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ベビーメタルのいない夏 ~ 完璧に勝るなにか、とはなにか:新生ベビーメタルの目指したもの

Posted by 高見鈴虫 on 31.2018 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
いやあ、旦那、どうもどうも、
なんか久しぶりだよな、
とは言いながら、最後にコメント貰ったのが、
ああ、6月の半ば、つまりは、一ヶ月半前ってことなのか。

へえ、あれ、そうか。
なんか随分とご無沙汰しちまったような気もしてたのだが、
そうか、あの、ドニントンパークのライブが終わってから、
たった一月半しか経って無いんだよな。

なんだよそんなもんなのか。

改めてベビーメタル、
そのツアーが始まった途端、昼も夜も無く、どころか、
寝る間も惜しんでのパイレーツ動画漁り、
なんてことに完全没頭してしまう関係から、
改めてそんな夢から覚めた祭りの後、
そのロス期の空虚感がハンパねえし、
ってのも、まあ今に始まったことではないのだが・・・

だがさ、いや、まあそう、これも実に感覚的、
あるいは印象的なものではあるのだが、

なんかこの今回のロス期、
ちょっとした空白、というか、
失望ではないにしても、
なんとなくも、妙なところで、寂寥感なんてものを感じない訳でもない、
この一種、燃え尽き感って、いったいなんなんだろうな。

という訳で、思わず呟くこの言葉、
だって、だって、だって、すぅちゃん、
せっかくの夏、そう、夏なんだぜ、
夏だ、ロックだ、ベビーメタルだ、
その夏に、なんでなんで、よりによってすぅちゃんが居てくれないのか、と。

という訳で、この夏真っ盛り、これあまりに真っ盛り過ぎ、
という、ともすれば修羅にも近い魔夏の最中にありながら、
果たしてそこに繰り広げられる巨大祭典の数々。
そう、言わずとしれた夏のロックフェス、なのであるが、
その錚々たるラインナップ、なんてものを前にしながら、
そう、どうしてだろうこの拭い切れない寂寥感。

そう、誰もが気がついている筈だ。
なにかが足りない、なにか、とてつもなく大きなものが、
ここからすっぽりと抜け落ちている。
それはまさに、主役の居ない舞台。
あるいは、フェデラーの欠場したグランドスラム、
あるいはそう、まさにそれ、女皇帝のいない七月・八月、
誰もが認めるその不動の王者たるベビーメタルなくして、
いったいどこに、真の祝祭があろうか、
なんてことを思っては、
改めて、ベビーメタルのいない夏
このあまりの空白、このあまりの空虚、
このあまりの、寂寥感は、いったいなんであるのか、と。

そう、ベビーメタル無くしては、世界のロックは成り立たない、
ベビーメタル無くしては、世界のロックはまったくもってただの抜け殻、
改めてこの、ベビーメタルのいない夏、
つまりはその白々しさが、ハンパねえって訳でさ。

という訳で、相も変わらず、
世界がどうなろうと知ったことか、のこの俺。
てやんでい、俺にはベビーメタルがいる、
ベビーメタル以外はなあんにも要らない
と思い切りへそを曲げまくっては、
果なきダークサイドを漂う、
このベビーメタルのいない夏。

で、旦那衆、改めて、いかがお過ごしてですかい、と。



という訳で、
実はあれから、また例によってずっとずっと
先のツアーの海賊音源ばかりを聴き続けているんだが、
その一番のお気に入りのテイクっていうのが、
狂乱と言われたヒューストンでも、
あるいは、暴動とまで言われたナッシュビルでもなく、
実は実は、そのツアー二日目、
オースティン・テキサスでのライブだったりもするんだよね。

まあ確かに、SHOWとしての完成度としては、
ナッシュビル、あるいは、インスブルックでもあるのだろうが、
ほら、俺はご存知のように音源乙、
仕事中の作業用、気つけ薬代わりに聴くことが多いことから、
映像系、というよりは、どうしてもやはり、音源に頼らざるを得ない。
でまあ、そんな極音源的な主観から言わせて貰えれば、
一種、完成を極めた感のあるナッシュビル、
あるいは、その後の欧州小箱よりは、
むしろ、ギリギリな緊張感の中に張り詰めたこのオースティンでの公演、
これこそが、実は先の米欧ツアーの命運を決っした、
その天王山であったのだな、と改めて感じ入る訳だ。






改めてこのオースティン公演、
まあその海賊音源の音質の良し悪し、というのもあるのだろうが、
全編に渡って貫かれた、
このいまにも血の飛び散るかのような緊迫感、
これまさにハンパじゃねえ、というか、なんというか。

でそう、思い起こせばツアー初日のカンサス・シティ、
そのあまりにドラスティックな登場を前に、
下手をすればちゃぶ台返し的なまでのこの激変の様。
初っ端から新曲4曲を立て続け、
そしてなにより、ユイがいない、その驚愕と落胆の中で、
一種、現場の観客も含めた世界中が、
まさに狐に包まれたような状態にあった訳でさ。

