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嘘の代償 :「チェルノブイリ」 を観る

Posted by 高見鈴虫 on 04.2020 読書・映画ねた   0 comments

「痴呆都市の風景」


2020年元旦。

夜明け前の薄明かりの中をセントラルパークへと向かう。
誰もいない街。
驚くほどに人っ子ひとり見えない。
普段であればそれがいったいどんな時間帯であっても、
決して人通りの途切れることのない
不夜城ニューヨークの
ここ西72丁目の大通りが、
この元日の朝に限っては、
見渡す限りのもぬけの殻。

昨夜のカウントダウン時の、
その乱痴気騒ぎの痕跡をそのままに、
通り一面に散乱した生ゴミ、
転がる空き瓶から使い捨てのシャンパングラスから、
歩道一面に水晶の粉末のように煌めくラメの欠片から、
街路樹の枝からぶら下がったパーティスプレー、
その色取りどりのスパニッシュモス。

だがしかしその風景の中に、
なによりその不届きな主役であるはずの、
車がタクシーがバスがトラックがそして人々が、
つまりは人類:ホモサピエンスの姿、
そのすべてが忽然として消え失せている、
この時間の消えたの風景。

信号を見るまでもなく大通りの真ん中を斜めに突切り、
そして誰一人にも会わぬままに公園へとたどり着く。
朝靄に煙った木立の中、
まるで偵察でも派遣するような面持ちで、
さあ、行ってこい、気をつけろよ、と犬を放す。

枯れた木立の向こうに広がる空。
正月早々にしてなんとも陰鬱な天気だった。
湿気を孕んだ雲が低く垂れ込み、
まるで天から蓋をされたように
頭上から重くのしかかって来るようだ。

遊歩道には早朝のジョガーも観光客の姿もなく、
枯れ葉ばかりの積もる丘は朝露に濡れるばかり。
まだどこかに火薬の匂いが漂っている気がする。
昨夜のカウントダウン時に打ち上げられた花火の残り香だろう。
見れば枯れ葉の上に焦げた花火の薬莢が、
中に湿気った火薬を残したまま、
そこかしこに落ちて散らばっている。

靄に煙った丘の上の濡れたベンチに腰を下ろす。
ここまで来る間、誰とも会っていない見かけてさえいない。
もしかして、と妙な予感が広がる。
もしかしてこの一晩の間、
ハッピーニューイヤーの掛け声ともに、
3-2-1、はい!
まるで巧妙な手品師のマジックに騙されたかのように、
人類がすべて消え去ってしまったとでも言うのか。

あるいは知らぬうちになにかとんでもないこと、
火星人来襲やら核ミサイル攻撃やら大地震やら大津波やら、
そんな未曾有の大災害が発生して、
俺だけを残して人類のすべてが
すでに別の場所に避難をしてしまったのか・・

ふと妙な匂いに気がつく。
昨夜のカウントダウン、
例年になく暖かかった気候に浮かれては、
夜が更けるまで明けるまで、
この場所で騒いでいたのだろう深夜のバーベキュー大会。
その食べ残しが飲み残しが焼け焦げが、
そして恥も外聞もなく散乱した使用後のコンドーム・・
おいおいおい・・

だがしかし、
そんな人間の生の、そして性の、
その生々しき痕跡、その残り香だけを残しては、
しかしその実体のすべてが掻き消えては、
ひとり仰ぎ見る元旦の空、
そのあまりにも陰鬱な曇り空。
見れば、暗い空から、白い花びらが一枚二枚。
おいおい、雪まで降ってきたぜ。

正月早々の朝一番から犬の散歩に出る俺も俺だが、
さすがに正月の朝だけあって、
見ろよ、8時を過ぎても誰一人として誰も来やがらねえ。
2020年初っ端から、離人感も極まれりだな。

積もる枯れ葉の中から、
ようやくボールを見つけ出した犬に、
おい、なんだか、地球上にお前と二人っきりになっちまったようだぜ、
と呟いてみる。
別にいいじゃないのか、と犬が言う。
人間なんていなくたってオレたちは生きていける。
ほら、気づかないのか、あの岩陰のネズミや、あの枝の上のリスや、
あの鳩から、そしてこの土の中のミミズまで。
心配するな、食うものなんていくらでもあるさ。

と、そんな軽口にひとり笑いながら、
ん? 犬がふと表情を固めて耳を立てる。
誰かいる・・
誰か?

木立の中からいきなり弾かれたように走り出た黒いラブラドールが二頭、
立ち込めた霧の中、脇目もふらずに枯れ葉の草原を横切っては、
呼び寄せる間もなく、姿を消す。

見かけない犬だったな。で、飼い主はどこへ行ったのだ?
その飼い主がいつまでたっても姿をみせない。

今朝はいったいどうしちまったんだ。
まあそう、正月だしな。

そして見上げる空。
元日の空から雪が降っている。
まるで春に舞い散る桜の花びらのように、
ふわりふわりと頼りなく風に踊っては舞い降りて、
そして見る見るうちに消えてなくなる、夢のように。

まるで雪というよりは花びら。
あるいは、灰のような。。

もしや、昨夜の打ち上げ花火。
その爆薬の、その破片が、
木立の枝の上にでも残っているのだろうか。

ふとまた、犬が顔を上げる。
どうした?誰か来たのか?
いや、あれ、あの音、あの空の音。
あのヘリコプターのプロペラの音。

パタパタパタパタパタ・・

曇り空の向こうからやってきたヘリコプターが、
なにを探してかやかましくも頭上でホバリングを繰り返す。

パタパタパタパタパタ・・

うるさいぞ!! なんだって言うのだ、こんな朝早くから。
早く向こうに行け!
空に向けて思い切りのFUCKマーク、
そして消えていったヘリコプターからの、
プロペラの残音だけが響く無人の丘の上に、
ただ白い花びらが、ひらりひらりと舞い降りて来るばかり。

おい、どうしたんだよ、いったいなにが起こっているんだ。
正月早々、俺の知らないところで、
なにかとんでもない事態が巻き起こっているとでもいうのか・・
そしてそれを知らないのは、俺ひとり・・

ふとなにもかもが曖昧になった。
ふと現実感が失せて、
ふと足元がぐらりと揺れて、
ふと得も言えぬ不安がもやもやと胸に満ち始める。

なんだよ、俺、まるで、アルツハイマーにもなったようじゃないか。
そしてふと思う、そうか、アルツハイマーの人たちって、
実にこういう世界を生きているのだな。

つまりは自身の存在そのものが、
疑わしくも曖昧に足元がおぼつかなくなっては、
えも言えぬ不安ばかりが沸き上がって、
そして本当の本当になにもかもを見失ってしまう、
忘れてしまう、判らなくなってしまう。
時間の消えた街にひとり取り残されたその嘗て知った見知らぬ世界・・

おいおいおい、
本当の本当に、いったいどうしちまったんってんだよ、
正月早々から、まるですでに世界が終わってしまったように、
そこはまるで鏡の裏の、パラレルワールドの向こう側・

そして犬を見る。
犬は答えない。
射すような視線を反らすことなく、
そしてじっとじっと俺の瞳の奥を見つめるばかり。

おい、答えてくれ。
なにが起こっているんだ。
ここはどこだ、そしてこの俺はいったい誰なんだ・・

そして見上げた空から、雪が舞い落ちて、
瞳孔の中に、鼻の頭に、唇の端に、
舞い降りた雪が、ちりりと触れて、そして消えていく。

ふとした既視感が襲う。
俺は嘗て、それも、そう遠くない過去に、
この景色を見ている。この感覚を経験している。

そう遠くない過去?
それはいったい・・








「汝チェルノブイリを観たか?」


という訳で、新年早々、妙なト書きであった。

前夜のパーティ疲れで街中が寝静まった元日の早朝、
思わず迷い込んでしまった時間の消えた世界。
走り回るは犬ばかりの見渡す限りの無人の丘に、
ただひらひらと、灰、ならぬ、小雪が舞い散るばかり。

そんな風景の中で、いきなり押し寄せてきたこのフラッシュバック。
既視感、というにはあまりにも生々しくも記憶に新しい、
その光景とは、まさに、世界から見捨てられ街、その光景。

昨年2019年、ここ米国において、
ちょっとした話題をさらった問題作があった。

おい、見たか?HBOの・・
HBO? いや、俺、ケーブルテレビ、加入してないんだよ。
そうか、だったら残念だな。
HBOと言えば、また、GAME OF THRONES か?
もしかして、またソプラノスの続編でも始まったのか?

いや実は、と言葉を濁す人々。
いや実は、そんなのでもなくて。

それ、その番組、5回連続のミニシリーズのドラマ、なんだが・・
ああ、ドラマか、俺はあまりドラマは好きじゃなくて・・

見るべきだと思うよ、あの作品は、あの作品だけは。
日本人として、そして、世界市民として・・

チェルノブイリ、と彼らは言った。

チェルノブイリ?あの原発事故の?

そう、その原発事故のチェルノブイリ。

でも、あれが起こったのって、1980年代の半ば。
つまりは今から30年以上も前の話だろ?

イカサマサニョクの半角祭りじゃあるまいし、
なんだって、そんな苔の生した、どころか、
いまではすっかりとコンクリート詰めの石棺化された
原発事故なんてのを、ほじくり返す理由があるんだ?

30年以上経ったからこそ、ようやくとそれをほじくり返せる。
ソビエトもなくなり、そして新たな石棺も築かれ、
そして、事故当時、放射能被害によって真っ赤に枯れ落ちた森が、
いつのまにか野生の王国へと変わっていた。

そんな時代になったからこそ、いまになってようやく、
その真相にふれることが可能になったってことじゃないのか?

という訳で、このHBOのミニシリーズ、チェルノブイリ。

その後、人種を問わず、職種を問わず、
しかし様々な人々から、ことあるごとに、

ああ、そう言えば、あのチェルノブイリ、見たか?

そんな問いかけを受けていたのは確かなのだ。

いや、見てない、と俺は答えていた。
ケーブルTVにも加入していないし、
ドラマは好きじゃないし、
それに、チェルノブイリだろ?
もう30年も前の話なんだぜ。
なんでいまさらなになって、
そんなものをほじくり返す必要があるんだよ、と。

ただ、そう、ただ、気にはなっていたのは事実だ。
そしてそうこうしているうちにも、
その噂が、評判が、そして誰の口からも、
そのあまりにもの高い評価を聞かされるうちに、
いつしかその口コミが広がって広がって広がり続け。

そして、初回放映から半年以上たったクリスマス前になって、
筋金入りの映画マニアの御仁から、
あ、そう言えば、あの、HBOのチェルノブイリは、見た?

いや、実はまだ観て無くて。
観たい?
観たいか、と言われれば、見たくないわけでもなく、
だからと言って、特別に苦労して探し回ってでも、
というほどの熱意もなく・・

で?観たいの?観たくないの?

他ならぬ映画師匠のあなたがお勧めになるのであれば・・

あっそう、だったら、観たほうが良いよ。
それだけは確か。

やっぱり、そんなに凄いんですか?

ああ、凄い。凄まじく凄い。

なにが?

なにがって、まあ見れば判る。

でも、長いんでしょ?

ああ、5時間半。5回シリーズだからね。

5時間半かあ、時間ねえなあ。なにぶんにも犬の散歩が忙しくて・・

年末、またかみさんいないんだろ?

まあそうですけど。

だったそのときに、良い機会じゃないの?

でも、クリスマスに、正月に、チェルノブイリの原発事故?
なんか、あんまりちょっと・・

クリスマスだからこそ、観たほうが良い。
正月だからこそ、新年をこの作品から始めるべき、とも。

あの、ご存知のように、俺ってほら、
筋金入りのねちょうにょ嫌い、であると同時に、
嘗ては背中に刻んだ憂国烈士の紅刺繍、
直管バリバリの国士無双、
つまりわこーどーはうよくの広告塔、
そんなおいらがいまさら半日さにょくの片棒なんざ担げねえ。

だったらちょうどよい。
ソビエトの悪口、これでもかってぐらい出て来るし。

でも、チェルノブイリというからには、
その主旨としては半角でしょ?
なんかそういう原発うんちくみたいなの、
あのフクシマの件で、うんざりというか、辟易というか。

まあまあまあ。
この機会だ、どうせ、かみさんに放って置かれて、
犬の散歩以外にはすることもないんだろ?

観てみなよ、
ゲテモノ趣味のあんたのことだ、きっと気に入ると思うよ。
またいつものようにDVDに焼いてあげるからさ。









「それは現代史のターニングポイント」


という訳で、この2019年の最大の問題作「チェルノブイリ」

噂によれば日本でも「スターチャンネルEX」とかなんちゃらで、
放送されてたと聞くから、すでにご覧になられた方も多いかと思う。

あらためて言うまでもなく、このチェルノブイリ原発事故、
まさに、人類史上空前の最低最悪の悪魔の叙事詩に他ならない。

それがよりよって、ソビエトで起こったこと。
いや、むしろ、この映画においては、
それはソビエトだから起こり得た、ということでもあるのだが、
言わずとしれた、2011年の東電福島第一原発における未曾有のカタストロフィ。
あれを、ただの天災として有耶無耶にできないことは誰の目にも明らかであろうし、
それがソビエトという、人類史上稀に見る腐りきった国家でなかったとしても、
その腐敗は隠蔽は、起こりうる、それだけはすでに立証済み、と。

改めて、このHBOミニドラマシリーズ「チェルノブイリ」

日本人と言わずとも、現代人と言わずとも、
これは一つの、現代文明に起こりうる最低最悪の悪夢の叙事詩。
反面教師という意味でも、
そしてそれは、実はどこの国でも、どんな状況でも起こり得る、
その可能性を踏まえた上で、
あるいはそう、こう言ってしまうとまたこのイカサマサニョクが、
と罵声を浴びそうではあるが、
考えようによっては、この先、世界中に乱立する原発、
あの虫国が、あの姦国が、あの陰土が、パ木酢タンが、そして淫乱が、
ブラ汁が、アル禅珍が、メキ四股が、
そして、まさかまさかのあの北挑戦が、そして、ええ、まさかクー場が?

現在、紛争中、あるいは、政情不安、あるいは、経済破綻、
なんていう国々においても
ともすればその立地そのものが活断層の真上、
いつ何時、大震災に襲われるか判らない、
そんな土地においてでさえ、
なぜかしっかりと「稼働中」であるところのこの原発という怪物。
今後、ことによればもしかすると、
あのチェルノブイリを、そしてフクシマをも上回る、
もっともっととんでもなくも酷い状態が起こることさえも十分に考え得る、
その悪い予感を、生々しくもありありと、思い浮かべてしまう、
そんなエセサニョク的なネガティヴ思考の持ち主でないとしても、
21世紀こそは、狂ったテクノロジー:システムに、
人類がこれでもかと愚弄される続ける世紀、と定義する俺としては、
この原発事故こそは、狂ったテクノロジー暴走の様、
その考え得る限りの最悪の事態を巻き起こす、
ディストピア的カタストロフ、その究極系に他ならない。

改めて、30数年前、
正確には、1986年4月26日午前1時23分、
チェルノブイリにおいて、いったい、なにが起こったのか。
その悪夢の軌跡そのものを、克明にシミュレートし、
その過酷な教訓を元に、そしていま人類はいったいなにをするべきなのか、
真剣に検討する時期に来ている、ということなのであろうか。

ともすれば、この機を逃したが最後、
人類は再び、前回を遥かに上回る、
破滅的な崩壊を迎えることになる、
そんな予感はいまや誰もが感じている、
それだけは確かなのだから・・



「そのすべてが原発事故からはじまった」



という訳で、チェルノブイリである。
今更なにをチェルノブイリか。

特にいまだに記憶に生々しい、
あの東電福島第一原発事故。
悪夢の傷跡からいまだに立ち直ることのできない日本において、
いまチェルノブイリについて語ることは、
まるで化膿したままの古傷に岩塩をすりこむような、
あるいは劇薬そのものを塗り込まれるような、
そんな激痛をも伴うものである筈だ。

あれ以来、日本は変わってしまった。
それはまさに百鬼夜行。
化けの皮の剥がされた妖怪変化が、
或いは地の底から這い出た気味の悪い虫どもの大群が、
みるみるうちにわらわらと地上世界を埋め尽くしては、
その死に物狂いの断末魔の狂奔の中で、
恥も外聞もなく、嘘を嘘と知ったうえで、
虚実を虚実として百も承知したそのうえで、
猶更それを強引な手段で
白を黒と、青を赤と、善を悪と、悪を善と、
その悪意に満ち満ちた喧伝工作の中に
世の良心のすべてを密殺しようと企んでいるのだ。

果たしてその百鬼夜行の正体とはなにか。
例えばそれは、原発産業を中心とする和製軍産複合体。
かつては護送船団を言われた日本産業界の寄り合い所帯。
その古き良き権益を守らんがために、
その後に世界で巻き起こったパラダイムシフト、
その時代の転換期から完全に逸脱してしまうことにもなった、
まさにあの原発事故こそは日本の命運を決め、
そしてその進路を決定的に誤らせた、
そのエポックであることに間違いはない。

あの事故以来、執拗に繰り返された隠蔽工作。
愛国ポルノに象徴される取ってつけたような自画自賛の風潮から、
お上の言論操作の及ばぬ解放区であった筈の日本語ウェブ界の中にあって、
異を唱える者のすべてに集団争議で襲い掛かってのネットリンチ。
サニョクだ敵だ赤だ非国民だ、その恐ろしく画一的な論調において、
あまりにばかばかしくて相手にするのも虫唾が走る、
その嫌悪感の中にすべてを密封し押しつぶしてしまおうと企む、
それもこれもすべてが死に際の断末魔にある和製軍産複合体、
その権益保護のための喧伝工作に過ぎないのは誰もが知る限り。

