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2018年平昌オリンピック雑感~世紀の頂上決戦の後に思うこと

Posted by 高見鈴虫 on 25.2018 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments
その日はどうにも朝からそわそわ落ち着かなかった。
言わずと知れた平昌オリンピックの一大クライマックス
女子フィギュアスケート・フリープログラム、
エフゲニア・メドベージェワとアリーナ・ザギトワの一騎打ち。

1980年のジョン・マッケンローとビヨン・ボルグのUSOPEN、
1996年のイベンダー・ホリーフィールドとマイク・タイソン、
2008年のロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルのウィンブルドン、
そんな歴史上の名勝負とも引けを取らない、
まさに、人類史上に残る頂上決戦の日!なのでああある。

この日ばかりは早々と仕事を切り上げては、
途中で邪魔をされないようにと早めに犬の散歩と夕食の支度を済ませておこうと思ったのだが、
家に着いた途端に、ドアの前までにも漂う不穏な、しかしあまりにも香ばしいおでんの匂い。
そうか、今夜はおでんか。
ドアを開けた途端、普段ならば息せき切って出迎える筈の犬の姿が、ない。
濃厚に漂うおでんの香りの中、不気味な沈黙に包まれた暗い部屋の中、
まさか、この部屋の中で人が死んでいるのか!?
大根の匂いに、嘗て知ったそんな不穏な記憶を呼び覚まされながらも、
なるべく遅い時間に犬の散歩に出ては、
普段なら夜の10時出る筈の犬の散歩のスケジュールを、
なんとかフィギュ放送の終わる12時以降まで引き延ばそうという妻の周到さを省みては、
そこに並々ならぬ気合を感じない訳にはいかない。









という訳で、世紀の頂上決戦に向けての本日のオリンピック放映。
314番のNBCSNを通じて序盤戦の放送が夜の7時から。
そして大御所の登場する夜10時から、全国ネットの4番NBCが全編ノーカットの独占放映を予定している。

果たしてこの米国のプライムタイムに見事に合致した放送時間。
もしかすると、太平洋の向こう側の現地においては、まさか違う時間で競技が行われているのか。
ということは、もしかするといま、手元のIPHONEでYAHOO.CO.JPなど開いた途端、
その結果が、その結果だけが、あっさりと目に飛び込んで来てしまう、そんなことにもなりうるのか。
果たしてこのグローバル時代の罠に戦々恐々としながらも、
そう言ったことであればIPHONEは見ない。
ここ米国のLOCAL時間に合わせては、一切のグローバル情報を遮断するべし。

とそんなことを思いながら、改めてこのオリンピックというものが、
まさに、テレビ的なイベントであることに気付かされる。

二〇世紀に始まった、この日本全国津々浦と世界を結んだテレビによるネットワーク。
地球の裏側の出来事が現場に詰めた特派員を通じて世界中に発信されるその時代から、遂には衛星で繋がった地球の裏側。
翌朝七時の朝のニュースを待ちきれず、深夜の特別速報、或いは字幕テロップなんてものに齧りついては一喜一憂していたその興奮。
そんな記憶もつまりはこのオリンピックから始まっているのだ。

そう、幼心において、このオリンピックの映像ほどに、世界というものを意識させられることもなかった。
この地球上には幾多の国家、その旗々が存在し、数限りないほどの人々が暮らしている。
見たこともないほどの完璧な美形を誇る白人種と、黒人種のそのあまりにも猛々しい筋肉。
まさに人類という種の極限の美学を表すようなこのアスリートたちの中にあって、
見るからに貧弱な、短躯で頭でっかちで短足で、ひょっとするとちょっとした出来損ないにまで見えるこの日本人という人々。
でありながら、そんな不利を物ともせずに、
それこそサイボーグのようにも見える世界の強豪たちを、
吹けよ神風!まさに神がかりとしか言いようのない気合一撃によって打ち破る、その奇跡の光景。
その一瞬を待ち焦がれては、テレビの前に釘付けになっていたあの記憶。
そう、昭和の時代を熱狂に包んだあのオリンピックの名場面の数々。
その全てが、まさに、テレビ。
この、テレビ、という奇跡の神器によって創出されたものであったのか。

そしていま、まさに世界が同時接続。
同時間に同次元で真っ平らに平均化されたグローバル時代にあって、そこにある、時差、やら、あるいは国境やら、そして放映権なんてものが、
改めてなんとも邪魔くさくもまだらっこしくも思えては、
嘗てのあのテレビ時代の熱狂を創出したこのテレビ的なオリンピックの、
その象徴としてきた様々なものが、このグローバル時代においては、逆に負の遺産となりつつある、
そんな時勢の流れを感じながらも、
そう、だからこそ、オリンピックなのである。
この昭和の時代を象徴する世界的なイベント。
それを、思い切り昭和的に、つまりはテレビ的に楽しむ、楽しめる、というのも、
この時代における選択であり、それはそれで一つの楽しみ方、である。

という訳で、今宵の夢物語。
まさに、当オリンピック大会における一大クライマックス。

エフゲニア・メドベージェワ と アリーナ・ザギトワ。

OARという、見たことも聴いたこともない国の代表、ということらしいが、
それって、もしかして、カタール、の綴り間違い?
あるいは、オマール、あるいは、これAORの間違いじゃねえのか?そんな国が、世界のどこかでまた分離独立でも遂げたのか。
まあそれ、言わずと知れたロシアのことで、
つまりは嘗ての昭和のテレビ時代。
米ソ、という、二大国間の冷戦の一騎打ちの、その悪者の役の方が、
今となってはすっかり世界中からの鼻つまみ。
麻薬汚染から八百長疑惑からそしてなによりその政治的な暗躍。ロシアン・ゲートに代表されるそのどす黒い諜報戦略からと、まさにこのロシア、つまりは昭和の時代のソビエト、その赤クマの、イーヴァンの、鉄のカーテンの向こうの悪の帝国が、
いまや、世界の闇を操る悪の根源となってこの地球上の津々浦々に不気味な浸透を遂げては、
まるで人々の善意に取り憑く病原体のように、世界をあの冷戦時代の悪夢に引き戻そうとする。

