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ワールドカップ狂騒曲 そのに ~ 自国自愛もご愛嬌と割り切れないこの不気味さ

Posted by 高見鈴虫 on 13.2018 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments
という訳で、
いやあ、ようやくようやく世界の檜舞台で、
それらしいプレイができました!
そんな正々堂々と力の限り戦います的な、
まさに教育的指導精神に貫かれたイタイケな日本選手たちの去った後、

次から次へと繰り広げられる、
このあまりにも壮絶な化け物たちの戦い、
まさに、魔物、あるいは、神々の祭典。

いやあ、正直な話、このド素人的見解においては、
実は俺は、たぶん、決勝は、フランスvsイギリス、になるだろう、と思っていて、
で、フランスは強敵ベルギーを相手に燃え尽きてしまった後、
イギリスは、なんてこともなしにクロアチアを粉砕し、
という訳で、余力に勝ったイギリスが、
漁夫の利を得て黄金の油揚げを掻っ攫う、
なんてことを考えていたのだが・・・

そう、なによりこのクロアチア、であった。

このまるで、考えもしなかった、クロアチア、というダークホース。

クロアチア、そうか、あの、クロアチアかよ・・

いやあ、実はさ、またこんなことを言うと歳がばれるのだが、
嘗て、まだ、彼の国が、ユーゴスラビア、と呼ばれていた時代、
なんどか、あの、土地を訪れたことがあってさ。

で、当時の世間的には、
まさに優等生的な多民族国家であった筈のユーゴスラビアが、
しかし一皮めくったとたん、
そこにまさに煮えたぎるような民族的軋轢を抱えている、
その事実にも気がついていたんだけどさ。

で、あの幻のようなベルリンの壁の倒壊の後、
その徒花のすべてをひっかぶったような、
このユーゴスラビアという国。
その、あまりにも悲劇的かつ必然的な崩壊の様。

と実は、様々な理由から、
俺はちょっと、この、旧ユーゴの国々には、
なんとも複雑な感情を拭い去ることができない、
なんていうところがあってさ。





嘗て、俺がまだニューヨークに来た当初に世話になっていたアルバイト先、
その喫煙室でちょくちょくと顔を合わせていた欧州系の女性がいた。

その訛りから、多分ロシア系、と思っていたのだが、
それにしては彼女、ロシア系に共通するあの影を含んだような暗さがない。

で、よくよく聞いてみればユーゴ人だと言う。

ユーゴ?あの、チトーの、ユーゴスラビア?

そう、そのチトーの、ユーゴスラビア。
いまはもうなくなってしまったけどね。
そう、私はあのチトーのユーゴスラビアで育ったのよ。

へえ、と思わず。
実は昔、そのユーゴスラビアってところに、行ったことがあるんだぜ!

という訳で、俺達は友達になった。

彼女にとっては、気晴らしの喫煙タイムに、
懐かしの母国の話のできる珍しい東洋人、
というところだったのだろうが、
あのアドレア海の海の青さが、やら、
ドブロブニクの城壁の裏通りで、やら、
ベオグラードの、サラエボの、ザグレブの、という度に、
燻らす紫煙の中で、懐かしそうに目を細くしていたものだ。

と、そんな彼女が珍しく喫煙室に唯一人、
いつになく物憂げな表情でため息ばかりをついている。

ねえ、あなた、戦争に行ったことがあるって言ってたわよね?

ああ、アフガンか・・ まあ、そう、見物に行っただけの話なんだけどね。

だったら、人を殺したことある?と妙なことを言う。

人?人は・・と思わず口を噤んで、
あ、あの、そう、戦争ってさ、実に色々なことがある訳で、
だから、そう、
こういう普通の世界の尺度からは、
どうしても箚し測れない、
そういう特殊な状況である訳で。

