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百戦錬磨のベビーメタル、そのベスト・パフォーマンス ~ ベビーメタル開眼、その決定的な瞬間とは!

Posted by 高見鈴虫 on 24.2017 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
という訳で、
前回に引き続いて、
独断と偏見だけで綴る、
ベビーメタルの戦歴、その運命を決した瞬間、という奴。
(前回はこちら->百戦錬磨のベビーメタル 独断と偏見の海賊映像ベスト5

世界のロックの殿堂:ウェンブリー・アリーナでの、前代未聞の大逆転劇から、
そして、全米ネットTV出演:数億のお茶の間を文字通りぶっ飛ばしたギミチョコ爆弾。
天下分け目の関ヶ原:東京ドーム公演における未曾有の大博打から、
そして、ロックの歴史そのものをひっくり返した、あのソニスフィアでの神憑り的瞬間。

と来て、え?ソニスフィアが二位?
だったら一位は?

と来るであろうことは先刻承知。

そう、言うまでもなくベビーメタルの2014年のソニスフィアの公演こそは、
1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバル、
あのジミ・ヘンドリックスを、そして、ジャニス・ジョプリンを世に送り出した歴史的な瞬間、
それにも匹敵するまさにロック史上の一大エポック。
あのソニスフィアにおける超絶な神憑り映像こそが、
ベビーメタル史上、強いては、今後の音楽史上、
まさに、歴史を変えた瞬間と認識されて然るべきもの。

とまあ、それがこれまでの、ごく一般的な評価、ということであったのであろうが、

そう、そのソニスフィアでの公演を、敢えて二番、と位置づけたその理由。

という訳で、はい、
この万人の認めるロック史上最高のパフォーマンスであった筈の2014年ソニスフィア、
それとも勝るとも劣らない、
ベビーメタル史上、欠かすことのできない決定的瞬間。

これまで見つめに見つめ続けたベビーメタルの海賊動画、
その中から、厳選に厳選を重ねた上で、
これぞ、ベビーメタル史上の最高峰と断言すべき、
その公演とは・・・

という訳で、ベビーメタル史上、
最高最上、であると同時に、
この映像に残されたその瞬間こそが、
まさに、ベビーメタルがベビーメタルに成りえた、
言うなれば、ベビーメタル誕生の、その奇跡的なモーメント。

古参メイトの方であれば、ああ、つまりはあれか、と、
すでに確信をもっているであろう、
ベビーメタル史上最高最上のパフォーマンス。

言うまでもなくそれは、2013年、ラウド・パーク、ではなかったのだろうか。





LINKが見られなかった方はこちらをお試しちょんまげとのこと -> 




ベビーメタルの命運を決することになったこの2013年。
恥ずかしながらまだベビーメタルを知って二年にも満たない、
まるっきりのニワカ・メイトの俺にとっては、
当然のことながら、この2013年という時代、
俺はまだ生まれていなかった、というのは嘘だが、
そう、ベビーメタル的には、まだ生まれ変わっていなかった訳で、
つまり、この時代を、俺は、実際には知らない。

ただ、ベビーメタルを追えば追うほどに深まるその疑問。

つまりは、ベビーメタルが、何故に、ベビーメタルに成りえたのか。
そのベビーメタル誕生の秘密、という奴。

そう、ベビーメタル創成期において存在した筈の数多のオプション、
今後、ベビーメタルというユニットをどういった方向に進めるべきか、
その進路、その戦略、その限りない可能性の中から、
何故に現在のベビーメタル、
そのスタイルに到達することができたのか。

そのあまりにも奇跡的な進化の過程、
その運命の決断に思いを馳せれば馳せるほど、
そこにある種の、宿命的な必然、という奴を、思わざるを得ない。

そう、ベビーメタルの三姫、
言うまでもなくこれだけの逸材揃いである。
その可能性はまさに、無限大であった筈だ。
例えば、ベビーメタルは、
どこにでもあるカワイコちゃんアイドルユニットとして、
凡庸なアイドルの、そのちょっと風変わりなメタル・バーション、その程度の位置づけで、
一種風変わりなアイドル路線を、地道に周到することもできたであろうし、
その中では、当て振りの骨バンドを飾り物にして、
レビュー形式のスタイルを確立することもできた筈である。

あるいは、天才歌手・中元すず香を中心とした、
ちょっと本格派ぶりっこした、歌唱アイドルへの道、
あの歌唱力を武器にすれば、
歌って踊れる演歌から民謡からの、
そんな路線だって、無理ではなかった筈、なのだ。

しかしながら、

それがなぜ現在のようなベビーメタルの姿、
このアイドル+メタル、でありながら、一種異形の道、
その歌唱力から、バックバンドの演奏技術から、
そして、三姫のダンス・ユニットとしての超絶的なクオリティから、
その何もかもが、本格派の中の本格派の超絶なまでのクオリティ志向。
なにかにつけて、際物=極者=キワモノ、的なまでに、
ギリギリの、ゴリゴリの、ガチガチの、バリバリの、ロックそのものの姿。
そのキワモノの道を、爆走することになったのか。

そして果たして、
このアイドル・ユニットとして誕生した筈の可憐少女のベビーメタルが、
なにゆえに、ここまで、メタルに、あるいはロックなんてものに、
執着する必要があったのか。

そしてその一種気違いじみた執着こそが、
後には、世界中のメタルロック・ファンたち、
その大御所の大御所たる生きる伝説的な巨人たちをも、
唸らせるどころか夢中にまでさせる、
そんなキワモノ的な存在への道を、歩むことになった理由なのだが。

その答えは、すでに古参メイト、
当時を知る貴重なお言葉の中に見出してはいる。

そのベビーメタル誕生から、その進化、
つまりは、路線決定、その運命的な決断に対する、
そのすべての謎が、
実はこの2013年のラウド・パークでのライブに
集約されているのだ、と。



2010年、アミューズの主催するアイドル養成学校であったさくら学院、
その派生的番外編の軽音部、ならぬ、重音部として結成されたベビーメタル。
そこから数年の間は、さくら学院の部活動の延長上におけるスピンオフ的な、
公演というよりは発表会的な「芸能活動」に留まっていたベビーメタルが、
2012年、メタルの殿堂的なライブハウスであった、
あの目黒:鹿鳴館での初のワンマン公演を機に、
ついに本格的な「ライブ活動」をスタートさせることになる。

ちなみにこの目黒:鹿鳴館というハコ。
東京の数々のライブハウス:新宿ACB:アシベ、
原宿クロコダイル、渋谷屋根裏、
あるいは、俺たち東京パンクロッカーズが棲家としていた新宿ロフト、
なんかと並んで、日本のロックの先駆け的な歴史的殿堂。
ただ、その主役である筈の日本のロック。
当時から脆弱も脆弱、
アンダーグラウンドの糞溜めであった日本のロック、
その痩せた尻を、すべての不条理を引っ被っては支え続けた、
この目黒:鹿鳴館こそは、
アングラロックの聖地、のような店である。
ただそんなライブハウス。
まさに日本のロックの怨念の染み付いた、
都市の魔窟、その底の底。
長年に渡って、ヤニと安酒と、そして時としてドラッグ、
あるいは下手をすれば血糊の匂いの染み込んだ、
そんな薄暗い地下室。

果たして何故に、アイドル・ユニット、つまりは、ジャリタレたちが、
そんなアングラ・ロックの殿堂なんてところで、
わざわざライブを打つことになったのか。

ただまあ、そう、そういう時代、であったのかな、と思う。

ちなみにここニューヨークにおいては、
ロック系のライブハウスの筆頭であった、
MAXカンサスシティからボトムラインから、
あるいは、CBGBやら、コンチネンタルやら、
そして我が麗しのDON HILLSやらが、
軒並みに閉鎖に追い込まれていく中、
->レディー・ガガと中元すず香 ~ 歌い続けることの意味
ロック専門の後ろ暗さを払拭しては、
ある時はディスコ、あるいは、クラブ、
あるいは、かのAKBが来日した際の公演場所となった
ウエブスター・ホールのような
多目的なイベント・スペースとしての活路を見出した会場が、
その穴埋め的なところで細々とロック系のブッキングも続けていたり、
とまあそんな事情も承知しながら、

そう、あのメタルの聖地、というよりは駆け込み寺であった鹿鳴館も、
つまりは、ジャリたれアイドルの出演も厭わず、の、
恥も外聞もない多目的化を図った結果であるのかな、
などと思ったりもしてはいたのだが、
そっか、鹿鳴館にアイドルか、ではないが、
つまりは世の中、そういう時代なんだよな、などと、
またまた要らぬ溜息などを噛み殺していたりもした訳だ。

そう、改めて言えば、
日本のロック史の中において、
アイドルの追っかけと、そしてライブハウス・ロッカーというのは、
まさに水と油的な存在であった筈だ。

それはぶっちゃけ、おたくとドキュン、
つまりは勉強メガネと暴走族との関係にも似て、
同じ教室という水槽にいれられながら、
それは決して相容れない異形同士の敵同士。
そして改めて言えば、
日本のロックと言えば、まさに、ドキュンもドキュン、
ドキュンの中でも筋金入りの、やりすぎた連中、
そんな極道ドキュンたちの正念場。

まあそう、ただ、同じ不良の中でも、
田舎不良の王道であった暴走族と、
そして都会の不良達の遊びの一種であったライブハウス・ロッカー
その間にも微妙な棲み分けが存在してた部分もあって、

