Loading…

夏の終りの祭りのあとに徒然と思ふこと

Posted by 高見鈴虫 on 23.2019 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
ええ、BLACKPINK ぜんぜんコケてたぜ?
まじ?ほんとに?
いやあ、俺、正直言って、リサしか見てねえからさ・笑

ただ、確かにこの動画を見る限り、
これ、まるっきりポップス。
これぢゃ、ただの、アイドルぢゃん。
本当だね。確かに、その通りかも。





肝心のPROSHOTが見つからねえんだけど、
同時配信で見ていた限りでは、
ドラムの音がもっと荒削りに聴こえてたんだよね。
まさに、ライン直録って感じでさ。
で、このバックバンド、まじかっこ良いでしょ?
で、もしかしてこのメンツが本気の本気で神ファンクバンド!なんて感じで、
レッチリ的なぶっつけ本番のフリージャムっぽさを持ち込んだとしたら
もしかしてマジで化けるかも!
なんていう甘い期待を持ってみたのだがだがだが・・笑






ああ、やっぱりそうですか。
ステージでの音、つまりラインでの音はいざ知らず、
実際に現場でPA通して会場にはこんな音で出してたんだね。
確かに違うよな。はい、確かに違う。
ドラムの音もすっかりエフェクトかけられてるようだしさ。
こうなったらどんな凄腕のバンドだって形無し。
骨バンドと変わらないわな。

改めてこの一般大衆向けのステージ風景。
遠方で見る限り、それはまさにテレビ的。
つまりは、子供から老人までを対象とした、
つまりはPOPULARITY、
つまりはただの凡庸なヒップ ポップス、その無残なる残骸。
ちょこっと敬愛するリサ嬢の艶姿を前に誠に心苦しいのだが、
ダメだな、こりゃ・笑
ってか、少なくともとも音的には
良いの悪いの言うべき次元でもねえな、確かに。

たださ、ライブと言ってもぶっちゃけこれだけの巨大ステージでは、
生の姿なんてまさか見えない訳でさ。
つまりは、ステージ脇の巨大モニターを通してのライブ観戦。
つまりは野外映画を見るようなもの、と。
で、出ている音がこれでは、
確かにね・・ レッチリとは程遠い。
仰る通りのうさぎさん。


でさ、ちなみにその、レッチリ、なんだけどさ。

配信時はあのベビーメタルから突如反転しては、
この大トリである真打ちレッチリの登場、
と相成った訳だったんだけど、
その繋ぎに妙な間合いとかもあって・笑
ぶっちゃけ、レッチリが始まった時、なにこれ、とは思った。
つまり、ストーンと、落ちてしまったように、感じた。
正直、あらら、滑ったな、と・笑
こいつらいったいこの大舞台で、
なにをこんなに間の抜けた演奏をしてやがるんだろうな、と。
こんなもの見せるぐらいなら、ベビーメタルにカメラを戻せ、と。
でさ、正直なところ、主催者何考えてんだ、と。
つまりは、ベビーメタルを差し置いて
なんでこんな奴らがヘッドライナーなのかと。
なにか大きな思い違いをしてねえか、と。

ぶっちゃけこのレッチリ、
前座扱いのベビーメタルとのあまりの落差に、
思わず、本気で、ずっこけた、その感は否めない。





でさ、そう、正直、ベビーメタルがいきなりぶち切られてしまったので、
まじめにちょっと、脳みそブチ切れていて、
思わず叫んだ脊髄反射的な心情吐露。

んだよ、この糞バンドは、と。
で正直、このレッチリを観て凄いだなんだという奴、
いつたい、何考えてるんだよ、と。
あるいは、誰かに金もらって書かされているんぢゃねえのか、と。

そんなことさえも思ってしまった訳なのだが、
後々になって上がった海賊動画を見ると、あれ?

