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矢野顕子とSEIHO奇跡の大共演 ~ 神をも恐れぬ融合力の創造する音響叙事詩であつた

Posted by 高見鈴虫 on 10.2018 音楽ねた   0 comments


またまた、内輪向けの私信系通信である訳だが、
ちょっと凄いもの見たのでご報告。

以前にも触れた覚えのあるピアノの魔神:矢野顕子。
この方が、ニューヨークはジャパン・ソサエティ、
日本文化紹介目的の文化センター的小イベント・ホールにて、
コンサート、というよりは、ちょっとしたリサイタル公演をされると聞いて、
誘われるままにまたおっとり刀で駆けつけた訳なのだが、
この鬼才:矢野顕子、その筋金入りの音楽の探求者、
今回はまたまた異色の共演、ということで、
日本クラブ界のプリンス、と勝手に名付けてしまったが、
セイホー、なるエレクトリック音楽の魔神との実験的ジョイント・ライブというこの企画。

いやはや、これが、まったくもってまたしても圧巻の圧巻。
やられたなぁ、やられまくったなあ、と、
今更ながら思わずの大驚愕の大当たり公演でありました、と。









で、改めてこの矢野顕子さん、
今更言うまでもなく、まさに才人の中の才人。

テクノポップの異彩として注目を集めながら、
その実はまさに日本音楽界随一のピアノ奏者であり、
そして音楽創造者、つまりは鬼才の中の鬼才。

テクノ的なまでにポップでキャッチーな歌声で、
民謡と言うか童謡と言うか、
ほとんど「わらべ唄」的なまでの原初的純東洋的旋律を奏でながら、
その上から超本格的なジャズピアノ。
その複雑怪奇なUST:アッパーストラクチャートライアドの中に、
キラ星のように輝く目の覚めるようなテンションコードのつづれ織り。

かのウィル・リーからアンソニー・ジャクソンからを初め、本場ニューヨーク界のジャズの巨匠たち、
そのすべてを完全にノックアウトしては、
世界ジャズ界の中にあっても確たる地位を誇る、
まさに異才の中の異才。

俺から言わせるところのこの矢野顕子、
まずはその技巧的凄さの真髄とはまさに、そのタッチの素晴らしさ。

嘗て野外コンサートでご拝見したハービー・ハンコック、
舞台に登場してはピアノの前に座り、
拍手の静まるのを待ってそしてなにげなく鍵盤に指を落とした、たったその一音だけで、
会場の群衆から、その空から風から、通りのむこうの街の雑踏から、
その宇宙すべての音が、あるいは空気の密度そのものが、
一瞬のうちに別次元世界にワープしていた、
まさに、これぞ神憑り的な神隠し現象。
このハービー・ハンコックの姿を前に、
その一種、魔術的なまでの音のパワーというものを目の当たりにした覚えがあるのだが、
先日ひょんなことからご拝見した矢野顕子女史、
その大屋政子真っ青の大阪芸人的なまでに天真爛漫な笑顔満面に、
やあやあ、みなさま、いらっしゃいまっせ、と、
さり気なくも確信的に落とされたその鍵盤、
その一瞬で、世界が、まったく違う世界にどんでん返しをくれていた、
そう、この矢野顕子女史、
俺から言わせるところのハービー・ハンコック的なまでに、
あるいはあの、パコ・デ・ルシアかジョアン・ジルベルトか、
あるいは我らがベビーメタルの奇跡の歌姫:すぅめたること中元すず香的なまでに、
まさに、音楽という技を極めに極めぬいた、
技巧者の中の技巧者による神業の中の神業、その真髄。

そしてなによりこの矢野顕子の特筆すべき点は、
その凄まじいまでの表現力。

その音という音のすべてがまさに見事なまでに映像的で、
その目くるめく旋律の中に、ともすれば原風景的な光景がみるみると脳裏に広がっては、
それはまさに音楽のパノラマ現象効果。

とまあそんな魔女的なまでの鬼才の鬼才であるところの矢野顕子女史であるのだが、
それに加えて、今回、この異色の共演をしたセイホー:SEIHO:SAY HOO!

