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セントラルパークの天才ギタリスト

Posted by 高見鈴虫 on 24.2018 ニューヨーク徒然   0 comments
ニューヨーク・セントラルパークのベセスダテラス、
このニューヨーク随一の観光スポットに、
ひとりの天才ギタリストがいる。

セントラルパークの中心地。
観光客の嬌声と喧騒に溢れた雑踏の中、
ひとり黙々とクラッシックギターを弾き続けるその男。
アコースティックのか弱い音色は誰の耳にも届かず、
そのあまりにもありふれた曲目は、
決して誰の注意を惹くこともない。
それでもそのギタリストはただひとり黙々と弾き続ける。
雨の日も、風の日も、酷暑の中でも、大雪の日であっても、
観客などひとりも居なくても、チップなど1ペニーも見込めなくても、
一年を通して一日も休むこと無く、
そのギタリストはひとり黙々とギターを弾き続ける。

ほとんど大抵のツーリストたちはそんな彼の姿を見て、
可愛そうなホームレス、と思うに違いない。
或いはニューヨーク在住の者たち、
セントラルパークに来るたびに見かける、
このなんともパッとしない薄汚れた姿を前に、
良くいる売れないストリート・ミュージシャン、
馬鹿の一つ覚えみたいに、
いつも同じ曲ばかり弾いている、
つまりはちょっとお頭の足りない、
あるいはドラッグ中毒あがりの、
このニューヨークには掃いて捨てるほどいる、
そんなゴミのようなミュージシャンの、その惨めな残骸。
或いは例え少しぐらい楽器の素養のある者であっても、
その妙に間の抜けたテンポから、そのわりに拙い指運びから、
そしてなによりそのあまりにも初歩的な曲目からを前に、
ひと目見ただけでこいつはド素人と即断するに違いない。
つまりはあの42丁目のジミヘンみたく、
その辺りのホームレスが拾うか盗むかして手に入れたギター、
コードも知らずスケールも知らず、
弾き方も楽器の扱いのひとつも知らず、
見よう見まねで一つ覚えの練習を繰り返す、
ただ頭のいかれた精薄野郎が、
ギターを、楽器を、音楽を、玩具にしているだけの話だろう。
そんなことを思っては、
小銭集めのギターケースに痰を吐いては舌打ちを返す、
そんなことだって、されかねない、
この天才ギタリストはそこまでもあまりにも、
パッとしない風体、なのである。

ただ百人にひとり、あるいは千人にひとり、
或いは、日々の日課の中で、
このギタリストの前を何度と無く通り過ぎては、
ふとなにかの拍子にその耳慣れたギターの音色の中に、
なにか別のものを感じた時、
このギタリストの中に眠るひとつの才能、その燻し銀のような輝きに、
はっと息を飲んでは、一種の衝撃さえも覚える筈だ。

そして世のミュージシャンたち。
酸いも甘いも噛み分けて来たそんな音楽の鉄人の中には、
このギタリストの音色、その中に潜んだ底知れぬ力を聴き取っては、
思わず足を止め、目を見張り、
まさか、こんな乞食のようなストリート・ミュージシャンがと、
無様な絶句を続けることにもなるだろう。

この乞食ギタリスト・・
こいつの、この音色は、ただ者ではない。

思わず走り寄っては、おい、そこの乞食野郎、
そのギター、それはいったいどこで手に入れたんだ?
そして見つめるそのギター、
名も知れぬブランドの、何の変哲もない、無刻印のギター。
或いはその弦、その弦が特殊なのか、と見れば、
それはやはり何の変哲もない、ガット弦、あるいは安物のナイロン製。
であれば、と思うだろう。
であれば、この場所に、なにか特別な仕掛けでも隠されているのか?

セントラルパーク・ベセスダテラス、
映画のシーンから絵葉書からで有名な、
ニューヨークのアイコン的なあの見事な噴水、
その明るい煉瓦色の広場に面した、
一種大聖堂を内部を思わせるこの薄暗いアーケード。
列柱に囲まれた天井に目を凝らすと、
一面に浮き上がるビクトリア調のモザイク。
確か19世紀のミルトン・タイルという模様だった筈。
このミルトン・タイルの反響の中に、
こんな乞食野郎のこのありふれたギターの音色が、
こうまで清らかに響いて染み渡る、
そんなトリックが隠されているとでも言うのか?

そして改めて見下ろすそのストリート・ミュージシャン。
一見してホームレスそのもの。
頭からフードを被った見るからにパッとしないラテン系の小男。
こんな小汚い男が、まさか・・・

そんな視線を前に、その一見してホームレスと見紛う、
薄汚いラテン系の小男は、
ギターを弾く手を休めることもなく、
呆けた視線を虚ろに泳がせながら、
照れ臭そうにその髭面に無邪気な笑顔を浮かべては、
肩を竦めてウィンクのひとつも送って寄越すに違いない。

その小汚いなりで、その小さな指で、
そのありふれたギターと、安物のナイロンの弦で、
このギタリストは、ここまでの音色を、響かせているというのか。

この天才ギタリスト、
その一見して素人そのものの
拙い演奏の中にあって、
その音色に秘められた、その底知れぬ凄みに気がついた者にとって、
眼の前にするこの乞食まがいの小男の姿との、
そのギャップは一種の衝撃であるに違いないのだ。

まさか、それが本当であるならば、
これはまさに奇跡に他ならない。

思わず驚愕に身を凍らせながら、
しかしそのあまりにも美しい音色に聞き惚れながら、
そして辺りに犇めく雑踏の狭間に立ち尽くすばかり。

オラ・カルロス、コモエスタ?
ムイ・ビエン、グラシアス、イトゥ?
シーシー、グラシアス、マエストロ。

通行人たちとそんなさり気ない挨拶を交わしながら、
そしてこの天才ギタリストは、
今日もひとり、誰に気づかれることもなく、
その奇跡の音色を、奏で続けているのである。










ここニューヨークを一度でも訪れた方であれば、
ニューヨーク・セントラルパークのベセスダテラス、
誰もが記念写真の一枚でも撮ったであろう、
この街の定番的な観光スポット。
あるいは不幸にもいまだニューヨークを知らぬ者であったにしても、
映画の1シーン、あるいはニュース映像、
ともすれば安いカラオケの背景写真などで、
このニューヨークの定番的な並木道の風景、
四季折々に移り変わるセントラルパーク、
あの楡の遊歩道の風景を、
一度ぐらいは目にしたことがある筈だ。

