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「総括・平昌五輪 ~ 閲覧注意的狐火印象羅列」

Posted by 高見鈴虫 on 02.2018 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments


という訳で、祭りも終わりツワモノどもが夢の跡。
誰も読んでいないのは承知の上で、
引き続き、しつこくも執念深くも、
またまた平昌オリンピックのネタでござる。

でまあ、それもこれも毎度のことではあるのだが、
どうせこんな四年に一度のオリンピック、
熱狂しているのは開催中だけで、
冬が終って喉元過ぎれば
もう誰ひとりとして選手の名前どころか、
そんなことがあったことさえも忘れてしまう。

そしてあの平昌の会場も、
夏を過ぎたころには一面に雑草の生え茂ばかりの廃墟と化していること間違い無し。
なんてことも承知の上で、
だからこそまだ余韻の残っているうちに、
忘れないうちに、認めておこう、
時よ止まれ、君は美しかった、あの瞬間の数々を。

とまあ、そんなことを思いつつも、
清く正しく美しき、美談ネタは、
もうすでにどこぞの誰やらの手にかかってはすっかりと垢まみれ、
いまさらんなことをこんな糞ブログに期待している輩も居ないであらう。

という訳で、そう、これは個人ブログ、
誰にも銭一文も貰っちゃいねえ、
個人が個人として、好き勝手に近眼的印象論を羅列するばかりの、徹底的に客観性に欠ける妄想の暴走。

とそのことをしか:確と御承知頂いた上で、
本平昌オリンピック、独断と偏見にみっちゃん満ち満ちってか、それ以外にはなにもない、狐火暴言その本音ばっかり版、という奴を勝手に綴らせて頂こうと思う。





という訳で、一発目、
初っ端からメドともザガともまったく全然関係ない話でなんなんだが、

お題は、「日米友好オリンピック万歳!」





実はさ、今回の平昌オリンピック、
米国において独占放送したNBC局。
米国四大ネットワークであるところの、
例えば、他のFOXとかだと、赤首と黒人御用達、
つまりはB層C層D層向けの、
馬鹿の馬鹿による馬鹿の為の共和党系放送局。
あるいは、ABCとかだとヒラリー親衛隊でガチガチの民主党系。
でどっち付かずでそんなことどうでも良いってのが見え見えのCBS、
とかがあるんだけど、
それらの四大局の中にあってのこのNBC、
私達、一応はまともです、的なまあ中道アピール。
で、この一応まともです、のNBC、
つまりは、米国のごく一般的な良心の代表、
ってことにもなるのだろう、
そのいかにも中道的視点において、
最近のオリンピックは毎回このNBCが独占中継する、ということになっているらしい。

でまあこちら米国に於けるオリンピック中継。
まあ当然と言ったら当然のことながら、
そんな米国を代表するテレビ局である以上、
米国人の米国人による米国人のためのオリンピック、となる。
ただ、そもそもが移民の国であるところのこのアメリカ合衆国において、
そもそも純然たるアメリカ人ってのは果たして一体どんな人のことなのか、
なんてことをつらつらと思いながらも、
だからこそのこのオリンピック中継、
この移民の国の人種の坩堝において、
アメリカとはいったいなんなのか、
それを明確に位置付ける、
あるいは、しっかりくっきり印象づける、
というのがこのオリンピック中継の主目的ともなる訳で、
で、そんなオリンピック中継、
つまりは、米国人の活躍する種目において、
米国人の活躍を応援しては国家意識の向上、強いては愛国心の鼓舞こそが放映の目的で、
結果その放映時間のほとんどは米国人選手が対象。
来る日も来る日も、米国人選手の活躍ばかりが、
これでもかと誇大喧伝されていく訳なのだが、
で、そんなアメリカ選手中心の番組構成の中で、
そこに日本人選手なんてのが登場するのは、
実にごく稀のその稀。
例え日本人選手が金メダルを取ったとしても、
余程の人気種目以外でない限り、映像が流れないどころか報じられもしなかった。

日本の報道においてはあれほどまでに世界の注目を独占した筈のこの歴史的快挙が、
ここ米国においては、まったくもって鼻もひっかけられない、なんてことが度重なる事情があって、
改めてこのオリンピック報道における国家間の障壁、そのあまりのギャップを前に、
つくづくと溜息をつかされることが多かった。

という訳で、毎回毎回のことながら、オリンピックのたびに、その異国暮らしのその侘しさを、その現実を、これでもか、と思い知らされることにもなっては、

ああ、アメリカくそったれ!
NBC、てめえらなにを考えてるんだ、
もっと国際的な視野に立ってグローバルな視点から、
真の世界的に意義のある放送を・・・
つまりはぶっちゃけ、
俺は日本人選手の活躍が観たい、
あるいは、そう、俺は日本人以外は観たくねえんだよ、と。

という訳で、このオリンピックにぶち当たるたびに、思わぬ郷愁の念に駆られては、自国第一主義のエスノセントリズム。
日本万歳、日本こそが世界一。
ただそう、世界はそれ程甘くはない。
或いは世界中の人々が、それぞれ内心ではそう思っている。
つまりそんなわがままを言えば言うほどに、
帰属意識は益々細分化を繰り返しては内向に向かう事になる。

ただ、それが判っていながら、判っているからこその母国愛。

ああ、日本に帰りたい!
俺は、日本人選手の、活躍する姿が観たいんだ!

日々そんな怒号を叫びながら、血の涙を流しながら、
つくづくこの、異国暮らしの身の上を呪うことになる、

ってのが、これまで、定番にもなっていた、
のでは、あるが・・・





でさ、実は、今回のこの平昌オリンピックにおけるNBC局の中継なんだけど、
どういう訳だが、そう、そのフラストレーションが一切、なかった。感じなかった。

今回の平昌オリンピック、
俺はここアメリカの、米国人の米国人による米国人の為である筈のオリンピック中継において、
日本人がメダルを獲得した種目はほとんど全て、
完璧というぐらい完全に、観戦することができたのである。

さすがに、日の丸掲揚のメダル授賞式の放送こそなかったが、
男女フィギュアスケートはもちろんのこと、
ジャンプの高梨から、フリースタイルの原から、
ノルディックの渡部から、スケートの小平・高木から、
スノボーの平野から、そして、女子カーリングに至るまで、
それはもう、完全網羅、って感じ。

改めて今回のこの平昌オリンピックの中継、
日本人選手の扱いが、
いつになく、とてもとても親切丁寧であった、ありすぎた。

ああ、これも安倍さんの芸者外交の成果、
その隠れた恩恵という奴なのか、
などと思って見なかった訳でもないのだが、
ただ、そう、今回の平昌五輪の放送、
どうにも、日本人選手の拾い方が、あまりにも丁寧過ぎて、
感謝感謝雨霰、いやあ、NBC、おまえら、大人になったじゃねえか、
とかなんとか、
とそんなことを思ううちに、
逆にちょっと、薄気味悪くも、なって来た訳だ。

ご存知のように、現職の米国大統領である寅ンプ氏、
米国国内は元より、世界各国その津々浦々で、完全に鼻つまみも鼻つまみ。
世界どこに行っても罵倒と嘲笑を浴びせられる、
まさに悪のトリック・スター、犬からさえも逃げられたブラック魔王そのものである。

それがために、いまやすっかりと世界の嗤われ者になってしまった米国人にとって、
最早日本ぐらいしか、お友達がいない、ということなのか・・・

などとは感じないわけでもなかったのだが、
それと同時に、なんだろうこの、あまりにも気味の悪いほどの日米友好気運。
なんかこれ、ことに寄ったら、属国扱い、衛星国処遇。
あるいは、言ってはなんだが、プエルトリコと同程度の、
つまりは、そう、米国の一部の自治連邦区、
ぐらいの扱いではないのかな、と。

日本が米国の一部?米国の自治連邦区?