ちなみに俺の新宿ロフトでのデビューにおいて、
地元のダチ、つまりは、俗に暴走族と言われていた連中が、
大挙として新宿ロフトの前に族車を連ねては、大久保通りが封鎖状態。
他の暴走族グループからパーカーから消防車まで出動される騒ぎにもなって、
店側からも、あの「旗」だけはヤバイから降ろさせて貰えませんか、
と苦情を言われた、なんてことを話したら、
そうそう、俺のライブのときにもさ、
なんて感じで、その手の戯言はまさにロッカーたちの勲章。

そう、不良の王道であって然るべきだった日本のロック。
古くは外道から村八分からキャロルからクールスからの暴走族路線、
そして、メンバーがよど号のハイジャックで北朝鮮に亡命した裸のラリーズなんてバンドから、
あるいは、世界革命戦争宣言だ、金持ちみんなぶっ飛ばす、と啖呵を詩にした頭脳警察、
そして、現役暴走族が特攻服の襟を立て、
てんのーばかやろー、にピー音を入れられては
デビュー・アルバムが見事発売禁止を食らった我らがアナキーから、
リザードの親衛隊がINUの町田町蔵を袋叩きやら、
暗黒大陸じゃがたらのTV生出演にギズモが乱入してはカメラの前で大太刀周り、やら、
それを言ったら、言ったら言ったら、
矢沢が萩健が裕也が力也がジョーが桑名が、
チャーがカップスがサンハウスがルースターズが、
BOOWYがDEADENDがXJAPANがと、
もうとめどなく流れ出す、ロック無頼列伝、その数々。

そう、改めて言えば、日本のロックは、ドキュンの正念場。
演奏の云々よりも、まずはその腕っ節、
コワモテのジャンキー般若面こそが日本ロックの免罪符。
そう、俺たち日本のロック、ロックであって音楽じゃねえ。
音楽?音を、楽しむだ?
ざけてもらっちゃ困るぜ。
あのな、俺達はこの音を、ビートを、
命張っては、魂を削って、ぶち撒けてるんだぜ。
ステージの上でちょっとでもナマやりやがったら、
いきなりブスっと行くからそのつもりでな。

メタル狩りに象徴されるファン同士の抗争は勿論のこと、
やっている当人からしてジムショからしてその筋バリバリのハグレモノ風情。
ステージが終わった途端に楽屋に蹴り落とされた、から始まって、
リハをふけたら肋を折られたやら、対バン締めた締められた、
攫った女をバスドラのケースに詰めて器材車に乗せて、
なんて笑い話ならまだ良いが、
ギグがはねたらギャラ持ってフケたフケられた、
文句言ったらそのままマグロ漁船で太平洋クルーズ、
なんていうまったくもって洒落にならない、
つまりは、日本のロックがどこぞの代紋の、
なんて世界と密接に関わっていた、
良い意味でも悪い意味でも、
日本のロックはまさにアウトローたちの正念場、
そういう歴史の上に成り立っていた訳だ。

で?

そんなロックの世界に、ジャリタレが?
笑わせてくれるじゃねえか、と。

そう、ベビーが、メタルを気取ったベビーメタル、

あのうら若き可憐ガールズの三姫が足を踏み入れた世界とは、
まさに、そんな世界。

それってまるで、ニーハイのカラーソックスにツイードのパンプスで、
中東の戦乱の巷に戦争見物にやってきました、
そんなあまりにも場違いな勘違い。
そんな格好で迷い込んで来た少女たちを、
闇に巣食う野獣たちが、いったいどんな目で見ていたのか。

つまりはそう、2013年のラウドパーク、
ベビーメタルが足を踏み入れた世界とは、
まさに、そんな状況であった、その筈である。



とまあ、幸か不幸か、
そんな状況であった日本のアングラ音楽界。

2012年の目黒鹿鳴館での公式デビューから、
本格的に、芸能、ならぬ、ライブ活動をスタートしたベビーメタル。
そして2013年、ZEPP TOKYOから、AKASAKA BLITZからと、
中小規模のイベント・ホールをまわりながらも、
しかしその頃においてはバックは当て振りの骨バンド、
つまりは皿回しのカラオケ演奏が主で、
神バンドの出演は、ゲスト出演というよりは余興にも近いもの。

その当時のベビーメタルは、まさにアイドル界の徒花に過ぎず、
そんな彼女たちを支えたのも、
物好きでちょっとうるさ型のアイドル・ファンたちがメイン。

ベビーメタルはアイドルとメタルの融合、とは言うもの、
実際には、アイドルのファンたちに、
ロックのスパイスをちょっと味わって貰いましょう、
その程度の位置づけでしかなかった筈なのだ。
そう、ベビーメタルはその程度のユニットであった。
そして、本来であれば、その程度で終わるべきのもの、
であった筈だ。

ただしかし、そう、この時点では、
つまりは失礼は承知ながら、当時のファンの殆どが、
そして、当のベビーメタルの三姫たち、その当事者たちであっても、
実は誰も気づかなかったであろう、ベビーメタルの真実。

初期のベビーメタルのライブを記録した、
この伝説的お宝的なデロリアン、
LIVE 〜LEGEND I、D、Z APOCALYPSE
-> BABYMETAL LEGEND I.D.Z 観ましたよ!
2012年10月の渋谷O-EAST、
2012年12月の赤坂BLITZ、
そして、2013年2月のZEPP東京
の三公演を収録したこの名盤。
可憐な可憐なアイドル然とした三姫が、元気ハツラツに歌い踊る、
まさに新生アイドルの王道のようなパフォーマンス。

ただ当時のベビーメタルは、
ロックというよりはむしろ、
アミューズにおける先輩であったパフューム、
当然のことながら、すぅメタルを筆頭にして、
三姫たちの神様的なアイドルであったこのパフュームの、
メタル・バージョン、という意味合いが強かったのではないだろうか。

そう、ベビーメタルのアイドルとメタルの融合、とは、
まさに、パフュームの路線のそのメタル版。

パフュームの影の立役者であった、
いまや生きる伝説となったコリオグラファー:MIKIKOが、
ベビーメタルの振り付けを担当したことからも判るように、
そう、ベビーメタルは、パフュームのメタル・バージョン、
その位置づけであった、その筈なのだ。

ただ、そのベビーメタルに変化、が訪れる。

その変化の過程が、この歴史的なデロリアン、
LEGEND I、D、Z APOCALYPSEに克明に刻まれているのあるが、

骨バンド、つまりは、カラオケの皿回しを基調にした、
ダンスユニットとしてのベビーメタル、
つまりは、パフュームのメタル・バージョンであったベビーメタルが、
神バンド、というライブ・バンドによる生演奏、
その降臨をみることにより、
その路線に一大転機が訪れる。

ただ、前述の古記事でも綴らせて頂いたように、
この神バンドの投入は、多分当初は、趣向替えのゲスト扱い、
つまりは、余興にも近いものに過ぎなかった、その筈なのだ。

それがこのLEGEND IDZにおいて、劇的な変化を観る。

骨バンドという、当て振りのお飾り、
皿回しのカラオケに乗せたパフォーマンスが、
神バンド、という生バンドの演奏に変わった時、
ダンスユニット・ベビーメタルにおける、お歌担当でもあった真ん中の子。
つまりは、その程度の位置づけに過ぎなかった筈のすぅメタル。
そのすぅメタルが、一度、神バンド、つまりは生バンドの爆音を背負った時、
その存在に、そのパフォーマンスに、ぶっちゃけ、歌唱のクオリティに、
劇的なまでの変化を見ることになるのである。

うへえ、この真ん中の姉ちゃん、
生バンドが入ったら、その歌、ぜんぜん違うじゃねえか、と。

このあまりにも偶発的な、
しかしいまをもってすればまさに必然も必然。

すぅメタルの歌唱は、生バンドに映える。

言うまでもなく、皿回しと、生演奏、
その間にある歴然とした違いとは、
まさに、リアリティ。

ぶっつけ本番の後戻りなし、
トチリ:間違いが、そのまま音に刻まれる、
この待ったなしの生本番の土壇場のリアリズム、
この情け容赦ない緊張感の中にあって、
すぅメタルの存在が、まさに水を得た魚のように、
あるいはそう、その姿、まさに、開眼の瞬間を見るのである。

すぅメタルは、ライブに強い。
すぅメタルは、生バンドに映える。
生バンドの音が、演奏が、激しければ激しいほどに、
すぅメタルの存在とガチ当たっては、
そこに飛び散る火花、その閃光が、
驚くほどの輝きを持ちうる。

パフォーマンスにおいて、そのリアリズムが迫真であればあるほど、
つまりは、追い詰められれば追い詰められるほど、
強いてはその緊張度が高ければ高いほどに、
このすぅメタルという存在が、まさに異様な程の輝きを持って、
存在そのものが見事に冴え渡るのである。

この生演奏:神バンドと、すぅメタルのガチンコの出会い、
その瞬間こそが、ベビーメタルが、パフュームと路線を違えた、
まさに決定的な瞬間、であった訳なのだが。



そして迎える運命の2013年。

凡庸なアイドルグループから、
ダンスとメタルを融合させたちょっとアーティスティックなアイドルユニット、
つまりは、パフュームのメタル・バージョン、
そんな路線を行くはずだったベビーメタルが、
神バンド、という生バンドとの共演において、
一種以外なほどにまで、強烈な相乗効果を発揮する。