観光客に溢れかえるTheMallの遊歩道から、
バンドシェルを右に見て馬車道下の階段を下ると、
そこに一種、薄暗い穴の中に落ち込んだような、
異次元的空間に足を踏み入れることになる。
昼尚暗きその洞窟を思わせるようなレンガ色の広間、
並んだ列柱の中をふと見れば天井一面を飾った見事なタイル模様。
19世紀ビクトリア朝のミルトン・タイルの敷き詰められた、
まるで大聖堂の内部を思わせるその一種荘厳な空間。
街の喧騒から一転して迷い込んだ、
まるで教会の内部をも思わる聖厳なる静寂の中に、
ふと息を潜めたくもなるであろう。

ニューヨークという24時間眠らない街の、
世界中からの人種という人種がせめぎあう魔女の鍋、
その末期的な喧騒の中心に鎮座する、
このセントラルパークという聖域。
そしてここセントラルパークの、
まさに象徴的なシンボルとなるこのベサスダ・テラス。
ボートハウスを臨む煉瓦色の広場、
その中心にある噴水の水の天使像こそが、
まさにセントラルパーク、
つまりはニューヨークの御本尊であるとすれば、
そしてこの見事な広場の通用門であるところの、
ビクトリア朝に飾られた聖厳なるアーケードこそが、
まさしく礼拝堂であり、あるいは懺悔室でもある。
結婚記念のアルバム作りの定番であり、
不意な驟雨に逃げ込むシェルターであり、
当然のことながらホームレスたちの隠れ家でもあり、
そしてそのアーケードは、
ニューヨークに集うストリート・ミュージシャンたちにとっての、
一種の楽廊であるのかもしれない。

ミルトン・タイルのその異様なほどの反響の良さに目をつけて、
この薄暗いアーケードに日々集うストリート・ミュージシャンたち。
教会の賛美歌のコーラスから、
あるいはカラオケに毛の生えた俄オペラ歌手から、
即席のジャズバンドからホームレスの合唱隊から、
西セントラルパークに隣接するジュリアード音楽院の生徒たちの練習場。
その清廉な調べの上から情け容赦なく襲いかかる、
四方八方からの聞きしに勝るニューヨークの騒音。
バケツ叩きからローラーディスコからドラムサークルから、
そしてハーレムからのダンス曲芸のチンピラ少年たちの流すヒップホップの爆音が重なる。
そしてそんな騒音的なまでの音の洪水にすっかりと埋もれ掻き消されながら、
ひとり黙々とクラシック・ギターを弾き続ける小柄なホームレスの姿に、
気がづいた方はそう多くはない筈だ。

春夏秋冬、一年を通じてひっきりなしに訪れる観光客たちの喧騒の中、
ともすればそのアコースティックギターのか細すぎる音色など、
誰の耳にも届かないであろうし、
ましてやこの24時間眠らないパーティ・タウン、
クラッシック、オペラ、ヒップホップにテクノにディスコ、
ジャズにラテンにメタルにパンクにレゲエにロックンロール、
街中どこに行っても鳴り響くそんな音の洪水、
この狂騒の巷にすっかりのぼせ上がった人々の中にあって、
侘びしくもひとり爪弾くクラッシック・ギターの音色になど、
ゴミ箱の裏で逃走路を伺う間の抜けたネズミたちの泣き声ぐらいにしか、
その存在は誰の目にも届かない、そんなものである筈だ。








改めて紹介しよう。
このベセスダテラスに棲まう乞食ギター弾き、
実はその名を、カルロス・サンティアゴ、と言う。

カルロスは嘗て、ここニューヨークの日本人界隈では、
ちょっと知られたサルサ・ダンサーであった。

90年代後半、ブエナビスタ・ソーシャルクラブから始まった、
世界を席巻したサルサ・ブームの中にあってこのカルロス氏は、
誰にでもやさしくサルサの初歩を教える名物ダンス講師。
その物腰の柔らさから、穏やかな表情から、
東洋人に比べても小柄な、その親しみやすさ、
なにより、ラテン訛りの拙い英語、
その分、日本人にも判りやすい話しぶりからと、
いま流行のサルサ・ダンスにちょっと興味を唆られた日本女子たち、
本場のキューバやプエルトリコの人たちには、
ちょっとあまりにも怖くてついて行けない、
サルサとソン、ルンバとチャチャチャの違いどころか、
クラーベのリズムさえも取れない、
そんなごく普通の一般的な日本女性たちにとって、
この見るからに人畜無害のラテン系小男、
さしてダンスが上手いわけでもなく、
ましてや見た目が格好良い訳でもなんでもないカルロスが、
しかし共に学べる親しみやすいダンス講師として、
ちょっとした人気を誇っていたものなのだ。

実は我が愚妻もそんなカルロスのダンス教室の一生徒。
一回5ドルというそのあまりにも良心的な学費で、
開店前のラテンクラブの準備中のダンスフロアや、
あるいは近所の公民館やらアパートの一室やら、
そして天気が良ければここセントラルパーク、
夕涼みの人々の集う広場の一角に粗末なラジカセを持ち出しては、
ON1からON2からの基本ステップ、
サルサの初歩の初歩を共に学べる、
ビギナーのビギナーによるビギナーのためだけのサルサ教室。

ダンスの達人、どころか、その辺りのラテン系の人々が、
ふっと、笑いを浮かべるような、
そんな基本中の基本ステップを熱心に繰り返しながら、
道行くおばさん風情からさえも、
ねえあんた、もっと、お尻を、おっぱいを、振らなくっちゃだめよ、ほら、こうやって、
とその豊満な身体を揺すって見せてはゲラゲラ笑い。

だったら、マミータ:お母さん、ここに来て一緒に踊りましょうよ、
そう言っては、いつの間にか買い物途中のおばさんが、
帰宅途中の勤め人たちが、犬の散歩中のおじさんが、
或いはスケボー片手の子供たちが、
ベンチでうたた寝をしていたホームレスが、
いつの間にか老若男女入り乱れては俄ダンス・パーティ。

そう、このカルロスのダンス・スクールは、
サルサ・ダンス教室というよりはむしろ、
閉ざされた日系社会、
アメリカ社会との交流どころか、いまだに英語ひとつろくに喋ろうとはしない、
日系駐在員という世界最悪の引き篭もりトッチャン小僧たちを前に、
日々窒息を繰り返していたそんな在米日本女子たちにとって、
ここニューヨーク、あるいは世界への、脱出口であったのかもしれない。

今日は天気が良かったでしょ?
なので、レッスンの後にみんなでバンドシェルに出かけて、
次の発表会のリハーサルをやろうなんてことになったんだけどさ。

久々に夜遅くに帰った妻が息を弾ませて続ける。

そしたら、ちょうど通りかかったブラジル人の観光客が飛び入り参加。
連られてブロック・ダンスの子どもたちから草野球帰りのおじさんたちから、
ローラーブレイダーからジョギングのグループからパークレンジャーまで入って来ちゃって。

それで、こんな時間までセントラルパークでダンスを踊ってたのか?

