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BABYMETAL ARISES - BEYOND THE MOON - LEGEND - M ~ ベビーメタル:メタル・ミュージカル! これからの時代は私達が作る!ここからすべてが始まる!

Posted by 高見鈴虫 on 07.2019 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
BABYMETAL ARISES - BEYOND THE MOON - LEGEND - M

世界の音楽史、その基軸そのものを覆すことになる、
その歴史的な瞬間、

その一曲目は、ROR から始まった。

という訳で、
おお、一曲目が、いきなり、RORかよ。
はははは、と、これはこれは、と、思わず大爆笑。

この一曲目が、ROR、
それだけで、このギグが一筋縄ではいかない、
つまりは、化けるぞ、それを初っ端から宣言したようなもの。

で、あれば、と思った。
であれば、そのラストは、多分・・
アルカディア、であろう、と。

そう、そのぐらいならすぐに想像がつく。

ただ、あの新曲。
つい数日前、あの横アリにおいて突如として発表された、
まだ正式な命名さえも宣言されていない、
この産まれたてのニューベビーメタル。

それが、この記念すべき最愛生誕祭、
そのライブのフィナーレを飾るに相応しい、
そこまで完成度が上がっている、ということなのか。

そしてなにより、そのフィナーレに、
この新曲を持ってくる以上、
そこに至るまでの何らかの必然性、
つまりはその物語性を完結させるためにも、
ともすれば、そこに二重三重の仕掛けが用意されて然るべきもの。

現地からの実況速報、
そのセットリストが一曲一曲とアップデートされる、
それを固唾を呑んで見つめながら、

果たして、と思っていた。
果たして、この大博打、是か非か。

そしてなにより、その仕掛けに、
いったいどんな、奇策が待ち構えているのだろうか・・

この野郎、と思っていた。
この、コバの野郎、
この期に及んでまたまたの知恵比べって奴かよ、と。
まったくまったく食えねえ男、ではありながら、
改めてベビーメタル、
これまでの幾多に渡るその大勝負において、
ここぞとばかりに繰り出されてきたその大博打の大奇策、
これまでのところ、その全てに完勝に次ぐ完勝。
これぞまさに、ベビーメタル必勝の法則。

果たして、BABYMETAL LEGENDーM 
この記念すべき最愛生誕祭における、
その初っ端から、いきなりの卓袱台返しの大番狂わせ、
つまりは、その華々しき宣戦布告。

果たしてそこでなにが起こったのか・・

いやあ、まったく、と改めて。

いやあまったく、このベビーメタルというバンド、
なにからなにまで、楽しませてくれる。
つまりは、片時も、目が離せないぜ、と。

という訳で、まいどまいどながら、
さっそくお送り頂いた、
BABYMETAL LEGENDーM 
その全貌の海賊音源。

誠にありがとうございます。

本日これからの二日目の公演を控えた方々の為に、
そして全国津々浦々でのLIVE VIEWINGを待つ方々の前に、
この超絶なる手品のタネあかしをすべてぶちまける、
なんていう野暮は控えるつもりですが、

いやはやまったくこのベビーメタルというバンド、
そしてなによりその仕掛け人たるコバメタル、という人。
まったくもって、策士の中の策士。
そしてこのベビーメタル、
その天下一番の大勝負において、
そのヤマが大きければ大きいほどに、
必ず化ける、つまりは徹底的な倍返しに斬って捨てる。
そのあまりのスケールの大きさ。

いやはやですよね。
まったくもって、奇跡のバンド、
それ以外には形容がみつからない。

という訳で、そこでいったいなにがあったのか、
その映像的な全貌は後日の楽しみとして、
取り急ぎ、その海賊音源での印象羅列、
かい摘んで、ではありますが、
心からの感謝を込めて認めさせて頂ければと存じます。





嘗ての駄文に綴った憶えがあるのだが、
日本という国の精神風土の中に刻み込まれた、
センチメンタル、という、感傷的旋律。
→米国南部紀行:追憶のベイビードール~フリーウエイに咲く真珠の花珠たちへ
OoPS、これじゃなかった。
その次のやつか。
だったらこれ?
→センチメンタル・シティ・ロマンス〜感傷的音楽:そのお土地柄比べ

そう、あれは先日の米国南部出張旅行の折、
確か、アトランタ・ジョージアから、
チャタヌガを越えてテネシー州はナッシュビルへと向かう、
その長い長い高速走行の途中、
その視界のすべてが、
広い空と、そして大平原以外はなにもない、
そんなフリーウエイの景色をひた走りながら、
この時間を忘れた永遠のその狭間、
ふとつけた地元のFM曲、そこに流れていた、
アコースティック・チューンのフォーク・ソング。