ただ、そう、そうであったとしても、あるいはその旗印がユニフォームが、赤かろうが青かろうが、はたまたどす黒かろうがドドメ色であろうが、
そして今回のように、OARなんていう、訳の判らないアイコンに変わっていようとも、
このロシア人、あるいは、そう、ロシアという広大な大陸から派生した、このロシア人という方々。
ヨーロッパの北の外れから果てはシベリアまで。
そして、黒海と接するミドルイーストから、
東は北方領土の、我が日本の目と鼻の先まで。
黒人種以外のほとんどすべての全人種を包括するこの広大な大陸より生まれ出づるこのロシア人という人々。
そして何より、ああ、これを口にするだけで全身が慄然とする思いながらも、こと、ロシア人のその女性。それも、ドストエフスキー言わせるところの、ロシアの儚い春。
つまりは、円熟を寸前とした、ロシア娘たちの、そのあまりにも目の潰れるような美しさ。
なあに、輝いているのはそれこそ赤飯炊いてから早熟な嫁入りを前にした数年ばかりの間で、
その後は日に日に目を覆うまでに、全身が樽となりダルマとなり、
全身が脂肪の塊の妖怪变化と化してはすっかりと大地の母。
人生におけるその儚い美の全てがこの淡いうつつかな春の間に一瞬の花火のように瞬いては、
そして夢のように消え去ってしまう、
そのあまりにも刹那的なモノノアワレ。
ただしかし、だからこそ、だからこそのこの奇跡のような短命の中のロシアの美。
そしてこのオリンピックにおける四年という周期こそが、
その、あまりにも儚いロシアの春、そのいったいどの部分に当たるのか。
15歳という年齢制限と、そして19を過ぎたころからすっかりと樽化の始まるこのあまりにも儚い春の宿命の狭間で、
このオリンピックという二週間の祭典の中に花開くことの奇跡。
そのあまりの運命の不思議を思いながら、
そして今宵のこのオリンピックにおける、ロシアの天才少女による世紀のデスマッチ、
そのあまりの凄まじさと、そのあまりの運命の奇跡を、思わない訳にはいかないのだ。

という訳で、今更ながらにこのロシアからの天才少女たち。

言わずと知れた、エフゲニア・メドベージェワ と そしてアリーナ・ザギトワ。

そしてなにより、俺的にはやっぱりこの人、メドちゃんこと、メドベージェワ。
奇跡の天才少女として勇名を馳せながらも、
前回のソチの大会においては、その規定年齢に若干足りず、
惜しくも出場を逸すことにもなったのだが、
その当時から既に、いやいや、本当の本当のチャンピオンは、エフゲニア・メドベージェワを置いて他にはない、そう公然と囁かれて来た、まさに氷上の絶対王女。
それが証拠に、その後の四年間、世界大会の全てを完全に総なめ。
その愛くるしい表情と、あまりにも無邪気なキャラクターと、
そしてなにより、まさに夢のような表現力。
これぞまさに天使。これぞまさに妖精。これぞまさに氷上の絶対王者。

実はこのメドベージェワ。
フィギュアスケートのことなどまったくなにも知らず、
そう、あの浅田真央においてもキムヨナにおいても、
一言、ブス、と切り捨ててはなんの興味も示さなかったこの俺が、
ふとした拍子に、なんの間違いか、
一度このメドベージェワの姿を垣間見た瞬間・・

そう、実は強度の近眼でありながら、
メガネなんてうざったいものを付けることなど問題外。
でありながら、重度のアレルギーを抱えた関係から、
コンタクトレンズなるものを装着することの出来ない身。
という訳で、実はそのほとんど全ての日常を、
強度近眼的なぼやけた視界の中で生きることを余儀なくされている訳で、
つまりはこの俺の世界観、
すべてにおいて印象重視の妄想の暴走するこの理念が、
つまりはこの近眼的な視界における状況認識。
物の本質を見る上でディテールに拘らず、
その全体像としての漠然とした印象から物の本質を見極める、
という姿勢にも反映されている訳なのだが、
果たしてこのメドベージェワ。
その近眼的な漠然的視界の中においても、
この人は違う!と、一撃のうちにそう確信せしめた、まさに、天才の中の天才。

そう、メドベージェワは違った。
これまで見てきた、どんなフィギュアスケートととも、
あの浅田真央ともキム・ヨナよりも、
あるいは、渡部絵美から伊藤みどりから荒川静香から、
それを言ったらジャネット・リンからオクサナ・バイユからタラ・リピンスキーから、
その全ての記憶を紐解いても、
この、メドベージェワ、
その存在の全てが、レベルが、オーラが、可愛いさが、
あまりにも、あまりにも、あまりにも、違いすぎる。

そう、メドベージェワはその存在からして全てがあまりにも違っていた。
これまで、一度たりとも目を奪われるどころか、関心さえも払うことのなかったこの女子フィギュアスケートという競技において、そんな素人もド素人の近視的な漠然世界においても、この人は凄い!と、一瞬のうちに衝撃足らしめた、このメドベージェワという人物、その美貌と、可憐さと、そしてその完成度。

それはまさに氷上を舞う妖精だった。
これぞまさに、クラッシック・バレエの豪華アップグレード版。
クラッシック・バレエという地上における美の究極、
そこに、氷上におけるスピードと滑らかさと、
そしてなにより、そこにスリルを持ち込んでは、
それを見事なまでに融合するに至った、
まさにこれぞ究極の総合美。

