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コロナの時代の愛:番外編 ~ 追悼:志村けん 真の「最後の功績」に捧げる・・(涙 

Posted by 高見鈴虫 on 01.2020 コロナの時代の愛   0 comments
このコロナの狂騒の中で、
あの志村けんが逝ってしまった。

あまりにも突然に、あまりにも呆気なく・・

この青天の霹靂の志村けんの訃報、
そのあまりの衝撃を前にして、
悲しみというには、あまりにも唖然呆然としたままに、
ただただ声を失っては打ちのめされるばかりである。

いやあただ、実は・・ 予感がしていたんだよね。
あの家政婦さんに残された「犬の面倒を~」の最後の言葉、
あのニュースを聞いた時に、まさか、とは思ってた。
だってそう、あの志村さんが・・
すべての愛犬家にとっては、
犬、そう、犬こそが心残りだからさ。
その犬のことを告げた、その最期の言葉にみた不吉な予感。

で、思わず、

「志村けん 、がんばれ!
事情は、敢えて言わない。
この試練を乗り越えて・・・
などと自己パロディをしているばやいじゃあらない。
とりあえず、志村さん、がんばってください!」

なんておちゃらけた駄文を綴りはじめていたのだがだが・・

ただ、それが、日いちにちにと経つにつれて、
え?まじなの?・・・
ついには、神様、どうぞ我らが志村けんを、の神頼み、
なんてのを綴りながらも、
くそったれ、縁起でもねえ、と破り捨てては、
まさかまさか、あの志村けんが、こんなことで逝くものか。
だってさ、だって、志村けんだぜ。
どうせこれも、ネタの一つなのだろう、そうに違いない・・

その願いも虚しく・・まさか、まさか、まさか、
あの巨星がまさかこうも呆気なくも逝ってしまうとは・・

いやあ、これまでコロナなんてと侮り続けたその報いなのか。
だってそうだろ、誰だってそう思ってるだろ?
特に昭和の馬鹿パワー、そのままに生きてきた無頼漢たちにとっては、
あの、志村けんが、こんなものでぽっくり逝ってしまうなんてありえない。
それこそ、ギャグじゃねえか・・・

ただ、そのすべての不謹慎の代償が、
まさかこんな形でやって来てしまうとは・・

そして今日も途方に暮れたまま、
嘘だろ、でっち上げだろ、ネタだろ、ギャグだろ。
だってさ、志村けんだぜ。
あのシムラが逝ってしまったら、
俺たちみんなただのくそオヤジ、
志村けんが居てくれたからこそ、
少なくともまがりなりにもあの「変なおじさん」のひとりとして、
まだなんなりとも格好をつけては、
この世知辛い世の中にも、
ささやかな居場所のひとつも見つけられたというのにさ・・・

これ、まじで、洒落にならない。あまりにも洒落にもなんにもならなすぎる・・




改めて、この志村けん、という偉人。

いにしえの昭和の時代の記憶からすれば
志村けんこそは男の男による男のバカ騒ぎ、
その下心から、その本性から、その本能から、
見栄から、欲から、業から、性から、宿命から、
そのすべての男の本心を赤裸々なまでにさらけ出しては、
時として物悲しいまでのそのカラ元気の様を、
徹底的なまでの下ネタのオブラートに包んでは、
笑って笑って笑って笑い飛ばしてきた、
テレビ大国:日本の偉大なる象徴。
強いて言えば戦後という時代を生きた日本男子すべての、
その本心の投影であり象徴であり典型であり真心を体現した、
巨星の巨星であった筈。

思い起こせば幼き頃、
テレビを観せてもらえない家庭に育った俺は、
だがしかし、土曜の夜の八時だよ全員集合だけは、
なんとしても、なんとしても、見ないわけにはいかない。
だって、これこそが、本当の意味での社会学習。
如いては、日本の、世界の、その時代の、全て、であったのだから。

