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さらば友よ ~ イルカに乗った少年

Posted by 高見鈴虫 on 11.2019 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments

いやあ、失敬失敬、と、
今更詫びを入れる気などは更々ないのだが、
まあね、そう、バイアスなしで晒される本音ってのは、
傍で見ていても、あまり気分の良いものじゃない、
ってのは確かにある。

で、まあ、はい、その通り、
お気遣いありがとうございます。
いやあ、さすが、図星、でございます。
おっしゃる通り、
実は、この年末年始、ちょっとしたことがあって、
で、まあ、そのちょっとした気詰まりが、
妙なところで妙な形の暴言へと向かってしまった、と。
そんな事情が無きにしも非ず。

でまあ、今更ながらではありますが、
言い訳半分に、
その、年末年始のちょっとしたことを、
ちょちょっと綴らせて頂ければ、と。

実はこのクリスマス、
世界各国に散らばった盟友たち、
その古き良き、日本贔屓の賢者たちから、
ちょっと辛辣なるメッセージの数々を受け取っていた。

DISSAPOINTED:ディサポインテッド、
つまりは、見損なった、とある。
EMBARRASSING:恥ずかしい、
SUCK:くそ、INSANE:きちがい、
あるいは、MESSED:無茶苦茶、
とまあ、その表現は様々、なれど、

ただそこに綴られたメッセージ、
その深い悲嘆と、そして憤怒、
いったいこいつらは、なににこれほど激高しているのか?

日本という国、
その歴史と伝統、文化とそして人々を、
長きに渡ってこよなく愛して来たが、
今度という今度は、ちょっとあまりにも理解に苦しむ。
日本は自ずから、世界の嫌われ者、
或いは、孤立化の道を、辿り始めたとしか思えない。
これまで第二の故郷と愛し続けてきた日本が、
いつの間にか私の知る日本ではなくなってしまったようだ。
とても寂しい、そして、悲しい。
がしかし、それが日本と、そして日本の国民が、
選択した道であるのならば、致し方ない。

心ならずも、これから私たちは、
我が愛しき日本と戦うことにもなりうる。
その不幸な運命を呪わざるには居られない。

さらば友よ・・・

なんだよこれ、
別れの手紙、というよりは、
下手をすれば、宣戦布告、じゃねえか、と。

いったいなにがあったのか?

だがしかし、このメッセージを見る限り、
どうにもこうにも2018年、
どうも、我が日本は、
そんな世界各国の親日派の知識人たちを、
心底失望させ、傷つけ、その好意を善意を、
思い切り踏みにじっては唾棄するような、
そんな大失態をしでかした、
どうもそのようなのである。








自他ともに認める筋金入りのドッグ・ラバーである俺は、
嘗ての駄文において、こんな暴言を吐いた、そんな記憶がある。

犬を食うやつなど、人間とは思えない。
それは良い悪いやら、法律がどうこうやら、
そういう次元の問題ではない。

ただ俺は、犬を食うような奴は嫌いだ。大嫌いだ。
それに理由など、理屈など、必要はない。

犬を食う人間など、人間と認める気にはなれない。
生理的に受け付けないのだ。

そんな人間がいることを信じることができない。許すことができない。

犬を食うような奴はすべて死んでしまえば良いと思う。
できることなら、ミンチにして豚の餌にでもしてやりたい。
もしそれができないのであれば、
頼むからこの地球上から消えてなくなって欲しい。
或いは、頼むから俺の視界から消えて欲しい。
そんな人間が目の前に現れても、
存在しないものとして扱うまで、と思っている。

俺のこの激高など、犬を愛していない人間にとっては、
狂気の沙汰としか映らないのであろうが、
ただ、犬という文明諸国においてはあまりにも親しまれた、
この人類最古の最高の友。
あるいはそれは恋人であり家族であり、
つまりは俺の存在そのものを支える大きな大きな礎である。

そんな犬を食らうやつがいる?