そうよ。もう足がパンパンで。あの人達、いまでもまだ踊ってると思うよ。
一晩中踊ってるんじゃないのかな。ラテンの人たちってやっぱり凄いよね。

ねえ、あなたも今度いっしょに来てみない?
ドラムサークルの太鼓の人から、ラッパ吹きからギターからバイオリンから、
あなたのようなストリートミュージシャンの人たちも、
みんな飛び入り参加して一緒にサルサを演ってたのよ。

俺はストリート・ミュージシャンじゃないだろ。
路端の小銭集め、河原乞食と一緒にするない。

当時俺はこれでも一応は自称ミュージシャン。
観光バスの停まるメジャーな店では無いにしろ、
それなりのガイドブックぐらいに名前ぐらい載った、
街の津々浦々のミュージックスポット、
大小のライブハウスから始まって、
酔っぱらいたちの溢れたパブの三角ステージから、
或いは、レストランの伴奏から、
ホテルのラウンジのBGM代わり、なんてのまで、
ロックから、パンクから、メタルからに始まって、
ブルースからレゲエから、ジャズから、そしてラテンまで、
店から店へ、ジャンルからジャンルへと飛び回る、
サポートバンドのスポット屋稼業。

ギャラとは言っても行き帰りの機材の運搬代で消えてしまうような、
そんな微々たるものでしかなかったが、
それでも一応は、いっぱしのミュージシャン、なんて顔を続けていた、
そんな時期であったのだ。

聞いてましたよ、プロのミュージシャン、なんですってね。
妻から紹介されたカルロスは、その無邪気な笑いで顔中をくしゃくしゃにしながら、
何度も何度も握手の掌を大きく振り続けては、
楽器ができるなんて本当に羨ましい、と繰り返したものだ。

カルロスはダンスばかりで楽器はやらないの?
いやあ、ダンスの上達の為には、
何らかの楽器を習得しなくては、とは常々思っているんだけどね。
ただ、ダンスであれば、それこそなんの初期投資もなしに、
いますぐこの場でも始めることができるけど、
楽器となると、まずはその楽器を手に入れることから始めないといけないしさ。
つまりカルロスは、タダだからダンスを演っている訳?
いや、そういう金銭的なことばかりではなくて、
つまりなんというか、僕の目指しているのはそういうのとはちょっと違って、
ただ、音楽が好き、そしてみんなで楽しく過ごしたい、
それをまずは一番大切にしたいんだ。
そうこの人、ライブの時以外はいつも一人でスタジオに籠もって。
一人でスタジオに?
ああ、勿論。バンドマンと言っても個人練習は絶対に必要だからね。
ブルックリンに友達と共同で月極のスタジオを借りていてさ。
そこでひとりで?
ああ、メトロノームを相手にね。
バンドでは練習しないの?
バンドで練習するにはまずは個人練習が必要だろ?
その辺りがよく判らないというか。
バンドばかり演っていても決して上手くはならないよ。
楽器が上手くなることが目的なの?
ミュージシャンにとってテクニックは絶対必要条件だからね。
誰も下手なヤツとは一緒に演りたくないだろ?
そういうものなのか?
違うのか?
そう、僕は音楽をそういう風に思えない、思いたくない。
だからダンスを選んだのかもしれない。
それはただ単にダンサーと、ミュージシャンの違いなんじゃない?
いや、ダンサーの中にも自分のテクニックだけを我武者羅に追い続ける人もいるよ。
ミュージシャンの中にも、個人練習などしないで馬鹿騒ぎすることだけって連中もいるにはいるさ。
そして君は、個人練習を続けているんだね。
ああ、下手をすれば個人練習そのものが目的で、ステージは息抜きって感じもしてる。
立派なミュージシャン魂だね。感心するよ。
俺だって別に、個人練習が好きでたまらないって訳でもないんだけどさ。
だって、メトロノームを相手でしょ?それも一人で何時間も何時間も。
この人ね、そんなメトロノームとの練習を録音して、
ドラムを叩いていない時はそればかり聴いているのよ。
それってまるで自閉症的だと思わない?
いい加減、頭が馬鹿にならないのかと思って心配になるわ。
馬鹿野郎、ミュージシャンなんだから当然だろ。
ミュージシャンってのはそもそもそういう輩を言うんだよ。
そういうタイプのミュージシャンも居るってことだろ。
そう、そういうタイプのダンサーも居るには居る。

そうだ、だったら、
今度俺達のダンスをビデオカメラに録って鑑賞会をしてみよう。
踊りながら鏡に映すばかりじゃなくて、
踊る自分を椅子に座って眺めて見るんだ、
それはそれで、良い練習になるかもしれないしね。

そしていつしか、俄なサルサブームも一段落。
流行が去り、それでもサルサを踊り続けるダンス愛好家を残して、
いつしか蜘蛛の子を散らすように四散した嘗ての教え子たち。

プロのダンサーとして名声があった訳でもなく、
プロを目指すシリアス系ダンサー向けというよりは
ビギナー向け初心者たちを対象にしていたカルロスのダンス教室、
一時は教室に入り切らないほどの生徒を抱えていたのが嘘のような閑古鳥。

訪れる生徒たちは、ダンスのレッスンというよりは、お茶飲み友達との会合の場。
閑散としたダンスフロアに虚ろに流れるラテンビートをBGMに、
なんかわたし、やっぱり仕事を辞めようかと思って、
なんていう茶飲み話に終始しては、
楽しかったね、また来週。
しかしそれでも、カルロスは幸せそうだった。

良いじゃないか、素敵な音楽が流れ、みんなで仲良くおしゃべりをして。
その何が悪い?音楽って元々そういうものじゃなかったのか?

