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セントラルパークの聖人 〜 肩に小鳥のとまる男

Posted by 高見鈴虫 on 19.2018 ニューヨーク徒然   0 comments

普段からパンク一筋の歯に衣着せぬ暴言の数々で、
世間様からはすっかりと嫌われ者の烙印を押された俺様ではあるが、
断っておくが、俺の肩にはいつも、小鳥が止まる。
その事実を、忘れてもらっては困る、のである。

犬の散歩の帰り際にふと誘われたカフェテラスのテーブルを囲んだ、
日々犬の散歩ぐらいしかやることのない裕福層の有閑マダムたちの
その箸にも棒にもかからないそのなんとも間延びした女子会談義。
シャネルの、グッチの、ディオールの、
エルメスの、シャネルの、ヴィトンの、セリーヌの、
アンチ・エイジングの、フィジカル・セラピーの、ヨガの、マンモの、オーガニックの、
フェイスリフトの、ネックリフトの、シリコンで、ボトックスで、
マイクロアブレーティブ・スキン・リサーフェーシングのラビアプラスティーだ。
サマーハウスの維持費から、ベンツの修理代から、午後の散歩のドッグウォーカーの品定めからと、
まあそう、つまりは、日々の生産性からは限りなく程遠い、雲の上の話、ばかりである。
ともすればその話がどれだけ浮世離れしているか、
その間の抜けたギャップの凄まじさこそがリッチの証明とばかりに、
ちょっと見なれば稲本いずみか常盤貴子か
高岡早紀か米倉涼子か本上まなみか伊東美咲か菅野美穂か、
なんて言ういけいけのアラフォー美魔女たちが、
富豪夫人とはとても思えぬあけすけなまでの女子会モード全開で、
うちの、なんとかちゃんが、なんとかちゃんが、と、
ちゃん付けにした犬の名前を連呼する春一番乗りのカフェテラス。

とそんな中に、ひとり隙を持て余しては、
見るからに眠そうな顔を隠そうともせずに、
生あくびばかりを繰り返しているこの俺。

どうしたの?また寝てないの?と、
表向きばかりは心配そうな顔をしてみせる我が愚妻ではあるものの、
そう、女の言葉を、その言葉尻だけで捉えてはいけない。
その言葉の奥には、俺の健康状態を気遣っている、そんなそぶりは見せながらも、
その真意となるところでは、そんなダラダラしてないで、しゃんとしなさいよ、恥ずかしい。
またどうせ、朝までベビーメタルの動画漁りでもしてたんでしょ?
もう、いい加減にしたら?そのベビーメタル狂い、と、
そう、つまりはそこまで深読みをしてこそ、
男女同権のこの#MEETOO時代を生き抜くことができるのでああある。

ただ、俺はそれが判っていながら、
しかし素直にハイそうですかと居住まいを正しては、
いかにも御婦人たちの喜びそうな、
慈善と恩徳と親愛に溢れた、
偽善と見栄と嫉妬と羨望のない混ぜになったギルティ・プレジャー、
つまりはその強欲のなせる様々な幻想を、
とっくりとご満喫頂ける気の利いた話題でもご提供仕る、
などということには無論、何の興味もあるわけではない。

ルイ・ヴィトンの犬の首輪のデザインの良し悪しから、
ティファニーのハートを模したドッグタッグから、
ラルフ・ローレンの犬用のダウンジャケットの機能性から、
あるいは、シャネルの犬用のコロンの話、
などを前にしながら、
しかし、これ見よがしにズルズルと音を立てては珈琲を啜り、
朝食の皿に残されたままのベーコンを歯をむき出して食いちぎる、
そんな男としての嗜みを、まさか忘れた訳ではあらない。

え?なんですか?
取って付けたような素敵なアファフォー的笑顔を上げるご婦人たち。
いまなにか仰ったでしょ?