そんな為政者たちの喧伝にまんまと丸め込まれた人々の中には、
反核=サヨク=敵 というネットを通じて流布された、
このあまりにも単純な図式の中にまんまと絡め捕られては、
ともすれば、モニターから目を反らしたが最後、
自身が実際に暮らすその生活圏そのものが、
いまや完全に瓦礫の山と化している、
その現実さえもを、見失ってしまっているに違いないのだが・・

改めて言おう。
この悪しき風潮のすべてが
実はあの原発事故から始まっている。
なあに、放射能の被害などサニョクの流布した風評に過ぎない。
そんなものはすべて嘘だフェイクだ、臆病者の過剰反応だ。
そう脊髄反射する自称現実派を気取る物知りたちよ。

改めて、そのネットの魔力、そのちらつくモニターから目を放し、
嘗て地球の裏側における同様の事象において、
いったいなにが起こったのか、
そしてそこで行われたこと、
その周到な罠が、その悪意の詭弁が、その執拗な報復が、
いったいなんのために、だれの利益保護のために行われてきたのか、
外ならぬ貴方自身を徹底的に搾取する、その邪悪な罠の中に、
まさか、自身が知らぬうちに絡め捕られては片棒さえも担がされている、
そんな茶番的な図式。
ここまでくればどんな馬鹿でも、
さすがにもうすでに少しぐらいは気が付いている、そのはずだ。

ただ、諦めるのは、やけになるのは、まだ早い。
もしもその悪意の正体を見極め、
その目的と、その用意された罠のからくりを見極めることができたとき、
それと戦うことはもうさすがに手遅れだとしても、
少なくともそれから逃げおうすことは十分に可能だ。
諦めるのはまだ早い。手段はまだある。
きっとある。活路は開ける、その筈なのだ。

見え透いた嘘で固めた成功談のおとぎ話を鵜呑みにしてはならない。
それは嘘だ。
この時代、耳障りの良いことは必ず嘘なのだ。
虚実なのだ、詭弁なのだ、つまりは、詐欺なのだ。
現実は違う。
そんなことは、誰にでも気づいている筈だ。
完璧な人間が存在しないように、完璧な物語など存在しない。
右か左か、上か下か、白か黒か、赤か青か、そんな単純な二元論、
そんな判りやすい勧善懲悪な世界はこの世には存在しないのだ。
そう、あなたが完璧な人間にはなりえないように。

だがしかし、失敗談の中には、それなりの真実、
つまりは、利用価値のある教訓が多く含まれる。
それをLESSON LEARNED:失敗から学んだ教訓、という。

ちなみにここ米国における危機管理のプロセス。
障害発生からの敏速な障害対応手段、
その連絡網の完備から、責任範疇の明確化から、
そして、一刻も早くWORKAROUND:応急処置を促した後、
危機管理から、変更管理から、そしてBCP、
矢継ぎ早に次から次へとプロセスが稼働していく。
そして障害が収束したのち、
本当の山場はそこから始まる。

問題管理委員会により、被害額の総額の冷徹な査定から、
原因の特定から究明から、そしてポストモーテム:死後検体作業。
そのすべてののち、再発防止対策としての予算が申請されることになるのだが、
特筆すべきは、その危機管理におけるすべてのプロセスが、
最高責任者に対しての直接発言できる権限を与えられているのである。

そしてすべての終わった後に、最高責任者の決まり文句がある。

SO,WHAT DID WE LEARN?
 ~ で、私たちはこの失敗からなにを学んだんだい?

転んでもただでは起きない。
失敗を教訓として次なる機会に結び付ける。

今もって NO MAN LEFT BEHINDの鉄則を貫く、
世界最強の軍隊である米国軍。
その伝統を周到するビジネススタイル。
つまりはアメリカにおいて、ビジネスとは、
まさに戦略であり、戦術、つまりは、戦闘なのである、と。

ト書きばかり長くなった。

それではそろそろ本題に入ろう、この未曾有の大惨事:チェルノブイリ、
その克明な記録。

それに副題をつけるとすれば、俺ならばこう謳わせていただく。

チェルノブイリ~現代文明に起りえた最低最悪の悪夢の叙事詩

だが改めて繰り返そう。
これはしかし、いまこの時点でも、世界のどこかで、
この嘗ての最悪さえをも上回る、未曾有の悪夢が、
しかし、再び起こり得る、それはいまこの瞬間にも十分に起こり得るのだ。

それはもしかすると、あの生産管理の概念のまるでない、
彼の国々、あるいは下手をすれば、
巨大利権の争奪戦のキャビンフィーバーに狂騒しては、
国中を走る活断層の真上に、次から次へとこの悪魔の竈を乱立させてしまった、
そんな冒涜的なまでに浅知恵な毒虫たち、
それにすっかりと汚染されたどこぞの国かもしれない・・

いやさすがにそんなことはありえない、
そう鼻で笑う諸氏。

では聞こう。
南海トラフ地震がこれほどまでに喧伝されながら、
そこに伴う一番のリスク、原発、
その安全管理について、
誰も具体的な情報を提示しないのは、
イッタイ・ドウイウ・ワケナノダ・・




HBO ミニシリーズ「チェルノブイリ」を見る

やほー。遅ればせながら、チェルノブイリを見たぜ、と。

で、ネタバレ懸念、なんだが、
いまさら、30数年も前に起こった事件、
そのからくりからその顛末から、
すでに歴史の教科書に繰り返されているわけで、
よって、いまさらネタばれもくそもねえだろう、と勝手に自己判断。

なので、さっさか書かせてもらう。

であらためて、これ、実は3回、4回、そしていま、5回目を見ている。

そう、これ、面白いよ。すごく面白い。
で、なにがそれほど面白いか、
つまりは、俺がこの陰惨な叙事詩の、
なにをいったい、そこまで面白がっているのか、

まあここからは、その面白さポイントのご紹介が主になると思うんだけどさ。

改めて、内容をそのままなぞるなんて馬鹿なことはしない。

現代を生きる常識的範疇として、
このチェルノブイリで起こったこと、
知らない奴はいないだろうし、

その大前提として、

これ、とか ー> 「原発事故から10年 チェルノブイリ」
これ、とか -> 「チェルノブイリ・28年目の子どもたち」
あるいは、これ、とかもー> 東海村バケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故

んだこれ、またイカサマサニョクの風評の喧伝の、
と鼻で笑ってきたそのひとつひとつが、
今回のこの HBOのミニシリーズ、その映像化によって、
え?あれって、本当の話だったの?
その目からうろこの風評の数々。

なんだけどさ、
改めて言わせてもらうぜ、と。

これ、制作が、米国と英国。
で、元々その原案になったのは、

2006年に英国国営放送BBCが作成した
「チェルノブイリ原発事故 ワレリー・レガソフ回想録:Chernobyl Nuclear Disaster」

ではあるだけど、今回のこのHBOでのリメークも、
このチェルノブイリ原発事故の障害対応責任者であり、
そしてその事件の後、真相のすべてを暴露する録音を残しては首つり自殺を遂げた、
その悲劇のヒーロー像ってことにもなるんだけどさ、

で、改めて、これ、英語・笑

そう、これ、米英のドラマだしさ、
全員が全員、当然のことながら、米英の俳優さんが演じているわけで、
そこで話される言語はもちろん英語、であるわけなんだけど、
あらためて、それがロシア語ではない、ことに、逆に信憑性が高まる、
その不思議な感覚がどこからきているかというと、

そう、ロシア語での喧伝は、嘘ばかり。
その悪しき風潮が、実はこのチェルノブイリによって決定づけられた、
ってな皮肉もあって、
そしてこのHBOのドラマ、
その主題となるところが「THE COST OF LIES 」つまりは、「嘘の代償」!

この未曾有の大惨事を、この期に及んでひた隠し、
嘘に嘘を重ねては、ついには自分自身が騙されて、
その結果として、事態をますますの泥沼の修羅の中に引きずり込んでいった、
この悪魔的なまでに愚かな官僚主義。

このバカバカしい真っ赤な嘘のために、
いったいどれだけ被害が拡大し、
そしてどれだけの命が犠牲になったのか。

このドラマの主題は、どうもそういうことらしい、と。

ただ、こんな30年前の大事故の話を、今更になって穿り返すその理由。

それはなにより
現代に蔓延するこの 嘘、嘘、嘘、嘘、真っ赤な嘘 真っ黒な嘘。

為政者のウソ、メディアのウソ、企業のウソ、役人のウソ、
ネトウニョのウソ、サニョクのウソ、すべてがすべてフェイクフェイク、
つまりは、風評、つまりは、嘘ばかり。

そんな御時世の中にあって、改めてこの嘘の代償。

この三十余年前の凄惨な教訓をもとにして、
その嘘というものの根源的な罪と、
それを見逃すことによる代償について、
もう一度、考え直すべきだ、と。

ただこのHBOのドラマ。
ご覧になられた方はわかるだろうが、
これは通常のドラマ仕立てではない。
かと言って、ドキュメンタリーでもない。
ドキュメンタリー仕立てで俳優が演じている、
つまりはこれはこれで一つのフィクションなんだけど、
ただ、わりと淡々と、起こったことをたどり続けるその冷静かつ客観的な姿勢が、
逆にそこに起こっていたこと、
そのあまりに救いようのない事態の意味するもの、
その危機感が、臨場感が、緊張感が、切迫感が、
そしてその登場人物のひとりひとり、その背後にあるはずのあまりに膨大なドラマ、
そのすべての蓄積が、否応もなくまるで津波、あるいは放射能のシャワーのように、
これでもか、と降り注いでくるわけで。

