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コロナの時代の愛 その番外編 ~ コロナの時代の映画三昧

Posted by 高見鈴虫 on 27.2020 読書・映画ねた   0 comments
実は、このコロナの災禍のその妙な恩恵から、
現在契約しているインターネット回線+ケーブルテレビ屋、
その、コロナ特需のサービス期間とやらで、
映画専門チャンネルが、見放題、なんていう大盤振る舞い。

そんな関係から、普段であれば観ることもなかったであろう、
妙な映画を、次から次へとすっ飛ばしている訳なのですが、
で、そんな中で、ちょっとオススメ的な作品を、いくつか、ご紹介、と。

まずは、In Search of Greatness 






これ、日本語の検索に引っかからないってことは、
日本ではやっていないのかな。
或いは、日本語に自動翻訳の字幕表示とか、
できるのでしょうか?

この映画 In Search of Greatness
各界のスポーツ選手、その歴史的なレジェンドたち、
あの、サッカー界の”ペレ”から始まって、
アイスホッケーから、そしてアメフトから、
テニスからそして、音楽界からと、
未曾有の記録を打ち立てたその天才の天才の方々との、
直々のインタービューにおいて、
天才の秘密を解き明かす、なんていうドキュメンタリーなんだけどさ。
わりと凄く面白かった。

でまあ、その中で、え?と思ったこと。

そんな正真正銘の天才のアスリートたちが、
実はその基礎的な能力においては、中の下。
オレなんて、足も遅いし、力もないし、
平均的なレベルで言ったら、立派な落第生なんだよね、と。

でもさ、とあげられるそのほかの偉人。
あの、トム・ブレイディが、実は足が、とても遅いヒトで・笑
え?あのトム・ブレイディの足が遅い?
ああ、彼は、こと、走る、という能力においては、中の下、以下だよ、と。

なんだけど・・・

そう、この平均以下である筈の落第生たちが、
実際のプレイにおいて、これほどまでの歴史的金字塔を打ち立てたのか、
その理由が、秘密がいつたいなんであったのか、と。

でまあ、その本ちゃんのところは、
実際にこの映画を観ていただければ判るのですが、

ぶっちゃけ、すべての能力において、すべてに勝っている、
なんてひとは、あまり居ない、ってか、あまり大成しない。
ともすれば、そういう平均値的な、ぶっちゃけ、減点法的な視野からは、
天才というのは生まれてくることはないのだよ、と。

或いはそう、天才の見事なる欠落。
逆に言えば、大いなる欠落とは、天才の証でもありえる、と。

言う慣れば、幼少期においてはちょっとした困ったちゃんであった筈の、
この天才たち。
ただ、他の劣等生たちと違っていたのは、
ぶっちゃけ、親、だろうと。

ではその、親が、いったいどんな教育理念を持っていたのか。

でその天才たちの親ってのがさ、
実は星一徹的な、体罰的詰め込み教育の、その真逆のヒトばかり。

ともすれば、子どもたちのその自主性を、
あるいは、ちょっと一風変わったその子どもたちの、
言葉足らずのその表現の、その本当の心の底を、
実に実に、興味を持って探究心を持っては暖かく見守り、
そして子供心理のその謎を、やさしくやさしく解き明かそうとしていた。
つまりは、子供に対する、尊重、如いては、尊敬、を持った人たちであった、と。

なぜ、そう考えるの?
えっとえっと、だって・・
だって、なんだい? お父さんにも判るように、
やさしく教えてくれないかな?と。

絶対的信頼者とのそんな会話において、
子どもたちは自身の思考回路を、
自覚しては整理し理解してはそこに筋道を、如いては必然を、そして真理を信念を見い出し、
その可能性を、自身の力を持って追い求める、
その自主性を、構築力を、実行力を、
自身の力で育んでいったのだ、と。