え?いや別に、と言うのもしゃらくさく、
つまりはあんたら、
金を使っているようで金に使われてばかり、
恋に恋をするお嬢ちゃまのように、
金で金を買って金に使われるばかりの、
そうやって騙されているのが嬉しくて堪らない、
そうやって見栄をはるぐらいしか、
掴んだ泡銭の使いようもない、と、
そんな大時代的なロマン、
このパラディアムシフトの時代に、
いったいなにを考えているのか、と。

まるで鳩が豆鉄砲を食らったようなご婦人たちの中で、
そう、そうよね、恋よ、恋。
恋に恋するなんて、いまでも憧れちゃうわよねえ、

などという絶妙の必殺フォローを繰り出しては、
あらやだ、恋だなんて、キャハハハァ、
それって、そこの池の鯉、
それを言ったら、この間、お土産に頂いた佐久鯉のうま煮、美味しかったわ、
ああ、春よ来い、早く来い、
と、またまた取って付けた白々とした笑い声の響き渡る、そんな春の予感に溢れたカフェテラス。
つまりは、束の間の貴族の時間。

とそんな俺の横顔を一瞥しては、
バカ、呆れて物も言えない、とそっぽを向いたかみさんに、
なあ、もうそろそろ帰らねえか?
という視線を露骨に送りながらも、
で、そこに残ったBLT、誰も食べないのならこの俺が、
と手を伸ばそうとした、その時、

ふと、隣りの空いたテーブルの上で、
先客の食べ残したクロワッサンの粕を啄んでいた小鳥たちの中から、
見るからにわんぱくそうな若鳥が一羽、
チョンチョンと、椅子の背を飛び回っていたかと思えば、
なにを思ったのか、何の気もなしに、
そのまま俺の肩の上に舞い降りては、

ピヨピヨピヨピヨ、ピピピー、

まるで鈴の鳴るような声で、素っ頓狂な歌を囀り初めたのでああある。











ピヨピヨピヨピヨ、ピピピー!

あら、とご婦人たちの瞳が、一瞬ではあるがちょっと本気で輝くのを、
しめしめしめ、どんなもんだい、としながらも、
そんな降って湧いたような細やかなる奇跡を前に、
しかし俺は、取り乱したりも、燥いだ様子など微塵も見せずに、
ちぇ、またかよ、うるせえなあ、だったらほらよ、と差し出したベーコンの欠片。
そこからツンツンと啄んでは、まるで勝ち誇ったように、
ピヨピヨピヨピヨ、ピピピー、
と囀り続ける若鳥。

まあそう、どこの世界にもこういうお調子者はいる。
犬でも猫でも、そして小鳥でも。
そしてそんな種族を越えたお調子者たちが、
どういうわけだかこの俺の元に、
こいつこそは人類を代表とするお調子者の筆頭として、
エールの交歓に訪れたりもするのである。

とそんなお調子者の声に誘われたかのように、
その仲間であろう小鳥たちが、一羽、また一羽、と、
次々に俺の肩に腕にそして頭の上に舞い降りては、
ピヨピヨピヨピヨ、ピピピー、ピヨピヨピヨピヨ、ピピピー、
と間の抜けたコーラスを初めたりするから、
うるさくてたまったものではない。

と、そこまで来て、
ちょっとちょっとちっと、なんなのこの人、と、
にわかな驚愕の中で目を瞠るご婦人たち。
犬たちに妙な人気があるのは知っては居たけど、
まさか小鳥たちをも呼び寄せるとは、
果たしてこの人、こう見えて、魔人か聖人か、
あるいはやはり、ただの野蛮人か。

ねえこれ、と御婦人の目が、俺から我が愚妻へと移る。
この俄な歓喜に溢れた驚愕の中で、
唯一、そんな異変にはなんの興味も示さない我が愚妻。

ねえ、これ、どうした訳なの? この人の、この小鳥たち。

ああ、と我妻。
皿に残ったフルーツの欠片を頬張りながら、
このひと、いつもそうなんですよねぇ。

いつも?

はい。外でご飯食べてるといつも鳥が寄ってきて、
ついでに犬から猫からまでが集まってきて。

タイに居た時はずっと野良犬が後ろをついて来てたんでしょ?

そうそう、街を歩いていてもずっと野良犬たちがまとわりついて来て。

怖くなかったの?野良犬でしょ?