で、そう、また例によって脊髄反射の連中からは、
ベビーメタルは終わった、の、
アミューズ社の説明責任がどうの、と、
また要らぬ囀りをそこかしこで焚き付けては、
ってな、一種ケイオス的な状態にあった、とは思うのだが、
そんな混沌を、一挙に覆したこのオースティンでの倍返し。

今更ながら、このオースティン公演における、
すぅちゃん、そして神バンドの、今にも砕け散ってしまいそうな、
あまりのあまりの緊張感。

で改めて、ここぞという時に真価を発揮できるその底力と言うか、
その力量の凄まじさ、というか、その驚異的なまでの集中力というか。

でさ、このオースティンでの公演を何度と無く聞き返しながら、
果たしてこの神聖ベビーメタル、
あの、言ってみれば狐に包まれた観客を前にして、
一種の大滑りを記録することになったカンサス・シティから、
そしてこのオースティンの奇跡の大逆転に至るまでの、
その二日間。
つまりは、5月8日から10日までの48時間における、
あの、全長740マイル、
平均100キロでぶっ飛ばしても12時間近くを要する、
あの長い長い移動の中で、
いったい、すぅめたるは、モアは、そして神バンドは、
そしてなにより、チーム・ベビーメタル、
新参加のマッスル・シスターズさんから、
そして、我らがコバ大明神。
その胸のうちに、いったいどんな想いが、
去来していたのであろうか、と。

ぶっちゃけた話、それは今だから言えることでもあるのだが、
もしもあのオースティンでのライブがやはり大コケをしていたら、
もしかしたら、ベビーメタルはおしまい、とまで言わないまでも、
確かに、ちょっとした危ない状態に陥っていたであろうことは、
想像に難くない。

それと同時に、あのカンサス・シティから続々と届けられる報告の中で、
ともすれば、この新生ベビーメタルが、その初演の大一番で大コケを記録した、
そのニュースは当然、このオースティンの観客達の耳にも、
しっかりと届いていた、と思うんだよね。

ただ、言うまでもなくこのオースティンの観客達、
WARM WELCOMEなんて言葉では到底言い尽くせない程に、
初っ端からまさに乗り乗りの乗り乗り、それは怒涛の様どころか、
そのまま騒乱から暴動に発展しそうな熱狂ぶり、なのである。

果たしてこの奇跡が何故に巻き起こったのか。

或いは、初回の大コケのニュースを知りながら、
そしてなにより、ユイが居ない、その衝撃に相対してもなお、
この騒乱的なまでの大歓迎、そこにあったものとはいったい何なのか。

そして何よりこのオースティン公演、
特筆すべきは、すぅめたる、である。

カンサス・シティでの大コケを前にしても、
微動だにしない、どころか、そこには気後れやら、不安やら、
揺れやらブレやら迷いやら、そんなものは一切感じさせない。
それはまさに鬼気迫るほどまでに、
その声に込められた気迫の凄まじいこと凄まじいこと。

改めて、このオースティン公演、そこには神が降りていた、
あるいはそう、そこには確実に、一種の狂気が満ちていた、
その海賊音源の中に、
あるいは、そんな産地直送の生搾り的な劣悪生録音源だからこそ、
そこにあった神懸かり的な狂気の様が、
まさに目に浮かぶように手に取るように、
ひしひしと感じることができるのである。

そして改めて思う。
果たして、あのカンサス・シティからこのオースティンまで、
その二日間の中で、すぅメタルはいったい、なにを思っていたのだろうか。





改めて、このオースティン公演、
その初っ端の新曲3曲、そのあまりの完成度を見るまでもなく、
この公演に向けて、果たしてこの新生ベビーメタルが、
いったいどれだけ入念なリハーサルを繰り返してきたことか。

すぅ最愛、そしてマッスル・シスターズ、
四人が四人、完全なるシンクロを披露しては、
それと同時に、いままでになく、微妙な、ナイーブな、
そしてなにより、あのぞっとするほどに艶かしい身のこなし。
それは、これまでのベビーメタル、
一種、超絶早回しのVOGUINGを繰り返すかのような、
俗に言う、キレッキレダンス、というのとはまた一味もふた味も違って、
特にあの新曲における、あのくねりくねりの全身が波打つような身のこなし、
そこにはまさに、アイドル、なんて言葉を吐いた途端に、
一撃必殺の鞭が飛んでくるような、強烈な大人のパワーが満ち充ちていた筈だ。