そしてこのメドベージェワ。なによりも丸顔である。
またまた個人的な趣味で恐縮ではあるが、
俺は、丸顔の人、である。
いやいや、俺自身は丸顔どころか、まさに究極の犬顔。
馬面というよりは、とんがり切った細面の逆三角形。
ボクサーの友人からは、お前のその顎、あまりにも美味しそうでよだれが垂れそうだ、
とまで言わしめた、つまりは、その尖った顎の先を一発のパンチがかすっただけで卒倒仕る、
そんな宿命的な弱点を併せ持ったトンガリ・キッズ、であったのだが、
その分、だからこそ、女性にはまさに丸み。
つまりは、大らかな丸顔に、そしてなによりも愛くるしく垂れた目。
丸顔に垂れ目、こそが、俺の定義する好みの女性の究極、でもあるのだが、
しかしながら、この筋金入りの貧乳マニアであるところの俺としては、
丸顔であってたとしてもそこにぽっちゃり型の巨乳趣味なんてのとはどうしても相容れず、
丸顔にしてしかしガリ系。
痩せ型でありながら大らかな愛嬌のある垂れ目。
そしてなにより、その見るからにお勉強の出来そうな聡明さでありながらも、
しかしそこには、アスリートとしての絶対的なまでの運動神経、
その躍動と敏捷さとそして滑らかさにしなやかさを併せ持った、
そんな夢のような存在は、しかし古今東西幾多の人種をどれだけ探してみても、
早々とお目にかかれるものでもない。
という訳で、このメドベージェワ。
まさに理想。そう俺の俺による俺的な美意識における一種の理想像に限りなく近い。
聞くところによると、アルメニア系、であるらしい。
まあアルメニア人にも色々といるとは思うのだが、
少なくとも俺の知る限り、このアルメニア人と言われる人の中に、馬鹿はいない。
ユダヤ商人、印僑、華僑、と並ぶ世界三大商人種を遥かに凌ぐ、
このアルメニア人、その頭脳という意味では、
まさに世界全人種の中でも卓越した才を誇る流浪の民族。
と同時に、格闘技等の個人技においては古くから勇名を馳せ、
世界戦史このアルメニア傭兵部隊の活躍こそが世界史の影の立役者。
そんなアルメニア人の卓越した才とそしてロシアの美の結びついた姿。
この、エフゲニア・メドベージェワこそが、人類の創出した一種の完成形、なのでああある。

そう、この平昌オリンピックこそは、この世紀の天才少女であるところの、
エフゲニア・メドベージェワ、その姿を世界に魅せしめるための大会であったのだ。
兼ねてからのロシア人選手のドーピング疑惑からの、ロシアの出場停止処置。
それが開催間際になってから一転し、
OAR:個人資格としての出場というウルトラCを発令しては、
この不運なロシア人たちの中からも、国別を問わずに個人としての出場を許可する、という苦肉の策を決定したのも、
言うなればこのエフゲニア・メドベージェワ。
この人類史上稀にみる天才の天才の存在こそが、
オリンピックというイベントを象徴するべき奇跡の逸材であったからに他ならない。

ただしかし、このメドベージェワ、
そんな世界的な期待感の中で、実はちょっとした不吉な雲に覆われていた。
前回のソチオリンピックからこの方、全ての世界大会において当然なことのように金メダルを獲得しては、記録という記録を塗り替えてきたこの世紀の天才少女。
この奇跡の絶対王者がよりによってオリンピック出場を控えて、
ちょっとしたスランプに見舞われていたと聞く。
右足甲に罅の入る負傷を原因とした世界大会の欠場と、
そしてなにより、そんなメドベージェワの不運を待ち構えていたかのように、
突如の新星として登場した第二の天才少女の出現。
アリーナ・ザギトワ。若干15歳。
ジュニアからシニアへ転向したばかりのその出場資格である15歳にぎりぎりでひっかかったラッキースター。
まさにそこに年齢制限の妙、
実力ナンバー1でありながらソチ出場を逃したメドベージェワと、
そして、15歳の誕生日にギリギリでひっかかったザギトワの、
その運命のいたずらを感じない訳にはいかないのではあるが。

そしてこの平昌オリンピック。
この四年間を絶対王者として君臨したメドベージェワ。
今年18歳。まさに今大会こそが最初で最後の晴れ舞台である。
そして突如の奇跡の新星として登場したザギトワ。若干にして15歳。
その全てが謎、とされながらも、前世界大会のデビューにおいて、
見事この全体王者たるメドベージェワを下して世界チャンピオンの座を獲得した、
まさに奇跡のダークホースである。

現フィギュアスケート界の絶対王者か、
あるいは、奇跡のダークホースか。
この平昌オリンピック。
四年に一度の
雪と氷の祭典がそのクライマックスに向けて、
カタカタと不気味なレースを天空に向けて上り続けていたのである。








米国東部時間午後7時から始まったNBCSNにおける放送。
スタジオの解説者・元金メダリストのスコット・ハミルトンとともに、
現場に飛んだタラ・リピンスキーとジョニー・ウィアーの絶妙の話術に踊らされながら、
前日のショート・プログラムにおける二人の演技、
その魅力から課題から問題点からと、目眩くままに並べあげている。

火曜日の夜に行われたショート・プログラム。
先陣を切って行われたメドベージェワ。
その姿まさに妖精。圧巻の完璧な演技、ではありながら、
ふと、気になったのが、その表情の硬さ、であった。
普段からのあのあまりにもあどけない姿。
絶対王者と謳われながらそんな重圧をまったく意にも介さぬような、
あのあまりにもあどけなくもあっけらかんとした姿。
まさにそれは、己の才能の幸運をいっさい疑うことのない、
天才少女の誉れ高き、アンタッチャブルな風貌、
であった筈が、
そう、このショート・プログラムにおいて、
どうしたのだろう、そんな絶対少女の姿に、一種の陰りが見えたのである。

その完璧なまでに完璧な演技を終えたメドベージェワ。
大歓声に包まれたその氷上において、なぜかひょっこりと首を横に傾げてみせた。
あり?どうしたのかな、とまさにそんな感じ。
おいおい。
そう、これはコンペティション、つまりは競争なのである。
あの、スノボーのショーン・ホワイトではないが、
多少のミスぐらいであれば、そのオーバーアクションの狂騒で誤魔化してしまう、
そんなトリックだって必要な、まさに土壇場の大舞台である筈なのに。
普段であれば、そんなメドベージェワの姿に、手放しの絶賛を惜しまない
タラ・リピンスキーとジョニー・ウィアーも、なぜかふとした沈黙の中で、
不穏な沈黙を続けている。
確かにこのメドベージェワの演技。まさに完璧であった。
その長く細い手足がまるで鞭のようにしなやかに
ジャンプも、ターンもなにもかもが、まさに氷上の妖精そのもの。
ただ、そう、ただ、このメドベージェワ、
普段のメドベージェワとは違うのである。
そこには、普段のメドベージェワを包んだあの絶対的なオーラ。決定的な輝きが欠けていた、ようにも思えたのである。
まあ、そう、オリンピックだしさ。
そしてそう、まだ一日目の、ショート・プログラムだしさ。
つまりは、無難に滞りなく、女王としての責務を果たしたと、
そういうことだろう、と。