まあ、ボディガード代わりに連れ歩いていたと言うか。
それを言ったらこの人がそもそも野良犬みたいな人だしさ。

そうなの、そうやって家までついて来られちゃったのねえ。

ただ犬だけじゃないんですよ、

キーウエストに行った時、
ヘミングウエイの館を見て回ってたら、
いつの間にか屋根の上から猫が飛び降りてきて、
そのまま頭の上に乗せたまま駐車場まで着いて来ちゃって。

奈良に行った時なんかそれこそ公園中の鹿を呼び寄せちゃって、
公園のひとから文句言われたりしてたんですよ。

この人と一緒にいるとどこに行ってもそんなことばかり。
なんかもうちょっと疲れてきたかも。

ねえでも、お魚ともお友達になったんでしょ?

そうそう、バハマでシュノーケリングのツアーに行ったら、
遊びに来たイルカに連れられてそのままどこかに消えちゃって。
帰る時間が過ぎても、影も形も見えないしで、大騒ぎになったんです。

あれまあ、と目を瞠るご婦人たち。

バカ、と俺。
馬鹿が、イルカは魚じゃねえだろ。よく考えてもの言えよ、と。

という訳で、そう、幸か不幸か俺はそういう人である。

世界中どこに言っても、その街でいの一番に挨拶にやって来るのはまさに犬。
屋台で飯を食えば、必ずと言っていいほど、そのテーブルに猫が乗り、
道を歩いていれば、決められたようにその肩の上に小鳥が乗る。

何故か?

それは判らない。判らないながらも、
多分それは、俺が嫌われものだから、なのではないのかな、
とは普段から思ってはいるのであある。










そう、世間的には誰からも認める嫌われ者の偏屈魔神であるところ、
ではあるのだが、
そんな俺の肩に小鳥が止まることでも判るように、
こう言ってはなんだが、俺はこう見えて、
実は正真正銘の善人、であったりもする、のかもしれない。

まあそう、世間的に見ればただの天の邪鬼の暴言男、
嫌われ者の鼻つまみ、であるのだろうが、
そう、俺はそんなことはさっぱりと気にしてはいない。

俺の真価はなにより、この足元に集う犬どもが、
そしてこの肩にとまった小鳥たちが、
しっかりと証明してくれているのであるからして。

そんな俺からすれば、
世間様ではどれだけ外面を取り繕っていようが、
肩に小鳥が止まらないうちはまだまだ。

それはつまりは、肩に小鳥がとまってもくれない程に、
どこぞに後ろめたいものを隠しながら生きている、
そのなによりの証拠ではないのか、と。

世に言われているところの常識人という奴、
歯の浮いたような見え透いた風情で、
口先で外面ばかりを繕いながら、
その内心は、邪心と不安で一杯。
肩に小鳥もとまってくれないという事実はこそは、
その魂が汚れ切っている、
その確たる証しなのではないのか、と。

それこそがつまりは、俺が嫌われる理由でもあるのだが。

そう、俺が嫌われる理由は判っている。

俺が嫌われるのは、
俺が普段からそんな人々に対し、
嫌われないように努力しないから、
それを置いて他にはあらない。

特に、あの承認要求的人間の坩堝であった我が日本国。
あの箱庭的な島国根性のお国柄の中で、
何はなくとも最も大切なことであったのは、
なにを隠そうこの承認欲求的な対人努力。

他人様に見られたら、他人様にどう思われるか、
そんなことしたら、他人様に笑われますよ。

物心ついたときから、まさに耳からタコイカ、どころか、
それは未だに、耳鳴りとなって始終響き渡るほどにまで、
この、他人の他人の他人の他人のが、
なによりもまずは一番のプライオリティ。

その神をも恐れぬ大衆迎合主義、
つまりは、自身の価値の全ては他人様の目を通して図る、
そんな習慣が骨の髄まで染み込んでは、
いつも、他人にどう思われているのか不安で堪らず、
他人の視線によってでしか自己の確立を図れない。
つまりは自己と世間がない混ぜになったまま、
ともすれば、その処世訓の全てが、
自我を他人と迎合させるための苦労、
そんなものばかりを押し付けられてきた、
そんな世界じゃなかったのか?

