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愚か者の涙 〜 萩原健一 日本で一番カッコ良かった男に捧ぐ

Posted by 高見鈴虫 on 30.2019 音楽ねた   0 comments

怒涛の一週間も終わりの見え始めた木曜日の昼近く、
珍しくも仕事時間中に我が愚妻から妙なメッセージが届いた。

ショーケン68

なんだこれ・・

最初に思いついたのは、もしかしてショーケンがニューヨークにやってくる?
6月8日にマディソン・スクエアで、ユーヤさんの追悼ライブでもやるつもりか!?

思わず、買って、と返しそうになった。
買って、とりあえず、買っといて。アリーナ、一番前、一番良い席!!

そっか、ショーケンついについにニューヨーク凱旋か。

いまや伝説となったあのカルカッタ公演の際、
カルカッタ中のチンピラからドラッグディーラーから、
そしてその元締めであったところのシャンティ・シャンティ、
言わずとしれたカルカッタ最大のヤクザ組織、
その構成員という構成員から、
おおお、ジャパニ:日本人、お前、ショーケン、知ってるか!?
来い来い、日本人、こっちに来い。
チャイでもどうだ、なんなら裏でチャラスでも回すか?
俺の驕りだ、なんでも言ってくれ。
街中の到るところで、諸手を挙げての大大大歓迎。

表通りから路地裏に抜けたそのスラムの奥の物陰の、
リキシャワラーからクーリーから食い詰めた乞食からの犇めく、
観光客たちの知らない都市の別の顔。
そんな物騒な一角に手をひかれて連れ込まれた一室。
山と積まれたそのイケナイ物品のその向こう、
ほら見ろ、と指さしたそのペパミントグリーンの壁に掲げられた、
KENICHI HAGIWARA&DONJUAN
あの懐かしくも麗しき、我が永遠のヒーローのその姿。

おおお、ショーケンじゃねえか!!
お前、ケンイチ・ハギワラ、知っているのか?
当たり前じゃねえか。
日本人でショーケンを知らねえ奴はいねえ。
で?この赤い粉、なんだこれ。
ああ、お参りだ。ショーケンこそは神だからな。
シヴァがカーリーが、クリシュナがラクシミーが、
ガネイシャがハヌマンが、ブラフマーが、
そんなインドの神々と並んで、
ショーケンこそはまさにカルカッタの守り神だ、と。
それでこの赤い粉かよ。
そう、ショーケンこそは我らが神。
こうやって、ほら、お供えもして、赤い粉をまいて、と。

と言う訳で、カルカッタに着いてすぐに新調したこのパンジャブ・ピジャマ、
これも元はといえば、あのショーケンのインド服、あれを真似ていたつもりもあって、
思わず、この斑に生えた無精髭を思い切りしかめては、

コンヤワーテンダーナイ!と唸った途端に、拍手喝采どころか、
そのギョロ目を恍惚と見張っては涙さえ浮かべるその無法者達。

ショーケン・・ショーケン・・ショーケン・・

思わずそんなタイガー・ジェット・シンたちに熱く熱く抱きしめられては、

ああ、ショーケン、本当の本当に、格好良かったぁ、と。

というわけで、赤い粉をまぶせられたショーケンのポスターを囲んでは、
日印チンピラ連合がチラムを回しながらのショーケン談義。

あのなあ、日本人の男には2つタイプがいる。
ショーケンの好きな奴と、嫌いな奴。
好きな奴ってのが、つまりは俺。
で、嫌いな奴ってのは、
つまりは、俺の大嫌いな奴ら。
バカでダサくて女にもてねえ、
どうしようもねえ糞オカマ野郎たち。
良いか、よく覚えておけ。
日本人に会ったらこう聞くんだ。
お前、ショーケンが好きか?
それで大抵のことは分かるってもんでよ。

俺たち日本の男どもにとっちゃな、
このショーケンこそは男の中の男。
ヤザワだ?ヨコハマギンナワだ?笑わせるぜ。
日本で一番気合の入った、男の中の男にとっちゃな、
まさにこのショーケン、ハギワラ・ケンイチこそが神の中の神!

オォ、イエイ、と思わず調子に乗ってもう一発。

おどりー疲れた、ディスコの帰り、
ミスター・ローンリー、ミスタ、ロンリームシャイン、
ロックンロールは、はっぱーみたいに、
ぐでん、ぐでん、俺とおまえはぐでんぐでん、
はまの、かおりーも、いまはなく、
すぐに去ろうこんなところコンクリート・ジャングル

カルカッタの裏通りにおいて、ショーケンはまさに、神であった。

そしてショーケンもどきを気取ったこの俺も、
それ以来、カルカッタの街中で怖いもの無し。

なんといっても、カルカッタ最大のヤクザ組織、
泣く子も黙るシャンティシャンティがケツを持ってくれているのである。

いなせなパンジャブピジャマに肩で風切って歩く度に、
街中のチンピラどもから、ショーケン!ショーケンの呼び声が響く、
そんなご機嫌な日々を送れたのも、
まさに我らが神、ショーケンの御威光があってのこと。

オゥ、イェイ! 今夜はテンダーナイト!

あの時代、世界はまさに、ショーケンと共にあった、のである。










という訳で、先日のユーヤさんの訃報も記憶に新しい間に、
ええ?まさか、あの、ショーケンが?

