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流浪の果てに そのに ~ 「サンヒャン・ドゥダリ: 音楽の源泉」

Posted by 高見鈴虫 on 09.2018 旅の言葉   0 comments
バンドがばらけた後、しばらく旅に出ていたって言ったよな。
いや、別に、潰えた夢の傷心旅行なんてつもりはさらさら無くて、
言うなればそれは衝動的且つ必然的な反動。

そう、バンドマンってさ、傍から見れば、
派手な格好してチャラチャラしては好き勝手に乱痴気騒ぎ、
まったく羨ましい連中も居たものだ、
そんな異次元的な傾奇者ばかり、
と、そんな風なイメージで見られているのだろうし、
事実、そんな無法者的享楽主義者を、
悪のりしてはこれ見よがしに演技している部分も多分にあって、
あるいはそんな大袈裟な演技そのものを、
プロっぽい、あるいは、バンドマンらしさだって
錯覚している奴も多いのではあるが、

だがしかし、と改めて言わせて貰うバンドマンの別の顔。

ぶっちゃけ、バンドマン、
スポットライトに照らされたステージを降りた途端、
その薄汚れた楽屋から、秘密の脱出口のような楽器搬入通路から、
裏寂れた駐車場から、そして地下室の練習スタジオから。
ステージ以外で過ごす場所は、なにからなにまでが薄暗い陽の当たらない場所ばかり。
土曜も祭日も盆暮れ正月もクリスマスさえも無く
他人様がお休みのときには必ずお仕事。
昼過ぎに起き出して夕暮れの帰宅ラッシュを逆に辿っておはようございます。
夜を徹して乱痴気騒ぎを演技しては、
夜更けになってようやく飯を食って、
そして夜明け前の街をとぼとぼと四畳半一間のアパートに帰り着いては、
朝日に背を向けて眠る暮らし。
売れないバンドマン達は、
表向きのあのはち切れんばかりのお調子者風情のその裏で、
実はそんな日陰の場所ばかり行ったり来たりの、
まるでナメクジのような暮らしを続けていた訳で。
そう、その鬱屈の鬱積の鬱憤こそが、
あのステージでの発散が発奮が炸裂が爆発の源、
苦労は買ってでも、それが全て芸の肥やし、
と言うのはもちろん体の良い言い訳で。
たまに女と待ち合わせて昼の日中に表に出ると決まって頭が痛くなって、
太陽の光が忌々しいなんて、なんか俺たちまるで吸血鬼みたいな暮らしをしてるよな、と、
我ながらにこんな生活がいつまでも続くとは思ってはいなかった。

たまのツアーの移動中、楽器運搬用のバンの窓からふと覗いた外の風景。
途中で立ち寄ったドライブインで、まるで鬼か蛇かを前にしたように、
ぎょっとして立ちすくむ幼気な一般人の視線に頭を掻きながら、
そのなんとも間延びした普通人の暮らしが今更ながら異境に迷い込んだようで、
あるいは、穴から出てきた、とはまさにこのこと。

そんな中、ふと、いつか一人で旅をしてみたいと、
そんなことを思っていたのは確かなのだ。

来る日も来る日も暇さえあればRLRRLRLL。
移動中も待ち時間も、飯食って時も糞してる時も女とやっているときでさえ、RLRRLRLL、RLRRLRLL。
頭の中にはいつも楽曲がグアングアンと回っていて、
耳の奥はどんなときでも耳鳴りがキーンと鳴り響き、
そしてなによりも、片時も去ることのない焦燥感。
練習しなくては、練習しなくては、練習しなくて、練習しなくては。
次のライブに向けてのタイムリミットがいつもカチカチと秒を刻み続け、
あの曲のあの構成のあの小節のあの部分、
そのメロディをリズムを楽譜を音符を際限なく繰り返しながら、
転寝の中にはっとして目を覚ましてはくそったれとタバコをくわえ。
ああくそ、こんなことでジリジリしているぐらいなら、
早いところライブで演っちまいたいな、そのライブへの待ち時間はまさに拷問に近く。

そう、あの、スポットライトの中でおかしな絶叫を響かせては髪を振り乱す、
そんな享楽者のバンドマンたちが、
実はひと皮めくれば魔界の吸血鬼ならぬ、日陰のナメクジ的修験者であったことは、
世の誰一人として知るものではなく、知ったことではなく。

そしていつしか俺達も大人になった。
それまで、憧れのスーパースターと女の話と喧嘩の話ばかりであったこのバンドマンたちが、
いつしかその話題が、
ギャラの話からジムショの悪口からバイトの愚痴かた、
売れた奴、売れそうで売れない奴、
売れていたけど落ち目な奴から、
いつまでたっても売れない奴から、と、
そんな話に思わずライブ前の楽屋がシーンとしてしまったり、
なんてことが度重なるに連れて、
そう、ロックスターの寿命は短い。
ブレイクできるのも二十七が限度。
その寿命に向けて、あと何年、あと何年と、
それはまるで蝉のような心境であったのかもしれない。

そうか、俺たちは蝉か、と思わず苦笑いをしながら、
たった七日、ならぬ、七〇分間のライブに人生のすべてを賭ける、
そしてそれ以外のすべての時間を、
バンドマンは、実は、世を忍ぶ仮の姿、
つまりは、くだらないアルバイトに費やしていたのである。





そうだな、そんな暮らし、どれだけやっていたかな。
俺はデビューが早かったから・笑
学生時代を含めれば、
そうだな、ちょうど蝉ではないけれど、
それでも七年ぐらいはどっぷりと、
そんな奴らとそんな暮らし、
つまりは自称プロ、なんて顔して暮らしていたんだったよな。

という訳で?
そう、という訳で、売れなかったよな。
少なくとも金にはならなかった。
いや、ライブではそれなりに人気はあったんだよ。
知る人ぞ知る、なんて感じでさ。
雑誌の取材も来たし、グラビアに写真も載ったし。
CDというかレコードもだしたし、テレビにも出たし、
そこで芸能人やら業界さんやらっていう、
まるで妖怪のような人たちとも挨拶したりされたりしては居たけど、
でもね、それもこれも実に一時的なことでさ。
と言うかそもそも俺ってドラム、つまりは裏方さんだしね。
ボーカリストがどれだけ脚光を浴びるかがバンドのすべて、ではあるものの、
そんなボーカリストが漸く育って来た頃になって、いきなりそのボーカリストだけ引っこ抜かれて元の木阿弥の振り出しへ戻る。
そんな話も一度や二度ではなく、笑い話にもなりはせず。
そしていつしか時が経って、
ふと気が付けば、良い歳こいてあいも変わらずすっからかん。
そんな後ろ髪を引き倒すように、
次から次へと舞い込んで来る悪い知らせ。
家族が倒れたやら、実家の事業が傾いたやら、
大学の留年も四年目でやら、女が孕んだやら、
故郷の親父にいきなり踏み込まれて、やらやら。
そしてふとする内に二十七、
或いは既に三十三、
つまりはロックスターどころか、人生最後の最後の分岐点を目前にしていた他のメンバーからも、
そろそろ見切りを付けないか、なんてことを持ちだされて・・・

で?お前、この先どうするつもり?
なんて話から、
まあ、お前は若いからな、と言われることに慣れていた俺も、
実は相当に退っ引きならないところには追い込まれていた筈で。
つまりは金が無かった。
バイトばかりでは音が出せず、
バンドばかりでは飯が食えず、
そのどちらもを欲すれば、必然的に寝る時間がなくなった。
眠い、凄まじく眠い。
ああこの場に倒れ伏して寝ることができたなら。
つまる所はバイト辞めたい。
ただ辞めたら食えない。
それでも辞めたい、でも辞めたら食えない、
と、まさにそればかり、そればかり、そればかり。
ああ糞ったれ、音楽だけやっていたい、俺が望むのはそれだけなのに。
だったらもう少し、金回りの良い女を捕まえるか。だったらこの女をどうするんだと。
そんな堂々巡りの中で何もかもがほとんどうんざりの山をいくつも越えて、
そうこうするうちに、事務所のなんとかさんの知り合いのなんとかさんから、
一晩に云万になるおいしい仕事、なんてのを紹介されるようになっては、
それがなにを意味するのか、薄々は感づいてはいたものの、
ここまで来たらどうにでもなれ、ここまで人生投げ打って初めてのバンドマン、
とそんな妙なところで自分自身を奮い立たせながら、
そしていつしかどっぷりと、夜の世界の毒に嵌まり込むことにもなって。




悪い、そんな話じゃなかったよな。
で?なんの話だったっけ?
あ、そうそう、旅の話だったっけか?