俺が嫌われるのは、つまりはそんな迎合主義、
つまりは、甘えた共同体意識とはおいそれとは妥協しなかった、
そんな腐った村祭社会的処世訓に手鼻を飛ばしては、
I AM THAT I AM ~ 我有って我有り,
我が我が的な独尊を貫いてきたからに他ならない。

だがしかし、渡る世間に鬼はない、その代わりに、
出る杭は打たれるの処世訓、
それは嘗ての、トントントンからりんの隣り組。
恐怖政治の核たるものであるところの
不平分子早期発見の相互密告システム。
その悪しき慣習に縛られたままのこのイジメ社会。
だがしかし、それは日本、あるいは、虫国、
あるいは、来た貂蝉、などに限らず、
ぶっちゃけ世界のどこに行っても、
まつろわぬものは嫌われる、
それはまさに、人類の業、あるいは性、とも言うべきもの。

だがしかし、この大衆迎合的承認要求絶対主義的処世術こそが、
イジメ駄目ぜったい!のユートピア建国への一番の障壁となりうる。
そう信じて疑わない俺は、なにはなくとも、
世直しは、I AM THAT I AM~我有って我有り、に始まる、
その信念に揺るぎはあらない。

そう、イジメの根源が大衆迎合主義であるとすれば、
それに真っ向から立ち向かう、この独尊独歩。

他人様がなんといおうが、
良いも悪いも、決めるのは俺。

物の善悪から始まって、
美か醜か、白か黒か、甘いか苦いか、
テストの点がどうだ、通信簿がどうだ、偏差値がなんだ、
視聴率が、好感度が、国民支持率がどうだ、
そんなことにはいっさい囚われず、
自分の価値は自分で決める、
自分の道は自分で極める、
そう心に決めた、偏屈者の極み、
それこそが、イジメ無き世への、はじめの一歩、なのでああある。

だがそう、誰もがそれらしきことは考えて居ながら、
そうは問屋が卸さないのが人の世である。
しかもあの日本というあまりにソフィスティケートされた密封社会、
人呼んで立憲君主制全体主義国家であられる我が祖国日本。
そんな超管理主義体制の中においては、
独尊独歩?聞いて笑わせる、とばかりに、
まるで津波のように、どころか、
それはまさに底なし沼に引きずり込もうとする山村貞子軍団、
その身の毛もよだつネガティヴ・バイブレーションの津波の中で、
世のすべてを、この分厚い鬱病の霧の中に密封しては、
恐怖と、欲望の、飴と鞭を持って雁字搦めにしていくこの笑顔のファシズム、
そのあまりにも執拗な殺人超音波。

殺されることもない代わりに、
おいそれと死ぬことさえ許されないこの密封社会。
それから逃れる唯一の道が、
ねえ、一緒に死にませんか?とばかりに。
井戸の底から響くチリンチリンの鈴の音の誘い、という訳か。

俺はそんな社会から、生命からがら危機一髪で逃げ出たが最後、
徹底的なまでに徹底的に、
あの立憲君主制全体主義国家の密封社会で良しとされていたこと、
その全てに、中指を、突き立ってて来た、のであある。

という訳で、、I AM THAT I AM~我有って我有り、
全ての善悪は、俺が自分で勝手に決める。
そう心に誓った俺は、
他人にわざわざ好いて貰うための努力をいっさい投げ打った、と同時に、
他人にわざわざ嫌われる苦労をするのも面倒くさく、
好きなモノは好き、嫌いなモノは嫌い。
いけ好かない野郎には、それが例えどんなお偉い輩であっても、
あぁそうかい、そりゃ良かったな、じゃな、と肩越しに中指を突き出し、
と同時に、こいつは気に入った、と思ったが最後、
それがホームレスであろうがジャンキーであろうが、
犯罪者であろうがサイコパスであろうが、
気に入ったぜ、バディになろう、と心からの賞賛を惜しまない、
そんな生き方を貫いてきたつもりである。