戦後の時代の長きに渡って、
日本の子どもたちのすべての中心であり続けた
あのドリフターズという巨匠たち。

終始一貫してPTAの宿敵であり続けながら、
戦後日本の歌謡界のすべて、
強いて言えば流行のすべてが、文化のすべてが、
この番組によって見いだされ、
そこで磨かれ鍛えあげられ成長を遂げていった。
つまりは戦後日本の文化の要。

そしてその中に、新人:志村けん、の登場を観た時、
幼心にも、いやはや、とんでもない人が出てきたぞ!
その予感に打ち震えたものだ。
歌ったよ、もちろん歌ったさ、東村山音頭、
踊ったよ、もちろん踊ってたさ、ヒゲダンス。
あの時代の子どもたちとって、その世界のすべては、
カトちゃんとシムラ、その二人に握られていたのだから。

その後に登場したハナモゲラのタモリから、
そして、ひょうきん族のビートたけしから、
その後の雨後の筍のような漫才から芸人から、
だがしかし、改めて、日本のサブカルチャーのすべてを担った、
このテレビの国の笑う戦士たちが、
結局はこのドリフターズたちの作り上げた土壌に生えた、
一雑草に過ぎないのだ。

日本の戦後文化は8時だョ!全員集合とともにあった。
そこで流行が産まれ、そこで文化が育まれ、
戦後日本人の精神構造のその潜在的、その隠された本心が、
実はこのドリフターズの美学に培われたものなのだ。

後に海外に出た俺は、そこで出会った世界の若者たちとの交流の中で、
唯一、物足りなかったものは、つまりは冗談のセンス。
こいつら、面白くねえなあ、と。
いつになっても、格好をつけては、鯱張った世間体の仮面を外すことなく、
自虐的なまでに自身をさらけ出すような、そんな笑いがどこにもない。

つまりは、と、後に住むことになったアメリカという国。
テレビ文化の発祥の地でありその権化であるはずのこのアメリカのテレビが、
なんだよこれ、徹底的なまでに、まったく面白くない!

確かに、豪華であり、素晴らしくもあり、
時としてご立派であり偉大でもあり、
なのだが・・・
なのだが、そこにみる、あまりにも大きな欠落。
つまりは、本音?
そう、アメリカのテレビには、本音がなかったのだ。
この本音を決して明かさない表層主義こそが、
これ、ぜんぜんつまらねえな、
その大きな理由だったのだ。

では改めて、テレビにおける本音とはなんなのか、と。

そう、それこそが、ドリフターズであり、
あるいは、そのドリフターズがあまりにもマンネリ化してしまっては、
ひょうきん族にすっかりとその座を追われてもなお、
テレビ界の巨星であり続けた志村けんという存在。

そしてドリフターズ解散後、志村けんが追い続けた美学とはなんなのか。

それこそは、本音。
そしてその自身の本音を笑い飛ばす、
その自虐的なまでに赤裸々な人間像。

そう、この笑いの自虐性、
つまりは、オレって、人間って
なんとも愛らしくもおかしな生き物で、
その究極の人間愛こそが
戦後日本人の精神的支柱であった共生感、
つまりは、家族感、ではなかったのか。

西欧文化におけるそのよそよそしさ。
普段から芝居がかった笑顔をこれでもかと強調する西欧人に対し、
普段からはいつも痔持ちを思わせるしかめっ面の渋面を崩す事ない日本人。
ただそんな日本人たちが、
家に帰るとテレビを前に漫才ばかり観ている、
その不思議。

おまえら日本人はなんでいつもそんなに生真面目な顔をしているのだ?

そう聞いたアメリカ人の友人に俺は答えた。

日本人という生き物は表面上はこれでもかと生真面目を演技しながら、
その内心では、いつもいつも休むこと無く、冗談のネタを考え続けている、
そういう生き物なのだ、と。
ジョークのネタを考えている?そのわりにお前らの言う言葉はまったく面白くないじゃないか。
言葉の遊びのジョークなど、面白くもなんともない。
本当のジョークとは、本当の笑いとは、本当の人間の可笑しみとは、
そんな言葉の遊びなんかですむような
そんなちゃちなシロモノではないのだ。