まあそう、米国によるこんな特別待遇は、
ことによれば、ある種の人々に取っては、
それこそは外交努力の結実、ということでもあるのだろうが、
ただ、それがもし、本当の本当にそういうつもり、であったのだとしたら、
それはそれで、ちょっと妙に、不安な気がしないでもないのである。

日本がアメリカの一部扱い・・
そうか、ついにここまで来たのか、来てしまったのか、と。
ちょっとそんな、落胆、というよりは、脱力を感じない訳には行かなかった。

まあそう、今や、人生の半分以上を米国に暮らす俺にとっては、
ことの真相がどうあれ、オリンピックの中継で日本選手の活躍が、
お腹いっぱいになるまでみれる、それだけでも、御の字、ではあるのだが、
ことによればそれ、
つまりは、このキチガイブラック魔王が、
今後の極東に置いて一大軍事作戦、なんてものを展開することになった時、
我が日本はすっかりと属国扱い、つまりは、家来扱い。
下手をすれば、弾除け用の人身御供、
リメンバー・パールハーバーではないが、
米国内での戦意高揚プロパガンダ用の、体の良いスケープゴート、
なんてものに、されてしまったりもしないのか。
とすれば、もしかして、今回のこのNBCの日本人選手に対する特別誂えにも、
そんな伏線が引かれたりしていたのだろうか、
なんてことを、ついついついと、思わないでもなくもなくもなくもなくも・・・

まあそう、これはただの印象論である。
印象とはつまりは潜在意識によって導かれるもの、
それが、潜在的な願望であろうと恐怖であろうと、
まあそう、客観的なデータと照合した訳ではまるでなく。
つまりは、考えても判らないことをいくら考えても無駄。
よく知りも知りもしないことに余計な印象論を差し挟むべきでもないのだろうが、
ただ、戦後は続くよどこまでも的現実が、
遂に終わりを遂げたのかこの戦後レジームの脱却、
とは思いながら、
と、そう言えば、先年に我らが寅さんが日本に来訪した際、
成田、あるいは、羽田を、使わず、
敢えて、なんで、わざわざ、横田なんかに、
降り立たなくてはいけなかったのか、と。
-> NHK中継米軍横田基地

で、そう、実はその、寅ンプが成田、ではなく、横田に着いた、
その映像が、繰り返し繰り返し、しつこいぐらいに、
こちらのニュース局でもヘビーローテーション。

寅さんもがんばってまっせえ、というデモンストレーションなのか、
とは思ってもみたのだが、その後の訪問先のどの国においても、
これほどまでの映像演出はなされなかったと思う。

でそう、この寅さんの横田での演説、
今更ながら、その意味することを、よーく考えてみて頂きたい。

改めて、このしつこいぐらいの日米蜜月の演出、
つまりは、我日本国の芸者外交のその一大成果、な訳なのだが、
かの、ミスター不沈空母・中曽根の、芸者どころかゲイそのもの、
をすっかり見抜かれての、おかま外交、
口先ばかりは、ロンヤスだ、不沈空母だ、と笑われながら、
で、その、先に待ち構えていたことが、いったいなんだったのか、

改めて思い出してみても、遅くは・・・・ 
あ、もう、遅いか、いまさら・笑

という訳で、はい、そんなこと今更言ってみたところで、
かのイケイケの男芸者さんたちには知ったことではないのだろうし、
そしてご当地の米国においては、
あの猿ども、すっかりと騙されやがってと人知れず嘲笑られる、
そんな気運をひしひしと感じるのは、ただの被害妄想という奴なのか、と。

まあそう、どちらさんも好きにやってくれよ、
今更俺の知ったことではあらない、
ってか、ははは、正直、もうすっかり手後れ、だと思っているので・笑
まあそう、なるようにしかならねえ、
ならないんだとしたら、とっくりとかぶり付きの最前列で、
わが祖国存亡のジタバタを、思い切り堪能させて頂ってのも悪くはねえかな、
と思っている次第。
まあそう、好きにやってくれ。俺には、知ったことでは、あらない。

という訳で、アメリカ万歳、あゔぇさんバンザイ、
そして、日米友好オリンピック万歳!
祭りの後は野となれ山となれ、と。



と、初っ端から辛気臭い話で恐縮だったので、
次の話題は、すっかり正気に戻ってまたまた、麗しのロシア娘。
そう、でさ、悔し紛れの混ぜ返しのいちゃもんではないが、
そう、なぜ、メドベージェワは負けたのか、と。

「セーラームーンはなにに敗れたのか」





という訳で、お膳立て的には、
期待の新星に追い立てられたメドベージェワが、
土壇場の最後の最後になって奇跡の大逆転、
ああ、いとドラマチックかなオリンピック、
という筋書きがすっかり出来上がっていた、にも関わらず、
んだよ、それ、結局はザガの逃げ切りかよ、
なあんだ、つまんねーの、というブーイングも判らないではなく。

ここ米国も含め、いまだにフィギュア通を自称する方々からは、
あの採点はイカサマでごじゃる、とのご意見が多々あがっていると聞く。

つまりは、後半のジャンプの得点値が高いことから、
あのザガトワの演技、前半を時間つぶしのダラダラ滑り、
で、後半はジャンプばっかりの得点稼ぎ。
あの小娘、あざといにも程があるぜ、とかなんとか。

たださ、と、別にザガの肩を持つわけではないが、
こと、今回のオリンピックに関して言えば、
それはまことに、心苦しいことではありながら、
あの演技をみるかぎりは、ザガの圧勝だよ、それは間違いない。

メドベージェワの演技が終わったその瞬間、
解説であったタラ・リピンスキーからも、
ああ、ダメだったわ。
思い切り期待してたけど、今日は、今日に限って言えば、
奇跡は起こらなかった・・

そう、このタラ・リピンスキー、
あの長野五輪での金メダリストであり、
いまも相棒であるジョニー・ウィアーとの超絶デコボコこんび、
その歯に衣着せぬ辛口が売りの超人気解説者、
ただその辛辣なコメントのすべてが、
つまりは、やったものでなくては判らない、
その高みに立った経験のあるものにしか判らない見地から、
ずばりずばりとその真相を、真実を、
選手たちのその内心の葛藤さえもを見透かしてしまう、
そんなタラ・リピンスキーの口から、
溜息まじりに、ああ、メドベージェワ、ダメだった、
そんな声が、絞り出されたのである。

そう、ダメだった。
我が愛しの舞姫、今日は、今日に限っては、奇跡は、起こらなんだ・・・
そして、演技を終えたメドベージェワのあの涙・・
あれにいったい、なにを見たのか、その主観的な印象的理解であるのだが、

俺は正直なところ、あの涙、
敗北を悟ったメドベージェワの、悔恨と同時に、
これまでの積もり積もったプレッシャー、あるいは人生そのものに対する、安堵、或いは愛惜の涙、だったのではないのだろうか、と。

終わった、そして、ダメだった、
これだけやっても勝てなかった、
奇跡は、神風は、吹かなかった、

その事実を、なによりも悟っていたのが、
このメドベージェワ自身ではなかったのか、と。

でまあ、今更ながらその言い訳的解釈ではあるのだが、
負傷を押しての出場となった手負いの女王と、
乗りに乗った15歳の期待の新星という立場の差。
その勢いが、輝きが、あまりにも違いすぎた、
そんなことは誰の目にも明らかだろ、と。
或いは、もしもメドベ派一本槍の方々の妄言を信じる通り、
もしもあのメドベージェワの演技が彼女の最高域であったのだとすれば、
言っちゃなんだが、そしてそう、あのタラ・ルビンスキーのコメントではないが、
あれがメドベージェワの限界だったとすれば、
既にメドベージェワの時代は終わった、
あるいはそう、その直前に行われたザガトワの演技を持って、
時代は疾うにすっかりと、塗り替えられてしまっていたのである、と。