そう、俺が旅に出たのはそんな事情、
そんな暮らしを七年続けた後に、
ふと、それは魔が刺したように、
ふと、旅にでたいな、そうだ出よう、出ちまえ、と。

あるいは旅にでも出ない限り、
このまま抜けるに抜け出せない穴の底にずるずると引きずり込まれて行くばかり、
そんな焦燥を無意識のうちに抱え込んでいたのかもしれない。
そう思えば思うほどに、
何から何までが裏目裏目にで初めて。
そしてまるで旅に追い立てられるように、
そんなこんなで俺は旅に出た、
というよりは、命からがらばっくれた、
或いはまさに転がり落ちたように辿り着いた東南アジア。

初めて見知らぬ雑踏に立った時の解放感。
まるで身体のど真ん中を風が吹き抜けるような気がしたものだが、
その快感が過ぎ去ると同時に襲ってきたはパニック発作。

次のライブが入っていない、という状況が、
何からも追いかけられていないという空虚感が、
なんとも心もとなくも不安に駆られて、
それと同時に、ようやく解放されたRLRRLRLLの無間地獄。
ただ、一日、二日、と経つうちに、
今日も練習していない、今日も練習していない、今日も練習していない、
それが、三日、四日と積もり積もってはほとんど絶望的な気分にさえなってきて、
ああ、俺はもう帰れない、もうダメだ、もうドラマーには戻れない、
そんな恐慌というか、焦燥というか。
寝苦しい熱帯夜に汗にまみれたながら、
その苛立ちの中で思わず絶叫を噛み殺し。

俺のこれまでの苦労はいったいなんだったのか。
俺っていままであの薄暗い地下室の密室で、
スティック粕にまみれて犬のように眠りながら、
いったいなんのためになにが欲しくてなにを求めていたのか、と。

そう、俺は香港の、バンコックの、カルカッタの雑踏を彷徨いながら、
ずっとそんなことばかりを考えていたのだけれど、
それがいつしか、ふっと、吹っ切れて。

ああ、俺はもう駄目なんだな、と。
もう、音楽では食っては行けないんだな。
もう、夢のスーパースターは、諦めるしかないんだな、と。

それはまさに頭から身体からがすっからかんの空っぽ気分。
それと同時に俺には気づいたことがあってさ。
俺って実は音楽をすごく憎んでいた、
いや、憎んではいなかったけど、疎ましく思っていた。
いや、それも違うな、なんて言ったら良いのかな、
それはつまりは呪縛。
つまりは、音楽そのものに、追い込まれては追い立てられては、
その重みの中に息も絶え絶えの雁字搦め、
そんな気がしていたのかな、って。

俺実はさ、いつの頃からか、
何を聴いてもどう言う訳かドラムの音しか聴こえなくなっていて、
確かにベースもギターもボーカルも耳には入っているのだが、
ドラムの音、そのハイハットの、スネアのバスドラのシンバルの、
その音ばかりが気になって気になって、
音を楽しむ、なんて所から、限りなく遠いところで七転八倒を繰り返していてさ。
それが良くないのは判っていながら、
でもどうしも、ドラムの音しか聴けない聴こえない聴こえてこない。
それでむきになってドラムの練習をすればするほどに、
どう言う訳だかそんな自身のドラムの音がますます耳については鼻について、許せない許せない、こんな音には満足できない、
そんなところでぐるぐる回っていただけだったんだよね。

という訳で、そんな音楽の呪縛を吹っ切った途端、
それはまるで、風船気分。

誰からも顧みられることもなく、
どこに引っかかりを持つこともなく、
ただ風に揺られて流されるまま、
こだわりも、トンガリも、自意識さえもなく、
ただただツルンと丸い風船がひとつ。
その薄い皮一枚の命が、いつパンと弾けて消えるか知らぬまま、
ただただ、雨に打たれ嵐に踊りながら、
かと言って流れ着く先を探している訳でもなく。

そんな風船気分の旅の途中で、
辿り着いたのがインドネシアのバリ島であった、と。








クタビーチ界隈のいかにも観光地然とした、
まるで夏の江ノ島の猥雑さ思わせる、
その徹底的に低俗な佇まいに嫌気が挿しながら、
かと言ってどこに行きたい場所がある訳でもなく、
行かねばならない場所がある訳でもなく。

ましてや、どこぞの大学生のように、
ガイドブックに載った観光名所をひとつひとつ虱潰しに回りながら、
がっついた気分で、旅の思い出を写真に撮り続ける、
そんな気分のまさに対極にあった俺。

帰る時の決まっている旅を、旅行というならば、
帰る場所も帰る時も失ってしまった旅を、流浪と言うのか。

まるで人生この先の楽しみのすべてを一挙に消費し尽くすような、
そんなつもりになっている観光客たちの中に混ざって、
なにひとつとしてなんの取っ掛かりもないままの、
この風船のような体たらく。
我ながら小気味の良いばかりの自暴自棄の中で、
嘗て過ごして来た街ですれ違って来た、
女のことや、薬のことや、そして幾多の仲間たちのことや、
そんなことをひとつひとつつまみ上げては肩先から風に飛ばしながら、
そんな空っぽの頭の中に、
突如としていきなり、とてつもない音色が飛び込んできた、
そんな気がしたのである。




それはガムラン、という楽器であった。
チューニングのずれたオルゴールの音。
そのあまりにも耳障りでしかし夢のように優しい音色。
見れば楽器というよりはまるで大鍋をひっくり返した、そのままの、
演奏が終われば何ごとも無かったかのように火にかけられるような、
まさにそんなおかしな楽器であった。

レギャン通りに面した観光客向けのガムラン演奏の宴。
無料と知って暇つぶしに顔を出したまま、
その妙に怪しげな音色と、高揚感にあふれた16ビートのリフレイン。
あの音色を醸しだしたのが一体なんなのか、という興味から、
ふと、土産物屋兼古道具屋の店先に並んでいたこのガムランという楽器、
それを興味本位にドラムセットの形に並べてみては、面白半分に即興の試し打ち。
なあに所詮は、と思っていた。
なあに所詮は土人の原始的民族芸能ではないか。
クラッシックの基礎もなく、ジャズもロックも何も知らない土人たちが見よう見まねで鍋釜を叩いて客寄せをしているだけ。
それに比べて俺のテクニック。
二つ打ち、三つ打ち、から始まり、
そして数限りないパラディドルの応用パターン。
この島の土人たちには及びも付かない高等テクニックが選り取り見取り。
あるいは嘗て在籍したプログレッシヴ・ハードコア・アバンギャルド・パンク・ファンク・バンドにおいて培われた、
複雑怪奇な変則ビートに鍛え上げられた礎がある。
あれに比べたらガムランなんて
ガキの遊びに毛が生えたようなものだろう。

