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終末を疾うに過ぎて ~ さらばノストラダムス

Posted by 高見鈴虫 on 03.2007 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments   0 trackback
その昔、
日本がまだ、さすがに高度ではないにしても、
成長、なんて言葉が、
まだなんとなくちょっとまじめに信じられていたそんな時代、

つまり、放課後の小学生が、塾にも予備校にもお稽古事にも行かなくても許された時代、
学校が終わったらランドセル放りなげて、
野球とサッカーと缶けりとちゃりんこレースに明け暮れていた、
そんな、古き良き時代。

テレビをつけたら必ずやっていた丸大ハムのコピーにもあるように、
子供は元気なほうがいい、と、
よく言えばワンパクで逞しく、
悪く言えば乱暴でやんちゃな悪餓鬼的行為が、
半ば黙認、ともすると奨励されていた、
そんな、イニシエの昭和の半ば頃、

新興住宅街を我が物顔で練り歩く、
恐れを知らない餓鬼どもを震撼させた3つの出来事、

人呼んで1973年の恐怖の天中殺、
あるいは、怒涛の惑星直列、
すなわち、
エクソシストと日本沈没と、そしてノストラダムスの大予言、が見事にぶち当たった、
あの未曾有の大崩壊ブーム。

いまから考えても、偶然としてはあまりに出来過ぎ、
つまりはそれだけで神の意思、シンクロニシティさえ感じてしまうこの出来事。
あのひとつひとつがそれだけで伝説となりうる、ともすると社会現象化するに足る、
ウルトラメガミリオンサイズの超話題作が、
一挙に3つ、重なりあって襲いかかってきた一大センセーションに、
うららうららで狙いうち、の大合唱に乗せて、
水俣病の魚と石油ショックのトイレットペーパーと赤軍のハイジャックと大洋デパートのおまけもついて、
もうこれだけで、日本中が、完全に持ってかれていたものであった。

そんな中、俺たちの話題は、なんといってもやはり断然にエクソシスト。



少女に憑りついた悪魔と悪魔祓いの神父たちとの戦いを描いた、
その後、怒涛のように押し寄せてくる恐怖映画ブームの火付け役となった超大作。

糞餓鬼たちの間で映画そのものを観たものは一人もいなかったにも関わらず、
下手をすると、何丁目の誰々が観たらしい、との噂だけで、
餓鬼どもはちゃりんこを飛ばして駆けつけては、
恐る恐る閉じられた2階の雨戸を仰ぎ見たもので。

少女の顔が悪魔に変わって、首がぐるっと一回りしたり、
ベットが宙に浮いたり、緑色のゲロを発射する、らしい・・・と。

ああ、そんな噂話だけで、
これはもう無茶苦茶に戦慄させられたもの。
それに加えて、
あまりの恐怖に映画館でショック死する人がいるらしい。
おもわずゲロ吐いちゃう人が続出らしい。
なんて。

ってことは、下のほうで見たら危ないな。
なんで?
だってほら、みんなの吐いたゲロが鉄砲水みたく押し寄せてくるだろ。
おおおお、ゲロの鉄砲水か・・・
と、一同騒然。

これは怖い。怖すぎる。

と言う訳で、早急に手を打たねば、と思いながら、
問題はやはりあの近所の馬鹿坊主だ。
そう、糞がきたちは心配で夜も眠れなかったものだ。
だって考えてもみろよ、あの馬鹿坊主が英語喋れる訳が無いしよ。
ってことはだ、
俺たちが悪魔に憑りつかれたらいったい誰が悪魔祓いをするってんだよ。

と言う訳で、
うーん、これはもしかして、
俺たち絶対絶命。悪魔にやられたらやられ放題ってことだな。
頼むから悪魔、こっちに来ないでくれ、
あるいは、馬鹿坊主、大人なんだから英語ぐらい喋れよ、と。