ただね、そう、ジョニー・ウィアーも言っていたが、
これは、普段のメドベージェワではなかった。
つまりは、そう、メドベージェワ、このオリンピックの晴れ舞台において、
ベストのコンディションで戦えなかったのは事実であるし、
そして、なによりも18歳という年齢。
すでに、儚きロシアの春、その終奏に近づいている訳で、
つまりはそう、ソチに若すぎそしてこの平昌では既に燃え尽きた後であった、
その四年というサイクルにおける運命のいたずら。
そしてこの後、余程の減量を続けない限り、
今後のフィギュアスケート界、
トリプル・ルッツ五回連続が当たり前やら、
ともすれば、四回転、あるいは五回転、
なんていう競技というよりは限りなくアクロバットに近い別次元の戦いに、
まさか勝ち抜いて行ける筈はない、と。

という訳で、そのひとつの時代の終焉の光景が、
あの、エギゼビション。
全身トラ柄で度肝を抜いたザガトワと、
黒のフードを被ってご登場したメドベージェワ。
はい、勝負あった、と・笑





という訳で、俺はメドベ派を公言しながらも、
こと、この平昌オリンピックにおいては、
メドベは完敗であった、それを確信している。

それを明言したところで、
改めて、このメドベージェワの敗因なんだが。。。



「WHO KILLED BANBI 誰がバンビを殺したの?」

当初から、実は、このメドベージェワの敗因という奴を、
また、加熱しすぎたメディアの騒ぎ過ぎの、
なんてところが原因なのでは、などと穿った憶測を立てていた。

これまで数限りないグランプリを獲得した
絶対王者であるところのメドベージェワ。
そのメディアへの露出度、そしてその扱いの上手さは、
まさに、スポーツ選手というよりは、アイドルのそれ。
改めて、YOUTUBEで海賊映像を漁るまでもなく、
このメドベージェワ、
まさに、世界各国ありとあらゆる言語において、
徹底的なまでのメディア露出度、
その、メディア受けの素晴らしさが、まさに半端ではない。





日本のカメラに向けてはたどたどしい日本語で、
ニホンの皆さん、アリガトウゴザイマス。みんなみんな大好きです。
それと同時に、米国には米国人向けに、
ドイツでもフランスでもスペインでもイタリアでも、
そして、もちろん、韓国でも中国でも、
完璧なまでにメディアへの対応の責務を果たしきっている。
目の前にずらりと並んだ世界各国津々浦々のカメラの前で、
そんなカメラに四六時中に渡って徹底的に追い掛け回されながら、
嫌な顔ひとつせずに始終完璧なまでの愛嬌を振りまくその姿。
そしてどこぞの講演会の、在住ロシア人会の、アルメニア同人会の、
どこぞのお偉いの、実力者の、顔役の、スポンサーの。。
そして飽くこと無く繰り返される歓迎パーティにも、
そしてそのたびに繰り返される記者会見にも、
あるいはもしかして、夜の接待にも、
まったく疲れた顔ひとつみせず、
まさに世界フィギュア界の女王の中の女王として、は元より、
世界スポーツ界を代表する美貌のスターとして、
ともすれば、今回のこの平昌オリンピックの宣伝広告塔として、
そんな役割を十分に自覚してはいた、ということなのだろうが、
NBCでも度々に放送されたインタビューの風景。
流暢とはいえないまでも慣れた感じでスラスラと英語を話すその姿に、
まさに女王の風格、と同時に、スターであることに慣れきりながらも、
だがしかし、日一日と世紀の本番を控えたその中で、
あまりのプレッシャーに身体中がきしみ上がるような緊迫感、
その表情そのものを、周り中を囲んだカメラからどこまでも追い回されては、
そんな状況の中で、
確かに、メディア疲れの印象が、しみじみと感じられたのは、確かなのである。

そしてそれに対するザガトワ。
若干15歳の生粋のロシア娘、ということで、
英語は喋れません、とハニカミ笑い。
その代わりという訳で共同記者会見においても
質問に応えるのはいつもメドベージェワ。
どこの歓迎パーティにおいても、スターの役はいつもメドちゃんで、
ザガはいつも、隅の方でおとなしくおしとやかに、
控えめな微笑を浮かべているばかり。

この二人の女王の、そのあまりの扱いの違い。立場の違い。
そして、その結果がこそが、この大会であったのかな、と。

つまりは、メディアに踊らされ、翻弄され、
いつしかそこに疲れ、苛立ちながらも今更それから逃げるわけにも行かず、
そして最後の最後までメディアの手の中で転がされ続けたメドベージェワと、
幸か不幸か、そんなメディアの攻勢から身をかわしながら、
その分、思う存分に競技そのものに集中することができたザガトワ、
この結果とは、つまりはその差であったのではないのかな、と。

つまりは、メドベージェワはメディアに潰されたのか、と。

改めてジャンプの高梨の例を上げるまでもなく、
このメディアの狂騒こそは諸刃の剣。

そして、特にそこに、日本のメディアなんてのが絡んだ途端、
そのあまりにも執拗な攻勢から、
逃げ切れる選手というのはそうザラに居るものではない。

メドベージェワ、すっかりあのニヤけた吸血鬼たちにやられちまったんだな、
そんなことを思いつつ、
で改めて、
これまで幾度となく愚痴り続けていたベビーメタルのメディア扱いの件。

その動向が、成功が、真髄が、ほとんどメディアに乗ることのない
このベビーメタルのステルス作戦。

そのあまりの露出度のなさに、
日々大いなるフラストレーションを募らせながせながら、
ともすれば、これは陰謀だ、策略だ、と騒ぎたくもなるのではあるが、
そう、このロス期の辛さの中で、
それが例えどれほど他愛のないことであったとしても、
すぅちゃんとママが駅前のスーパーにお買い物に行きました、
どうやら今晩はお鍋のようです、やら、
最愛ちゃんがまたまたお台場のカフェでクリームパフェを食べ過ぎましたやら、
ユイちゃんの卒業試験の成績が何点で、やらやら、
それがどれほど他愛のないことでも、
三姫たちのことが伝えられ、
そのニュースによって三姫と繋がっていられる、
そのことが確認できればできるほどに、
伝えられるものであれば伝えて欲しい、
そんなことを思わないではない、確かに思わないではない、ながらも、

そう、そうなんだよ、そんな安易なニュースを垂れ流す、
このメディアこそが、諸刃の剣。

このメディアという名のピラニアたち。
ぶんちゅん砲だかなんだか知らねえが、
そのお題目にかかげた正義のとは建前だけの一皮剥けばただの銭の亡者。
それがニュースになる素材であれば、つまりは金になるのであれば、
それがいったいどんなことであっても、それが彼女たちにとって良かろうが悪かろうが、
徹底的に漁りに漁りまくってはゴミ箱の底までひっくり返し、
おだてるとなれば、花でも豚でも真珠でも木の天辺にまで担ぎ上げ、
一度それがひっくり返るや、とたんに手のひらを返しては叩くだけ叩きまくっては、
血みどろの引き回しの上に棺桶までこじ開けて墓場まで掘り返し。

そう、そんな血も涙もない仁義も糞も理性もへったくれもないメディアの方々。
それはまるで、サメというよりはピラニアというよりは、まさに虫。
限りなく、堀便所のドアの向こうの銀蝿の大群、
あるいは、そう、それはまさに殺人スズメバチ軍団。

ブンブン、ワンワンと始終泣き続けては、
一度窓を開けた途端、
その隙間から一挙になだれ込んできた羽虫の群れ。
そんなのに四六時中集られ続けては、
プライベートの一切のむしり取られ踏みにじられ、
そんな生活に正気を保てる人間などそうザラにいるものではなく、
それが、芸を、技を、磨くものであれば尚更なこと。