親達はそんな子供の特性、あるいは、自主性を尊重した上で、
良いところを伸ばし、そして、悪いところを責めるのではなく、
逆にそれを、個性として逆利用させる、その思考の転換、
その手助けをしてあげていた、とのこと。

つまりは、自分を信じろと、
そして、自分を信じるための、
その基盤となるそのモチベーション、
つまりはそんな子供たちの、第一の理解者たれ、と。
それこそが、天才育成のための第一条件。

体罰教育の弊害は当然のこと、
理由も説明せずにただただ平均値を押し付ける、
その減点法のお仕着せ教育、
やりたくもないことを無理強いする、その詰め込み教育、
如いては、すべてにおいてオールマイティを目指させる、
その、お座なりな工場生産的な教育方針が、
子どもたちの才能の芽をすべて摘み取ってしまうのだよ、と。

いやはや、耳の痛い話で、というか・・
はい、これ、これこそが、現代の文明の低迷しているその元凶と。

で、そんな話の中で、実は、え?と驚かされた重大な発言。

天才は、そのステージの上で、五秒先の世界を生きている、と。

五秒先?・・・ なんかそれ、どこかで聞いたことがあるぞ、と。

はい、言わずと知れた、ベビーメタルのすぅめたる、こと、中元すず香さん。

かの武道館公演の後日談として、16歳の少女としての、
その、なんの衒いもないままの率直なご証言。

ステージの上で、誰かからに手を引かれているように、五秒先のことが判った。

そう、中元すず香のこの「五秒先」のご発言。
あの武道館公演当時、その要らぬ外野たちから、
やれキツネ憑きだ、パラノイヤだ、と、
妙なことを囀っていたアフォどもがたくさんいたとお伺いしましたが、

実はこの「五秒先」の証言が、
このドキュメンタリーの中で世界中の天才たちから、
そっくりそのまま語られていては大驚愕。

クラッシック界の優れた演奏家たちが、
口を揃えて、「五秒先」自分に導かれるように、と証言するように、
優れたアスリートたちも、その伝説的なプレーを、
まるで五秒先の未来に誘われるように、無意識のうちに行っていた、と。

ははは、どうですか、これ、面白そうでしょ?

で改めて、はい、いまになって、わかります。
当時の、中元嬢のご発言のそのすべてが、
実は、世界中の天才たちからのご証言の、
そのまったくもって、そのまんま。

言っている当人はまったくそんなつもりは無かったのでしょうが、
判る人には判る、一撃で判る、その確証的な無意識の言葉。
それこそはまさに、天才の証明、と。

で、この天才の証である「五秒先」のご証言、
その理由とされたのが、たぶん、イマジネーション能力でしょう、と。

伝説的なアスリートたちは、あるいはパフォーマーたちは、
本番の試合、或いはステージにおいては、
0コンマ何秒の判断力こそが勝負。
瞬時のうちにすべてを判断し、それを行動に起こす、
その秒速の中での勝負においては、
思考能力やら、観察力やら、記憶力やら、
そんなものは大した役には立たない、と。
ぶっちゃけ、直感、というよりは、おつむのスピード。
で、そのおつむのスピードがなにかと言えば、
想像力、つまりは、シミュレーション能力と。

天才たちは、そのゲームの中において、
脳みその、その想像力をフル稼働しては、
五秒先の世界を既に見越しているのだよ、と。

この想像力に脳味噌をフル稼働させる能力を育むためには、
まずは自分で考えさせること、
その自主性こそが、最も大切なことなのでありなむ、と。
その子供の自主性を尊重する上において、
少なくともお仕着せ的な無理強い的詰め込み教育は、
百害あって一利なし、と。

家畜じゃあるまいし、工場生産のロボットではあるまいし、
そんなことをいつまでも続けていては、
子どもたちはすべて思考能力も想像力も判断力も、
ともすれば人間の感情さえも失ったロボトミー。
状況の変化、時代の進歩にまったく適応できない、
そんな木偶の坊ばかりになってしまうぞ、と。