この初っ端からの新曲3曲のぶっ通し、
果たしてそこに、ベビーメタルはいったい、どんなメッセージを託していたのだろうか。

そんなことを思えば思うほど、改めてこの新曲群の完成度の高さ、なのである。

カンサス・シティから届いた、あの一種愕然となるほどの劣悪な音源、
ギターもベースもドラムさえもさっぱりと聞こえない、
そんな中にあっては、この新曲、どれもこれも、なにがなんだかさっぱり分からん。
ともすれば、どこぞの大学の音楽サークルのリハーサル。

これまで鉄壁の完成度を誇ったベビーメタル、
その楽曲の全てが全てコッテコテの作り込み。
ギチギチに圧縮された濃縮コンセントレートであったベビーメタルが、
いきなり、素人に毛の生えたとしか思えない、生煮えの生焼け、
そんな作りかけの出来損ないを持って出てきた、
そんな気もしないでもなかったのであるが。

そう、このオースティン、あるいは、あのカンサス・シティの生録音源を前にしても、
実は、その完成度は、まったくもって微動だにしていない、のである。

そう、ベビーメタルは、この2018年上半期の世界ツアーに向けて、
それはまさに、血の滲むような鍛錬と、
そして、全ての音符、そのが全てが、
血となり肉となり、骨の髄にまで染み渡るほどの、
とてつもない鍛錬に次ぐ鍛錬、
完璧なまでのリハーサルを続けてきた筈なのである。

そう、この日のオースティン、
それを支えていたのは、まさにその、血の滲むような鍛錬、
そこに貫かれた、絶対的な自信であったに違いない。

私達にはこれ以上はできない。
これが私達の出来るすべて。
ただ、私達はそれを信じている。
なにがあっても、どう言われようとも、
私達はこれを、やり続けるしかない。

ベビーメタルは終わった、
ユイのいないベビーメタルはすでに抜け殻に過ぎない、
そんな無責任な酷評を前にして、
しかしこのオースティンに貫かれたまさに鋼鉄のような意志力。

それはすべて、この揺るぎなき自信、
これ以上できない、その自らの限界を知り尽くすほどにまで、
鍛えて鍛えて鍛え上げられた、その鋼鉄のような意志力だったのであろう。

改めて、ベビーメタルの魅力とはなにか。
何故に、俺達はこれほどまでにベビーメタルを愛し続けているのか。

アイドルとしてのカワユさ、素敵な笑顔と、あどけなさと、その堪らないほどの愛らしさと。
だが果たしてそうであろうか?
ベビーメタルの魅力とは、そのアイドル的な外見の麗しさ、果たしてそれだけであったのか?

そう、俺は敢えて言いたい。

ベビーメタルのそのなによりの魅力とは、まさにこの、鋼鉄のような意志力に他ならず、
そしてなによりこの2018年上半期のツアー、
そこにあったのは、なによりもこの、鍛えて鍛えて鍛え抜かれた、
その鋼鉄の意志力、そればかりが、
まさに、真っ赤に焼けては眩い白光にハレーションを起こしてながら、
その光の向こうにまったく違う世界が透けて見えるほどにまでに、
まさに、鍛えに鍛え抜かれた意志力、
その結晶とも言うべきものだったのではないのか。

そして神が舞い降り、そして観客の中に狂気が包んでは、
そしてすべてが覆った、このオースティンにおける奇跡の大逆転。

いやはや、それを思えば思うほど、
このオースティン・テキサスにおける公演、
絶体絶命の土壇場で炸裂したこのあまりのメガトン・パンチ、
これを狂気のクロスカウンターと言わずにしてなんと言おう。

という訳で、そんな諸々の思い入れを込めて、
改めて、今回2018年上半期のワールドツアー、
その命運を決した一世一代の大勝負、
その記念碑的なターニングポイントを、
心からの祝祭とそして尊敬を込めて、
このオースティン・テキサスでの公演に捧げたい、と思う訳だ。



でさ、実はそんな米国ツアーの総決算であった筈の、
あの、コロンバス・オハイオの巨大ロックフェス、
ROCK ON THE RANGE での檜舞台。

一種、これまでの小箱公演は、
この大ステージのためにやってきた、とまで思い入れた、
この、一世一代の大勝負、であった、その筈なのだが・・

実はさ、俺ちょっと思ったんだけど、
このコロンバスの公演、
もしかして、ベビーメタルの中に、一種の慢心があったんじゃないのかな、と。

つまりは、あのオースティンでの大逆転の後、
ダラスからヒューストン、そして、ジョージアからノース・カロライナからテネシーまで、
まさに破竹の勢いでの大躍進を続けていく訳なのだけど、
そのあまりにも密室的な大熱狂の熱に絆されては、
一種この、ROCK ON THE RANGE でのステージ、
その完成度、その演奏力、そのパフォーマンスの完璧さは、
確かに物凄いものがあるのではあるが、
果たしてそこに、どういう訳かなにかが足りなかった、
そんな気がしないでもなく。