という訳で、今回のメドベージェワの例を上げるまでもなく、
ベビーメタルがメディアに出ない、ということは、
もしかして、とてもとても、好ましいことではないのかな、
と、そんな確信を新たにした次第。

改めていう、
このメディアこそは諸刃の剣、どころか、
まさに、諸悪の根源。

世の善も悪も、すべてが飴と鞭。
よいしょと中傷によってすべてがすべてでっち上げられる、
と信じるこの笑顔のファシズム。
そんなメディアという殺人蜂の攻勢から、
いかにして身を守るか、というのは、
いまや全ての人間にとって、死活問題。

君子危うきに近寄らず、
ベビーメタル、糞虫とは関わらずこそが、
最良の方法なのだ、と、思いを新たにした次第。

ベビーメタル、ステルス作戦大歓迎である。

真に実力のあるものは、
心の道を目指すものは、
メディアになど関わるだけ時間の無駄。

その真意は、ステージの上、
あるいは、競技の上、そのリングの勝敗だけによって測られるもの。

それ以外ではあってはならない、
それこそが勝負師の唯一の真実、なのであある、と。

そんなことを思わないでもなかった、
メド・ザガの頂上決戦なのであつた。









とかなんとか言いながらも、
でもさ、だからと言って、
天下の絶対女王・メドベージェワ、だぜ。

そんなメディアの対応ごときで、
視点が揺らぐ、そんなことが在るわけはないだろう。
そんなヤワなメンタルをしていたら、
あの極限の緊張状態で行われる土壇場の大勝負で、
そもそも、この絶対女王の座など、勝ち取れるはずもなく。

つまりはこれ、たぶん、メンタルの問題ではないのではないか、
というのも、まあそう、言ってみれば当然の話。

であれば果たして、メドベージェワのその敗因の真相とは、
いったいなんだったのか、

と新たな仮説構築の道を探しながら、
で、いまひとつ思い当たったこと。

つまりはその、右足の負傷、という奴。


「氷の女王の隠された真実」


今回のメドベージェワ、
ひた隠しに隠しながらも、隠しきれる筈もなかったその右足の負傷。
昨年春に行われたロシア大会における未曽有の転倒。
そこで受けた傷が癒やされぬままに、
また次から次へと競技場と練習場を行ったり来たりの壮絶な戦いの日々。

そう改めてこのアスリートたち。
四年に一度のオリンピックしか観ない人々にとっては、
この選手達は、四年に一度の祭典の為だけに、
こうして国家予算を食い散らかしては勝手な練習を続けているのか、
などと思うのは大馬鹿間違い。
そう、この世界トップクラスのアスリートたち。
普段から世界各地での競技大会を次から次へとこなし続ける日々の中で、
このオリンピックというのも、そんな日常的なまでの競技大会の中の、
一つの、ちょっとした風変わりな、大会に過ぎず、と。

これが終わったら、次は3月のミラノの世界大会。
その後も休みなく、なんちゃらグランプリからうんたら世界選手権から
次から次へとコンペティションの巡業を飛び回る日々な訳で、

そう、テニスだって四大グランドスラムだけが試合ではなく、
その間を、まさに、みっしりとばかりに世界各地での地方大会に、
そのスケジュールは一年中、徹底的なまでに埋め尽くされている訳でさ。

でまあ、そんなアスリート達の日常の中で、
その生活のコアとなるのがコーチという存在。

試合中は元より、日々のトレーニングのメニューから食事の献立から、
睡眠時間の調整から起床時間の決定に至るまで、
アスリートたちのその生活のすべてが、このコーチの手に委ねられている筈。

であればこそ、テニスと言わずフィギュアスケートと言わず、
アスリートとコーチの関係は、やはりそれぐらいにまで重要なものであるに違いなく、
と、そんな仮説に基いて、
改めて、このメドベージェワと、そしてザガトワのコーチ。
エテリ・トゥトベリーゼ という人であるらしい。







おっと、モニカ・セラ!と思ってしまったその姿。

いやあ、この方、いやはや、と思わず溜息が漏れるほどに、
見るからにして絵に描いたほどに、徹底的なまでの鬼コーチ風情。

まさに、スポ根系マンガの中から、
そのまんまで飛び出てきたかのような、女宗像、というか星一徹というか、
そうまさに、惚れ惚れするどころか、
一目見るだけで思わず背筋が寒くなりそうなまでに冷徹なご表情。
鉄の女、氷の女王の異名は伊達じゃないぜ、と。

で、改めてこの鉄の氷の女王さまたる鬼コーチ。

そのモットーたるものは、
練習では150%、本番では110%
つまりは、
普段から限界を超えた練習の積み重ねによって、
選手たちは技術のみならず精神的に鍛えられていく・・

つまりは、根性根性ど根性の、
古き良き体育会精神の、まさに「鑑」のような人である、と。

で、まあ、その良し悪しはとりあえず、
そう、この鬼の根性主義が、今回のこの金銀独占、
という結果、なのであろう、が、が、が、
が、ただ、正直なところ、ああ、やっぱりなあ、と思ったんだよね、俺。

つまりはこれ、使い捨てだろ、と。

つまりは、あの広大なロシアの大地、というお国柄において、
その人材は無尽蔵。

その津々浦々、強いては世界各国からも集まってくる数限りな少女たちの中から、
厳選に厳選を重ねながら徹底的な減点主義的成果主義。

その無慈悲とも言えるスパルタ式を無理強いに無理強いを重ねては、
それに着いてこれる人材だけを引き上げては、
そして、それに着いてこれなくなった選手は、
血も涙も無く切り捨てていく、と。

つまりはそう、あのリプニツカヤ、
あのソチの妖精と謳われたリプニツカヤが、
しかし、その後続たるメドベージェワにその座を奪われてはすっかりとお払い箱。
そして、多分、というか、もう、確信を込めて、
いま、そのリプニツカヤとメドベージェワの関係が、
この五輪大会における、メドと、そして、ザガトワの、
関係にそっくりそのまま移行しただけの話。

つまりは、このザガトワという奇跡の新星を前に、
この鬼コーチの関心は、いまやすっかりとザガトワによるオリンピック連覇、
それ以外にはない筈。

であれば、このメドベージェワ、
その行く末はと言えばすでに火を見るより明らか。

でさ、あの、言っちゃなんだけど、
この毎日毎日を過酷な特訓でしばきあげ続ける、
その人知の限界を超えた地獄の特訓が、
技術と精神を鍛えあげるのだ、
というのも、まあ判らないではないのだが、

ただ、そう、先の錦織の例を上げるまでもなく、
あるいは、そんな根性主義的な体育会の覇者である筈の元高校球児たちが、
ついに夢がかなってのMLBデビューを遂げた途端の病院送りの戦力外通告。

そうやって、無理に選手たちを酷使すればするほどに、
選手はその身体に、疲労骨折、という爆弾を膨らませて行くわけでさ。

つまりはこの鬼コーチ、
その胸にあるのは、どうせロシアの儚い春。
使いものになるのも17歳まで、と割り切った上で、
徹底的な消耗主義で才能を人材をこれでもかと使い捨てにしては、
落ちた選手はそのままお払い箱、その使い捨て的な原始的焼き畑農業。

で、そんな鬼コーチの口から、
こんなに練習熱心な娘は見たことがない、
とまで言わしめたこのメドベージェワという逸材。
つまりはその練習量も、半端ではなかった、という訳で、
そしてそう、その結果が、世界の絶対女王、であるとともに、
今回のこの右足の骨折。
それこそはつまりは、後先考えない使い捨ての根性主義の招いた、
その当然の結末であったのでは。

この、一見して耳障りの良さげな、ド根性一徹主義の中に、
そんな穿った猜疑が、どうしてもどうしても、首をもたげてしまう訳なのである。

そう、若い人材を次から次へと、太く短き儚き春という訳で、
徹底的な使い捨てにしていく、というのも確かに、
一時的な結果、は出せるかもしれないが、
それはつまりは、唯一結果主義、というよりも、
ぶっちゃけ、管理者側、
つまりは、その施設を運営するスポンサーであるところの国家体制と、
その顔色ばかりを伺うマネージメント陣営、
その対面ばかりが無理強いされただけの結果主義。