なんか、思い当たるところ、ありませぬか?と。

この映画、いやあ、英語でしかないとしても、
まさに必見の作品。

友よ、あなたには見てほしい。
ベビーメタルメイトの方であれば特に。

中元すず香の、そして、ヨヨカ嬢の魅力の秘密が、
この映画の中にも凝縮されているぞい、と。

と同時に、目の前の子どもたち、
その自主性をその可能性を、尊重し、尊敬し、
その未来を自分自身の力で切り開くように促す、
それ以外に、この文明の糞詰りを打開する方法はないのだよ、と。

予てからのベビーメタルのご活躍を、
そして、このヨヨカ嬢の御姿を前にして、
実に実に、そんなことを、思っていました、と。






んだお、英語の映画じゃわけわかららい、という方、
すまそです。
だったら、ちょっと古いけど、軽めでわりと笑えたやつ。

Taking Woodstock : 邦題「ウッドストックがやってくる」 




いやあ、ウッドストックってさ、
まあ言わずとしれた、『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』
1969年に開催された史上空前の40万人の観客を集めた大コンサート。
その後の歴史そのものを見事に変革した、
ロック史上は愚か、世界史上的にも一大エポックとなった大イヴェント。

まあそう、あのウッドストックの記録映画、
観たことのない人はまずいない筈、とは思うんだけど、
で、この映画、そのウッドストックの裏話的な、こぼれ話の映画。

であらためてこのウッドストックの開催地となったキャッツキルバレー、
ここニューヨークからも軽く日帰りのドライブなんてのには最適で、
これまで何度となく訪れてはいるんだけどさ、
でその風景、見わたす限り、まったくもって、ほんと、普通の片田舎、というか、
まあぶっちゃけ、長閑である以外には、まったくなにもないところ。

で、そんなど田舎、俗に言う、レッドネック:赤首、と呼ばれる、
素朴で保守的な鄙びた田舎町のその村おこしの一貫で、
いきなり転がり込んできたのがこのヒッピーたちの大祭典。

果たして、そのヒッピーと言われる人がなんなのか?
あるいは、ロックっていうのはどういう音楽のことで?
で、そんな人々がいったい、なにを目指しているのか、
そのなにもかもが、ちんぷんかんぷんどころか、
まったく想像外、まったくの常識外、まったくの想定外。

そんな幼気な田舎のひとたちのまえに、
いきなり次から次へと妙ちくりんな奴等がやってきては、
ラリったねえちゃんがすっぽんぽんで歌い踊る、
そんな青天の霹靂の中で、
ともすれば、
知らずに食べたそのケーキが紙片がその紫の煙の中に、
いやおうもなくに舞い込んだ桃源郷・・

村中の人々がまさに錐揉み状態に陥っては、と。

あの愛と平和のウッドストックが、
あのヒッピーたちのカウンターカルチャーが、
あのベトナム反戦運動が、
そして、あの時代にはアート・ロックと呼ばれた、
そんな新しき時代の音楽が、文化が、奔流が、
いったい、アメリカを、どう変えていったのか、
その古き良き時代の無邪気なほっこり感を、
異次元的世界を等身大目線で思い切り疑似体験できる、
まったくもって長閑なコメディ映画でした、と。



で、次。
これは日本でもとても有名な作品なので、
観た方々も多いとは思いながら、
いやあ、俺的には、これまで観た映画の中でもベスト10に入る、
まさに、トラウマ的なまでに愛すべき作品。