そう、と彼女。
そう、そうなのよね、だって、戦争なんだからさ。
戦争が悪いのよね、なにもかも、戦争という特殊な環境のせいなのよ。

と、午後の休憩室においては、あまりにもそぐわないそのおかしな会話。

ねえ、ほら、これ、と投げられた、白い封筒。

誰にも言っちゃだめよ、
ただこれ、私ひとりで抱え込むには、あまりにも・・

なにこれ、と開けてみたその封筒、その中から、妙なサイズの、写真が一枚。

な、なんだよこれ。

そこに写っていたのは、屈託のない笑顔を浮かべる白人青年の姿。
ブルージーンの上から、オリーブ色の軍服を羽織った、
そう、どこにでもいる、ちょっとやんちゃな、少年の笑顔そのもの。

ただ、その右手に掲げられたのは、
釣り竿でも、テニスラケットでもなく、
まるでおもちゃのようなマシンガン、
AK47,オートマチック・カラシニコフ。
で、その左手には、なんだよこれ・・

それはサッカーボールならぬ、人の頭であった。
すでに表情を失った泥人形のような様ではありながら、
髪を掴まれてぶら下げられたその生首、まさしく人の頭。
しかも、これ・・ 女?

三歳だったのよ。
最後に会った時には、それはそれは夢のように可愛い子だったの。
泣いてばかりいてね、恥ずかしがり屋で、いつもお母さんのお尻の影にかくれていて、
そんな子が、いったい、なにがあったのか。

そのあまりにも屈託のない笑顔と、
その手に掲げられたまるで玩具のようなAKと、
そして、その薄汚れた生首、その泥だらけの頭。
その光景が、まるで現実感を失ったまま、まったく噛み合わない、そぐわない、
なにもかもが、異次元的に、コラージュ的なまでに、ちぐはぐなのだ。

いったい、なにが起こっているのか、誰も知らない、だれも教えてくれない。

ただ、そう、その写真。

親愛なるヤレナ叔母さん
僕は元気に暮らしています、だってさ。
早くアメリカに行きたいです、だって。
思い切りサッカーがしたいです、だって。
いつか、早く、叔母さんが祖国に帰れるように、
頑張ってます、だって。

ねえ、この子にとっては、
サッカーのボールを蹴飛ばすのも、
湖でブラックバスを釣り上げるのも、
そしてボシュニャクを切り刻んで、
その生首をぶら下げるのも、
まったく同じことなのよ。

ねえ、なにが起こっているの?
その戦場という場所で、いったいなにが起こってるの?
いったいこの子に、なにがあったの?

ボニスアン・サーブ・・

そう、噂には聞いていた。
誰もが知っていながら、
しかし誰もが顔を背けては、
知って知らないふりを続けていた、
あの見捨てられた戦場。

1991年、クロアチアの独立をきっかけに始まったこのユーゴスラビアの崩壊。
クロアチア人と、ボスニア人、そして、セルビア人、その最低最悪の三つ巴の内乱へと発展した、
その影に、あの泥沼の紛争を暗躍した
ロシアの戦争商人たち、
そしてNATOの空爆、そして、度重なる虐殺、
その民族浄化というお題目に踊らされたあまりにも凄惨な陣取り合戦。

嘗て訪れた、あの、麗しき町並みの記憶と、
そしてニュース番組を通り過ぎる、
あの銃弾にまみれた廃墟の風景が、
どうしても噛み合わない、重ならない、なにからなにまであまりにもちぐはぐなのだ。

そう、判っていた、あのユーゴスラビアという国、
チトーという大統領の、その個人的な裁量の中で、
危うい均等を保っていた自由主義的社会主義の実験モデルが、
こうも簡単に、こうも残酷なまでに、悲惨な空中分解を遂げるとは。

あの街で出会った、あのあまりにも美しい娘たち、
人々のあの素朴な笑顔、あの穏やかな表情が、
なにを境にして、一瞬のうちに、こんな地獄絵図を演出することになったのか。
これまで隣近所、和気藹々と暮らしていた筈の人々が、
ある日を境に、やれ、バチカンだ、正教だ、イスラムだ、と、
傍目にはまったく判らないその違いを元に、
血で血を洗う殺戮を繰り広げていったなんて、
俺にはどうしても、それが信じられなかったのだ。

