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BUT NOT FOR ME in TOKYO - 09

Posted by 高見鈴虫 on 08.2012 旅の言葉
日本に来てからというもの、
まったくろくに寝ていないいない。

前に来た時もその前もその前の前もそうだった。

日本に来るといつも決まって、そして徹底的に寝れない。
そしていま、
こうしている今も、
地下鉄の中でいつしか目が寄り始め、意識がすっと遠のいて行く。
と思っていたら、ついたよ、六本木。

なんて感じで、仕事もそっちのけで、
夜な夜な東京の街を徘徊していたのだが、

改めて思うに、
東京の人々は歩くのが遅くなったな。
まるで急ぐことをバカにしているようにも見える。

おっと、地下鉄来てる、ってな時にも、
誰も急がず、階段を駆け下りる姿もなく、
なんて、なんとなく不自然にも思うのだが、
もしかしてそれって、
お作法上、はしたない行い、ってことになっちゃうわけだったりするのかな。

確かに、改めて周りのアメリカ人を見ると、
ああ、この人達は遅れている、というよりも、
後進国の人なんだな、という事実にあからさまに気付かされる。

それはまさに、
ニューヨークにおいて、ロンドンからやって来た奴に会うと、
まったく同じ感想があるわけなのだが、
つまり、ロンドンから来た奴と、ニューヨークのアメリカ人を並べて見ると、
アメリカ人の野獣性、というか、その垢抜けなさが異様に後進国性として目に映るわけで、

つまりそれは、中国、あるいは韓国の人と、日本人を並べてみてもその通り。

まあ良い意味でも悪い意味でも日本人は洗練されている訳で、
そう思うと、この俺自身の姿を省みるのが怖くなってきたりもするのだが。

という訳で、この仕事、まあおいそれとはいかないだろうな、とは思う。
が、しかし、
そんな実はしっかりと先進人、つまり優越民族である日本人が、
アメリカ流のシステムのその本筋に気づいたが最後、
徹底的に、そしてより洗練した形でそれを実行する事になるだろう。

あのなあ、アメ公、あのスキニーたち、なんて馬鹿にしていると、
あっという間にケツの毛抜かれるぞ、とは思っているのだが、
そうやってまんまとケツの毛抜かれるアメリカ人ってのも、
まるでくまのプーさんみたいで可愛げがあったりもするわけなんだがな。

という訳である意味、俺の中でもなんとなくバランスが取れてきたような気がしている。

つまり、
馬鹿だが気の良いアメリカ人、と、
頭脳明晰だが実行力を伴わない日本人。

日本人同士で煮詰まった足の引っ張り合い、つまりいじめを繰り返すよりは、
馬鹿なアメリカ人のボスに、困った奴らだ、と溜息をつきながらも、
せっせと実務をこなして行く、
って図式がなんとなくバランスがとれている気がするのだが。

という訳で日本人、

改めてだが、こいつらは、
良い意味でも悪い意味でもセンチメンタル過ぎるんだよ。

まあ、モノノアワレ、ではないが、感性豊かっても良いが、
それは実は、感傷に過ぎないってことをちゃんと認識すべきだ。

つまりだ、端的に言って、

地震はすでに起こってしまった訳だ。
いくら、ああ、地震など起きなければ良かったのに、
と思ってみても、現実的に地震が起こった、という事実は変えようがないわけだ。
そんな状態で、
地震が起こってしまったことについてうだうだ愚痴や悲嘆を口にしてもなにも変わらない。
と、同時に、
地震がなかったことにする、つまり、地震の前の状態に戻ろうとすることも、もうできない訳だよ。

同じように、
理由はどうあれ、すでに現実問題として放射能は降り注いでしまった訳で、
それを、もしかして放射能は降らなかったんじゃないか?という状態、
つまり、放射能なんて大した被害はない、筈、なんてことをいくら言っても仕方がない訳だ。
それはまさしく、放射能をなかったことにするための口実。
放射能の被害のあった人たちがかわいそうだから、
どうせなら放射能がなかったってことにしちゃいませんか、
そう思い込むことにしちゃいませんか?
なんていうのも、イジケた現実逃避以外のなにものでもない。

まずは現実を認めることだ。
認めるためには現実を認識することが必要だが、
現実を認識する上では、なるべくドライに、つまり、感傷や希望的な推測を排除し、
現実を現実として認める勇気が必要なわけでさ。