そのコペルニクス的な大発見の中で、
2013年の活動に、神バンドが本格的な参入を始める、のであるが、
ただそう、そこには一種の迷い、があった筈だ。

パフューム、いまや世界的なまでの成功を収めた、
このあまりにも偉大な存在。

その方法論を周到するだけでも、
ベビーメタルの成功は、ある程度は保証されている筈。
そしてこの2013年、その前半戦においては、
まさに、パフューム路線の王道を辿る、
その正式な後継者としてのベビーメタルの存在がみるみるとクローズアップされ、
三姫のクオリティが、まさに他の追従を許さないほどの、
存在感を示し始めたそんな時。

2013年6月、NHKホールにおいて行われた、
LGEND 1999 ユイメタル&最愛メタル生誕祭。

言うまでもなく、ベビーメタルの二枚目の公式デロリアンである、
LEGEND 1999&1997 APOCALYPSE
その一枚目に刻まれた、この壮絶なまでのライブ・パフォーマンス。
->BABYMETALの伝説 : LEGEND 1999 & 1997 APOCALYPSE その一
これこそは、ベビーメタルが並のアイドル・ユニットとは一線を画する、
とてつもないポテンシャルに満ちた逸材、
その存在感を不動のものにした名盤、でも在るわけなのだが、

だが、いまになって思う。
果たして、この時代のこの路線、
つまりは、パフュームのメタル・バージョンとしてアイドル街道を爆進する、
もしもこの時、ベビーメタルが、
その一種無難であったであろう路線を周到することになっていたら、
果たして、いま、ここまで世界に名を轟かせる、
そんな存在に、成りえたであろうか、と。

そして改めて、この初期の名作である、
LEGEND 1999&1997 APOCALYPSE

二枚組セットの、
その一枚目である2013年6月、NHKホールにおける公演と、
そして、二枚目である LEGEND 1997 すぅメタル聖誕祭
つまりは2013年の暮れである12月、
幕張メッセ イベントホールにおいて行われた公演、

この二枚のデロリアンにおけるそのパフォーマンスのあまりの差、
そのあまりのクオリティの違い。

一枚目のNHKホールの公演においては、
まさにアイドル、つまりは、一種、お人形的な華麗さの発奮の中に終始していた、
そんな絵に描いたようなかわいいかわいいアイドル・ユニットであったベビーメタルが、
その二枚目の幕張メッセにおいては、
まさに、生々しいまでの迫力を秘めた、とてつもない存在感。
この公演に於けるすぅメタル、
まさに血を吐くような壮絶なカリスマ性を持って、
その姿、アイドルの枠を遥かに飛び越えては、
いまにも燃え上がるようなまでに鬼気迫る存在感を示している、のである。

この姿こそ、まさに、ベビーメタル。
その後、世界のロック界を震撼させることになる、
そのあまりにも強烈なカリスマ性。

あの輝くばかりの笑顔を讃えていた、
カワイイ可憐なアイドルのお嬢様が、
つまりは、お人形的な魅力に過ぎなかったお嬢ちゃま風情が、
わずか半年を経た後に、
その存在が、まさに劇的なまでの変化、
触れれば血の飛び散るようなあまりにも強烈な存在感から、
そして、視線を交わしたとたんに瞳孔が焼け付いてしまいそうな、
レイザービームのような熱視線を飛ばしながら、
いまにも喉が張り裂けんばかりの熱唱を轟かせるその姿、
そこにはまさに、ロックの真髄。
その前代未聞の存在感が浮き彫りになっている、のである。

この二枚における、すぅメタル、そのスケールの差、
まさにこれ、別人、ではないか・・

あるいはそう、人形から、人間へ、
アイドル:偶像から、真のロック・スター、
つまりは、存在そのもの、生き様そのもの、
そのすべてをさらけ出す、その赤裸々なまでの存在美。

果たしてこの二枚のデロリアン、
つまりは、2013年6月から12月、
その間に、いったいなにが起こったのか。



2013年、
一種凡庸なアイドル・ユニットであったベビーメタルが、
パフュームのメタル・バージョンとしての新境地を、
まさに、大躍進、とどころか、大爆進を続けていたその年。

だがしかし、当時のことを知る先輩方からは、
この2013年のベビーメタルが、
実はその一公演一公演が絶体絶命。
首の皮一枚の土壇場も土壇場。
その公演のすべてが、その真価を試される、どころか、
まさに、薄氷の上を歩くような、超絶なる綱渡り状態であったと聞いた。

このライブでコケたら、すべてがパー、
なんていう、とんでもない大博打の繰り返し。
ベビーメタルにとって2013年は、まさにそんな年であった、と。

つまりはそう、アイドルとメタル、
その融合、である筈のベビーメタルが、
アイドル界と、メタル界の、その美味しいところの総取り、
どころか、下手をすればその真逆のどツボ、
アイドル界からもメタル界からもそっぽを向かれる、
異端の爪弾きの末路を辿り始めていた、というのである。

まずは、正統派アイドル世界からの総スカン。
極端なまでにテレビ的な、つまりはお茶の間的なマーケットに固執する
某広域代理店の独壇場である正統派アイドル市場において、
ベビーメタルのこのメタルサウンドは、まさに徒花の中の徒花。
ぶっちゃけ、日本のあののんべんだらりとしたお茶の間的世界に、
メタルほどまでに似合わない世界というのもザラにはない。
まあそう、やしろ食堂ではないが、七色モヒカンのゲテモノたちが、
かぶき者然としてその異端性のみをアピールするというならまだ判る。

だがしかし、いかにもアイドル然とした可憐なお嬢様が、
やたらとやかましくも忙しない、ツーバスの連打とゴリゴリのリフの応酬、
いったいこんなものを、どこの誰がどんなシチュエーションで聴けば良いのか、と。

そしてなにより、メタル界からの、あまりにも強烈な絶縁状。

つまりはそう、前述した、日本のロック、その特殊性、である。

カタギよりは限りなくヤクザに近く、
お茶の間よりは限りなく豚箱に近い、
そんなハングレ世界で切った張ったを繰り返す、
そんな野獣たちのその土壇場である日本ロック界。

そんなキワモノ的な都会のジャングルに、
果たしてこの可憐ガールズなベビーメタル。
アイドルでありながら、メタルを演技する、
そんな「まがい物」に対する、憎しみまでにも至る嫌悪感。

おいおいおい、なんでよりによってジャリタレ・アイドル、
つまりはあのお茶の間的なテレビ馬鹿たちの玩具たち。
あのくそうぜえ蓄膿デブの象徴する、
そんな広告代理店的虚像世界、
つまりは、世の偽善性、
その諸悪の根源である糞野郎たちが、
なんでわざわざ、俺たちのロック界、
その虚像的世界からの唯一の駆け込み寺であった筈のロック界に
要らぬちょっかいを出さねばならねえんだよ、と。
ふざけてもらっちゃ困る、バカも休み休み言ってくれ。

つまりはそう、このアイドル界からのロックへのアプローチ、
そこで叩きつけられたものとは、

ロックを舐めるな、その一言に尽きる。

ロックを舐めるな、
そう、今を持ってもなお、ロックというものにすがりつく、
その筋金入りのへそ曲がり的無法者たちにとって、
このロック、というものの象徴する世界。
それこそが、まさに、この虚像世界における最後の牙城。

ロックを舐めるな。

そのあまりにも強烈かつ頑固な信念。

つまりそれこそは、
あのトロントのロックフェスティバルに登場したジャスティン・ティンバーレイク、
ときのエンターテイメント界の紛れもない覇者であった筈のこのジャスティン・ティンバーレイクが、
こと、ロックという世界に足を踏み入れたその途端、
40万人からペットボトルの集中攻撃に晒されてはステージを叩き出された、
あの壮絶な公開処刑のその理由。

つまり、ロックとアイドルは違う。
違わなくてはいけない、
その頑ななまでの価値観の相違、
そのあまりにも絶望的な美意識のギャップ。

それはまさに、土曜の夜の集会に、
蓄膿の勉強メガネがのこのこと顔を出した途端、
全身が青タンになるまでボコスコのタコ殴りに処される、
あるいは、サウス・ブロンクスの地下クラブに、
ツイン・テールの女子高生がセーラー服で繰り出した、
そんな愚行を待ち受ける当然の末路。

アイドルとメタルの混合ユニットが謳い文句であったベビーメタルは、
果たして、アイドルか、ロックか?
その融合の狭間。
アイドルとメタル、
あるいは、
勉強メガネと暴走族、
あるいは、アップタウンのプレッピーなお嬢様と、
ダウンタウンの裏通りのジャンキー・ホッカー。
そのあまりのギャップ、まさに、水と油。
そのあまりにも相容れないふたつの美意識の狭間で、
その双方から、まがい物、と称されては
総スカンの憂き目。

そう、考えても見ろ、
ただでさえ相容れないおたくとドキュン、
その中でも、
アイドルファン:ドルオタと呼ばれる連中。
つまりは、おたくの中のおたくを自認するスーパーおたく軍団と、
そして、メタル、という、
ロックの中でも、最もへそ曲がり的な狂信的原理主義者の集まり、
そのあまりにも許されない融合。

当然のことながら、
そんなメタル亡者たちの中にあって、
このベビーメタルの存在が、
メタルの聖域を冒涜する、
まさに、舐めとんかい、いてこましたろか、的なまでに、
憎悪の対象となりえたのは、想像に難くない。

