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貧困の悲しさとは

Posted by 高見鈴虫 on 29.2006 旅の言葉   0 comments   0 trackback
昔、出張先のパナマで知り合ったオペラのプロデューサーのお話。

彼、スペイン語のオペラ(ドンキホーテ)のプロデュースで南米を回ってるって話でさ、
おいおい、オペラって言ったって、
こんな貧民ばかりの国で、いったい誰がオペラなんか観にこれるんだよ、
って言ったら、
それがね、貧しい国ほどオペラのチケットがよく売れるんだって言うんだよね。
つまりね、問題は貧困じゃない。
格差=差分なんだよ、と。
本当に貧しい国、なんてのは存在しなくて、
貧しく見える国というのは、
金持ちが利権から開発援助金からをみんな独り占めしてしまっている国のこと、なんだよって。
つまり、民度の低さこそが貧困なのだ、と。

貧しく生まれた人々は貧困を、運命として諦めているか、
あるいは、大雨や日照りみたいに、まあ天から降ってくるもの、
と思ってるんだろうけど、
実はそれは人災なんだよ、
貧困は作り出されているんだよ、と。

で、んだよ、お前、まるでゲバラみたいじゃねえか、と笑ったら、
逆だ、と。
南米回ってつくづく貧困がいやになった、と苦笑い(笑

なんかやりきれない話だけど、でも気持ちは判るな。

でもね、救いはある、筈なんだよ。

貧民は貧民なりに、金のかからない方法で思いきり楽しむ、ことは可能だと思うし、
金かけなくたって、おいしいものは食べれるし、いい音楽だって作れるしさ。
お金はなくても幸せな家族はたくさんいる。
俺なんか海が澄んでて女の子きれいならもうなにもいらない、って感じだし
と、あいつに言ったら
あんたはつくづく甘い、と怒られた。
南米に来ればすぐに判るわよ、と言われた(爆

ガルシア・マルケスは、
誇りの為なら糞食って生きるさ、と啖呵を切ったが、
そもそも誇りも何も糞しか食えるものがない人間が嫌々糞を食らうのと、
パスタもあるけど誇りのために敢えて糞を食う、
というのでは本質的に違う、と。
そもそもマルケスは糞を食ったことがあるのか、と。
糞しか食えない人間は、糞の象徴するものを
心の底から憎むものだ、と。
貧困の悲しさとはつまりはそれなのだ、と。
うーん、返す言葉もねえな。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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