ってな話をしながら、
昼は校庭でひまわり、
放課後は近所の神社で缶蹴り、
あるいは草まみれどろまみれの三角ベース、
冬はもちろんサッカーでオフサイドは無し
というのがまあ我々の世界のすべてだった訳だが、
幸運にも、待てど暮らせど悪魔は誰の元にもやっては来ず、
なんだ、やっぱり外人だけか、つまらねえな、とちょっと残念。

と言う訳で、もうひとつの大惨事、
日本沈没。
うーん、でもなあ、
沈没したら他の国に逃げれば言い訳でさ。
と、まあそれはそれで、キャンプの街の餓鬼らしく、
こましゃくれながらも的を得た答え。
なんかベーグン(米軍)の飛行機が助けに来るらしいし、
なんだそうなったらあのキャンプの中の家みたく、
ゴルフ場みたいなところに住めるのか、
そんなら俺、そっちの方がいいな。
俺も、そう、俺も、と。
そっちの方もわりと的を得ていたりして。

でも神社がないから缶けりできないぜ、
馬鹿、そのかわり本物の鉄砲でギンダマ戦争できんじゃんかよ。
おおお、戦車とかあるしな。戦闘機とかな。
おおおお、やっぱりアメリカだべ、と。

と言う訳で、少年たちの関心は、
いつしか遅れてやってきたノストラダムスの大予言へと移って行った訳である。

ほうほう、1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてきて、世界は滅亡、と。
なんか聞いたことあるな。
恐怖の大王、って、あのエクソシストの凄い奴だろ?
世界は滅亡って、具体的には沈没ってことかよ。
つまり、2つあわせてお得ですってことなんだな。
なんかちゃっちいな。

といいながらも、
今回は時間の指定がされている訳で、
これまで、いつ来るか判らない悪魔に待ちわび、
どう考えても日本が沈没してどうして韓国や台湾や中国が無傷か、
ってことは地震にも国境の概念があるのかよ、
なんてことに疑いを募らせていた餓鬼どもにとって、
この、ノストラダムス、という偉い外人、ののたもうた予言、というものが、
日が経つにつれてなんとなく妙な信憑性を深めて行った訳で。

1999年だってさ。なんか随分先だよな。
ってことは、俺たち、いくつになってる訳?
と、手の指足の指から人の指まで総動員、してもまだ足りない。
たぶん30いくつだろ。
じゃあ俺、子供つくるのやめよ。
なんで。
だって子供いたら逃げるの大変じゃん。
いずれにしろみんな死ぬんだから一緒だよ。
でもさ、かわいそうだよ。
じゃあ俺、結婚すんのやめよ。
なんで。
女連れてると足手まといだし。
アシデマトイってどんなこと。
邪魔くさいってことだよ。
でもおんなのほうが喧嘩強いぜ。
かわさきかずみとかな。
きのしたりょうことかな。
おまえ泣かされたしな。
じゃあ守ってもらえるかな。
じゃあおまえ、あいつらと結婚しろよ。
ふざけんなよ。

そう、1999年どころか、
次の夏休みが、あるいは、
下手をすると給食でムキミチャウダーの出る三日後さえもが、
既に永遠と同じぐらいに遠くに感じていた餓鬼どもにとって、
1999年?なんてまさに永遠の2倍3倍。
つまり、ちょっと気の遠くなるぐらいに先の話な訳で。

どうする?
なにが?
ノストラダムス。
うーん、と、黙り込む糞餓鬼たち。
食いまくる。なにを?適当に、とか、
気にいらねえやつみんなぶっ殺す。そうやって逆に殺されちゃったらどうする?おお、それ凄い損、とか。
おんな、脱がせまくる。それで、それで?脱がしてどうする?脱がしてどうするか?うーん、困るな。とか。
金とって逃げる。どこへ?あ、それ俺も考えた。そうだよな、金なんかあってもしょうがないしな、と。

と言う訳で餓鬼ども、にわかに訪れた無常観の中で、
うーん、と困って神社のお賽銭箱に小石を投げ入れている。
ねえ、かみさま、ノストラダムス来たら守ってくれるって約束な。

