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「騎士団長殺し」を読む ~ これは村上春樹のパノラマ現象か?

Posted by 高見鈴虫 on 12.2018 読書・映画ねた   0 comments
実は、と始めると仰々しいが、
実は昨年末、妻が旅立った、そのあたりから、
この長文乙は、すっかりと冬眠モード、なのであった。

そう、言わずと知れたこの大寒波の氷漬け、
と、実はそれを口実にでっち上げては、
そう、いまや妻が消えた途端に始まる、
その恒例となった、この読書癖。
つまりは、つかの間の妻の不在時、
このなんとも宙ぶらりんな、
あっけらかんとすっからかんになった部屋の中で、
半ば呆然としながらも、
そんな時になると、どういうわけか妙な具合に、
村上春樹、が読みたくなってしまう、
俺という人は、実は、そういうもの、であるらしい。

という訳で、妻が旅立ったその翌々日、
俺はまたまた、鬼の居ぬ間の洗濯、
ならぬ、ブックオフ。

そこで見つけた、村上春樹。

言うまでもなくそれこそが、去年の日本を騒がせた、
7年ぶりの長編であるところの「騎士団長殺し」

そう、実は俺は待っていた。
この時を、この妻の不在の、あっけらかんとしてすっからかんになった、
この瞬間に、この「騎士団長殺し」を読む、
そのことこそが、今回のこの妻の不在のクリぼっち、
犬とふたりで取り残された年末年始、
その間の、唯一の、愉しみ、あるいは、使命、だったのである。





という訳で、この「騎士団長殺し」

クリスマスから、そして、それを待ち構えたように始まった、
この殺人的なまでの大寒波から、
大晦日から、そして正月まで、
この、騎士団長殺し、読んで読んで読み耽っては、
読み耽り続けた、この冬眠期間。

で、そう、この騎士団長殺し。
その、新作が発表されてからというもの、
実は妙に気になっていた、その理由というのが、
まずはこの、題名、である。

風の歌を聞け、から、羊を巡る冒険から、
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドから。
そして、ねじまき鳥クロニクルから、
あるいは最近の、1Q84

これまで、その題名だけでも、
さっすがの、村上春樹。
つまりは、その題名からして、
これは売れるであろう、それを確信した、
そのあまりにもキャッチーなその題名が、
今回に限っては、「騎士団長殺し」
なんだそれ、なんか、変なの。

そう、この「騎士団長殺し」というこの題名。
これまでの村上春樹の、その題名からは、
ちょっと、あまりにも、外れ過ぎる、
言ってみれば、何だこれ、的なまでに、
この一種、ちょっと外した題名、
その妙な違和感の中に、
この「騎士団長殺し」
これは、なにか、あるぞ、と、それを直感していた、訳なのである。

という訳で、
遂に手にしたこの分厚い本に、
これほどまでにちょっとしたワクワクを覚えるのは、
やはり、村上春樹、そして、村上龍、
あの、ダブル・村上、その両巨匠の全盛時代の名残りという奴か。

あの龍ちゃんの、愛と幻想のファシズムの時なんか、
世界の恋人・魅惑のJカップのエリーちゃんまでが、
時間の止まった週末に叩き込まれては、
ねえねえ、土曜日だっていうのに、誰一人としてつきあってくれないのよ。
いったい、あんたたち、どうしちゃったの?
もしかしてこれって、安部公房?
とまで言わしめた、
そう、今更ながら、あのダブル・村上の全盛時代、
村上本の新作が出る度に、
俺たち健康優良ロックンロール文学少年たちは、
俄な熱狂の中に叩き込まれていた、のである。

という訳でこの21世紀、
今更になって文学、どころか、活字、なんてものに、
それほどの趣を感じる人は既にいなくなってしまったのかもしれない、
とは思いながら、
改めて、活字、という媒体がまだ世の中にある種の意味を持ち得た、
そんな時代を懐かしみつつ、
この、活字世代最後の巨匠の最後っ屁、ならぬ、大新作、
この冬の年末年始、心ゆくまで堪能させて頂いた。