という訳で、お待ちかねの、アリーナ・ザガトワ。
宴曲はまさに、ブラック・スワン。
15歳には思えぬあまりにも堂々とした、そして妖艶にさえ見えるその姿。
手足が長い、あまりにも長い。
そしてなにより、その見るからに溌剌とした表情。
まさに、怖いもの無し。
出場前から、
まあ、今大会は5位に入賞できれば御の字かも、と答えていた、
その言葉そのままに、失うもののなにもない、
そのあまりにも溌剌とした伸び伸びとした姿。
ジャンプをしかけるたびに、その氷を蹴るブレードの立てる小気味良い程の響きと、
そのスピード感、ダイナミックさ、すべてにおいて、これぞ、フィギュアスケートの美の結晶。

その期待と重圧の中で、思わず守りに回ったメドベージェワに対し、
この、ザガトワのあまりにも溌剌とした姿。
審査員はそれを見過ごさなかった。
過剰な程に、その勢いの違いを評価した。
ショート・プログラムにおいて、メドベージェワの81.61。
世界歴代の最高得点をマークしながらも、
その一瞬の後のザギトワは、なんと82.92。
演技点においてはやはりメドベージェワの可憐さを高く評価しながらも、
やはり技術点における大差。
つまりは、ザギトワのその勢い、そのスピード感を勢いを高く評価した結果であった。

うーん、メドちゃん、さすがにちょっと緊張しちゃったのかな。
だがしかし、これは初日のショート・プログラム、つまりは前座、である。

本戦はなによりもフリー・スタイル。
4分を越す長丁場の中で、この二人の天才少女がいったいどんな演技を見せるのか。
それはまさに、アンタッチャブルな絶対王者同志の頂上決戦。
史上最強の妖精たちによるデスマッチは、
このようにしてお膳立てが整ったのである。









という訳で、早々と残業をブッチして早帰りを決めては、
犬の散歩もそしておでんの夕餉も終えて、
準備万端の整った午後8時。
デザートのアイスクリームを舐めながら、さあ、どうした、と待ち構えながらも、
果たしてその序盤戦の演技。
これが、まあ、言っちゃ何だが、
前回のあのショート・プログラム、
メドベージェワとザガトワの、あまりの凄まじい激突を見た後にあっては、
どれもこれも、どうしても退屈に思えてしょうがない。
そしてなにより、この日のフリー・スタイルの演技、
どういうわけだか、その出場者の全てが、ものの見事に転倒を繰り返すのである。
いったいどうしてしまったのか。
どうしてこの人達は、こうやって次から次へと転び続けるのか。
ジャンプで物怖じし、あるいは、捨て身の覚悟で挑んでも、
結果としては強張り切った身体が回りきれずに着地によろめき、思わずつんのめっては、あるいは尻もちを付き。
その途端、それまで優雅に鳴り響いていた音楽が、
突如として白白と、間延びした空回りを始め、その白けきった空気の中に益々と萎縮した選手たちが、
また次から次へと、思わぬ失態を積み重ねていく。

どうもこの平昌の会場の、その舞台裏において、
物も言えぬネガティブな空気、
そんな重圧が立ち込めていたのかもしれない。

理由は、そう、理由は判っている。

当日に行われた公開練習において、
ショート・プログラムの覇者であったザガトワが、
こともあろうに、助走もないままの三回転ジャンプを、
こともなげに二回三回四回五回と連続しては、
涼しい顔で次の滑走を繰り返す、
そんなあまりにも神懸った姿を見せつけたのである。

その姿、その回転技のあまりの凄まじさも然ることながら、
そんな神業を、何の気になしにこなしては、
え?どうかした?ととぼけているそのあまりにも無邪気な表情。
つまりはこの人、この神業を、普段から、なんの疑問も無しに繰り返していると、
つまりはそういうことなのか・・・

そのあまりにも壮絶且つさりげない姿に、
場内のライバルたちが呆気に取られたことは言うまでもない。

その映像が繰り返されるたびに、OH MY GOD、
これはこれは・・・
すべての人々がこの奇跡の映像を前に、
ザガトワという選手の底知れぬ力に絶句を繰り返すことになったのだ。

という訳で、この日、女子フィギュアスケートのその第二日目フリー・スタイル、
その序盤戦に限って言えば、まさに前座も前座。
その力量のあまりの格差に、思わず誰もが愕然としたまま茫然自失。
そんな悲しき宿命さえも背負ってしまったようなのである。

なんかこれ、退屈だな、と思わず。
まあねえ、確かに、あのひとたちとはあまりにも格が違いすぎるから。

生あくびを繰り返しながら、あっと、また転んだよ、と失笑を噛み殺しながら、
ああ、もう、こうなった以上はまったく勝ち目もない訳だしさ。
どうせならもう、一度転んだ時点で退場、とか、
あるいは、その後の演技は、ぶっちゃけ、ウケ狙い。
いきなりコミカル路線に豹変しては、どれだけ客を沸かせるか笑わせるか、
そんなところでブービー賞を競う、なんてのもありなんじゃねえのか。
それを言ったら、ああもうこれはダメだ、と思った時点で、
勝手に音楽を変えてしまっては、そう、あのドリフの退場テーマ。
場内を鳴り響く失笑とブーイングの中で選手たち、
怒りも露わに会場中に中指を突き立て、
あるいはこれ以上なく肩を竦めてすすり泣きながら、、
あるいは思い切りのやせ我慢で笑いを振りまきながら、
ことによったら自棄くそのストリップ大会
そんな趣向なんてのも・・・