と言う訳でノストラダムス、遅れてやってきたぶん、かなり糸を引いたって訳で。

だって先生、どうせ1999年で死んじまうんだぜ。勉強なんてやったって無駄だじゃねえか。

と言われた先生、今更ながら困っただろうな。

というか、
この質問、全国の学校という学校の、クラスというクラスで、同じ質問が提示された筈。

どうせ死ぬなら何をやったて無駄じゃねえか。先生、答えてくれ、と。
うーん、
これはもう教科書丸暗記させるしか能のない最近の盗撮リーマン教師とかだと、答えが出ないどころか、下手をすると同じような次元で悩んでしまったりしてな。

昭和の半ば、古き良きイニシエの時代、
教師は、雁字搦めの管理主義もPTAの採点もノルマも苦情処理もなかった代わりに、
時として身体を張って悪餓鬼どもと対峙することを、半ば当然と求められている所もあって、つまり、いい意味でも悪い意味でも損得無しの真剣勝負。
そんな修羅場が日々繰り返されていたような気がする。

だからさ、俺は勉強やめたんだよ。文句があるならノストラダムスに言ってくれよ。
じゃあ勉強しないで死ぬまでなにをする訳?
だから、そういう事じゃなくてさ。つまり無駄なんだよ。勉強なんて。どうせ死ぬなら嫌なことはしないって決めたんだよ。
だから、嫌なことしないとしたら何をしたい訳?
それを考えてるんじゃんかよ。
それを教えるのが学校なのよ。どうせ死ぬのなら、本当にやりたいことをやりたいでしょ。その本当にやりたいことってどんなものがあるのかってことを見つける出すのが学校なの。
だって、理科も国語も社会も、ひとつも面白くないぜ。
まだ良く知らないからよ。知れば知るほど面白くなってくるの。知りもしないうちからつまらないって言っちゃったら勿体無いでしょ。
いらねえよそんなもの。
あんた、野球上手でしょ。
まあね。
どうして。
面白いしな。
練習もするでしょ。
うん。
練習するともっと面白くなるでしょう。
まあな。上手くなるしな。
それと同じこと。脳みそもおんなじ。練習すれば上手くなるの。つまり練習してどんどん頭が良くなるとどんどん面白くなるの。どう?
でも勉強は嫌だな。
せっかく脳みそあるのに、使わなかったら勿体無いでしょう。練習してどんどん上手になってどんどん面白くなる筈なのに。
どうせ死んじゃうとしても?
だからよ。どうせ死んじゃうのに脳みそ使わないで死んだらせっかく脳みそもって生まれてきたのに勿体無いでしょう。
でも勉強って金持ちになるためにやるんじゃないの?社会に出て偉くなれなくて困らないためにやるんじゃないの。
そういう人もいるけど、でも本当は違う、筈。
ほんとうに。
うーん、そこは先生、ちょっと自信ないかもしれない。
でも、
でも、
好きになればいいだよな、野球みたく。
そう、好きになるわよ。あなた、乱暴だけど賢いし。
うるせーばか。
先生に馬鹿はないでしょう。
馬鹿だから馬鹿って言ったんだよ。
なんで馬鹿よ。
つまらなかったらやめるからな。先生嘘つきだからな。
人を嘘つき呼ばわりする前に面白くなるぐらい勉強がんばんなさいよ。
人の勝手だよ。俺は面白いことしかやらない。
ノストラダムスだかなんだか知らないけど、人はいずれ死ぬのよ。
知ってるよそんなこと。葬式みたことあるもん。
下手をすると1999年よりも前に死んじゃううかもしれないし。
なんで?
なんでも。事故とか病気とか。
ああ、そうだね。確かにそのとおり。先生さすがに頭いいな。
だからね、いつ死んでもいいように、思い切りやりなさい。
思い切りやるってどうやんの?
だから思い切りやるのよ。野球もサッカーも勉強も。
あと剣道な。
あとマラソン大会もあるでしょ。
うん。
がんばるのよ。いつ死んでもいいように。
うん。
どうせ死ぬんだから何をやっても同じ、じゃないのよ。いつ死んでもいいように後悔しないように、がんばってなんでもやりなさい。
うん。
判った?
判った。
うんじゃなくて、はい、でしょ?
はい。
そう、それでいいの。
先生も死ぬの?
そう、いつかは死ぬわよ。人間だから。
死ぬなよな。
死ぬわよ。人間だもの。
じゃあ俺よりも先に死ぬなよ。
先生はあなたより年上なんだからあなたよりも先に死ぬわよ。
先に死んだらぶっ殺すからな。
ありがと。ぶっ殺されないようにせいぜい長生きするわよ。
約束な。
約束ね。車に気をつけるのよ。
ああ。1999年よりも前に死んだら勿体無いからな。

