めつけの、THEONE、と行きたいもので、
という訳でそんな時、
ベビーメタルの曲順に合わせては、
思わず家の前を素通りしては、
そのまま川沿いの公園までひとっ走り。

このベビーメタルとチャリ通の超絶な相乗効果の中で、
日々のストレスも、メタボも鬱も、過労も腰痛も、
身体を吹き抜けていく秋風を切り裂き切り裂かては、
家につく頃には、孤独も不安も、恥も外聞も、
怒りも苛立ちも無力感も悲壮感も、
そんな日々に毒の一切合切が、
すべてまっさらに洗い流されている、
そんな日々を送っていたつもり、
という訳なのである。

そう、この長い長い沈黙の間、
俺は実のところ、ベビーメタルとちゃりんこ、
その完璧な調和の中に満ち足りながら、
一人勝手に、実にわりとよろしくやっていた、
そのつもりであった、のである。





でさ、最近のこの奇妙なお気軽感、
その理由ってのがもうひとつあって、
実は俺、最近、ニュースをまったく見ていないんだよね。

まあそれも実は自転車通勤の副産物って奴なんだけどさ。
以前は、地下鉄通勤のその不毛な時間の暇つぶしに、
駅前でピックしたフリープレスやら、
あるいは、断線を繰り返すIPHON、
それとなく、グーグル・ニュースやらで、
最近の出来事、なんてのに目を通していたりもしてたんだが、
そう、自転車通勤になってから、その習慣が断ち切られた。

さすがに自転車乗りながら新聞やらIPHONEやらってのは
ちょっとありえないし、
今回の仕事上ってか職場環境上、
仕事中にWEBサーフってのはちょっとやり辛いところがあって、
で、深夜帰宅した後は、耳鳴りになって残るベビーメタルの余韻に浸されながら、
わりとなにもせずに、がーっと寝てしまったりもする訳で。

でまあ、そんなシンプル・ライフを続ける中、
いつの間にか、世間でなにが起こってるか、なんて、何も知らず、
さして知りたいとも思わず。

だってさ、と、またまた愚痴の蒸し返しなのだが、
だって、いまこの世界で一番大切なこと、
つまりは、ベビーメタルに関することが、
まったく載っていないメディアになんて、
いったい、なにの意味があるんだよ、と。

まあそうそんなことはいまに始まった訳ではない。
執政者に都合の悪いすべてを大本営発表の嘘情報でごまかしながら、
国中が焼け野原になるまでなにひとつ一切を知らされることのなかった国。
あるいは、これだけ露骨に占領軍たるアメリカ軍が幅を効かせながら、
日本の国体だ、主権の在民の、と言われても、
一言、バカか、としか思えなかったあの基地の街の現実。

そしていま、
これだけの影響力を持つベビーメタルという存在を、
わざわざ無き者としてスルーせねばならないという、
その設定自体にそもそも物凄い無理があるわけでさ。

で、改めて言わせて貰えば、
あべだ寅ンプだちょーせんだ虫国だから始まって、
で、そんな出来レースな世相につくづく嫌気の刺したほとんど大抵の人々が、
やれ、乱射だ暴走車だ、あるいは、自殺サークルの連続殺人だ、
その全てがすべて、まったく同じ理由に根ざしている、
そんなこと、どんなバカだって気づいている筈。

それでありながら、その当然誰もが知っていることを敢えて言わず、
その重要なファクターを無きものとすればするほどにその設定に無理がでる。
世界を包んだこの違和感、この嘘臭感、この虚実性、この馬鹿バカしさ、
そのいちいちのあまりのレベルの低さ、
その全てが、一つの重要なファクター、
つまりは、ベビーメタルの存在を認められないところに起因している、と。

だってさ、と思わず。
だってさ、皆様だってそう思いませんか?