そう、このROCK ON THE RANGEのステージ、
つまりは、あのストリーミングで公開された正真正銘の公式版的な音源。
あのカメラ撮りの酷さは確かにあったのだが、
だがこの音、この音源に関する限り、
その完成度はまさに、今回の公演の中でのピカイチのものがある。
でありながら、でありながらも、
どうしてだろう、俺なぜか、このROCK ON THE RANGEの海賊版、
あまり、聴かない、聴く気にならない。

で、その代わり、と言ったら何なのだが、
誰がなんと言っても、今回のこのツアーにおいて、
最高の中の最高のステージとなったのは、
言わずと知れた、あの、ROCK AM RING、
ドイツはニュルブルグでの、一代神懸かりステージ。









いや確かに、あの公演での映像、
あの地平線まで埋め尽くした大群衆の、
そこかしこでうねり回るサークルモッシュから、
終わりること多重サーフの大津波から、
そしてなにより、公演の終わった無人のステージ向けて、
終わり無く響く続けるシュプレヒコール。
ベイビーメロー!ベイビーメロー!ベイビーメロー!ベイビーメロー!
あのあまりにも感動的な光景が目に焼き付いて離れない、
というのも確かにあるのではあるが、
果たして、純音源としてのこのROCK AM RINGでのステージ、

それはまさに、完成形、なんて言葉がちゃんちゃらおかしくなるほどに、
神懸かりに次ぐ神懸かり、
まさに、奇跡の二乗三乗とも言えるほどにまで、
そしてなによりも、そこに濃厚に漂う、狂気の匂い、なのである。

ギミチョコで響き渡る悲鳴から絶叫から、
そしてなにより、この公演におけるディストーション、
これ、これ、このディストーション、
これ、まじで、なんかヤバイ、まじで、とてつもない磁力という魔力というか、
まさにそれは、狂気、
そう、そこには確実に、狂気が漲っているんだよね。

で、その秘密というのが、
この ROCK AM RING におけるステージ。
その初っ端の初っ端、IN THE NAME OF FOX GOD、
その序章を終えた後、
改めてその仮面を脱ぎ捨てては、
メギツネの前奏に乗って登場したすぅと最愛、
その二人の顔つきって言うのが、もう、これ、いったい、なんなのって感じでさ。

それはもう、エンターテイメントやら、ショービジネスやら、
少なくとも明らかに、そういう次元のものじゃあらない。

これ、もう、完全なる臨戦態勢というか、
ボクシング、とうよりも、まじめのまじめに、
土手っ腹にドスぶっ刺しては、本気の喧嘩に向かう、まさに、決死隊、そのもの。

これ、本当の本気で、すぅちゃん、このステージに生命を賭けている。

改めてこの、ROCK AM RING の公演、
言わずと知れた悪名高きジャーマン地蔵、
呼べど叫べどうんともすんともびくともしない、
そんな石像的なまでに無反応な観衆を覚悟していた、その筈。

ただ、この降って湧いたような全世界ストリーミング企画、
そんな地蔵達を前にして孤立無援の姿を、
世界に晒せる筈もない。

という訳で、このステージ、まさに土壇場の土壇場。

そこで科せられたベビーメタルの使命とは、
まさに、地蔵、つまりは、石をも揺り動かす、なにか特別な力。

そう、このステージ、そんな奇跡を起こすには、
完璧では足りない。
完璧に勝る、それ以上のなにか、を必要とされた訳で。

それではその、完璧に勝るそれ以上のなにか、とは果たしてなんなのか?

そしてこのステージ、まさに、怒涛、まさに、狂気、
それはまさに、カオス:CHAOSの錐揉み状態。

そして改めて、このメギツネにおける登場シーンのすぅめたる、
その、完全に座り切ったその視線。

これぞまさに神懸かり。

もはや明白なる憑依状態の中で、ともすれば、
無意識の催眠状態にあるかのような最愛に比べ、
ぐいと顎を引いては、その群衆のすべてを睨めつけるような
その強烈な眼差し。

てめえら、全員、ぶっ殺してやる!

愛と平和のベビーメタルにぶっ殺すもないのだが、

そう、この日のすぅめたる、まさに神が宿っているというよりは、
まさに、軍神、あるいは魔神そのもの。

つまりは、この日、ROCK AM RINGのステージにおいて、
すぅめたるは、神を、意図的に呼び降ろしたのである、と。

そう、これまでのベビーメタル、
それはまさに、依子:よりこ と言われるまでに、
神の憑依した、その化身、でもあった訳なのだが、

この日のすぅめたるは、神に憑依されるどころか、
それを我が力で呼び寄せては呼び降ろし、
ついにはそれを自由自在に操る、まさに神の中の神、つまりは魔神そのもの。

一曲目のメギツネにおいて完全なまでに観客を掌握した後、
ギミーチョコレート!とともに悲鳴まじりの絶叫が響き渡る中、
そして、なにより、その神懸かりの真髄であった、
あの、ディストーション!