最近、ニュースというニュースは一切目を通さなくなってからというもの、
正直、あのユーヤさんの訃報さえも、暫く知らずに過ごしていた俺である。
妻との夕食の会話の中で、ふとそんな話を聞かされては、
ええ、なんで知らせてくれなかったんだよ、といきなりの激高をした俺。

内田裕也、好きだったの?
好きも嫌いも、ユーヤさんだろ、と。つまりは、ファミリーだろ、と。
ファミリー?
そうだよ、日本でロックやってる奴らは、
みんななんだかんだでユーヤさんの義理に預かっていた、
だから、みんな、ユーヤさん・ファミリーって言ってたんだよ。
まあ確かに、直々に盃貰ってっていう訳でもねえけどさ、
あるいはそう、早々なにからなにまで諸手を挙げて大歓迎って訳でもなかったけどさ、
でもまあ、良くも悪くも、あの当時、東京でロックをやっていた連中、
パンクであろうがメタルであろうが、
少なくとも日本でロックを気取るからには、
あの、ユーヤさんの御威光があって初めて、
それを避けては通れなかった、と。

そっか、ユーヤさん、逝っちまったのか。
こないだ、ゆーきちほさんも逝ったばっかりだってのにな。
2011年のジョーさんから立て続けに、
桑名さんから力也さんからと、
ユーヤさんもすっかり寂しくなっちまって、
そんなことも思っていたのもつかの間、
え?あの、ショーケンが?まさか・・であった。








萩原健一さん死去

見ればグーグルからヤフじゃから始まって、
朝日読売毎日から日経なんてのに至るまでも、
まさにこの、昭和の時代のある種の象徴でもあった、
稀代の大スターの突然の訃報を報じていた。

今更ながら、このショーケンと言うアイコン、
いったいどれだけの人々に、愛されて、そして疎まれて来たのだろう。

太陽にほえろのマカロニ刑事から始まって、
そしてなにより、あの傷だらけの天使、
半妻さんそりゃないっすよの前略おふくろ様から、
映画に、そしてドラマに、鬼演怪演と言われながら、
強烈なオーラを刻み込み続けたこの男。

そしてなにより、俺たちロック小僧の度肝を抜いた、
あの、DONJUAN ROCK'N'ROLL BAND

これ、これ、これ、まさに、オールマン・ブラザーズ・バンド、
あるいは、それ、以上じゃねえのか?
これが、あの、ショーケン?
あの、ワンカップ大関のショーケンって、実はこんな人だったの?と。

柳ジョージとのコラボ、あの熱狂雷舞も確かに良かった、
だがしかし、そう、あのドンジャン、あの二枚組のライブこそが、
日本ロックの金字塔であり最高峰。

これ、これ、これ、これだろ、これこそが、日本人のロック、その究極だろ、と。

という訳でショーケンであった。

昭和の男たちは、まさにこのショーケンと共にあった。
あるいは、ショーケンと共に生きていない男を、
昭和の時代は、男として認めなかった。

だがしかし、このショーケンが好きだ、という言葉こそが禁句の中の禁句。

いやあ、俺、ショーケンが大好きで、
と女の前でそんなうかつな言葉を漏ららした途端、
え?うっそお、だって、ぜんぜん、似てないじゃないの、
途端にそんな強烈な皮肉を返される、
そう、昭和とはまさにそんな時代であったのだ。

だがしかし、そう、あの、DONJUAN ROCK'N'ROLL BAND を以て、
そんな糞女どもの嘲笑にも、一矢を報いることができるようになったのである。

ああ、俺が言うショーケンってのはさ、
テレビに出てくるショーケンのことじゃねえんだよ。
つまりはあの、DONJUAN ROCK'N'ROLL BAND。
あれこそが、日本のロックの最高峰でさ。
ドンジャン?と女たちの目が怪訝に光る。
そう、ショーケンのドンジャン・ロックンロール・バンド、
最高の最高。ヤザーやらギンンワどころか、
クラプトンもオールマン・ブラザーズも目じゃねえってぐらいに、
まさに、世界の最高峰。
言わせて貰えば、ショーケンってすごいんだぜ。
ドンジャン・ロックンロール・バンドのショーケン、
まさに、日本のミック・ジャガー、そのものだぜ。

という訳で、女たちの怪訝な表情が、
いつの間にか丸みを帯びてはどこかしら潤み始め、
そうなんだ、ショーケン、まだロックなんてやってたんだ。
まだやってた、どころか、ショーケンこそはロック、世界最高だぜ。
男の子よね、と女たち。
ほんと、男の子なのよね、あんたたちってさ。

そう、ショーケンこそは男の中の男、
というよりは、男の子の中の男の子、
まさに、ちょっと気取った悪ガキたちのヒーローであり、
如いては、そんな悪ガキをそのまま大人にしてしまった、
ちょいワルおやじたちの、見本の中の見本。

キャバクラのねーちゃん連中、よぉく聞け、
カンジャニだ?アラシだ?EXILEだ、笑わせるぜ、
嘗ての日本にはな、ハギワラ・ケンイチっていう、
それはそれは、とてつもなくカッコ良い男が、
確かに、居たんだぜ、と。

或いはそう、賭けても良いが、
日本の男たち、
その中でも、ちょっと威勢の良いやんちゃ系を看板にした男の子たち、
そのすべてが、多かれ少なかれ、
この萩原健一という人の影響、あるいはその粗悪なコピーに過ぎなかったのだ、と。