それだけで全身に虫唾が走る。
吐き気が込み上げ、パニック状態のうちに、
その存在自体のすべてを叩き壊し焼き尽くしたくもなる。

そう、愛のかたちは、その対象はひとによってそれぞれなのである。
ただ、その愛の大切さは、対象がどうあれ、その重みに変りはない。

猫を愛する人は猫に対し、バードウォッチャーは鳥に対し、
同じような感情を持っているであろうし、
孤独なキャバクラ嬢が、ペットのハムスターが死んだときに、
生きる支えを失っては自殺を考えた、なんて話も、
それが、例えば、犬、あるいは、猫、或いは、愛児、であったとすれば、
その悲痛も想像に難くない筈である。

人にはそれぞれ愛するものがある。
その互いに持つ愛の対象を、互いに尊重し合うことこそが、
共存の第一歩、なのである。
その為に人間には、理性、あるいは、想像力、というものが、
必要不可欠なのである。

つまりは、俺は犬好きで、ハムスターにはなんの愛着もないから、
お前のハムスターがどうなろうと知ったことではない、
その独善が独尊が、そのすれ違いこそが、
世の争いごとの根源なのである。

争いの全ては、この理性の欠落、想像力の欠如から始まる。
互いの違いを違いとして尊重する姿勢こそが、
ともすれば人間性、つまりは、民度、その尺度なのだ。

と、そこまでの前提を踏まえて頂いた上で、

そう言えば、俺がイルカに命を救われたことがあるって、話はしたっけか?





嘗て、スキューバ仲間のひとりから、
フロリダ・キーラーゴにある、イルカの研究施設への招待状を受け取った。

イルカの持つ超能力にも近い治癒力を
現代医学へ役立てる為の研究する施設、
とのことだったのだが、

なんだよそれ、つまりはイルカ・セラピーって奴?

正直、その誘いを受けた時、
まったくもって眉唾以外のなにものでもなかったのだが、
少年時代から愛読してきた我が敬愛するジャック・イヴ・クストー博士の著作から、
そしてなにより、映画:グランブルーのモデルであった、ジャック・マイヨールの逸話の数々。

イルカがその見た目に依らず、凄まじくも高い知能の持ち主であり、
そしてそのイルカの持つ数々の超常現象的なまでの能力、
そのおとぎ話的なまでに摩訶不思議な寓話の真意を確かめる意味でも、
そっか、イルカ・セラピーって、ただの冗談、って訳でもないらしいな、と。

そんなこんなで、キーウエストの友人を訪ねるその道すがら、
物は試しだ、ちょっくらその、イルカ研究施設ってなところに、
ちょっと立ち寄るのも悪くはない、と、そんな気がしていたのである。

という訳で、友人からの紹介状を元に訪ねた、
フロリダ州キー群島のひとつであるキーラーゴのイルカ研究施設。

挨拶がてら、だったらさっそくと通された屋内プール。

子供用の丸池のようなプールの水面に、並んで鼻先を突き出したイルカたち。
やあ、ディエゴ、サンドラ、チェルシー、さあ、新しい友だちに挨拶して。
いきなり曲芸でも見せてくれるのか、と思えばさにあらず。
その突き出した鼻先を、右に左にと傾けながら、
そのくりくりの目、右目で、そして、左目で、
俺の姿を、きょとん、とばかりに見つめているのである。
さあ、彼らに挨拶してください。
この子が、ディエゴ、そして、この子が、サンドラ、どうです?美人さんでしょ?
そしてこの子が、チェルシー。まだ子供なんだけど、すごく愛想が良いのよ。
ほらね、とそのチェルシーと呼ばれたイルカ。
するすると水際までやってくるや、係員のおねえさんの手に、
まるでじゃれ突くように口の先を擦り付けている。

あのね、みんな、とおねえさん。
よく聞いて、今日はこれからまたお客さんが来るの。
ちょっとまた例によって、人間世界で辛いことがあって、
深く傷ついている女の子なの。
あなたたちだったらお友達になってあげられる筈。
ケイティって子なんだけど、いま連れてくるわね。
宜しくお願いしますね。