そう、2013年、
アイドルとメタルの融合を看板にして、
本格的なライブ活動を開始したベビーメタルが、
アイドルとメタルという、
そのあまりにも相容れないギャップを抱えたまま、
ライブを演れば演るほどにそのギャップに秘めた矛盾が露わになる、
その葛藤の中、

果たしてこのベビーメタルが、
日本のロック野郎たちの聖典であるところの、
夏のロックフェスに殴り込みを挑む、
そう発表されるやいなや、
日本のロック界が一時に露わにした強烈な嫌悪感。

ついには、ロック界のバイブルでもあろう、
メタル系同人誌のほとんどすべてからのあまりにも手厳しい絶縁状。
全紙をおいて、壮絶なベビーメタル・バッシングが繰り返されたというのも、
言ってみれば至極当然の話。

という訳でベビーメタル、
アイドルとメタルの融合を看板にしたものの、
その基本コンセプトにおけるあまりの矛盾。
アイドル界、そして、メタル界から、
嵐のように繰り返されたバッシングの中、

その敵対するアイドル性対メタル、
その象徴的な一騎打ちとなったのが、
なにを隠そう、この2013年のラウド・パクーであった、
と聞いた。








改めて、ベビーメタルの生き字引を自認する、
筋金入りドルオタ、
そして、当時のメタル界に詳しい、
これまた筋金入りのメタル・ヘッド、
その双方の方々からありがたいコメントを頂くにあたり、

この異形の輩であったベビーメタルがいかに危機的な状況であったのか。
そしてアイドル界、そしてメタル界、
その双方からのバッシングが、いかにえげつないものであったのか、
その逸話の数々。

巨大広告代理店の後ろ盾のないアイドルなどは、
ただの絵に描いた餅に過ぎず、
つまりはテレビに出ないアイドルなどはまったくの透明人間、
存在もしない夏のやぶ蚊にも等しいそんな存在。

かと言って、ロック界に活路を開こうにも、
メタル・ファンたちのバイブルであったメタル雑誌からは、
嘲笑を遥かに越えた一大バッシングが繰り返され、
ともすれば、
あの糞うぜえじゃり娘ども、
ベビーメタルのライブを潰してやろう、
などという、不穏なアジテーションが、
メタル系の掲示板を埋め尽くしたと、と聞く。

アイドルにもなれず、メタルにも成りきれないベビーメタル、
そんなベビーメタルが、テレビにも出れず、
ロックファンからも受け入れられなかったとしたら、
そのときには、ベビーメタルは、ただの馬鹿げた企画ユニット、
嘲笑と罵声を背に、世界から消滅を余儀なくされる、
そんな命運が露呈したこの2013年というその時代。

そして、メタル界の聖域的お祭りであったこのラウド・パーク、
メタル・フェスティバル。
日本中の無法者の象徴であったロック界、
そのロック界の中で異端の中の異端とされたメタル界。
その聖域において、よりによって、アイドル界、
つまりは蓄膿のメガネデブに子飼いにされたジャリタレたちが、
ニーハイのミニスカートで楽しく可愛く歌い踊る?

それはまるで、メッカのカーバ神殿にビキニ姿での参拝を試みる、
あるいは、真夏の江ノ島を革ジャンにロンドンブーツで練り歩く、
あるいはそう、腹を空かせたワニの背を飛び渡る白うさぎといった風情。
そのあまりのギャップ、そのあまりの神をも恐れぬミスマッチ。

そしてこのラウドパークに於ける正念場、
まさに、メタルとアイドルのガチンコ勝負的な一騎打ちとなった、
この2013年のラウド・パークでのライブ。

当時を知る古参メイトの証言によれば、

絶体絶命のベビーメタル、
この公演でコケたら、ベビーメタルはまさに一巻の終わり、
その土壇場の縁に追い込まれていた、と聞く。

そう2013年という時期。

ユイと最愛がさくら学院の卒業を間近に控え、
その進路が取りだたされていた時、
テレビに出ないアイドルであるベビーメタルの、
その進展には大いなる疑問があった筈である。

そしてすぅメタルにしても、
JAM PROでのゲスト出演を経験しながらも、
そこはしかし、アイドル。
つまりは、ジャリタレ業界からのかわいいかわいい飛び入りゲスト出演、
その程度の存在しか、認められていなかった筈である。

果たしてベビーメタルはこの先、どうなってしまうのか。

その真価のすべてが、このラウドパークでの公演で試される。
そのギリギリの土壇場の三十分。

そんなベビーメタルの危機的状況を知ってか知らずか、
メタル系掲示板に並ぶ不穏な書き込みの数々。

ベビーちゃんメタルだ?
アイドルとメタルの、その融合、だと?
ちゃんちゃら可笑しいぜ。
一挙に叩きのめしてやるからそう思え。

そんな不穏な襲撃予告の続く中、
決死隊覚悟のアイドル系メイトたちと、
それを待ち受ける、チェーンのベルトに鋲付きナックル、
鋼鉄入りワークブーツのメタル・ヘッドたち。
そしてその修羅の様を横目であざ笑う、真性アイドルおたくの面々。

その壮絶な死闘を前に、
孤立無援状態のチーム・ベビーメタル。
その仕掛け人たるコバメタルは、
そして、我らが姫君、中元すず香は、
いったいなにを、思っていたのだろうか。



そう、この2013年のラウド・パーク、
それこそがまさに、ベビーメタルの絶体絶命、
その土壇場の正念場、であった筈だ。

そしてこの2013年のラウド・パークにこそ、
現在のベビーメタル、
つまりは、ベビーメタルがベビーメタルたり得たその理由、
つまりは、ティーンエイジャーのアイドル・ユニットから出発したベビーメタルが、
現在のベビーメタル、日本は愚か世界のロック界を震撼させる、
新しい時代の旗手、あるいは、創造主と言われるに至った、
その道程への、決定的な出発点、なのである。

果たして、このラウド・パークにおいて、
中元すず香はなにを見ていたのか。

そしていったい、そこで、なにが、起こったのか。

という訳で、冒頭に上げたこの海賊映像。

WOWWOWで放送された、
2013年のベビーメタルのライブ映像であるらしい。

そこに皆様は、いったいなにを見るのか。

と同時に、この壮絶なライブが、
まさに、2013年、創成期の亜流アイドルであったベビーメタルが、
現在のベビーメタルの原型へと至る、
いや、それどころか、
現在のベビーメタル、その極限的な姿を映し出す、
まさにそう、これこそが、ベビーメタルの原点、
まさに、ベビーメタル、誕生の瞬間、
そのあからさまなまでの神憑りの決定的瞬間を見るはずである。

その後のベビーメタル、
2013年の幕張メッセのライブを経て、
翌年の3月、武道館での二日間に渡る伝説的なライブ、
それを契機に、フランスから始まる一大欧州ツアーを敢行しては、
ロンドンのフォーラムにおけるあの壮絶な必殺映像、
そして前述した、ソニスフィアにおける神がかり的な大逆転劇。

その噂が、海賊映像が、世界の隅々を飛び回る中、
ついには、今をときめくエンターテイメント界の女王、
レディ・ガガの目に止まっては、全米ツアーへと旅立つ、
そのあまりにも劇的な軌跡。

その壮絶なまでのベビーメタル戦記において、
すぅメタルの口から吐かれた、このあまりにも赤裸々な言葉、

ベビーメタルにとって、ライブとは、戦いである。

そう、すぅメタルは、ライブを戦い、と定義していたのである。

そのライブは戦いだ、の信念こそが、
このベビーメタルの壮絶なる軌跡、
そのあまりにも無謀な、
そしてその度に繰り返される、あの神憑り的なまでの大逆転、
この壮絶なドラマを支え続けた、その揺るぎなき信念なのだ。

ライブは戦いである。

では改めて聞こう。

そのライブにおける、戦いとは、いったい、なんなのか?



そう、このライブは戦いである、と言わしめた、
その戦い的なライブ、その本質が、このラウド・パークにある。

それはまさに、アイドルとメタルの天下分け目の大喧嘩。

と同時に、ベビーメタルの存亡を賭けた、運命を決する戦いであった筈だ。

この戦いに破れた時、ベビーメタルの運命は潰える。
と同時に、ともすれば、この未曽有の才能を秘めた世紀の歌姫、
中元すず香の命運さえも、この30分の公演に委ねられることになる。

このベビーメタルのラウドパーク出演を前に、
メタル界で巻き起こった壮絶なまでのバッシング。

それに対して、メタル界の雄であった筈の神バンドのメンバーから、
その嘗ての盟友たちに対して、激烈なまでの反論がなされたと聞く。

四の五の言わずにベビーメタルを聴いてくれ。
こいつらは本物だ。本物なんだ!