ああ、死んでしまいたい、と呟く人も、
そんな人に、一緒に死にませんか?と誘い出す人も、
そこに共通するものはいわゆるひとつの虚無。
つまりは、生きていてもなんにも面白くないから。
あまりにも見え透いていてバカバカし過ぎて、
思わず死んでしまいたくなるぐらいに救いようがない、
バカのバカによるバカのための虚実世界に、
無理矢理にでも暮らさねばならないその呪縛の中で、
つくづく自分を見限ってしまったと、これに尽きるだろうと。

わかってるよ、
だって俺だって、ついこの間までそんな感じだったしさ。
ただ、死ぬのが面倒だから生きているだけ、
ぶっちゃけ、そんな奴ばかり、とは言わないが、
まあそう、いつ死んでも別にいいか、と思っている奴がほとんど、
と、勝手に断言してしまう訳で。
で、その理由?
決まってるじゃん、つまらねえから、ってか、不愉快だからだよ、なにもかもががさ。
で、そのなにもかもが、っていう世界感がなにによって成立されているか、と言えば、
それはつまりは目と耳と口。
で、その目と耳と口のそのほとんどが情報、
つまりはメディアによってでっち上げられた虚実。
そのメディアのでっち上げた虚実があまりにも嘘くさくバカバカしく、
その大いなるすれ違い、つまりはそれが理由だろ、と。

死にたくなった、のではなく、死にたくさせられた、
あるいは、死にたいぐらいに糞面白くもねえ世の中にされてしまっている、
ただそれだけの話だろ、と。

で、そう、この糞ブログを読んでるようなやつなら誰でも知っている。

死にたい、なんていう前に、ベビーメタルを聞いてみろ、と。

ああ、この糞馬鹿馬鹿しい世界、思わず死んでしまいたい、
何ていう奴ら、みんなまとめてベビーメタルのライブにぶち込んでやれば良いんだよ。

死にたい、どころか、まじで殺されるぐらいにもみくちゃになって、
そこで徹底的に洗い流されては、怒りも哀しみも、孤独も不安も、
すべてまっさらの真っ白け。

死にたくなったらマルケスを読め、と昔言われたことがあるが、
-> 死にたくなったらこれを読め 「百年の孤独」 ~ ガブリエル・ガルシア・マルケスの死に添えて

俺はいま、それをこう言い換える。

死にたくなったら、ベビーメタルを聴け!

それ以外に方法はない。
ただ、この方法、効果はてきめんの絶対保証だぜ、と。

で、そう、先のメディアの功罪ってやつ。

人々が、ああ死にたい、死んでしまいたい、
とそこまで追い詰められていった過程の中で、

もしも、日々のニュース、その最後にでも、
ベビーメタルの全米公演のニュースが流れていた、としたら・・

みなさん、ここでまた、ベビーメタルのニュースです。
アメリカ公演中のベビーメタルがまたやってくれました!
ワシントンDCで、ノースキャロライナで、
サウス・ダコタでウィスコンシンで、
広大なアメリカ大陸の西から東まで、
会場を埋め尽くしたアメリカ人の観客が、
まさに総立ちの大合唱。

ベビーメタル!ベビーメタル!ベビーメタル!

それでは、現地の声を聞いてみましょう。

イエイ、ベビーメタル、死ぬほど凄いぜ!
ベビーメタル、最高!
次のライブも、その次のライブも行く予定。会社なんかいくらでも辞めてやる。
ベビーメタル・DEATH!最高DEATH!

日本の産んだアイドル・グループが、
いまや世界を愛とカワイイで席捲しています。
ベビーメタル、この地球を股にかけた大活躍、
ますます目が離せませんね。



もしも、あの自殺志望者たちが、
その孤独な自意識の袋小路の中に追い込まれる過程において、
偽りのプライドの押し付けと、それに対する拒絶反応からのヒステリー発作、
そんなキャビン・フィーバー的な閉塞感にいまにも発狂寸前の日本のお茶の間に、
もしもベビーメタルの、この胸のすくような大活躍のニュースが流れていたとしたら・・

そう、もしも日本のメディアがベビーメタルを取り上げることができていたら、
少なくとも、あの事件もこの事件も、起こりはしなかった、
俺はそう、断言できるのである。

それが証拠に見ろよ、
この閉塞感に満ち満ちた世界において、
そんなネガティブな世相はどこ吹く風、
問答無用なまでに、元気いっぱいに暮らせているのは、
俺たちベビーメタル・メイト、それだけ、じゃねえのか、と。

そう、俺たちはベビーメタルとともに開放されている。
俺たちは、ベビーメタルに夢を託し、
そして、ベビーメタルと共に、世界に向けて心を開いている。
つまりは俺達が日常的にずっと追い続けていたベビーメタルのニュース、
それをもしも、世界中の人々が共有することができていたら・・

