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広島で歌う止まない雨~ベビーメタルが広島に託したもの、そして新たなる門出を祝して

Posted by 高見鈴虫 on 18.2017 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
という訳で、あの広島公演から二週間、
すでに早くも伝説となった感のある、
ベビーメタル:広島グリーアリーナでの二日間。

実際にその場に居合わせた参戦組メイトの方々、
そして、その様子を、会場の外から、遠方から、
あるいは海の向こうから、
固唾を飲んでは胸を踊らせて見つめ続けた、
そんなメイトたちにとっても、
この広島公演がベビーメタルにとって、
なにかとても大切な意味を持つ特別なイベントである、
その確信には疑いようが無かった、その筈である。

LEGEND-Sー洗礼の儀 と銘打たれた
このベビーメタル広島公演。

この公演、なにかがある。
なによりもこの俺、いまにしてもなお、
あの公演を前にした不穏な予感を、
克明に記憶しているのである。

そして公演直前になってからの、
突然のユイの欠場というニュース。
あの未曾有のアクシデントに翻弄されては、
ついついこの公演の持つ本来の意味が
あやふやになっていた感が強いかと思うのではあるが、
改めてこの広島公演の二日間、
すぅめたるの二十歳の誕生祝い、
そんな意味だけに留まらず、
この公演がベビーメタルにとって、
ひとつの節目になるであろう、その確信。

節目、それは始まりであり、
そして始まりである以上は、そこでなにかが終わる、
あるいは、ベビーメタルは、
この広島公演で、なにかに決着をつけ、
そしてそこから、また新たなるなにかを、始めようとしている。

そしていま、あの公演から二週間を過ぎ、
ようやくその熱狂から覚め始めては、
改めてこの広島公演に託されたその本当の意味について、
想い巡らせながら見直す、この海賊映像。

この劣悪な隠し撮り映像の中にあっても尚、
思わず感動に打ち震える、そのあまりに強烈なパワー、
そのオーラ、そのエーテル。

そしてなによりも、この広島公演においての特筆の中の特筆。

それは日本は愚か、
世界のエンターテイメント史上に燦然と輝く金字塔とも成りうる、
まさに、神憑りも神憑り、
この弁舌に尽くしがたい、奇跡の瞬間その極み。

それは言うまでもなく、
あの、NO RAIN NO RAINBOW

ああ、いったい、この映像を、何度観直したかしれない。
のではあるが・・
あれ!?さっき見えたのに、もう見れなくなってる・・
どこぞの働き者の手によって、浮かんだ途端に消し去られる、
その、終わりのないモグラたたき。
だがしかし、この映像だけは、いつまでもどこまでも、
浮いては消え、消えては浮かびを繰り返す、
まさに、それは人類の執念とまで言えるほどの、奇跡の映像。

改めてこの NO RAIN NO RAINBOW、
この映像に浮かぶすぅめたるの姿、
そしてなにより、この奇跡の歌声。

これはもはや、アイドルでもメタルでもない。
ロックやポップスや、
あるいは、コンテンポラリーかクラッシックか、
そんな次元でさえも、ない。

世の音楽家、世のアーティストというアーティスト、
あるいはそう、世の人類という人類が、
人種を越え言語を越え時空をも越えて、
この歌声の中に、いったいなにを見るのか。

そして、このNRNRを上げるならば、
その双璧であった、THE ONE。

この怒涛の広島のステージを締めくくった、
この感動絵巻、その最終章。

嘗てののあのSSAの公演で、
あり?今回は SEE YOU は無しなの?
と憎まれ口を叩いた、そんな覚えもあったのだが、
今回のこの、THE ONE。
まさに、ぐうの音も出ないどころか、
完全なまでに魂抜けの、頭真っ白け。

これほどの歌声が、この世にあっても良いものなのか・・

そのあまりの奇跡の映像を前に、
コバメタル、ついにやったな、の一言。

そう、コバさんは、これまでのベビーメタル、
強いては、その人生のすべてが、
このステージで、このTHE ONE、に込められていた。
そしてこの瞬間の為に、いままで生きてきたその全て、
そのあまりにも壮絶な、あまりにも見事な、その結実。

これは、頂点である。
これこそが、頂点である。

これ以上の歌、これ以上の演奏、これ以上の演出、
つまりはそう、これ以上の瞬間は、この世には存在しない。

このまさに、異次元的なまでに超絶な神降ろし、
まさに、メシア降臨のその決定的瞬間。

この奇跡を生み出した、ベビーメタル:広島公演。

改めてこの奇跡、そこに託された人々の想い、
それと同時に、この奇跡がいったいどうやって成されたのか、
その理由について、またまた要らぬ駄文を綴ってみたい。





改めてこのベビーメタル・広島グリーアリーナでの公演。
会場に足を踏み入れた途端に待ち構えていた、
あのまさかまさかの豪華絢爛なステージセット。

全観衆の、まさに度肝を抜いたであろうその巨大セット、
これこそはまさに、
二十歳の誕生日を迎えると同時に、
故郷である街・広島に凱旋公演を飾った、
すぅめたること、中元すず香嬢に対する、
チーム・ベビーメタルは元より、
その母体であるアミューズ社、
その運営部、そして首脳部、経営陣、
その全てからの、心よりのプレゼント、であったのだろう。

改めてこのベビーメタル、
その世界規模の人気と、とどまるところを知らぬ評判と、
世界各国の伝説的大御所を唸らせるだけ唸らせては、
国境を越え世代を越え時空をも越えて、
世の音楽ファンのすべてから手放しの大絶賛。
ただ、そんなうなぎのぼりの評価とは相対して、
どう考えても商業的には、
少なくともその評価に見合うだけの莫大な収益を得ている、
とはあまりにも思い難く。

ただ、そんなベビーメタルではあるものの、
だがしかし、だからこそのベビーメタル。

この広島におけるすぅメタル生誕祭に向けた、
この豪華絢爛なステージ・セット、
その未曾有の大盤振る舞いこそは、
チーム・ベビーメタル、
強いてはアミューズ社、その全社員の方々の、
ベビーメタルと、そして、その看板であり象徴であるところの、
すぅめたる、こと、中元すず香嬢、
このひとりの卓越したアーティストに対する、
愛と感謝と期待と尊敬と、その全てを込めた熱い熱い魂の声。

つまりはベビーメタル、
その収益やら、胸算用やらは別にしても、
なによりもそこに込められた人々の想い、
つまりは、このベビーメタルを囲む人々、
そのひとりひとりの胸の内にいまも燃え盛っているであろう、
あの消えることのない情熱。
その、夢と希望と、意地とプライドのすべて。

日本のアイドル、日本のロック、日本の音楽、日本の文化。
その究極の逸材を持って、世界に、勝負を挑みたい!