そう、凄いんだよ。レッチリ。
普通に、凄い訳なんだよ、と。

ちなみに、レッチリに関して言えば、
こんな動画をみつけた。
2018年のロラパルーザ

これは凄い。断じて凄い。
誰がなんと言っても、これぞレッチリ、って感じ。

で、この違いってなんなのかな、と・笑






で、そう言はれて見れば、
同時配信時には、へええ、とちょっと関心したBMTH
であったのだが、
改めて見直してみると、
なんだよ、こいつらこんなに、POPだったのか、と。
で、そう言はれてみればチェーンスモーカーズ。
なんだよ、これ、これぢゃあただのCOLDPLAY?
なんてかんじで、
そう、二度見三度見のうちにその印象が様変わり。
明らかに、違う。
まるで、違うバンドを見るみたいに、
その劣化の凄まじさよ、と。

改めて、この祭りのあとというか、興奮が醒めきった後、
またYOUTUBEにベビーメタルの海賊動画でも上がってねえかな、
なんて感じで、つらつらとサーチを繰り返しながら、
改めて、その配信時のPROSHOTと、そして海賊動画とのその違い。

つまりは、同時性、というか、緊張感というか、臨場感というか、
つまりは、そのライブ性。

俺はそれを、トンガリ、と言うよりは、棘:トゲ、
あるいはそれこそが「牙」 つまりは、武器、と考えてもいるのだが、
ただ、ライブにおけるその刺激に満ちた臨場感が、
時が経つにつれいつしかすっかりと予定調和となり、
あるいはそう、PAを通して巨大スクリーンを介した時、
あるいはこんなお茶の間においてテレビ、あるいはLEDモニター的額縁にこじんまりと収まっては、
すっかりとその棘を抜かれ、牙を折られ、
つまりは、POPS。
極一般的大衆向けの、よくできた商品って奴に成り下がってしまう。





この一種、唖然呆然とするばかりの豹変の様。
つまりそれこそが、主観と客観、って奴なんだろうか、と。
主観が主観であるぶん、それは正しさというよりは鮮烈な印象。
客観が客観であるぶん、それは冷静なご判断、という奴で、
ただ、ライブ的同時配信的な実体験において
そのパフォーマンスを初観にした興奮やら緊張やら臨場感やらって、
そのすべてがすべて、極主観的な印象、である筈で、
その直感的な主観的印象こそが、感性、という奴なのだろうが、
そんな直感的直情的的な主観的印象こそが、
嘘偽りのない正直な感性のものの迸りな訳であって、
そんな極々主観的印象を共有できる者同士こそが、友。
それを傍から、客観的な目で批評、あるいはあざ笑うのが、友じゃないやつ、
ってことにもなる訳でさ。

そして俺は、そんな「友」に対してのみ、
極ごく主観的主張のみを語り続ける、
その姿勢を変えるつもりはない。

ジャンルを問わず、その主観的感性、こそが表現の原動力であり、
その美意識の原点、
それを恥ずかしげもなく晒しだすことにこそ、
他者の意見を聞く意味があるのであって、
そんな主観的印象に、冷静さなんてものを持ち込んでは体裁を繕って、
つまりは、恥をかくリスクを恐れては、その主張を、主観に手を加えた時点で、
それはいつのまにか、当たり障りのない一般論。
そんなものは、迎合の吹聴、それ以外には、何の意味も持ち得ない。
そしてそんな当たり障りのない吹聴を、情報として鵜呑みにしては良い気になって喧伝を繰り返す。
つまりは対話を忘れた九官鳥たち。
耳から覚えたその情報を、意味もわからずただただ繰り返すばかり。
という訳で、そんなリスク回避ばかりのお上手になったスマートな今風九官鳥風情の御仁たち。
つまりは、トゲを抜かれ、牙を折られ、オブラートに包んだようなメローでスムーズな、
つまりは、絶対公約数的な一般向けのその当たり障りのカケラもない立派なご意見、そのご姿勢、そのスタイル。
つまりは、ポピュラリティーを語源とする、ポップス。
つまりはそれを 一般性、普遍性、満人向け、
音楽用語で言うところの、売れ線 と言うのだろうが、
ただ、改めて言わせて貰えば、
そんな、一般受けを狙った売れ線ポップ狙い、
そんなスマートでスムーズなお利口さん的なスタイルを、
しかしことロック、という世界に関する限り、
一般受けを狙ったポップさとは、つまりは、妥協。
ぶっちゃけ、銭に絆されれ魂を売り渡しては、牙を抜かれておカマを掘られた出がらしの残骸、
そんな状態を揶揄したりもする訳でさ、と。

端から万人受けなんてことに甚だ興味がない、
あるいはそれを、敢えて、恥、としてしまう、
この頑固一徹の偏屈者、無法自慢のロック野郎達にとって
ポップスとは一般大衆向け、つまりは、不特定多数の人々、
つまりは、愚民と総称される人々向けへの妥協的敗北以外のなにものでもなく。

ではそんな愚民的人々を対象としたポプラリティのPOPさに対し
ロックのロックたるものが何なのか、と問われれば、
それは、一言、ヤバさ。

ヤバさ、それこそがロックの原点であるところの
とげとげガチガチの、言ってみれば 「毒」 のようなものかと。

ただ、このヤバい毒気を保ったまま、
いつか夢見るスーパースターへの道を狙うことの難しさ、
それこそがアーティストたちの土壇場であった訳でさ。

ロックである限り、毒を以て毒を制する、
その姿勢を貫きたいのは山々ながら、
やはりなかなか早々と不特定多数な方々、
ともすればあのお茶の間的な一般大衆には
そんな毒気はあまり望まれているものでもない。

ロッカーがロッカーとして、
ポップ 一般受け つまりは経済的成功を望みながら、
そこに一種の毒を保ち続けるには、
しかしそこに敢えて引くに引けない一線!
なにがあってもそれだけは、
この己の美学の根幹だけは死んでも貫く、
それだけは忘れてはいけない。

己の美学、その主観的哲学の核。
だからこそロックなのだ。
それでこそロックなのだ、と。

はなから一般大衆に向けたポップス。
サナトリウムでオキシトシンひたひた、とか、
あるいは、夢のバービー人形たちの
なんてところに、ヤバさは、毒は、必要ない。
そんなお子ちゃま向けの自己逃避的世界に
ロックという頑固者の独断場のような奴等が
わざわざ迎合せねばならない理由もへったくれもないのである。

ただ、そのトゲに毒にヤバさにばかり拘り続ける限り、
そんな無法者たちの独りよがりの戯言に
どこの誰が鼻を引っ掛けてくれる訳でもない。
つまりはいつまでたってもゼニにならない。
そう、嘗ての日本のロックのように・・

忘れてはいけない。
音楽の基本とはコミュニケーションであり
それがプロフェッショナルである限り
それはつまりはビジネスなのだ。

そこには問いかけが、語りかけが、
つまりは共有力が能力として求められ、
そして企画力と計画力と実行力、
実力と分析力とそれになにより見た目の格好良さ、
つまりは、PDCA+ @
そのビジネスセンスが必要になってくる訳で。

だが、それと同時にしかしそれがロックである限り
そこにはテーマが 主張が 美学が、コンセプトが、
つまりは、主観、が最も必要なコア、
そう、その主観的感性がなければ、
そもそもロックに、あるいは表現に、
はなから意味などないのである。

という訳でこのジレンマ、この堂々巡り。
で、その結論は?

そう、最も大切なのは、なにより、その、バランス なのである。

という訳で、ベビーメタルである。

アイドルとメタルの融合、
なんてところを看板に掲げたベビーメタル。
小学生にしか見えない赤いスカートのじょんじょん娘が、
地獄のようなまでにえげつない、ゴリゴリのヘビーメタルに乗せて、
無邪気に歌い踊る、その大間違い性、
そんなものを売りものにしていたこの事務所主導の企画バンドが、
しかしいつしか、これほどまでに多種多様な人々、
通好みのドルヲタ連中はいざ知らず、
筋金入りのロック馬鹿から、宝塚フリークスから、
果ては古今東西の伝説的な大御所的アーティストたち、
そんなキワモノの際物連中をとことんまでにノックアウトしてきた、
果たしてその理由とはなんなのか?