そこで起きたあの超絶壮絶なまでの錐揉み状態、
そのケイオス、その混沌、その狂気に満ちた怒涛のパワー、
これを 魔力と言わずになんと言おう。
これぞまさに、ベビーメタル始まって以来の超絶壮絶な神降ろしの炸裂映像、
あの武道館は黒の夜のアカツキ、
あるいは、ソニスフィアのギミチョコ、
そして、東京ドームのシンコペーションから、
そしてなにより、あのヒロシマにおける魔術的なまでのTHE ONE。

そしていま、この、ROCK AM RINGにおけるディストーション。
ベビーメタルがまたやった、
しかも、これだけの観衆、まさに地平線までもを埋め尽くした大群衆を前に、
神懸かりの神懸かり、その奇跡の実証を、これでもか、とばかりにぶちかました訳で。

そしてダメ押しとばかりのKARATE、
そしてなにより、そのクライマックスたるROR。

そこで起こった稀代のテクニカルディフィカルティ、
すぅのマイクが入っていない、そんな危機的な状況でさえも、
興奮に水を射す、どころか、
怒涛のようなケイオスの炎に油を注ぐどころか、
ニトログリセリンを一挙に注ぎ込んだような、
とてつもない大爆発を巻き起こしたこの超絶なステージ。

その何もかもが、まさに、神懸かり、まさにそう、狂気の渦巻くケイオス、そのもの。

そしてそれこそが、すぅめたるの導き出した回答、

石をも揺り動かすなにか、
完璧に勝る、それ以上のなにか、とは、
まさしく、狂気、その狂気が狂気を呼ぶ、
まさに、怒涛の、錯乱の、狂乱の、ケイオス、
それを置いて他ならず。

ベビーメタルはついにそれをやった。
しかも今回のこのステージ、
そう、すぅめたるは、それを、有ろう事か、意図的に、創作し得た、のである。

これを魔王と言わずになんと言おう。

そう、すぅめたるはすでに、女王やら、女帝やら、
もしかするとすでにそんなものでもないかもしれない。

すぅめたるこそは、魔神。
神を呼び寄せ呼びおろし、それを意のままに操る、
魔の神の、その総元締め。

いやはや、である。
これはこれは、なのである。

そう、これこそがベビーメタル、なのである。
これこそが、ベビーメタルが世界を取る、その実証なのである。





実はこの ROCK AM RING の 海賊音源、
あれ以来、寝ても覚めてもこればかり聴いている訳なのだが、

実はさ、この ROCK AM RING、
ひとつ問題があって、
これ、たかだか30分あまりの音源ながら、
これを聴き終わった時、凄く疲れるんだよね、これが。

おうおう、おっさん、随分と耄碌したものだな、と、
まあ確かにそうなんだけどさ。

この ROCK AM RING、そして オースティンにも言えることなんだけど、

実は今回の2018年の公演、その、海賊音源、
これさ、疲れる、聴くだけで凄い消耗度、というかなんというか、
無理矢理にでもエネルギーを完全燃焼させられては、
聴き終わった時に、まさに唖然呆然の抜け殻状態。

いやあ、それが良いのか悪いのか、は別として、
いやはやベビーメタル、その今回の2018年上半期、
この、ダークサイドと銘打たれた公演のすべてが、
生じっかで手を出すとまさに、身体ごとぶっ飛ばされて骨抜きにされる、どころか、
完全にノックアウトされては、茫然自失の今浦島。
身体中のエネルギーを無理矢理に完全燃焼、
後に残るのは、真っ白になった灰人間、
つまりは、廃人と化してしまうから、くわばらクワバラ、
まさに、取扱い注意のベビーメタル、なのである。





でさ、改めて、正直なところ、ではあるのだが、
この、ROCK AM RING そして オースティンの公演を聴きに聴き込んだ後、
ふと、そう言えば、と発売の待たれるあのヒロシマでの公演から、
そして、嘗てレコード盤が擦り切れるどころか、
鼓膜そのものが摩滅して消失するほどにまで聴き込んだ、
あの、ウェンブリーが、あの東京ドームが、あのSSAが、あの大阪城が、
いまになって聴いてみると、あれ?ってな、妙な、そして、確信的なまでの、
強烈な違和感を感じてしまったりもするんだよねえ、これが。

いや、これは敢えて、好き嫌いの問題、とはしたくない。
つまりは、俺の音楽人としてのプライドの全てを賭けて、
敢えてこう言い切ってしまおう。

この新生ベビーメタルは、これまでのベビーメタルと、
そのクオリティが、あまりにも、違いすぎる、のである。

旦那、この大暴言を前に、えええ!? と、
思わず腰を抜かしているであろう。

そう、俺もそれに気づいた時、思わず腰を抜かしそうになった。

えええ、この、ディストーションが、
この、エレベーターガールが、そしてこの、TATOOが、
これまでのベビーメタルの名曲の綴織り、
そのどの曲をも、レベルが違いすぎる程に、ぶっ千切っている、と。