という訳で、自他ともに認める嫌われ者であるところの俺の周りには、
どういう訳だが誰よりも風変わりな曲者連中がみっしりと取り巻いては、
ああでもねえこうでもねえと、独りよがりの持論をがなりたてて。
まったくこいつらどいつもこいつもどうしよもねえ奴ばかりで、
そんな奴らに取り巻かれたまま、いつしかここ、
ニューヨークという街に辿り着いていたのである。

という訳で、俺から言わせて貰えば、
ニューヨークに棲まう奴らはそんな奴ばっかりである。
いや、そうじゃないニューヨーカーも確かに存在する。
で、そんなそうじゃないニューヨーカーの周りには、
そうじゃないニューヨーカーばかりが戯れていることも重々承知、
ではあるものの、
そう、俺にとってのニューヨークはまさにそういうところ。
そうでないニューヨーカーのことなどわざわざ知る必要もなく知りたいとも思わない。
I AM THAT I AM~我有って我有り、
それこそが、この人種の坩堝のピカピカ・サラダボールにおける唯一絶対の真理。
そう信じて疑わない、俺様なのである。

という訳で、俺はこの街において、
この人種の坩堝、あるいは動物園のような街において、
それこそ朝から何千何万という人間たちとすれ違うこんな街において、
いちいち、周りの人間の全てから好かれよう、などと、
そんな、砂漠にコップで水を撒く様な虚しい努力の一切をかなぐり捨て、
好きなモノは好き、嫌いなモノは嫌い、
その良し悪しは、すべて俺が勝手に、独断と偏見で断定仕る、
その信念を貫き通している訳だ。

という訳で、このニューヨークという街において、
彼の国のあの島国根性的承認欲求的社会迎合的気配りは、
すべてが悪。
人に気など一切使わず、思ったことを思ったように、
それがどう理解されるかされないか、
そんなことには一切配慮すること無く、
言いたいこと言い、言ったが最後すぐに忘れてしまう、
つまりは俗にいう、ニューヨーカー的な人格、とやらを大いに享受しながら、

そしていま、そんな傍若無人・暴虐武人な俺様を前に、
嘗てのあの懐かしきわが祖国日本的な常識、
つまりは大衆迎合絶対主義的処世術に貫かれた、
そのあまりにも悍ましき的承認要求の雨あられ。
そんな神をも恐れぬ島国思考的拝金主義。
そんな有閑マダム連中からこれ見よがしに眉を顰めれながら、
だがしかし、そんな嫌われ者の俺の肩に、
小鳥が止まってはその指先からクロワッサンの欠片を啄み、
そしてなにより、俺の周りには、まさに犬いぬイヌ。
うちの、なんとかちゃんが、なんとかちゃんが、の愛犬どもが、
揃いも揃って俺の足元から一歩も離れようとはしないまま、
そんな人々の愛犬たちがずらりと勢揃いしては、
俺から頭を撫でて貰える順番を待っているという次第。

そう、これこそが、どうだ!
俺という人間の、その真価、そのものではないのか?

この小鳥を、犬たちを見れば、俺のその善人性が、
その真意が、その真実が、誰にでもすぐにでも判る筈、なのだ。

で?なんだって?俺が嫌われ者だって?
で、そんな俺の肩で小鳥が囀りのピヨピヨピヨピヨ、ピピピー、
そしてこの犬たち、こいつらは俺の何が嫌いだって言うのだ?

俺はな、ただ、人に嫌われないようにする努力をしないだけ。

つまりは、自分に正直であること、
それ以外のことは、全て面倒くさい、つまりは無駄なこと、
と思っているだけの話じゃねえか、と。

他人に好かれようとする努力を忘れたところで、
ほとんど全てのストレスから解放される。
物の良し悪しは、すべて自分が勝手に決める、
そう心に決めた時点で、物のすべては自己責任。
それが良しくもあり悪しくもありはするが、
全てがすべて自己責任、その潔さこそは、
I AM THAT I AM~我有って我有り、
全世界の馬鹿正直な偏屈者たちに共通する、
唯一絶対の合言葉、なのである。

という訳で、どうだ、恐れ入ったか!

