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吾は斯くして鋼鉄の無神経力を獲得するに至れり

Posted by 高見鈴虫 on 16.2018 旅の言葉   0 comments
近頃富に、己がナイーヴであることを、
さも自身の特性であるかのような、
ナイーヴ自慢の方々に出くわすことが多いのであるが、
そんな、ナイーヴ自慢を食らわされるたびに、
なにをこの軟弱者が、またまた弱者自慢か、このヘタレ野郎、
などと、思わないでもあらない、のではあるものの、
そういう俺が、しかし、実はそんなナイーヴ自慢を前にして、
んだよ、それ、反則じゃねえかよ、と思ってしまっている、
その事実を、君たちは知る由も無い。

そう、俺こそは嘗て、鉄人、と異名を取った男である。

あのイニシエの青年期、怒涛の虫国大陸を皮切りに、
東南アジアのドブの底と、そしてなにより、あの病気大国であったインド亜大陸、
あの言うなれば、この世の底の底のような衛生劣国をこれでもかと彷徨いながら、
一度たりとも下痢をしなかった、
そんな鉄の胃袋の異名をとったこの俺であるのだが、
だがしかし、そんな鉄の男であったこの俺が、
しかし、下水道を思わせる路地裏の屋台で、
ゴキブリが這い出たばかりの丼からウドンをかき込むことや、
鍋の表面一面に真っ黒にハエの浮いたカレーを頬張ることにも、
ともすれば腐乱死体の浮かぶ川の水で洗ったばかりのコップでお茶を啜ることにも、
なんの抵抗も感じなかったのか、といえばそれはもちろん流石に嘘になる。

ただ、そう、俺はそういう汚さに耐えることに、
一種の試練、その汚さに鍛えられる強靭な無神経こそを、
己の強さとして心得ては、修練に修練を重ねて来た、
その心意気をば、まずはご理解頂きたい、という訳である。

という訳で言わずとしれたアジアのドブの底の底、
日本的な常識で考えれば、
思わず物怖じ、どころか、ちょっとそれ、まじで、やばいし危ないし、
とそんなことを思わないでもない、
そのあまりに凄まじき衛生観念のギャップの中で、
いやいやいや、これしきの汚さがなんだ、
これしきのバイキンにやられてなるものか、
その、無神経さを鍛え上げることこそを、
旅の鍛錬、と捉えては、切磋琢磨を続けてきたのである。

これぞまさに、無神経力、という名の能力。

その無神経、それが強さである限り、俺はそれを鍛え続ける。
腕立て伏せで上腕筋を、ヒンズースクワットで下半身を鍛え上げるように、
俺はそうやってアジアのドブのその底の底、
そこで直面する、ありとあらゆる、
見ただけで思わずゲロゲロの非衛生的産物に果敢に挑み続けながら、
その無神経さを鍛え上げ、やがては鋼鉄の無神経を手に入れるまで、
自分自身の軟弱な衛生観念を、鍛えて鍛えて鍛え上げる、
それこそが、旅の極意、と見つけたり、なんてところで、
無理に無理を重ねて頑張ってもいたという訳だ。



というわけで、
嘗てはかのインド亜大陸で鉄の男と呼ばれたこの俺も、
実は、その幼少の頃の記憶を辿ってみれば、
七五三にはしっかりとチェックのブレザーに白いハイソックス、
赤いネクタイにおつむの上にはベレー帽まで被らされた、
そんなおぼっちゃま的環境に育まれていた男である。
人の触った手すりに触るのがなんとなく気が引けた、
どころか、人のいる前ではトイレに入ることさえ憚られる、
他人が箸をつけたものを口に入れるのがどうしても許せなかった、
そんな純真無垢な、繊細な神経を持ち得た純性の日本人、
であった筈なのだ。

そんな純日本的な衛生概念の中に育った俺にとって、
アジアのドブの底の底で遭遇したその数々の非衛生的産物、
あのゴキブリうどんも、蝿入りカレーも、腐乱死体のミルクティーも、
最初は、物怖じのひとつふたつはしたのも当然の話、であったのだ。

ただ俺は負けなかった。
どれだけ図太い神経の男になってやるか、
それもあの旅の中で自身に課したひとつの大きな命題であったのだから。

というわけで、あの長き旅の中で、
俺はそんな柔な日本人に別れを告げては、
ドブの底のそのまた底でゴキブリ入りのうどんを啜り、
ハエ入りのカレーを頬張っては、腐乱死体のミルクティーに舌鼓。
そんな鋼鉄の無神経を鍛えに鍛え続けてきた訳なのである。

