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音が語りかける演奏ができなければ、いまさら楽器を演奏する意味などない

Posted by 高見鈴虫 on 02.2011 音楽ねた
前に、音楽がつまらねえ、と言う話をしたが、
それはつまり、俺がドラマーだからに他ならない。

このデジドラ全盛の時代に、ドラマーはやはり相当に退屈な思いをしている筈だ。
まあ確かに、デジタルでプログラミングされたドラムも、
元はといえば、生ドラムの演奏をデジタルかしてる訳で、
安いテクニシャンはドンカンのビートの中にあるその裏音の妙技にまで
気がつくほどの素養がなかったからだと思うのだが、
最近は確かに、わざとアクセントをずらしたり、タメを協調したり、
ボリュームの調整して、なるべく生っぽい音を出そうとしている苦労は見えるのだが、
なぜか、そればかりが鼻についてしまってやはり駄目だ。受け付けないな、と
そのたびに深い挫折感を味わうことになるのだ。

が、しかし、

生のドラムだったらそれでいいのか、というとまったくそんなことはない。

まったくぶれない機械のようなドラム、というはそれはそれで完璧なのであって、
デジドラのそんな完璧なドラムに耳の慣れてしまった今、
そんじょそこらのドラマーのテクニックは、
下手をするとただのタイコ、粗ばかり目立って、ついついからまわりしてしまうのだ。

という訳で、
うーん、ドラマーにとっては本当に受難の時代だ。

と思いながら、
サテライトのラジオのチャンネルをいじっていたら、

突然、ボブ・マーレー&ウエイラーズのブートレッグが流れていた。

ラインからの直録りのようで、
音のレベルもバランスも最悪なのだが、
その分、隠しようのない生の音がありありと伝わってきて、
思わずその荒さ、雑さ、下手糞さ、に耳を疑ってしまった訳なのだが、
よくよく聴いてみると、
その波打つバランスの中に、バンドのメンバーの息遣いが手に取るように判り初めて、
それに気がついた途端、思わず持っていかれてしまった。

ドラムが語りかけてくる。

ハイハットのレガートとアクセントが、
スネアのリムショットのひっかかりが、
ちょっと遅れて入るバスドラの溜めが、
まさに語りかけるように語りかけてきて、

おお、これこそが、歌う、ということか、
とまざまざと見せつけられる気がした。

やっぱりね
、ここまで楽器を歌わせる、楽器で語れる、
ぐらいにならないと、楽器を演奏する意味などないよな、
と思い知った訳で。

そう考えてみると、
現在の音楽の詰らなさが見えてくる。

はなからドンカマにあわせたビートはただの予定調和、まるで工場の騒音のようだし、
リミッターをかけられたベースは指で弾いてボディの共鳴するバイブレーションをすべて消してしまう。
良いところだけ切り貼りされて波長でチューニングを修正されたボーカルは、
まるでどれもこれも初音みく。つまりロボットの歌声そのもの。

ドラムは走らずベースはうねらずギターは泣かずボーカルはロボット。
つまりそこには、物語が存在しない。

あのなあ、と、あらためて。
そんなものに誰がどうやって魂を吹き込むかと。

という訳で、

今はもう音楽という音楽がかたっぱしから馬鹿馬鹿しくなってしまってもいるのだが、

そうでないミュージシャンがいるのであれば、必ず見に行こう、と思っている人も少なくない筈だ。

という訳で、

この空白を誰が埋めるのか、持ち逃げするのか、ちょっと楽しみではある。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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