ともすれば、メタル界の人々と同じくして、
この風変わりなアイドルたちに、
拒絶反応を起こしていた筈の神バンドのメンバー達。
つまりは、ベビーメタルをバッシングするメタル界にとって、
神格化された存在でもあった神バンドのメンバーから、
ともすれば、裏切りともとれるベビーメタル擁護のその発言。

それは雇い主に対するお世辞、というにはあまりにもリスキーな、
下手をすれば自身のこれまでのキャリア、そのすべてを投げ打つに値する、
まさに、生死を決する一大発言でもあった筈だ。

信じてくれ、ベビーメタルは本物だ。

その言葉がいったい、どこから成されたのか。
そして、この百戦錬磨のプロフェッショナル集団であった神バンドの面子に、
そこまでの思い入れを勝ち得た、その理由がなんであったのか。

改めて言おう、そう、その理由、
つまりは、その後、レディ・ガガから始まり、
ジューダス・プリーストからガンズからメタリカから、
レッチリからコーンからフー・ファイターズから、
これまでの世界のロックを創生してきた、
まさに伝説的な大スター達から、
ベビーメタルは本物だ、
その大絶賛を導き出す、その理由。

その全てが、まさに、このラウドパークでの公演に集約されている、と断言できる。

そんな事情を踏まえた上で、改めてこのラウドパークの公演、
ベビーメタルのまさに血の出るようなまでに赤裸々な姿、
土壇場にまで追い込まれたベビーメタルが、
その魂のすべてをかけたこの30分の奇跡。

それはまさに、窮鼠が猫を噛む、どころか、
土壇場まで追い込まれた子猫ちゃんが、
舐めきったオオカミたちを前に、突如としてその野獣の本性、
百獣の王ライオンの姿を曝け出した、そのあまりにも奇跡的な瞬間。

イジメ、ダメ、ゼッタイ!

そう熱唱する、このすぅメタルの眼差しを見ろ。
このユイメタルの、そして最愛メタルのダンスのキレ味を見ろ。

いまや、世界中のロックファンを心酔させるベビーメタルのパフォーマンス、
その原型どころか、その真髄のすべてが、
この2013年のライド・パークのステージに凝縮されているのが見て取れるだろう。

ライブは戦いだ。

その言葉の意味するもの。

ともすれば、浮かれたロックスターの戯言と聞き流されるやも知れぬ、
そんな言葉に秘められた、その想い、その重み。

ベビーメタルはここから始まったのである。
そして、ベビーメタルは、その戦いを、いまも、続けているのである。

2013年10月20日 ラウドパーク。

ベビーメタルの、しいては世界のロック界の命運決した、
その決定的な瞬間映像。
その第一位に、敢えて、このラウドパークの公演をあげよう。

そしてこの映像、ベビーメタルのベスト・パフォーマンス、
その栄誉に余りある、あまりの素晴らさ、壮絶さ。

アイドル界から、そして、メタル界から、総スカンを食ったベビーメタルが、
土壇場の土壇場、絶体絶命の大ピンチに放ったこの神憑り的ステージ。

改めて言おう、ここにロックのすべてがある。
そしてベビーメタルが、そしてこれからの世界のロックが、
まさにこの瞬間に、誕生したのである、と。








という訳で、またまた限りない蛇足、と行きたい。
改めて、このライブは戦いだ、その戦いとはなんなのだろうか、と。

あるいはそう、いまや世界のロック界の頂点にたったベビーメタル、
その姿を追従することになるであろう、若き金狐たち、

そんな人々が、いったいなにを、ベビーメタルに見習うべきなのか。

そう思った時、やはりそう、すぅメタルから吐かれたこの言葉。

ライブは戦いである。

その真の意味を、深く理解する必要があるのではないのか。

で、答えてくれ。

ライブは戦いだ、その本質とは、その意味するものとは、なんなのか。

いまなおベビーメタルを支えるこの、ライブは戦いだ、という信念。

まさにそう、ベビーメタルのその輝かしい戦歴、
そこに刻まれた、絶体絶命の大博打に奇跡の大逆転をかます、
そのあまりにも壮絶な戦いぶり。

百戦錬磨のベビーメタルが、最新こそが最高の評価、
つまりは、ベビーメタル必勝の法則、その強さの秘密。

その源泉にあたるこのラウドパークの公演を通じて、
いったいすぅメタルは、なにを見たのだろうか。



で、改めて、このラウドパークの公演を前に、
ロック界からのあまりにも激烈な拒絶を食らったベビーメタル。

では、と改めて原初的な命題を蒸し返したい。

なぜロックは、アイドルが嫌いなのか。

そんなメタル・ヘッドにとって、
アイドルの象徴するものとはいったいなんなのか、と。

アイドル、つまりは、広告代理店と癒着したテレビ業界が、
企業宣伝を目的としたメディア媒体、
その看板たるトロフィー・ガールズたち。
そんな虚像世界の象徴的な存在であろう某秋なんちゃら氏が、
そしてその象徴的な成果物であろうAK47、
天下御免の無法者ロックファンたちは、
そんなアイドルという象徴にいったいどんなイメージを、
印象を、美意識の相違を、みているのであろうか。

元筋金入りのロック・ファンとして言わせて頂ければ、
ロック・ファンと、アイドルとの根本的な美意識の違いとは、
まずは、凄みVS可愛さ、その違いではないのか?

凄みの中に可愛さがある、というのは判る。
極限の暴力の中にはかならず、どこかユーモラスな一面があるように、
凄みの極限にもどこかしら可愛さが存在したり、もする。
がしかし、可愛さの中に凄みはあるのだろうか?
凄みを籠めた可憐さ、なんてものが、いったいこの世に存在するだろうか?

それはまさに、メタル=鋼鉄と、アイドル=蝶と花、
パステルカラーの蝶々を、鋼鉄の金属バットで粉砕するようなものではないか。

そしてなにより、メタル・ヘッドの聖域たるものとは、
その、真意、つまりは、極意性、ではないのか。

嘘を嘘と知りながら、それをとことんまで愛する、
まさにどこぞのカルト的新興宗教に近い、
原理主義的な悪魔的美学に固執するメタル・ヘッド。
だがしかし、メタルにおけるメタルの虚像性とは、
その根本が虚像であればあるほどに、
その虚像の中に真意を求める。
そこにあるのは、まさに、魂をかけた虚像への美学、なのである。

メタルの美学、その究極的なまでの虚像信奉、、
それはまさに誰にも触れさせたくないサンクチュリア:聖域、
その、サンクチュリアに対する、熱意、というよりは、
狂気をも秘めた偏愛ではなかったのか。

メタル・ヘッドたちの目指したその本気さ、
まさに、魂の極:キワミ、的なもの、
その対極にあるのがアイドル、
そう、メタル・ヘッドは、アイドルたちを、
巨大資本のでっちあげた虚像的商法に騙されきった、
オツムの足りないふざけたまがい物、
と思っていたのである。

そんな偏執狂的なまでのメタル信者たちへの、
ベビーメタル、そして、中元すず香の回答が、
このラウド・パークであった訳だ。

ではいった、すぅメタル、そしてベビーメタルは、
このラウドパークでの公演によっていったいなにを体現し得たのか。

あらためて、この、ラウド・パークにおけるすぅメタル、
その、凄まじいまでの気迫が、全身に漲っている。

まさに、本気、魂のすべてをかけて
このステージにその生命のすべて賭けている、賭けきっている、
その、極限的な面構え、である。

そしてその歌声、
そこには、アイドルとしての、
ヴォイス・トレーニングの基礎に貫かれた歌唱力と同時に、
本気の本気で全身全霊を注ぎ込んだ、
まさに、魂の燃焼、究極的なまでの「凄み」に貫かれている。

さあ、メタル・ヘッド、わたしの歌を聞いてくれ。

これでもあなたたちは、わたしの歌が、まがい物だと、言うのか?

これこそが、ロック・ファンたちの思い描いていた、凄味、その真髄である。

そう、このラウド・パークのすぅめたる、音楽の凄み、ステージに命を張る、
パフォーマーとしてのプロ根性の極限的な状態。

アイドルだ、ロックだ、メタルだ、パンクだ、
そんな馬鹿げた分類のすべてを蹴散らして、
この、すぅメタルの姿には、ステージ・パフォーマーとしての、
その全てがある。

このラウド・パークこそは、
アイドルが、ロックを粉砕した、というよりは、
アイドルが、アイドルであることを遥かに凌駕しては、
ロックのあるべき凄み、
狂気さえ秘めたその激しさと、熱情と、熱狂と、
そのすべてを凝縮させては遥かにアップグレード:昇華させた、
ベビーメタルの誕生、その瞬間であった、と。

そしていま、すべての戦いに勝ち抜いてきたすぅメタルの放つ、
この魂の言葉、つまりは、極限的なまでのパフォーマーとしての真意。

ライブは、戦いである。

その見事なまでの見本、
ロックは愚か、パフォーマーとしての真理、その体現が、
このラウド・パークでのすぅメタルの姿、なのである。

それはまさに、ベビーメタル開眼の瞬間、その決定的な瞬間であろう。

では、と改めて繰り返す。では、その開眼とは、いったいなんなのか。

つまりはそう、仏像に魂の込められる瞬間。

アイドル、つまりは、人形、
人間もどきの、まがい物、であった筈のアイドル人形に、
魂、つまりは、神の宿った、その瞬間であった訳だ。

改めて言おう。
ベビーメタルとアイドル、その違いとはなんなのか。
それはまさに、開眼したアイドル。
ベビーメタルこそは、魂の宿った、アイドル、なのである。

では、重ねて聞こう。
果たしてすぅメタルの言う、ステージは戦いだ、
その戦いの本質とはいったいなんなのか?