という訳で、萩原健一  死去のニュース。

机でカップラーメンの昼飯を済ませながら、
次から次へと読みちぎったその日本のニュース。

そうか、ショーケン、本当に逝っちまったんだな。

そしてふと目を上げた世界。

最近になって導入されたフリーアドレス制度。
自身の部屋も机を持たず、図書館の自習机、
あるいはそう、それはまさに地下鉄に乗り合わせた人々。
この会社に務めて既に一年以上が経つというのに、
顔だけは見覚えがあるものの、
その名前を覚えているものなど誰も居ない。
見知らぬ人々の集う見知らぬ場所。
各自各々が各々の契約に基づいて、
各々の給料で各々の仕事をこなすばかりの、
そんな個人契約社達の集合体。

ショーケンの訃報によって迷い込んだ昭和というあの時代。
あれからいったい、どれだけの時間が流れたのだろう。
その白日夢から醒めた現実、
そうやって辿り着いたのがこの見知らぬ場所であったという訳か。

ショーケン、本当に逝っちまったんだな。

ふと、妙な苛立ちがこみ上げて来た。
嘗ての時代の象徴であったこの銀幕のスター、
その突然の死、という理不尽を前にして、
悲しみ、というよりは怒りが、追想というよりは苛立ちが、
みるみると巻き上がっては、そこにふと風が吹き込んだかと思うと、
例えようもない空虚が、そして、一種投げやりな程の無力感が押し寄せて来た。

ポン、とコミカルな音を立ててまたメールが上がる。
ピン、ポン、パン。
お知らせのメールが、チャットのメッセージが、会議への招聘状が、
シャボン玉を模したポップアップに乗せて次々にデスクトップに上がっては、
各自の趣味の、その決まってアニメチックなアイコンたち。
ハロー、ヘイ、SUP!? 
お忙しいですか?ちょっといいですか?お時間いただけますか?・・・
そのすべてが、まさに上の空の、別世界の話。

そうか、ショーケン、逝っちまったんだな。

そしてふと思う。
おれは、いったい、こんなところで、なにをしているのだろう。
そしてあれからどれだけの時が流れたのか。
そして俺はいったい、その間に、なにをしていたのだろうか?

そして見知らぬ人々であった。
そして窓一面に広がるミッドタウンの摩天楼の障壁であった。

この街にすでに四半世紀を暮らし、
日々これだけたくさんの人々に囲まれながら、
しかし俺は、その誰一人として名前も知らないどころか、
なあ、ショーケンが逝っちまったんだぜ、
その言葉すら、かけられる人間を、知らないと来ている。

俺は、いったい こんなところでなにをやっているのだろう。

バカヤロウが、と呟く。
てめえらこのやろう、どいつもこいつもいけ好かねえ面しやがって。

とそこで、突如として衝撃的な確信に気づく。

そうか、俺はこいつら、この見渡す限りの人々の、
その誰一人として、誰も、これっぽっちも、好きでもなんでもない。
或いは、言ってみれば、一番気に入らないタイプの奴ら、ばかりなんだな。

バカバカしい、誰も好きだ嫌いだで仕事などしちゃいない。
或いは、とも思う。
誰もこんな仕事を、好きでやっている奴などいやしないだろう。

そう、仕事なんてそんなものだ。
好きでもない奴らと、好きでもないことを、
いやいやと、しかたなく、しょうもなく、やり続ける、やらされ続けるばかり。

好きなことを好きなように、つまりは遊んでばかりいて銭が稼げるなんて、
そんな甘い世界がどこにあると言うのだ。
嫌なことを嫌々やらされるからこそ銭がもらえるのだ。
世の中はそうやって出来上がっているのじゃなかったのかよ。

そしてふと思う、だとしたら・・
だとしたら?

つまりはそう、あのオタク大魔王の言っていたこと。

お前の好きなものって、いったい、なんなんだ?
→ ベビーメタルの投資価値 ~ 人類は歴史の最後になにを残すのか

或いはそう、俺の好きな奴らって、いったい、誰のことなんだ?

好きな奴ら、とふと思う。

好きな奴ら、つまりは、無茶苦茶イナセで、無茶苦茶クールで、
これ以上なく意気がっていて、度胸一発のお調子者、
鼻柱が強くて、喧嘩っ早くて、陽気で楽しく、
運動神経が良くて、音楽のセンスが無茶苦茶良くて、

つまりは?
つまりは、つまりは、つまりは、そう、ショーケンのような奴ら。

或いは、そんなショーケンにあこがれて、そんなショーケンが好きで好きで堪らない、

つまりは、そう、あの頃の奴ら・・

そして見上げた摩天楼であった。

そして思わず呟いたこの言葉であった。

ショーケン、逝っちまったんだな。

そして俺は・・・

身体中から、生気という生気が失せていった。
何もかもが、徹底的に、バカバカしくなった。
こんな奴ら、こんな仕事、こんな暮らし、こんなこんなこんなもの、
俺は、これっぽちだって、欲しいなんて、思ったことさえなかったんだぜ。

そして改めて思う。
俺ははいったい、なにが、欲しかったんだ?
いったい、なにがやりたかったんだ?
そしてその結果が、これ、なのか?

