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2019年漆黒ぼっちな年明けに、今更ですが「カルテット」を観ました。

Posted by 高見鈴虫 on 03.2019 読書・映画ねた   0 comments
今更ながら、ではありますが、
あけおめ、ことよろ、でございます。

いやあ、そう、ご承知のようにこのシングルダディな年の瀬、
ここのところ恒例とさえ相成ったこのかみさんの居ない年越し。

この大都会の片隅にひとりと一匹で取り残されては寄り添うように、
寂しく歳を迎えるというのもなんともぱっとしない話、ではあるものの、
悪状況を逆に楽しむ、その心の余裕だけは失いたくはない、
そんな意地を張りながら、
あるいは、こう言ってはなんですがの鬼の居ぬ間の洗濯、
普段かみさんと犬の狭間ではなかなかできないこと、その1-2-3,
この機会に楽しみ尽くす、というのもまあ悪あがきとしては悪くない。

という訳で、かみさんのいない年明け、
毎年の恒例という訳で、
なにか長編ものを読み進め、
そして取り敢えずは、見逃した映画を死ぬほど観まくる、
なんてことを画策していた訳ではありますが・・

そう言えば、去年の年明けは、
村上春樹の騎士団長殺しを読んでいた、
そんな記憶があって、
しかしながら、悲しいことに、
今年はこの騎士団長に値するほどまでに、
年明けを丸潰しにしてまでものめり込めるような、
そんな長編はついぞ見つからなかった。

でさ、そう、映画も、そして、小説も、
なんでこれほどまでにつまらなくなってしまったのだろう、と、
ちょっと空恐ろしいものまで感じていた訳で。

そんな中、ふと、そう言えばと思い出した、
嘗てお送り頂いた秘密の暗号。

終末さん、カルテット、御覧になられましたか?
たぶん、お好きだと思いますよ。
満島ひかりさんも出てらっしゃるし。うふふ。では。

みつしま、ひかり?

そう、確かに、みつしまひかり、大好きだ、大々好きだ。

うちのかみさんと、似ている、
ものと言えばそのおつぱいぐらいでしかないのだが、
そう、なんかこの満島ひかりをみていると、
まるで隣りに妻に寄り添われているような、
そんな錯覚さえ覚えたりもする、そんな不思議な女優さん。

そっか、満島ひかり、か、
で、カルテット?なんだそれ?
あの満島ひかりともあろうものが、
そんなまたクソのようなトレンディー・ドラマなんちゃらに、
出ていたりもするのか、ご愁傷さまなことで・・

まあ良い、この孤独の泥炭の沼の底、
今更なにを外すといっても、これだけ外した正月もあるまいに。

という訳で、この、満島ひかり、うふふ、という謎のメッセージ。

それに導かれ、誘い込まれるままに引きずり込まれた、
この、連続テレビドラマという甘い甘い洞窟。

ただ、それこそが、2018年から2019年、
この孤独の泥炭の底に沈み込んだひとりと一匹、
その漆黒の闇にさし込んだ、ひとつの天啓でありました、と。









という訳で、今更ながらながらながら、
カルテット、御覧になられましたか?
そう、 日本の方々であれば、見てますよね、
さすがに、当然のことに。

この、カルテット、言わずと知れた2017年のテレビドラマ。

まあそう、そんなことを日本の方々に申し上げるのは、
まさに、釈迦に説法、も良いところなのでしょうが、
お恥ずかしながら、存じ上げませんでした、いまのいままで。

で、いやはや、遅ればせながらばせながらばせながら、
この漆黒のひとりと一匹ぼっちの年末年始において、
カルテット、思い切り、心の底から、完全に、持っていかれました、はい。

改めて、その脚本の練り上げ方から、セリフの機微から、
その伏線の見事さから、そのキャラクター設定から。
そしてなにより、この主役となる四人、
その役者さんたちの、惚れ惚れするほどまで魂の籠もったその演技。
これはもう、憑依、というぐらいにまで、
熱が入るというよりは、まさに本人、
登場人物、そのもの、まったく、そのもの。

実のところクリスマスを挟んで、
洋画邦画合わせて40本近くの映画を、
次から次へと斜め眺めしながら、
どれもこれも、つまるつまらない、どころか、
最後までさえ辿り着けず。

唯一心に残ったのが、ナヴィの恋、ぐらいなもので、







で、あれば、似たような名前の ノヴィ、なんてのも観てみようか、
と、下手な気を起こしたのが大間違い。
こ、こ、こばさん、そんなところでいつたいなにを!







