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21世紀を生きていく上で、とても大切なこと

Posted by 高見鈴虫 on 13.2012 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
この21世紀において、
システムに従順であることは
ますます重要な能力のひとつになりつつある。

いまや、システム、つまりは命令にに盲従できる、
という能力は、社会生活、つまりは、仕事をする上で
必要不可欠な条件である。

与えられた指名に、
なぜ、と問うてはいけない。
そして、だから、で?
すべて許されない。
それを問うても辛くなるばかりだ。
答えはない。
いくら、誰にそれを問うても、
答えられることもない。

君には判らないことがたくさんある。
そしては、それは、判らなくてもいいんだ。
それが得られる唯一の答えだ。

例えば君が誰もいな場所に連れてこられて、
ここで立っているように、と告げられる。
いつまで?と問うてはいけない。
なぜ?と問うてはいけない。
ここに立って、なにをするべきなのか、と問うてもいけない。
ましてや、なんのために?などと問うてはそれこそ大変なことになる。

ここに立っていろ、と告げられた以上、
君はここに立っている、ことが仕事であり、
それ以上でもそれ以下でもない。
ただここに立っている。
来る日も来る日も。
なにをするでもなく、ただ、立っている。

通りかかった誰かが聞くかもしれない。
こんなところでなにをしているの?
いつまでここにいつつもり?
退屈じゃない?お腹減らない?トイレはどうしているの?
そんな問いに答えてはいけない。

君はそこに立っているべきなのだ。
通行人と会話をしてはいけない、とも、会話をしてもいい、とも言われていない以上、
会話をしないに越したことはない。

そしていつか、君の上司が訪ねてくる。

立っていたか?
はい、と答える。
なにか余計なことをしたか?
いいえ、と答える。
ただここに立っていたのか?
はい、と答える。それが命令でしたので。

お前は、馬鹿か!
と言われるかもしれない。
なんでバカみたいにここに立っていたのだ。
自分の仕事を考えてみろ。
立っている以上、周りを観察し、異常な動きがなかったのか、
通行人の、住民の態度、音、いろいろな情報を集め、
集めた情報に基づき、なにを行動を起こすべきだろう。

お前には想像力やら思考能力というものがないのか?
判った。お前はもうずっとここで立っていろ。
もうなにも君には期待しない。
と、言われるかもしれない。
ずっとだ、永遠にここに立っていろ。
そして少しは頭を冷やせ。

これはしかし、昭和までの日本のやり方であった筈だ。
周りを観察し、自分で考え、自分の道を見つける、
それが仕事の第一歩であったはずだ。

が、しかし、21世紀は違う。

この場合、君に予めちゃんとした仕事の内容について説明しなかった
上司の落ち度となるはずなのだ。

が、しかし、21世紀においては、
それさえも君にとってはどうでもよい問題なのかもしれない。

少なくともここに立っていれば今の給料は貰える。
出世もしないし昇給もないかもしれないが、
とりあえずいまの暮らしは維持できる。

そう考えて、来る日も来る日もそこに立っていることに越したことはない。

楽な仕事が見つかった。とてもラッキーだ、と考えるべきなのだ。

つまり21世紀における正解はこれだ。

仕事に仕事以上のもの、つまりやりがいや目的や自分らしさを求めてはいけない。

つまり、
なにもせずにずっとそこに立っていた君を、
上司は、非常に評価するべきなのだ。

よくやった。君は服従試験にパスした。
やれ、と言われたことをなにも考えずにやり続けるというのは辛いことだ。
誰にでもできるものではない。
君は命令に従順だ。
命令に盲従できる、というのは、一つの大きな適正だ。
君は合格した。

そう言って大いに評価されるべきだ。

その後、命令に盲従できる君の能力を信頼した上司は、
君にもっと大きな責任あるポジションを用意してくれるかもしれない。
が、
基本的にはなにも変わらない。
やれ、と言われたことを、なにも考えずにやり続けること。
たとえそれがなんの仕事であれ、
君に求められるのはその命令に盲従できる能力なのだ。

そこに立っていろと言われればなにもせずにただ立っていることのできる能力、
つまりはそれだ。

21世紀、システムがより巨大化し、複雑化し、
誰にもその意思が伝わらず、すべての仕事が極度に分業化されてしまった以上、
人々に求められるのは、
つまりは、システムに盲従できる能力、なのである。

そこには余計な思考も気配りも憶測も求められてはいない。

立っていろ、と言われた以上は、ずっと立っていなくてはいけない。
こんなことがなんのためになるのか、などとは一切考えてはいけない。
つまりはそれが、仕事、ということなのだ。
この時代において、思考や考察や推理は一切が二の次なのだ。

まずはシステムに盲従できること、それこそが第一条件なのである。

辛い時代になったな、と思うかい?
いや、違う。
とても判り安く、楽な時代になった、と言うべきだろう。

立っていろと言われたらいつまででも立っていられる能力。

21世紀を生きていく上で、とても大切なことなのでは、と思った訳だ。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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