ただそう、繰り返すが嘗ては純製の日本人であった俺だ。
そんな鋼鉄の無神経力は、もって生まれたものでは断じてない。

それはひとえに、努力と鍛錬の賜物、
日々を弛まぬ努力によって獲得し得たひとつの見事なる結実、
その強靭な意志力によって鍛え上げた、ひとつの卓越した能力、であったのだ。

というわけで、神経は鍛える物である、との信念を持っては、
その無神経力を鍛えに鍛え上げてきた俺にとって、
近年のこの、ナイーブ自慢、つまりは、
ちょっと汚い、と思ったものには、大手をふって声を荒立て、
やだ、ばっちい、信じられない、と裏返った声を上げながら、
自身の神経の繊細をこれ見よがしに鼓舞吹聴する風潮には、
思わず抵抗を感じない訳にはいかあらない。

てめえはなにを血迷っては、
己のセンシティブ自慢なんてものを、
恥ずかしげもなくひけらかしておるのか。

それはただ、自身の神経が鍛えられていない
つまりは、弱さ、を露呈しているだけではないか。

俺は、弱さを隠さない男が嫌いだ。
男はどんな局面においても、
精一杯のやせ我慢を通してしかるべきもの。
つまりはこれも、それもその通り。
このどう考えても衛生面上芳しくない状況においても、
ガッハッハ、俺は気にしない気にしない、で押し通す、
その心意気があって初めての男の子ではないのか、と。

という訳で、武士は食わねど高楊枝、
どころか、ゴキブリでもハエでも腐乱死体でも、
食って食って食いまくっては生き延びてやろうではないか、
その、鋼鉄の無神経こそが、武士の本懐、
と言えるものではなかろうか。

なんてことを言っていたこの俺が、
ふと気づけばアトピーで背中がボロボロ。
頭をかけば、ノミのようなかさぶたがバラバラと肩に積もっては鳥が啄む、
そんな不潔男に成り下がってしまった、という訳で、

うーん、このご時世、そんな無頼気取りが様になる、
そんな簡単な時代でもなさそう、ということらしいのである。

どれだけ鋼鉄の無神経を気取ってみながらも、
やはり、MSGの含有量には気をつけるに越したことはない。

なにを今更グルテン・フリーか、などと言う前に、
そのグルテン・アレルギーが、
実は、遺伝子組み換え食品の弊害と考えると、
ちょっとぞっとしないものが無きにしもあらず。

でそう、なにはなくとも保存料である。
この保存料こそが、現代の食生活の魔術ではあるのだが、
その弊害が、いったいどんなところに現れるのか、
それすら誰も判っていない、
つまりはこの時代、食生活に無頼を気取れば気取るほどに、
新種の食品添加物の毒味の実験台にされている、
ということなのである。

というわけで、
嘗て、インド亜大陸において、鋼鉄の無神経を気取ったこの俺が、
ねえ、これ、食べれるかな?
この値段の違いってなんだろうね。
いったい何が入ってるのかな?
また背中かゆいかゆいにならないかな?
などといちいち妻にお伺いを立てる、
そんな軟弱男に成り下がった、というのも、
この21世紀の新しい現実、
その値段の違いという資本主義の原則、
そこに秘められたあまりにも巧妙な罠。

という訳で、ナイーヴ自慢の、繊細男?
聞いて呆れる、この軟弱者めが、
というその無頼自慢こそが、
現代における、知恵足らず的捨て石のその筆頭。
それが証拠に見ろよあいつら、
食事に無頼を貫いたその全ての人々が、
肥満どころかデブどころか豚どころか関取どことか、
もはや妖怪のように太って太って太り切ったその姿。

この時代、安かろう悪かろうものには必ず理由がある。
その理由に込められた悪意が、
まさに半端ではない程の破壊力を秘めている、
その認識を新たにしながら、

嘗て、咥えタバコで肩で風を切っては、
無頼自慢の鋼鉄の無神経を気取っていた筈のこの輩が、
いまとなってはオーガニックの自然野菜。
抗生物質漬けの、ホルモン入り精肉には目もくれず、
その何十倍もの値段をつけた、
泥だらけの萎びた野菜をありがたがる、
そんな軟弱老人に成り下がっている、というのも、
実はそんな理由があってのことなのである。

全ての新人類には進化の過程にあるのだ。
全ての進化には必ず理由がある、必然がある。
新人類たちの息吹、その軟弱を、脆弱を、侮ってはいけない。
そこにこそ、未来への鍵が隠されているのである。

そうか、これからの時代は、センシティブ力を鍛えねばならぬのか、

うーん、これはまたまた、難題でござる。
改めて、難儀なご時世なのである。





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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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