そう、俺は敢えて言い切りたい。

今回のこの新生ベビーメタル、
好きか、嫌いか、は別として、そのクオリティ、
その完成度、そしてなにより、その密度の濃さが、
これまでのベビーメタルに比べて、
あまりにも、あまりにも、あまりにも違いすぎる。

カンサス・シティの初演の劣悪音源においては、
まさに、愕然となるほどにまで、
素人臭く、生煮えの出来損ないとしか思えなかった筈の、
あの新曲の三曲が、
ともすれば、耳に張り付いて離れないほどにまで、
血に肉に、骨の髄から、その脳梁の隅々にまで、
染み込むに染み込んではもはや完全なまでの雁字搦め。

そしてなによりも特筆すべきはディストーションなのである。

この曲、あまりにも凄まじいばかりに、
カラテが、ギミチョコが、すっかりと色を失うどころか、
もはや、この曲がなくては、飯も食えずに屁も出ず糞も出ず、
ともすれば、眠りさえも奪い去られてしまうほどに、
このディストーション、その中毒度がまさにハンパではない。

ただこのディストーション、
そのあまりの凄まじさばかりに、
ともすれば、ベビーメタルのライブの看板曲、どころか、
下手をすれば、他の曲のすべてをぶっ飛ばしては吹き飛ばしてしまう、
そんな危険な危険なニトログリセリンなのである。

でさ、改めて、この新曲三曲と、そしてこれまでのベビーメタル、
いったいなにが違うのか、と思いながら、
そして改めて、ふと、先日のヒロシマのテイクを聴き直して見たのだが、

このヒロシマ、確かに凄い、確かに凄いんだけど、
どうしてだろう、そこに、一種の「泣き」というか、
つまりは、そこに確実に存在する、か弱さ、というものが、
妙に鼻につく、あるいは、不完全なもの、として、
そこに確実に、ある種の、違和感、を感じたんだよね。

ただ、俺にだって判っている。
その、か弱さ、こそが少女の純潔であり、
その不完全さ、こそが、今後の伸びしろの確約であり、
そしてなにより、その違和感、
つまりは、アイドルとしてのシュガーポップとヘビーメタルとの融合という
このガチンコ的ミスマッチこそが、
ベビーメタルの最大の看板、であった筈なんだけどさ。

そう、実は今回のこの新生ベビーメタル、
そこには、そのか弱さ、あるいは、不完全さ、
ともすれば、その最大の特色であった、ミスマッチさ、
それが、禁句というまでに、影を潜めている。

そう、新生ベビーメタルは、そこにある種の統合、
或いはそこに明らかに、ひとつのスタイルの確立を目指している。

では果たして、その新たなるスタイル、その核となるものはいったいなんなのか。





この寝ても覚めてもの新生漬けの後に、
改めて聞き返して見たヒロシマ公演。

そこに見た、一種の、そして明らかなる違和感、
その最もたるものは、

実はこのヒロシマ、あるいは、これまでのベビーメタルが、
あのヒロシマに至る過程、その全てに、
か弱さ、と同時に、一種の 優等生さ、が感じられたんだよね。

すぅちゃん、本当に良い子だな、
まったくもって、優等生の鑑、だよな、と。

改めて、この優等生、という奴。
つまりは、模範児童、強いて言えば、よくできましたの花マル優良児、
つまりは、生徒の鑑、という奴である。

そう、ヒロシマを経るまで、すぅめたる、そしてベビーメタルは、
ロック界の唯一無二の、花マル優良の、模範的優等生であったのだ。

敢えて、不良の専売特許であったロック界に、
いきなり飛び込んできたこの幼気な天使たち、
そのあまりのミスマッチこそがベビーメタル衝撃、
そのインパクトの凄まじさであった訳なのだが、

ここに来て、ヒロシマ、というあの今世紀最大のインパクトを経て、
ベビーメタルは、すぅめたるは遂に、生徒であることを卒業したのである。

それはもしかして、ロックという既成概念への決別、
あるいは、ともすれば、これまで唯一絶対のFOXGODであった、
あのコバメタル、その呪縛からの解放であったのか。

そう思って改めて聞き返す今回のこの新曲群。
そう、実はこの新曲群、
これまでともすれば、歌い上げる、というよりは、
一種、楽器的な作り込みの中で、
ともすれば、唯一絶対、絶妙の効果音的な使われ方をしていた、
このすぅめたるのヴォーカル、その類まれな声質が、
この新曲の三曲においては、その用途、その使用方法が、
実にドラスティックなまでの変化を遂げているのである。