ただ、これまで何度も申し上げて来たように、
などと言っても、こんな糞ブログの履歴を辿るようなモノ好きなどいないだろうから、
最初から言ってしまえば、俺は村上春樹が、好きではあらなかった。

それはつまりは、ビートルズかストーンズか、
という選択、というよりは、意思表示の中で、
俺はストーンズ、つまりは、村上龍派、である、
と、断言してきた関係上、ということな訳であって、

嘗て、パンクとメタルが血で血を洗う抗争を繰り返していた、
そんな時代から、パンクでもメタルでも、ハードロックでもロカビリーでも、
ロックというジャンルであるだけでもありがたい、
そんな絶滅危惧種達の傷の舐めあいの現状の中にあっては、
龍であろうが春樹であろうが、
それが活字であるだけでもありがてえじゃねえか、
いまとなってそんな俄に込み上げてくるシンパシーの中で、
改めてこの、活字世代最後の大巨匠の、渾身の長編に対し、
今更ながら、心からの敬意を評せれば、と思う訳である。

という訳で、この「騎士団長殺し」。
アンチ春樹派の筆頭を自認する俺的には、
これぞまさに、春樹ワールド。
良い意味でも悪い意味でも、
これこそがまさに、その題名を除けば、ではあるが、
この「騎士団長殺し」、
これぞまさに、最高傑作、とは言わないまでも、
言ってみれば、村上春樹の総集編。
リルビット・オブ・エブリシング、
これまでの村上春樹のその全てが凝縮された、
オムニバス盤、あるいは、ベスト盤という感じかな、と思う訳である。

そう、読み始めてすぐに、誰もが気付いた筈だ。

なんだよこれ、ただの、焼き直し。
つまりは、これ、自己コピーじゃねえか、と。

そう、この「騎士団長殺し」。
なにからなにまでが、嘗て知った村上春樹、
その、焼き直し、下手をすればパロディ、なのである。
一種、凡庸というよりは、執拗なまでにその典型を追いながら、
なんだよ、またかよ、で、あれだろ、最後の最後になって、
結局なにも判らずじまい、ってなところでお茶を濁す訳だろ、と。

そう、最初がそうである以上、多分終わりもそう。
つまりは、その最後の最後のちゃぶ台返しをまったく期待できない、
結論の出ない謎解き、であるところの村上春樹ワールド、
それが最初から予想が着いてしまう、というところ、
それこそがこの「騎士団長殺し」の魅力、なのである。

このなにからなにまでが、いつもどおりの村上春樹。

ぶっちゃけた話、それは、まあ、例によっていつものあれ、
つまりは、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」なのである。
そして、村上春樹氏自身が言っているように、彼のルーツ、
つまりはその美意識のすべてが、
スコット・フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」から始まっている訳で、

そしてこの騎士団長殺しこそは、
ロング・グッドバイと、そして、華麗なるギャツビー、
その双方のコンバイン、というよりは、その思いでめぐり。
そう、この「騎士団長殺し、
それはまさに、村上春樹ワールドの、思いでめぐり、なのである。

鼠が、四本指の少女が、耳のきれいなセフレが、
そして羊博士が、あの羊男が、
ヤミクロがリトル・ピープルが、
その全てが、きれいに勢揃いしては、
井戸の底という自意識、つまりはあの60年代闘争の中で、
敢えて、IVYを貫いた村上春樹という人の美意識、
あるいは、ケとハレ、善と悪、意識と無意識、あの世とこの世、
あるいは、戦争と平和、民主主義とファシズム、
その二元論世界の混沌の間を行き来する、その知的冒険の物語。

で、まあ、そんなことは、最初の数ページを見ただけで誰もが判る。
誰もが判りながら、その結末さえもすっかり予想しながらも、
それでも読み続けてしまう、読みふけってしまう、
それこそが、村上春樹の力量、その凄みな訳である。