『COLD WAR あの歌、2つの心』



いやあ、この映画、まじで、俺好み、というか、

なにより、音楽が、良い。
で、このねえちゃんが、良いってか、思い切り好み、というか。
いやあ、女の魔性、そのものだよな、と。

いやあ、凄いよねえ、と。
まさに、大人の映画だなあ、と。

まあその、複雑な時代背景、
この時代のポーランド、そして、ベルリン、そしてパリ。
特にこのポーランドという国の、あまりにも込み入った事情を、
知っていればもう、これはこれは、と、
そのさりげなくも確信的に表示される年代を見るだけで、
ああ、ここでスターリンが、ベリヤが、そしてフルシチョフが、
そしてここでベルリンの壁が・・
と、その裏側に流れる時代の奔流そのものを読み解ける訳なのですが、
ただこの映画、そういう大前提的な枝葉を敢えてすべて割愛!
で、その主流となるところが、
時代がどうあろうが、世間がどう動こうが、音楽、
そう、この唯一絶対の真理である「音楽」という固い絆で結ばれたこの二人。

いやあ、ぶっ飛んだ、ってか、思い切り魅了されてしまいました。

でさ、と、観た方にご質問。

ズーラはなぜ、ヴィクトルを捨ててポーランドに帰ってしまったのか・・!?

それについて、どう思われますか?と。



で、最後、

囚われた国家 原題: Captive State






ファンタジー物・SIFIものは大抵スルーのこの俺が、
思わず持っていかれたこの近未来デストピア映画。

侵略者:よくわからないエイリアンさんに征服されてしまった地球。
おとなしく奴隷をやっていれば殺されはしない、
その徹底的に邪悪な末期的管理社会において、
そんな侵略者の傀儡と化した政府:治安維持部隊と、
そんな体制と戦い続けるレジスタンスたち。

なんだけどさ・・

この映画の見どころとしては、
体制側が侵略者の傀儡を建前としては、
管理そのものが権力を乱用するための詭弁であったり、
あるいは、レジスタンスが、解放でも勝利でもなく、
テロ行為そのものが目的化してしまったり、と、
まあそう、管理する側、される側の悶着という意味では、
普遍的なテーマであろうな、と。

で、これ、この抑圧者を、宇宙人としてしまったところに、
なんというか、遊びがあるわけで、
これを、ウイルス、
ともすれば、赤い旗か、星模様か、としてしまったりすると、
まじで、洒落にならない、つまりは、そのぐらい自分で意訳しろよ、と。

ぶっちゃ、はい、これぞ、ポスト・コロナの、近未来、どころか、
半年後、一年後じゃねえの、と。

そう言えば先日、
チェルノブイリの原発事故のドサクサ映画が、
まさに、このコロナの災禍そのものじゃねえか、
なんてことを言っていたら、

それを、言ったら、
コンテイジョン 原題:Contagionなんて、
そっくり、まるまる、そのものじゃねえ、なんて、
まあ、そう、まさに、洒落にならないぐらいにそっくり、
な訳なのだが、





はい、それを言ってしまえば、
この、「囚われた国家」
まさに、ポスト・コロナの、そっくりそのまま、
なんていう、まったくもって洒落にならない状況の疑似体験、と。

という訳で、

そうならないためには、どうしたら良いのか、

それを、まじめのまじめに、真剣に考える必要がある、と。

このままバカの言うことに大人のふりしては大目に見ていると、
まじで、こういう世界になっちゃうぜ、と。

という訳で、この作品の監督さんルパート・ワイアットからのお言葉。

自己犠牲を前提としていない政治家を信じてはいけない。

つまりは、寅吉が、そしてアヴェが、まさに、それだろ、と。
で、そういう連中に、自ら率先して騙されてる奴らってなんなんだよ、と。
さっさと、好きにコロナでくたばれよ、なんてことを思ってはいるのだが、

なんだけどさ、どこぞのなんちゃらくんじゃないけど、
その自己犠牲を擬似的にでっち上げちゃう、
なんていう策士も出てくる訳で・・・

こんなご時世だからこそ、いろいろな意味で、
この「囚われた国家」
ガキ向けのサイファイ活劇にはとどまらず、
妙に心にひっかかる映画であったな、と。

STAY HOMEのゴールデンウィーク、
暇つぶしのせめてものご参考になれば、と思った次第。

ではでは。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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