言うまでもなく、その看板曲であるディストーション、
これにおいて、すぅめたるのボーカルは、
歌、というよりは、まさに効果音、そのリフレイン。
ただそれによって、すぅめたるの持つ、あの絶大なる声質という武器が、
これ以上なく効果的に使われているのである。
そのデスボイスをも思わせる低音から、
そしていきなり弾け散る、まさに、すぅちゃん節というまでのあの鮮烈な高音、
そのアップ・アンド・ダウン、そのあまりにも壮絶な錐揉み的リフレイン。

そしてなにより特筆すべきは、TATOO、である。
この、一種素人臭いまでに、全曲にわたって貫かれた、
一種オールドスクール的な定番的ロック節。
ただその中で、すぅめたるは初めて、一曲を通して歌い込む、
その歌唱力という域への果敢なる挑戦。

隠していても、わかることでしょ。
どうかしてる。ゆらゆらゆれる振り子のリズムで。
陽炎のいま、ゆらりゆらり、舞い上がる。

はぐらかしても、ばれることでしょ。
どうかしてる。舞い上がれ、
ゆらゆらゆれる、振り子のリズムで、
嫉妬の炎、ゆらりゆらり、
舞うよ、舞えよ、ゆらりゆらり、舞い上がれ。

ん?え?あ?お?げ?なに?これ、なんなのこれ、いったい・・・

そう、おわかり頂けただろうか、

これ、この、あまりにも、散文的な、心情吐露。

これ、まさしく、考えようによっては、まさに、これ、え?まじで?そういうこと?

で、で、で、で、相手は、相手は、相手は、いったい、誰なんだ!

と思わずちゃぶ台を返したくなるほどに、
あまりにも赤裸々な、生々しくも、隠しようのない、
情愛、あるいは、情欲、その、ほとばしり・・・

で、で、で、隠しても、ひらひら落ちる、
で、で、で、揺れる揺れる、振り子のリズム?
で、で、で、嫉妬の炎、って、て、て、て、ことは、これ、つまりは・・・

不倫の歌、であったりももももも、するのか、おい、そういうことか、
爺やの前で、はっきりといってみなさい、
言えないのか、言えないような人か、え?どうなんだ、
一体誰だ、誰なんだその相手は・・

とかなんとか、はい、そうですね、これ、大人の歌、
つまりは、恋に身を焦がす、大人の、女の歌、だったりもする訳でさ。

改めて、この曲を例に出すまでもなく、
今回の新生ベビーメタル、
そこで見せたなによりの変化、その核心とは、
この一種の心情吐露的なまでの、情緒性、
つまりは、その魂の叫びに隠された、一種のストリー性。

これまで、その歌詞を何度読んでもさっぱりと分けの判らなかった
暗示的というよりはキーワードの羅列的でもあった
ベビーメタルのそのリリック:歌詞。

そこに初めて、一種のメッセージ、というよりは、ストリーが加わり、
そして改めてそこに、確実に示された能動的な主体性。

これまで、ロック界の優等生、
最高の生徒であり続けたベビーメタル、
つまりは、与えられた課題を、そつなく見事に最高に昇華させる、
そのことに全精力を傾けて来たこの類まれな天才児が、

この新生ベビーメタル、ここに来て初めて、
自分の意思で、自分の声で、自分の言葉で、
自身の思いの丈をこれでもかと詰め込んでは、
赤裸々なまでのその私情の詩情の心情吐露。

つまりはそれこそは、
これまで、偶像:アイドルであり続けたすぅめたるが、
ひとりの人間、つまりは、中元すず香として、
本当の本気の自分をさらけ出す、
そのひとりの人間としての葛藤の様を、
ステージの上でパフォーマンスとして昇華させる、
その大いなる挑戦、その成長、その過程なのであろう。

そして今回のあの鎧のようなコスチュームに秘められた思い。
また口の悪い輩からは、まるでゴキブリのような、と言わしめた、
あの一種、奇妙なコスチューム。
あの貞操帯をも思わせる頑強なコスチュームは、
つまりは、すぅめたる、ではなく、中元すず香自身の持つ自意識の殻。

それはまさに、あの ROCK AM RING で見せつけた、
てめえら全員ぶっ殺してやる、あの気迫の火の玉と化した姿、
それはつまりは、プライドであり、気迫であり、戦意であり、
つまりはそう、その硬い硬い自意識こそが、すぅめたる、
強いては、中元すず香の唯一絶対の武器、なのである。

ただ、そう、ただ、そこに内的な変化が訪れている。

つまりは、ゆらりゆらりゆれる想い、
あるいは、地獄にお連れしますと謳いながら、
あのメロディに秘められた、あの不協和音の綴織り、

そこに明らかに見える、自意識の揺れ、そのブレ。

そう、そうなんだよ、自意識を捨てないうちは、
恋のゲームには勝つことはできても、
そこから愛を見い出す為には、
なによりも自分の自意識のすべて、
その存在のプライドのすべてをかなぐり捨てても、
愛する人に捧げ尽くしたい、
その越えるに越えられぬ一つの山、
それを越えた時、人間は初めて、
自分自身を上回る愛の存在に気づき、
それと同時に、自嘲、という、
最強の武器を身につけることができるのであるが。

