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カップラーメン

Posted by 高見鈴虫 on 24.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
時たま、まるで魔が射すように、
カップラーメンが食いたくなる。

しかしそれは、
食べたくてたまらない、
というよりは、

ああくそ、カップラーメンでも食ってやろうか、
という、多分に投げやりな気分の時に限られる。

ニューヨークにおいてもカップラーメンは普通に買える。
というか、ニューヨーカーは普通に日常的にカップラーメンを食っている。

アジア系食料品店に限らず、
町中のどんなスーパーにも駄菓子屋にも
雑貨屋から薬局にさえ
決まって奥の隅のほうに、
しかし山と積まれている訳だが、
なかなかどうしてやはり良く売れているようだ。

そんな風なので、
ここニューヨークにおいてもカップラーメンの扱いは日本と同じ。

カップラーメンでも食うか、
あるいは、
カップラーメンしか、とか食うものねえか、
とか、
まあ、そんな感じ。

一番安上がりに手っ取り早く腹を膨らます方法、であり、それだけに過ぎない、と。

という訳でこの世界の味・カップラーメン。

昔、というか、日本にいた時には、それこそ3日に一度は食べていた記憶がある。
ラーメンは言うに及ばず、
残り汁に冷や飯をぶち込んだり、菓子パンを齧る時のスープ代わり、
殻になったカップは灰皿に山になった吸殻をぶち込んで。

それだけ世話になっていたぐらいだからそれほど不味かったという記憶もないのだが、
そう言えば、そう、
結婚してからはいつのまにかあまり食べなくなったようだ。

最近になってから、カップヌードルを食べるのはごくまれだ。
非常食としてひとつかふたつは必ず棚の奥に買い置きがあるのだが、
それを食することはごくまれ。
つまり、そう、
たまのたまに、
魔が射すように、
(くそったれ、こうなれば)
カップヌードルでも食ってやろうか、という気分に陥った時に限られる。

つまり、
ひどく疲れていて、あまり食欲がなくて、そしてかみさんが外出中とか、
そういう時、
もうなにをやるのも、飯を食うことさえもが面倒くさくなってしまった時、
(ここまでくれば、どうせなら、えーい、くそったれ、こうなれば)
カップラーメンでもなんでも食ってやる、と。

果たしてこのカップラーメン。

お湯を沸かし始めたあたりで、
うーん、やっぱ止めておこうかな、と思い始め、
でもラップを剥がしちまったしな、くそ、早まったな、
と舌打ちをし、
お湯を注ぎ3分経つ頃にはすっかりと食欲そのものを失っている。

で、蓋を剥がしてあっちっち、と食べ始めたカップラーメン。

やはり、思った通り思ったとおりの味。
美味くもない代わりに吐くほどでもなく。
が、そう、決して、ありがたいものではない、程度の味。
つまり、
そう、
言うに及ばず化学調味料による化学調味料そのものの味。

とそして、
食べ終わった後にやたらと喉が渇いて、
中途半端に膨れた腹に、
一杯二杯と水やらオレンジジュースやらをこれでもか、とがぶ飲みし、
それでも口のねちゃねちゃが取れず。
ふとすると、
ずしんと、まるで肩の上に人に座られたような眠気が押し寄せて来て、
やれやれ、なんか気持ち悪くなってきたな、と。

昔はこんなこともなかったのだが、
最近健康食ばかりで化学調味料への抗体が減ったのか、
あるいは、
海外輸出向けのカップラーメンがそうとうに毒素が強いのか。

という訳で、
やっぱり食わなければ良かった、
と、
食い終わってから必ず後悔がやってくる。

くっそお、気持ち悪いな、無理にゲップをしながら、
タバコでも吸うか、と、表に出ると、
なんかなとなくコーラが飲みたくなってきたな、と、
もうそれこそ、
ジャンク・フードの悪のスパイラル、そのものである。

くそったれ、と舌打ちしながら、
今度こそは忘れないぞ、と心に刻み込む。

もうカップラーメンは飢え死にする直前になるまでは、絶対に食わねえぞ。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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