ひとえに、ベビーメタルには、
アイドル的ポップさ、
その無邪気な可憐な天使性、
それと同時に、
それはまさに、触ると血の飛び散るようなヤバさ、
あるいは、一度耳にしたら二度と忘れない、どころか、
毎夜毎夜、夢に見てはうなされるほどにまで、
強烈に強烈なまでの、猛毒を、秘めていたのである。

ベビーメタルの持ち得た、この猛毒。
つまりは、それこそがロック。ロックの真髄であり、中核であるべきもの。

そう、ベビーメタルは、まさしくその存在自体がロックだったのだ。

純真無垢を絵に描いたようないたいけなロリータが、
地獄のデスメタルの中で錐揉み状態になりながら、
ついには、その魔性に憑かれたかのように、
その地獄の天使、そのものに成り代わり、
ついには縛り上げられて磔にされては生贄として差し出される、
そんな演出が、まさに洒落にならないぐらいにまで、
ベビーメタルのその存在自体が、タブー、そして、SM、
そして、なにより、聖少女と地獄の魔王、その壮絶な激闘の様。

世のアイドルたちに飽きた酔狂なドルヲタたちが、
そして、音楽にポテンシャルを見失っていたいにしえのロックバカが、
そして、アイデアの枯渇した歴史的大御所たちが、
そんなベビーメタルのあまりにも鮮烈な姿の中に、
まさに、ロックの原点、その真の姿を再発見した、つまりはそう言う訳なのだ。

そう、ベビーメタル、
このいけないいけないロリータSMデスメタルバンド。
その本質は、なによりも、そのヤバさ、つまりは、毒。
それも猛毒も猛毒、劇薬とまで強烈なまでの鮮烈さ。

ヤバい、このバンド、まじでヤバい。

思わず唖然呆然、開いた口が塞がらないまま、
これ、こんなもの、まじで、ヤバいんじゃないのか?
だって、だって、だって、これ、ロリータメタル?
これ、だって・・ 小学生にこんなことさせて、
これ、さすがに、ちょっと、まじで・・ ヤバいっしょ・・

ベビーメタルにはその企画段階からして、
人々のその潜在的な罪の意識をえぐる、
そんな毒が、猛毒が、満ち満ちていた筈である。

ベビーメタルの持った毒。
その猛毒が、劇薬となり、
そして、ゲテモノもゲテモノ、
えげつないまでの、耳年増目年増、
多少の刺激にはもうなにも感じない、
そんな不感症的海千山千のおさんたちをも、
一人残らず、ぶっ飛ばした、という訳なのだ。

改めて、そのタブー性、その衝撃、その刺激、
その、ヤバさ、つまりは、毒。
それがどうやって作られたのか。

アイドルとメタル、
つまりは、シュガーポップとデスメタル、
天国と地獄、天使と魔王、ロリータとSM、
そして、年端もいかない小学生たちと、
神とまで称される凄腕ミュージシャンたち。

あるいは、そんなアイドル、つまりは絵に描いただけの美少女、
そんな偶像であった筈の少女が、
なんとなんと、目にしたものの魂を根底から揺さぶるほどと、
とてつもない実力派シンガー、
それはまさに、神の奇跡そのものを体現した、
神憑り的なまでの、天才の中の天才、であった・・

そんな特異性。
そんな意外性。
そんな二極性。
そのギャップ、その衝撃、その鮮烈さ、
そのすべての、相乗効果。

そんな猛毒的、劇薬的なまでの刺激性、
そのすべてが、融合のバランス。
つまりは、調合の妙。
そう、要はバランス。
ベビーメタルこそは、そのバランスの、奇跡だったのだ。

ロックを愛し、そしてロックに疲れ、そしてロックに飽いた、
そんな宿酔状態の筋金入りのロックジャンキーたちが一人残らず、
そんなベビーメタルの持つその本質的なヤバさの中に、
明らかなロック、その原点的なまでの凄み、その究極を見た、
と、まあそういう訳なのだろう。

そう、ベビーメタルは、本来から、その本質からしてロック。
ともすれば、その存在自体が、ロックの塊、そのもの。
その究極的なまでの、ロック・スピリッツ、
そのトゲの、その毒の、その劇薬の、
つまりは、主観的こだわりの作り上げた究極的な幻想、
その賜物だったのだ。

そして改めて2019年サマーソニック、
そこに登場したこの新生ベビーメタル。

あのダークサイドを抜け、
子供から大人への見事な転身を遂げたいま、
そのサウンド的には、
メタル、あるいはロックというよりは、
むしろポップなアイドル路線に先祖返り、
ということのであるのだが、
果たして、と改めて問いたい。