そう、これからのベビーメタルは、
つまりは、すぅめたるの人間としての成長。
強いては、あのゴキブリとまで言われた、
あの貞操帯のような硬く無骨な鎧が、
ひとつひとつと剥がれ落ちては、
それでもなお、輝き続ける自分自身のその核心の核心。

すべてのちゃちなプライドも、意地も衒いも、
その頑強な自意識の殻を一枚一枚と剥がしながら、
その表層的な虚仮威しの仮面を次々とかなぐり捨てながら、
自分という存在、その核心へと向かう迷宮、
人生とは、その終わりなき旅、その途上。

そう、すぅめたるは、ついにすぅめたるという偶像から、
中元すず香という人間との一体化の中で、
ひとつの人間の核心に迫る、その危険な旅に乗り出したところなのだ。

改めて、このすぅめたるがこの先、どこへ向かおうとしているのか。
そこでなにを見て、なにを感じ、それをどのように歌として昇華していくのか、
その生き様そのものこそが、ベビーメタルという壮大な物語の、
そのメインテーマとなっていくのだろう。

そう、ロックは生き様なのだ。
その生き様のすべてをさらけ出してこそのロックなのだから。

それこそが、ロックを目指した人間の永遠のテーマ、
強いては、轍、つまりは、ロックの宿命、なのだから。





でさ、最後の最後に、
誠に誠に野暮ではございまするが、
姫様、改めて言わせて頂ければ、

自己の探求という終わりなき辛く長い旅を続けるそんな時に、
人間にとって、一番大切なものって、
実は、ともだち。

そう、互いにすべてを知り尽くした友、
お互いの強さも弱さも知り尽くした、
恥の上に恥を重ねたそんな七転八倒の体験を共有する、
自分の影のような、分身のような、そんな友。

時として思い切り憎々しく、
時として堪らなくうざったく、
時として悲しくなるぐらいにすれ違う、
いつも喧嘩ばかりしているのに
それでもいつも隣りにいて、
姿が見えなくなった途端に
どこ行ってたの!?とまた喧嘩。

そんな人間が居るか居ないか、それだけで、
人間の深みにはまさに雲泥の差が出てくる。

そう、自己を巡る探求の中で、
思わず自分自身を見失いそうになったとき、
そんな憎々しくもうざったくも、
なにからなにまでピントがずれている筈の、
そんな間の抜けた友達という奴が、
特として、見失いかけた自分に再び連れ戻してくれる、
道標、あるいは、救命胴衣にもなってくれたりもするのである。

自意識のすべてをかなぐり捨てて、
素っ裸の自分自身をさらけ出せるのは、
実は恋人でも愛人でもなく、
それは実は、友達であったりもするんだよね・笑

姫様、これだけは申し上げさせて頂きましょう。
友達こそは、生涯における唯一絶対の宝。
それだけは、それだけは、それだけは、
なにがあっても、忘れてはなりませぬぞ。

そしてそんな友達を失った時、
人は迷いの中なから抜け出せなくなる、
あるいは、自分を知る旅そのものを、
諦めざるを得なくなるのだから。

それはつまりは、生き様を失った姿。
それはつまりは、ロックの終わり、
つまりは、人生の終わりを意味するのです。

姫様、忘れてはなりませぬ。
ベビーメタルは唯一絶対のトライアングル。
その友情の絆だけは、なにがあっても、
一生の宝であることを。




という訳で、
8月1日に控えた、記念すべきあのヒロシマ公演、
その完全収録版の発売を前に、
それまでにやっておかねばならぬことを、
ようやくやっつけた気分。

いやあ正直なところ、まだまだいろいろなことが、
喉の奥まで出かかりながらなかなか形にならない、
そんなジレンマも抱えているのですが・・
それはまあ、とりあえずおいておいて、

まずは、お待ちかねのヒロシマ、その完全収録盤

それを思い切り、心の底から楽しもうではありませんか、と。

喜べるもののあるうちは、思い切り心の底からそれを祝うべき、
それが人生を楽しむ、唯一の極意なのかもしれない。

という訳で、この長い長いベビーメタルのいない夏。

ようやくこのヒロシマ盤の発売で、
ロスの辛さ、そのダークサイドも、一息つけそうです。

ではでは、まだまだ厳しい暑さが続きそうですが、
皆々様、くれぐれも達者で暮らしておくんなせえ。

ベビーメタルの世界制覇のその日まで、
危険な暑さなんてものに、負けている訳にはいかねえんでい!






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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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