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犬の散歩からのささやかなる教訓

Posted by 高見鈴虫 on 22.2017 犬の事情   0 comments
実は先日よりまたまた妻が日本に里帰り中である。

昨年末に亡くなった義理の父のその一周忌という奴なのだが、
まあそういう事情から今年もまたクリぼっちの寝正月、
となりそうな塩梅、なのはまあ良いとしても、
そう、ひとりにされて一番苦労するのがなによりもこの犬、
我が唯一絶対の相棒であるところのこの困った輩、なのである。

朝も暗いうちから起き出しては、
夜明け前の街を抜けて公園へとひた走り、
8時を前にして飛んで帰っては、
取るものもとりあえず、足を洗って身体を拭いて、
水をやって、飯をあげて。
そうこうするうちに、しまったもう5分の遅刻。
ああくそったれ、と、悪態のすべてを噛み殺しながら会社にかっ飛び。
そして一日中を、どことなく気もそぞろ。
5時の終業と同時に会社を飛び出し、
帰ってた同時に急げ急げと散歩に駆け出し、
身体を拭いて飯をやって、
そして息つく暇もなく、夜の散歩へと連れ出さねばならぬ。
その永遠の繰り返し。

改めて、ニューヨークにおけるこの暮らしの中で、
一人暮らしで犬を飼うことのあまりの労苦。

そのシングル・ダディの辛さを、
その愛の代償のあまりの重さを、
これでもか、と思い知らされる、
なんてことも、いまに始まったことではない、
そのつもりではあるのだが・・





実は今回、かみさんの帰国と前後して、
ニューヨークにちょっとした大雪が降ったのだが、
新雪のうちは良いとしても、厄介なのがその後始末。
つまりは凍りついた残雪の上から、滑り止めの為の「塩」が、
これでもか、とぶち撒かれる訳なのだが、
そう、この塩、この滑り止めの塩が、犬の大敵なのである。

前々から触れているように、この塩が犬のパウ、
つまりは足の裏に沁みる。
で、この塩によって焼かれた足の裏を、
ひりひりする~とばかりに舐め取ろうとすればするほどに、
その付着した塩分の過剰摂取が起きる訳で、
人間に比べて塩分を自然分泌する力のない犬にとって、
この塩分過剰摂取はもはや大敵どころか冬の天敵。
とたんに酷い下痢を起こして、放っておけば脱水症状、
下手をすれば肝臓障害を起こして死に至る、なんてことさえもある。

その事情を知らなかった頃には、
冬になるたびに襲われるこの大下痢、そのたびに慌てふためいては、
ちょうどこのクリスマスの時期には、獣医さんとの間を行ったり来たり。
まあそんな事情は獣医であるならば当然承知しているのであろうが、
あちらさんも商売である。
血相を変えて飛び込んで来ては、下痢便のつまったビニール袋を振りかざしながら、
うちの犬が大変だ、どうにかしてくれ、クリスマスどころじゃない、と騒ぎ立てる、
そんなおっちょこちょいの飼い主たちが、一挙に獣医さんに押しかけては、
それはまるで銀行の取り付け騒ぎのような剣幕で騒ぎまくる姿を前に、
ああ、はいはい、そこまで言うなら、とばかりに、抗生物質の注射から始まって、
栄養補給のブドウ糖の点滴から、レントゲンから内視鏡検査からマンモグラフィー!?

とまあ、そんな犬バカたちの狂騒も、
ニューヨークの冬の風物詩とも言えるかもしれない、
この俄な下痢便騒動。

まあそんな事情、そのカラクリに気づいてしまった今となっては、
雪が降るたびの完全装備。
つまりは青いゴム性の風船状、そのブーツを履かせては、
大切な犬が下痢を起こすことがないように、
家に着いた途端にバスタブにぶち込んで、
まるでゴボウかじゃがいもでも洗うように、
ゴシゴシゴシゴシと4つのパウを洗って洗って洗いまくる。

まあそうまでしてようやくあの塩焼けからの下痢便騒動を回避できる訳でもあるのだが、
ただそう、犬にとってはそのいちいちが、いい迷惑、なのである。

おいこら、人間ども、
雪で滑るのが嫌なのなら、要らぬ塩など撒かないで、
人間も四つ足になって歩けばいいじゃねえか。

ただそう、良い意味でもそして悪い意味でも、
この地球はもはや人間様の天下である。
早々と犬の事情にばかり合わせくれ、というのも無理な話で、
という訳で、かみさんが帰国してからと言うもの、
朝も早く、暗いうちから飛び起きては犬の散歩、
その前に、嫌がる犬を追いかけ回してはは押さえつけて、
この青いブーツを履かせなくてはいけないのだが、それがまた大騒動。