そうだろ、そう、その通り。
ベビーメタルの全米ツアーのニュースが、
もしも、日本のメディアでちゃんと報道されていたら、
もしかしたら、相当数の自殺者を、ヒステリー発作を、
思いとどまらせることができたのではないのか、と。

そう改めて言うまでもなく、
俺達は自殺どころか、その真逆、
ベビーメタルとともに、これだけ幸せを思い切り生きているのだから。

と同時に、そんなベビーメタルを知らずに生きている人々。
つまりは、明るいニュースのなにひとつも知らされないままに、
あべだ寅ンプだきたちーせんをダシにして丸儲けだ、
なんて不愉快なニュースばかりを押し付けられて、
さあ、踊れ、我ら、踊らんかい!と無理やりケツを蹴飛ばされては、
この国はこっちのひとだけのもの。
あっちの人はさっさとこの国を出て行けばい、
そんなことをやってやらされていたら、
確かに、いい加減に死にたくもなるだろう、と。

そう、この暗い世相の諸悪の根源は、
メディアがベビーメタルを報道しないこと、にあるのだ。
つまりはそう、ここまでくれば、
ベビーメタルを報道しないメディアは、殺人罪、国家反逆罪に等しい。

と同時に、
日本を、世界を、
あるいは、いまにも死にたい、と追い込まれてしまいそうな
そんな可哀想な人々を救うためにも、
ひとりでも多くの方々に、このベビーメタルの存在を知らしめるべき、
それが、世界を救う、唯一の方法なのDEATH、と。



とまあ、またまた、相変わらずのお調子ぶっこいている訳だが、

で、まじめな話、

ニュースなど見なくても人は死なない。
で、ニュースを見るのをやめたら、いきなり、とてもお気楽になれる。
そしてその空っぽな頭に、大音響のベビーメタル。
これ一発で、世の不幸も哀しみも、自殺も連続殺人も、
乱射も暴走車も不況も戦争も右も左も上も下も、
なにもかもが、徹底的にバカバカしくなるぞ、と。

そう、ニュースなんて見なくったって人は死なない。
新聞もテレビも、そしてインターネットもSNSも、
そんなものなくたって人類は滅びない。

あるいは、ベビーメタルという存在を敢えて除外ししては、
そんな大きな欠落を前提とした歪んだ社会感になど、
これっぽっちの意味も真実もありえない、と。

であれば、
俺的には、ベビーメタルだけいてくれれば、
あとは野となれ山となれ、それで良くね?
とも思ってしまった訳でさ。

と、そんな俄な充足感の中で、
働いて食ってベビメタ聴いて寝る、
あ、糞するの忘れてた、とか、
まあそのぐらいのことだけの毎日に、
なんとなくの、お気楽というか、投げやりというか、
妙な、開放感の中で生きていた訳なのだが、

で、そんなささやかながらもちょっとしたほんわか気分、
この心地よい自閉の羊水に浸っている間、
ふとすると、あり、この糞ブログ、
なんとなく、ネタが見つからない、というか・・・

いや、ネタはある、ってか、書きたいこと、書かねばならないことは、
いくらでもある、その筈なんだけど、
なんとなく、文章を綴る、あるいは、タイプを打つ、という行為そのものに、
あるいはそう、こう言ってしまうとなんなのだが、
他人になにかを伝える、という行為そのものに対して、
なんとなく、情熱が薄れた、というか、気が抜けたというか、
ぶっちゃけ、そんなことしなくても、俺は十分、充足していて、
つまりはそう、目を閉じ耳を塞げば、言いたいこともなくなるだろう、と。



とそんな時、
ふと、背中に感じる妙な違和感。
判っている、これはまた、例の腰痛、その予兆。
つまりは、朝晩の自転車通勤に、
これで運動は十分と安心しては、
それを言い訳に暴飲暴食を繰り返していた、
その報い。

そうなんだよ、これまでの末期的な運動不足の中で、
自転車通勤さえ始めれば、ちょっとはこの太鼓腹も、
凹んできたりもする筈なのに、と思い続けてはいたのだが、
いざ、夢の自転車通勤を初めた途端、
どういう訳か、逆に体重が増え続ける一方、なのである。