バカバカしい、とふいとソファを立った我が愚妻。
ねえ、お茶入れるけど、なに飲みたい?とキッチンへと立ってしまう。

そう言えばさ、きたの選手、
スタートと同時にすっ転げては、日本選手の足に齧りついたって。
なにそれ。
つまり、勝ち目が無いのなら、足を引っ張って
で、同じ選手が二回目のスタートでは、
わざと転んで他の選手のすべてを巻き添えにしようとした、とか。
まさか・・
そう、いかにもそれ、きたの方々というか・・
それってもろにそのものズバリって感じで・・・

ただその後にインタビューを受けた日本の選手。
あれ、絶対にワザとですよね。腹たちませんか?
なんていうしょーもない煽りをガンとして受け入れず、
いや、あれは間違いだった。試合の重圧の中での当然の行動、
とかなんとか。
偉いわねえ、まさに人類の鑑。
たださ、その意地の悪い質問を繰り返す糞マスゴミの奴ら。
つまりは、そうやって、つまらない憎悪を煽っては、
その憎しみを銭に変えようと、そんな糞意地の悪いヤツラ、ばかりみたいだな。
でも、その日本の選手、そうじゃないって言い張ったんでしょ?
ああ、そう、なにを言われても、いいえ、そうではありません、と。
偉いわよね。
そう、偉い。まじで偉い。
腹の底ではなにを思っても、そこはぐっとこらえて、スポーツマン・シップ、
その理念を、美学を、根性を貫く。これぞ、スポーツマンのプライドと言うか。
そんな下世話な人たちと、心底関わり合いを持ちたくないからでしょ?
そうなんだろうな、多分。
そういうしょうーもない悪意をこれでもかとツイッターにばらまいては、
それを目ざとく見つけて煽り立てては、WEB上ではこのような意見が炎上してとか、
最近の記事って、そんなのばっかりだものね。
それに政治家が騙されるどころか、自ら率先してタダ乗りしてたんじゃ世話ねえけどな。
そんなのばっかりなんだよね。
そう、そんなのばっかり。見ないに越したことは無いけどな。

とそんな虚ろな会話を交わしながら、
ふと目の前に蘇ってきた、そんなことばかりの世界。
このオリンピックが終わった途端、
そんな奴らのそんな悪意のでっち上げの現実に、
世界は引き戻されてしまうのだな。

そこに吹いたふとした風。
この空虚さ。この虚しさ。

オリンピックがずっと続けば良いとは思わないが、
ただしかし、そうして暮らすこの何気ない日常から、
ほんのすこしでも、清涼感。
それは、また、どこぞの糞政治家の人気取りのダシにされる、
見え透いた美談の押し売り、などではなく、
思わずこぼれ落ちそうになる己の本音を、舌打ちを、罵声を、
そんなちょっとした気配り、あるいは、踏ん張っては、それを理性に変える、
そんな自浄効果が、もう少しだけでも、芽生えてきても良いのではないのか。

人間ってさ、確かに、しょうーもない生き物ではあるのだろうが、
ただ、そう、だからこそ、なんだけど、
このオリンピックのアスリートたちのように、
人間の美を極限まで高めるために、
日夜、身を削って血の滲む努力を続ける、
そんな人達だって存在するのだ、という事実を、
今一度、心に刻み込むべき、そんな時期に差し掛かっているのだ、と。

バイアスロンの競技を見ながら、
なあ、この時代に、
なんでこんな火縄銃みたいな時代遅れの武器で競技を続けているのか。
どうせだったら、アメリカの選手はAR16の自動掃射。
それを言ったら、ロシアの選手はAKで、
下手をすればRPG7で標的台そのものを木っ端微塵。
それを言ったら、スタート直後に相手選手の足を掴むどころか、
下手をすれば自爆テロ。
勝てないと判れば、競技場そのものをぶっ壊してなにもかもを反古にしてしまう、
そんなちゃぶ台返しがオリンピックで行われることになるのか。

ただ、そんなことにはならないのは、
そう、戦いには最低限のルールが必要なのである。
そのルールを取っ払ってしまったその時点で、戦いは争いへと転化しては、
そしてルールを、つまりは理性を失ってしまった人類の行く先は、
本音が本音として、真意が真意として、真実が真実として、
理性を失った心の底辺をほじくり返す、そんな泥仕合の中に転げ落ちるばかり。

美も醜も、善も悪も、下劣さと同時に高尚さも合わせもってこそ人間。
一つの視点から、善ばかりを歌い上げても、あるいは、醜悪の極みのような、
下劣な本音ばかりを振りまいたとしても、それはやはり穿った価値観しか生み出さない。
という訳でこのオリンピック、そう言った意味ではまさに人類の高尚さの極み。
アヴェだ寅ンプだ、金だ銀だ、というこのご時世の中で、
だからこそ、このオリンピアンたちの姿が、これ以上無く清廉にも輝いて見えるのではあるが。

改めて、そのわざと転ばそうとしたキタの選手、
その真意がどうであったとしても、
その真相を、そのからくりを、その悪意を、その真意に、
例えその場にいた人々が気づいていようとも、
いや、そんなことはなかった。俺は、スポーツマンシップを、信じている!
その白々しいまでの理想を頑なに主張し続けることこそが、
競技を紛争に持ち込まない為の、人類最後の希望なのだ。

現代の世に必要なのは、スポーツマン・シップなのだ。
あの脂ぎった政治家タチ、あの人の心理のドブの底を漁りまわるようなマスゴミたち、
そのすべてに徹底的に欠如しているのは、
つまりはこの、スポーツマン・シップなのではないのか?

とそんなことをつらつらと思いながら、
時間は刻々と天下分け目の大激突へと向かい続ける。

ただしかし、今日のフィギュアスケート上に立ち込めたこの不穏な空気。
出場する選手の誰もが、面白いように尻もちを繰り返すこの悪しきムードの中で、
いったいその邪気を、誰がどうやって払うのか。






米国の期待であったMIRAI NAGASUが、
その一大ジャンプの前のちょっとした気の迷いの中に、
飛ぶに飛びきれず、のためらい傷を繰り返すような、
そんな不完全燃焼の演技を終えたその直後に登場した
日本選手・宮原知子。
そのあまりにも吹っ切った姿。
勝ち負けなど、メダルの色など、眼中にない。
私は私のためにこの戦いを続ける、
そのあまりにも思い切りの良い、そして潔い姿。
そこで全ての空気が変わった。
邪は払われ、悪い風が一瞬のうちに過ぎ去った。
途端に首位に躍り出た宮原和子。
もしかしたら、もしかして・・・

そう、魔の棲むと言われるこのオリンピック、
いったいぜんたい、なにがあるかも判らない。

そして、もしもできることなら、
その魔なるものを味方に点けたメドベージェワが、
奇跡の大逆転を遂げては金メダル、
そんな夢のようなドラマを確信しながらも、
そして遂に登場した、アリーナ・ザギトワ。
真紅のコスチュームに身を包んだその姿、
まさに、妖精というよりは、魔女。
この自信に満ち溢れた表情を見る限り、
今日の勝利はまず間違いないに違いない。
ただ、そう、ただ、
もしかするとこのオリンピック、
まさに、なにがあるか判らない魔の棲む魔境である。
もしもこのザガトワを前にして、メドベージェワが勝利を収める、
そんな奇跡が期待できるとすれば、
もしかしたら、このザギトワ、
あの、悲劇のペア、ではないが、
もしかしてこの、あまりに顕になったその真紅のドレス、
その自慢の肩先にかかった肩紐が、プツリと切れて・・
そんな茶番地味た奇跡を期待しない訳にはいかなかったのではあるが・・
そしてこの、アリーナ・ザガトワ、
場内に張り詰めていたに違いない、
その地獄のようなプレッシャーの重圧の中で、
だがしかし、そんな不安な空気の微塵もない自信に満ち溢れた姿。
そのあまりにも凄まじいばかりの超人オーラの中で、
そこが氷上であることもすっかりと忘れ切っては、
バリシニコフのドンキホーテを彷彿とさせる、
まさに世界最上のバレリーナ、そのものである。
そしてそのあまりにも長い手足。
そして後半に控えたファイアー・パワー。
初回のトリプル・ルッツはミスしながらも、
そんなことなにも気にとめることもなく、
両腕を高く掲げての三回転ジャンプをこれもでかと連発しては、
そのあまりのスピード、その優雅さ、そしてなによりその緊張感。
これはこれ、であった。
そしてそのあどけない表情を赤く染めては、
まさに完璧。それを自覚したまさに会心の表情。

やられた・・まさに、やられ切った・・

そう、彼女はまだ15歳、なのである。
この次の19歳でも十分にチャンスのある、
つまりは、失うもののなにもない年齢なのである。
デビューしたてだし、まあ入賞できるだけでも十分、
と笑っていたこの天才少女が、その気楽さそのままに、
まさに溌剌として伸び伸びとしたパワーを思う存分に炸裂させた、
まさに、奇跡の瞬間。
歴史が変わった。時代が変わった、
ザガトワが世界が変えた、と繰り返す解説者。
156.65。
そして、前回のショート・プログラムと合わせて、
239.57。まさに前人未到、圧巻の世界新記録達成である。

そしてメドベージェワであった。
ザガトワの演技を挟んで、控室のメドベージェワの姿が、
度々に映し出されていたのだが、そのあまりにも微妙な表情。
自信と不安、勝気と弱気、天と地の間を絶え間なく行き来する、
そのあまりにも孤独な表情。

果たしてこの神憑り的なまでのザガトワの演技を前に、
土壇場まで追い詰められた絶対絶命の絶対王者、
一体その勝算はあるのか・・

出番を前にして、コーチのアドバイスに真剣な表情で頷く姿。
渡されたテッシュで鼻くそをほじる姿も例えようもなく美しい。
ああこの団子っ鼻。
メイクせずともそのままCATSの舞台に出演できそうな、
この四角い鼻とそしてアニメチックなまでに大きな瞳。
黒豹というにはあまりにもあどけなさ過ぎるその可憐な表情が、
光と影、明と暗、勝と負の間を、目まぐるしく行き来しては、
そして、放り出された土壇場の白い舞台。広大なリンクに唯一人。
やや緊張気味の表情が、音楽が始まった途端に見事に豹変する。
そう、この表情、この、表現力こそがメドベージェワの魅力の全て。

美形と言えども、そこに意志、あるいは、知性を伴わないザガトワのあのあまりにも無頓着な美に比べ、
このメドベージェワ、なによりの魅力はその微妙なる精神性。つまりはそう、ベドベージュワはすでに18歳、なのである。
怖いもの知らずの天才少女から、そして絶対王者を経て、
そしていま、まさに追われる立場としてこの氷上に立った手負いの女王。
そしていきなりの三回転フリップ!まさに完璧。
そして、曲調の変化に合わせては、めまぐるしいまでにその表情を変化させ、笑って驚いて微笑んで、
その表情のあまりの可憐さ。
そしてトリプル・フリッツとトリプル・トウの連続技。
ここまでくればもうなんの不安もない。
その安定感、その優雅さ、まさに氷上の女王の風格に満ち満ちている。

ただ、と正直に思っていた。
ただ、なにかが、足りない。
果たしてこの完璧なまでに完璧な演技の、いったい、何が足りないのか。

演技を終えたと同時に、泣きじゃくり初めたメドベージェワ。

全ての力を出し切ったその笑顔、
そして、全ての重圧から解き放たれたその安堵、と同時に、
どうしてだろう、俺はその涙に、敗れ去り、自身の時代の終わったことをを悟った、
その愛惜の涙、に思えたのである。

確かに、競技直前に負傷した足首、その不安の為、でもあったのだろうが、
そう、彼女には判っていた筈だ。すでに、時代は変わっていたことを。

得点は、まさにザガトワと同数。
ではありながら、そう、前日のショート・プログラム、
守りに回った絶対王者と、そして、攻めて攻めて攻め尽くした期待の新星、
そのあまりにも微妙な精神性の差が、ここに来て、決定打となった。

これが一年前だったら、あるいは、一年後だったら、と思う。
もしも彼女が、ソチに出場することができていれば、
あるいは、19歳の元世界チャンピオンとして、
追う立場を自覚しての、捨て身の覚悟を固めての出場であったとしたら。

敗れ去った絶対女王。全世界を魅了した奇跡の逸材が、
こうして再び、時代の命運の中に埋もれて行くことになるのだろうか。

そしていま、新たな女王となったこのザガトワ。
果たして俺は、何故にこのザガトワという人にそれほどの魅力を感じないのだろう。
美形といえば、ともすれば目も鼻も口も大きすぎるアニメ顔のメドベージェワに比べて、
このザガトワはまさに、典型的なまでの美形である。
そしてなにより、そのあまりにも長い足と、
そして15歳とは思えない、早くも大人の妖艶さをむんむんと匂わせたそのセクシーさ。
ただ、その表情に、子供らしい健やかさがない。
あるいは、既に中年女のしたたかささえ思わせるような、
一種の、老い、を感じるのである。
なんだこの、婆あ、みたいな少女は・・・

つまりそれは、化粧に良し悪しによるものなのか。
あるいは、ロシア人というのがそういうものなのか。
あるいは、15歳という年齢が、そういう時期なのであろうか。

そして、メドベージェワである。
顔つきからだけで言ってしまえば、この15歳のザガトワよりも、メドベージェワの方が一種、幼く見えたりもするのであるが、
ただそう、メドベージェワの表情の中には、
美と醜、善と悪、そしてなにより、そのあまりにもナイーブな内面の溢れ出した、
つまりは、知性が感じられるのである。

スポーツという肉体を酷使する競技の中で、
敢えて、この知性の存在に目覚めてしまった少女。
その葛藤が、そしてその深みこそが、メドベージェワの魅力であったのだ。

敗れ去った絶対女王・エフゲニア・メドベージュワ。
果たして、この先の北京大会に向けて、
彼女はいったいどんな朝を迎えたのだろう。
そしてこの先、彼女にはどんな未来が待ち受けているのだろう。
多彩な人だと聞く。
芸術に、音楽に、文学に、そして世界各国の文化に、
並々ならぬ好奇心を募らせているという。

そう18歳なのだ。
これまで、フィギュアスケートの絶対王者として、
ともすれば、それを強要されて来たであろう、
そんなフィギュアスケートだけの生活から解放されて、
いったい彼女は、いきなり訪れたこの自由の中で、
いったいどんな自分を選択していくことになるのだろうか。








そして全ての喝采が鳴り止んだ後、
その束の間の空虚の中に、現実が流れ込んできた。

失踪者のバラバラ死体が見つかり、
銃規制に向けてのデモが全米各所で燃え盛り、
嘘つきの役人と、極悪人の政治家がグルになっては、
メディアがメディアがと、恫喝と詭弁を駆使しては、今日も今日とて使途不明金のもみ消しに必死。

そして、このオリンピックにおいてにわかに広がった雪解けモード、
南も北も、西も東も、同じ人間じゃないか、
同じ人間だからこそ、時として人間は、これほどまでに美しく輝くことができるのだ。
そんな、能天気とも思われる理想を、
唾を吐きかけて靴の底で踏み潰すような、
現実論を笠に着た、権力者たちの横暴の数々。

いや、だから、俺達の望んでいるのはそんなことではないのだから。

そんな人々の願いが、思いが、その声が、
強欲に浸りきった彼らの耳に届くことは決してありえない。

そして今日も、そんな現実に魔に憑かれては、
押しつぶすだけ押しつぶされ騙されるだけ騙されきった餓鬼たちが百鬼夜行の修羅の巷。

老婆を寄ってたかって袋叩きにしては頭から灯油をかけて火を放ち、
甘い言葉で誘い出しては身体中を切り刻んで廃棄業者に投げ売りし、
そして今日も、株価の上げ下げを横目に、高校生たちがマシンガンで蜂の巣にされる。

いったいこの世の中はなんなのか。
いったい、なにが起こっているのか。

そしてなにより、このスポーツマンシップに溢れた人類の祭典、
その夢のような世界と、なにがここまで、ズレが生じてしまったのか。

そしていま、全米で中で燃え盛るように、
高校生たちを中心とした銃規制を求めるデモ行進が広がっている。

いや、だからさ、と俺は大人の顔で嘯く。

知っているか、あの事件、つまりはあのフロリダの銃乱射。
あの事件、つまりは2月14日一日前に、
銃器メーカーの老舗であるレミントン社が経営不振を理由に倒産手続きの「噂」を流した。
その途端に、この事件、なのさ。
そして覚えているか、あのラスベガスでの乱射騒ぎ、
あの後に、また性懲りもなく、銃器メーカーの株が跳ね上がった。
つまりはそう、この銃乱射こそは、株価の操作を利用した出来レース。
銃規制が騒がれれば騒がれるほどに、
銃弾の買い置きに走った銃マニアたちの為に、
銃器メーカーの売上が跳ね上がる。
それと同時に、寅ンプのようなキチガイが、
それこそ銃器メーカーと二人三脚を初めた途端、
安心したマニアたちは、弾を買わなくなるから、
それによって、弾屋の売上が激減しては、
そしてまたでっち上げられる乱射事件。

つまりはそう、世の中、そういう仕組になっている訳でさ・・・

だったら、だったら、どうすれば良いのさ。

そんな幼気な若者たちに、俺たち大人は、いったいどんな言葉をかけられるのだろう。

だから、そう、お前らももう少し大人になって、
現実を現実として粛々として受け止めては、

で、それでいったい、なにがどうなる訳?

だから、そう、とりあえずは、今日の食い扶持を確保しては、
可もなく不可もなく、平凡な現実を平々凡々として過ごしながら・・・

それで?どれで一体、なにがどうなるわけ?