と、この魚たちに向かって、まるで人間に話すように話しかけている。

そしてスタッフたちが押す車椅子に乗ったその少女。
見る限り重度のダウン症、そしてなによりその表情が、
まるで石、というよりは、ひしゃげて潰されてしまったかのように、
苦渋と恥辱と憎悪が刻み込まれた鬼のような形相。

まるで鎧のようなライフジャケットを着込み、
その少女は見るからに生きているのが忌々しくて仕方がない、
そんな陰鬱な鬼の形相のままに、
ただじっと目の前のプール、
そこから顔をつきだした三頭のイルカたちを見つめている。

いったいここでなにを始めるのか。
この重度鬱病のダウン症児童に、
まさか水の中に突き落とす荒療治、
という訳でもあるまいに、
と思っていた矢先、
車椅子の中で身を固くしていた、
その鬼瓦のような形相をしていた少女が
いきなり、車椅子から転げ落ちるように、
水の中に倒れ込んだのである。

ええ!? 思わず身を乗り出した瞬間、
プールの中から耳を劈くような絶叫、にも似た嬌声が響き渡った。

プールに落ちたダウン症の少女、
さっきまで、あの奥歯を噛みしめるかのように、
顔中をしかめてはこの世に生まれた憎しみのすべてを込めて、
世界中を呪い尽くしているようであった少女が、
プールの中、ライフジャケットに浮かんでは、
ずぶ濡れになった頭を突き出したまま、
力の限りに口を押し開いては、
断末魔の、ではなく、
それはまさに歓喜の、絶叫を響かせているのである。

そんな少女を取り囲んだイルカたち。
右目で、そして、左目で、そんな少女の姿を見つめながら、
そしてその中の一頭がするすると進み出ては、
精一杯に突き出された少女の手を、その鼻先でつんつん。

ああ、と係員のおねえさんが笑った。
やっぱりチェルシーだわ。
チェルシーを選んで良かった。

ダウン症の少女、あらん限りの喜びの絶叫を上げながら、
チェルシーの口の中に手を差し入れ、
いまにも抱きつかんばかりの大ハシャギぶりである。

いったい、なにが起こったんだ?

この子は、ケイティは、
いま、生まれて始めて、心を開いたのよ。

心を開いた?

そう、ケイティは、心を開いたの。
この世で初めて、自分を自分としてありのままに受け入れてくれる、
そんな存在に出会えたのよ。

その存在っていうのが、イルカ、なの?

それがイルカのマジックなのよ。

イルカには、悪意がないの。
イルカには、偏見がないの。
イルカには、憎しみがないの。

なぜだか判る?
イルカにはね、敵が居ないのよ。
イルカは敵意を持たずに生きることのできる、
世界で唯一の動物なの。

だから、イルカにはね、怯えがないの。恐怖心がないの。
イルカは生態系の生存競争から切り離された、
唯一の、特権的な生き物なのよ。

ほら、見てご覧なさい。

鼓膜の破れそうなほどに、歓喜の絶叫、
まるで金切り声にもにたその声が、
いつしか、水の中に顔を沈めては、
あろうことかそのライフジャケットを脱ぎ去ろうとしている。

大丈夫なのか?あのダウン症の子、泳げるの?

大丈夫よ、チェルシーが、ディエゴが、サンドラが、
ケイティを守ってくれる。

イルカはね、鏡なのよ。
あなたの心の鏡。
ケイティが心を開けば開くほど、
イルカたちはその心をそっくりそのまま受け止めてくれるよの。

ほら見てみなさい。

プールの中で踊りでも踊るようにはしゃぎ回るダウン症の少女、
その廻りを魔法のように泳ぎ回るイルカたちに囲まれて、
泣き叫ぶように、喉を切り裂くように、
少女は笑っていた、叫んでいた、はしゃぎ回っていた。