この広大なアメリカ大陸を、ギターひとつ持っては、
街から街へ、ヒッチハイクを続けては彷徨うホーボーたち。
そんなフリーウエイの忘れな草たちの魂の呼び声。

凄いなこれ、と思わず。
凄いなこの、センチメンタリズム、
この凄まじいばかりの感傷的旋律。

ともすればセンチメンタルという概念そのものが、
そのプラグマティズム的概念からは、物笑いのタネにされる、
そんなここアメリカという土地においてさえ、
この感傷的旋律;
ウディ・ガスリーからウィリー・ネルソンから、
そしてニール・ヤングからボブ・ディランから・・

そこに音楽というものがある限り、
あるいはその音楽の発祥、その源泉とは、
まさしく、このセンチメンタリズムなのではないのか、

なんてところから、果たして、我が日本国、
その精神風土にどっしりと根を下ろしたこの感傷的旋律。

ここアメリカにおいては、
そんなセンチメンタリズムとラグマティズムの鬩ぎ合いこそが、
その一種のロマンでもあるのだが、
こと日本における、このセンチメンタリズムそのものに対する、
あまりの寛容さ、あるいは、その依存性。

アメリカ南部、この宇宙的なまでに単調な景色の中をひた走りながら、
こと日本における感傷的土壌、
その源泉がどこにあるのか、なんてことを、
ぼんやりと考えていたのではあるが、
そして、ふと、その出発の先日にご拝見したあの細野晴臣氏。
→YMOの創始者:細野晴臣@グラマシー劇場 ~ 涅槃のジャグ・バンド・近未来的ノスタルジーの桃源郷
その超絶なアメリカン・フォルクローレの中にも、
明らかに根ざしていたこのセンチメンタリズムという土台。

改めて、日本人における音楽のその源泉とは、
そしてその存在理由とは、まさしくこのセンチメンタリズム。
日本の音楽は、センチメンタリズムに始まりセンチメンタリズムに終わる。
その仮定に基づきながら、それはそれで日本の美、
つまりは、この俺自身の精神的風土、その音楽的趣向とも合致する訳で。

ただ、とは思っていた。
ただ、これだけなにからなにまでが、
泣き言まじりのセンチメンタルになってしまった日本。
嘗てパンクロックという音楽に傾倒しながら、
そこで求めていたものとはまさに、この感傷的旋律からの脱却、
ではあったのだが、
果たして、この日本という文化に根ざしたその感傷という轍。
つまりはそれは気候、あるいは土壌、
あるいは伝統とも言えるほどの歴史的背景。

ぶっちゃけ、日本人に産まれた限りは、
このセンチメンタリズム:感傷という呪いからは、
逃げ出すことはできないのか、
そんなことさえも思っては居たのだが・・

という訳で、長いト書でした。

日本の音でありながら、そこに感傷の無い音楽、
あるいは、そのセンチメンタリズムに飲み込まれることなく、
敢えてそれと戦う、その軋轢そのものを創出する音楽。

それこそが、まさに、ベビーメタル。

そう、ベビーメタルの楽曲、その旋律には、
センチメンタリズムに象徴される、
その、愚痴も、悲嘆も、甘えも、泣き言も存在しない。
そう、ベビーメタルこそは日本で唯一、
自分を可愛そうだと思っていない、
そんな健全なる戦士たちのバンドなのだ。
→ → BABYMETALを聴かせてくれ

なんと言っても、っぱっぱっぱっぱぱっぱ、PAPAYA、
アケぽよのピカピカミラーボール、の人たちなのである。

ただ、嘗てのパンクロックがそうであったように、
そして、このベビーメタルもそうであるように、
若さだけを武器にして大人に向けてひた走るその階段において、
人は度々に渡って、突如として不条理な悲劇に襲われては、
そこに見る、なんともしようがないやるせなさ、
その現実の中で、侘を、寂を、
そして、情緒を、そして、感傷を、
背負い込んでゆく、それも成長のひとつの過程。

つまりはそれも、カルマ:業、あるいは宿命という奴なのだろうが、
果たして、と思っていた。
あのキャピキャピ・るんるんの弾けるラブラブ・スピリッツ、
その罰当たりな可愛いパワーだけを武器に、
世界を席捲し続けてきたベビーメタルが、
そして2018年、このダークサイドを越えるその茨の道の中で、
いったい、なにを得、そしてその不条理を受け入れるために、
どんな道を選択し、どう昇華させるつもりなのか・・

そして、と思っていた。
そして、ベビーメタルは、来たるサードアルバムの中に、
その成長の過程において避けて通ることのできない、
この不条理な現実との戦い、
そこに、一抹の救いとして必要とされるであろう、
感傷:センチメンタル、そして、そのやるせなさを、
いったい、どんな形で、表現して行くのだろうか・・・