その夢のすべてが、このすぅめたる、
この千年に一人、万年に一人の、正真正銘の天才歌手、
このひとに、私たちの、夢の、人生の、すべてを賭ける。
その想いの結集であったことは言うまでもない。

そして改めてこの広島公演。

ベビーメタルを囲む人々、
そんな膨大な夢を託された中元すず香が繰り広げた、
この弁舌に尽くしがたい、未曾有の感動絵巻。

これまですべての逆境を跳ね返すどころか、
それを二倍三倍の倍々返しにしてきたベビーメタル。
そしていま、そんなベビーメタルを囲むすべての人々からの夢を託されては、
それをあろうことか、その期待のすべてを凌駕する、
とてつもない感動を持って昇華させてくれた、この奇跡の逸材。

そしてこの広島公演、
直前のユイ欠場という大ハンディに襲われながらも、
あるいはそれがあったからかこそ、
会場を埋めた数万の観客たちが魂を燃やして熱唱する姿。
それこそはまさに、THE ONE。
そのまさに度肝を抜くような、とてつもない姿を見せつけてくれた、
そのあまりの衝撃、そのあまりの痛快、そのあまりの感動。

そして改めて、その姿に触れた誰もが思ったであろう。

ベビーメタルはもはや、この国の誰もが、
良いの悪いの、言えるような存在ではない。

ベビーメタルは神の使い。
ベビーメタルのライブはまさに神降ろしの神憑り。
そしてベビーメタル、すぅめたる・中元すず香のその歌声は、
数万の観衆、どころか、全世界、全人類、
強いては、神の心さえも、揺り動かすことになるであろう・・

その思いは、これまでに頂いた、
その熱いコメントの全てに克明に刻まれている。

凄った、最高だった、というよりは・・ 恐れ多いというか、
ちょっと、怖くもなった、つまりは、そう、畏敬、という奴かも・・

そして、先日から綿々と綴り続けている
この広島の謎解き合戦。

そこでいったいなにがあったのか?

ユイの欠場、そのハンディを取り戻す為、
ステージのすぅ最愛が、神バンドが、
そして、チーム・ベビーメタルが、
そしてなにより、会場を埋め尽くしたすべての人々、
そのひとりひとりが、
力を合わせての、THE ONE。
その夢のようなシンパシーを、愛を、希望を共有した、
この至福の瞬間、その一体感。

言うまでもなく、最新こそが最高のベビーメタル、
そして、この広島公演。
お裾分け頂いたその珠玉の海賊録音、
そして、動画サイトに浮かんでは消えるパイレーツ・ビデオ、
その劣悪な映像にあってさえ、
この広島公演こそは、ベビーメタルの最高傑作、
そして多分、それはエンターテイメント史上の最高傑作。
まさに、ぐぅの音も出ないほどの、
最高最上、究極至極のステージであったことは言うまでもない。

そして改めて、その場に欠いたユイメタル、
その復帰を心から祈りながら、
次のステージ、もしもあの広島に、あのユイちゃんがいてくれたなら、
それこそはまさに・・・

そんな想像を巡らせれば巡らせるほどに、
これからのベビーメタル、
すぅユイ最愛が揃えば、その時にはまさに、
この広島の十倍百倍無限倍の破壊力。

なによりもこの広島公演、その素晴らしさ、それ以上に、
これからのベビーメタルの、そのあまりにも途方もないほどの伸びしろ、
つまりはその、無限大の可能性、
そのスケールのあまりのとてつもなさを、改めて、世界に知らしめた、
それこそが、この広島公演の、最も大きな成果であったのでは、と思う。

先日のニュースにあった、アミューズの創始者であり代表取締役会長、、
いまもなお、絶対君主として辣腕を振るわれているであろう、
あの生きる伝説、大里洋吉氏。

その講演会においてのお言葉。
背面に映し出されたウェンブリー公演の映像を前に、

ああ、ここで、あの、広島公演の映像を、流したかった・・・

その言葉にこそ、あの広島公演がどこまで凄まじかったのか、
と同時に、見せたくても見せられない、禁断の広島公演。

ただ、この、落とし前は、ではないが、

そう、大里さん、判っているでしょ!? 

ベビーメタル、その可能性は無限大!

このベビーメタル、これから先、
この広島公演の倍返し、どころか、
世界中をひっくり返すような、そんな大活躍が、
この先、いくらでも、見られることになるんだから。

だから来年の今頃には、
広島、どころか、かのマジソン・スクエア・ガーデン、
その会場を埋め尽くした世界中の人々から、
涙鼻水ぐしょぐしょになりながらの大喝采、
そんな姿が、大里さんへのなによりの恩返し。

日本芸能界の徒花であり続けたアミューズ社。
それを貫いてきたあなたのその見果てぬ夢、その鉄の信念。
アーティストあってこそのエージェント。
その見事な結実を、いまこそ世界に向けて証明できる、
その瞬間、その時が、いまやすぐ目前に迫っているのだから。





と、そんな訳で、
この広島公演から二週間、
ここにきて、ようやくもようやく、
やっとのことで、あの強烈なPTSD、
そして、昼夜に渡って聴き続けてけては、
末期的な程に陥っていた
この重度のベビメタ海賊音源中毒。
その無間地獄のような至福の底から、
ようやくようやく立ち直ってきたところでもあるのだが、
そして改めて、そう、先に上げた課題、という奴。

そろそろようやく気を落ち着けて、
この広島公演の意図したもの
そのものの意義、
つまりは、ベビーメタルが、
この広島公演に、いったいなにを持って望んだのか、
そこにどんな想いを託したのか、
その意味について、改めて考えみたいと、
常々そう思っていたのであるが、

そのテーマを始めるには、
まずはなによりも、この広島公演が、
すぅめたるの二十歳の門出であり、
そしてその、記念すべき二十歳の門出を、
その故郷である、広島、という地で行った、
その意味。
それに触れないわけにはいかないであろう。

そしてそれはもしかするとベビーメタル、
その唯一絶対の歌姫であるところのすぅめたる、こと、中元すず香、
この正真正銘の天才の中の天才、
神に愛された世紀の歌姫、その存在の証明、その理由、
と同時に、その歌姫にすべてを賭けた、
チーム・ベビーメタルの将来は元より、
そしてアミューズ社の社運、
強いては、日本のロックファン、どころか、日本そのものの命運、
果ては世界人類の未来そのものさえも左右するであろう、
そんなところに転がり出るであろうことを、予感しているのである。