つまりは、ストレスの無さ、そして、自転車通勤の気楽さから、
ついつい残業が長引いては深夜帰宅。
家に着いた途端に、ああ、腹減った、なんか食うものある?
とばかりに、寝際になって暴食を掻き込んでは、
ああ食った食ったとそのまま寝てしまう、その悪循環。

以前から、ズボンがきつくなってきた、と思った途端に始まる腰痛。
つまりはそういうこと、結局はそういうことなんだよ。

という訳で、最近すっかりご無沙汰となっていた、
ブルックリンの奇跡のマッサージ師。
久々の挨拶がてらに、ちょっと顔を出してみようか、
と飛び乗った地下鉄。

改めて久々に乗り込んだ地下鉄、
当然のことながらまったく変わっていない。
おまけこの末期的な大混乱。
24時間運行の歪から、どこもかしこも壊れ続けている訳で、
そのしわ寄せが、常時そこかしこで突発的に行われる修理作業となる訳なのだが、
その為に、普段からして無茶苦茶なダイヤが、
まさに、支離滅裂の運試しに近い状態にまでなっている。
赤線のホームで電車を待っていたら緑の電車がやってきて、
オレンジの電車の筈がその路線がいつのまにか黄色に様変わり。
で、この電車、いったいどこに停まるわけ?どこに向かっているわけ、
と誰に聞いても誰も全くそれを知らない。
これだけの人々が平然として行く先の分からぬ電車に乗っている、
ということからして妙ではあるのだが、
そう、一度乗ってしまった以上、泣いても騒いでも、
次の駅に着くまではなにをすることもできず。
あるいはそう、この人々。
つまりは、どこに行きたいわけでも向かっている訳でもなく、
ただ電車に乗っている、それだけが目的の、つまりは電車生活者のホームレス。
相変わらずと言えば相変わらずながら、
相わからずと言っているばかりで誰もその抜本的な対策を考えず、
不条理を不条理のままに放っておく、このアバウトさ、この投げやりさ。

と、ふとそんな電車、窓の外にいきなりの空が広がっている。

ああ、あれに見えるはブルックリン・ブリッジ。
その向こうにある、嘗て見慣れた、あのダウンタウン・金融街の摩天楼郡。
いったいこの風景をどれだけ眺めてきただろう。

空高く立ち並ぶ渓谷の狭間で、
せめぎ合い毟り合い、時として怒鳴り合い掴み合い、
人間の強欲をこれでもかと吐き散らしては業火に焼かれ続ける、
そんな人々の棲まう街。

そして一日の終り、こうして遠ざかる地下鉄の窓から、
こんな街に暮らす、その虚しさを寂しさを、
怒りを哀しみを噛みしめながら、
そして、この地下鉄の中に閉じ込められた人々。
そのどれもが疲れ切り、諦めきり、すっかりと燃え尽きていながら、
その薄汚れた生気の失せた表情のひとつひとつが、
どいつもこいつも、まったくもって、貧乏そうな馬鹿面を並べては、
その疲れきった表情の中に、どことなく漂うユーモラスな可笑しみ。

お前ら、どいつもこいつも、くたびれきった馬鹿面を並べやがってさ。

そして、窓の外に広がるダウンタウンの街並み、その遠景。
立ち並ぶ渓谷に光る窓、その一つ一つに、
バカのバカによるバカばかりの馬鹿な世界があって。

そう、バカは俺だけじゃない。
あんたもあんたもあんたもあんたも、
そして、こいつもあいつもそいつも、
こんな街に暮らしている奴は、どいつもこいつもバカばかり。
そして俺も、すっかりとその一人。あるいはその筆頭という奴か。

そう思ってはふと鼻で笑った俺を、隣に座った黒人の女の子がじっと見つめている。

ねえ、なにがおかしいの?
この世界に、なにか笑えるようなことが、ひとつでもあったりするの?