そしてこの脱力であった。
なにもかもが、徹底的にどうでも良くなった。
そしてこの、空虚であった。
そしてこの、無力であった。
そしてこの、孤独であった。

コンクリート・ジャングル、
すぐに去ろう、こんなところ、コンクリート・ジャングル・・・

そう、あの頃だって、俺はこんな苛立ちの中に生きていた。
なにもかもが気に入らず、なにもかもが癪に障って耐えられず、
その怒りに、その苛立ちに、その焦燥に、日夜焼かれ続けていた、
そんな気がしていた筈じゃなかったのか。

ああ、もう耐えられねえ、と思わず立ち上がっては、
この椅子から机からを天井近くにまで放り投げ、
ざけんな、ばかやろう、もう俺を、放っておいてくれ。
そしてあの窓から身を躍らせては、
あばよ羊ども、
てめえらはてめえらで、勝手に達者で暮らせや、
俺は俺で、好きにやらせてもらう。

そしてひとり、無人の校庭を突っ切っては肩越に振り返ったあの陰鬱な校舎。
ばかやろうが、と、中指を一本二本、俺は俺で俺の道を行く、
そう、俺はそうやって、あの陰鬱な牢獄、
塵一つなく磨き上げられた金ピカのサナトリウムを、
バックレてきた、その筈じゃなかったのかよ。

そして旅路の果てに辿り着いたのが、
よりによってこの風景。

俺は、いったい、なにを、してきたのだ?・・・

電話が鳴った。
表示を見る。またかよ、この糞やろうが。
この、知恵遅れのサイコ小僧。
どいつもこいつも、調子こきやがって。

ふと反射的に電話に伸ばした手に、
やめとけ、と声がした。
やめておけ。
おまえ、やばいぞ。

そう、それは経験則という奴。
あの当時から、そしていまに至るまで、
俺の中には確実に魔物が棲んでいる。
それを知らないわけではない。
特にこんな春先の、ちょっと間の抜けた午後。
世界が妙にのほほんと弛緩した、そんな緩んだ空気の中で、
やあ、元気かい?と満面に笑みを称えながら、
肩でも叩く、その気楽さで、ふと気がつけばその靴の先が鳩尾にめり込んでいる。
目障りなんだよ、クソ野郎が。
よお、あんたらもご機嫌そうでなにより、
そんな挨拶も終わらぬ内に、左フックが顎の先を掠めては・・
そう、俺はこんな春一番の陽気の中で、
何度か、あるいは、何度も、ケーサツのお世話になっていたり、しなかったのか?

いやまさか、この歳になって、いくらなんでも、そんなことを・・

一度切れた電話がまた鳴り初めた。
このバカ、とことんしつけえ野郎だな、
電話を取ったその途端、るせえんだよ、大した用もねえのに、
じゃかじゃか電話してくるんじゃねえよ、このパープーが。

てめえらの論法はいつもそうだ。
わたしはあなたが嫌いですが、あなたはわたしを好きなさい。
あなたはわたしをどれだけ幸せにしてくれるのですか?
それはまるで、お前のストレス値を下げろ、と耳元で怒鳴られ続けるような日々。

よりスマートにより敏速により合理的により手際よく、
つまりはそのすべてが、てめえのてめえによるてめえのための事情。
あんたの言う最善の方法は、それはあんたにとっての最善の方法であるだけで、
それ以外の誰にとっても、ただの投げやりなお役所仕事、
公家ヅラをした小役人と、顔のひん曲がったお姫様ばかりの、
この、我が我がのミーニズムの帝国。
責任回避と事なかれ主義ですべての決断を他の誰かにうっちゃっては、
俺様劇場の中で勝手に自己完結をしてしまう、
それをこれでもかと自己喧伝を繰り返す、
その投げやりのツケがいったいどこに回ってくるのかといえば・・・

あのなあ、てめえら、いい加減にしねえか。
ってか、おめえらがおめえらでその調子でやるのなら、
こっちはこっちで、俺なりのやり方ってやつを、見せてやっても良いだがよ。

やめとけ、と声が響く。
やめとけ、今日は、今日だけは、もう良い、もうやめておけ。

そして手にとったIPHONE。
電話が切れ、そしてボイスメールの表示がポンと上がったのを見て、
すかさず機内モード。

そしてラップトップをパタンと閉めて、やめたやめた、と苦笑い。

すぐに去ろう、こんなところ、コンクリート・ジャングル・・・

そして午後いっぱいを、ランチルームの隅のテーブルにひとり、
自分用の資料作成に費やしながら、
5時を過ぎて一挙に人気の失せた大広間にひとり。
ゴミ集めのラテン系のおばちゃんたちと、オラ、コモエスタ、と挨拶を交わしながら、
ふと見ればIPHONEに、よりによってかみさんからのメッセージがひとつ。

忙しいの?
いま下に来ています。ブーも一緒です。

下?下ってどこだよ・・

タックスリターン:税金申告の書類の関係で、そこの会計事務所に寄る用事があって。
犬を連れてか?
そう、家に書類を忘れてきちゃって今日は早退してね。
で、どうせだったらブーも連れて行こうと思って。

ねえ、まだかかりそうなの?

まだ、って言っても、エンドレスだからな。

だったら、とかみさん。

だったら、今日はもうこのまま一緒に帰らない?

妙に慌てふためいては書類とラップトップをそのままバッグに放り込み、
そして転がり出た青空の下。
俺の顔を見た途端にいきなり飛びかかってきた犬。
おい、判った判った、仕事着なんだ、汚すなよ、
そう言いながら、思わず顔中を舐められては垂れた涎をネクタイで拭う。

会計事務所?でも税金申告の書類、もう随分前に出してただろ?
そうなんだけど、また書類が足りないのなんなのって。
まあ天気も良いし、ブーくんも久しぶりにお日様の下を歩けるし。

ガンだったんだって、とかみさん。
ああ、読んだよ。
告別式も、なにもやらずに、だって。
ああ、ショーケンらしいというかなんというか。
やっていたら、とんでもないことになってただろうね、
それこそ日本国民の半分以上が詰めかけたんじゃないの?
まあそうなんだけどさ。
でももう、ドンジャンのメンツもほとんど逝っちまってるだろうし、
ユーヤさんも、力也さんも、ジョーさんも、桑名さんも、
井上堯之だって、大口広司だって、
あの原宿ガンさんだって、とっくに逝っちまった後だしな。
みんな綺麗に死ねて良かったんじゃない?
死に様に綺麗も汚えもあるかよ。死んだらそれまでよ、パチン、真っ白、それで終わり。
男の最期なんて犬死が基本だからな。そう、あのマカロニみたくさ。
まあそう、ドラム缶に入れられて夢の島に捨て去られる、
そのぐらいが丁度良いのさ。
あるわよ、とかみさん。
綺麗な死に様、そうじゃない死に様って、やっぱり、あるわよ。
ショーケンがアルツハイマーにかかって、夜な夜な彷徨してる、なんて、
そんな記事、読みたくなかったし。
まあ、そう言った意味ではな。
松田優作も、内田裕也も、萩原健一も、
みんな綺麗に死ねて、良かったんじゃない?
眠るように息を引き取ったって。
そう、つまりは、延命処置はしなかったってことなのよね。
しなかった?
そうよ。決まってるじゃない。
この時代、どんな状態になろうとも、生かしておくだけであればそれは可能なのよ。
でも、それを敢えてしなかったってことかなって。私はそう思ってた。
ショーケンは延命処置でもなんでもして、生き残ろうとはしなかったんだな。
つまりそれも、ショーケンの生き様、その最期の総仕上げ、だったんじゃない?
そういう考え方も、あるのかな。

ちょっとは気が済んだ?とかみさんが言った。

またヤケになってなにかやらかすんじゃないかって、気が気じゃなかったのよ。
やらかす?
そう、ショーケンも死んじゃったし、もういいやってちゃぶ台返し。
そんなことはないが、と言いながら、思わず吹き出してしまった。
図星でしょ?
図星だな。
まさか、なんかやったの?
いや、やばいと思ってさ。今日はもう午後は仕事はしなかった。
そう、だったら良かった。
おまえ、それを読んでいたのか?
綺麗に死ねて良かったんじゃない、とかみさんが繰り返した。
ショーケンらしい最期だったって、そう言ってもらえるのがなによりの餞よ。







予想通りというかなんというか、やはり寝付けなかった。
そして夜更けを過ぎた頃になって届き始めた古き友からのメッセージ。

あの頃は、の徹底的なまでに昔話だけで終始するやつもいれば、
俺もそろそろかな、などと勝手に黄昏れているやつもいる。

ただ、その中にあったいくつかの論調。

ショーケンかあ、お前がまだ日本に居た頃と違って、
最近のショーケンは、迷惑な老害、その代名詞のようだったからな。

老害?ショーケンが?

確かに迷惑なひとであったのは昔もいまも変わらないのではあろうが、
あのショーケンを老害、とするのは、なにか根本的におかしくねえか、と。

まあ俺だって海の向こうから、それほど熱心にショーケンの動向を追っていた訳でもないのだが、

ただ、ショーケンを害とする、その姿勢にこそ、よりどす黒い害そのものが見え隠れする、
そんな穿った視点というのも、
海外生活の今浦島的倒錯、ということなのであろうか。

言っちゃなんだが、ショーケンこそは悪、つまりは、生まれながらのアウトロー、

良いの悪いのという二元論から言えば、まさに、悪、その美学を象徴するひとであった筈。

つまりはショーケンは害であってあたりまえ。
だからこそのショーケンじゃなったのか?と。

ワルだからこそかっこ良い。
悪だからこそ存在意義がある、
カタギにもヤクザにもなりきれない、
そんな中途半端なチンピラという種族、
その、あまりにも収まりの悪い、つまりは格好悪い半端者、
その格好悪さの中にこそ、
敢えて正当を真っ当を立派さを威厳を求めない姿勢にこそ、
ショーケンの美学そのものがあった。
悪だからこそ良い、半端だからこそ良い、
ショーケンはまさにその反面教師的な逆説の美学、
その象徴であったのじゃなかったのか?

本来、悪であるべくそのピカレスク的存在を、
ただたんに、害、と決めつけるその姿勢こそが、
白か黒か、右か左か、あっちかこっちか、
そのあまりにも短絡的な二元論。

そんなことを言ってしまったら、
この世にあるすべての文学、すべての音楽、すべての映画、すべて絵画、
つまりは、芸術と言われてきたものそのすべてが、意味のないものになってしまうではないか。

悪の中にこそ美しさがある。
その逆説にこそ、美学を、あるいは、価値を、しいていえば深みを感じることこそが、
侘び寂びの真髄ではなかったのか?

