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男にとって解放とはなにか ~ そのに「解放とは振珍で聴くベビーメタルと心得たり」

Posted by 高見鈴虫 on 30.2018 ニューヨーク徒然   0 comments
かのブラピと同じくして生来の振珍主義者である俺は、
家に在る時には着衣を纏わあらない。
それは夏の開窓時も真冬の極寒、
効きすぎたセントラルヒーティングにドライサウナ状態の最中でも同じ事。
家に帰り着きドアを開けて厠に辿り着くまでの間に、
靴から上着からシャツからそしてズボンから猿股まで、
一切を脱ぎ捨てながら床の上に放り出し、
そして厠でフリーハンドで用をたした後は、
そのまま台所の冷蔵庫から缶麦酒などを取り出しては、
居間のソファに座ってぷはぁとやるまでの間に、
一缶がほとんど空になっていることが多いことから、
その時には必ず二缶を取り出すことにもなるのだが、
とそんな時、開けてない方の缶を振珍の金玉:きんぎょくの下などに充てがっては、
ひゃっこいひゃっこいとやるのを忘れあらないのも男の嗜みと心得て居る。
そんなとき兼ねてから思っているのは、
なぜ缶麦酒にはプルトップ式の小穴からちゅるちゅると啜る形式のものばかりで、
あのワンカップのように、上蓋ごとカポッと全開にする豪快なものがあらないのか。
もしそれがあれば、この開いた方の缶にそのまま振珍を収めては、
南国の土人の如くペニスケイスを気取ることも出来たであろうに。
どうも最近の珍カスどもは袋の開け方なんぞという細々としたところにばかり気を配っては、
そこに、豪快さ、という美意識が脱落していることが多いと思うのは俺だけだろうか。
ただブラピと並んで生来の振珍主義者である俺としても、
さっきの小水の残りが尿道から一滴と言わずとも半滴、あるいはその半分であろうとも、
そんな雫がソファの上に沁みてしまうのさすがにあまり良い気がしあらない。
であれば、そこにティッシュペーパー一枚をさらりとさりげなく被せるというのが粋な趣きであろう。
ただティッシュペーパー一枚を被せるぐらいであるなら、
なぜ猿股の一枚ぐらいを纏うことを厭うのか、という言われるだろうが、
そこはやはり、ブラピと並んで生来の振珍主義者である俺の拘りというものだ。
全裸であって全裸にあらずこの極々薄い紙一枚のたしなみこそは、
生来の振珍主義者のリスクであるとこの先っぽからの思わぬ一滴に対する、
さりげない気配りのなせる業。
そして我が城において完全なる振珍にティッシュ一枚という姿で完全に解放された俺は、
かみさんのいないのを見計らっては、そこでベビーメタルを聴くのである。
世界最高レベルのプロフェッショナルの中のプロフェッショナルであるところの神バンド、
醸し出す超絶なスラッシュメタルの中のドライブに煽られては、
思わず居ても立っても居られずにティッシュ一枚の嗜みさえをも金栗捨てては仁王立ち。
膝を曲げ踵を上げ、中腰の姿勢で開いた足をこれでもかと踏ん張っては、
握りしめた拳を前に向けては肘を直角に曲げて脇を引き絞り、
この凄まじいばかりの錐揉みビートの中、その激しい躍動の中で我を忘れては、
思わず掛け声もろとも、せいやそいや、せいやそいや、せいやそいや。
とそんな時、股間の間からたっぷん・ぴったん、たっぷん・ぴったん、たっぷん・ぴったん
とばかりに、調子外れな、だが妙に切なくも微笑ましい拍子が聞こえてくるではないか。
ニューヨークの摩天楼に散りばめられた星屑の中の一つを覗き込めば、
ベビーメタルの楽曲に合わせて小太りの男が一人、
恍惚として激しく躍動するその股間から、
たっぷん・ぴったん、たっぷん・ぴったん、たっぷん・ぴったん、
そんな姿の中に、この世界一の大都市に生きる男たち、
そのダイナミズムと同時に、ちょっとしたペーソス、あるいはリリシズム、
微笑ましくもほろ苦いおかしみ感じているのではないだろうか。

男にとって解放とはなにか。
男にとって解放とは、振珍で聴くベビーメタル、と心得たり。







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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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