矢野顕子の生ピアノの弾き語りをお目当てにしていただろう観衆を前に、
いきなり電線ケーブルだらけのターンテーブルを駆使しては、
エレクトリックのエレクトリックによるエレクトリックな電子音その大津波。

そのあまりの激変の中にあって、
だがしかし、これ、このセイホーの奏でる電子音。
一種、分裂症的なまでのサンプル音源の洪水の中にあって、
その音が旋律が、その繋ぎの構成の構築の、
そのアンサンブルが、そのシンフォニーが、
まさに、映像的であり、そしてなによりも、そのドラマ性。
つまりはこれ、音による映像の構築、
そのモンタージュの構成によって作り上げるその旋律によるドラマ:劇、つまりはストーリー。
これ、ぶっちゃけ電子音による、世界観そのものの創造劇なのであろう、と。

第一部における矢野顕子のピアノの弾き語りから、
そして二部に突入した途端いきなりのこのエレクトリック・シンフォニー、
そして第三部においてはその異色の大共演、となった訳なのだが、
いやはや、まさかとは思ったが、これ、この矢野顕子とセイホーの大共演。
それはまさに、奇跡というぐらいに、とてつもない相乗効果を見るに至った。

矢野顕子のそのメタリックなまでに澄みきった高音の歌声と、
そしてなにより、その神憑り的なタッチを自由自在に操るジャズ・ピアノ、
電子音の洪水の中で、そのウォットに充ちたテンションコードが、
まさに目の醒めるまでの劇的な効果を生み、
その摩訶不思議な電子音的わらべ唄の中にあって、
目くるめく原風景がひとつふたつと重なっては、
そこにまさにドラマ、つまりはひとつの別世界を丸々と創造せしめる、
まさに、異次元的なまでに宇宙的な音響叙事詩。

うへえ、なんか、これ、まったくもって、凄いもの見ちゃったぜ、と。

ただ、これ、そう、往年の原理主義的なまでの矢野顕子ファン、
筋金入りのジャズファンやら、あるいは、テクノの歌姫的なポップス・ファンにしてみれば、
このクラブ的電子音との実験的融合共演、
あまりにも毒味が強すぎたのではないのか、と。

そう、なによりもこの矢野顕子。
その歌声から、その独創的なまでの歌い節から、
そして何はともあれ、その神業的なまでのピアノの演奏技術。
これだけをとってしても、まさにありがた過ぎるほどの驚異的完成度。
つまりは、矢野顕子という存在、その素材だけでも天下一品の芸術品、でありながら、
何故に、その上から、化学調味料満載の電子音なんてものを、
わざわざ付け加える必要があるのか、と。

そんな生音原理主義的な原初的音楽ファンを前にして、
今夜のこの異色の共演、
その見事な、というよりはまさに、魔術的なまでの驚異の相乗効果。
そのあまりに圧倒的な圧巻のパフォーマンス。
度肝を抜きつくされた観衆たち、
唖然呆然としたまま思わず立ち上がってはスタンディング・オベーション。

いやはや、この矢野顕子という方。
まったくもって、ただの天才に留まらず、
まさに鬼才の中の鬼才。
そして、なにより、いついかなる時にも、
新たなる挑戦を続ける先駆者でありパイオニアであり、
恐れを知らぬ冒険者、
つまりは、筋金入りのアーティスト、なのでありなむ、と。







という訳で、というか、
またまた最後の最後に蛇足的な主観的私感羅列、
とあいなる訳なのだが、

この電子音と生音との共演。
これまでのところ、それが上手く絡んだ成功例、というのが、
あまり記憶になかった覚えがあって、
つまりは、生音が凄ければ凄いほどに、
電子音のいかにもな作り物的安っぽさを浮き彫りにし、
あるいは、電子音の中にあって、
生音のそのプリミティブな音色が、
そしてなにより演奏者のそのあまりの人間らしさが、
時として無様なほどに浮足立っては鼻について、
そんな茶番的なまでの実験的パフォーマンスを、
これまで数限りなく見聞きしてきた覚えがあるのだが、

今更ながら言うまでもなく、
現代のアーティストの中でも、
なにより音の創造と楽器の演奏を生業にする音楽家、と言われる人々の中にあって、
この電子音との融合、如いては、DJ、あるいはマニュピレーターと、
いかにして共存し、あるいはともすればそこに新たなる美学、
如いてはそこに、相乗効果、なる新しい世界を創造し得るか、
それこそが、まさに現代音楽界における必携的必然的な最重要課題。

嘗て、テクノポップの登場からそしてハウスミュージックの全盛期から、
テクノ、あるいは、ドラムン・ベースと生バンドの実験的共演、
あるいは、生バンドにDJを加えて、
電子音の効果音的な挿入から、
ともすれば、打ち込みのドラムマシーンのその上から、
生ドラムの音をそのまま重ねて叩き出して、と、
そう、あのYMOが世界の度肝を抜いた80年台半ばからこの方、
テクノポップの派生からハウスミュージックの台頭から、
ラップからヒップホップからレゲエからジャズから、そしてヘビーメタルに至るまで、
生音と電子音の融合を、どんな方法でどんなバランスで相乗効果を導き出すか、
音楽界はまさにそこにこそ焦点が集まっていたのではないのか、と思うのだが。

そんな実験的な試行錯誤の中から、
鬼才が、超人が、天才凡才入り乱れては、
淀みに浮かぶ泡沫のようにかつ消えかつ結びて、
と続いてきた訳なのだが、
その生音と電子音の融合をテーマにした実験的挑戦の中にあって、
特筆すべきはその日本勢の健闘。