またひとり救われたわ。
ケイティはいま初めて、生きていることに、
この世に生まれてきたことに感謝ができたのよ。
生まれて始めて、世界を受け入れる、その勇気が持てたのよ。

という訳で、この体験、
いまこうして思い出しているだけでも、
まったくもって眉唾以外のなにものでもないのだが、
その奇跡は、そのマジックは、まさにあっけらかんと目の前で繰り広げられ、
そしてなにより、そのイルカの研究施設に滞在した三日間。

海に面した大きな生簀、
朝起き抜けに、歯ブラシを口に突っ込んだまま、
ふらりと立ち寄ったプールの端から、
またいつものあいつ、つまりはサントスのやつが、
待ってましたと、鼻先を突き出しては、
よお、おはよう、と覗き込んだ俺の顔に、
これでもか、と水の飛沫をぶちまけては、
早く水の中に入ってこい、と誘ってくるのである。

朝食のトーストをかじる俺を、
デッキブラシ片手に歩く俺を、
プールサイドのデッキチェアで鼻歌を唄う俺を、
イルカたちは、右に左にと鼻先を傾けては、
ねえねえねえ、なにやってるの?早く水の中においでよ、
と、これでもかと誘いをかけてくる。

そして水の中に入ったが途端、
それはまさに、子犬がじゃれつくように、
ねえねえねえ、と俺の身体にすり寄ってきては、
水底へのダイビングからジェット噴射のハイジャンプへ。
さあ、やってみて、と。

それはまさに不思議な体験だった。
そうやってイルカたちと遊べば遊ぶほど、
俺はともすれば、息継ぎを忘れてしまうほどにまで、
水に馴染み、水に溶け、水そのものが身体中に染み渡るように、
それはまさに、水と同一化してしまったかのように、
いつしか自由自在に水の中で遊び回れる、
そんな、まさしく、イルカ気分を満喫していたのである。

なあ、サントス、お前ってさ、本当に犬みたいな奴だよな、
そう言って水の中で話しかけると、
サントスはまるで、そんな俺の思いそのままに、
眼の前でくるくると身体をねじっては、
ねえねえ、これできる?やってみて、キャハハハと、
その笑い声が、水を通じて身体中に響き渡るのである。

そのうち、個々のイルカたちの見分けがつくようになり、
名前を覚え、その性格から性向までもを知るようになると、
サントスの隣から、ねえねえ、と顔をだすレイチェル。
つまりは、我が愚妻のパートナー。
ねえねえ、あの人はどこに行っちゃったの?
ねえ、私が待ってるって、そう伝えて、早くここに連れてきて。

最初は、そんなイルカたちの生体に、
おっかなびっくり、疑わしげな顔をしていた愚妻ではあったが、
いつしか、このレイチェルに導かれるままに、
いまとなっては切っても切れないほどの大親友。
ふと姿が見えないと思うと、やはり水の中にいて、
レイチェルとふたり、水の底に入ってから、
こっちが心配になるぐらいまで、
いつまでたっても水面に上がってこない、
そのあまりの大変貌。

おーい、レイチェルが呼んでるよ、早く来いってさ。
いま着替えてるから待っててって言って、
とその声を聞いたとたん、
はしゃぎまわったレイチェルがサントスと並んで、
見事な宙返りを見せては壮大な水しぶきを上げている。

そしてまたひとり、ダウン症の子どもたちが、
重度鬱病の不眠症患者が、パニック症候群の、分裂症の、
あるいは、両腕が短冊のように切り刻まれたリストカッターの少女が、
次から次へとこの研究施設を訪れては、
ひとたびイルカたちの魔法にかかった途端、
まるでまったくの別人に成り代わったかのように、
徹底的に洗い流されては、太陽に顔を向けて、
ひと目を憚らぬ大笑いを響かせ始める。