そして改めて見直すこの 萩原健一さん 死去 のそのニュース。
メディアというメディアを一瞬にして埋め尽くし、
そして、たった一日の後に、まるで潮が引くように消え去っていく、
この、ニュースの鉄砲水という奴。

そこにみる、あまりの画一性。
どの記事を見ても、結婚が何回、逮捕が何回、
そんなことばかりを挙げ連ねては、
少なくともその事件が、いったいなにを意味したのか、
そんなことさえも、まったく掘り下げようとする気配さえも見えない。

改めて、ショーケンの人生の転機ともなった、あの大麻事件、
その54日間の拘束が、
そのあまりに長過ぎた拘留が、
いったいなにを意味していたのか。
そしてその時、俺達は、
そんなショーケンの姿に、なにを見ていたのか。

改めて、その老害の典型とされる恐喝事件。
必然性のまるでない糞のような台本と、
演技付どころかセリフさえろくに覚えてこないじゃりタレから、
スポンサーの顔色にしか関心のないプロデューサーと、
そして、映画なんかそんなもの、としかとを決め込む監督さん。
ショーケンが、そんな人々を前にいったいなにを思っていたのか。

そんなことは、どんなバカだってすぐに察しが付くだろうに。

つまりはそう、あんたの、そして、俺の、目の前で起こっているこの風景。

草食系男子だかなんだか知らねえが、
眉毛剃ったオカマのにーちゃんが小枝のような足で内股歩き。
腐った公家笑いを振りまいては、
コンプライアンスだ、ハラスメントだ、と、
いじめられっ子の能書きばかりを並べ立てるご時世、

そんな世の中に、男の中の男、
なんていうことを口にだした途端、
この糞迷惑な老害どもの、と嘲笑を浴びせされては、
鬼の首をとったかのように、揚げ足を取られ続ける、
そんな、底意地の悪いイジメばかりの横行する新時代、

鶴田浩二じゃないが、バカと阿呆の絡み合い、どこに男の夢がある、
そう思っていない男が、この世にひとりでもいるのかよ、と。

夜明け近くになって、前回の日本帰国時にも世話になった友人から、
こんな短いメールが届いた。

ショーケン、逝っちゃいましたね。
ただ、平成のうちに死ねて、まだ良かったのかも。
立派な最期でした。合掌。

実はこの友人、いまでは一応の実業家、ということにはなっているが、
一時期は、それ系の奴らを五万と束ねる、泣く子も黙る系のその道の御仁。

ひょんなことでの貸した借りたの義理の恩義を、
いまだに固く護り続ける傍迷惑な任侠者ではあるのだが、

夜な夜なに車を出しては街中を連れ回してくれて、
おかげで出張目的のその滞在中、一睡もできずに一週間二週間。

ただ、そんな奴とのナイト・クルージングの中で交わされる本音談義。

まるで、サナトリウムだな。
確かに、人は減りましたよね。
酔っぱらいも、愚連隊も、セーガク連中のコンパも、姿かたちも見えねえな。
どこもかしこもぴっかぴかに消毒されて。これじゃあまるで病院じゃねえか。
まあ、朝まで酒飲んで騒ぐような時代じゃないっすからね。
こんなことじゃ商売もあがったりじゃねえのか?
まあエロ系は死んでますけどね、その代わりに、
実は、ホストクラブって手があって。
ホストクラブ?
そう、ホストクラブが無茶苦茶儲かっていて。
ホストって、あの、ホスト?女向けのキャバクラだろ?
まあそんなもんすけどね。それが偉い大盛況なんすよ、どこに行っても。
客は女か?
そうです。それも水系のね。
水で稼いだ女がホストに骨までしゃぶられて。
時代は変わってもやってることはおんなじだよな。
ホストのガキどもにはね、ショーケン、って言ってるんスよ。
ショーケン?
そう、ショーケンを学べって。
日本人の男の美学はショーケンにあり、と。それを忘れるなって。
ガキどもはなんて言ってんだよ。
まあ俺の前では、調子合わせて笑ってますけどね。
ショーケンかあ。男の美学ねえ。

なあ、と思わず聞いてみた。

こんな日本で、ショーケンはいったい、どうやって生きてるんだろな?

それには答えず、おい、そこに停めろ、と一言。

ちょっと歩きませんか?
覚えてます?花園神社。昔あそこでよく葉っぱ吸ってましたよね。
おまえ、よく覚えてるな、そんな昔のこと。
いまでも、と奴は言った。
いまでも、たまに来るんですよ、一人で。
あの頃を思いだしてね。









改めて、ショーケンを、老害として扱った日本のメディア。

いや、と改めて言いたい。

悪いのはメディアではない。
あるいは、もうすでにメディアなんてものに、
ものの善悪を計れるほどの知力など残っていないだろう。

メディアにおけるものの善悪を決めるのは、
すべて、スポンサー様のご意向。

つまりは、そう、某抗国代理店様の、ご機嫌次第なんじゃねえのか?

ショーケンが老害だ?

つまりは、抗国代理店の思い通りにならない奴はすべてが害。
ぶっちゃけ、ゼニカネの事情、それだけだろ、と。

学生のアルバイトの悪ふざけをバイトテロだなんだとちーちーぱっぱ騒ぎたてはいるが、
そんなものを気にしている奴など世の中にそれほどいるとは思えない。

それを言ったら、と今更ながらの老害的バカ自慢にはなるが、
そんなことを言ったら、あの時代、テロどころか、犯罪そのもの、
そのぐらいのことは陰で日向で、いくらでも行われていた筈だ。
そもそも時給なんぼでこき使われる学生のアルバイトが、
会社の利益と将来性と企業イメージ促進のなんてことを、
これっぽっちも思っていないことぐらい、誰だって判っているだろうが。

俺たちはもっともっとひどいことをやっていた。
そして、そんなバイトたちの悪ふざけを、
テロだなんだと騒ぎ立てる、そんなメディア連中だって、
嘗ての蛮行、身に覚えのひとつやふたつ、誰にだってある筈だ。

つまりはそう、右に習えの小役人仕事。
なにがどうあろうが知ったことじゃねえ、とうっちゃっては、
よりスマートにより敏速により合理的により手際よく、
てめえのてめえによるてめえの事情だけのベスト・プラクティス。