正直な話、あのいついつでも、ガーガーガーと、
鳥のさえずり夏の虫のように鳴り響き続ける、ガイガー探知機、
あの音が、まさに夢に見るほどにまでに、がーがーがーと、迫る迫り続ける。
思わず見ているだけで、画面から被爆しそうなほどに、
そのあまりのリアリティ、というか。

ただ、俺的には、実はこの主人公であったワレリー・レガソフ氏について、
別の方面からその裏話を聞いたことがあって、
この人、このチェルノブイリに担ぎ出される前まで、
核兵器、ぶっちゃけ、のちにスーツケース・ニュークという別名で世界を震撼させることになる、
限定小型核爆弾、その開発に携わっていた人、だったりもするらしくてさ。

いやあ、実はいまでもビビってるんだよね、このスーツケース:限定小型核爆弾。
大陸弾道弾打ち上げ花火、なんてのよりも、このスーツケースサイズ、下手すればアタッシュケースサイズの核爆弾、
こんなものをホイホイと持ち込まれては自殺さんちゃら、なんてされて日には、
まじで、たまったもんじゃねえぞ、と。
なんてところから、その限定小型核爆弾の始祖であるところのレガソフ氏。
志半ばでチェルノブイリなんてのにはまってくれて実は本当に良かった、とは思いながらも、
まあこのひとがいなくても、きっと他の誰かが、もっと小さくてもっと威力があって、
そしてもっと、ばれにくいなにか、なんてものをせっせせっせと研究されているであろう、と。

まあよい、まあこれも風評あれも風評。
歴史にIFはありえない。

なので、史実は、事実は、憶測も過剰演出もできるだけ廃し、
あったことをあったこととして淡々と述べるに越したことはない。
それにこそ、真実味がでっちあげられる、そのはずだろう、と。




「悲劇のレイヤー その複眼的視点」

というわけで、このドキュメント仕立てのパニックドラマ。
ドキュメント仕立てというだけあって、そのカメラの目、
そのエピソードごとの対象が見事に複眼的の複層的。

責任回避ばかりの役人から、嘘ばかりを喧伝したがる政治家から、
現場の最前線で事故対応にあたった消防士から、
翻弄される現場技術者から、使い捨てられる作業員たちから、
その結果として見殺しにされる民衆から、
そして、事故対応と真相解明のために戦居続ける科学者たち、
そのあまりにも悲惨な末路・・

そのそれぞれの役どころ、それぞれの立場における、
そのあまりにも凄惨な現実を前にして、
そこで一体なにが起こったのか、
その事実を、たんたんと刻み続ける5時間半。

これ、映画では無理だったよね。
5時間を劇場で座ったままってのはあまりにも長すぎる。
でも、一般局でも放送も無理。
だって、そう、あの東海村の臨界事故でうわさに聞いた、
被爆者のあまりにも凄惨な末路、
それをわりとあっけらかんと映像化しちゃってるなんてところもあって、
普段から見ているところのスプラッターやらぞんびーものやら、
そんなものに比べてはなんだよ、ぜんぜん大した事ねえや、
なんて思っている人こそが、
嘘の世界の幻想にだまされているだけ。

そう、このチェルノブイリのドラマを現実のものととらえればとらえるほど、
この修羅の中にのめりこめばのめりこむほどに、そこに描かれる一種凡庸なスプラッター、
その映像の意味するもののすさまじさが見えてくる、と。

というわけでこのチェルノブイリ、
その同時進行の多面性の中から、
見る側のその視線の立場のその思い入れの社会認識の、
その、角度によっていかようにも変化を繰り返す。

例えば・・

まずは、世の「技術屋」の人々にとって、
この作品はまさに必見の中の必見。
抱腹絶倒なまでに、骨身に知らされて然るべきもの。

そういえば、嘗て技術屋の端くれとして、
盆暮れ正月はいつも決まってデーターセンターの白き牢獄に幽閉缶詰ぶっこいて、
なんていう暮らしをしていた俺にとって、
この現場技術者たちの、焦燥が、苦悩が、絶望が、そして投げやりまでもが、
まるでまさに、現実そのもの。
身につまされるというよりもむしろ、これ、俺?これ俺のこと?
ってぐらいまで、そう、技術屋諸君にとって、
いきなり丸投げされる作業から、その勝手な自己判断のテスト項目かっ飛ばしから、
馬鹿みたいにがーがー騒ぐ現場監督から、
そして障害発生時、え?なんで?なんでなんでなんで、で?なにが起こってんの?
あああああ、どうした、どうしたんだ、どうしようか、ああ、とんでもねえことやっちまった、
あの、顔面蒼白全身緊縛の逆立った髪の毛を血が滴るまで掻きむしる、
あの白い牢獄で巻き起こる、あのカタストロフィのまさにあまりにもリアルな疑似体験。
これ、技術屋のすべてが、心おきなく楽しめる、まさに悪趣味なまでの修羅しゅしゅしゅ。
これがわからない技術屋は技術屋とは言えない、
ともすれば思わず、あれ、そういえばあの案件、いまごろどうなっていたっけか、
そんなことを思い立ってはいてもたってもいられず正月のさなかに会社携帯のメールを漁る、
なんてことにもなってしまうぐらい、
そう、すべての技術屋にとって、この悪夢、まったくもって現実そのもの、と。

で、世の「お役人」あるいは、政治家、
ぶっちゃけ、マネージメントという役職に就かれている人々。

いやあ実はさ、とまた例によって余計なことを思い出すんだが、
かつての米系企業において、ブランチであった日本支社にも米国仕様の組織編制を促す、
なんていうあまりにも徒労ちっくなプロジェクトにぶちこまれた際、
ちょっと、妙に、おかしな話があったよな、と。

米国側の危機管理委員会より、
障害発生時の連絡網を早急に提出されたし、
なんていう要求が出された際、

米国側はそんなもの、明日の朝には届いている筈、と軽く考えていたのだがさにあらず。
三日経っても一週間たっても、ちょっと待って、いまやっているから、とそんな返事ばかり。

で、いつたい、日本で、なにが起こっているの?と、
本気の本気で???モードの米国チームの面々。

で、ようやくようやく出来上がったその連絡網に、なんじゃこりゃ、と目が点々の米国人。

いやあ、ごめんなさい、時間かかっちゃって、
というその一番若い、つまりは下っ端の、つまりはぶっちゃけた話のトカゲのしっぽ君。

なんか、忘年会の席順決めるみたいに、ちょっともめちゃって、と苦笑い。

ただ、これ、米国側には通せないと思うよ、だって、と。

そう、米国側の緊急連絡網は、といえば、
障害発生時、まずはTOPに連絡。
そこから、さまざまな下部組織に対して、連絡の振り分けがされていく。

対して日本、そのまったく逆。
現場の下っ端の下っ端から、その上から、そしてそのちょっと上から、そのちょっとちょっと上へ、
その、まるで、カメが歩むような、というよりは、虫が這いあがるような連絡図。

なんだこれ、と、思ったとおりに。
なんだこれ、なんで、これ、TOPが最後の最後になるんだよ、と。
ってことは、障害発生からそのしばらくの間、
下手すれはTOPはその状況からまったくのつんぼ桟敷におかれるわけかいね、と。

で?と呼び出された俺。
で、これ、なんだよ、と笑いながら。
この摩訶不思議な危機管理のプロセス、
その背後にあるところの日本人流の組織観、
その根本的なメンタリティなんてものを、
ちょっとじっくりと、解析解説してくれんかね、と。

いやだから、と俺。
そんなことは言うまでもなく、とニヤニヤと笑いながら、
「事」はなるべく上には伏せておいたほうがよいわけで。
なぜ?
だってほら、上に知られると面倒くさいからさ。
面倒くさい?
そう、上の人だって、いちいちわざわざ、そんなことで連絡もらったらたまらないしさ。
たまらない?
そう、そんなことで上をたたき起こすなんて、失礼だし、そんな度胸、だれにもないし
失礼?度胸?イッタイ ナンノハナシヲ シテイルノカ、と。

そう、日本人の方なら、俺の言う、
「事」は上に知られる前に揉み消せ、
そのメンタリティ、十二分にご理解いただけるはずである。

で、なんだかんだで世界の人々とお付き合いのある方々、
そんな日本流のメンタリティが、世界にとって、どれだけ疎まれているか、
それも、ご理解いただける筈だよね、と。

で?どっちが良いか?と聞かれた時、はい、あなたはどうお答えされますかね、と。

ぶっちゃけ、平常時においては、日本のやり方のほうが良い。
上には上の重要なお仕事。
ゴルフで面識を広げ、バーでクラブでご料亭でその親睦を深め、
より広くより高くより強く、各方面にその人脈を培って、
つまりは、だんごーってこと?つまりは天下りの根回しってこと?
ってことにもなるのだが、言わない言わない、
そんなことは言わないよね口が裂けてもだって大人の事情なんだものと。