やめなさい、と母親が言う。
地下鉄の中に知らない人に話しかけてはダメ。
他人には他人の、その一人ひとりに、その人だけの抱えた事情があって、
人はひとりひとり、そんな事情の中で生きているのだから。

そして、俺の事情。
そしてこの見るからに破綻したシングルマザーであるだろう母親と、
そしてそんな母親に頼らざるを得ない、
この絵に描いたように薄幸そうな、貧乏な少女のおかわいそうな事情という奴。

そう、人は一人ひとり、個人的な事情の中で生きている、それだけで精一杯。

そんな個人的な事情を抱えた人たちを、放っておいてあげるということも、優しさなのだろうが、
敢えて言わせて貰えば、それは処世術であって、真実ではない、その筈だ。

地下鉄はいつしか、橋を渡りきり、そして、再び地下のトンネルへと入り込み、
ちょっとはまともな家賃を払っている人々がどっと降りて、
そして、ドアが閉まると同時に、地下鉄はその先に続く、ブルックリンの奥地へと向かい始める。

次の次の、そのまた次の駅で、あの少女と、
両手いっぱいに巨大な荷物を抱えた母親が、
共にすがり合うように手を繋いでは降りていった。

おめでとう。少なくともこの駅で降りられるということは、
君たちはまだ、こうしてまだ地下鉄を降りることのできない人々、
つまりは、もっともっと奥地に住んでいる人々に比べては、
ちょっとは、ましな事情を生きている、ということなのだから。

地下のトンネルを抜け出した窓には、線路の間際にまで犇めきあった、
古き良き煉瓦色の集合住宅が軒を連ね、
一面に落書きの殴り書かれた屋上と、そして地下鉄の窓からさえ筒抜けになった、
そんな街で暮らす人々の生活の風景を垣間見ながら、
並んだ窓の一つ一つにあるであろう、見ず知らずの他人たちの抱える個人的な事情という奴が、
妙にしっとりと、妙に切なく、妙に暖かく、そして妙にユーモラスに、
思えてきたりもするのである。

そして地下鉄は貧民街をひた走る。つまりは自身の収入に見合う、
同じような生活レベルに暮らす、同じような事情を抱えた人々の元へ。
そして終点近くの駅。
地下鉄が走り去った後、ホームに残された人々。
どれもこれ以上なく背中を丸め、頭を垂れて、足を引きずりながら、
今日一日の終わりに、ささやかなる感謝を感じているであろう人々。
ついさっきまで、あのダウンタウンの摩天楼の渓谷の狭間で、
押し合いへし合い、怒鳴りあい掴み合ってきた人々が、
そしていま、そんな街における、唯一の自分自身の場所と言うやつに、
帰り着こうとしているのだ。

駅の階段を降りて、そして歩き始める。
右に向かう人、左に向かう人、西に東に南に北に。
その個人的な事情を抱えた暮らしのすべての詰まった穴蔵の中に身を落ち着ける為に。

どいつもこいつも、と再び呟く。
どいつもこいつも、貧乏臭く疲れ切って、
どいつもこいつも、これ以上無く間の抜けた馬鹿面を並べやがって。
そしてもちろん俺もその一人。そしてもちろん、俺はその筆頭であったりもするのだろう。

じゃな、と思わず。
じゃな、あばよ、地下鉄の人々。
せいぜいその個人的な事情という奴を大切にしてくれ。

それは皮肉ではあるものの、しかしそこに明らかに存在するシンパシー、つまりは同属意識という奴。

どいつもこいつも、こんな街に暮らしている奴は、一人残らず馬鹿ばかり。

そう思いながら、見上げる貧民街のその間の抜けた空が、
なんとも悲しくも暖かく、見えてきたりもするのであった。

で、そんな時、ふと、この気持ちを綴らねば、と思ったのである。

バカがバカと暮らすバカな暮らし、
その中にこそ「希望」に変わるなにかを、見つけ出さねばならないのだ。

俺が書きたかったのは、書かなくてはいけないのは、
つまりはそんなことではないのだろうか。

つまりはそう、人間のこと、
つまりは、そう、俺たち、そう、俺たちのこと、なのだ、と。

それはまさに、不思議な感覚だった。
ご機嫌な自転車の中で言葉の意味を忘れた俺が、
あれほど憎んだ地下鉄に乗った途端、
いきなり文章が迸り、溢れてきた、のである。

この糞地下鉄の野郎、
相も変わらぬその無茶苦茶な運行に対する怒りから、
あるいは、ドアの前に立ったままてこでも動かない意地悪な乗客たちから、
あるいは、どこかでひっそりと個人的な事情の中で生きながら、
その動作の、生活のひとつひとつが、堪らなく小洒落ていて、
堪らなくユーモラスで、堪らなく辛気臭い、
そこに溢れ出る個性、あるいは生活、あるいは人格の欠片。
お前らまったく、お前らってまったくもって、ニューヨーカー。
そして俺は、そんなどいつもこいつものニューヨーカーたち、
そんな人々のことが、書きたい、書いてみたい、書かねばならない、
そう思っていた、のである。