日本人の笑いはもっともっと別のもの。
より広く、より大きく、より激しく、より強烈で、
そしてそれは、もっともっと限りないばかりに深いのである。

その日本人の笑い、
その日本人の笑いを理解してこその日本文化。
では、と改めて問う。
欧米文化におけるジョークと、
そして日本における笑い、その決定的な美学の差がいったいどこにあるのか。

それは、タモリなのだろうか?
それは、たけしなのだろうか?
それは、ダウンタウンなのだろうか?
それはそれは・・

敢えて申し上げる。
それこそが、志村けん、なのである。

志村の笑いの判らない日本人はいない、
そんなやつは日本人ではあらない。
と同時に、改めて問いかける。
志村の判る外人って、いったいどんなやつだ?と。
だって志村けんを観て共に笑えるのなら
そいつは外人でもなんでもないじゃねえか。
つまりは志村けんこそが日本と海外の大きなGAP。
あるいは、日本のガラパゴス性の真髄。
つまりは?
つまりは、志村があまりにも面白すぎたが為に、
日本人は敢えて、その志村の笑いの美学の世界から、抜け出す必要も必然性も感じなかったのではないのか、
なんてことを思っていたら、
えええ!?
台湾で!?タイで!?志村けんが大人気?
ああそうか、と思わず。
だから俺たち、気が合うんだな、と。
それはまさに国境を越えた笑いの輪。
志村けんの紡ぐ笑いという絆のブラザーフッド。

改めてこの志村けんという異才、
敢えてその特異性を上げるとすれば、
決して威厳を求めなかった、
或いは威厳そのものを茶化しては手玉に取る
一種反骨的な笑いの美学。

タモリがどれだけバカをやっても、
だがしかし、そこに拭えに拭えない知性、
その知的エキセントリックさこそが、
タモリの芸の真髄である、と同時に、
たけしは、軍団を組織し、あるいは映画監督の名声を欲し、
つまりは威厳にこだわった。

だがしかし、と思う。
そんなタモリよりも、たけしよりも、
なおさら大きな存在であった筈のこの志村けんが、
バカ殿を、変なおじさんを、ひとみ婆さんを、
飄々と演じ続けたその理由。

”芸人が本当は利口だと思わせようとしたり、
文化人面したりするようになったらおしまい”

大先輩であった東八郎から頂いたその言葉こそが、
志村けんを志村けんたらしめたその真理であり、
敢えて威厳からも知性からも背を向けては、
生涯に渡って「バカな芸人」を演じ続けた、
この志村の姿勢こそが、
偉ぶらず、奢らず、虚栄の罠にハマること無く、
徹底的なまでに本音のおかしさを追求し続けた、
志村けんの美学であり、
その潔さこそが、ここまで志村けんが愛され続けたその理由。
つまりは志村けんこそは、
生涯に渡って徹底的なまでに日本人であり続けた、
日本人男子のひとつの隠れた典型的象徴ではなかったのかと。

そして、この愛されるバカを演じ続けた戦後の巨星の功績の数々が、
YOUTUBEという新たな時代の象徴的メディアの中に、
それこそ、星の数ほどにアップロードされては、
このコロナの非常事態の監獄の中、
日夜に渡って見続けている志村けん。

このコロナの底に沈み込んだ世界に、
『全員集合』が、『加トちゃんケンちゃん』が、『だいじょうぶだぁ』が、
『バカ殿』が、『変なおじさん』が永遠と流れ続けては、
思わず不貞にも不謹慎にも不真面目にも
声をあげてはゲラゲラと笑い続けては机を叩き椅子から転げ落ち、
そしてこうしているいまも、ベッドルームから響き渡る我が愚妻の笑い声。

コロナ? 知ったことじゃねえ。
俺たちは、志村けん だ。

例えどんなことになったって
俺たち日本人のプライドのすべてをかけて、
徹底的に、笑ってやる、笑い続けてやる、おちゃらけ続けてやる。

だってそれが、志村けんとともに育った、
俺たち日本人の真骨なのだから。

志村けんがどれほどまでに愛されてきたのか、
それを知らぬものとはなにひとつ分かち合うことなどできない。
だって、志村けんこそが、日本人の魂、
その真心の真髄だったんだぜ。