そのすべてがすべて、究極の目的としては、抗告代理店様のご意向のご機嫌の。

そんな茶番のすべてが、笑顔のファシズム、そのもの、
ただそれだけの話しじゃねえか、と。

そして改めて思う。
あのショーケンは、そんな時代を、
いったい、どうやって、
いったい、なにを考えて、
生きてきたのだろう・・









そして夜明け前まで、聴きに聴き続けた、
日本ロックの最高峰: DONJUAN ROCK'N'ROLL BAND

その演奏の素晴らしさもさることながら、
改めて、この歌手、萩原健一の、その歌の下手さ、そのあまりの無茶苦茶さ、
それと同時に、なによりその歌詞が、その言葉が、
胸に沁みる。沁みて沁みて沁み渡り続ける。

テンダーナイト、
ムーン・シャイン
泣くだけ泣いたら
ララバイ、砂時計、今夜きりさ。
そして、ぐでんぐでんから、ラストダンスから、
コンクリート・ジャングル、
そして、なにより、ローリング・オン・ザ・ロード。

ロックというよりは浪曲、音楽というよりは京劇に近い、
そんなあまりにも型破りな素っ頓狂な嬌声が罵声が、
だがしかし、熱狂雷舞における、あの一種すかしきった歌い方、
その何倍ものパワーと説得力を以て、
詩が詞になり、それが歌になり、
それがいつしか、叫びになり、 咆哮になり、嗚咽になり、怒声になり、

歌という手段を以て、人になにかを伝える、それを訴え、それを共有し、
そして、その沸点として、究極の癒やしとして昇華する、

ショーケンが求め続けたのは、
つまりはその歌、というもののパワーの本質、そのものであったのだ。

それは、歌でも、歌謡曲でも、あるいは、ロックでさえもないかも知れない。

ただ、それは、ひたすらに、頑なに、悲痛なほどに、ショーケンそのもの、であった。










という訳で、最後の最後に、蛇足ながらの最後っ屁の上塗りである。

言わせて貰えば巷に溢れかえるこのショーケン追悼のその記事が、
すべてがすべて似たような駄文の山、
そしてそのすべてが、ショーケンのことを、なにひとつとして判っちゃいねえ。

ショーケン、
マカロニ刑事、であり、傷だらけの天使であり、
半妻さんそりゃないっすよ、であり、

そして、テンプターズから、PYGから柳ジョージ、そして、DONJUAN、
稀代の銀幕のスターであり、そして、筋金入りのロッカーとして在り続けたこの男。
役者と歌手、その二足わらじの輝かしきキャリアが、
実は、同じ目的、同じ美学の上になりたっていた、
ショーケンはそれを、ただたんに、演技と、歌、
その異なる手段で、表現しようと試みていた、ただそれだけなのだ。

そしてその根源的なルーツ、
それこそが、結婚何回、逮捕何回、
日本芸能界史上類を見ないその無法ぶり、
その波乱に満ちた無軌道な人生、
普通人にとっては、一種、謎でもあろう、その破天荒ぶりの、
その理由となるもの。

ばかやろう、なんで誰もそれを言わねえんだ、
なんで、だれも、それを、言ってやらねえんだよ。

ストーンズだよ、

ショーケンこそは、ストーンズ、
あの、ミック・ジャガーを、あのキース・リチャーズを、
あの、ジャンピング・ジャック・フラッシュとブラウン・シュガーと、
セックス・ドラッグスとロックンロール、
その、不良の美学のすべてを体現した、
あのローリング・ストーンズ。

ショーケンは、あのストーンズに、なろうとした、
そして日本人として、最も、ストーンズの美学に近づくことのできた、
まさに人生のすべてを賭けて、日本のストーンズであろうとした、
そう、ショーケンこそは、ストーンズの賜物だったんだよ。

ストーンズの判らねえ奴に、ショーケンは判らない。
ただ、ストーンズが好きな奴であれば、
ショーケンという、あの一種謎に満ちた無軌道ぶりの、
その理由のすべてが、身につまされるように、理解できる筈だ。

そしてすべての仕事の終えた金曜日の午後三時。

逝っちまったショーケンに、
そして、ユーヤさんに、そして、力也さんに、桑名さんに、ジョーさんに、
その祈りのすべてを込めて、ローリング・ストーンズ、
この珠玉の不良魂、この悪の美学のその真髄、

ベガーズ・バンケット、レット・イット・ブリード、
スティッキー・フィンガーズからメインストリートのならず者、
山羊の頭のスープから、イッツ・オンリー・ロックンロール、
そしてなにより、ブラック・アンド・ブルー。

ショーケン自身が、一番好きな曲である、と言っていた、
FOOL TO CRY 愚か者の涙。

浮気女に深入りしては家族を失いつつある男が、
夜更けに帰っては覗き込んだ子供の寝顔を見つめながら、
俺はバカだ、大馬鹿者だ、と繰り返すこの痛恨の涙。

その歌詞が、歌詞が、歌詞が、身にしみる。
まるで、乾いたスポンジに水が染み込むように、
詩が、詞が、その言葉そのものが、身体中に染み込んでくる。

そう、その魔力とも言えるミック・ジャガーの声、
そしてなにより、そんなミック・ジャガーを、
茶化すように、支えるように、焚きつけるように、
歌いに歌いまくる、キース・リチャーズのギター。