ただ、と俺はしかし、その気配に気づかない訳でもなかった。
ユーゴスラビア、その表看板とは裏腹に、
その裏通りに屯していたチンピラたち、
その一人が、俺の眼の前でいとも簡単にナイフを抜いては、
残忍な目を細めては、へへへ、冗談だよ、日本人、と不敵に笑った、
あのぞっとするような蛇の眼差し。
こいつ、このガキ、殺しに、慣れてやがる・・

この国、その外面の麗しさとは考えも依らぬほどに、
なんかが、徹底的にずれている、崩れている、
それを予感していたのは確かなのだ。



と、そんな事情から、俺はこの旧ユーゴスラビアの人々に、
なんとはなく、ちょっとした気味の悪さを感じない訳ではなかったのだが、
そう、それは嘗てのUSOPEN、
そこでみた、ノバク・ジョコビッチの応援団の人々。
セルビア人、こいつら、兵隊上がりだな、とすぐにピンと来た。
こいつら、どいつもこいつも、嘗て確実に、人を殺めた、その経験がある筈だ、と確信した。

気味の悪い奴らだ・・

だがしかし、とも思った。

スポーツはスポーツ、あるいは、個人は個人なのだ。
その民族がなんであれ、その政治的な背景がなんであれ、
スポーツはスポーツ、個人は個人として、尊重されるべきである、その筈なのだ。

そう、俺も嘗てはそう思っていた。

スポーツに政治は絡めるべきではない。
民族も、人種も、言語も、宗教も、
スポーツマンシップという美学の中ににあっては、
その全てを凌駕できる、水に流せる。

それが競技である以上、
そこには厳格なルールがあり、
そして、そのプレイヤー達がが、
果たしてどんな人間であったとしても、
まずは、そのルールが尊重され、
そして何よりスポーツマンシップが貫かれる、
その筈なのだ。

だから例えば、ロンドン五輪において、
韓国選手が竹島問題のプラカードを上げた、そんなエピソードに、
たまらないほどの不快感を覚えていた、その筈ではなかったのか。

神聖なるスポーツに、
政治などという邪悪なものを持ち込んで欲しくない。
それを持ち込まないからこそ、
スポーツが神聖でいられる、
その筈であったのに・・

ただ、と思わず我が身を振り返る。
だとすれば、俺があのジョコビッチとそのサポーターたちに感じた、たまらないほどの不快感。
あの気味の悪さはいったいなんなのだ。
セルビア人だからジョコビッチが嫌いな訳ではない。
ただ、あのジョコビッチの持つ、
セルビア人特有の傲慢さこそが、
まさにあのセルビア人の狂気の独善、
世界のすべてを敵に回しても、
その願いせせら笑うかのように、
非道な虐殺をやめなかった、
そんなセルビア人の持つ底無しの邪悪さ、
そのなによりの現れではないのか。

そう、スポーツに、あるいは芸術に、政治を持ち込むべきではない。
だがしかし、人間そのものが、
しかし政治的な社会の産物ではないのか、
という逆説。

とそんな中での、今回のワールドカップ。

その中にセルビア、という国名を見た時、
俺はしかし、改めて、嘗ての陽だまりの喫煙室で見せられた、
屈託のない笑顔を浮かべては、生首をぶら下げた少年、
あの姿が、思い出されてならなかったのだ。



そう、スポーツに政治は持ち込むべきではない。
それは判っている、それは判っていはいるのだが、
そう、それでも俺たちは知っている。
ベオグラードの裕福なセルビア人家庭に生まれたジョコビッチが、
その人々たちと、いったいどんな独善の中で、
いったいどんな傲慢に囲まれて、育てられて、トレーニングを積んできたのか。

そして改めて思う、
このセルビア選手たちが、
嘗て彼の地で繰り広げられた、
あの非道を極めた民族浄化の虐殺の巷を
いったいどんな思いでやり過ごして来たのだろう。
だが本人達のその立場がどうであれ、
セルビア人と言う民族の前に、
消すに消せないほどに、
べっとりと塗り込まれた、あの黒い歴史の
どす黒い血糊のベール。

とそんな中で、ふと目に止まった記事があった。

スイス選手の中から漏れた、
聞き逃すに聞き逃がせない呟き。

なにがあっても、セルビアにだけは負けたくない。

スイス人が、なぜ、セルビアと?