すぅメタルがチェーンソウを振りかざしては、
斜に構えたメタル・ヘッズの一団に飛び込んでは、
滅多矢鱈に踊り斬りをした訳でも、
メタル系雑誌社に鼻を摘んで電話をしては、
われら、余計なことを書きくさりよると家に火ぃつけちゃるけんのぉ
やら、
あるいは酔っ払った駅のホームでふと背後から、
このままブスっと行くか、それが嫌ならワレから線路に飛び込むか、
さあどっちなんじゃ、言っうてみぃや、とドスのきいた声で囁いたり、
なんてことを、した訳では、勿論ない。

そう、すぅメタルがの言う戦いとは、そのような戦いを言うのではない。
そう、すぅメタルは格闘家ではなく、歌手、そしてパフォーマーなのである。

楽器の演奏もろくにできず、音楽の基礎知識どころか、
絶対音感は愚か、楽譜さえもろくに読めない、
そんな自称プロフェッショナルたちの集合体であった日本のロック、
メタル狩りと称してはカツアゲ三昧の小遣い稼ぎ、
対バンの野郎、ちょっと上手いからってお調子こきやがって、と、
本番前に裏手の機材搬入口に呼び出して袋叩き、
と、そんな場外乱闘の切った張ったばかりを自慢げに吹聴していた、
そんな格闘家崩れの音楽屋紛い。

そんな人々たちのその目の前で、
果たして、このすぅメタルはいったいどんな戦いを挑んだのであろうか。

それはまさしく、魂、であった筈だ。

その音符の、歌詞の、ひとつひとつに心を込めて、思い切りの感情移入、
ビブラートを思う存分効かせて、コブシを込めて、唸りを響かせては、
その歌唱力、そのテクニックのすべてを尽くして・・

いや待てよ、果たして、それが、本当の魂、であろうか。

あるいはそう、声を限りに怒鳴り続け、腹のそこから叫びまくり、
音階など、音響など、歌いまわしなど、
そんなチャラくせえことは関係ねえ。
そう、この声が枯れるまで、この喉が張り裂けるまで、
どこまでも、叫んで叫んで叫んで、叫び続けられるか。

おいおいおい、と思わず。

確かにそれは、ステージ映えはするだろうが、
そんな表現手段で伝えられるのは、
自暴自棄の怒りの絶叫と、性的欲求不満の雄叫びと、
あるいは、恐怖に駆られた悲鳴、ぐらいなもの、ではないか。
自棄糞の怒声と発情期の猫のさかり声、
あるいは、絶叫マシーンの先頭で両手を掲げた死ぬ気の大悲鳴、
それ以外の感情を、いったいどうやって表現できると言うのか。

少なくとも音楽って、そんなものでは、なくはない、ではあろうが、
だがしかし、そんなものだけ、ではなかった筈だ。

そう、怒りの叫びも、猫のさかり声も確かにひとつの表現手段であろうし、
それだけに徹底的に終始する、というのも、一種の思い切り的な職人芸と、
言えないこともないかもしれない。

ただ、それだけ、とはそれだけ。つまりは、どうしても、音楽的な行き詰まり、
あるいは遅かれ早かれ、ミュージシャン、あるいは表現者としての、
絶望的な頭打ちに直面することは目に見えている。

ロックが、あるいはメタルが、
観るも無残な惰性的マンネリズムの袋小路に嵌まり込んでしまったのは、
まさにそれが原因であった筈。

そう、誰もが思っていただろう、
ジャニス・ジョップリンの、ロバート・プラントの、
ミック・ジャガーの、ロブ・ハルフォードの、
そのやり方を、見よう見まねで猿真似を繰り返していても、
それはただのモドキに過ぎず、
いつまで立ってもそれ以上の存在、どころか、
そんな偉大なマスターたちの足元にさえ及ぶことはできない、のである。

大切なのはオリジナリティなのだ。
だがしかし、そこには少なくとも、
最低条件としてなんらかの必然性、そして普遍性、
つまりは、音楽的な基礎力が、必要なのだ。

では改めて、そのオリジナリティとはなにか?
そしてそのオリジナリティを、音楽的な基礎力の上に築くことは、
果たして、可能なのであろうか・・

そして、俺達は、その音楽的な基礎に支えられたオリジナリティに、
いったい、なにを、最も望んで居たのか?

そして改めて、ロックが、あるいはメタルが、
シャウト、あるいは、デス・ボイスの中に求めたもの、
あるいは、そこに至らざるを得なかった、その必然とはなんなのか・

そう、ここまで重ねれば猿でも判るはずだ。

俺たちがロックに求めていたもの、
それはまさしく、魂、つまりは心、
つまりは、熱、あるいは燃焼を感じさせる、
熱い熱い、魂の声。

心の根底を掻き乱し、愛の、怒りの、喜びの、哀しみの、
その心の中心を鷲掴みにする、その荒々しく激しい、
その直接的な力。

つまりはあの、ビリー・ホリディが、ジャニス・ジョプリンが、
あるいは、ジョン・レノンが、アクセル・ローズが、
カート・コバーンが、スコット・ウェイランドが、
確かに持ち得た、あの、いまにも身の張り裂けるような、
魂の根幹を直撃しては、心臓を胃袋を、鷲掴みにするような歌声。

それがいったい、どうすれば可能なのか。

ビブラートやコブシや、シャウトやファルセット、
そんな小手先のテクニック、その奥の奥にあるもの。

つまりはそう、歌に、その声に、
己の魂を、いかにして込めることができるのか。

その魂:コラソンこそが、パフォーマンスの真髄であり、目的であり、
その魂を追い求める求道性、その生き方そのものを、
ロック野郎たちは、凄み、と表現したのだ。

そう、アイドルと、ロック、その違いはまさにそれだ。

人生を賭けて、己の魂の真髄を見極めようとする求道者の極道性と、
若くてカワイイアイドルを言い訳にして、
どこにいっても、わかんなーい、できなーい、しらなーい、だってアイドルなんだもーん、
と、浮世のすべてを甘えた声でごまかしきれると教え込まれた操り人形。

そしていま、この、2013年のラウド・パークでのベビーメタル、
この、中元すず香の姿に、いったいなにを、観るのだろうか。

若くてカワイイ、まさに、可憐を絵に描いたような目の覚めるような美貌、
ではありながら、
その姿、その眼差し、その歌声、その存在そのものが、

まさに、己の歌、己の声、己の才能、
つまりは、己の存在、その魂の根源のすべてを賭けた、
まさに、勝負師、一世一代の大喧嘩に、
命の花を散らそうと炎立つ、ポニーテールの大親分、
その姿、そのもの、ではないか。

このすぅメタルの姿に、なにかを見出さなかった奴は、
メタル野郎、あるいは、ロック野郎、その風上にも置けない、
目の玉節穴の大梵くら野郎である。

そしてこのすぅメタルの姿に、なにかを見てしまった人々は、
例えそれがドルオタであろうが、メタルヘッドであろうが、
腐れパンカーであろうが、ジャズであろうが、クラッシックであろうが、
姐さん、命、預けます、とばかりに、
その一生を賭けて、このすぅメタルに己の夢のすべてを委ねる、
そんな気持ちにさせられて、当然のことだろう。

すぅメタル、あるいは、中元すず香が、
アイドルでもなく、メタルでもなく、
その狭間の中で、悩んで悩んで悩み抜いたその末に、
アイドルの本質とはなにか、メタルの本質とはないか、
ロックの、あるいは、パフォーマンスの、その真髄とはなんなのか、
その真理に、気がついた、手に入れた、つまりは開眼した、その瞬間。

そしてご存知のように、
このラウド・パークから、
そして、幕張メッセの生誕祭から、
そして、武道館から、ソニスフィアから、
ウェンブリーから、ついには東京ドームまで、

すぅメタルは、ここラウド・パークで掴んだ魂の本質、
その表現形態を武器に、世界を相手の大喧嘩。

かかってこいやぁ、舐めたらいかんぜよ、とばかりに、

戦って戦って戦い抜いた、その燦然たる戦歴の数々。

そしてその熾烈な戦いを耐え抜いたその心の底には、
あの蒸し風呂の鹿鳴館を、
そしてあの、絶体絶命の土壇場であったラウド・パーク、
あん、しごぉされたラウド・パークで、
戦って戦って、戦い抜いた、うちじゃけん、
いまさらこげなことに、負けるわけには、いかんのじゃ。

その思いが、篭っていた、燃え盛っていたに違いない、のである。

そう、幼き頃から天才歌手の評価を思うままにしてきた中元すず香が、
その人生における最初で最後の、
最も困難な戦いに打ち勝った。
打ち勝つどころか、ご覧のように、日本の、世界の、
音楽史をひっくり返すかのような、
とてつもないスーパー大逆転の倍返しの四乗五乗。

この戦いがあってこそ、いまのすぅメタルがある。
この戦いに打ち勝ってこそ、このベビーメタルがある。
そしてこの戦いを境に、中元すず香は、そしてベビーメタルは、
別の次元に突入をしていったのである。

それはつまりは、
ラウド・パークに打ち勝ったうちじゃけん、
世界ぐらいは、とれるじゃろ、
その自信、そのプライド、その、意地、ではなかったのか。

そう、繰り返す。

この2013年の絶体絶命の戦いの中で、

ポンコツ娘の中元すず香は、すぅメタルとして、生まれ変わった。

すぅメタルとして生まれ変わったベビーメタルは、
アイドルの殻を脱ぎ去る、どころか、弾き飛ばし、
そしてついには、世界征服、それがまったく洒落にならないぐらいにまで、
とてつもなく巨大な存在へと進化の階段を爆走していく訳なのである。