そう、まだ、あの時代、
餓鬼は元気なほうがいい、と、
よく言えばワンパク、悪く言えば悪餓鬼的な行為が、
半ば黙認、ともすると奨励されていた時代、

放課後の校庭で、グローブ片手の糞餓鬼どもと、仕事帰りの新任教師が、
こんな話をしながら滲んだ夕日を眺めている、なんて情景が、実に実際に存在したのだ。

しかしながら、
やはり、こう言ってしまうとなんだが、
やはり俺たち、つまり、1973年に物心ついていた悪餓鬼たちにとって、
1999年に世界は終わる、とう予言は、
ある時には都合の良い言い訳として、
その半生の各局面において、微妙な影を落としていたことは否めない。

Aにするか、Bにするか。
先のことを考えたらもちろんA、
だがしかし、どうせ1999年で終わるのであれば、やはり面白そうなB。
と言う訳で、
やはりBを取ってしまった俺たち祈るような気持ちで自問を繰り返すようになる。

おいおい、ノストラのおっさん、あんたの予言、本当に大丈夫だよな。頼んだぜ、と。

ちなみに俺は、どんな局面においても、徹底的にノストラダムスに賭けた。
どうせ1999年で終わる、つまり、30そこそこの人生だ。
好きなことを好きなようにやるさ。
いつ死んでもいいようにとりあえず今をがんばる、という訳である。

結果、
軽率な行動主義に裏打ちされれた安易なご都合主義。
後にはそれに、
冒険主義的享楽的志向にあるときは実力主義的暴力性と
またある時は刹那主義的博愛思想が、
渾然となって所かまわず気分しだいでぶちまかれ、

つまりは、ご覧のとおり、この始末。

おい、どんするんだよ、こんなことになっちまって。
馬鹿やろう、やるしかねえよ、ここまで来たら。
やばいよ、どう考えても。
いずれにしろ1999年で世界は終わるんだよ。それがちょっと縮まるだけだろ。構う事はねえよ、やっちまおうぜ。
まったくな。
ノストラダム様、あとはよろしく、
なんてね。

そう、そう言えば、ノストラダムスって暴走族、あったよな。すぐに潰されたけど。

ねえ、あんたこの先どうするの?
お前なあ、そんな細かいことばかりちまちま考えてどうすんだよ。明日には死んじまうかもしれないのにさ。
そんなこと言って死ねなかったらどうするのよ。
大丈夫だよ、歴史上の偉い大先生も太鼓判を押してる。
なんのこと。
ノストラダムス。
だと思った。ねえ、その人、偉い先生でもなんでもないわよ。知りもしないくせに。
そんなことはこの際、関係ないんだよ。俺はノストラダムスに賭けた。1999年に賭けた。それまではとにかく楽しくやる。
で?
で、なんだよ。
外れたらどうするの?
外れたときに考えるさ。
どうやって。
つまりだ、俺みたいな奴、すごくたくさんいると思うんだよ。でさ、そいつらみんな困るわけだろ?やっべえ、外れたよ、って。したらそう言う奴を集めて、で、みんなで考えればいいじゃんか。
そんな調子よく行くかしら。
大丈夫。俺にはお前がいるし。
ちょっとどういう意味よ。学校にもぜんぜん来ないで。試験前に泣き付いて来てもノートなんて貸さないからね。赤点食らっても知らないわよ。
大丈夫、君はそういう人じゃないって俺が一番良く知ってる。
本当よ、貸さないわよ。
貸すさ、俺にだけは。
貸さないわよ、誰にも。
変なこと書いてあるからだろ。
なによ、変なことって。
だから変なことだよ。
なによ変なことって。
だから、たとえば、
たとえば、
俺の名前とか。
馬鹿。
嘘だよ。冗談。
無言
なんか言えよ。
無言
冗談だよ、泣いてるの?
もう切るわよ。
ああ、おやすみ。また明日。
うん。
ねえ
なに?
俺の名前、本当に書いてあったりするの?
本当に書いてあったとしたら、一番困るの、あなたなんじゃないの?
え?どういう意味?
じゃね。また明日。