ローリング・ストーンズ、
このクソバンドの為に、
いったい、どれだけの人々が、
その人生を狂わされて来たのか。

そして我らがショーケンであった。
少なくともそのスター性と、
そしてなにより、この歌詞の説得力、

そう、ショーケンこそは、ストーンズだったのである。
ショーケンこそが、日本人で最も、ストーンズを体現する男だったのである。

そして改めて、ショーケンはショーケンとして、
そして日本一のストーンズ男として、
最後の最後まで、その美学を貫き通したのである。

ただ、と改めて思う。
ただ、もしもできることならば、
ショーケン、そして、ユーヤさん、
叶うことであれば、ミック・ジャガーの、そして、キース・リチャーズの、
あの世界最高の不良の中の不良達、
その最期を、あなたたちに、看取らせてあげたかった。

生き急いだ愚か者たち。
日本で一番格好良かった男たちへ。
ローリング・ストーンズ、
その珠玉のバラード曲とともに、
ロックンロール・フォーエバー、その一言を贈らせていただきます。








という訳で、柄にもなく湿っぽい話になりましたが、
最近の定番的恒例として、最期はやはり、
ベビーメタルで締めくくりたい。

いや実は、ストーンズを聴いたのは、
まったくもって数年ぶり。

嘗ては、耳タコ、どころか、まさに空気のように聴き続けていたストーンズ。

世界中から音楽のすべてがなくなったって構わない。

俺はこの、メインストリートのならず者と、
そして、ブラウン・シュガーさえあれば、
どんな無人島に流されたってご機嫌に過ごせると思うぜ。

そう嘯いていたこの俺が。

そう、それはまさに、ベビーメタル。
嘗ての駄文そのものに、
→ アンチ・ベビメタに送る RIP ~ ロックよ安らかに眠れ  副題:キース・リチャーズがBABYMETALを見たら

あれ以来、そして今もなお、
ベビーメタル以外の音楽は徹底的に受け付けなくなってしまっているのではあるが、

改めて、このショーケン追悼の宵、
DONJUANにおけるショーケンの熱唱と、
そして、この先祖返りたるローリング・ストーンズ、
その歌詞の、説得力の凄まじさ、
身にしみるというよりは、つまされては刻み込まれるが如く、
その言葉の重さ、その素晴らしが、
まさに染み入るような気さえもしたもので。

でさ、
実はショーケンが歌手から役者に転向したそのきっかけってのが、
当時付き合い初めた頃の、あのいしだあゆみの言葉。

あなたの歌には説得力がない、と。

上手でなくてもよい、美声である必要もない、
ただ、歌手はその歌詞の、詩の意味するもの、
その世界を体現できる語り部であるべき。

歌詞に説得力のある歌手、
つまりは、あの、ボブ・ディランから、
ジャニス・ジョプリンから、そしてミック・ジャガーから、

歌の勉強のためと思って、役者の勉強をしなさい。

きっとあなたは気づくはず。

歌も、そして、演技も、同じなんだ、と。

そしてショーケンは、踊るように演技し、唸るようにセリフを接ぎ、
そして、語るように、歌った。歌い尽くした。

あの、DONJUANにおける鬼気迫るほどの表現力、
その秘密が、まさにこの、演技を、歌の練習として学び続けた、
まさに、ショーケンのロック魂、その執念の礎だったのだ、と。

と、そういえば、ミック・ジャガーも一時期、映画に良く出ていた記憶があって、
デビット・ボウイーもまた然り。
そう、つまりはすべてが、歌。その表現力。
あるいは、ステージというパフォーマンスにおいて、
なにを伝えることができるのか、その究極的な真理。

と、そんなことを考えていた時、

もしかして、と思っていた。

もしかして、すぅちゃんは、いつか、役者を志すのではないのかな、と。

ショーケンのあの、モノに憑かれたかのような、憑依的なまでの演技。
そして、心臓そのものをえぐり取るような歌の説得力。

そのすべてが、ベビーメタルにおけるすぅめたるのあのステージ、
あの鬼気迫るほどの入り込み方と、まさに重なる、重なりまくる。

そしてすぅはたぶんそれに気づいている。

優れた歌手は、優れた役者なのだ。
あるいは、そうあらねばならない。

ショーケンが、ジュリーが、そしてミック・ジャガーが、至ったその境地。

すぅめたるも必ずや、同じ視点に気がついている筈だ。

映画の度に、舞台の度に、
その役柄になりきっては、なりきり過ぎては、
まったく別人と化してしまう、
そんな、魔術的なまでの天才女優。

数年後、数十年後、もしかすると、
カンヌ映画祭あたりで、園子温なんかと一緒に、
あの元ベビーメタルの中元すず香が、
世界的な女優としてグランプリの王冠を掲げる、
そんなことになっているやも知れず。

ショーケンというこの昭和の生んだ最大のカリスマの死を悼みながら、
新たなる時代、そのヘッドライナーとなるのは、
すぅめたること、中元すず香をおいて他になし、
それを確信する、俺なのである。

すぅちゃん、なにをやっても良い。
ただ、世界を目指してくれ。
日本なんていう、ちゃちなサナトリウムで拘束服を着せられて生きるよりは、
見果てぬ大地、その地平線の果てまで、
可能性の翼を広げてくれ。

昭和の男たちの魂の友でありながら、
遂に海を越えることのなかったショーケンという類まれな逸材の死を乗り越えて、
さらばショーケン、さらばユーヤさん、さらば日本のロック、さらば日本の男たち。
その祈りのすべてを、中元すず香に託す、その想いに、変りはない。






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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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