その壮絶な物語のすべてが、このラウドパークから始まっていたのだ。



実はさ、この壮絶なまでのベビメタ・ロスの中で、
今や幾万と存在する海賊映像、
その壮大な軌跡を辿る中で、
ひょんなことから、このラウド・パークの以前のベビーメタル、
その姿を見ていて、ああ、カワイイな、とは思いながらも、
なんとなく、ふっと、笑っちゃったんだよね。

そう、このLGEND 1999&1997 APOCALYPSE
その二枚のデロに刻まれた、運命の時の、その前と後。

ラウド・パークの前のベビーメタル、
このまさに美少女然としたロリータ・アイドルであるところのすぅメタル、
その美声も、その愛くるしさも、超絶的に魅力的、
確かにそうなのだが、
ただ、ちょっと、思ったのが、
このこ、自分の歌っている歌詞の、
その意味が、本当にわかっているのかな、と。

そう、このラウド・パーク以前のベビーメタルって、
やはりアイドル・ユニット。
つまりは、言われたことをやっている、それだけ、というか、
まさに、操り人形というか、そう、そうなんだよ、
やっぱり、アイドルのアイドル性って、その人形性っていうか、

ただ、以前にも綴ったように、
本当に凄い人形って、生身の存在をも凌駕する、
とてつもない存在感、生々しさ:リアリティを持ちうる訳で、
->禁断のBABYMETAL ~ ベビーメタルのYAVA!に「人形美」の真髄を見る

アイドル、つまりは偶像、つまりは、お人形的な美学、
その本物になりきらない、なりきらないことを前提としている、
その、まがい物性への許容があって初めて成り立つ、アイドル性。

アイドルなんだから歌は下手です。
アイドルなんだからおバカなんです。
アイドルなんだから踊りも無茶苦茶です、
アイドルなんだから、安っぽくて当然です、
ただ、だから、アイドルはカワイイのです、

その、甘え。

それこそが、ある種の人々にとって、
アイドルが嫌悪の対象となる、その理由。

そして、ベビーメタルは、そのアイドルの持つ甘え、まがい物性を、
このラウド・パークにおいて、すべてかなぐり捨てたのである。

それは、変身というよりは、脱皮。
それは、進歩というよりは、昇華であった。

アイドルやら、メタルやら、ポップやら、ロックやら、
そんなものすべてを飛び越えて、
あるいは、
アイドルも、メタルも、ポップも、ロックも、
その目指しているものとは、まさに、これでしょう、と、
その、パフォーマンスとしての真髄に到達した、
あるいは、その進むべき道に、ベビーメタルが開眼した、
その瞬間である、と。

でさ、と、改めてこのラウド・パークの映像、
もう、何度観たか判らないぐらい、
観るものを夢中にさせる、
まさに、魔性の宿ったこの映像。

今更ながら、凄いよね、ベビーメタル。

で、このラウド・パーク、まさに、その凄みの真髄。その本領発揮。

ただ、と改めて、この時、すぅめたること中元すず香、
若干なんと、15歳、であったりもする訳で・・

おおいおいおい、と、まさに、絶句、である。

真の天才とはまさに、こういうひとを指して言うものか、と・・・



という訳で、
はい、ご反論はごもっとも、とは存じながら、
前回から続いて、俺的なベビーメタル美学、
そのお浚いとしてたどった、この海賊映像ベスト5。

今更ながらベビーメタル、
そのライブのひとつひとつに、劇的なドラマがあって、
そしてその物語のひとつひとつを追いながら、
そこでおもわず、ステージの上の三姫、
そして、神バンドの面々と、魂のシンクロを感じながら、
手に汗を握って齧りつく、あのペリス子の海賊映像。

そう、それこそがベビーメタルへの愛の真髄。
そのドラマをリアルタイムに同時進行系に共有することこそが、
メイト冥利に尽きる、という訳で。

この糞くだらない虚像世界の中で、
それでも俺たちが行きていられるのは、
まさに、それが理由、と。

で、はい、今更ながら、百戦錬磨のベビーメタル、
その輝くべき戦歴の数々を辿りながら、
改めて、この、2013年ラウド・パークを上げせて頂いた、
それにはちょっとした、含み、あるいは理由があったりもする訳で。

そう、言うまでもなく、来たる12月2日3日
広島グリーンアリーナにて行われるLEGEND洗礼の儀。

すぅメタルこと、中元すず香嬢が、晴れて故郷に錦を飾ることになる、
その記念すべき公演。

果たしてこの記念すべき公演において、
ベビーメタルがいったいどんなステージを披露してくれるのか。

そして改めてお尋ねしたい。

ベビーメタルは、そしてすぅめたるこそ、中元すず香は、
この記念すべき広島公演、その故郷への里帰りにおいて、
いったい、なにを、表現しようとするのだろうか。

改めて、これまでのベビーメタルは、
ライブは戦いだ、のその言葉どおり、
戦って戦って戦い抜いてきた、
そのあまりにも壮絶なガチンコ・デスマッチ、
その繰り返し、であった筈だ。

そしてその、史上稀に見るタフな戦いに勝ち抜いた、
この奇跡の歌姫、まさに、ポニーテールの大親分そのものが、
いまや世界中からの赤鬼青鬼猿犬雉、
その総勢たるしもべたちを引き連れての、
一大凱旋公演となる筈なのである。

果たしてその凱旋公演で、
すぅメタルは、その故郷の人達に、
どんな言葉で、なにを語りかけ、
どんな詩を歌い上げようというのだろうか。

もしかして、それは、戦い、だろうか。
故郷の皆さん、すず香は、このようにして、戦って参りました。
その壮絶な姿を、そのままの状態で、故郷の人たち、
つまりは、家族から親戚から、幼馴染から、
その人々を前に、
かかって来いやぁ、なめたらいかんぜよ、とばかりに、ご披露しようというのだろうか。

とそんな時、ふと、脳裏をよぎった不吉な映像がある。

以前の記事で綴った、ジャニス・ジョプリンのその怨念の人生。
その悲劇性の極と言われた、つまりは自殺にも似たOD死、
その直接的な原因であったとさえ言われた、ある呪われるべき逸話。

世界が注目する天才歌手として、
名声の頂点を極めつつあったジャニス・ジョプリンが、
そのスター性のすべてを背負い込んでは、
嘗て生まれ育った、あの、ポート・アーサー、
つまりは、ジャニス・ジョプリンの幼少の時代、
一緒に渡るトラウマを刻み込むことになった、
あの生まれ故郷におけるイジメ、
嘲笑と虐待と憤怒と拒絶の日々。
その恨み辛みの故郷に、
いまが盛りの大スター風情として、
全米ネットのマスメディア、その取材陣の一団を引き連れての
一大里帰りを果たした、
その大いなる面当て、究極の倍返しになる筈であった、
高校時代の同窓会。

そしてジャニス・ジョプリンは、その全米メディアからの取材陣、
その一団がカメラを構えるその前で、
嘗ての幼なじみたちたちそのすべてから、徹底的なまでの拒絶反応、
つまりは、極限的なまでの冷たい、シカト、に遭遇するのである。

さあ、私の生まれ故郷の幼なじみたちを紹介するわ、
カメラの前でそう笑うジャニスに対し、
その幼なじみたちの、誰一人として、まったく挨拶なしどころか、
一言も口をきかない、どころか、一瞥さえも、しないのである。

全身をこれでもか、とばかりに、
流行のフラワー・ファッションに身を包んだジャニス・ジョプリン、
その得意げな笑顔が、次第にこわばり、凍りつき、
そして、ついには、まるで石のように、表情そのものを失ってしまう。

俺はこれまで、あれほどまでに絶望的な表情というものを見たことがない。

そして改めて、ジャニス・ジョプリンに、
これほどまでに仕打ちをしたのはなんだったのか。
そしてそれが判っていながら、
ジャニス・ジョプリンにそんな軽はずみな挑戦を、
強いたのは誰なのか、焚き付けたのは誰なのか。

故郷を捨てた、捨てざるを得なかったジャニス・ジョプリンが、
流れ流れて辿りついた花の都・サンフランシスコ。
その街で、生まれて初めて知り合った、真の友達、という連中。

その友達たちに支えられては、祀り上げられたステージの上、
大丈夫だ、君ならできる、俺達が付いているから、
だから俺達が惚れて惚れて惚れ抜いた君の才能を、
思う存分、このステージで披露するんだ。

1966年のジャニス・ジョプリンの鮮烈のデビューは、
実にそうやって演出されたものであったのだ。

そしてそこで勝ち得た、あまりにも巨大な成功の中で、
そしてついには、ジャニス・ジョプリンは、
嘗ての旧友たちの手を離れ、友たちを見捨てては、
ひとりのプロフェッショナル、
世界的なスーパースターへの階段を登り始める、のではあるが、
そこでジャニスが見たものは、成功の代償として抱え込んだ、
そのあまりにも絶望的なほどの、孤独、であったのだ。

そしてジャニスは、この世において、誰ひとりとして信じられぬまま、
その温もりを追い求めれば追い求めるほどに追い詰められた孤独の底、
ついには、渾身の魂を刻み込んだ不朽の名盤、その発表を待たずして、
裏寂れたモーテルの一室、その埃の積もった冷たい床の上で、
短い一生を終えることになったのである。