で、改めて、村上春樹はなぜ、この作品を書いたのか。
その思いを巡らせれば巡らせるほど、
つまりは村上春樹は、実は本当の本気で、
ノーベル賞を狙っていた、というよりも、欲しかったんだろうな、
と思い当たった。
そう、村上春樹は、この「騎士団長殺し」を、
最初から、英訳されることを前提として書いているのである。
つまりはこの「騎士団長殺し」という妙なタイトルも、
英語にすれば、「キリング・コメンダトーレ」
つまり、これ、英語に標準を合わせた、
ノーベル賞狙い、その為の、大作、なのである。

これまで、村上春樹のその世界に向けたすったもんだを、
なんともまあ、あさましいものよ、と、斜に見ては嘲笑っていたところもあったのだが、
改めて、この涙ぐましいばかりの姿に、
ああ、判った、この「騎士団長殺し」こそが、
村上春樹が全精力を注ぎ込んだその総集編。
これが私のすべてです、これ以上は書けません、
言うなれば作家人生の総仕上げ、
つまりは「遺書」とも取れるほどの、
そんな作品であったのだろう。

という訳で、これまでの村上春樹、
そのすべてを読んでしまっている者に取っては、
たしかに、焼き直し、あるいは、自己コピー、あるいは、オムニバス盤、
でもあるのだが、だがしかし、これこそが村上春樹。
ビートルズで言わせるところの、
サージャント・ペッパーズでもアビーロードでもなく、
そう、これは、赤ジャケット、青ジャケット、つまりは、ベスト盤、なのである。

画家である主人公の語るその芸術論、
表層ではなく、その実在の確信を掴む、その姿勢こそが、
村上春樹の文学論、その赤裸々な発露であり、
そんな村上春樹の嫌味なほどの知的ぶりっ子、
その見え透いた様を、
青瓢箪のきゅうりヅラ野郎が!
今更何を御託を並べてやがる、
などの悪態を忘れ、
今回に限っては、ああ、判る判る、そうだよな、
と思わずニヤニヤ笑いをしては、おじさん、頑張ったんだね、と、
思わずその労苦を労いたくなる、そう、この作品こそは、
村上春樹に心から、ありがとうを伝える為、
そして村上春樹自身が、作家として生きたその一生に、
限りない感慨を込めた、その心情吐露ではなかったのか。

クチの悪い輩からは、んだよこれ、ただの自己パロディじゃねえか、
こんなものでミリオンセラー、いい気なもんだな、
とまた要らぬ悪態が聴こえて来そうだが、
今回に限っては、俺はそんな悪態を慎もうと思う。

そして改めて、ああ、ハードボイルド・・ワンダーランドを読み返したい。
そして、なにより、1Q84、
あの作品、あの三部目こそが、村上春樹、その作家生涯における、
唯一の、大敗北、つまりは、挫折であったのだな、と思い知った。

1Q84は二部で終わるべきだったのだ。
不本意ながらも、三部目を書かされた、書いてしまったことこそが、
この長きブランク、その失意の、理由だったのだろう。

という訳で、今回の「騎士団長殺し」その謎解き。
それは、やるだけ、野暮だろ、と。
つまりはそう、いつものあれ、そう、いつものあれ。

羊で、ハードボイルドで、ねじまき鳥で、
つまりは、ロング・グッドバイ、そのものの、幕切れ、
ではありながら、

そうか、この作品こそが、村上春樹の、ロング・グッドバイ:長きお別れ、
になるのか。
それを確信しながら、改めて、ご苦労様、と感謝の念を伝えたい、
そんな優しい気持ちにさせられた、そんな超大作であった。

そしてそのラストシーン、
そう、もうこれしかないよな、そう、これしかないのだよ、と。

つまりはこのラストシーンこそが、
俺たち、敗れ去ったロックの残骸たちが、
ベビーメタルにすべての夢を託す、
その気持ち、そのものなんだよ、と。

改めて、二重メタファーの罠にハマってはいけない。
ひょっとこワールド、ヤミクロの世界、その不条理に立ち向かうためには、
子供を愛する、その気持ち以外にはありえないのだ。
俺達はこの老いぼれた命を捨ててでも、
子どもたちの為に、二重メタファーたちと戦い続けなくてはいけない。
それこそが、文明の、歴史の、唯一の、使命なのだから。

ではその二重メタファとはなんなのか?