そして駅から人通りすら途絶えた、街外れのプロジェクト:低所得者用集合住宅。
訳の分からない据えた匂いの立ち込める玄関から、
長年の埃の積もったまま掃除をした後のまったく見えない階段を登り、
そのドアのひとつひとつから溢れ出た生活の残骸をまたぎながら、
見慣れたドアを控えめに叩いた途端に、いつもの人懐っこそうな超人ハルクが、
欠けたままの前歯を見せては笑いかけてきた。

よお、久しぶりじゃないか。
ああ、ようやくどうにかこうにか食い扶持が見つかってね。
それは良かったな。おめでとう、と言わせて貰っても良いのかな?
おめでとうなんて言われる程にはあまりうれしくもないのだが。
まあでも、とりあえずは金ができた、と。
ああ、お陰様であんたに払えるぐらいの金はできたようだ。
ああ、金なんて放っておけばいつの間にか失くなってしまうもんさ。
あるうちに必要なものだけは先に手に入れておくべきだ。
無ければないで不思議とどうにかなるものだしな。
その通り。で、まずはこの腰痛。
ああ、見れば判る。またすっかりと、背骨が歪んでいるみたいだしな。
で、この偏頭痛。
ああ、顔色が悪いのはこの電球のせいだけでもないだろう。
で、この胸。
ああ、そんなことだろうと思った。お前はひとりにしているといつも胸を閉じてしまう。
閉じた心の中ですべてを自分ひとりでやっつけてしまおうとするものだから、
そう思えば思うほど、心がどんどんと閉まっていく。凝り固まっていく。
開けてくれないかな、その心ってのを、もう一度。
わかってるさ、その為に来たんだろ?
ああ、そう、その通り。それが一番必要なことかもしれない。
今回は、ちょっと痛むかもしれないぞ。
そんなに凝り固まっていたのかな?
自転車は便利だが、孤独な乗り物だからな。
ああ、そして俺はそんな自転車が大好きと来ている。



自転車に乗り始めた途端に、出口を失ってしまった言葉が、
地下鉄に乗った途端、それはまるで、ちょっとした爆発を見るように、
次から次へととめどなく流れ初めては、
そしてそんな言葉は、何の形を結ぶこともなく、
落ち着く先もないままに蟠っていく。

ただ、そんな俺よりもずっとずっと理知的でナイーヴな大抵の人々は、
その言葉を、外に発することも、形にすることも、
ましてや、誰に話すこともできないままに、
積もり積もっては、閉じられた心の中に蟠っては凝り固まり。

そんな行き先を失った言葉の中で、
あるものは、それを伝えることをすっかりと諦めては、
思わず、死にたい、なんていう思ってもない言葉に変えられては、
そんな迂闊な呟きが、一瞬のうちに世界中を駆け巡ってしまうことにもなる。

そんな糸を手繰って、手繰り寄せて、
一緒に死にましょうか、とその居場所の提供を申し出る殺人者、あるいは救い主。

もうなにもかもがばかばかしくなってしまって。
もうなにもかもが面倒くさくなってしまって。
死んでもいい、死ななくてもいい、もうなんでもいい、だからどちらでもいい。

友よ、と、改めて、そう呼ばせて貰えるならば、

友よ、ベビーメタルを聴いてくれ。

すべての答えはそこにある。

そして、本当に死んでも良い、と思っているのなら、
迷うことはない、ベビーメタルのライブに行くことだ。

線路際のアパートの、死臭の立ち込めた天井にぶら下がるよりは、
怒涛のビートの中に錐揉み状態になっては、
いまにも死んでしまほどの興奮と、
いつ死んでも良いほどの充足感と、
そして、そんなことを考えていた自分が、つくづく馬鹿馬鹿しく思えるほどに、
徹底的にすべてを洗い流すことができる、
そんな、ディヴァインを、経験できる筈である。