くそったれ、これにフットペダルとハイハットがあれば、
テリー・ボジオとまでは行かなくても、
そのあたりのアシッド・ハウス的なユーロビートのアレンジぐらいはお茶の子サイサイ。

そうこうするうちに道行く観光客から、通行人からタクシーの運ちゃんから、
暇を持て余した店番の若い奴らが集まり初め、
飛び入りしたドラマー崩れから、モア・カウベルのおっさんから、
笛のおねえさんから、ともすれば踊り子のお姉さんまで、
それはそれでちょっとしたジャムセッション。
胡乱な南国の午後の良い暇つぶしにはなったようだ。

頼みもしないのに集まった小銭で、
客寄せに奔走してくれた糞ガキどもに、
気前良くもビンタンビールを振る舞った俺。
ひとりガムランのあんちゃんとしてちょっとした人気者にさえなって、
そうこうするうちに蛇の道は蛇。
サヌールの高級ホテルにドラムセットがあるんだが、
ちょっと遠征しては小銭稼ぎをしてみないか、
なんて話を持ちかけられては、
ロビー脇の三角ステージの余興の筈が、
そこで知り合ったハコバンのガムラン・バンドと相んではちょっとした猿芝居。

いかにもジャパニーズ・ツーリスト、
と言った風情で観客席で泥酔をした俺が、
そのガムランの音色の中で逸る心を止むに止まれず、
いきなり衝動的に駆け上がったステージ、
ドリフの大爆笑、そのものに、
ひとつひとつの楽器に手を出しては邪険に追い払われては涙顔。
そのうち名案が閃いた、とばかりに、
なにをするのかと思えば、舞台の奥から引っ張り出して来たドラムセット。
ムムムム、とうなりながら目を瞑り頭を振り、
さあ、神様のご降臨、
いきなりダダダンとばかりに叩き始めるドラム・ソロ。

ガムランのベース音を元にしては、
高く低く、地を揺るがすようなドラム・ソロの乱れ打ち。

まあそう、つまりはぶっちゃけ、エルヴィンとバディ・リッチとマックス・ローチとジョー・モレロ、
嘗ての地下室の練習スタジオで、気分転換にあるいは肩慣らしのウォーミングアップに、
メトロノーム相手に遊び半分に叩きまくっていたあのなんちゃってジャズドラム、
その即興の飛び入りドラム・ソロがどういう訳だか
なにも知らない観光客たちに受けに受けて、
そのうちに、ケチャック・ダンサーやらバロン・ダンスやらが飛び入りしては、
最後には壮大なフィナーレを迎えるなんていう妙な猿芝居。

ただ、そんな即席ジャムセッションが、
いつしかディナーショウの看板になるまでの出世を果たし、
いつしか地元の観光紙の表紙を飾るなんてことにも相成って。

おいおい、日本の音楽シーンに見切りをつけられた俺が、
バリ島の観光客相手に猿芝居のハコバンかよ。

まあそう、旅の恥はかきすて。
長らくご無沙汰していたドラムのリハビリにはちょうど良い。
いつの間にか顔パスで通るようになった高級ホテル。
バーの飲み代からオールインクルーシブのバッフェからが全て飲み放題食べ放題。
それになにより、リハーサルを理由にしてドラムセット、
その錆の入ったと言うよりは苔の生したような骨董品のYAMAHAの四点セット。
チューニングキーもないままに工具箱のペンチでチューニングを合わせ、
ヘッドについた凹みのひとつひとつを伸ばしては、
スタンドのネジのひとつひとつの修理を施し、シンバルの一枚一枚を磨き上げ。
そして奏でるドラムの音。
その音色の甘さ、愛しさ、美しさ。
まるでその一打一打がまるで身に染み入るように、
まさに頬ずりを繰り返すように、
俺はその骨董品のドラムを愛でに愛で続けていたものなのだ。

そんな俺を見て、ガムラン奏者たちの目の色が変わっていった。
お前、本当に、このドラムという楽器を愛しているんだな。

愛するもなにも、ドラムは俺の人生のすべてだった。
まあそう、昔の話、なんだけどさ。

とそんな中から、ねえねえ、ドラムの兄ちゃん、
レッド・ゼッペリンはできる?
ねえねえ、だったら、移民の歌やってみて、
モビーディックは?コミニュケーション・ブレイク・ダウンは?
ロックンロールは、ブラック・ドッグは・・・

そんな幼気なリクエストに、思わずホクホクと応えながら、
そんな俺をまるで魔法使いでも見るように目を丸くして見つめる人々。

あんた、本当の本当に、音楽が好きなんだな、と。

当然だぜ、と。
音楽こそ俺の命。音楽こそが、俺の、俺の、俺の・・・
とそこまで来て思わず言葉が詰まる。

で?と、おもむろに突きつけられるこの問い。

で?それだけ好きで、なぜ、辞めたんだ?

なぜって、それは、と肩を竦める。
なぜって、それは、食えなかったからだろ。

食う?金にならないってことか?

そう、あんただってそうだろ?
あんただって、金の為に、こうしてくだらない観光客を相手に、
ハコバンなんてのをやっているんじゃねえのかい?

そんな俺に、バンマスの老人、
普段からのあの全てを諦めきった風情には似合わぬ、
ちょっとした高慢を漂わせながら、

バンドマンのにいちゃん、
こんどお前をウブドゥに連れて行ってやるよ。
おまえに、本物のガムランを、見せてやる、

とそんな謎めいた挑戦状を叩きつけて来たのであった、と。








聴くところに寄れば、ガムランとは本来、
村単位で作られた村楽団で、
年に何度か、そんな村民対抗のガムラン合戦なるフェスティバルも主催されるとのこと。

村楽団とはいうものの、
村の名誉を賭けた対抗戦ともなれば、まさに死活問題という訳で、
その気合の入りよう、観光客相手の余興バンドとは訳がちがう。

その村対抗ガムラン合戦の最終決戦場が行われるというバリ島中腹のウブドゥという村。
ジャングルの中に開けた民芸村と言った風情ながら、その村中の人々が、老若男女一人残らずアーティスト。

農作業の傍らに、誰に頼まれたわけでもなく、
あるものは彫刻を、ある者は細密画を描き続け、
そして女たちは、毎朝毎朝の寺院へのお供え物、
数限りない極彩色の果物を山のように積み上げては、
即興のお供え物アートを頭上に掲げて朝霧の寺院へと向かうのを日課にしている。

そんな村人の一人ひとりが、夜が落ちると同時に
一人残らずガムランの演奏者に早変わりし、
そんなおばさんたちがひとたびガムランのメロディがなり始めるや、
名うてのダンサーへと早変わり。

村の入口に聳えたつ身の丈五メートルもの巨石を削っては、
博物館クラスの彫刻を仕上げる男たち。
ただその巨石が、実は砂岩でできていて、
その柔らかな石質は加工しやすいが崩れやすい。
出来上がった途端に壊れ始めるこの砂の彫刻。
ただ村人達はその見事な芸術作品が崩れ落ちて行くのをまるで意に返さず、修理もせずに崩れるに任せてはそしてまた新たな作品へと取り掛かる。

なぜそれを残そうとしないんだ?
こんな見事な作品じゃないか。

そんな俺の疑問に、水呑百姓そのものの抜けた歯で笑い続ける男たち。

なあに、全てのものは壊れる。潰え去る。
それを止めることは誰にもできない。

失われることを前提とした芸術?
完成を目的としていない創作活動?
いったいなんなんだ、この村の人々は。

そんな村人達に連れられて近隣の村を訪れるたびにそこかしこで目にする色とりどりの見事な民芸作品。
ただその創作者達は、浅黒い顔を照れ笑いでくしゃくしゃにしながら、まるで魔術師にように線を色を操って行く。
アート、あるいは、芸術、あるいは、人生そのものに対する、そのあまりにも大らかなその姿。

この島においてはアーティストはなにも特別な存在ではなく、
あるいは、アートそのものが、まさに生活の一部なのだ。

つまり思い切り本気の村芝居、あるいは、村楽団。

そう、芸術活動を一種特権的なものとして、
あるいは商業活動として切り離してしまったことに、
そもそもの間違いがあるのだ。

仕事をするのと同じように、アートに精を出し、
オンナを愛でるのと同じように、アートを愛でる。
ただ、夜な夜なのかみさんとのまぐあいにクオリティや芸術性を求めないように、
アートそのものにも完成や評価を求めない。

そんな当たり前のことが、
日本のあの、バンドマン的な穴ぐらを抜け出して来た俺にとっては、
そのひとつひとつが、まさに、目からウロコ、であった。



ウブドゥ村には長く居た。
サヌールの箱バン仲間の紹介で転がり込んだ民家の軒先、
そこに入れば宿代もメシ代もタダ、
と言っても、毎日食い続けても食いきれないぐらいの果物が、
そこら中に山になっているのである。
この芳醇な島であれば、いちいち作物の手入れなどしなくても、
好き放題に稲は伸び、果物は茂り、
日々芸術にうつつを抜かす余裕も出てくる、というものなのだ。

つまりはこれこそが豊かさなのだな、と思い知る。
日本人の勤勉とは、つまりはその貧しさとの戦いだったのだ。

そして俺は、勤勉から開放された。
努力からも、目的からも、出口からさえも開放された。

一日中を寝て過ごし、食いたい時にくい、飲みたい時に飲み、
そして、アートとは何か、色ととはなにか、音とは何か、
なんていう箸にも棒にもかからない抽象的な命題について考え続け、
当然のことながらいくら考えても答えなど出ず、
端から答えなど求めてもいない。

そんな迷惑な居候をなんの疑問も持たずに家族の一員として迎え入れる人々。
そんな俺を物珍しがって訪ねてくる男たち。
タバコが回され、酒が振る舞われ、ご馳走が並び、
そして人々はよく笑い、よく話し、そしてよく歌う。
夜になって始まるガムランの練習場というよりは集会場に通いながら、
村のゴロツキであった不良連中の前で、弦の足りないガット・ギターでブラウンシュガーのリフをかき鳴らしただけで絶大な尊敬を勝ち得、
指の間でスティックをくるくると回しただけで村の娘たちから熱い視線を送られる。

誘われるままにぽんこつトラックの荷台に乗せられては、隣々の村の祭りを訪ね歩き、
そこで村人が村人の為に行う、
本物のガムランやら、本物のバロンダンスやら、本物のレゴンダンス、やらを見聞きしながら、
この島に暮らすことを、半ば本気になって考え始めていた、そんな時だった。









村人たちが口々に、
今年は雨が少ない、と、語り合っているのは知っていた。
段々畑の用水路が干上がりつつあるらしい。

そう言えば俺がバリ島に着いてから、雨という雨を見た覚えがない。
本来ならば、夕刻のたびにスコールに見舞われている筈なのだ。

気楽な旅人風情の俺には、
それがどれだけ大変なことかまったく無頓着のままであったのだが、
いよいよ雨知らずの夏が一月を迎えつつあった頃、
被害が一番深刻であった山の上の村からの要請で、
大々的な雨乞いの儀式が執り行われる、との噂を聞いた。

雨乞い?
雨乞いって、それってつまりはおまじない。
いたいのいたいのとんでけー、の凄い奴ってことなわけかい?
この時代に、そんなこと、真面目にやっている奴が居るわけかい?

是非とも見たい、という俺に、この時ばかりは、村の人々も二の足を踏んだ。
いや、しかし・・、これはまさに、正式な儀式だからな。
バレた時にはなにをされるか判らないし。

ただ、そのあたりの白人ヒッピーならいざしらず、
俺はほら、この俺、である。
いまや現地人さえも見まごう程に、まさに全身真っ黒け。
まあ足りないものといえばそのみっともない口ヒゲ、な訳なのだが。

という訳で、絶対に一言もしゃべらない。
絶対に写真を撮らない。
なにがあっても、絶対に一言も声を上げない、
それを条件に、その雨乞いの儀式とやらに忍び込むことになった訳だ。



そんな事情から頭のてっぺんから爪の先まで即席なバリ人に変装した俺。

おんぼろトラックの荷台に便乗したまま、
いつになく神妙な表情を浮かべた人々の間で、
俺はひとりはしゃぎながら、凄いな、雨乞いだってさ。
中世どころか、古代の時代からこの島はなにも変わってないんじゃねえのか?

そんな俺に半ば呆れながらも眉を潜める人々。
いいか、なにがあっても絶対にしゃべるなよ。
これは大真面目な儀式なんだ。
そのガムも捨てろ。タバコも吸うな。出来る限り人と目を合わせず、
頼むから隅のほうでおとなしくしていてくれよ。

あまりにもしつこくそう繰り返されるたびに、思わず、
逆を付いて踊りの中に飛び入りしては、サティスファクションでも歌ってやろうか、
などと考えても居たのだが、
そんな軽口は、次第に悪路を極めるその険しい山道を分け入り、
奥深い沢の辺りの、もはや朽ち果て始めたかのような、
見るからに寂れた寺院の山門をくぐったところですでに消え去っていた。

人々はまじだったのである。
あのいつもの底なしの笑顔がそこにはない。

すでに寺院の境内を埋め尽くした人々。
バリ島の正装であるバティックに、白いシャツとウダンと呼ばれる帽子のような鉢巻を締めた人々。
そして色とりどりのクバヤで身を包んだオンナたち。
普段なら問答無用の我が物顔で走り回っている筈の子どもたちも、
珍しく神妙そうな表情で口元を引き締めては、親の膝の上に鎮座ましましている。

バンドたるガムラン楽団の表情も演奏前からすでに入り込んでいる。
軽口を叩くものなど一人もいない。
ふと見ればその中に、サヌールの楽団で一緒にしていた友人の顔を見つけたのだが、
口笛を吹くどころか、俺の姿に気づいた途端に顔中を引き攣らせている。

バカヤロウ、おまえ、こんなところでなにをやっているだ。

いやだから、いたいのいたいのとんでけー、っていうか。

頼むからバカなことはするなよ。これはまじなんだよ。
バカな観光客向けのいんちきジャムセッションなんかとは訳がちがうんだぜ。

判った判った、と思わず肩をすくめながら、で、なにが始まるわけか?と聴いてみる。

つまり雨乞いだよ。

つまり、おまじない、ってわけだろ?

神を呼び降ろすんだ。

神?神さまなんてそこら中にいるじゃねえか。

その一番偉い神様を呼び降ろすんだ。
ただ、どんな神様が降りてくるか、誰にも判らない。
どんなことになるか、誰にも分からないんだ。
いいか、
なにがあっても、なにが起こっても取り乱すなよ。
抗おうとするな。逃げ出してもいけない。神に身を委ねるんだ。

そんな奴の話を聞きながら、これってもしかして、いたいのいたいのとんでけー、どころか、
もしかしてもしかして、こっくりさん、こっくりさん、の、その凄いやつなんじゃないだろうか、
そう思った時、ステージとなる境内の脇の篝火に、炎が揺れた。

いいか、なにがあっても、取り乱すなよ、なにがあってもだ。

つまり・・・

俺にも判らない。誰にも分からないんだ、どんな神様が降りてくるかなんて。

つまりあの、バロンみたいのが、いきなり・・

これがバリ島の真髄だ。ここから全てが始まったんだ。
ガムランも、オダランも、ケチャックも、バロンも、全てはここから始まったんだ。

つまり、雨乞いの儀式?

いや、神との交信だ。全ては神との交信に始まる。

そんな中、人々からざわめきが起こった。
上から下まで、キンキラキンに飾り立てられた二人の少女。

レゴンダンス?

いや、サンヒャン、サンヒャンドゥダルだ。

サンヒャンドゥダル?

神の依子だ。あのドゥダルに、神が乗り移る。

憑依するってことか?

交信の窓口となるんだ。だが、誰にも判らない。
どんな神が降りてくるのか、良い神様、あるいは・・

エクソシスト?

なんとでも言え。ただ、なにがあっても取り乱すなよ。
これはおまえの想像できるような世界ではない。
俺たちだって判らないんだ。
ただ、神は降りてくる。降ろさなくてはいけない。
どんな神が降りてくるか、それが誰に降りてくるかも判らない。
それはもしかしたら、おまえにかもしれない。。

おれ?俺に神様が憑依する?

夕暮れの紅が空の彼方に吸い込まれ、
篝火に燃え上がる炎が爛々と境内を照らしては大きく揺れる。
もうもうと立ち込めたお香の煙りに今にも咽そうである。

人々の表情が固く引き締まる。

そろそろ始まるのか?

じゃあな、なにがあっても驚くな。ただ、これが、バリ島の本当の姿だ。
良い意味でも悪い意味でもこの島はそういう島だ。

つまり、

つまり、ここは人間のための島ではない。神々の神々による神々の島なのだ。
俺たち人間は、ただの、寄生虫に過ぎない。

パラサイト?

人々の表情が変わった。楽団の人々が定位置に付き、境内を埋めた群衆が跪いては手を合わせる。

それは合図も挨拶もなく、唐突にひとつの鐘の音から始まった。

普段の観光客向けの仰々しいステージ演出などなにもない。

寺院の祭壇に向けて、炎の明かりの中、しずしずと歩みながら、オンナたちが次々にお供えものを積み上げていく。
その影が大きく揺れては人々を、そして、寺院を包んでいく。

車座に座った人々のその後ろの後ろで、俺は半ば唖然としながらも固唾を飲んでそんな光景を見つめていた。

ガムランの演奏は、バリ島のと言うよりはまさにジャワ島の宮廷雅楽を思わせる、
あのゆったりとした、凪いだ海原の波間を思わせる、不安定な揺らめきを続けている。

まるで樹木のようにピクリとも動かない二人の少女たち。
身にまとった金銀の細密な金物に、篝火の炎が舐めるように広がっては遠のく。

笛を中心としたガムランのその控えめな演奏の中、
ゆったりとした波が次第に呼吸とシンクロを始めている。
ただ、待てど暮らせどなにも起こらない。
純白のバティックに身を固めた司祭と思しき男が、
お香の煙の中で何やらぶつぶつと呪文のようなお経を唱えているばかり。

なんだこれは。いったいなにが始まるのだ。それはいつ始まるのだ。

ガムランの散漫な演奏、
まるで子供が気まぐれな悪戯を繰り返しているような、
そんな不安定な旋律である。

正直退屈であった。

足が痺れ始め、俺はそれとなく足を崩してあぐらをかく。

なんだよ、太鼓を叩きながら、マジックマッシュを食って、
鶏でも食いちぎりながら乱交パーティ、なんてのを期待しちまったぜ。

いつしか俺は眠くなっていた。

その虚ろな夢の中で、妙な光景を見た。
跪いた人々の合間を子供たちが走り回っている。
おいおい、ガキども、なにやってるんだ、これは厳粛な儀式なんだぞ。
子どもたちは踊るように、はしゃぐように、
沈黙を続けて祈り続ける人々の間を練りまわっては、
面白半分に悪戯をしかけるように、
そんな人々のこめかみのあたりを、指先で、ちょん、ちょん、と突いていく。
そのたびに、祈りを捧げていた人々がはっと、我に返る。
弾かれたように目を覚ました人々は、
まるで一瞬に魂が抜けてしまったかのように脱力しては、
再びゆらゆらと、まるで湯気の立ち上るように息を吹き返しては、
なお一層に声を上げて祈祷を唱え始める。
それが次々に繰り返されていく。

そしてそんな天女のような子供の一人が、
まさに俺をめがけてちょこちょこと歩いてくる。
見てはいけない、と判っている。
俺は固く目を閉じている。
ただ俺には判っている。
天女たる子どもが、俺の目の前でケラケラと笑いながら、
俺の狸寝入りの様を伺っているのだ。

おずおずと差し出されたその小さな指先が、ゆっくりゆっくりと俺のこめかみに近づいてくる。
にわかに息が詰まった。悪戯に心臓が高鳴り始める。
ガムランのその不穏な音色がにわかに不安をかき乱す。
子供の指先が近づいてくる。
どれにしようかな、と焦らすように、鼻の先から瞼の上からを彷徨っては遠のく。
いまか、いまか、いまか、やるなら早くしてくれ、
思わず苛立ったその時、まさに全身に電流が走った。
俺ははっとして目を覚まし、思わず息を飲んであたりを見回す。
人々は未だに祈祷の中にあった。
咽るようなお香の煙と、揺らめく篝火の中にあって、
三角の寺院の中で、二人の少女がゆったりとした踊りを舞っていた。
まるで、風に揺れる木々のように、静かに揺れながら、
ちらちらと絶え間なく揺れる指先が、風に踊る葉陰のようだ。
俺は荒れた呼吸の中で深呼吸を繰り返す。
いつしかガムランのテンポが上がっている。
時として打ち鳴らされる耳障りな鐘の音、
そのたびに人々の身体がビクリと揺れるのが判る。
人々の息吹が、鼓動が、そして、篝火の炎が、それを揺らす風が、
ガムランの音色と融け合ってはシンクロを始めている。
跪いた人々は、一心に低く祈祷の文句を唱えながら、
それはまるで地の底から響く地鳴りのように低く厳かにそして波打つように、
世界を覆い尽くしている。
あれからどれだけの時間が経っているのだろう。

あの妙な夢の中からいまだに醒めきれないまま、
夢のなかの光景とこの眼の前の風景が見分けがつかなくなっているようだ。
思わずあの子供たちの姿を探す。
あの子たちはいったいなんだったのだろう。あれは夢か?現実か?


母親の脇で寝かされていた子供の表情を垣間見る。うなされているようだ。
眉間に小さな皺を寄せ、子供には似合わない深刻な表情で悪い夢の中を彷徨っているようだ。
ガムランの音色はあらためて不穏である。
まるで不安を煽るための効果音のように波打ちながらも神経の底をさらって行くようだ。
また眠気が押し寄せてくる。
まさかあのお香の中にアヘンかマリファナでも仕込まれているのだろうが。
眠気に抗いながら、目の前の光景がまるで膜が張ったように現実感を失っていく。
遠い空を流れる風の音、寺院を囲んだ高い木々の、その葉のこすれる音が実に生々しく耳元に響いてくる。
眠い。倒れそうなぐらいに眠い。重く垂れ下がった瞼をこじ開けるのに、満身の力がいるようだ。
妙な不安がせり上がってくる。俺はこんなところでなにをしているのだ?
神降ろし?雨乞い?そんな馬鹿な。
神などいる訳がないではないか。そんなものは幻想だ。
宗教など、人間の創りだした陳腐な幻想だ。
ガムランの音色に鐘の音が混じり始める。眠気をかき乱すその耳障りな音色。
神経を逆なでするようなそんなキンキン声のようなその金属音。
静かにしてくれないか、俺は眠くて眠くて。
風が強く吹いた。篝火の炎が大きく揺らめく。
舞い上がった火の粉が、二人の少女に降り注ぐ。
少女たちは踊りのテンポを早めている。
それに煽られるようにガムランのテンポが徐々にせり上がる。
太鼓が入った。ガムランの太鼓はまさに人の声である。
まるで語りかけるように、諭すように、怒鳴りあげるように、
沈黙しては、叫び、怒鳴っては、沈鬱し、を繰り返す。
それはまさに気まぐれな狂人の寝言のような、理解の範疇を越えた雄叫びのような。
そんな太鼓と呼応して、ガムランのテンポがうねり始める。
今や全ての楽器が完全にシンクロしている。
見事だ。見事な演奏だ。
高く低く、波打つようでありながら、その散漫な音色がしかし完璧な流れを作っている。
俺は妙な息苦しさを感じている。
まるでパニック症状にも似た、不穏な息詰まりを感じている。
大きく息を吸う。落ち着け、と繰り返す。
これはただのおまじないだ。いたいのいたいのとんでけー、のその亜流に過ぎない。
神などいるものか。雨乞いだ?いったいいつの時代のことなんだ。
こんなこと、何年続けたって雨は降る時に降る。降らない時には降らないだろう。
ふと、二人の少女のうちのひとりが、まるで枯れ葉が舞い落ちるように、ぱたり、と倒れ伏した。
思わぬ展開に、思わず喉の奥で声を上げそうになった。
どうしてしまったのだ。貧血でも起こしたのか?
もしかして俺と同じように、あまりの退屈さに立ったまま眠りに落ちてしまったのか。
それと同時にガムランの演奏が跳ね上がる。
まるで、うねるようなスピードで、音量が上がっていく。
打ち鳴らされるドラムの音。まるで酔っ払ったホームレスのダミ声のような、気色の悪いくぐもった音。
もう一人の少女がパタリと音を立てて倒れる。
思わず息を飲む。大丈夫なのかあの子たち。いったいなにが起こっているのだ。
倒れ伏した少女たちは、まるで床に脱ぎ捨てられたシャツのようにピクリとも動かない。
そして再び風が吹き抜ける。
寺院を囲んだ木々が一斉にざわざわと波を打っては空の彼方に走り抜けていく。
ガムランのリズムが激しさを増す。
不安な高低を繰り返す不協和音の波の狭間に、
キラキラと火花の散るような鉄琴が超絶的なシンクロを繰り返す。
狂ったように打ち鳴らされる太鼓。
その16ビートの激しい旋律。
流れるように飛び交うように、結んでは離れ、弾けては消え。
そうか、と思う。
つまりはこの楽器、アタック音というよりは、その反響、
裏音というよりは、残響によってアンサンブルを作っているのか。
つまりは、そう、これすべて、裏の音。裏の音が中心の楽器なんだな、と。
唯一、旋律から外れた太鼓の音だけが妙に生々しく、まるで語りかけるように響き続ける。
神を呼んでいるのだな、と思う。
この太鼓で、神を呼んでいるのだろう。
ドラムとはそういう役回りの楽器なのか。ドラムとは、神と語り合う、その交信の道具なのか。

その時だった、いきなり、群衆の中に傅いていた一人の女が、
身の毛のよだつような叫びを響かせて立ち上がったのだ。

まるで、喉のどこから声を出しているのか、
まったく正気を失ったものの上げるその恐慌をさそう素っ頓狂な叫び声。
癲癇の発作か?と俺は気づいた。
癲癇を起こした人間のあげるあの、全身に鳥肌のたつような叫び声。
両手を高く掲げたオンナは、目を閉じたまま、
その壊れたサイレンのような叫びを上げながら、しかし祈りを捧げた人々の間を、
そんな人々のことなどまったく目に入らぬように蹴散らしながら、
よろめき、蹴躓き、転び、のたうっては立ち上がり、
絶叫にもにながらしかし、高く広く喉を開ききったその声を響かせては、
踊るように、回るように、人々の間をうねり回っている。
トランス状態、これが、トランスという奴か。

まるでそれと呼応したように、集団催眠におちたオンナたちが次から次と立ち上がっては、
狂気の咆哮を上げながら、右へ左へとよろめいては踊り続ける。

俺はその光景に半ば恐慌状態に陥りながら、頼むからこっちに来ないでくれと祈り続けている。
まさかそんな狂人のひとりに俺の身の上がバレて、白目を剥きながら武者振りつかれたらどうしよう。
同時に、いや、大丈夫だろう、と思う。
さっきの夢の中でみた子供。
俺のこめかみを指先で触れて、俺の覚醒を呼び覚ましたあの子供。
そう、俺はあの子供に護られているのだ。あれは神からの祝福であった筈だ。
俺は護られている。信じろ。俺は神様に許容されて、愛されているのだ。

ガムランの音色がいまや轟音となって高く低くうねりを帯びては波のように襲い掛かってくる。
それはまるで嵐を前にした海岸のようだ。飛沫を上げて砕け散る高波の中で、
俺たちは絶望の船出を覚悟して沖に乗り出そうとしている。

そうか、これは、海の音楽であったのか。
ガムランの音は海の鼓動。
波に洗われるあの不規則な陽動の中に揺られ揺られながら、
そこにはなにひとつとして確かなものはなく、
だがしかし、海という大きな力に身を委ねたまま、
揺れに揺れ続けるその微妙なバランス。
クラッシックが騎馬民族の馬の蹄めのリズムだとすれば、
日本の民謡はまさに田植え、あるいは、鍬で地を掘り返す農耕のリズム。
ジャズの源泉となるヨルバ族8分の6拍子が戦闘鼓舞のリズムだとすれば、
ジャバのガムランは山々の風のそよぎそのもの。
だがしかしこのバリのリズム。
そこにあるあまりの混沌。その激しさ。そのダイナミックさ。
これは人間の統率してきたリズムとは違う。
この激しくも絡み合いぶつかり合い目眩くようなリズムの交錯、
そうかつまりは、バリとは海の神、山の神、火山の神、空の神の交錯する、
まさに神々の島の混沌のアンサンブル。

そしていまバリ島のリズムの中に浸りきったまま、
人間はかくも弱き者だ、その真意を思い知る。
この自然の中にあって、人間とはいかにも小賢しく、情けなく、脆弱な、
まさに寄生虫のような、無力な存在に過ぎない。

木々がざわめく。風が走り始めた。
篝火に新たな薪が焼べられ、高く舞い上がった火の粉が人々の頭の上から降り注ぐ。
これで引火などしないのだろうか。
ただたとえ身体中が炎に包まれても、人々の祈りは止まないであろう。

白目を向いて叫びを上げるトランス状態の女達が、
ばたりと倒れては低い唸り声の中に歯ぎしりを繰り返す。
舌など噛まないのだろうか。何か噛ましたほうが良いのではないのか。
医者を呼ぶべきだろうか。
こんな村に医者など居るのか?
つまりそれさえもこの祈祷で治そうというのではあるまいに。