なんてさ。

そうやってやり過ごして来た人生。

高校の体育館の屋根の上によじ登ってタバコをくわえて、、
行く宛てもないまま終電をやり過ごして新宿副都心超高層ビル街区の歩道橋にもたれて、
深夜にたどり着いた香港の安宿の油煙まみれのネオンの狭間から、
吹きすさぶ風の中にたったひとりとり残された砂漠の地雷原から、
海と月と自分以外に何ひとつ存在しない究極のビーチのど真ん中に寝転びながら、
蜃気楼に包まれたテキサスのフリーウエイで路肩でいつ通りかかるとも知れぬ対向車を待ちながら、

ふと見上げた空。

なんかさ、
恐怖の大王が降りてくるには、ちょっとこれ、間が抜けすぎていませんか、と、
なんとなく、おれ、外したかな、と思っていたのも事実な訳で。

と言う訳で、1999年、12月31日、

どう言う訳か、そう、何の間違いか、
存在してはならない、訪れてはいけない筈の、その夜、
俺はニューヨーク、セントラルパークの
遥か彼方、ミッドタウンの大群衆の叫ぶカウントダウンを背中に、
取っておきのKENZOのハーフコートに、DKNYの革パンにREDWINGの鋼鉄入りブーツ。
肩まで流した茶髪のロンゲをサムライ風にオールバックに結わえ、
額には2000と書かれたチカチカメガネ、
片手に像の下痢便のような大音響をたてるラッパを掲げて、

ハアアアアアアアアアピイイイイイイイイニュゥウウウイヤアアア、ミレニアム!
とはしゃぎまくっていた訳である。

21世紀の幕開けと同時にスタートした、
セントラルパーク・ミッドナイトラン=年明け仮装マラソン大会。
マラソンのルートごとに設置された飲み物、つまり、シャンパン、に悪酔いした結果、
バニーちゃんからセーラームーンから、
ウエディングケーキからサイからトラからウシからシマウマからミッキーからグーフィーからサムライからミイラ男に抜き去られた挙句、
ゴールインと同時に眩暈がして倒れ込んで。

満点の空に轟音とともに広がる大花火に見とれながら、
ああ、恐怖の大王、やっぱり降りてこなかったな、と。
でも、良かったな、
だって、今、こんなに幸せなんだから、と、
思わず呟いてしまったのであった。

という訳で、
なにかにつけて外しまくった挙句に、最後に打った大博打も見事にスカッた末の2000云年。

なんかさ、なにからなにまで、完全に外しまくってない、俺?とぼやいては首ばかり傾げて。

あり得ねえよな、あり得る筈がねえんだよ、こんなこと、
だってさ、俺たちって、もう終わってるはずじゃなかったのかよ、なんて。
今更言ってどうするんだよそんなこと。

と言う訳で、1999年から経つこと云年ばかり。

終末を疾うに過ぎて。

この、行きあたりばっかりのどたばた珍道中、
果たしてどこまで続くのやら・・・

ってな感じで、
あけおめ・ことよろ・ろっくんろーる




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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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