それはまさに、人間社会に渦巻く呪い、
その全てから解き放たれては洗い流された、
まさに生まれ変わった姿、そのもの、であった。



そう言えば、あの休暇の中で、妙なことがあった。
朝一番のスキューバのツアーから帰った午後、
ふとしたことで、シュノーケリングのツアーに誘われては乗り込んだパーティ・ボート。

ウエットスーツとタンクとBCとオクトパス、
その仰々しい装備の重さから解放されては、
まさにイルカ気分で泳ぎ回っていたのだが、
そんな中、ふと見ると、目の前に一頭のイルカがいる。

水の中で思わず対峙して見つめ合いながら、
あれ、お前どこから来たんだ?
と聞いてみれば、
そのあまりにも親しげな風情。
どう考えても、俺のことを知っているとしか思えない。
もしかして、おまえ、サントスの友達?

という訳で、その名も知らぬイルカ。
ためにし、と、その背びれに手をかけたその途端、
待ってましたとばかりのジェット噴射。
その水圧に、シュノーケルから水中眼鏡からを弾き飛ばされるまま、
いきなりボートから遠く離れた水平線の彼方まで連れ去られては、
そこはまさに、イルカたちの楽園。
次から次へと自己紹介をされては上へ下への大騒ぎ。
とはしゃぎまわっているうちに、
船への帰還時間は疾うに過ぎて。
ただ、こんなところからどうやってあのボートに帰るんだよ、
と途方にくれる俺を前に、またケラケラと笑いながら登場したサントスの友達。
さあ、捕まって、と言わんばかりに、そのひれに手をかけた途端のジェット噴射。
そして再び、ボートの眼の前まで、連れ帰ってくれたのである。

俺の姿が消えた、と大騒ぎだったパーティ・ボート、
いきなり、シュノーケル・ギアもないままに、
イルカに乗って登場した俺に、
船頭を含めて船の人間が呆気に取られては大ハシャギ。

いまにも救助隊を要請するか、と話していた愚妻から、
なにやってんのよ、の罵声を浴びながら、
なんか、こいつ、サントスの友達なんだって、と。

じゃな、と手を振って別れたイルカたち。
そんな俺を、まるで魔法使いを見るように見つめるツアー客たち。

ああ、イルカの研究施設のボランティアの人達だったんですね。
そうなんですよ、なんか毎日、魔法を見せられているようで・・

とそんな魔法が、すっかりと、当然のこと、
と受け止めるに連れて
魔法にかけられていたのは俺達ではなく、
この水上のこの地上、この人間の世界こそが、
呪いの魔法にかけられた悪夢なのだ、
そんなことを、確信してしまった俺達なのであった、と。



という訳で、愛のかたちは、その対象はひとによってそれぞれ。
犬を愛するものは犬を、愛猫家は猫を、バードウォッチャーは鳥を、
そしてハムスターと心中を試みるひともいるのだろうが、
人にはそれぞれ愛するものがある。
そしてその愛のかたちは、
生まれ持ってのものであると同時に、
その経験から、新しい愛の形を知る、ということも数限りなく存在する。

共存の第一歩である、互いに持つ愛の対象を、
互いに尊重し合うこと、
その為の、理性、あるいは、想像力、というものが、
実は、知識と経験に培われるもの。

世の争い事、その呪われた魔法のその理由が、
怯えと恐怖と不安によって作り出された、
悪意と、憎しみ、
そしてなにより、その偏見の拠り所となる、無知、
そう、理性の欠落、そして、想像力の欠如は、
なにより、恥すべき、無知、その賜物なのだ。

この世にはまだ、知らぬものが沢山ある、
そんな当然のことを、率先して認め、
そしてその未知なるものを愉しむ、
その謙虚な気持ちを失った時、
人は、偏見と、悪意と、憎しみ、つまりは、恐怖。
その、呪いの魔法に、やすやすと、堕ちてしまうのである。

イルカには、悪意がない。
イルカには、偏見がない。
イルカには、憎しみがない。

なぜならば、イルカにはね、敵が居ないから。
敵の居ないイルカは、怯えがない、恐怖がない。

七つの海の絶対貴族となり得たこのイルカという生物が、
その地上の覇者であるヒト科ヒト属にここまでの尊敬と愛情を注いでラブコールをしてくれる、
その栄誉を前にして、
何故に、人がここまで恐怖にさらされて生きねばならいないのか?

その不思議に改めて、首をかしげたくなるのである。




改めて俺の友人たち、その共通点はと言えば、
旅を愛し、その異文化との交流に知的好奇心を愛し、
海、という謎に満ちた世界に好奇の冒険心を燃やし、
スポーツ、そして音楽、そしてアート、そして文学、
その自分という唯一絶対のオモチャをこれでもかと遊び尽くしては、
そしてなにより、犬を猫をそしてイルカを、
この地球上のすべての生き物、
その生命を愛し尊重する、
そんな、酔狂な冒険家、ばかりである。

そして世界を回れば回るほど、
見知らぬ文化に触れれば触れるほど、
この地球上には、まだまだ知らないことが山程ある、
その未知を、心の底から愉しむ、そんな輩ばかり。
それこそが、生きることの真髄、
その機微を知る者たちを、賢者、と呼ぶのだが、
改めて俺の知る、世界津々浦々の賢者たちから届いた、
このあまりにも辛辣な絶縁状。

第二の故郷と思っていた日本には、
心底失望させられた、

その真意がどこにあるのか、

つまりは、無知。
現代の日本に蔓延する、
無知なるものが、無知のドグマ、
その偏見の檻に自らを閉じ込めたまま、
恐怖と怯えと憎悪、
その忌まわしき呪いの中で、

互いに尊重するべき筈の愛を、
そうと知った上で無碍に踏みにじる、
その愚行の轍に嵌まり込んでいることを意味する。

つまりは、犬好きが、犬を食する人間に対して、
心の底からの嫌悪を感じる、それと同じように、
猫をイジメ殺すもの、鳥に矢を放つもの、
そして、なにより、イルカを、
そして、絶滅危惧種であるクジラを、
敢えて、捕らえては扼殺を繰り返す、
その大いなる無知に対し、
理屈を越えた、生理的嫌悪、
つまりは、エンガチョ、
そんな人間を、人間として認めたくない、
犬食の野蛮人たちに対するのと、
まったく同じ次元で、
絶望的なまでの薄気味悪さを感じているに違いない。

そう、それは理屈や、法律や、良し悪しなんてことではない。
ただ、疎ましい、ただ、気味が悪い、ただただ、生理的な嫌悪。
しかしながら、そんな理由の判然としない拒絶感、
だからこそ、このすれ違いは、まったくもってタチが悪いのである。

つまりは、
愛の対象はひとによってそれぞれ違う。
その互いに違う愛の対象を、
互いに尊重し合うことこそが、
共存の第一歩。

その原則を踏みにじるものを、
人は、野蛮人、
つまりは、理性と知性と教養と想像力に欠けた、
無知なる者、と、判断せざるを得ないのである。

という訳で、
近年、罵声を響かせる今風の日本の方々にとっては、
あるいは、スキューバ・ダイビングの経験もなく、
世界をひとりで旅する勇気もなく、
異文化、或いは、未知なるもののすべてが、
恐怖の対象にしかなりえない、
そんな、オカメミジンコのような方々にとっては、

何故に、クジラごとき、イルカごときで、
世界の人々がそれほど目くじらを立てるのか、
その理由が、まったく判然としないのであろうが、

そんな今風の日本の方々が、
世界の親日家たちから、一斉に見限られた、
その理由の根本的な要因とは、

何より、その無知、その偏向、その内向、
自身が無知であることを、気づけない、認められない、
そのおぞましいほどの、無知、にあるのである。

日本人は、バブルの時代、
東京一は世界一の幻影からこのかた、
すっかりと思い上がってしまったのではないのか?

そして、日々暇に任せて嵌りこむ
スクロールのナメクジ画面、
その呪いにすっかりと全身をねとねとウニョウニョにされては、
世界にはもう、知らぬものなどない、とまで、
徹底的に錯覚してしまっているのではないのか?

そんなことは、まずは七つの海を巡り、
イルカと泳いでから言って欲しいものだ。
そんなことは、まずは世界中の人々と、
死力を尽くしてワンゲームを戦ってから言って欲しいものだ。
そんなことは、まずは、
白黒黄色茶色にその中間に、
その麗しきも、匂い立つような世界の美女たち、
その魅惑に徹底的に悩殺されてから、
言って欲しいものだ。

世界にまだ、知らぬことが山程ある。
その尊敬を謙虚を忘れた時、人は無知の罠、
恐怖と偏見と憎悪の呪いの魔法にかかってしまうのである。

深夜のうさぎ小屋の押入れの中で、
青白いモニターの中に世界のすべてを知り尽くしたような、
その、愚かな思い上がりこそが、この大きな愚行、
その独善の、その独尊の、その悍ましき醜態、
そしてその先に待ち構えているであろう孤独な修羅へと続く、
呪わてた魔法、そのもの、なのである。

書を持って街へ出ろ、
モニターを消して、携帯の電源を切って、
その目で、その耳で、その鼻で、その舌で、
その肌で、そして、なにより、その第六感を呼び覚まして、
もういちど、世界を見回してみてくれ。

そしてできることなら、
一度だけでも、水平線の大海原を行く、
イルカの、クジラの姿を、その目で見てくれ。

あなたはきっと、まだ知らぬ愛、
その新たな存在に気づく筈だ。

そして貴方は、もうひとつだけ、大人になれる、その筈なのだ。



後述ながら、
嘗て訪れたイルカの研究施設はいまは閉鎖されている。
人を治癒することによって、イルカにストレスがかかる、
それを、イルカに対する虐待行為である、と判断されたためだ。
そして、イルカの研究施設の人々は、
その申し立てを認め、施設の閉鎖を決断した。

それがなにを意味するか判りますか?

馬鹿な研究に終止符が打たれた?
その逆だよ、白痴野郎。

人間も、イルカも、命の重さには変わりはない、
それを、世界の人々が大いなる反省を込めて、
認識した、ということなんだよ。

一分の虫にも五分の魂、
仏教思想の根本であったこの博愛思想を、
海外の人々は既に実践している。

そしてその大本であった筈の我が日本が、
その道を、すっかりと踏み外してしまった、

親日家たちの悲しみ、その根源はそこにあるのだ。

そして、最後に、また蛇足ともなるが、

嘗て、カリブの島々でスキューバ・ダイビングをして巡っていた頃、
オーストラリア出身のプロフェッショナルダイバー、
世界の海の殆どを潜り尽くした、
海洋写真家たちと旅を共にしたことがある。

で?どこが一番凄かった?
グレートバリアリーフ?紅海?アルーバ?ケイマン?ガラパゴス?
でもここコズメルも凄いだろ?

そんな俺の前に、彼らは改めて、不思議そうに聞き返したものだ。

おまえ、日本人、だったよな?

ああ、そうだけど。

であれば、と、海洋写真家たちは言葉を揃えた。

であれば、なぜ、沖縄、の名前が出てこない?

オキナワ?

