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天命としてドッグトレーナー養成所を作らねばならない

Posted by 高見鈴虫 on 07.2012 犬の事情
真面目な話、
もしももしも、大金持ちになれたとしたら、
そんな可能性もう微塵もねえなあとは思いながら、

もしかしたら、
そう、云年前に吹き込んだあの曲が、
ひょんなことからコマソンに使われて大ブレイク、
なんことがあったりしたら、
やりたいことがある。やらねばいけないことがある。

それは、と言えば、
ひとえに、ドッグトレーナー養成所な訳だ。

いまこうしている今も、世界中で罪のない犬たち猫たちの殺処分が続いている。

殺処分にされる犬のほとんどが、
パピーミルで売れ残ったのか、
あるいは、
やはりなんらかの理由で飼い主と相容れなくなり、
そして放り出されたまま檻の中でその儚い一生を終えようとしている俗に言うレスキュードッグ、という訳だ。

ひとつの命をこうも簡単に奪ってしまうこと、
これは考えるまでもなく、あまりにも理不尽だ。

この世には神も仏もないのか、と思うが、この世には神も仏もいなからこそ、
すべての犬は天国に行ける、なんて言葉でごまかしているんだろう。

俺は、イルカ保護団体が何故にあれほどに過激化する必要があるのか、
とさっぱり意味が判らなかったが、
その対象が犬であったのであれば、その気持はすぐに判る。

この年になってすっかり仏の面にも慣れ親しんだつもりだが、
それが犬であったりするとまったく話は別だ。

俺は犬をいじめる人間はぜったいに許さない。許すべきではない、と思う。

気が触れているとおもわれるのを承知で言うが、
犬を蹴った人間は、通りでいきなり人に蹴りつけた人間と同じように傷害罪を適応するべきだ。
犬を殺した人間は、もちろん殺人罪。
犬を食った、なんて奴は、それこそ食人罪。一生を精神病院の檻の中に監禁するべきだ、
それぐらいに動物愛護法について、真剣に検討するべきだ、と思っている。

という訳で、犬猫の現実の事情だ。
悲しいことに、犬猫の命は人間よりもずっと軽いと見なされているこの現状。
ぬいぐるみと同じように、お払い箱にされたペットは焼却炉、ならぬガス室に直行となる訳だが、
ぬいぐるみと違うところは、当然のことながら、犬猫には心がある。愛もあれば悲しみもあり、
つまりは生きているということなのだ。

命という意味では、いまも顔の周りを飛び回るやぶ蚊や、壁の裏側を走り回っている糞ねずみにも命はあるのだから、
お蚊様、おねずみ様として崇め奉るか、というつもりもないが、
敢えて独断と偏見と個人的嗜好だけで言わせてもらえば、
猫はとりあえず、犬だけは救わなくてはいけない。

ではどうやって犬をすくうことができるか。

つまりは、殺処分にされる犬をなんとしても減らさなくては行けない。

パピーミルの根絶はもちろんのこと、ペットショップの犬猫売買にも規制をかけるべきだ。

ペットを飼う、つまりは、命を預かる責任を十分に自覚してもらい、
基本的なドッグとレーニンの基礎知識は、飼い主の責任において予め習得することを義務付ける必要があり、
飼い主たちをそのように教育するべきだ。

とそしてレスキュードッグだ。

一度犯してしまった罪のために檻の中からガス室に送られるその前に、
今一度だけでも更生のチャンスを与えてあげることはできないものか。

犬だって猫だって、そして人間だって、
ろくな教育も与えずに、ただ可愛い可愛いと甘やかした上に、
ちょっと粗相をしたから、あるいは、飽きたから、という理由で檻の中に監禁されれば、
それはもう、少しぐらい世の中をハスに見ることになってもしかたがない。

犬だって猫だって人間だって、教育を受けなければただの野獣なのだ。

という訳で、人間に教育が必要なように、犬にも猫にも教育が必要な訳で、
不幸にも教育の機会を与えられないままにガス室送りになる命を救うために、
シェルターとタイアップした形で、再教育システムの組織化がぜひとも必要な訳だ。

まずはドッグトレーニングの定型化だ。

いろいろなスタイルはあるのだろうが、とりあえず、人間を信頼し、
犬と人間の妥協点を認め合うことに肯定的になって貰えるまで、
なんとか持って行かねばならない。

噛まない、吠えない、呼んだら来る、それだけでも十分ではないか。

ペットロスに悩む人々、
ペットが買いたくても飼えない人々、
いろいろな事情で、犬を救わなくては、と考えている人々、

そういった人々にドッグトレーニングの基礎を学習してもらい、
ドッグトレーナーの認定書取得までをサポートする。
その代償として、学習と平行して実地訓練として、
ドッグシェルターの犬たちを相手にボランティア活動をしてもらう。

あるいは、ドッグシェルターの犬たちを、十匹でも更生させアダプトまで漕ぎ着けることができて初めて、
ドッグトレーナーの認定書を発行する、とか。

そのドッグトレーナー養成のシステムづくりをやりたい訳だ。

という訳で、そんな夢を見ながら、
今日も俺は、シェルター送り寸前の馬鹿犬どもが、飼い主に三行半をつきつけられるまえに、
おいで、おすわり、だめだめ、ジャンプしない、噛まない、吠えない、はいいい子だね、よくできました、
とやっている訳だ。

だから頼むから、ドッグランの馬鹿犬を責めないでくれ。
犬を攻める暇があれば、自分の犬に対するのと同じように、
愛情を持ったことばで、接してやってくれ。

だから頼む、犬を殴らないでくれ。
犬だって人間だって命ある以上、暴力は決してぺいしない。
人間だって殴られたら殴り返す。犬を殴れば殴り返す、つまりは噛み返す犬になる。
そうなった時に、責任を放棄するのは立派な殺人犯だ。刑務所送りだ。
たとえそれが自分の犬であっても、暴力は暴力だ、そのことを良く理解してくれ。

だから頼む、犬を手放さないでくれ。
あなたが手放した犬が、果たしてどんな運命をたどるのか、よくその目で確かめてくれ。
そしてひとつの命を摘むことの、その重大さを、心のそこから噛み締めてくれ。
それができないのなら、頼むから考えなおしてくれ。
トレーニングが必要なら俺がやる。もちろんタダだ。
そのかわり、俺がトレーニングするのは犬ではない。
あなた自身だということを、その意味をちゃんと理解してくれ。

そして、全人類に対しておねがいだ。頼むからお願いだから、犬を殺さないでくれ。

できればすべて俺の金で買い取ってやりたいが、
悲しいことに金も無ければ力もない。

だからこれはお願いだ。お願いばかりで悪いがお願いすることぐらいしかできない。
土下座ぐらいならなんべんでもやってやる。土下座ぐらいならなんべんでもやってやるから。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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