テクノ時代の幕開けを宣言したYMOの登場は言うに及ばず、
80年台半ばから世界のクラブシーンを席捲した、DeeeLiteのトウワ・テイから、
JPOPから始まる日本音楽シーンの凄味を世界に知らしめた大沢伸一から、
ご存知コーネリアスの小山田圭吾から、
ジャズ・ドラムの鉄人:ジョジョ・メイヤーと組みしたタクヤ・ナカムラのTHE NERVE。
そして、パンク・ロックとエレクトリックの奇跡的融合による
怒涛の相乗効果を生み出したマッドカプセルマーケッツを経て、
ここに来て遂に、アイドルとスラッシュ・メタルに、
マニュピレーターの鬼才:宇佐美秀文を擁したベビーメタルが、
世界規模の大ブレイクを果たし。

いまちょっと思いついただけでも、日本勢ミュージシャンの活躍、
まさに錚々たるものがある訳で。

そしてその大御所の中の大御所、
まさに、ゴッドマザー・オブ・テクノポップ、と言えるまでの、
この矢野顕子の存在。





東洋と西洋、
和式旋律の原風景であるわらべ唄と西洋歌謡の筆頭であるポップス、
筋金入りクラッシック技巧とジャズ理論、
そして電子音との融合。
そのものの見事な、一種神業的とまで言えるほどの、
完全融合的、というよりは統合的なまでの相乗効果。

これまで、ジャズでは黒人、ロックは白人連中、
その猿真似のコピーでしかあり得なかった日本音楽界、
演歌の歌謡曲のアイドルの、とその内需ばかりのマーケットの中で、
キャビン・フィーバー的なまでの熾烈な過当競争を繰り返してきた訳なのだが、
幸か不幸かその恩恵が、ことエレクトリック音源との完全融合という世界において、
奇跡的なまでの異色のマッチングを見るにあたり、
日本人のそのあまりのも軽々しいビートと、
偏執狂的なまでに頭でっかちな音楽センス、
それはまさに、かのYMOの目指したグルーヴの無い音楽。
電子音の可能性を最大限にまで発揮し得る、
この日本人特有の異彩的なまでの音楽観が、
ここに来て、世界を席捲し先導するほどまでの、
見事な開花を遂げた訳で。

でさ、と、改めて前回に綴ったあのドラム馬鹿談義、

松本エイジ氏と青神様のその違いとはなんなのか、
或いは、喧嘩太鼓の鬼:前田神が、
敢えてベビーメタルに背を向けてはクリックさえも取り去り、
ジャズの本流たる生音の生音による生音のクロスオーバー・フュージョン、
その先祖返りを目指す中、
果たして、この電子音との融合、
そこに必要とされる、特性とは果たして何なのか。

黒人の裏乗り:バックビートを持たず、
白人の大波的なスケールを持ち得なかった日本人ミュージシャン、
ヤマハ音楽学校仕込みの、メトロノームをONで取らせる、
その大いなる大間違いのその代償として得たこのグルーブの無い音楽、
その怪我の功名たる電子音との完全融合という異色の能力。
この才能を使わない手はないのでは、と。

そう、つまりはそれこそが、
かの細野晴臣大明神の説いた、その悟りの極意。





海外からの輸入品であったところの西洋音楽、
その盲目的猿真似の中で劣等意識ばかりを募らせて来た日本のミュージシャンの、
大いなる開き直り的な先祖返り。

黒人にも白人にも無い日本人特有の能力。
つまりは、グルーブの無いビートと、
そして何より、日本的な四季折々の感性に育まれた、
その伝統的なセンチメンタリズム。
つまりは、その脳裏に原風景を再現せしめる、
そのあまりにも映像的な旋律、その私的な詩的なビビッド感。

この映像から音を、音から映像を導き出す能力、
このビビッドな感性こそが、まさに、細野晴臣大明神と坂本龍一教授、
そしてYMOという世界の音楽史そのものに大変革をもたらした、
その大きなムーブメントを先導した矢野顕子という才人、
そして今回のSAIHOO氏、
その様々なジャンルからの巨人たちに一環して共通する、
ひとつの大きな命題だったのではあるまいか。

そして現代のこの電子音楽との融合という新時代において、
奇跡的な開花を成し遂げた、その大いなる成果を目の当たりにした本日の公演。

いやはや、矢野顕子というこの鬼才。
63歳にしていまだに世界音楽界を激震させる、
まさに、音楽の冒険者そのもの。
その極限的なまでの音楽の探求者ぶり。
思わず、参りました、と何度ひれ伏しても足りない、
そこにまさに、音楽の鑑、その後光を見るようであつた、と。




という訳で、実は今回の矢野顕子さんの公演、

ねえ、あんたがこの間気に入ってた矢野顕子って人が、
今度ジャパン・ソサエティに出るって言うんで、
だったらとオトモダチ誘って行くことになったんだけど、
もしかして、あなたも行く?

と言われては、おお、矢野顕子、いいんじゃね?
と生返事を返してからすっかりと忘れ去っていた、
その、土曜の夜の明けてびっくりの瓢箪からコマ。

うわあ、矢野顕子、このピアノ、
相変わらずまじ最高、と驚愕こいていた矢先、
いきなり登場したこのセイホーさんのエレクトリック・ワンダーランド、
そのあまりにも圧倒的な融合を前に、
改めて、日本侮れねえ、というかなんというか。
そう、まさに、久々に、日本って本当に、凄いヤツは凄い、
その見識を新たにした、と。

という訳で、改めて、そう、この時代、
その秘密のキーワードとは改めて、
電子音との完全融合、なんだよね、まさしく。
そう、この世界、初音ミクを筆頭に、
その可能性はまだまだ無限大なんだよな。

改めて、本日のこの瓢箪からコマの矢野顕子とセイホー。

わらべ唄とテクノポップとジャズピアノを融合した矢野顕子と、
そしてクラブ・ミュージックとの奇跡のコラボ、
そのあまりにも壮大なる音楽空間、その宇宙的なまでの世界の広がりに、
新たな時代の幕開け、そのポテンシャルに痺れまくった、
記念碑的な夜になった秋の土曜日。

そう、そうなんだよ、マニュピレーター、
これを使わない手はないんだよ、この時代。

なんだけどね、そこで必要とされるもの、とは、
ぶっちゃけた話、つまりはそう、
重すぎず軽すぎず、コケずとちらず間違えず
つまりは神業的なテクニック、その技量であったりもする訳でさ。

うーん、テクノロジーとの融合と、口で言うのは簡単ながら、
いざ実際、この時代に音楽で食っていくのって、
至難の業、なんてものじゃねえんだろうな、とは重々承知ながら、
でもね、そう、だからこそ、日本人の底力なんじゃね?
という気がしないでもなく。

改めて、かのマーティ・フリードマンの言葉を借りるまでもなく、
日本の美学、その特性の最もたるものは、
その、一種荒唐無稽なほどのアレンジ能力、
その自由は発想力による融合力にある、と。

メタルはメタル、アイドルはアイドル、という、
その棲み分けの分化が確立しては、
がちがちなまでに専門化しては硬質化してしまった
本家の欧米諸国の音楽シーンと違い、
おせちも良いけどカレーもね、というまでに、
わらべ唄とテクノポップを、クラッシックとジャズを、
ともすれば、アイドルとメタル、なんていう水と油の二つのジャンルを
なんの抵抗も疑問もなしに融合しては掛け合わせてしまう日本という国。
外来からの目新しい文化を次々に面白がって取り入れ吸収しては、
あっという間に日本バージョンにリメイクのアップグレードとして逆輸出してしまう、
そんな奇妙な能力を鍛え続けたこのおかしなガラパゴスの民族。

我らが日本民族の特性はなにをおいてもその島国力。
偏執狂的なまでのコダワリと、そして、その貧欲なまでの外来コンプレックス、
その融合であるところの、世界稀に見るそのアレンジ・リメイク能力。
このグローバリゼーションの時代、
この島国的特性こそが最大の武器になる、
その確信を新たにした訳で。

それが本物かまがい物か、その真意は、
原初回帰の伝統周到的な原理主義の中にあるのではない。

本物とは、作り上げるもの、なのだ。
そのコダワリこそを、そのモノづくりへの極意こそを、本物、と言うのだぜ、と。
挑戦こそが、本物の、唯一絶対の条件なのだ。

呼ばれて飛び出てのジャパン・ソサエティの小劇場における、
そのこの神をも恐れぬごった煮的融合の実験的共演。
そんなガラパゴスの鬼才たちによるリメイク術の神技を前に、
いやはや、思い切りぶっ飛ばされた、そんな秋の夜であった。

という訳で、このロス期の折、
ベビーメタルの熱狂が過ぎ去った途端、
一瞬にして無気力な鬱の闇の底。
くそったれ、こんな世の中、面白いことなどなにもねえ、
などとぶぅたれてばかりもいられない。

ものは試しに、この矢野顕子、そして、セイホーとの夢の大共演、
何かの機会があれば、必見にてごじゃりますぞ、と。
牛カモシカ的狂乱の熱狂とはまた一味違って、
この知的な技的な音楽探求の冒険の旅。

今更ながら、ちょっとオトナの、ニューヨーク私信通信でありました。

ではでは、深まる秋のこの季節、重々ご自愛のほどを。







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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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