そう、こっちにだってあるよ。
ゴルフに接待に学閥から天下りからなんちゃらクラブの秘密会合から。

なんだけどさ、そう、ここはやはり軍隊調の質実剛健こそがそのお建前。
そのTOP-DOWNの連絡網と、BOTTOM-UPの報告網、
つまりは、これ、常時戦時体制の危機管理システム。

で、いつ何時でも、しゃしゃり出ては陣頭指揮を執りたがる、
そんな出たがりの鬼軍曹、稲妻将軍像こそが、米国社会で理想とされる管理者像。
で、かたや日本は、といえば、神輿の上で虚ろな薄ら笑いを浮かべた木偶人形・・

まあそう、社風により、業種により、そのマネージメントスタイルってのもいろいろあるだろうが、
幸か不幸か、俺のいたその米国企業ってのがガチガチの軍産複合体企業。

まさにそれ、米国軍の醍醐味のすべてって感じで、
そのカルチャーギャップというかショックというか、
いろいろと楽しませてもらったもの、なのだが・・

というわけで、その妙な会議が終わったのちに、
米人の友人がひとこと。

日本が戦争に負けた理由が、いまはっきりと、わかったぜ、と。

はははは。

まあいろいろ異論はあるだろうが、
いまになってから、いや、負けてはいない、ちょっとタイム:休憩しただけだ、
なんていう苦しい詭弁もあるのだろうが、

この危機管理体制の甘さ、
管理者といわれる人々の志の甘さ、こそが、日本の最大の弱点。
言い得て妙なりというかなんというか。

で、なにゆえにそんなことを思い出したのか、

はい、このチェルノブイリにおけるソビエトの危機管理システム、
まさにこの日本と同じ、BOTTOM-UPの隠蔽志向。

つまりは、そう、ことなかれ主義の、原点法の、責任回避システムが、
社会の隅々にまで浸透しては、硬直化し、腐敗に腐敗を繰り返していた、と。

ええでも、と。
ええでも、ソビエトって社会主義、
そして日本って、いちおうは=そんなことだれも意識したことないだろうが、
いちおうは曲がりなりにも民主主義であるはず。
なんだけど、
その組織観というか、その機構そのものが、完璧なまでにソビエトに酷似しているわけで。

そっか、日本が、立憲君主制全体主義国家、と言われていたのは、
つまりはこういうところにもその理由があったのか、と。

で、そんな官僚主義という病魔に侵された末期的なまでの事なかれ主義、
その原因であり理由であり目的であるところの責任回避システム。

このチェルノブイリというドラマのそのもうひとつの主題、
あるいは、そのテーマであるところの嘘の代償、
実はそのテーマの根本的土台が、
この、減点法の責任回避の、その官僚主義に在る、
俺がここまでくどくどと悪舌を続けている理由が、
まさにこれなんだよ、と。

というわけで、その弊害である。
平常時にはだれもがのほほんと責任の曖昧な事なかれ主義、
その生活のすべてにおいて、嘘も方便、その処世術がまかり通る、
そう、それが、平常時においては・・・

というわけで、ひとたび危機に陥った時、
その危機が甚大であればあるほどに、
その弊害が実害となって、のほほんとした人々をこれでもかと押しつぶしていく。

というわけで、その象徴となった、あの死の橋:ブリッジ・オブ・デス

不気味な光を放射しながら燃え上がる原発、
その様を、夏の花火でも見物するように、家族総出で見守るひとびと。
その頭から降り注ぐ、白い花びら、ならぬ、そう、死の灰、というやつ。

あらためて、このひとたち、
つまりは、チェルノブイリの原発産業になんらかの形で従事していたはずの、
その人々のひとりとして、原子力というものの危険性、
原発というブラックボックスの持つ潜在的な恐ろしさについて、
これっぽっちの知識もなかった、と。

いや、日本はさ、と俺は思った。
ほら、日本には、はだしのゲン があるしさ、と。

あれ、俺らの世代の小学生、みんな読んでいた、そのはず。
で、白い灰の、黒い雨の、その放射能の恐怖、
誰もが骨身に沁みて、学んでいた、そのはず。

だからこれ、このウクライナのひとたち、
ああ、このひとたち、はだしのゲンを読んでなかったんだな、
おかわいそうに、とは思った、思ったんだけど・・

え?あれ、あの本、あの はだしのゲン が、図書館から排斥?
なんで?
どうして?

はーい、その理由、ここまでくれば誰もがお分かりですね。
そう、原発事故というターニングポイントを回った日本、
その悪しき風の張本人がいったいだれであるのか。

で、似たようなことが、チェルノブイリ、
あのソビエト執行部と、そして、なにもしらないウクライナの人々に、
これでもか、という邪悪さで襲い掛かるわけでさ。

ただ、ここまで来て、あまりのことに、心のそこからへきえきしている方々。

悪い、そうだよな、俺ももうちょと、
書き方から説明方法からその順番からを、
考えてから書き始めれば良かったんだが、

なにぶんにもこの5時間半の超大作を前にしては、
言いたいことがあまりにも多すぎて、
あまりの支離滅裂さに、思わず、だからさにょくは、とその舌打ちが聞こえても来そうだが、
そう、改めて、俺はさにょくではない。
なぜかといえば、はい、お分かりですね、
俺はなにより、このソビエトという国が、大嫌いだったのである。

というわけで、いきなりその視点は、第四章、へと飛ぶ。





「愛の結晶をコンクリート詰めに」

このチェルノブイリという5時間半にわたる壮大なドラマにおいて、
ともすれば、え?なにこれ、これスピンオフ?というぐらいに、
一種、ちょっと毛色の違う章がある。

それがこの第4章「掃討作戦」

そこに描かれる一種のどかな、ペット・コントロールに駆り出された兵隊たちの逸話。

すでに住民たちが疎開を余儀なくされたのちの無人の町。
そこに放置されたかつての住民たちのペットたち。
放射能で汚染されたその動物たちによって更なる汚染の拡大を防ぐためを名目として、
アフガン戦争の古参兵と、そして新入りの少年兵が、
時間の止まった風景をさまよいながら、ペットハンティングにいそしむ、という逸話だったのだが・・

実は、俺、この4章にたどり着くまで、どこかしらに心の余裕というか、
そう、その映像のすべてがなんとなくの絵空事、
というよりも、あ、これ知ってる、あ、このエピソードも知っているぜ、
その活字で読んだ知識の復習的な再確認作業、その映像化バージョンに過ぎず。
なんてところで、なんだよ、凄い凄いと聞いていたわりに、
あんまり大したことねえな、その衝撃映像、
なんて思っていたりもしたんだよ、と。

で、そんなところで、いきなり始まったこの第4章。
なんだこれ、イキナリスピンオフかよ、と思いながらも、
あれ、これ、なんか、身に覚えがある、というか・・

そう、今だから言おう。
俺は世界がこのチェルノブイリの渦中にあって激震をしていた、その最中に、
よりによって、地の果て空の果てのアフ汗スタンなんてところで、
最新鋭ジェットヘリに火縄銃で立ち向かう、その勇猛果敢なサンダル履きの戦士たち
その一員として、一見してあの長閑な岩山の渓谷を、時として口笛なんてのを吹きながら、
そしてそうやって、俺は外ならぬこのソビエト兵たちと、相対していたのでありなむ、と。

出発前のペシャワールにおいて、ゲリラ組織への募集事務所、というよりは荒れ地のバス停のようなところで、
で、なにができるの?なんて話から、やれ反福横跳びをさせられたり、
ともすれば、その足元に機関銃掃射を受けてのタコ踊り、なんてのをご披露しながら、
で、携行する武器は、自費調達、と聞いて、え?と呆気にとられていた。

武器は自費調達?
そう、ここは軍隊ではなくゲリラ組織。つまりは自己参加の自由意志の自己責任制。
よって、ユニフォームもなく装備もなく。
自分の思うところを思うように思い思いの装備で、
自分で勝手に自分の戦いとやらをやっているひとたち、その集まり、と。

はあ、そうなんだ、と肩をすくめながら、
で、どうするの、あなたの武器。まさか、手ぶら、というわけにはいかないでしょ、と。

というわけで、えっとえっとえっと、と懐具合と相談しながら、
だったら、これかな、と差し出された、機関銃というにはあまりにも火縄銃に近く、
武器、というにはあまりにもおもちゃに近い、そのみたこともきいたこともない不思議なつっかえ棒。