改めて、もしもこのサードアルバムにおける選曲が、
これまでの楽曲と同じように、
パワー一発のキャピキャピ・るんるんだけであったとしたら、
果たしてそこに、明らかなる煮詰まり、
つまりは衰退の影を見る筈である。
だがしかし、JPOPに代表されるあの東京の音、
センチメンタルに始まりセンチメンタルに終わる、
あの愚痴と悲嘆と甘えた泣き言に貫かれた情緒性、
そんなものに飲み込まれてしまったベビーメタルなど、
ベビーメタルでもなんでもない。

戦いの中にこそ、憂いがある!

コバは、それに気づいている筈である。
キャピキャピ・るんるん一点張りのカワイイ・メタルと、
そして、日本独特の情緒性に溢れたセンチメンタリズム、
その融合、その匙加減こそが、
このサードアルバムにおける、最大のポイントなのではあるまいか。

そう、それがメタルであれアイドルであれ、
それがいみじくも日本という精神風土に産まれた限り、
このセンチメンタリズムの血からは、
なにがどうあっても逃れることはできない、
あるいは、センチメンタリズムなしには、
日本人はそれを音楽とは認めない。
その筈なのだ。

嘗ての、あのすべてのセンチメンタリズムを払拭しようと試みた、
その痛烈なばかりの失敗の教訓から、
日本人のマーケットには、必ず、どこかしらに、
このセンチメンタリズムというエッセンスが必要なのだ。
その定説を思い知ったこの俄パンク馬鹿にとって、
では果たして、ベビーメタルにおけるセンチメンタリズムとはなにか。
あるいは、ベビーメタルは、このセンチメンタリズムという障壁を、
いったいどうやって、クリアしてきたのであろうか・・

ただ、このベビーメタルの楽曲の中で、
しかし、どこかで、この情緒的なまでの風情、
ともすれば、それは原風景的なまでに、
筋金入りにセンチメンタルな、
そんな旋律を、確かに聞いた憶えがある・・

それはもしかしたら、紅月、
あるいは、止まない雨、
あるいは・・THE ONE、
いや、違う。
紅月や、止まない雨は、
マイナーな旋律であっても、
そしてそこに明らかな激情の迸りはあったとしても、
風情という意味での感傷、
風の音、雨の音、波の音、
その何もかもが、濡れて、そして潤んだ、
あの日本の風景の、季節感そのものさえもを織り込んだ、
そんな旋律ではなかった筈だ。

おかしいな、果たして、俺はベビーメタルのどの曲で、
そんな日本の原風景的な旋律を聴いたのだろう・・

という訳で、この俄な記憶の片鱗を掻き集めては、
探しに探し続けたその旋律。

ベビーメタルにおけるそのセンチメンタリズム、
その究極の純東京的旋律、
それがいったいどこでなされていたのか・・

という訳で、種明かしでござる。

ベビーメタルにおけるそのセンチメンタリズムとは、
まさに、曲間。
あの、マニュピレーターによるMCの中に、
これでもか、という程にまで、織り込まれていたのである。

そう、そうであった。
遠い昔に投稿したあのいにしえの駄文、
東京ドームの海賊版を初めて聴いた時、
あの、テイルスの序章として流されたあの旋律。
え?それはまさにスワンの恋。
あの僅か十五秒ばかりのさりげないメロディの中に、
突如として巻き込まれた、
あの、俺自身の記憶の片鱗、その原風景的なイメージ。
幼少の頃を過ごしたあのヨコハマの街並み、
そしてそこから繋がる、ネパールはヒマラヤ山中、
そのヒッピー・コミューンの隠れ里。
あの黄金色に包まれた木漏れ日の中の ・・
→ ベビーメタルの原風景 ~ 秋の午後 喪失日和 

そう、ベビーメタルの中にあって、
しかし、センチメンタルは確実に存在した。
それは、感傷に溺れることなく、
ましてや、愚痴も、悲嘆も、甘えの要素などなにもないままに、
しかし、そこにある紛れもない潤い、その情緒性、その風情、
そして、憂い、という美学。

ベビーメタルのドラマの中に、
さりげなくも確信的に織り込まれていた、
この珠玉のMCの数々。

そう、そう言った意味では、
やはりベビーメタルこそはまさに日本のバンドなのだ。
感傷に流されることなく、
しかしそこに、明らかに存在する、
まさに原風景的なまでの日本的旋律、
それをしっかりと含服する、
純和製のスーパーバンド、なのだ。