で、ようやく外に出たとしても、残雪が凍りついた舗道、
その上にばら撒かれた塩が結晶になっては固まって、
そして車が通り過ぎる度に、塩の噴煙がもうもうと立ち昇る。
そんな中を散歩にでても、犬も人間も、まったくもって堪ったものではない。

おい、早く行くぞ、さっさとおしっことうんちを済ませてくれ。
俺も早々とお前のために遅刻ばかりってわけにもいかねえんだ。

そんな俺の事情など知った事かとばかりに、
足が冷たいだ、そっちには行きたくないだ、塩が沁みてきただ、
と文句ばかりを並べては、挙句の果てに道の真中に座り込んではストライキ。

いやだ、そっちには行かない、その道は通りたくない、まだ帰らない、ぜったいに帰らない。

そうやって頑張られる度にほとほと参り切っては、
真面目な話、もう勝手にしろ、とばかりに、手綱をほったらかして
そのまま先に行ってしまったりもするのだが、
普段であれば、それをやった途端に、やれやれと嫌々ながらも着いてくる筈の犬が、
今回に限って、ふん、それならそれで勝手にしろ、とばかりに、
どこまで行ってもその場で頑張り続けていたりもする訳で。
いやはや、誰に似たのかこの地獄のような強情ぶり。
かみさんが散歩をさせるようになってから、
ますますこの強情さに磨きがかかったようである。

おい、行くぞ!
いやだ、まだ帰らない。
まだ帰らないって、俺が会社クビになったらどうするんだよ。
そんなこと知ったことか。
あのなあ、もういい加減にしろ。まじでおいてくぞ。
勝手にしろ。帰らないと言ったら帰らない!
だったら置いてくからな。
上等だ。勝手に帰れ。ボクは帰らない。
判った。じゃな。元気でな。
ふん。どこにでも行きやがれ。
俺はもう知らないからな。
ふん、こっちだって知ったことか。

そう、俺達は似ているのである。
犬と飼い主の顔つきが似てくる、という話はよく聞くが、
自分で言うのもなんだが、この犬、
なにからなにまで、俺にそっくり、なのである。
それが俺にも、そしてたぶんあいつにも判っている。
判っているからこそ、たびたびに渡ってこういう衝突:コンフリクトが起こるのである。

ただ、そう、どれだけ似てる、とは言っても、
俺は人間様、そして相手は犬っころである。
俺には一応、社会人としての人権が認められているのに対し、
犬にはその、権利というものが存在しない。
俺が犬をここまで思い上がらせてしまったのも、
ただたんに、俺が、俺自身が、時として我が身以上にこの犬の存在を重く見ている、
その俺自身の事情に過ぎない訳で、
つまりは、俺以外の人間にとっては、
こんな犬はただの、やたらと人相の悪い雑種犬に過ぎない、のである。

つまり、俺がいなくなった途端に、この犬には権利どころか、
生命の保証さえもなくなってしまう、それがつまりはこの犬の宿命。
とした場合、犬の身になにかがあって、一番困るのが、この俺、俺自身。

という訳で、深い深い溜息、どころか、思い切りの舌打ち、どころか、
もうこれは、地団駄を踏んではゴミ箱を蹴飛ばして看板という看板をなぎ倒し、
つまりは、普段は社会人として抑えに抑えている筈のあの癇癪玉が一挙に炸裂しては
大通りにの真ん中で犬を相手に、馬鹿野郎だ、糞野郎だ、イカだ、タコだ、犬畜生だ、
てめえこのやろう、大人しくしてればつけ上がりやがって
舐めんのもいい加減にしろ、ぶっ殺されねえうちにさっさと・・
と、そんな罵声を、それも本気の本気で怒鳴り散らしながら、
その剣幕を前に、犬は犬で、ふん、と横を向いたまま、
知った事か、と思い切りのシカトを決め込んでやがって、
この野郎、どこまでもふざげやがって。
あのなあ、俺がどんな思いをして、
毎日毎日朝も早くから暗いところを起き出して、
その恩を仇で返すとは、おめでてえにもほどがあらぁ。
言わせて貰えば、お前の飯代を稼ぐ、それだけの為に、
毎日毎日あのくそ面白くもねえ仕事を糞のような奴らと、
それもこれもみんなお前のため、お前のためと思って、
それをなんだよ、この野郎。人の気も知らねえで、馬鹿野郎が。
あのなあ・