この新生ベビーメタル、いまとなって世界のアイドル。
これまでの、ガチンコなヲタク的際物連中たちから、
そのターゲットはすっかりと一般向けの大衆たち。

その誰の目にも艶やかな絶対的な美貌を武器にして、
キャッチーなメロに、ダンス系ビート、
つまりは、老若男女、人種を問わず、国境を問わず、
世界人類そのすべての人々に向けての、
まさに地球規模のスケールを以ての一般受け狙い、
という奴なのだろう。

ただしかし、嘗てのあの筋金入りのメイトの面々。
いまやすっかりとロリータの影も薄れ胸も膨らみ毛も生え揃い、
ボクだけ君であったあの少女が、
いまや世界に誇る人類のアイコン。
神バンドもお面を被らされてはすっかりと伴奏屋さんに追いやられ、
ツーバス連打のスラッシュビートも影を潜め、
つまりは、新生ベビーメタルの目指すものは一般大衆。
そうそうとヲタクやら馬鹿やらのおさんたち相手ばかりはしていられません、
と、まあそういうことなんだろうな、
などと、いまになって、見捨てられたような、
そんな静寂感に包まれては長い長いため息をひとつ。

で、そんな置き去られた旦那たちに改めて聞きたい。

キャッチーになりポップになったベビーメタル。
だがしかし、そこに、トゲは、牙は、ヤバさは、毒は、残っているのか。
つまりは、ベビーメタルはいまだに、ロック・スピリッツ、
その、決して譲れない一線だけは、
いまでも、変わらず、持ち続けてくれているのか、と。

という訳で、先のサマソニの再配信時、
壁の特大テレビに映し出されたYOUTUBE、
そこに永遠と垂れ流されるポップでキャッチーでメローな今風バンドの音、
なんてのを聴くともなく聴きながら、
しかし、ふと、えつ!?
と思ったあの瞬間。

うわっ! これ、この音、なんなんだ!?





それは紛れもなく、ベビーメタルのギミチョコ、であった。
それはまさに、紛れもなく、爆発! であった、と。

この耳慣れたサウンド、というよりは、
そう、ベビーメタルのこの音、このビート、このパワー、そしてなによりこの姿。
確実に、確実に、トゲがある、牙がある、つまりは、毒がある。

地獄のスラッシュビートに舞い踊る夢のように麗しい絶世の美女たち。

このトンガリ、このトゲ、この牙、つまりはそう、
これぞベビーメタルの毒、その猛毒、超毒、その塊じゃねえか、と。

そうこのベビーメタルの猛毒。
いまさらながらこの猛毒は世界最強の最凶。
一度触れたが最後、忘れされないどころか毎夜毎夜夢に魘され、
その毒に冒されれば冒されるほどに、
いつしか中和され耐性ができる、どころか、まさにその逆。
その劇薬がますます凄みを増しては身体中にまわりまわって自家中毒。
いまや頭のてっぺんから足の爪の先まで、
ベビーメタル以外には何一つとして残らない、
そんなベビーメタルの重度ジャンキー達、そのパンデミック現象。

そしてこのニューアルバム。
ポップだダンスだアイドル的だ
とは言われながら、
その毒、その毒性だけは温存、どころか
これぞまさに最強最凶の劇薬そのもの。

BMTHだ?チェーンスモーカーだ?
オキシトシンだ?バービー人形だ?
アニメだ?テクノだ?AIだ?
笑わせる。

改めて、このベビーメタルの劇薬、
その秘法の真髄とは、まさに、バランス、その調合力。

どれだけ爆音を響かせようが、どれだけ音を重ねようが、
どれだけ肌を晒そうが腰をくねらせようが飛び跳ねようが、
そこにテーマが、ドラマが、つまりは哲学がない限り、
そんな上辺ばかりの出来合いの刺激にはすでになんの目新しさもない。
甘い甘いケーキの上から、なおさらにクリームにチョコレートと重ねても、
それでは胸が悪くなるばかり。
辛く苦い大人の味とばかりに、苦瓜にわさびと唐辛子と加えても、
それはますます旨味の本質を失っていく。
過ぎたるは及ばざるが如し。
過剰な加工は、行き過ぎたは演出は、そのすべてを相殺してしまう。