友よ、お願いだ、ベビーメタルを聴いてくれ。

そしてすべてを洗い流した夜の空に向けて、
もう寂しくなんかない、と、ひとこと、思い切り、叫んでくれ。

友よ、そして心の底から思い知る筈である。

ベビーメタルは、そんな人々に、この瞬間の与える為に、
この世に遣わされた究極の天使たちなのだ、と。

そして、メディアの方々。

もう、戯言は聞き飽きた。

頼むから、そんな人々にベビーメタルのことを伝えてくれ。

若き魂を死の袋小路から救い出すには、もうベビーメタルしか方法はない。

それが判っていながら、敢えてそれをしない行為が、
人類にとって、どれだけの損失となりうるのか、
その隠蔽行為そのものが、犯罪行為、人類に対する冒涜である事実を、
一刻もはやく認めてくれ。

そしてそれは、あなた自身を、その死の袋小路から救い出す方法でもあるのだから。



という訳で、ははは、はい、最後の最後で白状しましょう。

正直な話、ベビーメタルのライブが終わってからこの方、
寝際になってから枕元のIPHONEで、
ヤフージャパンのニュース記事なんてのを読んでいたら、
すっかりと、鬱のどツボに叩き込まれてしまいまして。

というのも、はい、あの、ニュース。
前述したあのニュース。
あれですっかり、ニュースを見るのも、どころか、
あんなニュースが起こってしまう、
そしてそれを、金目的の為にを面白おかしく垂れ流し続ける、
そんな日本という国そのものが、心底イヤになってしまっては、
こと、日本関連のサイトは完全なエンガチョ扱い、
日本語の文章には一切訪れることがなくなっていた、とそういう訳なのである。

そう、改めて、俺はニューヨーク暮らし。
その気になれば、アメリカ人にも日本人にも、
あるいは下手をすれば、何人:なにびとにだってなることのできる、
コウモリ人間、あるいは、そう、自由人、なのである。

日本がイヤになったら日本人を辞めて暮らせる、
それはまあ、僻地暮らしの一種の特権でもあるのだが。

という訳で、その後、あの様々な不愉快なニュースが、
どうなったかなどは、知らないし知ったことでもないのだが、

改めて、そんな日本を包む不可解な三面記事、
その大小に関わらず、その根ざすところはおんなじ。

そう、誰もが判っているだろう。

あの自殺執行人のその胸の内、なんてことよりも、
まずは、これだけ沢山の人々が、死を望んでいる、
あるいは、望んでもいないのに、死にたい、と呟いてしまう、
その原因がどこにあるのか、

最も論議されなくてはいけないのは、
そのこと、なのではないのか、と。

で、改めて言わせて貰う。

そういう切れた、ではなく、折れた人たちが、最も必要としてる何か。

その全てが、実は、ベビーメタルの中に集約されている、と思っている。

死に急ぐ人々にベビーメタルを聴かせること。
ここまでくれば、これはもう、緊急の延命処置である。

もうすでに、規制だ、収益だ、ジムショの都合だ、クライアントのご意向だ、
なんてことを、言っている場合ではない。

日本という美しい土地を、自殺者ばかりの神経症国家にしてはいけない。

これは人助け、というよりも、国家衰亡に対する防衛処置である。

友よ、ベビーメタルを聴いてくれ。
そしてひとりでも多くの人々に、ベビーメタルを、体験させてやってくれ。

そう、これはもう、勧誘でも、布教でもなんでもない。

救命処置、あるいはそう、国家存続の為の非常手段、なのであある。





以前、それは犬のやってくる前だから、もう10年も昔のことになるのだが、
カリブ海の孤島、リゾート開発の手の伸びていない、
手付かずのダイビングスポットに旅行をした際、
地元の安ホテルに事前に予約をしていたのだが、
最高の部屋をとっておいたよ、と通されたその部屋が、
全景に青い海を臨むスーパー・オーシャンビュー、かと思いきや、
島の唯一の大通りである間の抜けたメルカード:商店街を見下ろす、
二階のバルコニー付の部屋。

え、なんで、海側の部屋にしてくれないのか、と、
そのあまりのすれ違いに呆気に取られながらも、

一日二日と経つうちに、狭い島の人々にみるみると顔見知りが増えては、
バルコニーで洗濯物を干しながら、通りすがりの顔見知りを見つけては、
よお、朝はどこに行っていた?
飯は食ったのか?
これからコーヒーでもどうだ?
垣根、ならぬバルコニー越しにそんなおしゃべりが始まっては、
まあ立ち話もなんだから、こっちに上がってこいよ、なんて話になって、
そんな通りすがりの客人たちと、日がな一日ビールを片手におしゃべり三昧。

チェックインの時には、あれほど揉めたホテルの人々も、
いつしか、すっかりと家族同様になっては、
夕飯は食べた?美味しいチキンが焼けたから食べに来ない?