と見れば、このあまりの剣幕を前に、
ふん、と横を向いた犬が、しかし、横を向いたまま、
よく見れば、プルプルと震えているではないか。

なんだよ、お前、寒いのか?
風邪か?風邪引いたのか?
ちょっと見せてみろ、鼻乾いてるか?耳は?手は?

犬はすでに、まるで石のよう岩のように、徹底して動かない。
殴るなら殴れ。蹴るなら蹴れ。死んでやる。
こんな仕打ちをされるぐらいならひと思いに死んでやる、とでも言いたいような・・

し、し、し、しまった・・

ああやれやれ、である。
そう、こいつは全くそういうやつだ。

どれほど敵わない相手であっても、
負けたというまでは喧嘩には負けねえとばかりに、
勝てない喧嘩にみすみす顔を出しては意地と根性だけで
最後までぶっ飛ばしてしまう、そんなところのある奴なのだ。

なんだよ、まったく。なんなんだよ、それはよおお。

思わず、こめかみの血管がブチ切れては、
涙が滲みそうになりながら、

あああああ、もう嫌になった、なにからなにまで嫌で嫌で嫌で、
と泣き言を叫びながら、えいやあとばかりに犬を抱え上げ。

朝の出勤途中、犬を相手に訳の判らない言葉で罵声を響かせ続ける、
この謎の東洋人の姿を、畏敬とそして思い切りの侮蔑を込めて見つめながら、
そしてそんな俺達の前、ニューヨークの雑踏のその真中がパカリとふたつに割れては、
その、くっきりと道が出来る、のである。

という訳で、そう、かみさんが居なくなって以来、
毎日がこの調子である。
挙句の果てに、飯は食わない、呼んでも来ない、
頭を撫でれば避ける、どころか、
ついには俺の顔をみるとそそくさと逃げ回り初め。
で、思わず、
なんだよ、お前、その態度は!
などと声を荒立てみれば、
ふん、と横を向いたその顔に、
どことなく、明らかに、怯えが見える。

しまった・・ そう気付いた時にはすべてが遅く・・

我が最愛の相棒、その唯一絶対の友の見せた、
この思いも拠らぬ拒絶を前に、
俺はつくづくこの我が身を哀れみたくもなるというものだ。

俺は、いったい、なんのために、生きているのか、
と思わず神を恨んでは地団駄を踏みたくなる、
そんな思いに駆られながら、
改めて、この思わぬ失態のその途方もない後始末・・

という訳で、改めて言うまでもなく、
この世において、一番辛い思い、というのは、
愛するものに嫌われる、その状態、なのである。

判ってる、男なんて所詮は消耗品。
そんなことは重々身にしみている。
それが判っているからこそ、
この消耗品たる我が身を顧みず、
愛するものの為に、精魂を尽くして尽くし切る。
それこそが男の本懐である、その筈、であるのだが。

よりによってその愛するべき、守るべきものから、
嫌われる、どころか、怯えられてしまっては、
なにもかも、その一切が、水の泡、ではないか・・

これは一種の、愕然、であった。

なあ、相棒、いったいどうしたんだよ。
俺はそんなに大きな声を出したか?
蹴飛ばしたといっても、それはゴミ箱であってお前ではないだろう。
確かにそれは、言うことを効かないとこういう目に合うぞ、
というデモンストレーション、そのつもりが無かった、と言えば嘘になるが、
ただ、俺とお前の仲じゃないか。
俺がいままで一度だって、お前に手を上げたことがあったか?
手を上げたとしても、殴ったのは壁、あるいは、電柱、ぐらいなものではないか。
俺は誓って言うが、お前には、お前にだけは手は上げない。
例え、お前以外の他の奴らに、なにをしようとも、
お前には、お前にだけは、絶対にそんなことはしない、しなかった、その筈だっただろう?