と俄なドヤ顔を晒していれば、
そんな傍若無人に心の底から辟易しては、
ねえ、なんとかチャン、帰るわよ、早くこっちに来なさい、
そんな声を、糞とも思わず振り返りさえしないバカ犬たち。

ほらな、見てみなよ。
誰が嫌われ者だって?
誰が、傍若無人で、誰が野蛮人で、
誰がいったい、非常識なクソ野郎だって言うんだ?

悔しかったら、自分の犬ぐらい、呼び寄せてみやがれってんだ。

とそんな俺から一人残らずそっぽを向いた自称常識人たち。

とその隙きを目ざとく見つけた我が愚妻。
事もあろうに俺の肩で囀る小鳥たちを邪険にも追い払っては、
ったくもう、と微かに舌打ちを響かせながら、
その肩先を、パタパタと叩いては溜息をついている。

なぬ?あの小鳥野郎、性懲りもなく、
俺の肩にウンコなんぞを残して行きやがったのか?
この恩知らずの糞小鳥野郎が、

と思えば、ねえ、この、フケ、まじでどうにかならないの?

フケ?

そうよ、フケ。
さっきから、鳥があなたのフケを啄んでるの見て、
恥ずかしくて恥ずかしくて。

フケ?あの小鳥たちは、俺のフケを、啄んでたのか?

そうよ、おーい、みんな、こいつの肩はフケだらけだぜ、って、
ぴよぴよと仲間を呼んでは、笑いものにされてただけじゃない。

だったら、だったら、だったら、この犬どもは何だって言うんだ。

あなた脂性だから。

脂性?

そうよ、顔も洗わないで散歩に出てくるから、
よだれの後を珍しがって、犬たちが喜ぶ喜ぶ。

こいつら、俺のよだれの後を面白がっていただけの話なのか?

そうじゃない?おーい、こいつの顔、これだけ脂ぎって超美味そうだぜ、って。
それに犬ってさ、臭いものを凄く喜ぶじゃないの。
ウェンディじゃないけど、わざとウンチの上とかで転げ回ったり、とかさ。

ウンチの上?俺はウンチか?

ねえ、あなた、朝に歯を磨いて来た?
おいおい、こいつの口、すっごく臭いぜ、
そこらのウンコより、ずっとずっと強烈な匂いだぜ、って。

ねえ、今更だけどさ、
恥ずかしいから、あんまりそんなところ、
人に見せない方が良いわよ。

つまりは、俺の肩に小鳥が止まる、真相はそういうことであったのか。

という訳で、肩で囀る小鳥たちも、
足元に勢揃いした犬たちからの支持も失ってしまったいま、
俺はただ単に、思慮の足りないへそ曲がりの偏屈者、
つまりは、ただの嫌なやつ、に先祖返りしただけの話であったか。

いまからでも遅くはない、悔い改めるべきだな、

柄にもなくそんな殊勝な心がけを思っていたその俺の足元から、

犬、犬、犬どもが、膝の間に頭を突っ込んではねじ込んでは、
足の上からよじ登っては、胸の上にまで手をかけて、

なあなあなあなあなあ、
暇なおっさん、暇なおっさん、暇なおっさん、暇なおっさん、
なんかくれよ、なんかくれよ、オヤツくれよ、オヤツだよ、オヤツ!

その顔、まさに、笑顔笑顔笑顔、
まるで零れ落ちるような、輝かしいまでの満面の笑顔。

つまりはこれ、スマイル・アンド・マニー。

犬でさえもが実践する、
その、コミュニケーションの基本の基本、
これこそがまさに、真理の真理という奴か。

くそったれ、俺は俺の俺による、俺の世界の、
パンク一筋メタル嫌いのアイドル嫌いの・・・

さすがに、バカバカしくなった。

犬どもよ、小鳥たちよ、判った、
これからは、スマイル・アンド・トリートだ。
心の底から、俺の俺による俺的なご都合主義のご利益信仰。
思い切り独尊独歩に打算的に生きてやろうではないか。

これこそがまさに、自然の摂理、という奴なのであらふ。

小鳥たちよ、犬たちよありがとう。

また学ばせて貰ったぜ、自然の摂理という奴を。







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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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