これ、なに?
これ、AK。
AK?これが?
そう、ほら、ここに弾入れて、で、ここを押して、としたところいきなり、パーンと鼓膜が破け。
どう?撃てるでしょ?これも立派な武器。
つまりはそれ、スクラップからパーツだけをかき集めてでっち上げた、改造品、というよりは模造品。
まあ、あんたの予算では、これがギリギリってところで、と言われながらも、
ほら、自分で撃ってみろよ。ここをこう持って、こう構えて、で、ここをこうやって押さえて引っ張って。
その説明を虚ろな意識で聞き流しながら。
でもさ、これ、こんなおもちゃみたいので、もしもの時に、ジャムったり、あるいは、暴発したり、なんてときに・・
ジャムったらジャムったでインシャアッラー。
で、暴発、まあそう、暴発したって言っても、指が二三本吹っ飛ぶだけで、死にはしないから心配するな、と。
指が吹っ飛ぶ?
まあそう、それも二三本ってところだろ、と。
指が二三本、吹っ飛ぶ?それどういうこと?と。
そしていま手に持ったこのAKとは似て非なるもの。
ただ、ここをこう持って、こう構えて、ここを押さえて引っ張って、
とやるだけで、一応の殺傷能力は備えた、この摩訶不思議なツール。

ただ、指が二三本、その二三本と聞いて、思わず・・・絶句。

あのさあ、もしも指が二三本無くなっちゃったりしたら、
ピアノ、はもともと弾けないまでも、
ギター弾いたり、ドラムたたいたりするときに、すっごく苦労することになるし、
俺こう見えてもいちおうプロのミュージシャン、
楽器が弾けなくなるのはそれは困る、凄く困る、と。

ピアノ?ギター?ドラム?おまえ、何の話してるんだ。
これは戦争だぞ、戦争。
それはわかってるわかってるんだけど。
指がなくなる、それは、あまりにも酷すぎる・・

というわけで、その手に持った模造ライフル。
俺はこれから、このおもちゃのようなライフルを命綱にして、
戦場という現実の中に足を踏み入れようとしている。

戦争・・戦争っていったいなんだよ、と。
俺の知った戦争。コンバットで、史上最大の作戦で、地獄の黙示録で、
その映画的映像の中ですでに知ったような気になっていたその戦争という状況。
血沸き肉躍る機関銃連射、迫りくる戦車隊に手りゅう弾を投げつけ、
その勇ましくも英雄的なアクション、そのひとつひとつが、
命綱のライフルが暴発したら指が吹っ飛ぶかもしれない、
その事実を前にして、いきなりも現実味を帯びては、
で、で、で、で、それってなんのこと?
炸裂する爆弾の中、立ち上る土煙の中で、わーっやられたーと飛び散る敵兵たち。
ピュンピュンと頭上を飛び交う弾丸が、
それがちょっとでも身体をかすめただけで、
指が二三本吹っ飛ぶ、どころか、腕が千切れ、足が折れ、内臓をえぐられては引きずって・・
死ぬのならまだよい。死ねるのであればまだ救いがあるような気がするが、
もしも、そうやって、指の二三本を失い、腕を失い、足を失い、内臓を失った時・・
俺はそんな身体になっても、その後の人生を生きねばならない。
そう、あの男、あの乞食、あの帰還兵たち、
地雷で片足を失い、顔の半分を吹き飛ばされ、ともすれば両腕を失っては、
そして誰からも顧みられないままに、
こうしてゲリラ募集のまわりをうろうろとして物乞いを続ける、
つまりは、つまりは、つまりは、そういうこと。
これも、そして、これこそが、戦争の現実、と。

で?どうする?とそのジャンクヤードの武器商人。
買うのか?買わないのか?だったらいくらなら出せるんだ?
いくらって言っても、指の二三本なんて言われたら・・
だったら、自分で試し撃ちしてみろよ、と。
ほら、これ、弾、サービスでつけてやるからさ。
だったら、ほら、あの、あそこの犬、あれを撃ってみろよ、と。
犬?
そう、見えるだろ、あのゴミをあさっている野良犬。あれを撃ってみろ。
でも、犬だろ。撃ったら死んじゃうじゃねえか、と。
そんな俺にいちいち腹を抱えて笑うゲリラ兵士たち。
いや、笑われたっていい。だが、俺は犬は撃たない。
ライフルが撃てねえ、なんてわけじゃない。
だが、犬は、犬だけは、撃てない。
聞いたかよ、こいつ、犬が撃てないとさ。ははは、どこのバカだよ、こいつは。
ほら、笑われてるぞ、早く撃ってみろ。ちゃんと仕留めたら、半額にまけてやるから。
半額って言われても、犬だぞ、生き物だぞ。理由もなくそんなことできない。
あのなあ、と。こいつ正気で言ってるのか、と。
だってみろよ、あの犬、子犬を連れているじゃねえか。
あのお母さんを撃ってしまったら、あの子犬たちは・・
とそんな言葉の最中に、パーン、と一発。
ギャヒン、と跳ね飛ばされた母親犬。
逃げ惑う周りの犬たちと、そしてなにが起こったさえわからず、鼻を鳴らす子犬たち。
ほらな、ちゃんと撃てるじゃねえか、と。
おまえ・・ 犬を撃ったな、殺したな・・てめえ、ぶっ殺してやる・・
だからうるせえ!ほら半額にしてやるから、さっさと、銭払って失せろ、この・・・野郎が・・。

そしてアフガンであった。
あの一見して長閑な、岩鷲の舞う禿山の渓谷。
時として、口笛さえも吹きながら、
おい、気を抜くな、足元に気をつけろ。
どこに地雷が、ブービートラップが、
隠されているか判ったものじゃないぞ。
その相手となり、敵とされていたのが、
他ならぬ、ソビエト兵・・

そしてこのHBOのチェルノブイリ、その第4章。
ライフルに弾の込め方さえも知らなかったこの少年兵が
いきなり叩き込まれたペットコントロールという任務。

犬は撃てない・・そう躊躇していたいたいけな少年。
いや、撃てない、どうしても撃てない・・
その少年の背後から、パン、パン、パン、響き続ける銃声、
その意味するもの・・
なあに、最初はみんなそうさ、と笑う古参兵。
俺だって、アフガンで最初に人を撃った時には、
ほら、いまのお前みたく、昼飯も喉を通らなかった、
俺にだってそんな時代もあったものだんぜ、と。
そして午後の終わるころには、なんの躊躇もなく、一発二発三発。
そしてそのあまりにもドラスティックな表情の変化。
午後を過ぎて、すっかりと肚の座った少年兵、
何食わぬ顔を装いながら、パン、パン、パン、
時間の消えた街に軽やかに鳴り響くその銃声。
だがその一発一発に、画面を見入るこの俺が、
思わず、首がすくみ、腰が跳ね、胃がせり上がり。
その銃声の、意味するもの・・・

そして、駆り集められた犬たちのその亡骸が、
穴に放り込まれ、そしてその上から注がれるコンクリート・・

改めて、犬は愛、その結晶なのだ。
誰にだって犬は殺せない。
犬を殺すことは、ともすればもしかすると、
敵兵を撃つことよりも、つらいことかもしれない。
そう、犬は愛の結晶なのだ。
パン、パン、パン、その銃声とともに、
そしてそんな犬の亡骸が注がれたコンクリートの海に沈み込み。

愛の結晶を、コンクリート詰めにする、せざるをえない、
このあまりにも凄惨な現実。

恥ずかしながら、俺はこの第四章を見終わるまでに、
二回、三回、四回と、STOPと映像を消しては、
席を立ち、窓を開け、トイレに入り、
がしかし、そのあまりの衝撃の中で、
涙をにじませることも忘れてはただただ絶句を繰り返すばかり。

そして思っていた。
この少年兵、これはまさしく、
あの時の俺。あの時の俺、そのものじゃねえか。

嘗てアフガンにおいて、
傭兵とは名ばかりの、ボランティアゲリラの一員として、
誰に請われたわけでもなく、
どんな目的があるわけでもないままに、
アフガンとペシャワールを行ったり来たりして過ごしていた、
あのニュージーランド人のルームメイト。

なに?指をふっ飛ばされたらギターが弾けなくなるだって?
おまえ、つくづくおめでたいやろうだな。
これは戦争なんだぞ。
いいか、指があろうがなかろうが、
お前がどんな状態でこの戦場を後にするにしても、
ひとたび、戦争という世界に足を踏み入れた以上、
もう元の自分には戻れない。
そう、お前すでに、その川を渡ってしまったんだよ。

お前がもしも、かつての自分の生活に戻ることができたとしたら、
その時こそが、魔の刻。
その時になって、いま俺の言ったこと、
その本当の意味が理解できるはずだ。

見ろよ、あいつも、あいつも、あいつも、そしてこのオレも、
嘗てはただの戦争見物の観光客だった、
そんな、いまのお前のような奴らが、
そしてそうやって、この戦場に帰ってきた、帰らざるを得なかった、
ここにいる連中は、そんな奴ばかりだ。

そしていまになって判る。
俺たちが対峙していたあの敵兵であったソビエト兵。
あいつらも実はそうだったのだ。
弾の込め方さえも知らず、犬ころの一匹さえも撃つことができず。
そんな兵隊たちが、戦場という究極の危機状態の中にあって
無残な変貌を遂げていく。

あの禿山の渓谷の向こう側、その国境ラインのその向こうで、
こんな俺、こんな俺たち、
弾の込め方さえも知らず、犬ころの一匹さえも撃つことができない、
そんな少年たちが、詰まった喉に無理やりナンの欠片を押し込む、
そんな断末魔を続けていたのだ。