ただ、現実問題として、この犬、
この唯一絶対の最愛の輩の見せる、このあまりの拒絶。

おいおいおい・・・

という訳で、改めて、手痛い、手痛すぎる、教訓という奴である。

それがいかなる理由があったとしても、
そこにどんな意図が、建前があったとしても、
暴力は、体罰は、ペイしない、絶対に。
強いては、そんな暴力に、体罰に、
その高圧的な上から目線的な暴発性に裏打ちされた、
愛の鞭、なんてものは、
絶対の、絶対に、ろくな結果は、齎さない!

なによりも、見ろ、この最愛の輩、
その目に宿る、この怯えが、この悲しみが、この卑屈な表情が。

それがいったいどんな理由であれ、
愛するものが見せるこんな姿を、
どこの誰が望んでいるだろうか、と。

この世にこれほど悲しいことがあってなるものか、と。
この世にこれほどまでの失意が、あってなるものか、と。

躾けだ?教育的懲戒だ?
力による平和だ?圧力による調停だ?

そんなものは、すべて、嘘っぱちだ。

それはただ単に、それを押し付ける側のエゴ、横着、
強いて言えば、それは、ただたんに、見苦しいヒステリー、
それ以上でも以下でもない。

例え、どれだけの力を持ってしても、
例えその圧力とやらが、どれだけの効果が見えたとしても、
そんなものは、ただの一瞬、
ただの一時的な表面的なものでしかありえない。

そうやって力で押さえつけては踏みにじれば踏みにじる程に、
見ろ、この、卑屈な目、その屈辱的な、その無気力な、
この悲しい眼差しを見てみろ。

違うだろ、と思わず。
違う、違うだろ。お前はそんな奴じゃない。
そんな卑屈な態度を、そんな悲しげな瞳を、
そんな無気力な表情を、そんな奴じゃなかった筈だろ。

その全てが、つまりはこの俺のエゴ、この俺の癇癪、
この俺の、無様なヒステリーにあるのだろう。

改めて、暴力は、体罰は、
それに裏打ちされた、高圧的態度は、
なにがあっても、絶対に、ペイしない。意味をななさい。

もしそれを、少しでも肯定するものがあったとしたら、
その輩こそが、アビューズド・ドッグ、
つまりは、己の被ったその不幸を、相手に対して押し付け続ける、
その不幸の体現者、その拡散者でしかないのである。
すべての不幸のその連鎖が、まさにそこから始まっている。



という訳で、抱え上げた犬。
御免な、と思わず。
ごめんなさい、ごめんなさい、と、涙が滲む思いで、
その足を、その瞳を、その歪んだ口元を、
思わず、ぺろぺろと舐めあげたくもなった冬の朝。

いやあ、我ながら、俺は喧嘩に、弱い。

そう、改めて俺は喧嘩に弱い。

その一時的な癇癪で、気に入らない奴を黙らせる、
それぐらいなら屁でもない、そのつもりであった筈が、
いざ実際に、この愛犬の、
その瞳に宿った怯えを、軽蔑を、その拒絶を前にしたとたん、
いきなりパニックに陥っては、ごめんなさい、ごめんなさい、と、
床に平伏し、あたまを撫で、足を舐め、
そうまでしても、
だがしかし、一度ぶちまけてしまったその癇癪は、
決して、取り戻すことができない、そのあまりに致命的な過失。

だったら、とばかりに、その高圧的な態度を貫いては、
一生に渡って、憎まれ役を貫き通す、というのも、
まあ、それはそれなりの生き方ではあるのだろうが、
ただ、その姿、まさに醜悪そのもの。
そこには、少なくとも、男の美学やら強さやら、
威厳やら尊厳やら、そんなものは、これっぽっちも感じることができない、
そう、つまりは俺も、少しは歳を取った、ということ、なのだろう。

改めて、暴力、体罰、あるいはそれに裏打ちされた、イジメ、
その全てが、あまりにも薄っぺらく、あまりにも浅はかな、
これ以上なく醜悪なもの、まさに唾棄すべき恥辱、それ以外のなにものでもない、
その事実をこれでもか、と思い知らされながら、
家に着いた途端に、飯も食わずに不貞寝を決め込んだ犬、
その身体を恐る恐る撫でながら、
ごめんな、まじで。もう二度と、お前に怒鳴ったりしないから、
だから、許して、お願いだから。
とかなんとかやってるうちに、おいおい、今日も遅刻だよ・・



とまあ、そんなことがあった冬の朝。
一日中をため息ばかりで過ごした後、
5時を過ぎていきなり立ち上がっては、
ごめんなさい、今日はここまで、とばかりに飛び出して、
一路、辿り着いた峠の我が家。

あいつ、まだ怒っているかな、と恐る恐る開けたドアの間から、
いきなり飛び出してきたこの白い弾丸。

おおおおお!早い早い、今日は早いじゃないか!