その正体を、嘘を、結末を、暴くことこそが、
作家の使命、つまりは、存在価値であろう。

文学にはまだその重大な使命が残されている。
そしてその戦いは、不幸にも、永遠に終わらない。
なので、村上春樹、そして、村上龍、まだまだ老いぼれてもらっては困る。

という訳で、村上龍さんはすでに、大ファンであろうことは確信しているのだが、
改めて、村上春樹先生にも、ベビーメタル、中元すず香の姿をひと目でも見て欲しい。

その姿の中に、アンダーグラウンド、あるいは、井戸の底、
その二重メタファのどツボから抜け出す為の、
唯一の突破口が、見つかる筈なのだから。

という訳で、春樹さん、
あんたの仕事は、これで終わった。
見事な集大成、ついに完成と言うやつ。

もう良い。もう、文学者である必要もなにもない。

司馬遼太郎が、最後の最後になって、
「この国のかたち」を書いたように、
あなたも、いまが、そのときだ。

もう、文学的表現も、明喩も暗喩も、比喩もメタファーもなにもいらない。

戦ってくれ。

その最後の力を振り絞って、この現代という時代と、思い切り戦ってくれ。

次のテーマは、あの、座間九事件、
あの、冥界との扉の開いた、あの線路沿いのアパートの一室の中から、
今夜も鈴の音が響いてくる、そのあたりの謎を、解きほぐし欲しい、
それを書けるのは、春樹さんしかいないはずだ。
そしてあの「一緒に死にませんか?」の冥界の底から、
少年少女たちを救い出せるのは、
村上春樹しか、いない筈なのだ。

でさ、春樹さん、そして、改めて、日本の文学者たち、

お前ら、この期に及んでなにをビビってるんだ。
お前らの目は節穴か?

俺なんぞにいつまでもこんな糞駄文を綴らせやがって。

早く目を覚ませ!

そして、見ろ、ベビーメタルを!

そして文学者のプライドに賭けて、
その、持てる力のすべてを注ぎ込んで、ベビーメタルを表現してくれ。

俺たちにはもう、ベビーメタルしかいない。
そんなことは、誰でも判ってることだろう。

頼むから戦ってくれ。
この絶体絶命の危機の中で、無様なばっくれはかまさないでくれ。

あんたらがそうやって、
腐ったインテリ面の中で逃げ回ってばかりいるから、
だから、文学はここまで堕落したのだ。
だから、誰も本など読まなくなってしまったのだよ。

ベビーメタルを見てくれ。
それに対峙し、そして、その姿に、希望を見出してくれ。

力を貸してくれ、日本という国を、人類を、潰えさせないために。
俺達の未来を、子どもたちを守るために。
ベビーメタルに賭けてくれ、ベビーメタルに思いを込めてくれ。

あんただって判ってるだろ、そのはずだ。

俺たちにはもう、中元すず香しかいない。

表現者という表現者が、その手足を口を、その手段をすべて封じ込まれないうちに、
中元すず香を、この最後の救世主を、守ってくれ。

わかっているだろうが、時間はもう無い。

いまがその時。そして今が、その最後のチャンスだ。

頼むからその御大層な書斎の井戸の底から這い出て、
一刻も早く現実に目を向けてくれ。

そして、中元すず香、天の送り給うた最後の望みに、
その持てる才能のすべてを注ぎ込んで、
中元すず香の元に、その知力を結集させてくれ。

これは人類存亡の戦いなのだ。

俺たちにはもう、中元すず香しかいない。
その現実から、もう逃げ回らないでくれ。
日本の知力を結集して、二重メタファと戦ってくれ。

日本よ、文豪たちよ、目を覚ませ、
ベビーメタル・レジスタンス DEATH。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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