中国が憎たらしいだ、アメリカがうざい、というのは判るが、
憎たらしい、は感情、うざい、は感想、であって、つまりは感傷に過ぎない。
現実的には、中国もアメリカも、国力としては日本を遥かに凌駕する力を持っている訳だ。
そういう国に対して、どれだけ感傷で物を言ってもなにも始まらない。
そういう、感情論、つまりは、感傷論は時としてとても耳障りが良い訳だが、
それはただたんに罠だ、という現実をしっかり認めるべきだ。
罠に落ちれば破綻する。
破綻をしたらどうなるのか、という現実をしっかりとシュミレーションしてみればよい。
誰もが、感情論はさしおいても、現実はそれほど簡単にはいかないだろう、と察しがつく筈だ。

過去の例を挙げるまでもなく、
例えば、鬼畜米英、と言ってみるのはいいが、
果たして、米英は本当に鬼畜だったのか、
は、いいとしても、
果たしてそういう鬼畜生が、実は日本よりもずっと国力が上であり、
そういう先進人である鬼畜たちに、
技術力で、資本で、人力でも、国力でも負けている日本が、
いったいどうすれば良いのか、
どうしたいのか、なにが欲しいのか、を果たして現実問題として知っていたのだろうか
欲しがりません勝つまでは、と歌いながら、
なら勝つためには実質的にどうすればよいのか、
と同時に、どういう状態を勝ったことにするのか、つまりはゴールな訳だが、
それを考えて喧嘩をしたのだろうか?

情報収集能力、と言うよりも、現実的な考えがすぐに感傷論に押し流されてしまうのは、
つまりそれは耳障りが良く、そして楽だからだ。

終身雇用がなくなってしまったことが、いったいなにを意味するのか、
終身雇用の有る無しでいったいなにがどう違うのか。
終身雇用がなくなったいま、企業は、社員は、いったいなにをすれば良いのか、
冷静によく考えてみるべきだろう?
さもなくば、また闇雲に、いや、昔はこういうやり方でやっていた、
だの、もともとそういう物だったから、やら、そういうしきたりで、やら、
と、聞いた風なことを言い出す奴が出るが、
そう言っている奴が終身雇用がない、という現実が判っていないならまだ可愛いが、
終身雇用という保険のないこの時代に、
終身雇用時代の盲従的な従属を求めることがいったいなにを意味するのか、
よく考えたほうが良い、ということだ。

原爆が落ちて、東京が焼け野原になり、無条件降伏に調印したように、
バブルは終わり、終身雇用がなくなり、地震が起きて放射能が降り注いでしまった、
という現実がいままさに目の前にあるわけだ。
そのという現実をまずはよく見極めることがだろうが、と。

という訳で、そう、この国の精神的土壌というは、つまりはセンチメンタリズムなのだよ。

武士道さえもがそれだ。死ぬことと見つけたり、アホか、と言いたい。

食わねど高楊枝、は勝手だが、それは勝手にやっていればいいだけの話。
それは感傷であって現実にあらず。
現実とは食わねば餓死する、まずは食う、そして食えるようになるにはどうすれば良いのか、
考えて実行に移す、ということを弁えるべきなのじゃないのかな。

日本を出てから、まずは生き延びること、と唱え続けてきた俺は、
そんな日本の感傷が、愛しくもあったのだが、
さあ、それをアメリカ人に説明しろ、と言われた時点で徹底的に冷めてしまった訳だ。

という訳で、友達にだけは本当のことを言った。

日本はもう終わりだろうが感傷に浸っている場合じゃない。
この国が遅かれ早かれ終わる、ということを前提にガキを育てろ。
いますぐにでも英語をやらせろ。
女の子はピアノと水泳とバレーを。男の子には空手とテニスとサッカーを。
いますぐにでもIPADをそれぞれに買い与えろ。
つまりは、国に頼らずに世界中どこにいっても一人で食っていける技術を与えておけ、
ということだ。
一人で食ってける技術のない奴の負け犬の感傷論に巻き込まれないために、
なるべく早めに海外に留学させろ。
世界で一人でやっていく、ということがどういうことか、早いうちから叩きこめ。
生き抜く方法はそれしかないぞ。

なんてことを言いながら、
いざ一人になると、なんとなくそういうことがすべてかったるくなってきている自分に気づいた。

そう、ここに入れば、そんな苦労は必要ないわけだろう、という甘い幻想をそのまま信じてしまいたくなるわけだ。

東京のその緩さが、だんだん楽ちんになってきたわけだ。

やれやれ、ニューヨークに戻ってからが思いやられるな、と今から思い始めている。

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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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