そうさ、オキナワさ。

世界中の海という海を潜り尽くして、
世界で最も美しい場所、
決まっているだろ、それは、オキナワだ。

筋金入りのプロフェッショナル・ダイバーたちが、
声を揃えて、そう言ったのである。

オキナワ、あの場所は、特殊なんだ。
まさに、神々の宿る場所だ。
オキナワこそは、地球の育んだ随一の芸術品だ。

そんな日本からやってきたお前に、
コズメルなんてところで、顔を合わせるなんて、
ちょっと、不思議な、気がするんだがな。

日本人、日本を見直せ。

世界中を歩いた俺がそういうのだから間違いはない。

オキナワこそは、ジャパンこそは、
世界で最も美しい、
地球の産んだ奇跡、その究極の箱庭なんだ。

オキナワこそは、日本こそは、人類の宝だ。地球の宝石だ。

それを知らないのは、この地球上でも、日本人、お前らだけ、なんだぜ。


改めて、ホワイトハウスへの辺野古基地建設反対の嘆願書、
及ばぬながら遅ればせながら、
ありがたく、署名させて頂きました。

日本人としてだけではなく、世界市民として、
人間として、人類の責任として、
無知な愚者による暴挙は止めなくてはいけない、
その責任がある、と考えた末です。

日本の方々、
日本の素晴らしさを知らないのは、日本人だけ、なんですよ。

その無知を、いい加減に、無知と認めて、
その五感で、その六感で、改めて、
あなたの廻りの、その神々の悲痛な声を、感じてください。

地球創造から何億年をもって育んだ財産を、
一瞬のうちに破壊し尽くしてまうその愚行、
馬鹿者共、思い上がるのもいい加減しろ、

その声を、きっと、耳にする筈です。

愚かなる日本人、
もしも本当に、日本という国を愛しているのなら、
その、無知なる愚者たちの暴挙を止めるのは、
今、いまが最後のチャンスです。

日本人、いい加減、目を覚ましてください、
世界中から、その声を聞いています。
その無知なる狂騒の高笑いが、
その笑えない冗談の嫌がらせが、
これまで影に日向に日本を外から支えてきた、
そんな筋金入りの長年の日本シンパたちを、
どれだけ、傷つけ、悲しませ、落胆させて来たか、
そのあまりのダメージの大きさを、
改めて、思い知ってください。

さもなくば、俺も含めて、
この、犬喰いの未開人どもが、
てめえらなんぞは、人間として認めない、
いないも同然だ、
あるいは、日本人などいらない、
欲しいのは日本の、その自然と歴史文化だけだ、
世界中から、そんな対応に、晒される筈ですよ^_^

という訳で、

いろいろなご意見を頂きましたが、
上等です。

ただ、俺は、自身が無知であることを、無知として認めない人間とは、
つまり世界に向けて広い視野を以て学び続けようとしない人々とは、
なにを判りあえるとも思えない、
ここ数年、もうそんな絶望的な気持ちになっています。

改めて、あなたが勝手に盗み読みしているこの糞ブログは、
俺個人が個人として勝手に戯言を綴っている、
ただの個人的な愚痴の糞溜めです。

つまりは、このブログによって小銭を稼ごうともしていない、
つまりは、そんなアフォな愚者たちから、
いくらアクセスを稼いでも、
俺にとっては糞の意味にもならないですよ。

つまり、文句あるなら読むんじゃねえ、と。

少なくとも、アフガンに、シリアに、ベネズエラに、エルサルバドルに、
一人で行って帰ってこれる、それぐらいの経験を積まない限り、
俺とサシで話ができるとは、思わないで頂きたいのです。

或いは、そこまで気狂いな酔狂者でなくとも、
少なくとも、
意見の違う人々を、
自分とは違った生き方を選び、
そこで違うヴィジョンを培った人々の声を、
それはそれとしてしっかりと尊重する、
そのコミュニケーションの基本の基本のルールが判らない以上、
俺はあなた達を、いっぱしの人間:大人とは、認めません。

つまりは、じゃりの戯言には聞く耳は持たねえってことだよ、このチンカス野郎、と。
私は私の日本を守るために、私なりの方法で戦います。
そしてもしも、私以外の日本人がすべて私の知らない日本人もどきとなってしまっても、
私は世界で唯一の本当の日本人として、日本人を貫き通す、そのつもりです。
そう、これまでと、同じように。

言いたいことはそれだけです。

お後がよろしいようですね。

おやすみなさい。
そして、さようなら。

あんたらがちょっとでもおとなになって、
またお会いできる日を、楽しみにしています。
俺はたぶん、ここに居ます。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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