という訳で、
国旗はためく下に集まれ、融通の聞かぬ自由に乾杯とばかりに、
狂った嬌声ばかりが響き渡るこのご時世、
おいおいおい、人類、いったいどうしちまったってんだよ、と、
あるいは、もうこの世界にはもう、
俺と気の合うやつなんて、ひとりも居なくなっちまった、
そういうことなのか・・

そんな究極的なまでの離人感に苛まれながら、
心底、燦々たる鬱々たるところで凹みこんでいた、わけなのですが・・

という訳で、
みつしまひかり、つまりは沖縄、つまりは、野火、ならぬナヴィの恋、
とそんな妙な糸に手繰り寄せられるように、
たどり着いたのが、
このカルテット、という、連続テレビ・ドラマ。




改めて、このカルテット、
俺的に言わせるところの、禁じ手、となるところの、テレビドラマ。

これまでの人生において、
親の敵のように、忌み嫌い、避けて避けて避け続けてきた
この、トレディ・ドラマ、という奴。

あのバブルの時代からこの方、
街中がそのトレンディなドラマの話題に沸き立っている時でさえ、
少なくとも俺、あるいは俺の廻りの奴らで、
そんなもの見ているやつは、ひとりも、いなかった。

だって、嘘臭えんだもん。
だって、夢のない奴ばかりなんだもの。
だって、その設定、つまりは箱、
お家柄から経済力からその見た目から、
観ているものが、目指しているものが、拘っているものが、
なにもかもが違いすぎるんだもん。
結果、その登場人物、心理投影できる奴なんて、
ひとりもいない、いるわけもない。

だって、俺たち、ミュージシャンなんだぜ。
俺たちはそんな、
取って付けたようなまやかしのトレンディ、
田舎のお坊ちゃまお嬢ちゃまの色恋沙汰のピーチクパーチク、
なんてより、
生命を賭けて誓ったこの音楽との絆。
それに一生を捧げているってのにさ。

あんたらが、そんな、
ちゃちな絵空事にみーちゃんはーちゃんやっている間に、
俺達は、ゴミを食らいながら、
あるいは、人を騙してでも、脅してでも盗んででも、
下手をすれば、そんな女を叩き売ってでも、
音楽を続けてきた、
あるいは、音楽のためであれば、なにをしたって構わない、
そこまでやり続けた、音楽極道、上等だぜ、と。
そんな俺達にとって、
トレンディだ?ドラマだ?ふざけるのもいい加減にしろ、と。

こつら、この亡霊のようなヘタレバブル亡者たち。
勘弁してくれ、俺たちにかまわないでくれ。
俺は、あんたらとは違う。
価値観から美学から信念から、
生き様から、そのなにもかもが違うんだよ。

ただ、知っていたさ。
世界の中心にはテレビがあった。
つまりは、世の輝きは、焦点は、才能は、そして資本は、
つまりは、このテレビ、
その作ったドラマの幻影の中に集約され集中され、

そんなトレンディなドラマな世界とは、
既に取り返しがつかないほどにまでにすれ違ってしまった俺達。
自主映画やら、演劇やら、舞踏やら、純文学やら、アヴァンギャルドやら、
あるいは、ロック、なんてものは、
つまりは、世のゴミのような、出がらしのような、
つまりは煙突から漏れた煙のような奴らの専売特許。
そのぐらいのものでしかなかったのだろう。

水が低い所に流れるように、
あるいは、羽虫が光の中に自らの身を投じるように、
人は、安易な幻影に騙されて行く。
その幻影が資本を潤し、
その資本の元に甘い蜜を求めてより優れた才能が集まる。
幻影が幻影を産み、幻影以外なにものもなくなってしまった夢の国、
ポピュリズムの王国。