甘さの中に苦味があってこそ、その双方が引き立つのだ。
その絶妙なバランスこそが、旨味、つまりは、魅力なのだ。

ではその絶妙のバランスを可能にするものとはなんなのか。

つまりはそこに、知性が、センスが、哲学が、
つまりは、才能が、必要となってくる。

三姫だけでも、あるいは、神バンドだけでも、
この絶妙なバランスは創造し得なかった、と思う。
アイドル、つまりは看板と、メタル、つまりは音楽的土台、
そしてテクノロジー、そして音響技術、
そしてなにより、そのすべてを司っては、
絶妙なバランスを創作する知性。
そう、つまりはフォックス・ゴッド、その魔力なのである。

なにかが足らず、あるいは思わずやりすぎてしまった
コヤニスカッツィ、つまりは、バランスを失った世界。
その悪しき残骸が、このサマソニのステージ、
次から次へと連なる糞バンド、と言ったのはまさにそういう意味なのだ。

これまでベビーメタルの軌跡、その方法論が、
ロリータとデスメタル、という二極性的対立構造から、
地獄の重低音スラッシュビートに、天使の歌声、という美学を確立しては、
そしていま、この新生ベビーメタル。
その楽曲、そのステージング、その空間そのものを、
より大きなイメージの中に包み込む、
ロックというよりは、むしろミュージカル的なまでのスケールを以て、
それはまさに、総合芸術そのもの。

その初観の人々、そのほとんどが、
このベビーメタルの姿を前に、唖然呆然の鳩豆状態。

東洋人の、アイドルの、メタルバンドが、インド歌謡?
なんぢゃこりゃ・・!?と。

改めて、ますますながら徹底的に訳のわからないバンド、となりつつあるベビーメタル・笑

ただそう、それこそが、ベビーメタル。
その絶妙のブレンド、その神業的なまでの調合力にこそ、
トゲが、牙が、ヤバさが、そして、この猛毒が隠されているのだ。

古式ゆかしきステレオタイプな人々、
つまりは、その予定調和的な形式を頑なに守り続け、
そんなしきたり的な様式にいまだにしがみつき振り回す、
そんな馬鹿の一つ覚えの大衆迎合タイプの方々にとっては、
ベビーメタルの繰り出すその荒業のすべてが徹底的に意味不明。
そのあまりの困惑に思わず目くじらを立てては、
やれ偽物の、紛い物と、虚しい言葉を並べるのであろうが、
そんな混乱を、当惑を、そのヒステリー状態のパニック発作を、
有無を言わせぬ圧倒的なパワーで押しつぶしてしまう、
このベビーメタルというバンド。そのあまりに凄まじいまでの底力。

このサマソニの配信を見るまでもなく、
ベビーメタルこそは世界の頂点。
最早それを疑うものはひとりもいないであろう。

改めて、予言させて頂く。
真実を知る者、本物を愛するもの、魂を失っていない者、
つまりは、サマソニの主催者の誰にとっても、
今回の2019サマソニこそは紛れもない決定打。

やっぱり、ベビーメタルか・・

幸か不幸か、あるいはそれが必然なのか、
古今東西、和洋折衷、テクノからロックからパンクからヒップホップから、
そのすべてのジャンル、すべてのミュージシャンたちを通しても、
このベビーメタルに勝るものはもう居ない。

ベビーメタルこそはサマソニの申し子。
つまりは、この偉大なるイベントそのものをを象徴する存在なのだ。

もう現代の世界には、ベビーメタルを上まわるものはない。
サマソニの運営部のその誰もが、
ベビーメタルのダントツぶっちぎりのナンバーワン!
それを認めざるを得なかったであろう。

であれば、来年こそは、
ベビーメタルがメインステージのヘッドライナー、
それは最早、疑いようのない筈である。

が・・が、が、が、そう、来年は?
オリンピック?
ええええええ、なんでえ、
よりによって、こんな時に・・・
この気候変動の非常事態の真夏の最中のこの殺人的暑さの中で?
誰がいったい、そんなものを、喜んでいる、というのか?