で、賭けても良い、
そうやって燃え尽きて使い捨てにされた人々、
その選手のひとりひとりの行く末、あるいは末路のことなど、
上層部も、マネージメントも、あるいはこの鬼コーチでさえ、
まったくなにも、糞の関心もないに違いなく。
で、そんな冷徹な結果主義そのものが、
強いてはあのロシア薬物汚染の、その元凶だろう、と。

確かにそう、その15歳から18歳までの、
その儚き春に人生のすべてを燃やし尽くす、というのも、
確かにまあ、格好良くはあるのだが、
だが、そう、改めて、
その春が去ったあとに潔く死にきれなかった敗れ去った者たちにとっては、
その地獄の特訓に燃え尽きた日々、
その思い出とともに、その負の遺産が、
一生に渡って身体を隅々までを蝕み続けることになる、
その宿命を背負ってしまった、ということにもなる訳でさ。

で今回のように、この可愛いメドベージェワちゃんの、
この後の行く末、なんてものを考えれば考えるほどに、
お願いだから幸せになって欲しい、と。
それがどれほど難しいことであっても、
なんとか、生き抜いて欲しい、と、
思わない訳にはいかないこの老婆心。

という訳で、ここでまたまたいきなりのベビーメタルで恐縮なのだが、

前にも挙げたのだが、
そう、俺はベビーメタルに世界征服の野望を達成して欲しい。
そしてなにより、いまのこのベビーメタルのクオリティを、
温存、どころか、尚一層にパワーアップし続けて欲しい、
という、願望は山々なれど、

ただ、そう、ただ、だからと言って、
俺の、すぅメタルを、ユイを最愛を、
使い捨てにだけは、して欲しくない。

あるいは、そう、太く短き儚き春とばかりに、
一瞬のうちに燃えあがっては燃え尽きて、
伝説のバンドとして名を残してはあとは廃人、
なんていう様は、見たくないのである。

という訳で、メイトの諸君。
この辛く長き地獄のロス期こそが、
実は三姫にとってはまさに生命の洗濯の充電期間。

俺達が日々この責め苦の中でのたうち回りながら、
古き良き海賊動画を見返して見返して、
ああ、くそう、ベビーメタル、新譜はまだか、次のツアーはいつなのだ、
日々ヤキモキやきもきと、不平に不平を、愚痴に愚痴を、重ねている時こそが、
ベビーメタルの延命の為の、大切な大切な充電期間。

そう、眠る犬は長生きをするのである。
寝ている犬を、心の底から愛で上げることこそが、
なによりの延命の方法なのである。

メイトの諸君。
ベビーメタルを使い捨てにしてはいけない。
そのためには、三姫の方々にこの充電期間を
どれだけ有意義に過ごして頂けるのか、
それは俺達にとっては、地獄の責め苦とはなるわけだが、
そう、俺達のこの苦渋こそが、三姫の養分にもなるのだ。
それを忘れてはいけない、と。

という訳で、結果はどうあれ、とは言わないが、
ど根性主義だけが、結果を生み出す方法ではない。
地獄の特訓が、血も涙もない、とは言わない。
コーチは鬼だが愛がある、ではないが、
そこに愛がない限り、どんな特訓にも意味など持ち得ない。

ただ、その愛が、その生真面目さが、そのど根性が、
時として、仇となることもありうるのだ、
その逆説を知るものたちにとって、
真に愛する者に、敢えて休息を促すことも、
とてもとても大切なことなのだ、ということを忘れてはいけない。

そう、俺達は21世紀に生きているのだ。
人知の謎が次々の解き明かされる中、
無駄な根性主義に逸材を潰さない為にはどうすれば良いのか、
その苦い教訓の中から、新たな人材を育まなくてはいけないのである。

それがつまりは、ケツバットに象徴される、
あの無意味ないじめの巣窟であった糞のような根性主義的体育会、
その悪の轍を断ち切る、唯一の道なのであある、と。



とまあ、ここまで書き進めてきた、その推論の元となったものは、
つまりは、敗者としてのメドベージェワ、
その不本意な結果に対する、大いなる憤り、
その怨念の逆噴射、であったりもしたのだが、

ここに来て、またまた、壮絶なちゃぶ台返しをくれさせて頂く。

「メドベージェワとザガトワ 真の女王とはいったい誰であるのか」

ご存知のように今回の平昌オリンピックにロシアは不参加。
これまで冬季オリンピックの大御所であった筈のロシアが、
これまで度々に渡る警告にも関わらず、飽くこと無く繰り返される国ぐるみのドーピング疑惑。
それを理由にして、ついにIOCの英断。ロシアの不参加が決定された訳なのだが、
固唾を呑んで決定を見守っていたロシア選手が、
その残酷な宣言を前にがっくりと肩を落としては憤然として一斉に席を立ち、
その映像が、ここ米国でも何度となく流されていたのではあるが、

とそして、その後に行われたインタビューにおいて、
ロシア選手団を代表するものとして、
その先頭に立ったのがなにを隠そうこのメドベージェワ。





この場において、コメントをさせて頂ける幸運に感謝します、
と、今回のIOCの決定を尊重する旨を表明しながらも、
この五輪出場に一生を賭けた選手のひとりとして、
その心の丈を、控えめな言葉ではありながらも、
決然として参加の希望を告げるこの姿。

出場権を剥奪されたロシア選手たちに、
OAR:自由参加選手としての活路を切り開いたのが、
なにを隠そう、このメドベージェワがジュエーブでのIOC理事総会で行った演説であった、という話。

私たちはオリンピックに出たい、
そう熱く訴えるこのうら若き美貌のアスリートの姿を前に、
この美女の舞い踊る姿が、どうしても観たい!
IOC理事たちに、その決断を促したのは、
まさにこの、メドベージェワの存在、そのものであったのだ。

そう、メドベージェワは、一選手であるだけに留まらず、
今回の平昌オリンピックにおける、何よりも重大な役割り、
つまりは、悪の大国でありながら、こと冬季五輪においては、
世界トップクラスの逸材達、実質的なチャンピオンであるところの、
ロシア人選手たち、その全ての期待を背負って立った、
まさに、最後の希望の星、であったのだ。

その大役を見事に果たしたメドベージェワ。
ロシア選手団はもとより、まさにロシア国民のすべてにとって、
このメドベージェワは、競技の結果如何に関わらず、
既に英雄の中の英雄、であった訳だ。

でまあ、そう、それも含めた上で、
幸か不幸か、というよりは、まさに宿命的なものとして、
このメドベージェワこそは、まさにロシアの、そして、女子フィギュアスケートの、
そして、今回の平昌オリンピックの象徴的な看板娘。
つまりは、世界津々浦々のメディアに対する表玄関であり、スポークスマンであった。

そう、そんな俺もその一人。
オリンピック?平昌の?どこそれ、コリア?
なんか、全然興味ねえなあ、と思っていたそんな俺が、
ひとたび、このメドベージェワの姿、
次回のオリンピックの星、として紹介されたその麗しき姿が目に飛び込んだ途端、
うーん、観てみたい、この娘の姿、もっともっと、
とまでに、そう、そんな想いを掻き立てられたのも、
つまりは、このメドベージェワの愛くるしい美貌と素晴らしき演技があってこそ、なのであある。

そう、この平昌オリンピックこそは、メドベージェワの大会であり、
そしてこのメドベージェワの存在無くしては、
ともすれば平昌オリンピックそのものの運営が成り立たなかったのではなかったのか。