突然に怒声が響いた。
今度は男であった。
喉を引き絞るような奇声を上げては、着ていたシャツを引きちぎる。
男は完全に白目を向いている。その血走った白目に炎の色が反射する。
まるで尻に火がついたように群集の間を走り抜けた男は、
猿のように飛びながら闇に満ちた境内中を走りまわり、
その影の中から戻っては、全身にぬらぬらと汗を光らせながら、
荒い呼吸に腹を波打たせて、いまにも襲いかからんばかりに人々を睨めつけている。
バロンか、と気づく。
これがバロン。
あの、丸い目を剥いては、牙をむきだした、あの滑稽にも見える邪神の姿。
まさか演技、この狂気をわざと演じている訳ではあるまい。
悲鳴にもにた怒声を響かせながら、一心に祈り続ける人々を狂気の眼差しで睨めつけながら、
男は剥きだした歯の間から、白い泡だったよだれがダラダラと顎から首から胸へと流れ続けている。
それはまるで、ナマハゲの鬼、まさに、鬼、邪神の取り憑いた姿そのもの。
その身の毛もよだつ猛り狂う狂人を前に、
人々は恐怖から逃れようとすればするほどに固く目を閉じては祈りの中にすがり続ける。
俺は格好だけは御祈りの形を取りながら、薄めを開けてはそんな光景をつぶさに見つめている部外者である。
集団催眠だな、と俺はしかし一種皮肉な冷徹を持ってこの状況を見極めようとしている。
また女が立ち上がった。
結んだ髪を振りほどいては、鏡獅子の要領で大きく振り回し始める。
また一人の女。こんどは若い女だ。
いきなり胸に巻いた帯を振りほどいては、
剥き出しになった牛のように豊満な乳を踊らせながらしこを踏み始める。
ガムランの演奏はいまや狂気をはらんでうねり続けている。
そしてついには、そんなガムラン奏者のひとりが、
まるで引きつけでも起こしたよに後ろにのけぞっては倒れぶるぶると全身を痙攣させている。
俺の隣りで一心不乱に祈りを続けていた家族連れの母親の息が乱れ始めている。
まるで恐慌状態の中で、怯えた嗚咽を漏らしながら荒い呼吸に胸を波打たせている。
その膝下に寝かされた子供。こんな騒ぎの中で、
しかし、目を覚ますこともなく、終わらぬ悪夢の中で、魘され続けている。
夢のなかにまで悪霊が存在するのだろうか。
いやそんな馬鹿な。悪霊など、邪神など、あるいは神など、この世にはいるものか。
これは集団ヒステリーだ。パニック発作だ。
憑依とは、神降ろしとは、つまりはそういうことだ。
マジックマッシュのバッドトリップそのもの。
刃物など振り回す奴が出ないことを祈るばかりだ。
高く低く流れ続けていた人々の祈祷の声が、いつしか同じ文句のシンクロを始めている。
ケチャック?これがケチャックの起源だったのか。

すべてはここから始まった、友人の言葉が蘇る。
そう、バリ島のあの観光客向けのアトラクション、
バロンダンスから、レゴンから、そして、ケチャックからガムランから、
そして、人々の芸術作品。
あの細密画から、バロン神の彫刻から、そして様々な奇妙なお面まで、
全てはこの神降ろしの集団催眠の中での祈祷、
あるいはそのトランスの中で垣間見た神々の姿、その幻想の具現化だったのだ。

強く弱く境内を埋め尽くした祈祷の中で、
また一人、また一人と、トランス状態の中で暴れ始める人々。
男が女が、突然弾かれるよに飛び上がっては奇声を響かせ、
踊り、まわり、蹴躓き、あるいは、祈りを捧げる人々を蹴散らしては、
まるで心の底の汚濁の全てを吐き出すように、
荒れ狂っては白濁した泡を涎を降り散らし、
精魂尽き果ててはばたりと倒れ伏す。
ああ俺も、と思う。
一思いに大騒ぎをしては、洗い流すだけ洗い出し、ヒステリーの全てを爆発させては、
そのままばたりと倒れ伏して眠りに落ちてしまえたらどんなに楽だろうか、と思い始めている。
ヒステリーは、狂気は、そんな人々のやり場のない煩悩の唯一の脱出口なのだ。

遂に、祈りを捧げていた隣りの母親が、その祈りの形のまま、鼓膜が破けそうな程の絶叫を響かせ始めた。
胸の内一杯に息を吸い込み、そして力の限りに叫ぶ。喉が張り裂けるほどに叫びつつけて、
胸の底に溜まった息の一滴までの絞り尽くしては、
再び胸をせり上げては身体中に息を吸い込み、そして叫ぶ。叫び続ける。
まるでロックスターに絶叫する少女のような、その一種投げやりなほどの切なさを秘めた絶叫。
隣で祈りを捧げるご主人は、しかしそんな妻の狂態にも脇目も振らずに祈りを捧げ続ける。
母親の発狂を前に、しかし眠った子供は目を覚まさない。
どうして子どもたちは泣き出さないのか。なぜ赤ん坊は泣かないのか。
いったいどれだけの時間が経っているのか。
おれちょっと小便、そんな奴もひとりもいない。
あるいは、尿意に耐えかねては発狂し、唸り声を上げながら小便を漏らす、そんな狂人も中にはいるのか。
鳥の羽を模したシャツを着た男が鳥に化けて走り回り始め、
花と蝶を模したバティックを巻いた女が、狂気の舞の中で人々の頭の上から倒れ伏す。
人々の間で白目を剥いては食いしばった歯茎の奥から泡を吹き、
まるでザルに上がったエビのようにぴょんぴょんと跳ねまわりながら、
全身を引き絞るように激しい痙攣を繰り返す女。

絶え間ないガムランの演奏。
この狂気の巷にあって、ガムランの演奏だけが正気を支える唯一の救いだ。
音楽はその為にあるのだ。音楽の目的とはまさに、それなのだ。
音楽は救いであり、神との交信の手段であり、神降ろしであり、
そして、人間の唯一の尊厳の、その最後の切り札なのである。

目の前でいきなり火花が散った。
倒れ伏したまま動かなかった少女。その一人がいきなり飛び上がったのだ。
まるで、鳥のような動作で頭を振り、首を固め、剥きだした視線で、
宙を凝視しながら、その動きの中に正気の片鱗も見えない。

神が降りた。遂に、神が降りたのである。

少女が踊り始めた。
まるで低く枝を張った老木のように、手足を不自然に捻じ曲げては凍りつき、
そして、再び、唐突に慄え、揺れ動いては、一歩一歩と舞台を歩きまわる。
ガムランの音が跳ね上がった。うねりを持って迫り上がり、狂ったように打ち鳴らされる太鼓。
目くるめくように複雑怪奇なキメを繰り返す鉄琴。
長く低く伸び続けるガムランの深く地を這う不安な旋律。
神々の音。それはまさに、不穏な神々の音、そのものだった。

もう一人の少女は、まるで、夢遊病者のようにゆらゆらと立ち上がると、
弛緩させた両手をだらしなく振りながら、ふらふらと舞台を降りては、
ゆらゆらと亡霊さながらに群衆の中に分け入る。
まるで少女の声とは思えない、深い、掠れた低音で、訳の判らない言葉を唸り続けている。
人々の祈祷の声が上がる。もはや怒鳴り声も近い声で、祈祷の祝詞を唱え続ける。
うねりをますガムランの音。神を呼びおろし、燻り出し、
その姿を剥き出しにして映し出す、その激しく不穏な旋律。