で?その演出が、秋豚なんちゃら?
あのさ、オリンピックって本来、スポーツの祭典じゃなかったの?
それになんで、せーじかやら、げーのーぷろ、なんてやつらが、
これみよがしにしゃしゃり出てこなくちゃいけないの?
それに、疑問を持たない国って、いったいどんなところなの?
そう、世界の人々が、まったくもって、???? 
そう思っている筈なのである。

改めてこのアヴェのオリンピック、
なにからなにまで徹底的にずれている。
そのずれ方からして、趣味が悪いにも程があるな、と。

つまりは、頭の中はすっかりとバラエティ番組の国の方々。
そのすべてが、やらせの印象操作のでっちあげ、
過剰な加工の行き過ぎた成れの果て、
つまりは、フェイクニュース的な毒ガス的幻想に、
世界を窒息させてしまおうという肚なのだろう。

構うことはねえよ、サマーソニック。
やっちまえよ、大阪で、広島で、博多で、福島で、北海道で。
オリンピックといったところで、
あれは、アヴェのアヴェによるアヴェのためのオリンピックであって、
日本でのためでもなんでもねえ、なんてことは、
他ならぬ日本人の誰もが分かっていることじゃねえか、と。

下手をすれば、そのオリンピック中継、
そのカメラの画面のそのどれをみても、
お仕着せの日の丸片手の大衆動員
つまりは、あの、キタのマスゲーム、なんてのの、
アップグレード版、を狙っているのかにね、と。

と訳で、これは違う。
少なくとも、これは本来の日本ではない。
あるいは、他人様に見せられるようなものではない。

であれば、その心意気を、その反意を、翻意を、思い切りアピール。
オリンピックとはまるで関係のない、
ベビーメタルの大段幕が空にはためき、
ともすれば、
訳も分からず、京アニ追悼の反核の反戦の反寅キチの、
ともすれば、アヴェしね、のTシャツを着た人々が観客席を沿道を埋め尽くし、
そう、それこそが民主主義の美徳。
あるいは、そうなってこそのジャパン、この日本の美学。
おせちもいいけどカレーもね、
あっちのひともこっちのひともみな兄弟。
いろはにほへとの無常観を礎とした、
理知の大国・知恵のガラパゴス、
世界が認めるジャパン、その本来の姿じゃねえのかよ、と。

少なくとも日本という国が、
やれアヴェだ秋豚だAKなんちゃらだヨシモトげーにんだ、
そんな知恵足らずどもの掃き溜め、
なんてことであって良い筈がない。
そんな姿、日本人のほとんどが、誰も望んではいない筈だろ。

という訳で、普段から、世に起こることのすべてに苦々しく目をそむけている方々。
あるいは、口癖のように呪文のように、
アヴェ死ね、アヴェが嫌いだ、アヴェは許せない、
そんなことを、愚痴愚痴ぐちぐちと並べ立てているばかりの方々。

考えようによっては、このアヴェのオリンピックこそはまたとない大チャンス。

もしもこのオリンピックなんてものに今更世界中の視線が集まる、
なんてことが本当に起こるとすれば、の話だが・笑

世界が注目するこの時こそ、
自身の主張を、潔白を、その迸る思いを、
世界の人々に向けてここぞとばかりに訴えかける、
その絶好のチャンス、ではないか。

日本中のありとあらゆるところで、
オリンピックなんか知ったことじゃねえ、
オレはオレで勝手にオレをやる、
だって、こんなオレだって、紛れもない日本人のひとり、であるのだから。
その、オレのオレによるオレも含めたジャパン、その本来の姿。
その姿勢を思い切り貫いてはアピールしてやれば良いのである。

TOKYOは警備警備でカランカランだが、
そこを一足でも離れれば、街中のそこら中がイベントの嵐。
駅前にはストリート・ミュージシャンが総出演。

日本って国は本当に音楽音痴の集まり。
AKなんちゃらの糞アイドルの殺人超音波ばかり、
かと思っていれば・・
カフェの、レストランの、定食屋の、飲み屋の、
そのどこに行っても、徹底的にベビーメタルばかりかかっているじゃねえか!