という訳で、あの怒涛の英国公演。

民謡メタルであるメギツネに幕を明け、
メタルと、パンクと、そしてシュガーポップ、
その絶妙なるブレンドの後に、
遂には、パパヤ、パパヤから、
しまいには、インド・メタル、なんてものまでぶちかました、
このなんとも摩訶不思議なベビーメタルというバンド。

そして帰り着いた日本。

最愛生誕二十周年を祝う、
BABYMETAL ARISES - BEYOND THE MOON - LEGEND - M
この盛大な凱旋公演、
その一世一代の祝祭の中において披露された、
この珠玉の新曲:THE SHINING 
これまでMCの中でのみ一種の隠し味とされていた、
その、ベビーメタルの原風景的日本の音、その真髄。
センチメンタリズム: 感傷であり情緒であり風情であり、
そして、憂い、であるところの、
その戦後日本の精神風土、そのすべてを織り込んだ、
いまにも身体中が蕩けそうなまでにメランコリックな旋律。

怒涛の最愛バンギャーから一転、
最愛のアコースティック・ギターに導かれて披露された THE SHINING...
このあまりにもドラマティックなメタル組曲を前に、
これはこれは、であった。
まさに、グウの音も出ないほどの、
まさにその美学の感性のその才能の集大成。

ああ、やばい。
この曲、まじでやばい。やば過ぎる。
これぞ、まさに、琴線に触れた、という奴であろう。
戦いの中にこそ、憂いがある!
その美学の決定打。
これは一種の完結である。
ベビーメタル美学のその見事なる結実。

多分、会場においては、
あの、グラストンベリーの観客達のよう、
鳩が豆鉄砲を食ったようように、
固唾を呑んで見つめていただろうメイトの諸君。

ベビーメタルはここに完結を見たのだ。
それはまさに、荘厳たるエピローグであり、
と同時に、華麗なるプロローグ。

あのヒロシマがそうであったように、
このナゴヤにおける、LEGEND-M、
これこそが、ベビーメタルの終わりの始まり。

その壮大なベビーメタル組曲、
その偉大なるドラマの、幕開けなのだ。

そう、あのヒロシマの時にも思っただろう。
ベビーメタルは、ギグと呼ばれるコンサート形式と、
そこにストーリー、つまりはドラマ性を持ち込んだ、
ミュージカル的な総合芸術を目指すのではないのか?

そう、このLEGEND-Mこそが、
その偉大なる挑戦への第一歩なのだ。

改めてベビーメタル。
そのあまりのスケール。
そのあまりのポテンシャル。
その無限の可能性の翼を広げ、
その姿、まさに天を駆け上る暴走銀河鉄道。

ベビーメタルの目指すものは、
メタルの、あるいは、ロックの、その世界の頂点の、
なんていう、そんなちゃちなものではない。

音楽史、あるいは、音楽というそのものの概念、
その基軸そのものを、捻じ曲げる、あるいは覆す、
そんな、とてつもない存在を目指している筈だ。

なにからなにまで、徹底的にその想像の上を行くベビーメタル。

このLEGEND-Mこそは、
その終わりの始まり。
それはまさに、新しい時代の大いなる夜明け。

ベビーメタルのメタル・ミュージカル、その始まり始まり。

つまりは、ベビーメタルの本気の本気の戦いは、
まさに、ここからはじまる。

これからの時代は、ベビーメタルが作る!

奇しくも、ユイ欠場という青天の霹靂に見舞われては、
それを果たせなかったヒロシマ公演。
その、倍返しの落とし前公演であるこのLEGEND-M

日本全国津々浦々、そのライブ・ビューイングを以て、
全世界に向けた、その大いなる宣戦布告であろう。

旦那、このバンド、いつか必ず世界の頂点、
なんてことさえも、言ってられなくなりそうな、
まさに、宇宙的なまでの、とてつもないことになりそうな、
そんな予感に打ち震えるこの海賊音源。

いやはや、凄い時代になったものだ。
そしてそれは、最早、誰にも止められない。

せいぜい振り落とされないように、
ベビーメタル、一刻も目を離せないぜ。
このまま、行けるところまで、
世界の頂点どころか、銀河の果てまで、
この暴走銀河鉄道:ベビーメタル、
その行く先をとことん見届けようではないか。

ここニューヨークの熱帯夜、
身体中に立った鳥肌がまだ収まらない。

それはまさに、新しい時代の夜明け、
そのあまりに生々しい瞬間を目の当たりにした、
その衝撃であろう。

そしていままさに幕を開けようとしている
LEGEND-M その二日目、
そして、ライブ・ビューイング、
それはそれは、まさにとてつもないことになるぞ・・

歴史の一証人としてのご報告、
お待ち申し上げております。

かしこ



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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