死は悲しいものだ。わびしいものだ。たまらなくも耐え難いものなのだ。
そしてそれを強いる戦争は、そして大惨事は、
そんなやるせない悲しみの、まさにてんこ盛りの集大成。

改めて、このチェルノブイリの大惨事、
当時、ソビエトは、すでに泥沼化したアフ汗スタンでの戦争という、
とてつもない災禍にの中にあって、
嵩む軍事費と末期的な厭戦ムードに加え、
なにより敵地であるアフガンから持ち込まれるヘロインという悪魔の粉。
まるで大流行する伝染病のようにして広がったこの麻薬汚染、
それが社会の隅々のその根底を食い尽くしては腐らせきり、
そして、このチェルノブイリであった。
放射能という目に見えない病原体にこれでもかと蝕まれながら、
そしてソビエト帝国は、このチェルノブイリの事故から5年後、
ついにその悲劇の歴史の幕を閉じるのである。

のちに、ソビエト連邦最後の書記長となったゴルバチョフがいった言葉。
このチェルノブイリこそが、ソビエト崩壊の引鉄であった、と。

チェルノブイリの障害対応の中で、
わたしは、ソビエトという社会システムの根源的な矛盾、
その無残な終焉を悟った。

このチェルノブイリこそが、ソビエトいう未曽有の失敗プロジェクト、
そこに隠蔽され続けた邪悪な悪意のすべてを、
これでもかと露呈させることとなる、
まさにこのチェルノブイリこそが、ソビエトという社会の縮図、
その地獄の業火にあぶりだされては百鬼夜行。
地下深くに眠っていたその気味の悪い虫どもが一挙に白日の下にあふれ出しては、
その偽りの張りぼてに隠蔽されてきたその毒が、膿が、そして魔が、
一挙に、国中を多い尽くしていったのである。

そして第五章。事故調査委員会。
チェルノブイリ原発事故、その根本原因が果たしてどこにあったのか。

ザ・コスト・オブ・ライズ 嘘の代償・・・

つまりはチェルノブイリの大惨事の原因こそは、
ソビエト社会そのものの持つ根本的な矛盾、
その邪悪さのなかにこそ在るのだ、その真実を公言した結果、
国家反逆の汚名を着せられては社会からの抹殺を余儀なくされた真のヒーロー。

このレガソフの自殺こそが、ソビエトの良心そのもの死。
その翌年の1989年、ベルリンの壁の崩壊を皮切りにして、
わずかその二年後にソビエトという砂上の楼閣は、
あっという間にして瓦礫の山と化すのである。


改めて、チェルノブイリ原発事故

当初ソビエト政府から発表された死者数:33人。
その後、調査を進めたIAEAの結論では4千人。
だがしかし、そして次々と明るみに出る後遺症、
甲状腺癌から始まる汚染地域における様々な異常事態の中で、
国際癌センターは、周辺国も含めた直接の被害者数を1万6千と推計、
だが年を重ねるごとに累積されていく被害報告。
5万が10万に、10万が50万に・・
その直接、そして間接的な影響も含めると、
将来的には100万から200万をも上回るとされている。

その被害者数のあまりの違い。
どこかに嘘がある。どこにでも嘘がある。
そしてその真実は誰にも知り得ない。

これこそが、まさしく、THE COST OF LIES。
現代史上 最低最悪の悪夢、その代償であった、と。

この壮大な悪夢の叙事詩こそは、
現代社会に対してのLESSON LEARNED、

果たして、人類はそこからいったいなにを学んだのか
まさか再びこの悲劇を、繰り返そうとしている訳ではあるまいな・・

チェルノブイリ事故におけるこの凄惨な教訓は、
今尚、現代社会に対し生々しき警告を発しているのでありなむ、と。




というわけで、
なにが悲しくてか、クリスマス、そして正月休みを徹して、
このチェルノブイリ的現実に、すっかりと持っていかれてしまったわけなのだが、
実はこの長い長い戯言には続編がある。

どういうわけか、このチェルノブイリを見終わった時に、
また新たなる課題、そのLESSON LEARNEDの神髄が、
胸の内に閃いてしまったのである。

その作品こそは「激動の昭和史 沖縄決戦」

「激動の昭和史 沖縄決戦」を見る。

「激動の昭和史 沖縄決戦」いうまでもなく、
岡本喜八、渾身の最後っ屁、その恨み節のすべてである。

新世紀エヴァンゲリオンの作者であり、
世紀の名作:シン・ゴジラを世に送り出した庵野秀明の原点となる、
まさに、日本映画史上に燦然と輝く仇花の中の仇花、
その隠れた大傑作





まあ見たことのある方がほとんどであろう、と勝手に自己判断して、

(もしも見ていないかたいたら、これを見ないで死ぬ手はないぜ、の最筆頭。
御一見のほど、激しくお勧め申し上げ候)

改めて、チェルノブイリと、そしてこの「激動の昭和史 沖縄決戦」
そこにいったい、どんな関連があるのか?

わかる人はわかる、そう、分かってくれるそのはずである。

迷走する首脳部、
なんの展望も戦略もないままに、
ただただその場凌ぎの指令を垂れ流す円卓の参謀たち。
それに翻弄されるばかりの将兵から、
捨て石にされる兵士たちから、
そして見殺しにされる民衆たち。

その凄惨な修羅、その悲劇の図式が、
見事なほどに、このチェルノブイリに当てはまる。

で、その敗因は?

そんなことは、いまさら繰り返すまでもなく、
ここまで読み進めた方であればすぐにでもわかってもらえるだろう。

COST OF LIES  嘘の代償。

では、改めて聞く。

嘘をついたのは、誰なんだ?

いったいなんのために?

いったい、なにを守ろうとして、隠そうとして・・

そしてその代償を払わされたのが、いったい、だれであったのか、と。



改めて、現実とは多面的なものである。

あなたに正義があるように、生きとし生けるもの、そのひとつひとつに、
事情があり、理由があり、善があり、悪があり、そして、正義がある。

このチェルノブイリのドラマ、
そして、おまけとして付け足すにはあまりにも重すぎる、
この「沖縄決戦」という異次元的なまでにともすれば茶番的なまでに凄惨な悲劇。

ただ、その立場によって、その視点によって、その思い入れによって、
そこにある現実はさまざまな局面を見せるはずだ。

ただ、その敗因のその答えは、
生きとし生けるもの、そのすべてが、
知恵の限りを尽くしては考えに考え抜く、
それに値する、あまりにも深い、深すぎる、テーマだと思う。

改めて言うまでもなく、死とは悲しいものだ。
そして、戦争は、そして大惨事は、まさにその集積であり集大成。
そんな悲しい事態を巻き起こさないために、
生きとし生けるもの、そのすべてが、
知恵の限りを尽くしては考えに考え抜く、
戦後世界は、まさにそれを中心として動いてきた、
そのはずじゃなかったのか・・

ただ、ご存じのように最近の潮流において、
それがどういった事情でか理由でか、
そんな深いテーマを、ともすれば、風化させ、無に帰す、
そんな、悪意の存在、
つまりは、諸悪の根源である構造的なウソをでっちあげようとたくらむ、
そんな人々の存在に気づかされる。

最後の最後に最低最悪の最後っ屁。
そのあまりにも陳腐な症例を、ここに簡単にかいつまんでではあるが、
ちょっとした小話のひとつとしてご披露もうしあげたい。



「NHKスペシャル 体感 首都直下地震」 を見る。

というわけで、大惨事パニックもの、と言うくくりでいえば、
2019年の12月に日本国営放送局:NHKにて放映された、
この NHKスペシャル 体感 首都直下地震 も、
そういわれてみればいえないこともない、と。

で、改めて、米英で製作された「チエルノブイリ」
そして、かつての日本において作り上げられた、
世紀の名作「激動の昭和史 沖縄決戦」

改めて、この三編をあえて比較することにより、

COST OF LIES

その正体の片鱗が、透けて見える、
そんな気になるのは、俺だけであろうか・・

というわけで、興味のある方は見てみてくれ。
まだYOUTUBEにさらされ続けている、
このNHKスペシャル、
その真に茶番的なまでの、嘘の神髄、その悪魔の影・・





え?いや、俺は好きだったけどな、

そう、俺も実はついつい最後まで見ちゃってさ、
あのユースケ・サンタマリアの無駄な解説部分は全部かっ飛ばしたけどさ。

そう、かわいかったよね、小芝風花ちゃん、その迫真の演技、パチパチパチ。

ともすれば、この壮大な4回シリーズの番組そのものが、
なんてことはない、この小芝風花ちゃんの売り込みが目的だったのでは、
って言われても、まあ確かに、それは理解できる。それだけは・・

なんだけど、そうやって表層のことばかりに一喜一憂していては、
知らぬ間にすっかりと巻かれては騙され囲われ取り巻かれるといのもこの時代の罠。

というわけで、小芝風花ちゃんのかわいいさはかわいさとして置いておいて、

改めて、で? チェルノブイリと、沖縄決戦はわかるにしても、
この NHKスペシャル 体感 首都直下地震 と、いったいどんな絡みがあるのかよ、と。

改めて言うまでもなく、
前回のあの、美空ひばりのネクロフィアにもあるように、
俺は最近のNHKに対して、並々ならぬ懐疑心、あるいは、嫌悪感を募らせている。

そしてこの NHKスペシャル 体感 首都直下地震 こそが、
そのあまりにも明白な悪意の露呈。

見ていただけた方、少なくとも俺のこんなくそブログなんてものを頼まれもしないのに読み飛ばしている、
そんな酔狂な方々においては、
一般層、つまりは典型的B層的方々においてはともすればわりと好評であった、と聞く、
このNHKスペシャル 体感 首都直下地震に、いったいどんなトリックが仕掛けられていたのか、
そんなものは、一撃で見破っている、そのはずである。

そう、この番組、改めて、悪意の塊、つまりは、COST OF LIES それを地で行く、
まさに、冒涜的なまでに、邪悪な企画であったかと思う。

なぜか?