そして俺は俺で、副業と笑いながらも、
日々の生活費を捻出する為に当然必要であった定職。
どうせ同じ時間を拘束されるのであれば、
そのペイは1ドルでも多いに越したことはない、
いつしかそんなささやかな強欲に足元を掬われては、
いつしかはまり込んでいた社畜的日常。
一日の終わりになって押し寄せてくる疲労と倦怠の無力感。
仕事のストレスの捌け口に愚痴が重なり、
そんなありふれた不毛を鼻で笑いながらも、
時間幾らで人生を査定するばかりの効率性という罠。
そして深夜近くなっては泥のように疲れ切った身体を引きずるように辿り着くスタジオ。
仕事用の重荷を下ろし、仕事用の服を脱ぎ捨てては、
さあ、これからが本当の人生の始まり、といくら自身にムチを打っても、
調子が戻るどころか、出てくるのはため息ばかり。
或いは、深夜過ぎになって終わったギグの帰り、
タクシーさえも見かけなくなった夜更けの鋪道をトボトボと家路を辿りながら、
このままこの場に倒れ伏して寝てしまえるなら、どれだけ楽なことか、
つくづくホームレスが羨ましいぜ。
そして家に着いて4時。シャワーを浴びてベッドに入るのが5時。
わずか二時間の仮眠の後に、仕事に出かけては朝一番からやること1-2-3、
まるで気が触れているとしか思えないな。
こんなことを続けていたら、いつか真面目に死んじまうぞ。
そしてジーンズのポケットにくしゃくしゃに丸められた20ドル札が二枚。
この湿気ったギャラの為にいったいどれだけ命を削れば良いのか、
そんなことを思った時、そんな日々の努力が、葛藤が、執念が
いつしか、その慢性的に堆積した疲労の重みに押し潰されては、
長い長い溜息をつくばかり。
いったい、なにを求めて、なにが欲しくて、
俺はこんな生活を続けているのか。
そしてふと気がつけばステージの上、
とってつけたような安物のスポットライトに照らされては、
酔っ払った人々の嬌声と弾けるグラスの喧騒の中で、
誰が聴いているのか誰に聴かせているのか判らない形ばかりの生演奏。
ふと見上げた煤だらけの天井を眺めながら、
俺は、いったい、こんなところで、なにをしているのだ?
そんな気にも、なっていたのは、確かなのだ・・







朝の犬の散歩の道すがら、公園でカルロスを見かけたの、
そんな妻の言葉を耳にした。

その頃には、妻はすっかりダンス熱も冷め、
そして俺も、仕事とバンドとそして貰い受けた犬の世話、
そんな生活の中で錐揉み状態。
そんな中、ふと訪れたヘッドハンターの甘い誘い。
世界的に名を轟かせる米系大手企業の管理職のポジション。
一挙に給料が三倍に跳ね上がる、そんな夢のようなオファーを前に、
これで、ようやく、これまでの苦労のすべてが報われた、
そんな気さえしていたものなのだが。
その代償に渡された三つの携帯。

毎日オフィスに出勤する必要もない。
日々の仕事といえば、週何度か予定された定例会議への参加。
他の時間は、その会議向けの日本語での資料作成。
なので時間は自由に使って貰って良い。
ただ、米国、そして日本、
昼と夜を合わせてその双方からの要請には、
いつでも対応できるように備えていて貰いたい。

という訳で、その暮らしはまさに夢のようであった。
日々、好きな時間に起き好きな時間に会社に行き、
誰に指図される訳でもなく、勝手気ままに時間を潰し、
それでもチーム内の同じ職務についた米人の同僚たちと比べても
二倍以上の給料を貰う、このなんとも緩い緩すぎる職務内容。
つまりは、日本語と英語のバイリンガル、その特性を高く買われた、
ということであったのだろうが、

であれば、と当然のことながら、しめしめと入り浸っていたスタジオ。
ドアの前に三つの携帯を並べては、
一日中ドラムの練習に没頭できる。
それはまるで、夢のような仕事でもあったのだが。

だがしかし、とふと考える。
だからと言って、もしもステージの上で携帯が鳴った時にはどうするのか。
或いはこの練習中、いつ呼び出されるか判らないスタンバイ状態の中で、
一種戦々恐々としながら続ける練習に身が入る訳もない。
それが証拠にこの糞電話。
ようやく調子の乗ってきたその時を狙い済ませたように鳴り響く呼び鈴。
この不愉快さ、この不機嫌さ、この苛立ちから憤怒からが重なっては、
スタジオで過ごす時間が間延びを繰り返すばかり。
俺は、いったい、こんなところで、なにを、しているのか?
こんなことを続けていたら、仕事も、そして音楽にも
つくづく嫌気が刺してくるに違いない、この夢の暮らしの大きな罠。

果たして、と思う。
果たして俺にとって、大切なものとはいったいなんなのか?

取り敢えずはこの三つの携帯に拘束された暮らしをつつがなくも続けていれば、
少なくとも人も羨む高給をガメて寝て暮らせる、
ドラムを叩き、犬の散歩に出て、
昼間から酔っ払っていたって誰にも文句は言われない。
ただ、携帯さえ、鳴らなければ、の話なのだが。

この二十四時間体制の緩やかなる拘束、
その囚われの身のままで、
音楽と仕事と生活の両立、
その危ういバランスを保ちながら、
しかしその甘い罠の中で、
いつしかなにもかもがどっち付かず、
すっかり足元を掬われては雁字搦めの日々。

取り敢えずは音楽があって、
愛する者と一緒に居れて、
そして飯が食え、そして屋根のある所に暮らせれば、
それ以外のものはすべてが二の次三の次。

そんなことを嘯いていた筈のこの俺が、
嘗ての給料の三倍を手にしたいまになっても、
それでもあいつはああ見えて給料が俺の二倍。
あいつはこの間、また上級資格を取得して、
破格のボーナスを貰ったらしい、
そんな噂が噂だけでは収まり切らず、
どんなレベルにおいても、
いつでもその上を目指さずには居られない、
その終わりを知らぬ向上心、というよりは強欲、
或いはそれこそが業、その炎に焼かれては、
いつしか、俺が嘗て、金も貰えずにミュージシャンを気取っていた、
その、食えずとも高楊枝的な幻想そのものが、
心底、バカバカしくも、思えていたのは確かなのだ。

あのサルサダンス講師のカルロスに再会したのは、実にそんな時であった。

高給取りになったんだってな。
ああ、米系大手、ほら見ろよ、あのビルの屋上、
この街中のどこからでも目につく、あの会社なんだ。
音楽は、もうやめてしまったのか?
ああ、犬の散歩と仕事が忙しくて、それどころじゃなくてさ。
高級取りだものな。
ああ、こう見えて、いろいろと苦労が絶えなくてな。
いろいろと大変そうだな。
そういうあんたは・・