という訳で、この絶対女王的看板娘であるところのメドベージェワ。

フィギュアスケート界の絶対王者として、
そして今回の平昌オリンピックの象徴的スポークスマンとして、
世界各国のメディアに対しする宣伝攻略の最先鋒を担っては、
その大役を十分に認識しては、そのあまりにもスター然とした立ち振舞。
そんな役割を十分過ぎるほどにこなしきっていた訳で、
つまりはそんなメドベージェワのスター性こそが、
ついにはロシア選手団全員の命運を決する、
その希望の救世主であった、と同時に、
今回の平昌オリンピックの、
このあまりにも間の抜けた運営の中で、
世界中の誰の関心をも集めぬまますっかりとスルーされては忘れ去られようとしていた、
そんなシャビーなオリンピックに、輝かしいばかりの花を添え続けた、
その姿、まさに、スター。
この平昌オリンピックそのものを奇跡的な成功に導いたのは、
まさにこの、メドベージェワのスター性、その威光であったのだ、と。

こちら米国のNBCでも度々に放送されたメドベージェワのインタビューの風景。
その可憐な姿、まさにフィギュアスケートの舞姫、
その愛くるしさ、その美貌から、その瞳の輝きから、
天は二物を与えず、どころか、美貌から知力からそしてなによりも、
その姿から溢れ出るばかりの性格の良さ。
まさに、惚れ惚れとするほどまでに完璧なアイドルぶり。
18歳にしてまさにフィギュアの女王の風格、
と同時に、マイクを前にしたそのあまりにも堂々とした態度に、
それはもう、スポーツ選手というよりは国連親善大使。

ここまでしてメディアの扱いに慣れながらも、
つまりはロシアの汚名返上と同時に、
何よりもそのロシア人選手たち一人一人の救済に為に、
戦って戦い抜いたまさに笑顔の女戦士。

しかしながら、いざ実際に自らの競技を前にして、
そこには確実に、そんなメディア疲れ、
つまりは、ロシアの威信そのものを担い続けたその大役を果たし切っては、
その安堵が、そして疲れが、
見え始めていたのは確かなのである。

当初、そんなメドベージェワのあまりの露出度、
そのあまりにスター然とした優等生ぶりに、
思わず、彼女の敗因はメディアの狂騒に踊らせれて足を取られたその結果、
などとまたまた臭い陰謀論的なドグマにハマりかけていたのではあるが、

そう、メドベージェワ、
この可憐な笑顔のその裏側には、
つまりはそんな、ドラマがあった。

失墜したロシアの威光と、
それに引きずられるように、
これまでの一生の目標であったオリンピック、
その出場権を剥奪された選手たち、
その迷える民を救うがために、
自ら率先してメデイアというピラニアたちの群れに飛び込んでは、
その摩擦と軋轢の中で我が身を盾に使いながら、
ついにはその輝きによって、瀕死のロシア選手たちを希望の光に導いた、
その偉業。
それは国家的、というよりは、まさに人類の光、
その希望の象徴であった筈だ。
そう、メドベージェワこそは、ジャンヌ・ダルクであったのだ。
メドベージェワとはモーゼであった。
メドベージェワとは、救世主であったのだ。
このメドベージェワの功績を知らずして、
今回の平昌オリンピックは、そして今後のオリンピックは、語ることはできない、
その筈なのである。

という訳で、まあ確かに、そんなメドベージェワに奇跡の逆転金メダル、
そんな栄冠を与えたかったのは山々で、
そしてそれは、多分、かのザガトワにおいても同じであっただろう。

そう、知る人はみな知っている。
この二人の姫君を出迎えた幾万のロシア人たち、
そしてあの会場で二人の決戦を見つめていた世界のフィギュアスケート関係者たち。
あの羽生にしても、そしてタラ・リピンスキーにしてもジョニー・ウィアーにしても、
その全てのドラマの内幕を知っていながら、
しかし、最後の最後に力尽きたメドベージェワと、
そして、その功績の上に新たに花開いたザガトワ、
そのあまりにもドラマティックな展開。

そして例え事情がどうあったにしても、
競技の決定は演技そのもののクオリティを持って行われる、
その厳然たる態度こそが、ロシアの排除を決定したその理由であろうし、
そしてその窮地からロシア人選手を救ったメドベージェワに、
敢えて銀色の王冠を授けたのも、つまりはその厳然さの由縁。

そしていま、輝くべく金メダリストであるザガトワと同時に、
敗れ去っても尚、世界中からの絶賛を浴び続けるこのメドベージェワという女王。
果たして、真の女王がそのどちらであるのか、
それは時代が、つまりは今後のこのふたりの生き様が、証明してくれる筈である。

とまあ、そんな事情を漁れば漁るほどに、
このメドベージェワという姫君。
何故にこの敗れ去った絶対女王が、
破れても尚、これほどまでの賞賛を受け続けるのか。
それはつまりは、このメドベージェワが、
絶対女王として、そして可憐な美少女として、
或いは時として国家親善大使として、
そしてなにより、その人格が、性格が、
そしてなにより、その勇気が、
世界の人々に、愛されている、その理由なのだ。





悪の大陸ロシアにだって、こんな逸材は存在する。
あるいは、あの悪徳と汚濁に満ちたロシアだからこそ、
まさに、掃き溜めに鶴、こんな美徳の人材を生み出すのかも知れない。

改めてこのメドベージェワ、
本当に幸せになって欲しい。

今や燃え尽き状態にあるザガトワ。
金メダルの代償としてプレゼントされた秋田犬を手にして、
もしかしたらもう、
あの鬼コーチの元で日々の地獄の特訓に耐え続ける、そのモチベーションさえも見失いつつあるのかもしれない。

そしてメドベージェワ。
彼女がこの先、競技を続けるにしてもなんにしても、
このメドベージェワの成し得た奇跡。
世界中を愛に包んでは、この少女を愛でたい、
この少女を悲しませたくはない、
この少女の笑顔にいつまでも包まれていたい
世界中の人々をそんな思いに駆り立てた、
この奇跡の美少女の成し得たあまりにも偉大な功績。

一人の少女の勇気が、情熱が、そして愛が、
世界に、例え一時であったにしても、愛の奇跡を信じさせてくれた、その奇跡。

愛は世界を変える。
あるいは、愛にしか世界を変えることはできない。
その確信を、新たにした次第である。



とまあ、そんなめでたしめでたし、
で終わってしまうというのもなんとなく俺らしくいない。

改めて最後の最後になったが、
その思い切りの最後っ屁、ということで、
実は、この平昌オリンピックの中で、
どうしてもどうしても言えなかった、
その本当のホントの本音の本音。
実は俺が最も言いたかったこと、
そして、オリンピック中は、誰ひとりとして公言できなかったこと、
と言うやつを、ぶち撒けてみたい。

でさ、予め断っておくが、これは好き嫌いの話、である。

俺は政治家でもないし教師でもない。
宗教家でもなければ弁護士でもない。
つまりは、世に言う、先生、という肩書とは、
まったくもって縁のない人間である。
つまりは、他人に対して、あるいは自分に対しても、
善意のお手本を気取る必要がない、ということである。
そういう輩は大抵にして人から尊敬を集めないが、
それと同時にその特権として、好きなことが言える。
つまりは、善悪に関係なく、
俺の好き勝手でものが言える、ということなのでああある。

と言うわけでこの貧者の特権である所の暴言の自由を最大活用させて頂いて、
で、そんな俺の最も言いたかったこと、
思い切り言わせて貰えば、
それは、ぶっちゃけ、犬のこと、でなのある。