というわけでこの番組「NHKスペシャル 体感 首都直下地震」

迫真的映像を持って来るべく大地震そのものを疑似体験することにより、
災害対応への積極的な啓蒙を促す、
なんていう、おちゃらけた枕詞、つまりは言い訳が並んでいるわけなのだが、

で、その大震災を仮想体験する、その迫真映像ってのが、
どういうわけか、テレビ局の放送部、
その水槽の中にへばりついたままいっこうに離れない。

つまりは?
つまりはこれ、テレビ局の楽屋落ちってこと?と。

改めてこのドラマ。
警備会社のモニタールームのような穴蔵の中で、
並んだ映像を前に神の視座にでも鎮座するかのように、
その断片の映像を前にしてはヒステリーを繰り返し、
そのヒステリーの根源にあるところの、
報道陣としての気構え。

報道局は多くの情報を握って当然、
そのすべてを知る者としての優位性から、
なにも知らぬ下界の民、可愛そうな愚民たちに向けて、
悲愴と悲痛と憐憫に満ちた悲鳴をあげ続けては、

逃げて逃げて逃げて・・・

だってさ、と。

このドラマ、
その報道局という水槽の中から下界を見下ろしながら、
そこに映し出される修羅の映像を前に、
憐憫や、無常観やら、人間愛やら、そんなものを解く、
と、そんな仕掛けらしいのだが、

改めて、この報道局、という水槽の中、
そこを神の視座、と取り違えた大タワケたちの人間ドラマ?

あのさあ、と、思わず、口があんぐり空いたまま塞がらず・・

あのさあ、あんたらが、なにさまのつもりかは知ったことではあらないが、
その盗撮カメラという雲の上に鎮座ましましては、
すべてを知るものとして、下界に向けてのありがたき情報、
それを勝手に選り分けては、配慮の元に分けて遣わす、
なんていう、そのいちいちがひとつひとつが、
あまりにもあまりにもあまりにも傲慢なる大間違い。

違う、違うだろ、違うんだよ、と。
てめえら自身をそんなに偉いと思いこんでるのは、
他ならぬてめえらだけ。
あんたらの言う下界の民たちは、
あんたらのことなんて、屁とも思わない、
どころか、存在自体が、リアルではない、
つまりは、ファントム、つまりは亡霊、つまりはフォノグラム、
つまりはあんたらには、現実感というものがなにもない、
つまりは、現実が見えていないのは、
他ならぬあんたらなんだぜ、
そんな簡単な図式になぜ気づかないのか、と。

改めて言うまでもなく、
あんたらは、神でも、偉くも、なんともない。
あんたらが、人よりも多くの情報を掌握しているなんてのは、
大間違いも甚だしい。

巨大災害という青天の霹靂の中で、
何も知らずに知らされずに、
ただてんやわんやと逃げ惑う野ネズミたちを、ありんこさんたち、
その断末魔の空から見下ろしては、
おお、かわいそうに、おかわいそうに、と、
手前勝手な悲劇のドラマに浸ってはいるが、
あのなあ、おかわいそうなのはあんたらの方だろ、と。

あんたらの詰め込まれたその金網の檻は、
この仮想災害が起きる前から、
金網デスマッチの幽閉地獄。
そのままガス室と化しては日々ラフィンガスを打ち込まれ、
誇大妄想と仮想現実の闇に紛れ込んでは、
フェイク映像の森をさまようばかり。

あのなあ、この時代、このパラダイムシフト、
この誰にとっても右も左も判らないどさくさの中にあって、
水槽の中から断片映像をかき集めながら、
すべてを知っている、なんていうつもりになっている奴らこそが、
どこぞのアフォのフェイクな戯言にすっかりと騙されつくしている、
そのなによりの証拠だろう、と。

改めて、このふざけた仮想ドラマに垣間見える、
この凄まじいばかりの慢心の様。

この見当違いの勝手な慢心こそが、
なにより、人心からすっかりとそっぽを向かれて明盲化した、
なによりの原因であり、
そしていまとなっては、誰ひとりとして、
誰も見向きもしなくなったテレビという媒体、
その沈みゆく幽霊船の檻に入れられ監禁されたその状態を、
ことあろうに世界を見下ろす神にでもなったつもりで、
瓦礫の山の御大将気取り。

そして・・と思いあたる。

このあまりにも馬鹿げた勝手な慢心の様、
それは、この報道局の水槽の中に限らず、
このテレビ局という砂上の楼閣が、
そして、日本というガラパゴスの島国が、
その全てが、大勘違いのキャビン・フィーバー。

そして、そんな瓦礫の山の総元締め、
産廃業の田舎ヤクザの誉れも高き、
影のフィクサー気取りの田2の方々も、
そして、そんな田2と二人三脚のつもりながら、
すっかりしっかり騙されて担がれてダシにされた操り人形。
かの為政者たちも、つまりは、ワレは神なり、そういうお心持ち、なのだろう。

改めて、これはやばい、これこそがやばい。

なにより、この勝手に成り上がってしまった神の視座、
現日本において、一番トチ狂っているのは、まさに、こいつら。
まさにこの、偽りの神の視座、にでも鎮座したつもりでいる、
がしかし、海図さえも読めず、レーダーさえも操れない、
風に流されるまま、時勢に泳がされるままに、
刻一刻と燃料を使い果たし、そして地下の食料さえもが、
いつの間にかネズミとゴキブリとハゲタカに食い荒らされてはすっからかん、
そんなことさえも、神の視座に居ては気づきはしないのだろう、と。

そして今日も、沈みゆく幽霊船の船長室から高笑いが響く。
私は神だ、この日本丸のすべてを握る、全能の神なのだ。
さあ、奴隷ども、漕げ漕げ、死ぬまで漕ぎ続けろ。
この薄暗いに船倉に閉じ込めては、
情報は渡さない。食料も渡さない。救命胴衣も渡さない。
そして常時鳴り響くサナトリウム・ディスコの軽快なリズム・・

そして当然のことながら、
その戦略も戦術もなにもない、
現実から遠く離れた天上界の水槽の中、
焦れば焦るだけ、その口上ばかりが勇ましく、
戦局必ずしも好転せず
当然だよ、だれも、現実を知らないんだから、と。

ただ、こういう悪い情報を悪戯に公示しても、
いたいけな民衆の不安を駆ってはパニックをあおるばかり、
なんていつ気配りから都合のわるいことのすべてを隠蔽し、

そして、最後の最後になって、
悲劇のヒロイン気取りのかわいこちゃんに、
こともあろうにこんなセリフをのたわませる。

もうわたしたちを頼らないで。
自分の力で自分で逃げて。
あとは知らない、さようなら・・

涙ながらにそう訴えて・・

なんだけどさ、
あれ、なんだよこの既視感、

あらためてこれ、どこかでみたろ、と。

んだこれ、沖縄戦の最後、
島民のみなさん、この徹底的な負け戦、
もうわたしらの手にはおえません、
あとは勝手に逃げなさい、

まったくそのものじゃねえか。

聞けば、満州でも、サイパンでもガダルカナルでも、
最後の最後になってそれをやったって聞いたぜ、
この円卓の志士たち・・

そして改めて思う、

COST OF LIES 嘘の代償、

その本質がいったい、どこにあるのか・・・

そしてその嘘の代償の割を食わないために、
俺たち迷える野ネズミは、いったいなにをするべきなのか。

その第一に言えることがなにかといえば、

嘘に騙されるな、その一言に尽きる。

LIES そう、嘘なんだよ、嘘。

あんたの信じているもの、その認識のすべて、
その安全神話の、その情報の、そのすべてが、
これでもかと出し惜しみされた後の出がらしのウソばかり。

そして瓦礫と化した街を見下ろしながら、

かつての暮らしにはもう戻れない。
もしも、あの頃に戻れるとしたら、
いったい、あなたは、なにをしますか?・・・

死を想え:メメント・モリ・・・

そうならないための最後の抵抗手段:そのかなめとなるはずの人々から、
そんなことを言われた日には・・

というわけで、俺からいえることはただひとつ。

逃げろ!
そいつらみんな、キチガイだ。
今すぐ逃げろ、まだ間に合う、諦めるにはまだ早い!

今になっていえることは、それぐらいだろ、と。







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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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