あのなあ、俺達はニューヨーク、あのひと人ヒトの、
あの怒涛の人間の坩堝からようやく抜け出してきたってのに、
なんでこんなところにまで来て、
厄介な客人たちに朝から晩まで煩わされなくてはならないのだ、
なんて溜息を繰り返しながら、

朝一番にトラックを乗り付けては、
ちょっと沖に漁に行くんだが、一緒に行かないか?
そこにはとんでもないサンゴ礁の岩礁が広がっていて、やら、
ジャングルの中にカヌーで探検に行ってみないか?
森の奥地に猿しか知らないエメラルド色の泉があって、やら、
そんな地元民しかしらない秘密のスポットに、
次から次へと案内されてはまさに極楽探検ツアー。

とそんな時、海から眺めたオーシャンビューの部屋。
夜更けになっても、その窓に灯った青白い光。

ああ、あの部屋の客な。
いつもいつも部屋に篭ったまま、いまだに身体も真っ白け。
海に入ってるところなんて見たこともない。
で、夜になるとああやって、
夜更けまで電話回線でインターネットばかり見ているんだよ。

カリブの孤島にまで来てネット・サーフィンか。

窓辺の青白い光の中に、中年の男が目を凝らしている姿。
インターネットって、こうしてみると、凄く孤独なものなんだよな。

そして見渡す夜の海。
そこには清らかな風が流れ、
そしてその暗い水面の中には、
あの極彩色に彩られた神秘の世界が広がっているのである。

インターネットって、まるで夜の海のようだよな。
そんなことを呟いた俺に、海の男達は一言、
シック・ピープル、と返す。

SICK PEOPLE 病気の人たち・・

そうか、インターネットは病気の世界なのか・・

なあ、と仲間たちが顎をしゃくる。
なあ、船着き場のジミーの店で飲み直さないか?
もしかしたら明日の朝一に出る漁の船が見つかるかもしれない。

その島での滞在も終わる頃になってから、
朝飯を囲んだ中庭のカフェのテーブルで、
ねえ、どう?と安ホテルの女将が得意げに顎をしゃくた。

ねえ、どう、それでも、誰も見えないオーシャンビューの部屋の方が良かった?

人間はね、所詮は人間なのよ。
そんな所詮の人間にとって、この世で一番おもしろいものって、
やっぱり、つまるところ、人間そのもの、なのよ。

まあ確かに、時には面倒くさい思いもさせられるけどさ。
でもね、そう、私たちは人間なのよ。
人間である以上は、なにがあっても、
同じ人間こそが、一番おもしろいものなのよ。
良い意味も悪い意味でも、それが人間ってものなのよ。
良い時もある、悪いときもある。
それは海と一緒。
荒れる日もある。凪いだ日もある。

ただ、海の水が淀んだ途端に臭いにおいを立て始めるように、
人間も淀んだ途端に腐り始めるもの。

海が打ち寄せて返すように、人間もやってきては帰っていく。
その流動こそが、海が、人が、クリーンに生きる唯一の方法なのよ。

どう? 私の用意したベスト・ルームの意味が判ってくれた?




という訳で、メイトの諸君。

ご無沙汰でごじゃった。
お元気でしたか?

この糞ブログ、ご覧の通り、まあ、そう、相変わらず。
この頭の中、まるでニューヨークの地下鉄のように、
なにもかもがメッチャクチャなまま、なのではあるが、

お陰様で、奇跡のマッサージ師のお陰で腰痛も治り、
そして待ちに待ったサンクスギビングの連休。
その間に、これまで沈黙の間、
形にならぬままに積もり積もっていた糞駄文を、
なんとか、資料代わりにでもまとめられればな、とは思ってはいます。




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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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