「犬喰う人々の棲まう国 ~ 世界の犬バカたちにとってコリアとはどんな国であるのか」

この人種の坩堝のニューヨークにおいて、
日々、世界各国からの犬馬鹿の方々と、
ああでもないこうでもないと、
日々犬の話ばかりして過ごしている訳なのだが、
で、
早朝のセントラルパークに集うそんな人々、
まさに世界各国からの様々な犬馬鹿達の聖地であるのだが、どうしたのだろう、不思議な事に、
我らが親戚筋で在るはずの、あのコリアの方々が、
そのメンバーに見当たらない、のである。
この早朝のセントラルパークにおける大犬会。
まさに世界各国からの犬馬鹿の巣窟。
欧米はもちろん、黒人からカリビアンからラティのから、中国人もいる、フィリピン人もいる、タイ人も、インド人さえいる。
まあそう、イスラム教徒の方々は、その宗教的な、あるいは伝統的なものとして、犬族に対しては、
せっかく埋めた墓穴を掘り返す厄介な生き物として定義しているからして、まあ犬に対してそれほどの愛情を持ち得ないのは当然なことながら、
でもさ、そう言えばこのアパートの同じフロアに棲むカップル、エレベーターのドアが開閉する度にギャンギャンと吠える続けるバカ犬の飼い主は、実は、ドゥバイの人ではなかったのか。
まあ良い、そう、つまりは、世界各国津々浦々に、
この犬バカ、というのは存在している訳で、
そしてこの人種の坩堝のニューヨーク、
朝のセントラルパークは、そんな世界各国からの犬馬鹿達が大集合するのである。
とまあそういうことながら、いや、でもさ、だったらなぜ、コリアンの人に犬馬鹿がいないのかな、と。
まあ確かに、32丁目界隈、
あの通りの端から端までをぎっちりとハングル語の看板の並ぶコリアン・タウンからは、
このセントラルパークはちょっと遠い、というのもあるのだが、
だがしかし、それにしても、なんだよね。
ニューヨークの人口比率から言っても、
コリアンの愛犬家数があまりにも低い、低すぎる。
なぜ、コリアの人は、犬を飼わないのか。

とまあ、そんな素朴な疑問が、
ふと、それも欧米人からのちょっとした視線の中に、浮き沈みをする訳だ。

お前、コリアン?あるいは、日本人?
え?俺、もちろん日本人だけど。
はい、おすわり、はい、お手、な?これ日本語。そしてこの犬、日米バイリンガル。
ああ、そうか。ってことは、お前はコリアンとは違う、と。
ああ、まあ、お前らからしたら似たようなものなのだろうが、
確かに俺は純然たる日本人。コリアンとは、違う。
そっか、日本とコリアンとは、違うのか。
ああ、違う。全然ではないが、だがしかし、確かに違う。
ってことは、と、いかにも言いにくそうに声を落としながら、
だったら、日本人は、犬は、食べないのだな?
犬を、食べる?どういう意味だ?
だから、ほら、と、ますます言いにくそうに声を潜めながら、
だから、ほら、コリアンとか、あと、あの、赤い旗の奴らとかって、犬を食べるんだろ?
ああ、まあ確かに、俺も広東に行った時に見たよ。飴色に焼かれた犬のピラミッド。
だろ?で、そう、で、日本人は、犬は食べないんだな?
まあ日本人にも色々いるが、というのは嘘だ。食べない。
日本人は犬は食べない。そんな話、見たことも聞いたこともない。
だったらそうか、判った、ちょっと安心したよ。
まさかこの可愛いブッチが、いつの間にか飼い主に食われちまった、
なんてことがないだけでも・・・

そう、あの赤い旗の蛮人たちはいざ知らず、
ここ米国において、こと、ここ米国の犬馬鹿たちの中にあって、
コリア、とはつまりは、犬食の国、なのである。

という訳で、今回のこの平昌オリンピック。
日夜その中継を目を皿のようにして観ていたのではあるが、
ただ、今回の放映で、ちょっと思っていたことがある。
これだけ、ほぼ24時間に渡って漏れ無く日本人選手の活躍を全て網羅してもらったのはとてもうれしいのだが、
その代わりに、というのでもないのだろうが、
これまでのオリンピック中継ではその定番となっていた、その主催国の現地様子、人々の暮らしから、その文化的な背景から、ご当地ファッションから、
そしてなにより、ご当地グルメ、そんな開催地のご紹介が、あまりにも少ない。
つまりはこの平昌というこの土地、
その土地にいったいなにがあってとかいうその観光案内が、まったくといって良いほどに紹介されていなかったのである。

それはまさに、あの長野とは対極。
いまだに、冬のオリンピックのベストは、あの長野だった。
各地を飛び回るスポーツ記者たちが、いまだに口を揃えてそう答える。
そしていまでも思い出す、あの長野オリンピックの最中、長野の、そして日本の風景が、これでもか、というぐらいに紹介を続けられては、日本人である俺さえもが思わず見惚れては、ああこの場所に行ってみたい、と心から思ったものである。

では何故に、今回の平昌においては、あるいは韓国においては、その定番でありそして目的でもあったであろう、その観光案内紹介が殆どすべてカットされたのか。

でまあ、確かに、競技会場以外にはまったく雪の積もっていない、その哀れなほどに剥き出しの禿山ばかりの続くあの痩せた土地やら、
あるいは、いかにも寒村と言った風な、
裏口にポリバケツの並ぶ壊れかけたバラックの風景、なんてものが、ちらりちらりと遠方のからの映像を過るたびに、
いったいぜんたい何故にこんな場所で冬季オリンピックを開催しよう、なんてことになったのか、
そんな不思議に改めて首を傾げざるを得なかったのではあるが、
それと同時に、我らが犬馬鹿からの、あの、一種、声を顰めた懸念の数々。

だってほら、コリアってさ、犬を食べる人たち、なんだろ?

という訳で、改めて、この韓国の伝統的文化、であるらしい、犬食である。

自他共認める犬バカであり、前世は犬であったことを信じて疑わない、
ともすれば、人間よりも寧ろ犬に近いとまで言われる、この筋金入りの犬馬鹿の俺である。

そしてなによりこの米国。
犬は家族とばかりに、赤子のころから犬とともに育ち、
犬を愛し、犬に愛され、そうやって犬を家族同然にして寝食を伴に育って来た、
そんな犬馬鹿大国である。

そんな犬馬鹿たちにとって、
地球の何処かに犬を食べる人がいる、
その信じがたい現実に思わず嫌悪を表すのは、
白人文化の押し付けでも、異文化の冒涜でも、
レイシズムでも、エスノセントリズムでもなんでもない。

俺達は、良いの悪いの、なんてことを言っている訳ではない。
ただ、不快、なのだ。
見るに耐えない、考えたくも無い。
犬を殺して食べる、なんて人間がこの世に存在していることさえも信じたくないのだ。

それは、善悪の問題ではない。
それは、異文化云々やら、冒涜やら、レイシズムやら、自国文化の価値観の押し売り、やら、そんなものでは絶対にない。

俺はただ、犬を殺して食うような奴は嫌いだ、そんな奴が同じ人間とは思えないと、だた素直にそう思ってしまうだけの話なのだ。

誰だって家族を食われて良い気がするやつが居るわけがない。
兄弟を観て、こいつ美味しそうだな、と思っている奴が居るわけがない。
恋人を家に呼んで、今日はバーベキューだ、
いやあ、良い肉が手に入ったと、
そのまま細切れにして食ってしまう奴が、いる訳がない。
そうだそう言えば、絞める前に散々痛ぶっておいた方が、肉が締まって美味しいんだったよな。

そう、犬を喰らわれる、というのは俺にとってはそれと同じ意味なのだ。
食われる犬たちの、悲しみが絶望が怒りが恐怖が、
ひしひしとこの胸に染み込み絡みついては
同じ苦しみをもってこの身体を締め上げるのだ。

繰り返すが、これはただ個人的な好き嫌いの問題だ。
だったら牛や豚や鳥だったら良いのかよ、
そんな混ぜ返しがすぐにでも聴こえて来そうだが、
だから言ってんだろ?
これは好き嫌いの問題。
ただ個人的な印象的気分の問題。
ただ、好き嫌いの問題であるから、好き嫌いで言わせて貰おう。