なんだよお前、一日中をそうやってドアの前で待っていたのか?

そう、朝の出来事を、一日中気に病んでいたのは俺だけじゃなかったのか。

という訳で、一日を経て突如として態度を豹変させたこの犬。

なに?つまりは、このブーツ?この冬用のコートが嫌だった、ただそれだけの話?

わかったよ、だったらそう、もうこのブーツも冬用のコートも無しだ。

足が痛くなったら背中におんぶしやる。寒かった胸に抱えてやる。

だからもう、頼むから、あんな悲しい顔はしないでくれ。

という訳で、とるものもとりあえず走り出た薄闇の街。

午後に降った雨の後、これまでの冷え込みがまるで嘘のように、
春先を思わせる緩んだ風のそよぐ中を、
ブーツも無くコートもないまま、まさに夢のような溌剌さで闊歩しながら、
その表情の、なによりもその、キラキラと輝く視線。

ごめんな、とつぶやくたびに、え?なんのこと?と小首を傾げながら、
この愛らしい姿こそが、一生の支え、その喜びを改めて噛みしめる冬の夜。

という訳で、今更ながらのこの教訓。

旦那、そこの力自慢の旦那。
頑固おやじを気取る、その侠気の、その威厳の尊厳の。
そんなことに、うじうじと拘ってる、時代錯誤のナルシストのおっさん。

あんたの腕っ節が強いか弱いか、
その癇癪の炸裂がどれだけ凄まじいか、
そんなことは、今更ながら、その愚かさの露呈
それ以上でも以下でもない。

躾けだ懲戒だ、
力による平和も、力による調停も、
それはすべて、やる側の都合、
その一番手っ取り早い、短絡的な発奮、
強いてはそれはただたんに見苦しいヒステリーの発作、
あるいは、醜悪な加虐趣味、その押し付けに過ぎない。

もしもあなたが、人の悲しみが、痛みが、
その苦渋が、不幸が、痛苦が、好きで好きでたまらない、
そんなサディスティックな変態野郎でないとしたら、
暴力は、体罰は、力の行使は、圧力の無理強いは、
果たして、なにひとつとしてなんの解決も齎さない、
その事実を、改めて、思い知るべきだ。

少なくとも、俺はそんなのは御免である。
その最愛の者、その瞳から表情からに、
怯えや、卑屈や、屈辱、そんなもの、見たくはない、絶対に。

愛するものには、誇りある、毅然として、凛とした態度、
その健全な、溌剌として、伸び伸びとした、そんな姿を貫いて欲しい、
そう思えば思うほどに、暴力や、体罰や、力の行使や、圧力や、
そんなものは、百害あって一利なし。
その事実を、心の底から、思い知るべきなのだろう。

果たして、力と力、その鬩ぎ合いというものが、
この社会から人類から、徹底的に拭い去られてしまったとしたら、
それはそれで、様々な弊害も出てくるであろうことは重々承知しながら、
だがしかし、だとしても、
愛するものの瞳の中に、卑屈な怯え、そんなものを見せられるぐらいであれば、
そのすべての弊害を飲み込んでも、
力の行使による一時的な解消、その短絡だけは、なんとしても、回避するべきであろう。

暴力ダメ絶対、体罰ダメ絶対、イジメ駄目ぜったい!

幸せになろう、積極的に、幸せになるために、努力を続けよう。
それにはまずは、俺自身が変わることなのだ。

愛には犠牲が伴う、それを覚悟を持って享受することが、
大人になることの第一歩であるように、
幸せになるためには、なによりの努力が必要なのである。
その痛感の度合いこそが、人間の深さ、その意味そのものなのだから。

そのためにはまずは、暴力に拠る解決、その選択肢の一切を、忘れ去るべきなのだ。

すべての暴力を思い切り貶め!

そう心に言い聞かせたとき、今更ながら、ちょっと違う世界が見えてきた、
それはまさに、猿からまた一歩、人間様に近づけたのかな、
そんなことを、思ったりもしている。

犬の散歩からのささやかなる教訓であった。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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