世界の誰もがその妙な宣戦布告に首を傾げたその筈だ。

永世中立国であるスイスが、何故にセルビアに闘志をむき出しするのか。

そんな無邪気な疑問が、このインターネット時代、
ちょっと検索をかけるだけで、
すぐにその真相が転がり出てくる。

嘗ての、あの民族浄化の虐殺の巷、
その最も凄惨な舞台となったコソボ紛争。
包囲され刈り集められ、
飢えとレイプと嬲り殺しの繰り返される
人類史上例を見なかった修羅の地獄の中から、
明日をも知れぬ家族たちが、
その最後の命の灯火を託して、
幼き子どもたちを国境の向こうへと送り出したという。
そんなコソボの虐殺を逃れた難民の子どもたちを受け入れたのが、
なにを隠そう、このスイス。

そしてこのスイスチーム選手たち、
まさしく、そんなコソボからの難民の子供たちであったのだ。

俺たちにはサッカーしかなかった。
親もなく、親類もなく、
世界から徹底的に見捨てられた俺たちにとって、
生き別れになった家族たちと再会を果たす為には、
サッカーで有名になる、それ以外に、道はなかったのだ。

そんなコソボ難民の子どもたちが、
いまになって、育ての親であるスイスの旗の元、
しかしその胸中には、
嘗て自身を救うために命を犠牲にしてくれた、
故郷の人々、その思いを、
忘れろというのが土台無理な話だろう。

そして、スイス vs セルビア、
あの、豪雨の中での執念の逆転劇。

狂ったように雄叫びを上げ、
雨に濡れた髪を振り乱しては、
その胸にさりげなくも確信的にかざされた、双頭の鷲のマーク、
アルバニア、つまりは、コソボからの移民、その確たるシンボル。

俺は、この日の、この瞬間の為に、生きてきたのだ、
その思いが、その怨念が、まさに迸るようであった、あの執念の逆転劇。

そして死闘の果てに、雨に叩かれながら、ピットに崩れ落ちたセルビアの選手たちの姿。

果たして、このスイス選手の蛮行は、
スポーツマンシップに反する犯罪的行為と言うべきなのだろうか。
民族の悲劇、その全てを背負ってのこの倍返しの瞬間その想いさえ、
やはり断罪されられるべきものなのだろうか。
そして改めて、スポーツに政治を持ち込まない、それは本当に、可能なのであろうか。

その答えは、永遠に出ない、出せないまでも、
ルールに准じて、初めて競技なりうるこのスポーツという聖域。
ただその死闘を支える、各選手たちの胸の中には、
語るに語り尽くせない熱いドラマが隠されている筈なのだ。

前回のブラジル大会におけるクロアチアと、そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナ、
そして今大会におけるセルビアの惜敗と、
そしてなによりクロアチアのこの目の覚めるような大躍進劇。

嘗てのユーゴスラビア、そのあまりのも凄惨な歴史の中で、
地獄の沙汰をくぐり抜けてその国々の人々。
その選手たちと、そんな選手たちにすべての想いを託したサポーターたち、
その胸の中に、いったいどんなドラマが繰り広げられていたのか。
そんな個人的な事情を、いちいち観戦に持ち込むべきではないのは百も承知ながら、
しかし、それを知らずして、世界は読めない、見えない、語れない、その筈なのだ。



ロシア 対 クロアチア、
あの、あまりにも劇的なPK合戦の後、
知人のロシア人に、残念だったな、の一言を送った時、

いや、実は、ほっとしたんだよ、と苦笑い。

ほっとした?ロシアが負けて?