果たして、このジャニス・ジョプリンの一生、
その、あまりにも卓越した才能と、
そして、その代償であったであろう、そのあまりにもアンバランスな心。

その心が、その魂の根底が、
死の間際になって訪れることになった故郷の町への凱旋の場において、
その、一世一代の華やぎであった筈の瞬間に待ち受けていた、
あるいは、世界的スターとしての名声と裏腹に孤独の底にのたうっていた、
その最後の救済を求めて辿り着いたその故郷、
その最後の拠り所で待ち受けていたあまりにも残酷な仕打ち、
そのクロスカウンターの一撃の中で、
ジャニス・ジョプリンという未曾有の天才歌手は、
脆くも、粉々に、砕け散ってしまったのである。

実は俺は、故郷の街に、ここ数十年、帰ってはいない。
帰りたいのは山々である。
そしてなにより、あの輝ける青春時代、
あの壮絶なる日々をともにした旧友たち、
その顔を、ひと目だけでも見たい、会いたい、
それはまさに、張り裂けるほどの熱情であり、
それはいまも忘れぬ、どころか、
日が経てば経つほどに、歳を追えば追うほどに、
一種の執念とまで言えるほどにまでに
膨らんで膨らんで膨らみ続けるばかり。
いまでも、長寝をする度に、これでもかとばかりに昔の仲間たち、
つまりは、故郷に残してきた、あの級友たちの姿を、
繰り返し繰り返し、夢に見る、見続けている。

ただ、逢えない。どうしても逢えない。
逢いたいと思えば思うほどに、
遭いたいと思えば思う、そういう奴に限って、
どうしても、逢おうぜ、の一言が言えないのである。
電話をとって、その胸が高鳴れば高鳴るほどに
不穏な警笛が、この身を引き絞るのである。
あいつらは、もう、俺を許してくれているだろうか。
あいつらはまだ、俺を覚えてくれているだろうか。
あいつらはいまも、俺を愛してくれているだろうか。
そしてあいつらはまだ、俺達の歌を、歌い続けているのだろうか。
馬鹿野郎、そんなこと当然じゃねえか。
ガタガタ言わねえでさっさと帰って来い、このへたれ野郎。
奴らがそういうのは判っている。判ってはいるのだが・・

そう、ひとたび故郷を離れた者にとって、
故郷の存在は、あまりにも大きく、深く、そして固い。
その想いが募れば募るほど、それはいつしか、想像さえできないほどに、
より大きく、より深く、
そして、どうあっても扱いきれないほどに、固く固く凝り固まってしまう。

それは誰にも判らない、口にすることもできない、
心の片鱗、その一番深いところに突き刺さった、杭のようなものなのだ。

そしてその、心の底の一番深いところに突き刺さった杭、
それを不用意に抜きとったりした、その途端、
それはまさに、ジャニスの逸話を上げるまでもなく、
心そのものの存在、その軸の中心、その底板そのものを、
見事にひっくり返してしまう、そんなことさえも起こり得る、
まさに、両刃の剣、あるいは、サン・ガルガノの剣のような、
危険な存在にもなりうるのである。

それはもしかすると、かの矢沢永吉が、
珍しくも心情を吐露したこの言葉に集約されているのかもしれない。

「ヒロシマはいい街だが、俺にとっては捨てた街だ・・」

その一見冷たく言い放った言葉、その裏の裏にあるもの。

それこそが、矢沢永吉の魂の歌、
そのブルースの、根源:ルーツ、であったりもするのだが。
->改めて矢沢永吉という人について想いを巡らせてみる



という訳で、

すぅメタルこと、中元すず香のその一生に一度の祭典の日を前に、
こんな不吉な逸話を並べる失礼を許して欲しい。

ただそう、この公演がすぅメタルにとって、
それを心待ちにするメイトの方々が想像だにできない程に、
大きな大きな公演であることに間違いはない。

そうである以上、メイトである俺達は、この記念すべき広島公演に、
いったいどんな態度を持って臨むべきなのであろうか。

そしてすぅメタルは、その故郷の人々を前に、いったいどんな姿を、
どんな歌を、どんな魂の詩を、聞かせるべきなのだろうか。

戦って戦って戦って、戦い抜いて来た、無敗の天使・ベビーメタル。

ライブは、戦いじゃ、その言葉を魂に刻み込んでは、
戦って戦って戦って、その果てに、
百戦錬磨の満身創痍、その姿を、
隠すこと無く、曝け出すべきなのだろうか。

あるいはそう、あのジャニスの教訓から学べるように、
故郷の人々の待ち受ける輪の中にあっては、
嘗ての故郷の人たち、その古き良き風習にうち従っては、
うちはなぁんも、かわっとりゃせんけえのぉ、と、
ちょっと発音の曖昧になった故郷の言葉で、
恥ずかしげに笑うべきなのか。

果たしてこの一世一代の選択において、
すぅメタル、ならぬ、中元すず香が、
いったいどんな態度で臨むのか。

それこそが今後の中元すず香、
強いては、ベビーメタルの行方、そのものを決定する、
一大エポックとなる筈なのである。

という訳で、ここまで来て、ようやく、結論とやらに参りたい。

百戦錬磨のベビーメタル、その奇跡の軌跡。
その中でも、最もタフな戦いになるであろう、
この、広島里帰り公演。
固唾を飲んで、そして毎度毎度ながら、全身全霊を持って、
その公演の成功を祈りたいと思う。

そして、この広島公演にご参戦されるメイトの諸君。

判っていはいるだろうが、広島は我らがすぅメタルの故郷、
つまりは、母なる街なのだ。
その母なる街で、俺たち、恋するラヴァー・ボーイたちが、
いったいどんな態度で臨むべきなのか。

決まっているだろう。
それはつまりは、愛する恋人のご両親を訪ねる日曜日の午後。
あの一世一代の大勝負、その心持ち、で向かうべきであろう。

広島で出会うすべての人々が、
愛するすぅメタル、中元すず香嬢の、そのご親戚の方々、
つまりは、心いっぱい精一杯の、誠意を持って相対するべき、なのだ。

という訳で、広島に向かう時には、
両手に二本づつ三本づつの一升瓶、
背中の荷物いっぱいにお土産を抱えては、
道行く人々のその全てに、
さあさあさあ、お父さんお母さん、まあまあ固いこと言わずに一杯一杯、
と、駆けつけ三杯の酒を振る舞って然るべきもの。

会場前の掃除から、駐車場の案内から、
果ては交通整理から、酔っぱらいの介抱から喧嘩の仲裁まで。
そして当然のことながら、広島平和記念公園、
そのすべてを、ピッカピッカになるぐらいにまで磨き上げては、
その打ち上げ、とばかりに、地元の商店街では、
夜を徹してのどんちゃん騒ぎの大盤振る舞い。
我らがすぅメタル、中元すず香嬢を育んでくれた広島という街に、
最高最上の、敬意をもって称するその必要がある、と。

いやあ、あの中元さんちのすず香ちゃん、
あのこが帰ってきた途端、街中が綺麗になって、
知らない間に壊れた生け垣が直っていて、
ついでにうちの犬まで散歩してくれたみたいじゃ。

訪れる人々に心からの誠意を尽くすこと、
これこそが、コミュニケーションの基本のキホン、
まさにそう、道行くひとのそのすべてが、
恋する人のその親戚筋、
そう思っておいて、間違いはない、のである。

という訳で、いやあ、またまた長くなったね。

で、はい、結論である。

世界を股にかけた大活躍を続けてきたベビーメタル、
その記念すべき、凱旋公演である広島グリーンアリーナ。
ついにここまで来ました、その勝利宣言の行き着く先、始まる街。

もしかしたその広島公演において、
これまで、戦って戦って戦いずくめだったベビーメタルが、
もしかするともしかすると、
故郷の人々への溢れるばかりの愛、
その手放しの愛に満ち溢れた、堪らなく甘い甘い、乙女の声、
そんな姿が、垣間見えるかもしれない、
この広島凱旋公演。

そう、最新こそが最高のベビーメタル。
この広島公演こそが、最新の最高、
まさに、これまでのベビーメタルとは別次元なまでに、
新しい境地を切り開いてくれるであろうことは間違いない。

そしてメイトの諸君。
この記念すべき公演を必ずや成功させるためには、
なによりも諸君の気持ちいっぱい誠心誠意が必要であることは言うまでもなく。

ではいったい、その誠心誠意とはなんなのか。

つまりはそれ、俺達がベビーメタルに一番望むことであろう。

俺達が一番望むこととはなんなのか?

決まってるじゃないか。

俺達は、すぅメタルに、中元すず香に、幸せになって欲しい。

それ以外に、なにがある?

そしてその偽ざる本当の気持ちこそが、
ベビーメタルのすぅメタル、中元すず香を育んだ人々が、
もっとも、もっとも、心の底から、望んでいることなのだから。

あのこ、中元さんちの、すず香ちゃん、
あの娘ったら、本当に本当に、世界中の人たちから、
心いっぱい、胸いっぱいに、愛されているんじゃのお。
げに嬉しいことじゃのお。

これぞ、ベビーメタルに対する一世一代の恩返し。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、ではないが、
広島の方々にこれでもか、と尽くすことこそが、
今後のベビーメタルの成功の鍵になること、
心して命じられよ、と。
メイトのすべてがそう心に誓った時、
この広島公演、
ベビーメタルの歴史に新たな名を刻む、
素晴らしい公演になること、間違い無し、なのである、と。

ベビーメタルよ、世界を愛で包め。
そしてメイト達よ、そんなベビーメタルを、
より大きな愛で、包んでやってくれ。

愛よ、永遠に!
ベビーメタルよ、永遠に!




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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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