果たしてこの中元すず香とは、なにものであるのか。
そして、この中元すず香は、なにをもって、世界に、
いったいなにを伝えようとするのか、伝えることができるのか。

その未来への可能性、その展望、強いてはその宿命。

実はその根源的な問い、その全てが、
実にこの広島公演に凝縮されていたと、
そう確信しているのである。

そして広島:HIROSHIMA。

我らが歌姫:すぅめたる、こと、中元すず香嬢が、
この広島という象徴的な街に、生を享けた、
そのあまりの偶然、あるいは必然。

果たしてこの広島という街、
そこで行われる生誕祭が、洗礼、と名付けられた、
その理由がなんであったのか。

そして改めて、この広島という街、
その象徴するものが、いったいなんであったのか。

改めてその意味を、
そしてそこに託された想いを、手繰ってみたい。



改めて言うまでもなく、
誰にでも故郷、生まれた街がある。

おぎゃあと生まれて開いた目、
その視界に初めて飛び込んできたその光景、
その匂い、その音、その空気から、
これが、世界と言うやつか、これが生命と言うやつか、
そしてこれが、私がこの「生」の中で担った、宿命、その舞台という奴か。

ちなみに俺の場合、
その生まれた街とは、俗に言う、基地の街、であった。
頭上をいつも米軍のジェット機が飛び交っていて、
見上げた山の肥やし臭い芋畑のその底に、
ごちゃごちゃと込み入ったカスバのような住宅街、
その街の外れにはフェンスがあって、
そしてそのフェンスの向こう、
俺達には決して足を踏み入れることの許されない一枚のフェンス。
つまりは、鉄条網つきのバックネット。
そしてそのチャチなフェンスの向こうには、
目に眩しいほどの見事な芝生の輝く「天国」が広がっていた、
あの戦後の矛盾のすべてを凝縮した風景。

主権在民だ、日本の国体だ、といくら御託を並べられても、
泥酔した米兵の前でさえ警察はおろかやくざでさえも
指一本動かすこともできず。
そんな矛盾のすべてが黙殺されながら、
学校で社会で、そして点けたテレビの中では、
この眼の前の現実、その一切があってないものとされたまま、
今日も今日とて、
その絶対条件を黙殺したままの空論ばかりが罷り通る、
この日本という国、その不思議。

幼き頃から抱き続けた、なぜ?なぜ?なぜ?の疑問の山に、
世の大人たち、その誰ひとりとして、明確な回答を返し得なかった、
そんな基地の街の現実、という奴。

集会からの帰り道、
寝静まった住宅街の、夜の帳を切り裂いては、
そして乗り付けた街外れの神社、その裏山の上。

そこから遥かに見下ろす米軍キャンプ、その遠い遠い滑走路。

そう言えばこの丘の上、
犬の散歩で、学校帰りの道草で、
そして、幾度かの決闘も、その手打ち式も、
そう言えば、あの子と初めてデートをしたのもこの丘の上、
そしてそんあ青春のすべての局面において、
その頭上にはいつも、あの米軍機の轟音があった、
そんな街にあった唯一の憩いの場、その秘密の草原。

この街ってさ、いったいなんなんだろうな?
それを言ったら、この国ってさ、いったいなんなんだろうな?

誰もがそう思っていながら、
誰もが口を出すことを禁じられた、
そんな基地の街のありふれた異次元的現実。

で、さ、おまえどうするのよ、そのお腹の子供。
白か黒か知ったことじゃねえけど、高校生がそんなものこしらえちゃって・・
なに言ってんのよ。パーティのサクラだって言われて呼び出されたら、
いきなりあんな目に合わされてさ。
警察に行くって言った途端に音信不通、アメリカ帰ったの一点張り。
だから言ったろ?あいつらにとっちゃ俺たちはみんな猿同然。
なにしようが知ったことじゃねえんだろうけどさ。まったくひでえことしやがるよな。
だったらさ、あのフェンスの前のMPの、鼻先に押し付けてやればいいさ。
ほら、見ての通り、これはあんたらの子供ですよ、って。
名もなき兵士のその忘れ形見。誰かが拾って立派な兵隊に育ててくれるんじゃねえのか?
だったらあのすだれハゲ。首相、おめでとうございます。
戦後日本の置き土産、不沈空母の見事な成果でごじゃります。
馬鹿野郎、んなことしてみろよ。なんとか組のなんとかさん、いきなりパクられて・・
そうなったときは俺もお前もコンクリート詰めの海の底。笑い話にもなりゃしねえ。

基地の街のガキとして、
そんな青春を送ってきた俺たちが、
いったいその現実を前に、なにを思って過ごして来たのか。

そして改めて、基地の街、その現実。
日本中の誰もが知っていながら誰ひとりとして目を向けなかった、
そのあってなき街のその現実。
戦後の日本、その矛盾のすべてが、
この基地の街に、集約されていた、
その象徴的な風景とするならば、

その戦後の日本、その矛盾のすべてが、
まさにここから始まった、そのモニュメントが、
まさにこの広島、言うまでもない、原爆ドーム、
その姿にあった、その筈なのだ。



俺にとって、生まれた街の記憶が、
あの米軍機の轟音、
あるいはその窓辺で鳴っていたトランジスタ・ラジオ、
そこから流れていた、FEN:極東放送、俗に言う米軍放送、
その軽快なロックンロールのメロディであったとするならば、
すぅめたる、こと、中元すず香にとって、
その生まれた街の記憶とは、
もしかしたらあの、原爆ドーム。
あの無残な戦争の終着点であり、
と同時に、日本の戦後の出発点、
そしてそこから成し得た、奇跡の復興、そのシンボル。

戦後という時代のすべてを担ってきたこの原爆ドーム。

すぅめたるの胸にあったのは、
つまりはこの、象徴的な建物、であったのかもしれない。

ただ、そう、ご存知であろうこの近年のご時勢、
基地の街の現実も、
そしてあの戦争で死んでいったすべての英霊、あるいは、怨霊たちも、
そのすべてを、有って無きものとしたい、そう信じ込みたい、
有耶無耶にしては記憶から消し去ってしまいたい、
そんなお調子者の田舎者たちにとっては、

あんな原爆ドーム、
あんなもの、さっさと取り壊しては、
日本は戦争に負けなかった、
いや、戦争なんて、そもそも無かった、
さっさとそういうことにしちまったほうが、
誰もがきれいさっぱりと幸せに暮らせるんじゃないのか?

戦後の日本人たちの、
そんな罰当たりにも隠された本音の中で、
だがしかし、広島の人々が敢えて守り続けた、
あの、原爆ドームという象徴的なモニュメント。

この街で、嘗て、人が死んだ。
夏の朝、突如として襲った一瞬の閃光の中で、
幾万の人々が、
親を子を、兄弟を親戚を友人たちを、そんな最愛の人たち、
そのすべてを、一瞬のうちに、失ってしまった、あの悪夢。

ふと目を覚ましたら辺り一面が真っ平ら。
地獄というにはあまりにも呆気ない、
人類史上、空前絶後のその修羅の光景。
見渡す限りが焼け野原になったその真中に、
ただひとつ、廃墟として聳え立った、黒焦げの原爆ドーム、その姿。

この未曾有の地獄絵図の中を、辛くも生き延びた人々が、
この焼け焦げた原爆ドーム、
降り注ぐ黒い雨に叩かれるその姿に、
いったい、なにを、見たのか。

その想いのすべてが、あの原爆ドームには込められている、
その筈、なのである。

そして我らがすぅメタル、
後に、日本はもちろん、
世界の平和のその全ての夢を希望を託される、
メシア:救世主、と呼ばれることになる、この奇跡の天才歌姫。
その人物が、まさにこの広島、という象徴的な街に生まれた、
その事実。

俺が青春を過ごしたあの基地の街、
どこへ行ってもなにをしてても、
その視界の何処かに、アメリカという異界、
その存在を忘れることがなかったように、
すぅめたる、こと、中元すず香は、
その生い立ちのすべてのシーンで、
この原爆ドーム、
あの愚かな戦争の終着点であり、
そして日本の戦後の出発点であり、
そして奇跡と言われた復興、
その象徴であり、シンボルである、と同時に、
徒花でもあった、
あの原爆ドームの姿が、
いつもその記憶の中に、刻まれていたのであろうか。



嘗て、長い旅の中で暮らしたことがあった。
街から街へ、長距離バスを乗り継いでは、
見ず知らずの人々と聴いたこともない言葉、
その洪水の中に押し流されるように、
宛のない旅を続けていた、そんな記憶がある。
-> 「不良が世界を見たとき」

人々にそれぞれ個性があるように、
街にもそれぞれ、その生い立ちから、表情から、
そして街々独特の、匂い、というものがある。

空港のドアが開いた途端に、
あるいは、長距離バスから転げ落ちたその途端に、
むっとして包み込まれる、あの街の体臭、という奴。

香港のあの熱気と油煙の中に漂っていた香ばしい八角の香り。
バンコックの、あの末期的な排気ガスの中に漂っていたニョクマム。
あの妖しく生臭い、それはまさに、そこに暮らす人々の秘められた体臭、そのもの。
インドを包み込んだ、あのカレーというよりは、幾万の香辛料をごった煮にした芳しい香りと、
その中に咽るように立ち込める、寺院から流れるお香の煙り。
イスラム圏にはどこいっても屋台のケバブ屋から立ち昇る羊肉の焼ける匂いが漂っていて、
それが一度、あのガラタ橋を越えた途端、そこに一種、退廃的な、香水の香りが漂い始める。

とそう言えば、そして、日本の方々は、知り得ないであろう、日本の体臭。
それがなにかご存知ですか?
十数年ぶりに日本についた途端、そこで感じたのは、杉の香り、であった。
日本の家屋の最も一般的な建材である、檜とそして杉。
その清々しくも凛とした香り、あの青々しい香りこそが、
日本人が知り得ない日本の体臭、そのものであった、その筈。

東京中に立ち込めていたあの消毒液の匂いには辟易させられたが、
大阪の街に降り立った途端、おっと、と思わず膝を打つウスターソースの香り、
ならば名古屋の味噌田楽、そして広島と言えば・・・

ただ、そうやって世界の街々をめぐりながら、
そんな芳しい体臭に心を酔わせながら、
だがしかし、時としてその真逆、
その場に足を落としたとたん、おっと、と思わず息を飲む、
そんな、言ってみれば、不吉な予感に包まれた街、というのも、
確かにこの世には存在する。

街の個性、その表情。
その光線の具合から、屋台から立ち昇る煙りから、
そしてなにより、街ゆく人々のその表情。
その中に、一種、どう言ってよいのか、得も言えぬ、不吉な香り、という奴を感じ取る、
そんな不穏な瞬間。
と、その途端、後ろ頭のアンテナから、アラートが、ピピピピ、と鳴り始める。
気をつけろ、この街にはなにかがある。

その確信を深めるのが、ゴミ箱を漁る、犬たちの姿である。
犬の表情とは、つまりはそこに暮らす人々の表情、その隠しようもない生き写し。
そしてなにより、そんな不吉な街には、犬、その人々の愛の象徴である筈の、犬が、いない。

嘗ての旅の中で、ふと足を踏み入れてしまったそんな不吉な街。

それは例えば、あの開放直後の虫国。
いまだに、文化大革命と、
そして四人組の悪夢から覚めやらなかった時代の虫国、
その往く先々において、濃厚に漂っていたあの不吉な影。その匂い。
-> つまり、中国とはこんなところだった

あるいはそう、あのルーマニア。
現代の吸血鬼と言われたニコラエ・チャウシェスク、
その崩壊から末路を直前にしていたあの時期、
ルーマニアの首都・ブカレストに濃厚に立ち込めていた、
あの押し詰まった、得も言えぬ終末感。

イラク・イラン戦争の真っ只中であったテヘラン。
嘗ては中東のパリと謳われたその美しき都、
そのすべてが無残な砂煙りに覆われながら、
そこに暮らす人々の、あのすべての地獄から目を逸らそうとする、
あの末期的なまでの陰鬱感。
ー>テヘラン ~ Shifting Ground

そしてグアテマラ、そしてホンジュラス、そして、エル・サルバドール。
あの南国ムード一杯である筈の、あの陽光の中米諸国、
だがそこに立ち込めていたのは、
あのなんとも辛辣にして殺伐とした表情をした、
あの、仮面のような無表情を装った人々。、
そしてそこに刺していたおどろおどろしいまでの黒い陰。
-> グアテマラより帰る その5 ~ 怨念の街

そしてそんな不吉な街に、滞在二日目三日目と経つうちに、
その理由が明らかになっていく、のである。

その不吉な予感、その正体とはまさに、死の匂い、である。

だがしかし、それは俗にいう、死臭、
あの、切り干し大根から立ち昇る、
あの得も言えぬ不穏な、有機的な匂いとは違い、
そんな街に立ち込めているのは、寧ろその死の本質。
つまりはそれは、哀しみであり、怒りであり、諦めであり、
そしてなにより、そこに色濃く漂っているのは、まさに、恐怖。

そう、そんな街々に色濃く漂っていたのは、その恐怖と、その記憶である。

嘗ての虫国で、そしてチャウシェスクのルーマニアで、
そして、ホメイニ、というよりはラフサンジャニのイランで、
そして、中米の各国で、そこでいったいなにが行われていたのか。
そしてこの陰鬱な表情を色濃く刻んだ人々は、
いったいその瞳で、なにを見てきたのか。

そしてあろうことか、俺はこれまで通り過ぎてきたその不吉な街、
そこに漂っていたあの重い重い空気、そのものを、
あろうことか、我が第二の故郷である、
ここニューヨークで対面することになった。

あの911。
2001年9月11日。
あの晴れ渡った秋の青天の空から舞い降りてきた地獄の天使。
そこでニューヨーカーたちは、いったいなにを見たのか。
-> 911のことはできることなら思い出したくはない

それはまさしく、悲壮であり、絶望であり、恐怖であり、
そしてなにより、そこに立ち込めていたのは、
なにを隠そう、そこで失われていった、その魂、
その、怨念の号泣、そのあまりにも、それはまさに張り裂けんばかりの、
呪怨の叫び、であった。
-> そろそろ9.11から10年になるのか~?

嘗ての駄文に綴ったように、俺はあの911。
その顛末から、そして奇跡の復興の過程を肌で感じながら、
そこに見る人間の逞しさ、と同時に、
そのあさましさ、あるいはあざとさ、
つまりは、なにがあっても生き続けることへの執念と、
例え明日をも知れぬ生命であっても、
金・金・金に執着する、
その強欲の凄まじさ、そのおぞましさ。、
つまりは、人間の持つ、一種の「業」とでも言うべきもの。

ただ、そんな情念に迷いながら、
そしてなによりも、いまを持って思い知るのは、
あの時、あの場、
たまたまの運命のいたずらによってその場に居合わせては、
一瞬によって生命を奪われることになった、
その数千人の人々、
その報われることのない魂の、その号泣の声、
その悲嘆と、その哀惜と、その憤怒、
その集積たる、その怨念のあまりの凄まじさ、である。

いったいどうすれば、この迷える魂を鎮めることができるのか。

そして巻き起こったアフガン戦争。
そしてその後、なし崩し的に転げ落ちたイラク戦争、
その最低最悪の罠。

果たしてあの時、USAの怒号の中で、
いったいアメリカはなにを求めていたのか。
そして、なにより、あの場において迷い尽くしていた、
あの、死者たちの魂は、いったいなにを、求めていたのだろうか。
-> ニューヨークで聴く「止まない雨」 ~ 世界に平和をBABYMETAL





嘗て、キューバ革命の英雄とされた、
かの、チェ・ゲバラが来日した際、
達ての希望から、広島の原爆ドーム、
そして原爆記念館を訪れたのだそうだ。

チェ・ゲバラ、
あのトレードマークであった野戦服に野獣のようにこわい髭面。
そのまさに、ゲリラ戦争の最前線から舞い戻ったばかり歴戦の勇者。
その無骨な巨体を震わせては、声を限りに泣きじゃくりながら、
そしてこう叫んだそうだ。

いったいなんてこった。
こんな無茶苦茶なことが、なにを持って許されるというのか。

そして、付き添い役であった関係者たちを振り返っては、

日本の人たち、答えてくれ、
どうして日本人は、こんな目に合わされなくてはならなかったのか?
そして、なぜ、あなたたちは、こんな酷い目に合わされてまで、
この怒りを、この哀しみを、この怨念を、意地でも晴らそうとはしないのだ?

判ってる、いまに見てろ。
この恨みは、この広島の人たちの思いは、
この俺が、いつかきっと、晴らしてみせる!

このいかにも、いかにも、ゲバラらしい逸話。

激情に駆られた、とは言っても、
ついついこんなことを叫んでしまうこのチェ・ゲバラという人が、
実は俺は、嘗てとてもとても好きであった訳で、
実はそんな俺は、ライブの度に、ゲバラのTシャツ、ならぬ、
ゲバラの肖像を刻んだ銀のネックレスを首からぶら下げては、
なあに、俺の目の前にしたこの喧嘩、
ゲバラの果たしたあの大喧嘩に比べたら屁でもねえ、
そんな蛮勇の源。
つまりはこのゲバラこそが俺のあの喧嘩太鼓の守り神、
でもあった訳なのだが。

ただそう、俺はいまになって言える。
ゲバラは、間違っていた、と。

死者の魂を、人々の怒りを哀しみを、晴らすのは、
やられたらやり返す、その永遠の憎しみの連鎖、ではない。
目には目を歯には歯を、
そんな直情的な叫びは、また新たなる争い、
それに向けた俄なスローガンにすげ替えられては、
また新たな憎しみ、また新たな哀しみ、
また新たな怨念を産み出すための、
その終わりなき呪怨の集積以外には、
なにものも生み出さない。



そしていま、この俄に全世界を覆い始めたこの不穏な影。
これまで人類の犯してきたその数々の愚行、
そのすべてを、忘れた、どころか、
ともすればそれが判っていながら、
敢えてその愚かな過ちの中に再び、
自ら率先して突進を初めたかのような、
このあまりにも狂気じみたパニックの中で、
嘗て愛した巨人、
戦う平和主義者であったジョン・レノン、
あの面影を思い起こしては、
ジョン、頼むから帰ってきてくれと、
泣き言を並べ立てたこともあった。

忌の際までラブ&ピース ~ 不滅のジョンとヨーコ魂! 

できることならあのジョン・レノンの魂をこの世に呼び戻したい、
それができないのであれば、
あの、オノ・ヨーコ、
あのオノ・ヨーコをシンボルとして祀りたて、
原爆の街・広島から、世界に向けて、愛と平和と反核のメッセージ、
そんな夢物語りを、思ってもみなかったか、と言えば嘘にもなるのだが、

ー>ベビーメタル亡国論 ~ オノヨーコと中元すず香、日本の運命を握るふたりの巫女

だがしかし、そんな駄文を綴りながら、
いやしかし、と思わず長い長い溜息が漏れる。

戦いの本質を知らぬ者たちの戦争論が幅を利かすこのご時世。
生まれてこの方、一度も戦場に足を運んだことがない、どころか、
生まれてこの方、一度も、生命の危機に迫られた経験もない、どころか、
あろうことか生まれてこの方、一度だって取っ組み合いの喧嘩さえしたことがない、
つまりは、戦い、あるいは、暴力、そんなものとは、
いっさい関わりのない暮らしをしてきた、この脳天気な臆病者たちの囃し立てる戦争論、
つまりは言っている本人からしたって、
そんなことが現実に起こるなど、
これっぽっちも考えてはいないのだ。

この場で腕立て伏せの10回も続かないどころか、
100メートルは愚か、20メートル走っただけで息切れするような、
そんな無様なネット亡者たちが奏でる、この脳天気な好戦論。
そんな池沼的なまでの大馬鹿たちの脅迫に乗っては、
右へ左へと論調を翻すおかま公家のようなマスゴミたちと、
そんな無知性が齎すこの21世紀のあまりにも茶番的なファッショもどきたちの狂騒の様。

ただ、その無知性のネット亡者たちの根拠が、
なによりもその無知性にあることでも判るように、
知性のない人間になにを言ったとしても、
予めその乏しい思考回路に仕込まれたコード、
その脊髄反射の罵声が、虚しい木霊のように返ってくるばかり。

そんな人々に、どれだけ、愛だ平和だ、自由だ平等だ、と、
そんな御大層な言葉を並べて立てても、
その声が、無知性の亡者たちの耳に届くことは、まず絶対に有り得ない。

その無力感、その虚しさ、そしてその、一種の投げやりな気分。

人類はもう、ダメなのかもしれないな。

愛だ平和だ、自由だ平等だ、
そんな夢想的なまでの人権主義者たちが、
なによりそのモットーに掲げる人類愛が、
下手をすれば、この頑強なまでに無知性であり続ける、
このネット亡者たち、その徹底的なまでに洗脳されてしまった亡者ぶりを前に、

こいつら、もう、人間じゃないんだな・・

そんな投げやりな本音が、世界中を包み初めている、そんな時。

果たして、もう人類はダメなのか?
あの、徹底的なまでの無知性者たちには、どんな言葉も、届くことはないのか?

世界の有識者たちを俄に包み込んだこの絶望感の中で、
ではいったい、どんな方法で、
この不愉快な潮流から、抜け出すことができるのか?

その方法とはいったい、なんなのか?

それはつまりは、
チェ・ゲバラでも、そして、ジョン・レノンでも、
成し得なかった、奇跡、とも言える、その方法。

それが一体、なんであるのか。

その鍵を見つけることが、
いまこの未曾有の危機に直面した人類の、
その究極的な急務である。

どうやって、この怒りを、この憎しみを、この人間の業とも言うべき、
この、憎悪の連鎖の中から抜け出すことができるのか?

そしてその憎悪の連鎖、そのものを、
もはや糧、どころか、唯一の希望と勘違いしている、
そんな愉快犯的な憎悪の亡者たち、
その劣等意識に凝り固まった心を、
誰がどうやって、溶かすことができるのか?

その一つの答え。

俺は嘗て、あの911の夜に、
ここニューヨークのユニオン・スクエアで、
細やかな奇跡を、見た覚えがある。



あの911から、全米中が憎悪と悲嘆の底に叩き込まれていた時、
廃墟の空に聳えた、あの溶け落ちた鉄骨で組まれた歪な十字架。
夜を徹して行われる夜間作業の、
その青白いサーチライトに浮かび上がったあの十字架。
そこに渦を巻いていた、幾千の死者たちの、あの怨念の声。

そしてあの夜、彷徨い出た戒厳令の夜、
哀しみに沈んだユニオン・スクエア、
その悲嘆と絶望の底から、
まるで潮が満ちるように広がって行った、
あの、ボブ・マーリーの名曲、
NO WOMAN NO CRY、
あの遣る瀬無くも愛おしいメロディ。

そのすべての哀しみと怒りとそして耐え難き虚無感の中で、
敢えて人間たちが生きてゆくその理由。

その全てが、あの時、あの場所で謳われた
NO WOMAN NO CRY
ニューヨークの復興は、あの瞬間、
あの歌の中にあった、俺はいまもそう信じている。

いまも世界中に満ち満ちた死者たちの怨念を、
その哀しみを、怒りを、
あるいはそう、いまや世界中で燃え盛るこの憎悪の炎を、

それを鎮めることができるのは、
やられたらやり返す、の、報復の連鎖や、
あるいは、
馬の耳に念仏のように繰り返される、
シュプレヒコールや、あるいは、スローガン、
そんなものではない。

そこには、激情や、あるいは、言葉、
そのすべてを乗り越えた、もっともっと、霊的なまでに、
人々の魂に訴える、その直接的な方法が必要なのだ。

そしてあの911の夜、
深夜の公園で湧き上がった
NO WOMAN NO CRY
その涙にくれた合唱・・

音楽!

そう、底なしの哀しみ、燃え盛る憎悪、
その絶望と自暴自棄と、その虚無の底にあって、
人々の心に響くものとは、慰め言葉でも叱咤激励の叫びでもなく、
それはこの音楽以外には、ありえない。

ただ、と思う。

ではその奇跡の歌を、音楽を、
だれが、どうやって、
あるいは、どんな歌手が、
そしてどんな歌を、どう歌えば良いのか。

そんな死者の怨念を、
あるいは、知性のすべてを見失ってしまった憎悪の亡者たちの、
その迷える魂に触れることができるのか?

死者たちは、そして亡者たちは、知っているであろう。
人間というものの持つ、その根源的なまでに罪深き、その「業」という奴を。

そして怨念の亡者たちが嘯く。
人間とは本質的に醜いものなのだ。
争い合い、憎み合い、罵り合い、妬みあい、嫉みあい、疑い合い。
その攻撃性、その憎悪、その強欲、その悪徳は、とどまることをしらない。

そして、なにより、そんな人間たちの悪しき業、
その犠牲となった怨霊たちが、
その歌声の中に、打算や、虚栄や、慢心や、驕りや、激情や、
そしてその中に、確実に臭っているだろう、嘘、という奴。
その嘘の匂いを嗅ぎ取った時、
そんな歌声は、怨霊たちに新たな怒りを滾らせては、
亡者たちにまた新たな虚言の言い訳を与えることになるのだ。

そんな虚実の歌ばかりが世に広められては、
そこに見えるのはまさに、打算と虚栄と慢心と驕りと、そして嘘、ばかり。
それこそが、この現代社会の陥った罠。その本質なのである。

そして、あの歪んだ十字架の青白い光の中から、
そして嘗て、何万人が扼殺された呪いの大陸から、
そしてあの吸血鬼の犠牲者たちから、
そしてあの戦乱の巷から、怨念ばかりを募らせた死者たちの、
呪いの高笑いが響いてくる。

そしてその呪怨に誘い込まれるように、
そして人類は再び、嘗て被ったその悲劇の中、
その罠の中に、再度、みすみすと、嵌り込もうとしている。

改めて、この人類の悪しき業という奴。

それはまさに、人類の歴史の中、
その眉間に深々と刺さった、棘、のようなもの。
その呪いの剣が刺さっている限り、
人類はその呪われた轍から、抜け出すことができない。

その呪いの剣、その呪縛の中から、
人類は抜け出すことができるのか?

あるいはみすみすと、似たような過ちを繰り返しながら、
いつしかその方法ばかりをアップグレードさせては、
5人が10人に、10人が100人に、そして千人が万人に、
人類が宿命的に抱え込んだこの呪いの連鎖を、
効率という悪知恵の下に、拡大していくだけなのか。



いま人類は、歌を必要としている。
それはまさに、世界を愛で包む歌声、である。

慰めの言葉でも、激情を込めた叱咤でもなく、
それはまさに、魂の根源を揺さぶる歌。

それはつまりは、あの、911の憎悪の底から、
まるで奇跡のように広がった、
NO WOMAN NO CRYの歌声のように、

この悲しみの底から、その憎悪の炎の中から、
まるで不死鳥のように、人間の持つ、また一つの特性である、愛。
その聖なる魂を呼び覚ますための奇跡の歌声。

それは嘗て、恨みを込めて死んでいった、
そんな怨念に包まれた魂たち、
そして、そんな呪怨に取り憑かれたかのような、
この邪悪な亡者たちの魂を揺り動かす、
その奇跡の歌声、である。

そこにはどんな打算も虚栄も慢心も、
驕りも昂ぶりも作為も、あってはならない。
そしてそこには、いっさいの嘘は、許されない。

果たして人類に、その奇跡の歌声を作り出すことは、可能なのであろうか?

改めて言おう、その人類を救う、奇跡の歌声、
人類の歴史、その眉間の真ん中に突き刺さった、
この悪しき業、という剣を引き抜く者。

その歌い手こそを、人類は、新しきメシア、として待望している、その筈なのである。



という訳で、お待たせしました。
ここまで来てようやく、我らが歌姫、
中元すず香さんにご登場頂く、そのお時間でございます。

改めて、この、広島公演で謳われた、
NO RAIN NO RAINBOW、

俺はこの映像の中に、そんな奇跡、その確かな手応えを感じた。

そしてその歌声の中に、
嘗て、あの、憎悪と悲嘆の底にあった、
あのユニオン・スクエアで広がった、
NO WOMAN NO CRY、
あの音楽の持つ根源的な、
それはまさに、魔術的といえるほどのパワー、
それとまったく同じものを、
俺はこの、ベビーメタル:広島公演、
その珠玉の金字塔である、
NO RAIN NO RAINBOWの中に見た。

そしてその思いは、あの場に居合わせた、
そして、この海賊動画を、運良く見ることのできた、
そのすべての人々に、激しくご納得頂ける筈である。

このNO RAIN NO RAINBOWにこそ、
すぅメタル、こと、中元すず香のすべてがある。

そしてこのすぅメタル、こと、中元すず香こそは、
まさに、この広島という土地で、
この曲を歌うために天が送り給うた、奇跡の歌姫、なのである。

そして改めて、これまで幾たびか話題になってきた、
あの、すぅメタルこと、中元すず香の、その唱法。

あの、何一つとして飾ることのない、隠し立てすることのもののない、
それはまさに、賛美歌、というよりは、幼い子どもたちが、
無心になって声を響かせる、あの児童唱歌のような歌声。

そこには打算の欠片も、虚栄も慢心も驕りも、なにひとつとしてない、
それはまさに、嘘のなにもない、赤裸々なまでの魂の歌声。

その全てが、この広島という場所で、
この歌を歌うため、そのためにあったのではなかろうか?

つまりはそう、
広島で死んでいった、そのすべての人々に、
そしてその後の日本の中で、
ともすれば、その存在自体さえも抹消されようとしていた、不幸な歴史を背負い続けた人々に向けて。
その悲しみを、その哀惜を、その未練を、その無念を、
その怨念のすべてを包み込み、そして洗い流す為に。。

そしてあの夜、あの呪われた街でもあった広島、
その12月の寒空の下で、
嘗てこの地で潰えた、幾千もの魂が、
声を上げて啜り泣く、その声を、確かに、聴いた筈だ。

ありがとう、ありがとう、ありがとう・・

この広島という街で、
そして、この世界、その津々浦々で、
忘れるに忘れられないトラウマの記憶、
その悲しき呪縛の中に封印されてきた魂が、
いま、この瞬間に、すべてを洗い流され、解き放たれ・・

その奇跡の瞬間を、あの場にいたすべての人々が、
そしてあの街にいたすべての人々が、
確かに、確かに、感じていた、その筈である。

そう、中元すず香は、まさにこの広島で、
この歌を歌うために存在してきたのである。




そう、すぅめたるのこの歌声、
ロックでもブルースでも演歌でも歌謡曲でも無く、
それはいうなれば、児童唱歌的なまでに裸一貫のストレート、
その赤裸々に、剥き出しなまでに、飾り気のまるでない歌声。
それはつまりは、魂の歌。
まやかしのテクニックやら、虚栄心やら慢心やら、
照れや衒いや、媚やへつらいや、
ましてや怨念に怨念を重ねた情念の叫び、やら、
そんなものの一切ない、
それは言うなれば、まさに天使の歌声。

つまりは、そう、このすぅめたる、その姿。
そのなにひとつなにも飾ることのない、隠すもののない、
魂のその奥の奥。
その透明なまでに透き通った真心、その歌声。
それこそが、彼女が、神降ろし、と言われるその由縁であり、
それだからこそ、すぅの声は、魂に響く、呼応する。

そんなすぅめたるのこれまでの歌修行の中で、
見せかけのテクニックにも、
お涙頂戴演出的な情念ぶりっこに騙されることもなく、
ただひたすらに、児童唱歌的なまでの、
魂の歌声を掘り下げては研ぎ澄ましてきた、その理由。

つまりはこれ、だろ。
つまりはそう、この広島で唱う、NO RAIN NO RAINBOW。

この広島という地で、嘗て消えていったその生命、
この非業の魂の陥っていた永遠の呪い、
その哀しみの呪縛の中に封印された魂を解き放つためには、
この方法しかなかった、それを彼女は判っていたから。
それ以外になにがある?

まあそう、そんなことは俺がわざわざ言うまでもなく、
すぅちゃんを知るものなら誰もが判ってた筈。
だから泣ける。だからこそ、心の底から感動できる。

だって、すぅちゃんの歌には、嘘が、ないから。

その見事な証が、この広島公演。

すぅはこの歌を歌うためにこれまでやってきた。
その二十年の人生のすべてを傾けた、強いては人生の総決算。
そう、この広島のステージこそが、すぅめたるの、いまのところの総て、
であった筈だ。

そしてなにより、この瞬間こそが、
ベビーメタルのすぅめたる、として、その見事な変身、
それは、憑依とも言われるほどの女優的な成り切りの中で、
その姿を、一種演技していた筈のすぅめたるが、
この瞬間、このNO RAIN NO RAINBOWの中で、
その本身たる、中元すず香と、完全に一体化した、
その、奇跡の瞬間。
これこそが、気剣体一致、ならぬ、気歌体一致、その極意。
祈念と、身体と、そして、その表現手段である歌、
その想いと、魂とが、歌の中で、完全に融合し、見事に昇華した、
その、完璧なまでの覚醒の瞬間であった筈だ。

で、旦那、どうだった?
この広島公演、生で見たそのすぅめたるの姿。

そこにまさに、神を見た、まさに、そんな感じだったんじゃないのかな?

いやあ、まったく羨ましい限りだよ。

それは、世に言われるように、良いコンサートが見れた、
遠路遥々遠征した甲斐があった、
すっかり元が取れたぜ、
なんていう打算的なことではなく、

なによりもこの広島凱旋公演という日が、
すぅめたる、つまりは、中元すず香の人生において、
とてもとても大切な、それはまさに、人生のエポック。

そんな中元すず香の人生における、最も大切な一日に、
生き証人として参加することができた、その事実。

つまりは、中元すず香のその人生に、
曲がりなりにもコミットすることになった、
その重要性って訳でさ。

この先、何十年経って、
そうそれはもしかして、
俺があの場でひょっこり出くわした往年の大女優。

思わず駆け寄っては、あのあのあの、大ファンだったんです、

なんてことが、

もしかしたこの先、数十年の後、
すぅめたる、こと、中元すず香さんと、
そんな会話を交わすチャンスが、
転がり込んでくるかもしれない、そんな時。

あの、すぅちゃん、俺、実は、あの広島、
あの2017年12月、あの二十歳の凱旋公演で、
あなたの、NO RAIN NO RAINBOWを、生で聴いたんですよ。

そんな言葉を聴いた時、中元すず香嬢は、必ず必ず、
心からのお礼の言葉を返してくれる筈だ。

そうですか、あれを、ご覧になって頂いたのですか・・

そしてふと見つめ合う視線と視線、その目がみるみると潤み始め・・

そう、あの瞬間こそは、すぅめたる、そして、中元すず香の人生、
その中の、最高傑作。
その瞬間を、永遠に、中元すず香とシェアすることができる、
そう、旦那たち、旦那たちは、
その永遠のチケットを手に入れたってことなのだから、と。

そしてこの、NO RAIN NO RAINBOW、

第一日目のあのステージで、
この NRNRの後に控えた、最愛の4の歌、
その開始が、ちょっと遅れた、その理由について、

最愛の心の準備を待つ間の、
やだ、できない、わたし、できない、とパニクる最愛を、
まあまあ、大丈夫、大丈夫だから、
だったら俺が、隣についていくから、と、
必死にあやすコバめたる、

なんてところから、

もしかして、神バンドの器材になんらかのトラブルがあって、
やら、

そんな謎解きが繰り返されているようではありますが、

そう、俺的には敢えて、こう言いたい。

あのNO RAIN NO RAINBOW、
あの、すぅめたるの歌声に、会場中は愚か、
そのスタッフ一同、神バンドから、コバメタルから最愛までもが、
茫然自失の魂抜け状態。

思わず泣いて泣いて泣きじゃくっては腰が抜け膝が砕け・・

そう、あの NO RAIN NO RAINBOWには、
それだけのインパクトがあった。それだけの価値があった。

つまりは、すぅめたる:中元すず香という歌手が
その魂の、人生の、すべてを賭けた、その珠玉の一曲。

その想いを、その事情を、知れば知る程までに、
中元すず香がこの一曲になにを託したのか、
その衝撃に、身も心も、打ちのめされていた、その筈なのだから・・

そしてすぅめたるは、中元すず香は、歴史を変えた。

あの瞬間、この世を包んだすべての魂が、
身体を震わせては咽び泣き、

ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、

夜空を包む、幾千、幾万、幾億の魂から、
そんな思いが迸り出ては満ち溢れ・・

そしてその歌声が、いつか、世界を包む、その時まで。

それこそが、ベビーメタルの世界征服、
と同時に、それこそが、
この広島の戦いを終えたベビーメタルが、
この先、見果てぬ大地を進み続ける、
その理由、でもあろう、と。

そしていま、世界が中元すず香を、
そしてその使徒である、ベビーメタルを求めている。

人類の歴史のその眉間の真中に突き刺さった、
悪しき業、という名の、剣を抜き得る、メシアの降臨を。

そしてそれこそが、我らがベビーメタル、
すぅめたる、こと、中元すず香に託された、
その使命、つまりは、宿命である、と。

そして、あの広島公演、
あの、NO RAIN NO RAINBOW、
あの神降ろし、どころか、それはまさに、神と一体化しては、
この世の精霊のすべての魂を揺り動かした、
その奇跡の瞬間に立ち会った方々、

俺の並べるその戯言が、妄想ではない、
その事実に、深くご共感頂ける、そのはずである。

そして、その奇跡の瞬間の、
その一大クライマックスであった THE ONE。






俺はこのTHE ONEの中に、
小林啓さん、その一生の夢の結実を見たであろう、
それを確信する。

俺は、この瞬間、このTHEONEを聞くために、
ここまで、ここまで、ここまで、やって来たのだ。

そのすべての思いを込めて、
行け、ベビーメタル。

広島の除霊は終わった。
そして、いま、世界中がその女神たちの降臨を、
いまか、いまか、と待ち望んでいる筈だ。

そしてコバさん、
なによりも、この、NO RAIN NO RAINBOW、
そして、この、THE ONE。

無理は言わない。
ただ、これだけは、この二曲だけは、
それはもう、著作権だ、なんだ、そんな次元をすべて超越して、
それはまさに、人類の遺産、どころか、人類再生誕のその礎として、
オフィシャルに共有する、その使命が責任が、ある、と、
そう思うのですが、如何でしょうか?

そして、ベビーメタル、
そして、神バンド、
そして、この公演を実現させてくれたチーム・ベビーメタル、
そして、アミューズ社の方々から、
そしてなにより、この公演を、ここまでの成功に導いたメイトの諸君。

人類を代表して、心からのお礼を申し上げる。

そしていま、すぅめたるによって解き放たれたすべての魂が、
虹の回廊を渡っていく、そんな声が聴こえる。

ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。。

ベビーメタルよ、永遠なれ!
そしてその戦いは、いま始まったばかり。




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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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