だがしかし、現実としては、
このテレビ、そして、ドラマ、という世界。
その激烈なまでの下剋上の中において、
鍛えに鍛え上げられたこのドラマ界の先鋭たち、
ぶっちゃけ、このテレビドラマこそが、
少なくとも一時代の日本、
その夢の、創造性の、美学の、その集大成だったのだろう。

という訳で、そんな日本テレビ界の底力、
その土台を支えてきたオールスター・キャスト、
その集大成であるところの、このカルテット。

放映年度から言えば2017年、
既に、テレビという媒体そのものが求心力を失い、
無様な倒壊の中にあったそんな時、
それはまさに、そんなドラマへのレクイエムとして、
最後の最後の、平成という時代の花道、
そんな思い入れのすべてを注ぎ込んで、
この作品が作られたのか、とさえも思う。

という訳で、カルテット、

いやあ、面白かった。
まじでぶっ飛んだ。

この遅れてきた純文学ヲタが思わず舌を巻く、
どころか、思わず頭が真っ白になっては大笑いしてしまうような、
名言に次ぐ名言のオンパレード。

「人生には三つ坂がある。上り坂、下り坂、と、ま・さ・か..」

「質問を質問で返すときは、正解らしいですよ」

「なんで男って他人の言うことは信じるのに、妻の言うことは信じないのかなぁ!」

「終電は、男女が一線を越える言い訳のためにあるんだよ」


はははは、そう、そのとおり!
そのあまりにも出来すぎなほどにさり気なくも的を得たトリビア感から、

そして、特筆すべきは、
このカルテットの主人公たち、
つまりは、売れない音楽家、その残骸たち。
そのコアにある、絆であるところの、音楽、
如いては夢、ぶっちゃけ、生き方、であり、
つまりは、音楽に生きる者たちの、その処世術。

「志のある三流は、四流だからね」

「二十代の夢は男を輝かせるけど、三十代の夢はくすませるだけ」

「悲劇よりも悲しいものは、ぬか喜び、です」


そしてこのドラマ、なにより、冒頭一話目から、
こんなすさまじい言葉によって幕を明けるのである。

 「私たち、アリとキリギリス、の、キリギリスじゃないですか。
 音楽で食べていきたいって言うけど、もう答えは出てると思うんですよね。
 私たち 好きなことで生きていける人には、なれなかったんです。

 音楽を仕事にできなかった人は決めなきゃいけないと思うんです。
 趣味にするのか、それとも、まだ夢にすがるのか。

 趣味にできたアリは幸せだけど、
 夢にしちゃったキリギリスは、泥沼、です。

 ベンジャミンさんは、夢の沼に沈んだキリギリスだったから、
 嘘つくしか、なかったんですよ・・・」


おい!
おい、おい!
おい、おい、おい!
おい、おい、おい、おい!

ぶっ飛んだ、というか、ぶっ飛ばされたというか、ぶっ潰された、というか、
なんだよこの、あまりにも凄まじい、真実の声。

そして、その夢の沼をこれでもかと足掻き続ける四人に寄せられる、
あまりにも強烈な言葉、赤裸々な魂の叫び、その怨念の声。
つまりは、自分が煙であることにいち早く気づいては、
夢を諦めた、敗れ去った者たちからの、それはまさに、呪いのメッセージ:呪詛。

 あなたたちは、本流の煙突から漏れた煙のような人々のくせをして、
 なぜまだしゃあしゃあと、音楽などにしがみついていられるのか。

 三流の、凡庸な、くずのような才能しか持っていないくせに。
 そんなあなたたちの演奏を聞いていると、正直、耳が腐る。

 見苦しいから、頼むから、もうやめて欲しい。

 そして教えて欲しい。
 そんな屑のようなあなた達が、
 なぜ、まだ、音楽を続けているのか、その理由を。



そんな辛辣な、辛辣過ぎる、心情吐露をこれでもか、と喰らい続けながら、

音楽を趣味にするタイミングが、向こうから来たんです、


そう割り切って、歩み始めようとしていたオトナの階段。

その葛藤の中で、四人がついに至った回答。

嘘だって、ハッタリだって、晒し者だって、
音楽ができれば、それでいいじゃないですか。

 届く人には、届くんじゃないですか?
 その中の、誰かに、届けばいいんじゃないですか?
 ひとりでも、ふたりでも。


ああ、そして思わず叫んでしまったラストシーン。

届け、届け、届け、音楽!

で、改めて、そんな煙に過ぎないキリギリスたちが、
見苦しくも、足掻き続けて、恥を晒し続けるその理由。

なにがあっても、どんな目にあっても、音楽を、続けたかった。

その音楽への、無上の愛。

これ、たまらなかった、こうして書いているいまでも、思わず涙が滲む。

これさ、ぶっちゃけ、あしたのジョーだろ、と。
そう、これ、燃え尽きることのできなかった、
綺麗サッパリと死にきれなかった、あしたのジョー、
その平成バージョン、なんだよな。

つまりは冒頭に登場した、イッセー尾形、

あれ、ベンジャミンさん、あしたのジョーの帽子かぶってる。

あのセリフに、つながる訳だろう、と。

そう、この人達、カルテット=四重奏。

その四人の絆こそが、戦い続ける、糧であり、勇気であり、理由であった、と。

という訳で、こんなドラマ嫌いの俺が言うのもなんですが、
カルテット、素晴らしい作品でした。

思わず、この漆黒の年明けの中で、
声を殺す、必要もなく、さめざめと泣いて泣いて泣き続けては、
隣から犬にその涙を、舐めて舐めて、舐め尽くされて。

いやあ、驚きました。感服しました、堪能いたしました、今更ですが。

という訳で、もしももしも、御覧になられてない方々がいらっしゃれば、
あるいは、クラッシックに興味があってもなくても、
芸大を音大を、卒業していてもいなくても、

ひとたび、なにかに夢を持った、
その記憶のおありになる方々であれば、
このカルテット、
そこに込められたメッセージ、
必ず必ず必ず、届く、と思います。

これ、改めて、
ジャンルを問わず、フィールドを問わず、
嘗て、青春という時代を過ごした方々にとっては、
まさに、必見ですね。
ってか、見てなかったのって、俺だけか、と・笑

改めて、うふふ、とお送り頂いた、メッセージ。
下唇を噛み締めながら、流れつづける鼻を啜りながら、
ありがとうございます、と、ここにひれ伏させて頂きます。









という訳で、最後の最後に、また例によって我が愚妻とのテキマ通信。

なにやってるの?ちゃんと食べてる?

ああ、俺、いま、カルテット、見てるんだよ。

カルテット?ああ、そうなんだ。

ねえ、おまえ、カルテットみた?

え?見たよ、もちろん。

なんで俺に教えてくれなかったの?

え?あなた見てなかったっけ? おかしいなあ。
でもさ、カルテットも見ていないあなたが、
だったらなんで、そこまでベビーメタルに、のめり込んでるわけ?
わたしはてっきり、カルテットを観て、
それで、音楽熱が復活しちゃった、
あなたのベビーメタル狂いは、
その結果なのかと、思ってたんだけど。

だそう、なのでありまんす。





と言う訳で、カルテット、

まだまだ隠されてはつながっていない糸がたくさんたくさんありそうな気がする。
このカルテット、
トレンディー・ドラマの最後っ屁、ならぬ、花道、
マルケスや、村上春樹や、あしたのジョーに匹敵する程に、
熟読に、二度観三度観に、値する長編文学、ならぬ、連続ドラマではあるまいか、と。

この休みが終わる前に、かみさんが帰るその前に、
もう一度、最初から最後まで、観直してみようと思っている。
また泣くだろうか、泣くだろうなあ、
下手すれば、最初に観たときよりもっともっと、泣いてしまうかもしれないなあ。
思い切り泣かせて貰おう。
そして、2019年、どう生きるべきか、
見えてくるかもしれない、そんな気がしています。

おかげさまで、この漆黒ぼっちの年明け、
妙に清々しくもすっきりとした心持ちで、
新しい歳を迎えられた気がします。

改めまして、あけましておめでとうございます。
本年もなにとぞよろしくお願いいたします。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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