犬の散歩の途中に雨にやられた秋の朝、
雨宿りに走り込んだベセスダ・テラス、
その薄暗い講堂の中で、カルロスはひとり、ギターを弾いていた。

ギターを始めたのか?
ああ、ドラムからピアノからサックスからといろいろ演ってみたんだが、
僕にはこのギターが一番性に会うらしい。
安いし、軽いし、電気も使わず、なにより場所に囚われないっていうのが良い。
そういう理由でギターを演るってヤツも珍しいが。
気持ちが良いんだ。こうしてギターを弾いていると。
なによりこの音が、僕は凄く好きみたいなんだ。

そういうギター、とは言っても、
フェンダーでもギブソンでもマーティンでもなく、
見たことも聞いたこともないブランドの、
そのあたりのおもちゃ屋、とは言わないが、
どこぞの酔狂人が迂闊に手を出しては、
やっぱり駄目だ、とすぐに放りだした初心者向けの中古品。
質屋ぐらいで一万も出さずに手に入る、
そんな安物のクラシックギター。

今朝、弦を張り替えてみたんだ。
ナイロンからチタニウム、いまはガットを張ってみたんだけど、
どうだい、凄く良い音がするだろ?
ほら、こんな雨の中で、音色がどんどんと変わっていくんだ。
音色か。
そう、音色。気づいたんだよ。僕はこのギターの音色が凄く好きなんだ。
このガット弦のギターを弾いていると、どんどん心が洗われて、
まるで身体が透き通って行くような、そんな気さえしてくるんだ。

そしてカルロスはギターを弾き始めた。
誰も居ない早朝の公園の、雨宿りの洞窟の中、
見るからにやつれ切った髭面でにこやかに微笑みながら。

そのギターテクニックは、嘗て俺が演奏を共にしてきたギターの鉄人たち、
そんなプロ志向の連中に比べてはまさに雲泥の差。
ジョー・パスからパット・メセニーからケニー・バレルからを完コピしては、
あるいは、真面目の本気で、
ジミ・ヘンドリックスからエリック・クラプトンからジェフ・ベックに成り代わろうとしていた、
あのギターの修験者たち。
そんな音楽史上の神たちに挑み続けるギターの修験者たちに比べ、
カルロスのギターは、それこそまるで幼稚園生のお遊戯。

それはまるで、メトロポリタン・オペラ・ハウスの前で、
一心不乱に、咲いた咲いた、チューリップの花が、と歌い続ける、
精薄のホームレスの姿さえも連想させたものだ。

カルロスに会ったよ。
この雨の中、ひとりでギターを弾いていた。
どうだった?カルロスのギター。上手だった?
あれだったら、と俺は嘯いた。
あれだったら、俺の方がまだマシだな。
あなたがギターを弾けるなんて聞いたこともなかったけど。
天国の階段、とは言わなくても、と俺は言った。
ブラウンシュガーやらスカボローフェアぐらいなら誰でも弾けるさ。
カルロスはなにを弾いてたの?
アルハンブラの思い出、あれをゆっくりと繰り返し繰り返し。
アルハンブラの思い出?
クラッシックギターの練習曲の一番目。
つまりはトレモロの反復。
まあ言ってみればバイエル。それも赤いのを始めたばかりってところだな。
そうなんだ。毎日あそこでギターを弾いてるって言ってたけど。
あの42丁目のジミヘンじゃないけどさ、
何年我流でギターを弾き続けても駄目な奴はどれだけやっても駄目だしな。
カルロスはどうかな?
判らない。判らないが・・
少なくとも、あなたの友達の、ジュン君やルーカスやクリスチャンやピエールに比べたら。
ああ、比べられた奴らに絞め殺されるレベルかな。
あれぐらいだったらミツル程度でも、背中と言わず、歯でも弾けたと思うよ。
楽器って大変だよね。
ああ、楽器って、大変だよ。
って言うか、音楽って、そもそもそういうものなんだよ。
人生そのものを丸々注ぎ込んで、なんぼ、の世界。
素人騙しに、早く弾けるとか、間違わずに楽譜をなぞれるとか、
人のやったことを完コピして、だけじゃ済まない。
オリジナリティとは言わなくても、
その楽器そのもので、それなりの音が出るようになるまでに、
まさに、気の遠くなるような時間がかかる。
あなたたちはそれを演っていたのね。
ああ、俺たちはそれを演っていた。
そればかり、演っていた。気の遠くなるぐらいの時間をかけて、
人生を、命を、削ってね。



実は妻に言った言葉には嘘があった。
音、こと、音色に関して言えば、
ミュージシャンにとって、それは罠とも言えるものだ。

弾くことをマスターしたミュージシャンが更なる円熟を重ねては、
ついに、その音色、なんてものに拘り始めた時、
ミュージシャンが、ひとつ上の次元に目覚めた、
その解脱的なステップアップが、
しかし皮肉なことに、ミュージシャン、
あるいは、ステージパフォーマーにとっては、
凋落の始まりも意味する危険な罠。

つまりは、スポットライトの中で楽器をかき鳴らし、
足を踏み腰を振り髪を振り乱し、
そんな箸にも棒にもかからない見た目重視のステージアクト、
そんな素人相手の猿芝居のレベルから、
より高度なテクニックを求め、そしていつしかその中に、音色、を求め始めた時、
いつしかそのレベルに達したミュージシャンは、
腰を振り、頭を揺すって髪を振り乱すことを、疎んじ始めるものだ。

俺の、この音、この音色を聴いてくれ。
その次元に達したミュージシャンは、
いつしかそのステージ・アクションが増々と地味になり、
ともすれば、ストラップが上がってはいつしか胸の上、
足踏みもせず、頭も振らず、ともすれば禅の修験者のように、
一心不乱の苦虫のように眉間にシワを寄せては、
誰一人にも判らないであろうその音色の深みの中に嵌まり込んでいくことになる。

果たして、そんな陰気なステージアクトを、
いったいどんな観客が望んでいるというのか。

誰よりも早く弾ける、誰よりも大きな音が出せるのが、
観客に向けた初歩的アプローチだとすれば、
誰よりもクリアな音を、誰よりもナイーヴなこの音色目指すこと、
それは極々、ミュージシャンの個人的な世界。
つまりは、ミュージシャン本人にしか知ることのできない、
極々個人的な、内向的な世界、なのだ。

マイクの向きひとつで変わってしまう、
あるいは、ミキサーのツマミひとつ、
ともすれば、再生するアンプの向きだけで変わってしまう、
そんな音色、なんてものに、
いちいち付き合ってくれるエンジニアもそう多くはなく、
つまりは、音色なんて、ミュージシャンのワガママ。

スタジオの中で、音色に口を出せば出すほど、
あいつも、頑固になったよな、
そろそろ、焼きが、回ったかな、

そんな陰口を叩かれていたのを、俺だって知らなかった訳ではない。

だがしかし、キャリアを積めば積むほどに、
音楽を、楽器を、愛すれば愛するほどに、
ミュージシャンたちはその音色の罠に嵌まり込んでいく、
それが必然的な宿命でもあるのだが。








ついに突入したクリスマス休暇、
見渡す限り何もかもが凍りついたニューヨークの冬、
夜明けを前にしての犬の散歩の途中、
今日もまたあのギターの音色を耳にする。

あいつ、またアルハンブラの思い出か。
一年中、この曲ばかりだな。

だがしかし、ふと、足が止まる。
耳が、というよりは、首筋が、頭蓋骨が、
あるいは、背筋そのものに、
なにか熱いものが走り抜ける。

歌?歌が入っているのか?
どこかでまた声楽崩れのヒッピー旅行者でも見つけたのだろうか。

その遠いギターの音色に混じって、
バリトンの、テノールの、アルトの、ソプラノの、
そんな声が聴こえてくるのである。

そうか、混声合唱団か、と勝手に納得する。
それにしても、あいつ、上手くなったよな。

確かに、リズムが落ち着いている。
ピッキングにブレがなく、
何よりもその音色、その音色に、なにか別のものが籠もっている、
それは確かに感じていた。
まあな、何年も何年も、来る日も来る日も、
同じ曲ばかり弾いていたら、そりゃ上手くもなるだろう。

冬枯れの木立を抜けて、犬にボールを投げながら、
やがて、そのギターの音色に誘われるように、
ベセスダ・テラスへの小径を下る。

おい、ボールを忘れるなよ。
そこかしこで小便を引っ掛けながら、
犬は今日も問答無用に元気である。
ちょっと待ってろよ、そろそろお前の友達がやって来るからな。

水の抜かれた噴水。
それを見下ろす水の天使の像。
その肩に、頭に、とまった鳥たち。

この鳥たち、
なぜこんなクソ寒いニューヨークなんてところに、
しがみついているのだろう。
羽根があるのなら、さっさと日差しの柔らかい別の土地に、
飛んでいってしまえば良いものの。

凍りついた煉瓦の敷石に足を取られながら、
そしてあの薄暗いアーケード、
19世紀のビクトリア朝のミルトン・タイルに囲まれた、
その聖堂の中で今日もひとり、
クラッシックギターを爪弾く、カルロスの姿が見えた。

ん?ひとり?まさか。

そう、確かに聴こえた、あの歌声。
そう、いまでも聞こえる、
バリトンの、テノールの、アルトの、ソプラノの、
或いは、天使の声を模した、
あの少年合唱団の賛美歌のコーラスが。

おい、待てよ、なんだこれは、いったい、なんなんだ。

ボールを咥えたまま走り出した犬が、
一足お先にとそんなギタリストの前に走り出る。

やあ、ブッチくん、今日も元気いっぱいだね、
ギターを弾きながら、カルロスが犬に微笑みかける。
ちょっと待っててね。
この曲が終わったら、いつものおやつをあげるからね。

遅れてやってきた俺に、
やあ、ブエノス・ディアス、今日も早いね、と笑うカルロス。
そんなカルロスにちょっとした手品でも見せられたかのような俺。
おいカルロス、どうしたんだ、人の声が聴こえたけど。
人の声?空耳だろ。僕はずっとひとりさ。ずっとひとりでここにいる。
いや、確かに聴こえた。人の歌声。
男の声が、女の声が、
バリトンがテノールがアルトがソプラノが、
ウィーン少年合唱団のコーラスが。
ははん、まだ寝ぼけているんだろ?
それでもなければ、かみさんが居ないのを良いことに、
また悪い薬でもやってるんじゃないのか?
まさか、ほら、聞こえるだろ?ひとの歌声。
お前のギターに合わせて・・・

そんなところを、ジョギングの男が目に入る。
たぶん除隊したばかりの軍人であろう。
全身を岩のように鍛え上げられた身体を見るからに重そうに揺すりながら、
そして決められたように立ち止まっては、手に握りしめて来た1ドル札を、
カルロスの眼の前に広げられたギターケースの中に放りこむ。
ジェームス、いつもありがとう。
カルロス、君のギターはアリスの池まで聴こえたぞ。
今日は寒くて人がいない分、雑音が少ないからね。
空気も乾いているし、弦の鳴りも良いようだ。
いつもながら素晴らしい音色だ。神の声を聞くようだ。
そう言って本当に空を見上げて胸の前で十字を切る男。
神の調べだ。セントラルパークの素晴らしい奇跡だ。
ずいぶんとありふれた奇跡もあったものだな。
ありふれているからこそ奇跡なんだ。だからこそニューヨークなんだ。
じゃあな、ジェームス、良い一日を。
では、カルロスさん、心からの尊敬と感謝を込めて。
あなたの幸せをいつも神に祈っています。

妙な奴だな。
ああ、居るんだよ、ああいう人、とカルロス。
遠く走り去った後、再び振り返った男に、
首を長くしては無邪気に手を振り続けているカルロス。
でもなカルロス、こんなところで、こんなひ弱な音響設備で、
人通りが始まった途端に、誰にも聴こえなくなっちまう。
せめて、アンプやらピックアップやらを使って、
もっともっと、でかい音で大勢にアピールしなくちゃさ。
何のために?とカルロスが聞く。
何のためのアピールなんだい?
あのな、カルロス。
俺はお前のギターの中に、確かに人の歌声を聴いたんだぜ。
だから、それは君の空耳だろ、とニヤニヤと笑うカルロス。
いや違う。違うんだよ、カルロス。
それはつまり、お前のギターが、
その音色が、その弦が、その旋律が、
正真正銘に歌っているって、そういうことなんだよ。
歌っている?それは良いことなのか、悪いことなのか?
馬鹿野郎、良いことに決まっているだろ。
ギター一本の音色の中に、混声合唱団から、
ともすればオーケストラそのものを包括しているんだ。
これは、俺的な言い方をさせて貰えば、
最高級の褒め言葉。
ギタリストにとって、ミュージシャンにとって、
これ以上の褒め言葉を俺は知らない。
ありがとう。君からそういう言葉を聞くとはな。
ありがたく受け取っておくよ。
そしてカルロスは、お行儀よくお座りをしていた犬の頭をゴシゴシと撫で、
そしてポケットに持ってきた一粒のビスケットを差し出しては、
どうだい、美味しいかい?とその表情を伺う。
言ったよな、うちの犬はワン・オーナー・ドッグで、
飼い主の俺達以外、よほどのことが無い限り身体に触れさせないんだぜ。
ああ、君のワイフもそう言ってたよ。なぜだか判るかい?
なぜなんだ?
追わないからだよ。僕はなにも追わない。なにも叫ばない。誰にもなにも押し付けない。
つまり、アピールしない、と。
そう。そういう事。
アピールをしないから、このギター足りうる、と、そういうことか?
それは結果論ではあるが、結果として君がそう感じるのであれば、
それがつまりはすべての恩恵なんだろう。
そしてカルロスは指先だけをちょん切った分厚い手袋、
そのかじかんだ手を擦っては、白い息を膨らませて大きく深呼吸をし、
そして再び一年中を通して弾き続けるお馴染みのレパートリー、
アルハンブラの思い出、から、
そしてバルカローレから、ノクターンから、シンプリシタシスから、
フランシスコ・タレガのラグリマが、いつのまにかビートルズのブラックバードに変り、
そうやって気の向くままに、
9時を過ぎてどっと繰り出してきたツアーバスの観光客の一団、
その雑踏と喧騒の狭間で誰一人にも気づかれることもなく、
囁くようなか細い音で、その奇跡のギターの爪弾き続けているのである。
じゃあな、邪魔したな、という俺に、ギターを弾きながら無言で頷くカルロス。
おい、行くぞ、と犬に声をかけながら、
しかし犬はカルロスの前に神妙に座り込んだまま、
じっとその表情を見つめているばかり。
次のトリートを待っているんだね。ゴメンな、この曲が終わるまでちょっとしばらくかかるよ。
そんなカルロスにクーンと鼻を鳴らす犬。
判った判った、とカルロス。
弾き始めたばかりの曲の途中、アルペジオを続けながら、
ゴソゴソと左のポケットに手を突っ込んで、ほら、これで最後だよ、と、
そんな犬の我儘をさも愛しそうに笑いかける。

居るんだよ、とカルロス。
一日にひとりふたり、あるいは、一週間にひとりってこともあるけど、
そうやって、立ち止まっては耳を澄ませて、僕のギターを聴いてくれる、
そういう人も確かにいるんだ。
君だけじゃない。判ってくれる人も確かに居る。
さっきのジェームスみたいに、戦争の犠牲者たちを弔う天使の声だといってくれるひともいる。
神の音色だっていってくれた人もいるし、ハミングをあわせて一緒に歌ってくれる人もいる。
有名なジャズ・ミュージシャン、あるいは、プロデューサー、と言っても自称だがね、
IPHONEを翳して録音をしていったり、動画に録ってYOUTUBEに投稿したり、
あるいは時として、小銭どころか、こっちが思わず驚くようなTIPを置いていく人もいる。
僕のギターが、ある種の人々の、なにかに触れる、そんな作用があることにも気づいて来た。
それが百人にひとり、千人にひとり、百万人にひとりであったとしても、
僕のギターになんらかの意味を見つけてくれるひとがいるとすれば、
僕のこのギターにも、なんらかの意味がある、そういうことなんじゃないのかな。
百万人にひとりのために、そうやって毎日、誰にも聴こえない音でギターを弾き続けるんだな。
そう、つまりはそういうことさ。
君はもう、やめてしまったんだね。
ああ、辞めてしまった。もう3年以上、スティックを握っていない。
辞めて、なにか変わったかい?
ああ、楽になったよ。練習をしなくちゃいけないその重圧から解放された。
あるいは、音楽以外のことに時間を費やさねばならないジレンマからもね。
音楽をやめて、身体も心も軽くなった、そんな気はする。
身体が、心が、軽くなって、その代わりに、いったいなにを得たんだい?
その代わりに、と言って、俺は思わず、言葉がつまり、そして、空っぽだな、と笑った。
空っぽになったよ。身体の、心の、半分以上、どころか、ほとんどが空っぽになって、
そして、残ったものは・・・
その先は、言葉が続かなかった。

カルロス、あのな、継続こそが力なんだ。
毎日、毎日、少しづつでも、それを続けること。
一時期、どれだけ精魂を傾けても、
どれだけ練習しても、どれだけ上手くなり、
運次第では、どれだけの成功を勝ち得た、としても、
一度辞めてしまったが最後、もう元に戻ることはできないんだ。
そしてカルロスは、一種勝ち誇ったように、何度も頷いてみせる。
つまりは、そういうことなんだな。
お前のギター、そうやって毎日毎日、誰が聴いていても聴いていなくても弾き続けること、
それはつまりは、そういうこと、なんだな?
それには答えず、また始める気はないのかい?とカルロスが聞く。
ああ、でも、また始めたとしても、もう元の俺には戻れないだろう。
戻らなくても良いんじゃないのか?
戻れないなら無理して戻る必要はないじゃないか。
また別な方法で、別な自分を始めるってのも悪くないんじゃないのかい?
その柔軟さが、俺にはまだ見つけられない、といういか。
拘ってるんだな。
ああ、拘ってるよ。いまでも拘っている。
安心したよ。君はまだ、ミュージシャンのままだ。
筋金入りの、この世で一番頑固なミュージシャン、そのままだ。
安心したよ。君はなにも変わってはいない。
ありがとう、褒められているのかけなされているのか判らないが。
つまり、本職にはいつまでたっても身が入らないってことだからな。
心配するな。君のワイフに言ったりはしないよ。
君と僕、ふたりだけの秘密だ。
ミュージシャン同士、だものな。
君からそう言って貰えると、とても嬉しいよ。
言ったろ、お前はもう、別のレベルに入ったんだ。
ギターの中に、混声合唱団から賛美歌隊まで抱え込んでるんだぜ。
もう筋金入り、どころか、聖人の域に近い。
未だに、アルハンブラしか弾けないけどね。
アルハンブラだけでも弾けるだけで大したものさ。
チャーリー・ワッツだったよね、ローリング・ストーンズのドラム。
ああ、チャーリー・ワッツだ。
ドンカン、しかできずに、ドンカンだけをひたすら演り続けて、
そして世界一の神業レベルのドンカン、
彼に以外には誰にも叩けないドンカンを見つけ出した、そんなドラマー。
君からその話を聞いてね、
ああ、僕にでも、それだったらできる、と思ったんだ。
四十歳を越えて始めたギターだ。
今更それでなにを目指すという訳でもない。
ただ、ジャンゴ・ラインハルトになれなくても、ウェス・モンゴメリーになれなくても、
世界でたったひとつのドンカン、それを目指そうと、そう思ったんだ。
世界でたったひとつのアルハンブラか。
そう、アルハンブラだけでも、僕だけのなにかを見つけようと、いつもそう思ってる。
それはそれで生き方だな。
実はね、ギターを弾きながら僕はいつも歌を歌ってるんだ。
君のワイフも知っているけど、僕はカラオケもできないド音痴なんだ。
だけどね、だから、僕はいつも歌が歌いたかった。
そしていま、こうしてギターを弾きながら、僕は歌い続けている。
バリトンで、テノールで、アルトで、ソプラノで、
プラシード・ドミンゴが、ルチアーノ・パヴァロッティが、
マリア・カラスが、アンナ・ネトレプコが、ルネ・フレミングが、
僕のギターに合わせて、世紀の共演を繰り広げる、
そんな夢をいまも見続けているんだ。
基本だよ、と俺は言う。
ミュージシャンの基本のキホン。
歌いながら奏でる、歌うように奏でる、歌を奏でる。
ああ、君はそう言ったよね、それも覚えている。
そしてそれを、いまも目指している。
合格だよ。合格どころか、遂に達成したな。一種の理想だよ。
ギターの弦一本一本に、ドミンゴが、パヴァロッティが、
マリア・カラスが、ルネ・フレミングが宿っている。
いまだに、アルハンブラしか弾けないけどね。
ドンカンこそがすべてだよ。
ああ、そう信じてやってきた。いまもそれを信じてる。
ありがとう、と俺は言った。
ありがとう、とカルロスが言った。
そして演奏を縫っての細やかな握手の後、
そして再びカルロスは弾き始めるアルハンブラの思い出。