まあたしかに今の時代からすれば、思わず唖然呆然とさせられる、
その明け透けなまでに凄まじいばかりのセクハラねたの数々。
なんだよこれ、キャバクラのどんちゃん騒ぎを
丸々そのままお茶の間にぶちまけたかのような、
今の世であれば、その全編において放送事故となるであろう、
つまりは、そう、この露骨過ぎる本音の笑い。
ただ、と改めて言わせて頂く。
これこそが、本音、つまりは真実。
そしてこの時代のコンプライアンスの猛威とは、
本音をあって無きものとする、
つまりは、ハゲ隠しの厚化粧、
つまりは、ただのハリボテの仮面、
ぶっちゃけ嘘っぱちに過ぎないんだよね。

生涯に渡って「バカという仮面」の中から、
人間の持つ本来のおかしさを愛らしさを侘しさを哀しさを、
笑って笑って笑って笑い飛ばしてきたこの志村けんという鬼才。

改めていう、この人こそが、日本人の真の心、
つまりは、真心だったんだよ。
それが判らないやつを、俺は、日本人とは、認めないぜい。

そしてこの不安な時代の恐怖の坩堝、
沈黙に沈んだコロナの夜に
突如として響き渡るこの不埒な大爆笑。

ギャハハ これ志村けん 面白すぎ!!

世界を包んだこのコロナの狂気のすべてを忘れては、
夜を徹して志村けんの世界に没入できること、
そのあまりのありがたさ。

これこそが、志村けんの残してくれた、真の意味での「最後の功績」ではないのか。

ありがとう、志村けん、本当の本当にありがとう。

あなたがいなくなっては、俺はただの「変なおじさん」
ただ、あなたを忘れない限り、俺は、志村けんであり続けられる。
そう、いつまでも 永遠に。

そしてこのコロナの狂気を生き抜いた時
そう言えばあの時、志村けんを観て笑ってばかりいたよな。
ああ、そうか!
だから俺たち、生き延びることができたのか!
そこで初めて、志村けんの愛、
そのあまりの偉大さに気付かされる筈だ。

ステイホーム。

そして 志村けんを観よう!
こんなコロナの悪夢など
志村けんを観て笑い転げているうちに
いつのまにかすっかりと消え去ってくれる筈だ。

改めて仏頂面で体裁を取り繕った日本人の真の顔、
その素顔のおかしさの愛らしさの侘びしさの遣る瀬無さの、、
上っ面の仮面に隠された下ゴコロの本心の
その一番ナイーブな部分を、
これでもかとブチまけては笑い飛ばし。

怒っちゃやーよ!
だってだってだって、
本音を晒してこそ笑いでしょ。
本音を笑いあってこそ人間でしょ。
そんな人間だからこそ愛し合えるんでしょ。
志村けん、あなたこそは日本人の命綱だ。

お悔やみなんて、いまさら言いたくはない。
だって、あれほどまでに罰当たりな、
病院コントから葬式コントからを演り続けたこの笑いの巨匠。

もしも、その告別式における最期のお別れの姿が、
あの、『バカ殿』であったり、『変なおじさん』であったり、
あるいはあの、『アイーン』であったりしたら・・

参列者のすべてが、こらえにこらえきれずに思わず笑いだしてしまう、
この笑いの巨匠を送る時、これほどまでに象徴的な光景もありえないだろう。

志村けんさん、不謹慎は承知で、怒っちゃやーよ、
心からの笑いと共に送らせていただきます。

あなたを愛している限り、俺たちは日本人。
そしてその絆はこの先も決して緩むことはないだろう。
そしてあなたの姿を見続けている限り
俺たちはこの狂気の時代を生き延びる事ができる。

人類、コロナの狂気になんか負けるな!
ステイホーム そして志村けんを観よう!
だいじょうぶだあ!
志村けんと居る限り、
俺たちにはまだ、笑い、というパワーが残されている!


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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