そう、なにも、どうにも、ならない。
ならないのが、現実で、
そして、それが起こってしまったときには、
それを粛々として受け入れる、受け入れざるを得ないのが、また現実というやつで・・

そして若者たちには叫ぶだろう。

そんなもの、要らない!
そんな現実など、くそくらえだ。
そんなものがいったいなんになるのだ。

そしてそんな現実の中で、細やかな既得権益に縋り付きながら、
そして今日も、人が切り刻まれ、暴走車が通行人を跳ね飛ばし、
そして、どこぞの悪者を退治するために、
山のような使途不明金が湯水のように注がれては、夢のように消えて行く。

そして降って湧いたような正義の怒りがでっち上げられ、
そして歯の浮くような美談と、誰にでも判る悲劇と喜劇の間で、
人々はまた騙し騙されしながら、細やかな現実を粛々として生き続ける。

バカバカしいって?
ああ、そうさ、バカバカしいさ。

腹が立つって?
ああ、そう、俺だって腹が立ったさ。そしていまでも腹は立っている。

で、ならばどうして、誰もなにも言わないのだ?

だから・・と、誰もが口を噤む。
だから、だって、誰も言わないから・・

誰だって、知りもしない人間から、良いの悪いの言われたくはない。
誰だって、自分の子供を撃ち殺されたくはない。
誰だって、それが世界のどんな人達にしたって、毒ガスに巻かれ、銃火に追われ、
そんな世界は見たくない。知りたくない。あって欲しくない。

そう誰もが思いながら、それがなぜ、実現しないのか。

つまりは誰も、それを本気で望まなかったから。

その無関心が、その無責任が、
その事なかれ主義という名に隠れた臆病、
そんな無言の不安感の中で、

YESともNOとも言わないならば、
こっちの勝手にさせて貰う、とばかりに、
既得権益者はますますとその既得権益を増幅させ、
使途不明金がますますと膨れ上がっては
誰の目にもつかぬ場所にせっせせっせと運ばれていく。
そして物も言えぬ人々は、その細やかなる現実の代償として、
その収入のほとんどを、嘘つきの役人と盗人の政治家に、
まんまと掠め取られていくばかり。







オリンピックの終わった途端に、
そんな絶望的な現実が一挙に押し寄せてきては、
またどこかで人が死に、そして切り刻まれた頭部がどこぞから発見され、
そして再び、あのドヤ顔の強欲人たちの高笑いが蘇ってくる。

だから、俺達が望むのは、そんなことじゃ、ないんだ。

そして、次は、6月のワールド・カップ。
いや、その前に、ベビーメタルの全世界ツアーが始まるではないか。

そう、人間早々と捨てたものではない。
現実だって、視点を変えれば、それほどまでに悲観的なものではないはず、なのだ。

そんな絶望的な空虚感の中で、
果たして、この世界を、いったいどこの誰が喜んでいるのか、
そんなことを、ふと思ってみたりもする。

この、誰ひとりとして誰も望んでいないであろう現実の中で、
その不思議を、純然たる不思議として、疑問を投げかける、
そんな不条理を不条理として、確固たる覚悟で意義を申し立てる、
そんな時期に、そろそろと差し掛かっているとも思うのだがどうであろうか。

そしていま、この二週間の間に世界を包んでいたであろう、
この輝かしきオリンピアンのオーラの中に、
世界にスポーツマンシップを取り戻す為に、
いったい、俺達は、なにをすべきなのか。

その理想を、理想を知りながら追い続ける、
その必要性を、そしてその逼迫性を、改めて感じ入る祭りの後、なのである。








そしていま、祭りの終わったニュース映像の中に、
大会中は見ることもなかったカーリングの映像を眺めている。

そう、ここ米国において、男子カーリング・チームが、
奇跡の金メダルを獲得したことがちょっとした話題になっているのである。

そう、今更ながらこのカーリング・チームである。

つい先日まで、世界中のだれひとりとして知ることもなかったこのカーリングという競技。
いったいその競技が、どんなルールによって闘われているのか、
それすらも知らないまま、であるのだが、
改めてこのカーリングの選手たち、
見る限り、とてもとても、誰ひとりとしてスポーツ選手には見えない、
下手をすれば、どこぞの工員さん。あるいは中古車のセールスマン。
世の誰からも知られることもない、地の果てのような名もない街で、
粛々として糞面白くもない現実を渋々と受け入れながら、
物静かに一生を終える筈であった、そんなあまりにも普通な人々が、
いまや全米からの喝采を浴びては、伴に喜び伴に泣く姿。

今更ながらこのカーリングの勇者たち。
全てのオリンピアンたちに宿っていたあの超人的なまでのオーラ、
その何一つして持ち得ないこのあまりにも普通な人々の姿。
ただ、そのあまりにも普通な姿こそが、
このオリンピックという天上の闘いにおける、一種の清涼剤にも思えて来たりもする。

そっか、カーリングか。

そして日本でも話題になっていた、かの藤沢五月さんの姿。
美女、というよりは、あまりにもどこにでもいそうなその姿。
いかにも上司と不倫でもしていそうな地方支社のハイミス嘱託社員、という風情ではありながら、
そんなあまりにも普通の人々が、一心不乱にストーンの行方を追い続ける視線。
その姿に、思わず、美しいな、と思う。

そう、美の原点とは、この視線、なのだ。

人間の美の真髄こそは、その視線。

その図体が、風情が、どうであっても、
人間はその視線、つまりは瞳の輝きさせ失わなければ、
人間としての美、つまりはその尊厳を失うことはないのである。

そっか、カーリングか。

この地球の何処かで、誰に知られることもなく、
一心不乱に、ひとつのストーンの行方に目を凝らしては、
その瞳を輝かせている人々がいる。

そう、強いて言えば、その瞳の輝きなのだ。

瞳の輝きを失わない為には、ストーンを、つまりは、目的を失わないことなのだ。

その姿勢こそが、あのオリンピアンたちの、美の真理、なのである。

失わないことだ。いつでも、どんなときでも、なにがあっても、そしていくつになっても。

世界でなにがあっても、俺は俺のストーンを追う。
泣き言を言わず、愚痴を漏らさず、
ただひたすらに、俺は俺の標的を追い続ける。
それを忘れない限りは、人間はそうそうと、醜悪なものではない筈なのだ。

さあ、明日からまた仕事だ。

ベビーメタル、新曲はまだなのか?







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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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