そう、ロシアが負けてくれて、実はちょっと、ほっとした。

なぜ?と目を丸くする俺に、

実は今回のワールドカップ、
俺たちロシア人にとっては、
あまりにも、政治的な思惑が絡みすぎている、と。

あのイギリスでの元スパイ暗殺疑惑からなる、
欧州チームの不参加表明から始まって、
このワールドカップ、あまりにもあまりにも、
プー珍のプー珍によるプー珍のための政治喧伝、
その色彩が、あまりにも強すぎた、と。

そしてこの、誰もが予想だにしなかったロシアチームの大健闘の中で、
なによりもかのプー珍のクソ野郎が、
いったいどれだけあの腐ったドヤ顔を晒したことか。

スポーツを政治利用するな?
そんなこと、土台無理な話だ。

そしてなにより、このワールドカップ、
元より、そこに国旗がある限りは、そんな政治的な意味合いが、
あまりにも強すぎる、あまりにも濃すぎる、それは避けられないこと。

なによりいまはこんな時代だ。
グローバリゼーションの高まりと伴に、
その逆手を取るような自国自愛のナショナリズムへのセンチメンタリズムが、
世界中で再燃を始めている。

その全てが、実はロシアの差金だ、
ってなお前の意見も、
確かに判らない訳でもないのだが、
そう、これは時代、なんだよ。
つまりはそう、
グローバリゼーションの波にすっかりと取り残された、可愛そうな貧民たちが、
自国に幽閉されるしか無い、その腹いせを、
一挙にここで爆発させている訳だ。

そしてロシア、そして日本、そして多分、世界の国々、その一つ一つで、
国家という利権の、その骨までしゃぶろうという利権亡者たちが、
これ以上無い高笑いを響かせている筈だろう。

まあそう、それもあってのワールドカップ、
だからこそ、このワールドカップが、ここまで人々の心を熱くするんだろうがな。

ただ、俺的には今回のロシア、
この奇跡の大躍進が、ともすればこの先、いったいどんなツケを伴って跳ね返ってくるのか、
そればかりを気にしてしまう、そんな気もしないでもない。

という訳で、そう、東京オリンピックだったよな。
ところで、いま、前回の開催国のブラジルが、
いったいどんな状態にあるか、知っているよな?

つまりは、オリンピックという利権に目が眩むばかり、
目先の強欲にトチ狂ってはその後の全てを反故にしてしまった、
あの知恵足らずな国のその末路。

日本という国がそうならないことを祈るばかりだが、
どうだ?
いまの日本、
まさにあのブラジル、
オリンピックが過ぎ去った途端に、
国中が内乱の巷、その瓦礫の山に至る轍を、
確実に辿ってはいないのか?



と、そんな皮肉なロシア人の戯言を聞いてか聞かずか、
改めて、このサムライ・ブルーに対する、
まさに、手放しなほどの激賛の数々。

だがしかし、その能天気な大喜びが、
なんともちょっと鼻についてくるようなそんな気がしないでもない今日このごろ。

つまりはまた、あのハゲタカのような利権亡者の連中が、
ジャパン・ブルーのこの降って湧いたような大健闘を前に、
また浮かれたアフォを焚き付けて一儲けを企む、
その出来レースの臭いが
むんむんとしてきただけの話なのだが、

スポーツに政治を絡ませるな、
そういう脳天気なことをいう輩に限って、
スポーツに絡みつくだけ絡みつく利権という問題には、
総じてまったく無頓着でいることのこの不思議。

であれば、思い切りのちゃぶ台返しでこう言いたい。

スポーツと利権がズブズブの腐れ縁であるとすれば、
そこに政治を絡めてなにが悪い。

あるいは、スポーツそれそのものが、利権づくめ、
つまりは、政治づくめのものなのだろう。

ただ問題は、そこに、なにを、見るか、なのだ。

という訳で、正直なところ、今回のこの大会、
罵声は承知の上で、セルビアにだけは勝ってほしくない、
そう思っていたことを、正直に白状しよう。

と同時に、同じ思いであった筈の、あのクロアチア、
あのとてつもない死闘の姿を前に、
そんな偏見を完膚なきまでに一蹴した、
そのあまりにも見事な晴れ姿。

結論として、やっぱり、勝たなくっちゃ、駄目なんだよな、と。

というわけで、我らがサムライ・ブルー、
次は、次こそは、なんとしても、勝って勝って勝ち抜いては、
世界中の偏見乙共の、その度肝を抜きまくって欲しいと、
またまたしょうもない本音をぶちまけてしまう訳なのであった。

日本頑張れ!

クロアチアも、そして、フランスも頑張れ!

勝ってこそ官軍、
勝てばなんでもありだぜ、この野郎、と。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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