二人の少女が、群衆の中を練り歩く。
畏敬に見を震わせながら一心に祝詞を叫び続ける人々。
ふと見れば、邪神に憑依されて発狂を遂げた人々がいまやすっかりと洗い流されては、
安らかな弛緩の中で寝息にも似た深い呼吸を繰り返している。
ふとひとりの狂人が、神の降臨した少女のか細い身体に縋り付くように、手を差し伸べた。
少女の踊りが、その狂人を包む。その剥きだした視線はあさっての方向を凝視しながら、
そのか細い指先が、狂人のちゃくらに触れたその瞬間、
まるで電気にしびれたかのように飛び上がった狂人が、
腹の底からの唸りを低く響かせながら、ばたりと倒れた。
少女に降り立った神が、そうやって一人ひとり、狂人たちの煩悩を解放していく。
人々が祈る。少女の姿に縋り付くように、唸りにも近い声で、祈り続ける。
そんな少女が、ふと、俺の姿に目を止めた。
ふらふらとまるで浮かぶように人々の間を長い長い時間をかけて擦り寄ってきた金ピカの少女が、
俺の前でふと足を止め、そしてじっと、俺の吐息を探りながら、鼓動に耳を澄ますように。
俺は促されるままに、閉じていた目を開いた。
これでもかと剥き出されたその巨大な目。
白目の海の中にぽっかりと浮いた黒い瞳。
そんな視線がいきなり俺の視線とかち合った。
俺は吸い込まれるように、その視線を前に釘付けになりながら、視線を逸らすことのできぬまま、
その、狂気に満ちた、この世のものとは思えない、その視線をまともに受け止めていた。

おまえは誰だ、と胸のうちに聞いた。

おまえは神か、怨霊か、あるいは、人の煩悩の創りだした幻想か。

神とはなんだ?宗教とはなんだ?人間とはなんだ?
おまえのどこが偉大なんだ?ただの集団催眠、ヒステリーのなせる技ではないか。
脳内の現象はすべて化学反応だ。
そこには夢や幻や夢想の付け入る隙はない。

直感とはなにか?
思考とはなにか?
この脳内の化学反応を起こさせる、そのトリガーとはなにか?

地球とはなにか?
地球に意志はあるのか?
それがおまえか?おまえは地球の意志なのか?

宇宙とは何か?生命とはなにか?

命はどこから来たのか?それはどこへ向かうのか?どこへ辿り着くのか?

俺は嘗て、おまえに会ったことがある。
砂漠の中で、月と地平線と、俺、それ以外には何一つとしてない、
あの原野の果ての、その真ん中の真ん中で。
俺はおまえに会った。
おまえは月の光りに乗って、俺の中に流れ込み、俺の身体中の細胞の、
その一つ一つに息吹を齎し、覚醒を促し、そして俺に告げた。

俺はおまえの一部で、おまえは俺の中にも存在する。

つまりはそういうことなのか?
この人々の、一人ひとりが、つまりはおまえの分身、あるいは、その細胞のひとつなのか?

おまえは一体誰だ。神なのか?神と呼ばれるおまえはいったいなんなのだ?

もしかして、宇宙人、であったりもするのか?

答えろ。おまえは誰だ。神様、なんて言葉には騙されないぞ。
さあ、答えろ、おまえは誰だ、誰なんだ。

砂漠の中において俺に入り込んだ息吹は、俺の中の全細胞の覚醒を促し、
そして、この雨乞いの神によって降ろされた少女は、俺に、眠りを促した。

それはまるで、夜の海、凪いだ海の狭間にぽっかりと浮かぶような、そんな曖昧な安息だった。
頭上に登った月が見える。満月である。
まるで皿のような月が、ぽっかりと闇の中に大きな光の穴を開けている。
海中に沈んだ耳に満ちた海水に鼓膜が押さえられ、
一切の音の消えた世界に俺の呼吸音だけが生々しく響いていた。
音楽は、どこへ行ったのだ?
俺は自身に聞いた。
俺の中で音楽はすでにその演奏をやめてしまったのか?
音楽が終わったら灯りを消すんだ。
そう思って俺は夢の中で目を閉じた。
鼓動に揺れる瞼の裏側にも、夜空に浮かぶ月の残像がくっきりと浮かんでいる。
俺は大きく息を吸い込んで、そして、腹の底に残った最後の息吹までをも吐き尽くし、
そして俺の身体は、その生暖かい、羊水を思わせる暗い海の底に、沈んで行った。
夜の海の底にも、月はしっかりと存在した。
海水が胸に満ち、俺は海と完全に同化した。
身体は闇に溶け、俺は実体を失った。



帰りの道すがら、ポンコツトラックの荷台に揺れながら、
雲ひとつない夜空のその真中に、ぽっかりと浮かぶ月が見えた。
予想通りそれは絵に描いたような見事な満月。
また満月か、と俺は思った。
ルナティック。俺はつくづくこの満月、月の満ち欠けに縁のある男であるらしい。

人々は無言だった。
ガタガタと悪路に、小石のように身を弾かれながら、
心地よくも泥のような沈黙が人々を包んでいた。

あの時、海の底で聞いた音はなんだったのだろう。
それは、リズムではなく、旋律でさえなく、しかし、それは、確かに音、
なにかの、音であったことに間違いはない。
もしかして、クジラの唄、だったのだろうか。

雨が降ったのはそれから三日後だった。

明け方近く、寝静まった人々の上から、音もなく忍び寄ってきた雨雲が、
一瞬のうちに世界を、とてつもない水流の中に叩き込んだ。
滝壺を思わせるその凄まじいばかりの水圧の下で、
俺は荒屋の軒先を叩きつけるその凶暴なまでに激しい猛りを聞いた。

隣に寝ていた女を揺り起こし、おい、雨だぜ、と囁いた。
あ、雨ね、と女は寝言のような掠れた声で呟いては寝返りを打った。

雨乞いがきいたのかな。
まさか、と女は笑った。
神は内在するんだぜ。俺たちはその一部なんだ。
神様はどこにでもいるのよ、と女は言った。
雨粒のひとつひとつに神様がいるの。
私にも貴方にも、この髪の毛の一本一本に、
神様がいるのよ。
この鼻くそにもか?
このおへそのごまにもよ。

嫌がる女を引きずるようにして、俺達は雨の中に彷徨い出た。

効いたな、雨乞い。

雨の中に包まれるやいなや、女が猿のような歓声を上げながらはしゃぎ始めた。

身体中にぶち当たっては痛いほどに弾け散る雨の中、
その滝壺の底、俺はまるで、夜の海に沈み込んだ時そのままに、
閉じた瞳の中にぽっかりと浮かんだ月の残像を探していた。
その正気を失った雨に叩かれながら、その躍動の中に喉を開けて笑い続けていた。

効いたな、雨乞い。ははは、効いたよ、効いた、あの雨乞いが。

俺は無性に唄を歌いたくなった。
まだ明けきらぬ夜の淵の、その豪雨の中で、
腹の底から声を張り上げて、思い切り歌が歌いたくなった。

迷子の迷子の子猫ちゃん、
あなたのお家はどこですか~

なにそれ、と女が笑った。

犬のおまわりさん。

なんの歌?

日本の歌、子どもたちのうたう、童謡なんだ。

おうちを聞いても判らない、
なまえを聞いても判らない、

にゃんにゃんにゃんにゃん
にゃんにゃんにゃんにゃん

ああそうか、と俺は唐突に気がついた。
ああ、俺はただの迷子の子猫ちゃんだったんじゃねえのかな。
或いは、波の中に浮かぶ枯れた木片のようなもの。

そっか、俺って、人間って、結局その程度のものなんだよ、たぶん。

雨はいつまでも、降り止む気配を見せなかった。
すべてが洗い流されていく。
世界が、水の底にあった。









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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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