焦ることはないさ、とカルロスは言った。
焦ることはない。いつでも始めることができる。
そして、なにも楽器に、音楽にこだわることもないさ。
僕が歌を歌えない思いをダンスに、そしてギターに込めたように、
ドラムを、音楽をできないその思いを、別の形で表現することもできる。
要は、とカルロスが言った。
要は、継続。辞めないことだ。忘れないことだよ。
その点において、君は絶対に心配がない。
君はやめたりしないよ。なにがあっても絶対にそれをやめたりはしない。
それって、いったい。
君が君であること。僕が僕であること。我が我であることさ。
君は君にしかできない。君以外のなにものでもない。
僕が僕であり僕以外のなにものでもないように。
そしていつしか、俺の後ろの人影、
列柱の影で恥ずかしげに身を潜めていた少年がひとり、
父親の手を引いてカルロスの前に一大決心をするように進み出ては、
掌に余る1ドル紙幣を一枚、ギターケースの中に不器用に投げ落とす。
そしてまたひとり、犬の散歩の中年女性が、
ピーナッツ売りの屋台の髭面の青年が、
ジョギングの若い女性が、そして仲間のストリート・パフォーマーが、
その為に用意してきたであろう虎の子の1ドル紙幣をギターケースに落としては、
軽いウィンクを残して立ち去っていく。
そしていかつい制服に身を包んだパーク・レンジャーがひとり、
ポケットいっぱいの小銭をじゃらじゃらと落としては、
おい、9時を過ぎたぞ、犬にリーシュをつけてくれ、と一言。
おっと、もうそんな時間か。
そして階段の向こうから、小旗を掲げたガイドに連れ添って、
ツアー客の一団、その第一陣がガヤガヤと押し寄せてくる。
さあ、一日が始まったな。
せいぜい稼いでくれ。
誰にも聴こえないギターでね。
演り続けることだ。
忘れないことだ。
俺が俺であること。
君が君であること。
それが生きるということなのだから。



ニューヨーク・セントラルパークのベセスダテラスに、
ひとりの天才ギタリストがいる。

セントラルパークの中心地。
このニューヨーク随一の観光スポットにあって、
観光客の嬌声と喧騒に溢れた雑踏の中、
ひとり黙々とクラッシックギターを弾き続けるその男。

そのか弱いアコースティックな音色は誰の耳にも届かず、
そのあまりにもありふれた曲目は、
決して誰の注意を惹くことこともなく、

それでもそのギタリストは、
ただ黙々とギターを弾き続ける。

ただもしも時間が許すのであれば、
そのギターの音色に、一時だけでも息を潜めて耳を傾けて欲しい。

その素人丸出しの、お世辞にもテクニカルとは言い難い、
その無骨過ぎる、杜撰過ぎる演奏の中、
その音色の中に、ふと、別の音が重なっていることに気づかれる筈だ。
バリトンが、テノールが、アルトが、ソプラノが、
あるいは、天使の歌声を模した少年合唱団の歌声が。
ギタリストの思いが、思念が、夢が練りこめられては、
まるで浮き彫りのように像を結んで立ち上がる奇跡を見る筈だ。

そしてあなたは感じるだろう。
その研ぎ澄まされて洗い流された清らかな音色の中に、
我が我であること、その生きるということの意味、その本質を。

そんな奇跡を巻き起こすギタリストが、
今日もニューヨーク・セントラルパークのベセスダテラス、
洞窟のような薄暗いアーケードの下、
誰に知られることもなく、誰に知られようとすることもなく、
ただ黙々と、ひとり、拙いギターを弾き続けている。

そしてそんなカルロスのギターに触れた時、
この街に来て、本当に良かった、
心の底から、そう思って貰える筈である。

やめないことである。忘れないことである。
我が我である、ということ。

そのあまりにもか細い音色の中に、
そのあまりにも控えめな姿の中に、
不屈の意思、つまりは人間の強さの本質を見つける筈だ。

この街に来て良かった。
カルロスに会えて本当に良かった。
このギターが聴けて本当に良かった。

そしてポケットの奥からくしゃくしゃの紙幣を取り出した時、
カルロスはきっと、照れくさそうに肩を竦めながら、
ホームレスと見紛うような髭面に子供のような笑顔を浮かべて、
控えめなウィンクをひとつ、返してくれる筈だ。

そして歩き去るセントラルパーク、
眼前に広がる摩天楼の街を見上げながら、
ニューヨークにやって来て、本当に良かった。
この世に生を受けて、本当に良かった。
そう思っていただければ、幸いである。

路傍の石のような、ストリート・ミュージシャンのひとりひとりに、
そんなささやかなストーリーが隠されている。
ニューヨークはそんな街だ。
そんな秘められたストーリーをひとつひとつ解きほぐすのが、
この街に暮らす大きな喜びでもあるのだ。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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