俺は、犬を食うような人間は嫌いだ。
口もきかない。顔も観ない。
同じ人間だとは到底思えない。
近寄るだけで吐き気を催す。
出来ることないまにでも
飛びかかってはその喉笛を噛みちぎってやりたい。

仕事上であれば、我慢して、
ということもあるだろうが、
或いはそこがよりによってオリンピックの開催地に指定されてしまった選手たちも、
表向きは取り繕ってはいただろうが、
その内心は、疑念と嫌悪と憎悪で満ち満ちていた筈だ。

それが判っていながら、それだけ嫌われてでも、
敢えてそれを伝統だ、文化だ、
人の勝手だ、口を出すな、と言い張るのであれば、
それそれでそちらの勝手。
同じ次元でこちらからも言い返そう。
死ねバカ、てめえが丸焼きにされればいい。

そう、そんな次元で話合っている限り
俺達は、一生、なにがあっても分かり合えない。
握手さえしない。顔さえも見ない。

この偏狭をどう思われるかも人の勝手である。
ただ、俺はそれを曲げるつもりはない。

という訳で、平昌オリンピックに参加した幾多のアスリートたちが、
国を代表する、という立場もあって、
そして彼の国の専売特許の火病的な炎上騒ぎに辟易しては、
大っぴらな発言は避けていたのだろうが、
そう、我々は、つまりは、世界中の津々浦々に存在する、そんな筋金入りの犬バカたちは、
この平昌で開催されたオリンピックに、
実は心の底から、辟易していた訳だ。

という訳で、現地に飛んだレポーターの方々、
白々しくも商店街に陳列された子犬たちを胸に抱いては、コリアの犬は可愛いですよ、とかなんとかやってはいたが、それもそう、全ての犬バカたちが気づいていたはずだ。
なにをいまさら、白々しくも。この犬喰らいの妖怪どもが。
どうせその子犬たちも、オリンピックが終わった途端に鍋の中に放り込まれる、そんな運命だろうが。

そして、なにより、
そんな犬食文化の国に、一言でも、素直な感想を呟いた、その途端に、やれ、レイシストだ、エスノセントリズムだ、文化の障壁の無理強いの、と、
そんないかにも火病的な中傷が殺到するこの彼の国。

政治家でもないし教師でもない。
宗教家でもなければ弁護士でもない、
つまりは、人気取りを必要としない一般的地球在住人の一人として、
あらためて、本音を呟かせて頂ければ、

良いの悪いのは別として、
そういう奴らは、好きではない、
それだけは、事実だ。正直な、感想、という奴。

という訳で、今回の平昌オリンピック。
NBCの肝いりで、それこそとんでもない放映権料が支払われた、
ということではあったが、
その結果は、その視聴率は、
やはり予想通り、燦々たるものであった、と聞いた。
それはインターネット時代のテレビの落日、というだけではないだろう。
誰も犬を食う奴らの国など見たくもないさ。
そんな所に誰も行きたくはないだろう。
つくづくオリンピアンたちがかわいそうだ。
なにが悲しくて、あんなところでオリンピックを開催せなばならなかったのか。
そう、米国人は、そして、世界津々浦々の犬馬鹿たちは、実は今回の平昌オリンピックを、そう見ていた。
できることな、どこでも良い、ここ以外の場所で、開催して欲しかった、と。

という訳で、次は、北京か・・・・

おいおいおい、である

で、あの、毒ガスのようなスモッグは、いったいどうするつもりなのだ?
参加した選手たちが、皆揃って喘息にかかってしまう、
そんなことがまったくもって洒落にならない、
まさに、公害大国のその悪の中枢であろうが。

いったい、オリンピック協会、なにを考えているのだ、と。
お前ら、つくづく犬食の国が好きらしいな。

と、またしても、その不思議に、思い切り思い切り、
それはもう、首をかしげるどころか、一周ぐるりと回ってしまうほどに、
謎は尽きないオリンピック、なのである。

という訳で、次は東京か。

ただ、そう、日本の方々はどう思っているかしらないが、
あいつら、イルカを食べるんだぜ、と、ただそれだけのことで、いったいどれほどの人たちが、生理的な嫌悪を感じているのか。
少なくとも、イルカのように泳ぎたい、と日夜鍛錬を続ける水泳選手たちは、
イルカを撲殺して食らうこの日本人という民族に、たったそれだけのことでも、並々ならぬ嫌悪を感じている筈だ。
世界中から眉を顰められながら、それだけの代償を払ってもでも、世界中からこのエンガチョ野郎と唾を吐かれながらも、
それでも敢えて、どうしても、イルカを食う、というのなら、
それはそれで勝手、ではあるのだが、
俺は同じ日本人として、イルカがそれほどまでに、
日本の食文化の根幹を揺るがすほどにまで、
大切な食材だとはどうしても思えない。

平昌の付け刃ではないが、
オリンピック開催中だけは、
犬食の看板を下ろしてくれればお金を払うから、
なんていうのもいかにも、詐欺詐欺しいが、

そう、世界には色々な人がいる。

そして俺のように、犬馬鹿も居ると同時に、
イルカに対して限りない愛を捧げる、
そんな奴もいる。それもかなり沢山いる。

そして俺たち犬馬鹿が韓国に感じたであろうあの絶対的なまでの生理的嫌悪、
それと同じように、イルカを撲殺しては食らう人々に対して、なんて気味の悪い奴らだ。こいつら人間の風上にも置けねえ腐れ外道だ。
そんな印象を、抱かずにはいられない人々も
数多く存在することを知るべきなのだ。

改めて彼の国の人々よ。
この平昌のオリンピックを境に、
韓国の方々が、その自国の文化であるらしいところの、犬を食う、という行為が、
いったいどれだけの人々に、生理的な嫌悪感を植えつけているのか。
その代償が、いったいどんなものであるのか、
その事実を改めてご認識した頂いた上で、
俺はその自覚を、いまいちど促す為にも、
ここで大きく、声を上げたい。

犬を食うやつなど、人間じゃねえ。死に腐れ!外道が!

そう、これは善悪の問題ではない。
ただの好き嫌い、生理的な、感性の問題だ。
ただ、この憎しみを、この嫌悪感を、覚えていて欲しい。
そして犬を撲殺するたびに、その肉を食べるたびに、そんな人々を見るたびに、
俺達はこうして、世界中から、えんがちょの爪弾きになっていく訳なんだよな、と、
その事実を、、胸に刻んで欲しいと、
俺はたたそれが言いたいだけなのだ。

という訳で、なにはなくとも、平昌五輪、
無事に終わってくれて本当に良かった。

次は北京かよ、ああやれやれ、と思った人々がほとんどであったように、
で、その真中に、東京が入るんだとよ、あの、イルカ喰らいの、と。

まあそう、好き嫌いの問題。
生理的な、感性の問題なんだがな。

という訳で、この最低最悪の憎まれ口を以って、
この誰も読まないであろう、オリンピックへの独白的総括を締めくくりたい。

では諸君、次は東京でお会いしましょう。

その時にもしかして、国家的主賓として、かの羽生結弦選手がご挨拶に立たれるか、
とは思うのだが、その隣りにもしかして、親友のひとりとして、
あるいは、・・・ かどうかはよく判らないが、
あの、メドベージェワちゃんが、またまたOAR、
人類を代表する世界平和大使、とかなんとかで、
その晴れ姿を披露してくれないか、なんてことを思わないでもなく。

愛は地球を救う。

そして愛の基本とは、人に喜ばれること、喜ばせること、
で、その逆は?
ひとに嫌われることを敢えてすることだよ、この糞犬喰らいども、
と、まあそんな感じで、
相も変わらず、しょうもない戯言の羅列であつた。

という訳で、ああ、疲れた。
これにてオリンピックネタは晴れて打ち止めでござる。

お後が宜しいようで。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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