日本って国は、本当にお・も・い・や・りと、ホスピタリティに溢れた素晴らしい国。
空港に着いたとたんに、無料のTシャツを配っててさ。
BABYMETAL!?
あるいはなにこれ、アヴェしね・・・
そうか、そういうことか、と。
そう、もしも資金が許すのであれば、
海外からの訪問者に、アヴェしね!
そんなTシャツを思い切りタダでばら撒いてやれば良いのである。

テレビに映る観客たちが、どれもこれも、アヴェ死ねのTシャツばかり。
だがしかし、さしものジャパニーズポリスも、
まさか海外からのお客様に、そのシャツを脱げ、とは言えない筈。

ワタシタチは、スポーツを観に来たのであって、アヴェを観に来た訳ではない。
スポーツを政治屋の喧伝のダシにされてはたまらない!

ほとんどすべての海外からの人々が、その主旨に喜んで賛同してくれる筈だ。

であれば、改めて広島原爆ドームの前で愛と平和の一大ロックフェスティバル。
であれば、改めて、その本来の言い訳的な目的であった被災地救済、
そこで、思い切り、これ見よがしの、ボランティア集会。
あるいは、オキナワである。
世界の人々、そのひとりでも多くの方々に、オキナワの素晴らしさを知って頂き、
その神からの贈り物である自然を破壊することが、どれほど愚かなことなのか、
それを身を以てご体験頂けば良いのである。

どうせこのオリンピックの資金だって、あなたの税金、あるいは未来の年金から出てるのだ。

構うことはない。もしも本当にそう思うのであれば、
アヴェが嫌いだ、嫌いだと愚痴並べ立てるばかりではなく、
もしも本当に、自分の考えが、感性が、価値観が、正しい、と思うのであれば、
このときにこそ、それを、実行に、移す、べき、
すべての日本人に、その権利がある。

祭りってのはな、神輿担いでいるばかりが祭りじゃねえ。
そう、そんなことは尻目に、勝手にお祭りやっている奴らが一番楽しんでいるのさ。

この狂気のファシズムの嵐の中、

世界がどうなろうが知ったことか。
オレには、ベビーメタルがいる!

アヴェだ秋豚だ?AKなんちゃらだ?
知ったことか。
オレはオレで、勝手に、日本人をやらせてもらう。
それを貫くことこそが、最も健全な姿勢、なのである。

断じて言わせて頂く。
日本が世界に誇る、その最もたるものは、
寿司でも天ぷらでもラーメンでも、
AKなんちゃらでもヨシモトゲー人でもなんでもない。

いま、日本のプライドを象徴しえるのは、
ベビーメタルをおいて、他にはない。

TOKYOがアヴェと秋豚で来るなら、
大阪がヨシモトゲー人ら池沼都市で成り下がったのであれば、
広島には、ベビーメタルがいる!
ここで思い切りアヴェの日本なんて奴らに最後通告。
ガチンコの勝負をしかけてやっても面白いんじゃねえのか?

ここアメリカにおいては、嘗てのロック、
ローリング・ストーンズの、ドアーズの、ジョン・レノンのライブが、
機動隊に取り囲まれては催涙ガスの雨あられ、
なんて状態が定番であった、と聴く。

そう、ロックってもともとそんなもの、
反体制の、反逆児の、悪ガキどもの独断場。
だからこそ、ロックには夢があった、ドラマがあった、
ヤバさがあり、毒があり、つまりは、ポテンシャルがあった。
それを忘れて貰っては困る、のである。

構うことはねえ、やっちまえ、
その姿勢を忘れてしまったところに、ロックはない。
あるいは、文化は、芸術は育たない。

世界中からのブーイングに、上等だぜ、と中指を突き出す、
そんな美学も、あるにはある。

日本がいま、すっこりと忘れてしまっているのは、
つまりはそれ、なんじゃねえのか。

猿も顔負けのヒステリックな嬌声を前に、
愚痴ばかりの鬱病にとじ籠るか、
無様なナルシズムに自己陶酔に浸るか、
マゾヒステリックな自己抑圧に狂い死ぬか
それでもなければ
安価なドラッグに溺れては桃源郷的錯乱に血迷うか。
世界はそんな不穏な鬱屈に満ち満ちている。

実は今回のサマソニを見ながら、

構うことねえ、やっちまえ!

この中の誰が、V for Vendetta

いつ、それを、いの一番にやり始めるのか。
そんなことを、つらつらと、考えていたのが。

伸るか反るか
もう誰もその選択からは逃れられないところにまで
いつの間にやら、追いやられてしまったんだな。

であれば・・ どっちを取る?





  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム