Loading…

スティーヴ・ジョブスの言った KOKORO とは何なのか?・・

Posted by 高見鈴虫 on 01.2020 技術系   0 comments

超久々に、技術系のお話。

昨年末の一つの課題であった、
WINDOWS10へのアップグレード。
シスアドを生業としている友人のひとりから、
今年中にやっておいたほうがいいよ、
との助言に従って、クリスマスを挟んだ連休時、
えいやあとお、と敢行、というよりは、
ちょんとクリックして後は一晩寝かしておくだけ、
であったのだが、
一夜明けてその変貌の様、
その面:映像写真の美しさにまずは驚愕させられたものの、
だがしかしここにきてちょっと困った問題、
つまりは、日本語入力が遅い、そう、遅い、のである。

ただ、会社で使用しているテスト用端末もW10であり、
そのマシンではこの事象は発生していないことから、
結局俺のこの自宅マシン特有の問題であるのだろうが、
同じマシンでW7時代にはなんの支障もなかったその俊敏性が、
ここW10で「アップグレード」したことにより失われてしまったことに、
W10とこの自宅の俺様マシンとの間になにかしらの互換性的問題が存在する、
と考えるのが妥当であろう。

改めてこれだけ強引に強要されているのだ、
W10はさぞかし素晴らしいOSなのであろう。
W7の利便性とW8の機能性の融合、ということなのだろうが、
ただ、その至れり尽くせりのさまざまなサービスのテンコ盛り、
それがあまりにも多すぎて深すぎで広すぎて、
いちいち調べる気にもならず。
俺はただ、ワープロとして使用したかった、それだけなのに。
ただ、その基本機能にいちいち遅延が発生する、
その事象をどう捉えるべきなのだろうか。

改めてマイクロソフト製品、
いまさら言うまでもなくその新製品が発表されるために、
その新機能からなにからの謳い文句と相対して、
またアップグレードか、また刷新か、結果また使いにくくなるのか、
そしてまたまた妙なことがいろいろと起こるのだろう・・
それをいちいちぐぐって調べて作業して、
そのステップがいちいちいちいちすべての局面で必要になる、
そう思うだけで、心底辟易させられていた部分が多い。

その当惑に困惑に、そして抑えようもないこの苛立ちを前に、
改めて繰り返すこの言葉・・

なんかマイクロソフトって、徹底的にお門違いなひとたち、
その視点が、なんとなく、利用者から完全にずれていないか?




マイクロソフトの製品を前にするたびに、
それはまるで、縁までタプタプに注がれた湯呑のようだ、
と思っているは俺だけであろうか。
一見して豪勢な山盛りの大盤振る舞い、のように見えるのだが、
いざそのお茶を啜ろうとすると、
持つところがなく、舌を焼き、そして下にこぼす。
であればなぜ手袋を持ち得ないのか?
しばらく待ってから啜るとか、
つまりは、仕様に合わせろ、そのための道具を使え、
ということなのだろうが、
なぜにお茶ぐらいでそこまでせねばならぬのか、
その利用者の辟易が見えていない伝わっていない、
つまりは、独善のすれ違い、その立ち位置のあまりの違い。

改めて、80年代からのテクノロジーの興隆、
確信な斬新な技術開発の、というと語弊があろうが、
少なくともPCの一般化、ビジネスモデルの強引さ、
という意味では多大な貢献を果たしてこのマイクロソフト、
という会社、ではあったのだが、
いまになってもなお、もしもそこにマイクロソフトがいなかったら、
人類はもっともっと、別な方法でテクノロジーに接しては、
そしてもっともっと、平和に、そして愛情を持って、
テクノロジーに接していた、
強いては、テクノロジーから繋がる一般社会そのものに対して、
不要な恨みつらみも苛立ちも怨恨も募らせることなく、
より人間的な方法で、テクノロジーを享受できていなのでは、
と考える俺としては、
その後、IPHONEの登場により一挙に覆されては地に落ちた、
このマイクロソフト社の威信のその大間違いがどこにあったのか。

その奢りの、独善の、教条論の、
とマイクロソフトの嫌いな点を上げ始めればきりがないが、
ぶっちゃけた話一言で言えば、

機能性と利潤性ばかりを追い続けたマイクロソフトと、
そして、ただひたすらに、利便性を極め続けたアップル、
ぶっちゃけた話、ビル・ゲイツとスティーヴ・ジョブス、
その人間としての器そのものにその方向性がはっきりと分かれた、
と思っているのだがまたいつもの詭弁だろうか。

そしてここに来て、ティム・クックが見失おうとしているのも、
まさにその点であるのでは、と考えるのだがいかがであろうか。

という訳で、また例によって要らぬ昔話、
ちょっと小耳に挟んだ小話:寓話、とやらをご披露したい。

前職での仲の良かった上司からこんな逸話を聞いたことがある。

かつて、90年代の初頭だったんだが、
コンパニオンの仕事をしていたことがあってね。
コンパニ? あなたが?
そう、ほら、わたしは元々からしてアクター:役者が本業だからね。
それでコンベンションのプレゼンテーター、なんて仕事をしていた時期があるのだが、
当時、雨後の筍のように新開発のIT業者がまさに浮かんでは消えての戦国乱世、
全世界津々浦々で催されるコンベンション会場を、
様々な会社の様々な新製品を担いでは駆けずり回っていたものなのだが。

でそんな中で、あれは確か、ラスヴェガス。
世界中の投資家、特にアラブ系とアジア系の顧客を対象に催された
一大コンベンションだったんだが、
なぜわたしがそれを克明に覚えているかと言えば、
各ブースのコンパニオンがまさにご当地ラスベガス
そこから繰り出されたプロフェッショナルのコンパニオン、
ぶっちゃけ、トップレスのお姉さんがたがそこかしこで狂喜乱舞。
説明会の客席でラップダンスやら、トイレに行くたびに奥の個室から妙な音が聞こえてきたり、
なんて感じで、まあそう、開催された三日間、朝から晩まで会場自体がまっったくもってそんな感じ。

ただ、私の受け持ったブースではそんな事情とはツユ知らず、
つまりは、正規の大発明を並べただけのの瓦礫の山。
誰一人としてだれも洟も引っ掛けられない閑古鳥状態

とそんな中、似たような状態にあった隣のブース。
見たことも聞いたこともない自称最新鋭機を前にしては、
見るからに胡散臭そうな痩男がたったひとり。

通りかかる通行人にいちいち絡みついては詰め寄るように、
そのアイデアがデザインがクオリティが、
その機能が性能が品質が、とあの手この手で必死の売り込みを続けるのだが、
網タイツにお尻丸出しのバニーガールにばかり目の行ってしまう顧客たちにはまったく相手にされず。
そのうち、その背中に向けて、馬鹿野郎だ、タコだ、低能だ、クソッタレだ、と悪態をつきはじめては、
それはまるで裏通りの立ちん坊売春婦そのもの。

まったくね、と肩をすくめては私のところにやってきては、
その世界初の正規の大発明とやらを靴の先で蹴飛ばしながら、
技術業界の動向から始まって、政治から経済から哲学から国際情勢から、
ともすれば宗教論から進化論から生物学から人類学から、
この地球の成り立ちそのものに関してまで、
馬鹿野郎だ、タコだ、低能だ、クソッタレだ、と罵詈雑言のすべて。

そのコンベンションの間、三日間、朝から晩まで、
その痩男の罵詈雑言に徹底的につきあわされることになったのだが。

なんかそれって、俺みたいというか。
ははは、そう思うかい?

だったら、その痩男がいったい誰だったと思う?
その罵詈雑言のスカンバッグ、最低最悪の痩男。
それが実は、あのスティーヴ・ジョブス、だったんだよ。
そのとき彼が売っていた、
時としてその上に座っておならをしたり蹴りつけたりしていたのが、
他ならぬNEXT CUBE。
そして正規の大発明と謳っていたのがNEXTSTATIONだった、と。

あのときの罵詈雑言を録音しておけば、
あるいは押し付けられたパンフレットにサインぐらい貰っておけば、
今頃良い値がついていただろうにな。
わたしもつくづく先見の明がないというか商才がないというか。

で、スティーヴ・ジョブス、いったいなにを言っていたの?

ああ、つまりはそう、君の言っているようなことさ。
つまりは、システム・フェイラー。
概念の欠落と、哲学の軽視と、精神の喪失、
つまりは、神の不在ということなのだろうが、
”KOKORO:心”のないところにはなにも生まれない、と。

KOKORO、ってつまりは心?
確かに、東洋趣味のスティーヴ・ジョブスらしいな。

ああ、またインドにでも帰ろうか、とつぶやきながら、
インドと呟いたとたんにその場所がどれだけ酷い土地であるのか、
それを話し始めてまた三時間四時間。

現代の偉人とされるスティーヴ・ジョブスが、
実はそういう人であったなんて、
いまさら誰に言っても信じてもらえることもないだろうがね。

ただ・・・
スティーヴ・ジョブスの言っていた「KOKORO:心」
それがいったいなにであったのか、
いまでもたまに、思い出すことがあるんだよ。

まさにそれが、IPHONEの原点であり、
そして、中核、である筈なのだから。。

で、日本人。
KOKOROっていうのは日本語だよな?
で、なんなんだ、そのKOKOROって奴は?

KOKORO:心・・・
ハート、でもなく、マインドでもなく、スピリットでもなく、
ホスピタリティでもなく、シンセリティでもなく。

つまりは君もすでに、KOKORO を見失っているってことなんだね。

いいかい、ここだけの話、あのスカンバッグの言った最低最悪の言葉。

問題は、そのKOKOROなんだよ。
テクノロジーにいかにしてそのKOKOROを持ち込むか、
キーとなるのはまさにそれなんだ。
ただ、日本の企業はすでにそのKOKOROを見失ってしまっている。
だから、チャンス、なんだよ。
いいか、キーとなるのはKOKOROなんだ。
それを具現化したとき、テクノロジーに血が通う、体温が充ちる。
つまりはそのシステムに、「KOKOROが宿る」ということなのさ。

どうだい?スティーヴ・ジョブスの言っていたKOKOROの意味、
君には判るかい?

改めて、テクノロジーがただのデヴァイスであるところから、
ついには生活の根幹を支えるライフライン、
ともすれば人格そのものとなりつつ在るこの21世紀。

ただ改めて問う。

そこに、KOKORO:心 は、あるのか?

それを問い続けることこそが、
現代がテクノロジーという新たなる「神」、あるいは「魔」に飲み込まれないための
唯一の命綱だ、と考えているこの年の瀬。

で、改めて問う。KOKORO とはなにか?

それを、見失っていないのか、と。

おあとがよろしいようで。


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム